転生者がTS魔法少女になって頑張る話。   作:メルヘン侍

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今回はノクスとルミナのみです


第五話 眠る前に君を確かめる

 風邪を引いて倒れてから、数日後。

 

 あなたの体調は、ようやく日常生活へ戻れる程度には回復していた。

 

 熱は下がった。

 

 咳もかなり減った。

 

 食事も普通に取れる。

 

 ……とはいえ。

 

「ノクス、水分補給」

 

「さっき飲んだだろ……」

 

「二時間前です」

 

 リビングのテーブルへコップを置きながら、ルミナが静かに言った。

 

 その声音には、一切の妥協がない。

 

 あなたは小さくため息を吐きながら、ソファへ身体を沈めた。

 

「過保護すぎる……」

 

「前科がありますので」

 

 即答だった。

 

 しかも否定できない。

 

 数日前、無茶の反動で高熱を出して倒れたあなたは、現在完全に“要注意人物”扱いされていた。

 

 巡回禁止。

 夜更かし禁止。

 無断外出禁止。

 睡眠時間管理。

 

 もはや監視対象である。

 

「ノクスの自己管理能力は信用度が低いです」

 

 ソファの背もたれで丸くなりながら、プリンが平然と言った。

 

「お前最近ほんと容赦ないな」

 

「事実共有です」

 

 あなたが顔をしかめると、ルミナが小さく紅茶へ口をつけた。

 

 その時だった。

 

「――というわけで!!」

 

 ばんっ、と勢いよく扉が開いた。

 

「地方育成巡回の説明に来ましたー!!」

 

 騒がしい声と共に、ステラがリビングへ飛び込んでくる。

 

 夕焼け色のポニーテールが揺れ、いつも通り無駄に元気だった。

 

「ノクスちゃん元気ー!?」

 

「入ってきたばっかだろ……」

 

「顔見たかったし!」

 

 ステラはけらけら笑いながら、そのままテーブルへ資料を広げる。

 

「えーっとですね、今回の地方育成支援なんだけど!」

 

 管理庁主導の地方育成巡回計画。

 

 地方育成機関を巡回し、候補生たちへの実戦指導や魔力制御支援を行う大型任務だ。

 

 最近は中部・関東区域における最上位戦力の異動を受け、地方区域の防衛体制再編が進められていた。

 

「東日本区域をルミナちゃん!」

 

「はい」

 

「西日本区域を私が担当しまーす!」

 

 ステラが元気よく手を上げる。

 

「期間は三日ずつ!」

 

「候補生交流会とか実戦講義とか色々あるよ!」

 

「交流会……」

 

 あなたは露骨に嫌そうな顔をした。

 

 以前、中部育成機関へ行った時のことを思い出す。

 

 候補生たちに囲まれ、ピンクのゴリラ呼ばわりされ、模擬戦で施設を半壊しかけた。

 

 あれは大変だった。

 

「ノクスちゃん人気者だもんねー!」

 

「なりたくてなったわけじゃねぇ……」

 

「ピンクのゴリラ!」

 

「忘れろ」

 

 あなたが即答すると、ステラが楽しそうに吹き出した。

 

 一方、ルミナは静かに資料へ目を通している。

 

「日程は重ねないんですね」

 

「うん!」

 

 ステラが頷いた。

 

「病み上がりのノクスちゃんを一人にしないため!」

 

「だから最初は私が三日間、西日本へ行って、その間はルミナちゃんが残る!」

 

「そのあと交代って感じ!」

 

「いや別にそこまで――」

 

「そこまでです」

 

 プリンが即座に遮った。

 

「ノクスは現在、精神的不安定傾向を継続しています」

 

「だから余計なこと言うなって……」

 

「事実共有です」

 

「また便利ワード」

 

 あなたが頭を抱える横で、ステラはうんうん頷いていた。

 

「というわけで!」

 

「ノクスちゃんはしばらくルミナちゃんと大人しくしてること!」

 

「なんだその言い方……」

 

 完全に保護対象扱いだった。

 

 あなたはぐったりしながらソファへ沈み込む。

 

 すると、ルミナが静かにこちらを見た。

 

「ちゃんと休んでください」

 

 穏やかな声。

 

 でも逆らえないタイプの優しさだった。

 

 あなたは数秒黙ったあと、小さく息を吐く。

 

「……はいはい」

 

 渋々頷く。

 

 するとステラがぱっと笑顔になった。

 

「よーし!いい子!」

 

「子供扱いすんな」

 

「病み上がりなんだから子供みたいなもんですー!」

 

「理不尽……」

 

 リビングへ、小さな笑い声が広がる。

 

 その空気を聞きながら、あなたはぼんやり天井を見上げた。

 

 やっぱり、こうして誰かがいる時間を心地良いと思ってしまう。

 

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 

 ステラが西日本巡回へ出発したのは、その翌日の朝だった。

 

