良く無い事だったら消しますので教えてください。
日常会です。十二話じゃなくて閑話にしようかな
魔法少女管理庁本部 高層区画。
ガラス張りの渡り廊下を抜けた先にあるカフェテラスは、今日も関係者たちで賑わっていた。
制服姿の事務員。
負傷した腕へ包帯を巻いた魔法少女。
タブレットを抱え、慌ただしく行き交う分析官たち。
ソラリス襲撃事件から数日。
世界規模の被害を出しかけた未曾有の戦闘は終息したものの、管理庁内部はいまだ騒然としていた。
戦闘記録の分析、同規模災害を想定した今後の対策会議。
世界を揺るがしかけた事件だったからこそ、検証しなければならないものは山ほどある。
現場は休む暇もなく動き続けていた。
加えて、世間ではノクスへの注目が爆発的に高まっている。
黒い太陽へ立ち向かった魔法少女。
特にノクスの戦闘映像は半ば伝説みたいに扱われ始めており、ニュースもSNSもその話題で持ち切りだった。
英雄視。熱狂。期待。
そんな世間の熱量まで流れ込んでくるせいで、管理庁全体がどこか落ち着かない空気になっている。
それでも、このカフェテラスだけは少し違った。
コーヒーの香りと穏やかな話し声が、ほんのわずかに人々の呼吸を和らげている。
ステラは自動ドアを抜けながら、小さく息を吐いた。
「……相変わらず、人多いなぁ」
肩の力を抜くように呟き、視線を巡らせる。
そして窓際の席で、静かに紅茶を飲む少女を見つけた。
白と蒼を基調にした装いは、雪と深海をそのまま形にしたみたいだった。
透き通るような銀青色の長髪。
細い髪は光を受けるたび水面みたいに揺れ、腰を越える髪先が淡い霧の中へ溶け込んでいる。
髪へ添えられた蒼い結晶花の装飾は、氷細工みたいに繊細で美しかった。
静かな蒼眼。
感情を荒立てることなく、それでいて見る者を逸らさせない凛とした視線。
纏う空気そのものが冷たい雨と薄霧を思わせ、不思議な静謐さがある。
まるで夜雨の幻想から切り取られた存在みたいに。
ルミナだ。
ただ椅子へ腰掛けているだけなのに、その一角だけ時間の流れが静かになったように見えた。
ルミナはティーカップを傾けながら、近づいてきたステラへ視線を向けた。
蒼い瞳が、わずかに細められる。
「遅いです、ステラ」
「いや五分前! まだ集合時間前だから!」
「私が十分前に来ているので、実質遅刻です」
「理不尽!!」
反射みたいなツッコミだった。
近くにいた職員たちが、くすりと笑う。
ステラはむう、と頬を膨らませながら席へ腰を下ろした。
「というかルミナ、絶対さっきまで仕事してたでしょ」
「ええ」
「寝てないでしょ」
「二時間は寝ました」
「それ寝てない側なんだよ……」
呆れ半分で言うと、ルミナはどこ吹く風で紅茶へ口をつけた。
白い湯気が静かに揺れる。
それから、ティーカップを音もなくソーサーへ戻した。
「それで」
「はい?」
「今日は何の用ですか」
「え」
ステラの視線がふっと泳ぐ。
「いや、その……別に大した用じゃ……」
「……」
ルミナは何も言わない。
ただ静かに見つめてくる。
その無言が妙に強い。
逃げ道を塞ぐみたいな静かな圧に、ステラは観念したように肩を落とした。
「……ノクス、退院したじゃん?」
「しましたね」
「その……元気かなって」
「元気でしたよ」
「そっか!!」
ぱっと花が咲いたみたいに表情が明るくなる。
あまりにもわかりやすい。
ルミナは数秒ほど沈黙したあと、静かに紅茶を飲んだ。
「あなた、本当にわかりやすいですね」
「なっ――!?」
瞬間、ステラの顔が爆発みたいに赤くなった。
「ち、違っ――いや違わなくはないけど!? でもそういうんじゃ――!!」
「どういうんですか」
「うぅ……」
間髪入れない追撃だった。
ルミナ自身は、ただ淡々と問い返しているだけだ。
声も静かで、表情だってほとんど変わらない。
なのに不思議と逃げ道がない。
雨みたいに静かで、霧みたいにじわじわ包囲してくる。
ステラは真っ赤になったまま、テーブルへ突っ伏しかけ――どうにか寸前で踏みとどまった。