「じゃあ行ってくるねー!」

 

 玄関で大きく手を振りながら、ステラが笑う。

 

 いつもの明るい声。

 いつもの太陽みたいな笑顔。

 

「三日後には戻るから!」

 

「はいはい」

 

 あなたは軽く手を振り返す。

 

「無茶しないでね!?」

 

「お前にだけは言われたくない」

 

「えー!?」

 

 ステラが抗議の声を上げる横で、ルミナは静かにため息を吐いた。

 

「二人ともです」

 

「ルミナちゃん厳しい!」

 

「当然です」

 

 静かな即答だった。

 

 そのままルミナは、ステラの襟元を整える。

 

「候補生たちへ無理を見せないように」

 

「はーい!」

 

「あと、睡眠時間」

 

「うっ」

 

「ちゃんと確保してください」

 

「……善処します」

 

「しませんね」

 

「なんで分かるの!?」

 

 騒がしい。

 

 でも、そのやり取りが妙に心地良かった。

 

 あなたはぼんやりそれを見ながら、小さく息を吐く。

 

 するとステラが急にこちらを向いた。

 

「ノクスちゃん!」

 

「ん?」

 

「ちゃんといい子にしてるんだよ!」

 

「なんだその言い方」

 

「ルミナちゃん困らせちゃダメだからね!」

 

「子供か俺は……」

 

 あなたが呆れると、ステラはけらけら笑った。

 

 それから。

 

「じゃ、行ってきます!」

 

 ぱたん、と扉が閉まる。

 

 一瞬、家の中がしん、と静かになった。

 

「…………」

 

 あなたは無意識に、閉まった扉を見つめる。

 

 さっきまで騒がしかった分、余計静かだった。

 

 妙に広く感じる。

 

「……静かですね」

 

 ルミナが小さく呟く。

 

「……そうかも」

 

 あなたはなんとなくソファへ戻り、そのまま身体を預けた。

 

 リビングには時計の音だけが響いている。

 

 普段なら、ここへ無理やり割り込んでくる声があるのに。

 

「…………」

 

 落ち着かない。

 

 別に、一人になったわけじゃない。

 

 ルミナもいる。

 プリンもいる。

 

 なのに、妙に静かだった。

 

「ノクス」

 

「ん……?」

 

 顔を上げる。

 

 キッチンへ向かっていたルミナが、こちらを見ていた。

 

「紅茶を淹れますが、飲みますか」

 

「……飲む」

 

「分かりました」

 

 静かな返事。

 

 ルミナはそのままキッチンへ向かう。

 

 青い髪が揺れる。

 

 あなたはぼんやりその背中を見ていた。

 

 だが。

 

「……?」

 

 気づけば、立ち上がっていた。

 

 自分でもよく分からないまま、ふらふらとキッチンへ向かう。

 

 ルミナの隣へ立つ。

 

 湯気が温かい。

 

 甘い茶葉の香りがする。

 

 近い距離で見るルミナの横顔は、今日も綺麗だった。

 

「……どうしました」

 

「え」

 

「じっと見ています」

 

 静かな声。

 

 あなたは少し視線を逸らした。

 

「……別に」

 

「そうですか」

 

 ルミナはそれ以上追及しない。

 

 ただ静かにお湯を注いでいる。

 

 その音を聞いていると、不思議と落ち着いた。

 

「…………」

 

 あなたはぼんやりしたまま、ルミナの肩へ額を預けた。

 

 ぴたり、と。

 

 一瞬、ルミナの手が止まる。

 

「……ノクス?」

 

「……なんか落ち着く」

 

 ぽつり。

 

 無意識に零れた声だった。

 

 自分で言ってから、少しだけ恥ずかしくなる。

 

 けれど、離れる気にもなれなかった。

 

 ルミナは数秒黙ったあと、小さく息を吐く。

 

「……病み上がりですね」

 

「なんだよそれ」

 

「甘えたになっています」

 

「なってない」

 

 即答。

 

 でも肩へ額を押し付けたままなので説得力はゼロだった。

 

 ルミナは何も言わない。

 

 ただ、少しだけ口元が緩んでいた。

 

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 

 ルミナが淹れた紅茶は、少し甘かった。

 

 ソファへ戻ったあとも、あなたはなんとなくルミナの隣へ座っていた。

 

 別に、意識しているわけじゃない。

 

 気づいたらそこにいた、くらいの感覚だ。

 

 けれど。

 

「近いですね」

 

 紅茶を飲みながら、ルミナが静かに言った。

 

「……そう?」

 

「肩が当たっています」

 

「…………」

 

 言われて初めて気づく。

 

 本当に近かった。

 

 あなたの肩はぴったりルミナへ触れていて、少し動けば髪が触れそうな距離だった。

 

「悪い」

 

 慌てて離れようとする。

 

 でも、その瞬間ふわり、と袖を掴まれた。

 