そんな彼女を見ながら、ルミナは静かに紅茶へ口をつける。
白い湯気が、ふわりと揺れた。
ちなみに、ノクスは既に退院している。
ソラリスとの戦闘で重傷を負ったとは思えない速度で回復し、今ではすっかり普段通りの生活へ戻っていた。
そして今は、自分の家へ戻っている。
そこには当然みたいにルミナもいて、二人の共同生活もまた、何事もなかったみたいに元へ戻っていた。
朝になれば起こして。
食事を作って。
勝手に甘い物へ手を伸ばそうとするノクスを止めて。
騒がしい声を聞きながら、一日が過ぎていく。
そんな日常。
「……毎日会ってるんでしょ」
「ええ」
「同じ家なんでしょ」
「そうですね」
「うぅぅ……」
なぜかダメージを受けるステラ。
ルミナはそんな彼女を静かに見つめながら、もう一度ティーカップを傾けた。
その反応の理由くらい、当然わかっている。
わかった上で、特に手加減する気もなかった。
だからこそ、ステラはしばらく唸るみたいに黙り込んだあと、ふっと力なく肩を落とした。
「……ルミナ」
「なんですか」
返ってきた声は、いつも通り静かだった。
けれど今度のステラは、誤魔化さない。
琥珀色の瞳がゆっくり伏せられる。
「……ごめん」
その瞬間ルミナの指先が、ぴたりと止まった。
白い湯気だけが、二人の間で静かに揺れている。
「何についてですか」
責める響きのない声だった。
淡々としていて、穏やかで。
だからこそ逆に、逃げ場がない。
ステラは小さく息を詰まらせた。
「その……いっぱい、あるけど」
喉が少し震える。
「……あの時、キスしたこと」
ルミナは何も言わなかった。
視線だけが、静かにステラへ向けられている。
「治療のためだったのはわかってる。わかってる、けど……でも、なんか……」
言葉がまとまらない。
ステラは膝の上で、ぎゅっと手を握った。
「……ごめん」
消え入りそうな声だった。
ルミナはただ黙っている。
続きを待つみたいに。
「あと……ノクスに無茶させたことも」
「……」
「わたし、助けられてばっかだった」
ソラリスとの戦い。
黒い太陽。
空を埋め尽くした黒炎。
世界そのものが焼け落ちていくみたいだった、あの光景。
今でも時々、夢に出る。
「ノクス、ボロボロだったのに……それでも立ち上がって」
声が少し掠れた。
「わたし、止められなかった」
――違う。
本当は。
止めたく、なかった。
信じてしまったから。
ノクスなら勝てると。
ノクスなら、自分を救ってくれると。
期待してしまった。
縋ってしまった。
だから。
「……最低だなって、思ってる」
ぽつり、と零れる。
周囲にはまだ人の声があるはずなのに、不思議なくらい遠かった。
ステラは視線を落としたまま、最後の言葉を飲み込もうとして。
けれど結局、できなかった。
「あと……」
呼吸が揺れる。
鼓動がうるさい。
「好き、になっちゃったし」
消えそうなほど小さな声。
それでも確かに、口にしてしまった。
ステラは顔を伏せる。
耳まで真っ赤だった。
もうルミナを見れない。
見れるわけがない。
しばらく、沈黙が落ちる。
それから、かちゃり、とルミナが静かにティーカップを置いた音だけが、やけに大きく響いた。
ルミナは、しばらく黙ったまま紅茶を見つめていた。
白い湯気だけが、二人の間で静かに揺れている。
責めるでもなく、慰めるでもなく。
ただ、雨が降る前みたいな静けさだけがあった。
やがて、ルミナは小さく息を吐く。
「以前、言いましたよね」
ステラがゆっくり顔を上げた。
「……え」
「告白については、保留になっていますと」
静かな声だった。
「だから、あなたがどうするかは自由です」
「……」
「好きにしたらいいでしょう」
あまりにも自然に言われて、ステラの思考が止まる。
「いや、好きにって……」
「そのままの意味です」
ルミナはティーカップへ口をつけた。
白い湯気が、ふわりと揺れる。
「正直、時間の問題だとは思っていましたし」
「……へ?」
「あなた、かなりわかりやすかったので」
「~~~~っ!!」
ステラがまた顔を覆った。
耳まで真っ赤だった。
ルミナはそんな彼女を見つめながら、静かに続きを口にする。
「それに」
蒼い瞳が、わずかに細められる。
「ノクスは、ああいう人ですから」
「ああいう……?」
「魔法少女が傷付くことを、“仕方ない”で終わらせられない人です」
その言葉には、妙な実感があった。
長い時間を隣で過ごしてきた人だけが持つ、静かな確信。
「誰かが苦しんでいたら、助けようとする」
「……」
「自分が傷付いていても、前へ出る」
ステラの脳裏へ、あの背中が浮かぶ。
黒炎の中、何度吹き飛ばされても立ち上がり続けた桃色の光。
ボロボロになりながら、それでも前へ進もうとしていた人。
ルミナは視線を少し伏せる。
「だから私は、驚きませんでした」
「……え?」
「あなたが、ノクスへ救われたことに」
ステラは小さく息を呑んだ。
ルミナの声には、嫉妬も拒絶もない。
ただ、“そうなるだろう”と最初から知っていたみたいな響きだけがあった。
「だって、あの人」
そこで少しだけ言葉を切る。
ルミナは困ったように、ほんのわずか目を細めた。
「放っておくと、勝手に人の心へ入り込んできますから」
「……そっか」
ステラは小さく息を吐いた。
胸の奥へ絡みついていた感情が、ほんの少しだけほどけていく。
罪悪感も、後ろめたさも、全部なくなったわけじゃない。
それでも。
ルミナが真正面から拒絶しなかったことが、思っていたよりずっと救いだった。
「……ありがと、ルミナ」
「別に」
ルミナはいつもの調子で紅茶を口へ運ぶ。
白い湯気が、静かに揺れた。
その横顔は相変わらず涼しげで、感情なんてほとんど見えない。
窓の外には、夕方へ傾き始めた街並み。
ガラス越しの光が、ルミナの銀青色の髪へ淡く落ちていた。
綺麗だ、と。
こんな時なのに、ステラは思ってしまう。
だからこそ、次の一言は完全に不意打ちだった。
「それで」
「……?」
「えっちなことはしたんですか」
「――――は?」
思考が止まる。
数秒遅れて、意味だけが脳へ届いた。
「な、なななななっ!?!?」
一瞬で顔が熱くなる。
椅子がガタッと音を立て、周囲の職員が何事かとこちらを見た。
「し、してるわけないでしょ!?!?」
半ば悲鳴だった。
ルミナはそんなステラを見つめたまま、静かにティーカップを置く。
かちゃり、と。
妙に澄んだ音が響いた。
「そうですか」
その声音はあまりにも自然で。
落ち着いていて。
変に動揺した様子もない。
だからこそ。
ステラは、気づいてしまった。
「…………あ」
ルミナは何も言わない。
ただ静かに紅茶を飲んでいる。
その事実へ辿り着いた瞬間。
ステラの顔から、一度すっと血の気が引いた。
「……え」
理解した次の瞬間。
今度は逆に、頭の先まで熱が駆け上がる。
「えっ、ちょ、待っ――えっ!?!?」
声が裏返った。
脳内で、今まで見てきた光景が一気に繋がっていく。
同じ家。
毎日の生活。
自然すぎる距離感。
隣にいるのが当たり前みたいな空気。
ルミナがノクスを見る時の、あの僅かに柔らかい目。
ノクスが無防備にルミナへ触れている距離感。
そして、今のこの反応。
「う、うわぁぁぁぁ……!!」
ステラは両手で顔を覆った。
嫉妬してしまった。
笑ってしまうくらい、どうしようもなく。
胸の奥がぐしゃぐしゃになるくらい、わかりやすい嫉妬。
ルミナはそんな彼女を静かに見つめる。
蒼い瞳が、ほんの少しだけ細められていた。
それはまるで。
静かに勝利を確信した人の顔だった。
「る、ルミナ!?!?」
「なんですか」
「なんですかじゃないよ!?!?」
ステラは真っ赤なまま机をばんばん叩く。
「えっ、だって、その、ノクスと、えっ、えっちな――!!」
最後まで言い切れない。
羞恥と嫉妬で完全に限界だった。
ルミナはそんな彼女を見ながら、静かに紅茶を飲む。
そして、ほんの少しだけ楽しそうに目を細めた。
「……私の方が、一枚上手でしたね」
「~~~~っっ!!!」
ステラの顔が、完全に茹で上がった。
「な、なんなのその勝者みたいな言い方ぁ!?!?」
「勝者ですので」
「認めたぁ!?」
即答だった。
しかも妙に誇らしげである。
ルミナは普段、感情をあまり表へ出さない。
静かで、落ち着いていて、どこか雨みたいな人だ。
けれど今だけは違った。
ほんの少し。
ほんの少しだけ。
“勝った側の余裕”みたいなものが滲んでいる。
それがもう、めちゃくちゃ腹立たしい。
「うぅぅぅ……!!」
ステラは机へ突っ伏した。
悔しい。
恥ずかしい。
あと死ぬほど羨ましい。
感情が全部ぐちゃぐちゃだった。
そんな彼女を見下ろしながら、ルミナは静かにティーカップを傾ける。
夕暮れの光が、蒼い髪へ淡く溶けていた。
その横顔は、どこか満たされたみたいに穏やかで。
だから余計に、ステラは「負けた……」と思った。
*
その後もしばらく、二人のやり取りは続いていた。
ステラが顔を真っ赤にして反論して。
ルミナが涼しい顔のまま静かに追撃して。
さらにステラの情緒がぐちゃぐちゃにされる。
そんな流れを何度か繰り返しているうちに、最初にテーブルの上へ落ちていた重たい空気は、いつの間にかかなり薄れていた。
カフェテラスへ差し込む光は、もうすっかり夕暮れ色へ変わり始めている。
窓の向こう。
高層ビル群の隙間から見える空は、少しずつ群青へ沈み始めていた。
忙しなく行き交っていた職員たちの足音も、昼間よりどこか穏やかに聞こえる。
世界は相変わらず慌ただしいままなのに、この場所だけはほんの少しだけ時間の流れが遅かった。
ステラはぐったりした様子でテーブルへ突っ伏す。
「……ルミナって、たまにめちゃくちゃ性格悪いよね」
「心外です」
即答だった。
「絶対楽しんでたでしょ……」
「少しだけです」
「認めたぁ……」
力なく呻く。
ルミナはそんな彼女を見ながら、静かに紅茶へ口をつけた。
白い湯気が、夕暮れの光へ淡く溶けていく。
それからほんの少しだけ、空気が変わった。
ティーカップをソーサーへ戻す音が、妙に静かに響く。
「……それで」
その声音に、ステラも自然と姿勢を正した。
さっきまでの、恋愛話で遊んでいた時とは違う。
管理庁所属の魔法少女としての顔だった。
「こちらも、大事な話があります」
「……うん」
ルミナは一度、小さく息を整える。
夕暮れの光が、蒼い髪へ静かに落ちていた。
そして、まっすぐステラを見つめる。
「私とあなたの異動が決まりました」
「異動?」
「ええ」
蒼い瞳が、静かに揺れる。
「私たちは、秋葉さん直轄の魔法少女になります」
その言葉へ、ステラは小さく目を瞬かせた。
秋葉直轄の魔法少女。
現在、ノクスが所属している特殊枠。
けれどそれは、本来の意味での正式部隊ではない。
元々はメンシス事件後、管理庁がノクスとプリンを組織側へ繋ぎ止めるために急遽用意した、半ば名目上の役職だった。
当時のノクスは、管理庁そのものへ強い警戒心を抱いていた。
メディア出演やスポンサー契約。
祭り上げられ、アイドルみたいに消費されること。
そういうものを、露骨に嫌っていた。
通常の魔法少女になれば、広報活動も、広告案件も、半ば義務みたいについて回る。
だが、ノクスほどの戦力を完全な野良として放置するわけにもいかない。
協力関係だけは、どうにか維持したい。
その結果、生まれたのが――“秋葉直轄の魔法少女”という例外枠だった。
地域所属なし。
広報義務なし。
スポンサー案件への強制参加もなし。
管理庁上層部への直接協力扱い。
要するに、ノクスのためだけに用意された特例中の特例。
「……そこに、私たちも?」
「はい」
ルミナは静かに頷いた。
「メンシスの件。そして今回のソラリス襲撃。まあソラリスはあなたも関係していますが」
その名前が出た瞬間、空気がほんの少しだけ重くなる。
「二件続けて、ノクスとプリンを狙った干渉が発生しています」
ステラの表情から、さっきまでの赤みがゆっくり消えていった。
メンシス。
ソラリス。
どちらも強大なアーク。
そして確かに、その中心にはいつもノクスとプリンがいた。
偶然では済まされない。
秋葉も理解している。
あの二人は、“世界の外側”から見られているのだと。
「秋葉さんは判断しました」
ルミナは淡々と続ける。
「ノクスを単独で戦わせるのは危険だと」
カフェテラスの喧騒が、少し遠く感じた。
「そのため、関東と中部には新たな担当魔法少女を配置」
「……」
「そして私とあなたは、ノクスと共に秋葉さんの直轄へ所属変更になります」
静かな説明だった。
けれど、その意味は決して軽くない。
今後、自分たちはノクスと同じ立場になる。
地域単位の災害対応ではなく。
もっと深い、“世界の異常”そのものへ関わる側になる。
世界の裏側。
普通の魔法少女では辿り着かない場所。
きっとこれから先、自分たちはそういうものを見続ける。
ステラはしばらく黙り込んだ。
夕暮れの光が、琥珀色の瞳へ淡く滲んでいる。
「……そっか」
小さな声だった。
怖くないわけじゃない。
きっとこれから先、今まで以上に危険なものを見る。
世界を壊しかねない存在とも、また戦うことになる。
傷付くことだって増えるだろう。
それでも、ステラはゆっくり顔を上げた。
その瞳には、確かな熱が宿っている。
「……ノクス、一人にしなくていいんだね」
その言葉に、ルミナはほんの少しだけ優しく目を細めた。
夕暮れの光が、蒼い髪へ淡く落ちていた。
窓の向こうでは、群青へ沈み始めた空を無数の航空灯が横切っていく。
管理庁本部の高層区画。
世界の危機だとか、災害対策だとか、そういうものを背負っている場所のはずなのに。
今、ステラはノクスの事しか考えていなかった。
そんな彼女を見ながら、ルミナは静かにティーカップを傾ける。
白い湯気が、ゆっくり夕暮れへ溶けていった。
それから、まるでふと思い出したみたいな自然さで。
「それと」
「……?」
蒼い瞳が、静かにステラを映す。
「あなたも、一緒に住んでください」
「……は?」
思考が止まった。
本当に、一瞬。
何を言われたのか理解できなくて、ステラの頭の中が真っ白になる。
カフェテラスの喧騒だけが、妙に遠く聞こえていた。
「…………え?」
ようやく出た声は、自分でも驚くくらい間の抜けたものだった。
ルミナはそんな反応を気にした様子もなく、静かに紅茶を飲む。
まるで天気の話でもしているみたいな顔で。
「ですから、同居です」
「ど、同居!?!?」
ステラが勢いよく立ち上がる。
椅子がガタンッ!! と大きな音を立て、近くにいた職員たちが何事かとこちらを振り返った。
けれど今のステラに、そんな視線を気にする余裕なんてない。
「な、なんでそうなるの!?!?」
「合理的だからですが」
ルミナは涼しい顔で答えた。
「今後、私たちは秋葉さん直轄として行動します」
「う、うん……」
「ノクスとプリンを狙った干渉が続いている以上、即応可能な距離で動く必要があります」
静かな説明だった。
感情論ではなく、純粋な事実として話している声音。
だからこそ、反論しづらい。
実際、理屈はわかるのだ。
緊急出動。
広域災害。
強大なアークの存在。
いつ何が起きるかわからない以上、戦力は集約されていた方がいい。
ノクスを単独行動させる危険性だって、もう十分すぎるほど理解している。
わかる。
わかるのだが。
「いやでも、それと同居は別じゃない!?」
「別ではありません」
「あるよぉ!?」
ステラの顔は真っ赤だった。
ルミナはそんな彼女を見ながら、小さく首を傾げる。
「何か問題がありますか」
「あるに決まってるでしょ!?!?」
問題しかない。
だって、ノクスとルミナが同じ家に住んでいて。
しかも、さっき“そういうこと”まで判明したばかりで。
そこへ自分も入れと言われているのである。
情緒が保つわけがない。
脳が処理を拒否している。
「わ、わたしのメンタルが保たないんだけど!?」
「慣れます」
「慣れる前提なんだ!?」
即答だった。
あまりにも迷いがない。
ルミナは静かにティーカップを置く。
かちゃり、と澄んだ音が夕暮れの空気へ小さく響いた。
「それに」
蒼い瞳が、まっすぐステラを見る。
静かで、澄んでいて、でもほんの少しだけ柔らかい。
「ノクスも、その方が喜ぶと思いますよ」
「~~~~っっ!!」
その一言が、とどめだった。
ステラは再び机へ突っ伏す。
耳まで真っ赤だった。
もう駄目だった。
さっきからずっと、ルミナに情緒を握り潰されている。
ルミナはそんな彼女を見ながら、ほんの少しだけ目を細めた。
夕暮れの光の中、その横顔はどこか穏やかで。
まるで最初から、こうなることを知っていたみたいだった。
*
数日後
ステラたちは、新しい家へ来ていた。
管理庁本部からほど近い高級住宅区画。
高層ビル群から少し離れたその場所は、広い敷地と厳重な防犯設備を備えた、いかにも管理庁関係者向けの住居だった。
今回の異動を機に、四人で暮らすための家へ引っ越すことになったのである。
元々ノクスたちが住んでいた家でも生活はできていたが、秋葉直轄として複数人で動くには、さすがに少し手狭だった。
そのため秋葉が、半ば強引に新居を用意したのだ。
なお、当のノクス本人は。
「うわ、でっか!!」
玄関へ入った瞬間から、普通にテンションが高かった。
吹き抜けの高い天井。
ホテルみたいなエントランス。
奥に見える広すぎるリビング。
高そうなソファ。
無駄にお洒落な照明。
夕暮れの光が、大きな窓から室内へ淡く流れ込んでいる。
「なにこれ、モデルルームじゃん!」
きょろきょろと辺りを見回しながら、完全に新居テンションで歩き回っていた。
落ち着きがない。
犬みたいに嬉しそうだ。
ルミナはそんなノクスを見ながら、小さく息を吐く。
「子供みたいにはしゃがないでください」
「いやだって広いし!?見てこれ、階段までなんかお洒落なんだけど!?」
「高級住宅なので当然です」
対してルミナは、驚くほど落ち着いていた。
「管理庁が近いので、何かと都合がいいですね」
程度の反応である。
プリンに至っては。
「日当たり良好。居住環境、暫定高評価」
だった。
「いや順応早くない!?」
ステラだけが若干テンションについていけていない。
そんな中、ノクスは楽しそうな勢いのまま玄関を上がりかけて。
「あ、靴脱がないと……」
慌ててその場へ屈み込む。
けれど、はしゃぎながら動き回っていたせいか、靴紐が妙に絡まっていた。
「え、なんでこれ固っ……」
うまく解けない。
その様子を見て、ルミナが静かに近づいてくる。
「ルミナ?」
「動かないでください」
そう言って、そのまま自然な動作でノクスの前へしゃがみ込んだ。
長い蒼髪がさらりと肩から流れ落ちる。
白い指先が、靴紐へ触れた。
「え、いや、自分でやるから!?」
ノクスの声が一気に裏返る。
わかりやすいくらい、顔が赤かった。
ルミナはそんな反応を気にした様子もなく、淡々と靴紐を解いていく。
「別に、いつものことでしょう」
「いや、でも……!」
ノクスがちら、とステラを見る。
「ステラ見てるし……!」
その瞬間。
ステラの肩がびくりと跳ねた。
「えっ」
ソファへ沈み込みながら、プリンが淡々と呟く。
「報告。ノクス、赤面反応を確認」
「プリン!?」
「推定原因。ルミナによる接触、およびステラの視線。羞恥反応、継続中」
「分析しなくていいからぁ!?」
ノクスの顔がさらに赤くなる。
ルミナはそんなノクスを見上げ、ほんの少しだけ目を細めた。
静かな雨みたいな瞳だった。
「今さらでしょう」
「今さらでも恥ずかしいんだって……!」
靴を脱がされながら縮こまるノクス。
その距離感が、あまりにも自然だった。
あまりにも当たり前みたいで。
だからこそ、ステラの胸がぎゅっと苦しくなる。
「…………」
いいな、と思った。
あんな風に自然に触れられる距離。
あんな風に、当たり前みたいに隣へいられる距離。
羨ましい。
でも、自分にはまだ無理だ。
ノクスへ触れるだけで心臓が爆発しそうなのに、あんなふうに世話を焼くなんて、難易度が高すぎる。
だから結局。
「……仲良いね」
そんな、ちょっと拗ねたみたいな言葉しか出てこなかった。
ルミナはその声へ静かに視線を向ける。
そして、全部わかった上で。
「ええ」
とだけ、穏やかに頷いた。
「~~~~っ……」
ステラが敗北したみたいに顔を覆う。
ルミナはそんな彼女を見ながら、ほんの少しだけ楽しそうに目を細めた。
「今さらでも恥ずかしいんだって……!」
ようやく靴を脱がされ終えたノクスは、まだ少し赤い顔のまま、小さくそう零した。
ルミナはそんな彼を見上げながら、呆れたみたいに小さく息を吐く。
「本当に今さらですね」
「うぅ……」
完全に負け犬みたいな声だった。
ソファへ沈み込んでいたプリンが、その様子を眺めながら淡々と呟く。
「ノクス、対ルミナ戦績。継続的敗北傾向」
「その分析いる!?」
騒がしいけれど、その騒がしさが不思議と心地いい。
夕暮れの光が、大きな窓からリビングへ流れ込んでいた。
新しい家。
新しい生活。
世界の外側みたいなものと戦う日々は、きっとこれからも続く。
危険もある。
傷付くこともある。
それでも、少なくとも今この場所には、一人ではない温度があった。
そして、その空気へまるで無自覚なままノクスは脱ぎ終えた靴を揃えながら、ふっと笑う。
「……ありがと、ルミナ」
屈託のない声だった。
ルミナは一瞬だけ目を細める。
「別に」
短い返事。
その声音は少しだけ柔らかかった。
ノクスはそんな変化にも気づかないまま、再び楽しそうに室内を見回していく。
「いやほんと広いなぁ……絶対迷うなこれ」
「ノクスなら迷いますね」
「ひどくない!?」
「事実です」
即答だった。
ステラが思わず吹き出す。
その笑い声につられるみたいに、ノクスも笑った。
夕焼け色の光が、桃色の髪を柔らかく照らしている。
「でも、なんかいいね」
ノクスはそう言いながら、リビングの奥へ視線を向けた。
広いソファ。
大きなテーブル。
これから誰かと過ごしていく空間。
「前より賑やかになりそう」
「既に騒がしいですが」
「まあ、それはそうだけどさ」
ノクスは照れたみたいに笑う。
それから、不意にステラの方を見た。
「これからよろしくな、ステラ」
「……え?」
急に名前を呼ばれて、ステラの肩が跳ねる。
ノクスはそんな反応も気にせず、いつものみたいに笑った。
眩しいくらい、まっすぐな笑顔で。
「また一緒に居れるの、結構嬉しいかも」
さらり、と。
本当に、呼吸するみたいな自然さで言った。
悪意も。
深い意味も。
たぶん本人には全然ない。
だからこそ、破壊力が高かった。
「…………へ?」
ステラの思考が止まる。
一拍遅れて。
ぼんっ、と顔が真っ赤になった。
「なっ、ななななっ――!?」
言葉にならない。
心臓がうるさい。
嬉しい。
たったそれだけの言葉なのに、胸の奥がぐちゃぐちゃになる。
プリンがそんな彼女を見ながら、淡々と口を開いた。
「ステラ、顔面温度急上昇を確認」
「ぷ、プリンッ!!」
「推定原因。ノクスによる無自覚好感度攻撃」
「やめてぇぇぇぇ!!」
ステラが真っ赤なまましゃがみ込む。
一方、ルミナは。
「ノクス」
静かな声だった。
「え?」
「そういう言い方を、誰にでもしないでください」
「え、なんで!?」
本気でわかっていない顔だった。
ルミナはじと、とした視線を向ける。
夕暮れ色の光の中、その蒼い瞳だけが少し不機嫌そうに揺れていた。
「自覚がないのが、一番質悪いですね……」
「えぇぇ……!?」
理由がわからないまま怒られたノクスが困惑する。
その様子を見ながら、プリンがぽつりと呟く。
「いつものです」
「雑ぅ!?」
新しい家へ、賑やかな声が響いていく。
夕焼け色の光に満たされたその場所は、まだ少しだけ他人行儀で。
でもきっと、これから少しずつ“帰る場所”になっていくのだと。
そんな気がした。
評価・感想よろしくお願いいたします。
誰が好き?
-
ノクス
-
ルミナ
-
ステラ
-
プリン
-
秋葉