「……え」

 

 視線を向ける。

 

 ルミナは紅茶を持ったまま、静かにこちらを見ていた。

 

「別に、嫌とは言っていません」

 

「…………」

 

 さらっと言うな。

 

 心臓に悪い。

 

 あなたは少しだけ視線を逸らしながら、結局元の位置へ戻った。

 

 近い。

 妙に近い。

 

 でも、離れると少し落ち着かなかった。

 

「…………」

 

 自分でも変だと思う。

 

 病み上がりだからか。

 

 風邪のあとから、妙に一人が落ち着かない。

 

 誰かの気配が欲しくなる。

 

 特に。

 

「……ルミナ」

 

「はい」

 

「もうちょい寄っていい?」

 

 言ってから、自分で止まる。

 

 何言ってるんだ俺。

 

 さすがに今のは変だった。

 

 撤回しようとした瞬間。

 

「構いませんよ」

 

 即答だった。

 

「…………」

 

 あなたは固まる。

 

 一方ルミナは、何事もなかったみたいに紅茶を口へ運んでいた。

 

 白い指先。

 長い睫毛。

 

 近くで見ると、本当に綺麗だと思う。

 

「ノクス」

 

「っ、なに」

 

「顔が赤いですが」

 

「うるさい」

 

 即答すると、ルミナが少しだけ笑った。

 

 珍しい。

 かなり珍しい。

 

「からかわないでくれ……」

 

「からかっていません」

 

「絶対してる」

 

「していません」

 

 静かな攻防だった。

 

 けれど、その空気は嫌じゃない。

 

 むしろ落ち着く。

 

 あなたは小さく息を吐いて、そのままソファへ沈み込んだ。

 

 すると。

 

 こつん。

 

 頭へ柔らかい感触が触れる。

 

「……?」

 

 顔を上げる。

 

 ルミナの手だった。

 

 白く細い指先が、静かにあなたの髪を撫でている。

 

「…………」

 

 一瞬、思考が止まる。

 

 ルミナは特に表情を変えない。

 

 ただ自然みたいな顔で撫で続けていた。

 

「……子供扱い」

 

「病み上がりですので」

 

「それ便利だな……」

 

「便利ですね」

 

 認めるんだ。

 

 あなたは少しだけ笑って、そのまま目を閉じた。

 

 撫でられる感覚が心地いい。

 

 指先が髪を梳くたび、身体から力が抜けていく。

 

「…………」

 

 ぼんやりしたまま、あなたはなんとなく手を動かす。

 

 温かいものを探すみたいに。

 

 そして、そっとルミナの指先へ触れた。

 

「……?」

 

 細く白い指。

 

 あなたは無意識のまま、その手へ自分の指を絡める。

 

 ぎゅ、と軽く握る。

 

 一瞬、ルミナの呼吸が止まった。

 

「…………ノクス」

 

「……ん」

 

 あなたは目を閉じたまま、小さく返事をする。

 

 そのまま手を離さない。

 

 離したくなかった。

 

 理由はよく分からない。

 

 ただ、触れていると落ち着いた。

 

 体温がある。

 

 ちゃんと隣にいると分かる。

 

 それだけで、不思議と安心できた。

 

「…………」

 

 ルミナは何も言わない。

 

 ただ静かに、自分の手を見下ろしていた。

 

 指が絡んでいる。

 

 あなたの熱が、じんわり伝わってくる。

 

 病み上がりだからだろうか。

 

 少し熱っぽい手だった。

 

「……離しませんね」

 

「……だめ?」

 

 半分眠った声。

 

 普段なら絶対言わないような声音だった。

 

 ルミナは数秒黙る。

 

 それから、小さく息を吐いた。

 

「だめとは言っていません」

 

 静かな声。

 

 その瞬間、あなたの指へ少しだけ力が返される。

 

 きゅ、と控えめに握り返される感覚。

 

「…………」

 

 胸の奥が、妙に落ち着いた。

 

 あなたはそのままソファへ深く身体を預ける。

 

 けれど手だけは離さない。

 

 むしろ無意識に、指先を絡める力が強くなる。

 

 ルミナは静かだった。

 

 けれど、その白い耳は少しだけ赤い。

 

「ノクス」

 

「……ん」

 

「甘えすぎです」

 

「……病み上がりだから」

 

 ぼそ、と返す。

 

 するとルミナが少しだけ目を細めた。

 

「便利に使いますね、それ」

 

「便利だから……」

 

 眠そうな声だった。

 

 そのまま、あなたの頭が少し傾く。

 

 うとうとしている。

 

 けれど、指先だけは離れない。

 

 ぎゅ、と子供みたいにルミナの手を握ったまま離さない。

 

「…………」

 

 ルミナは小さく息を呑む。

 

 近い。

 近すぎる。

 

 あなたは普段、こんなふうに触れてこない。

 

 むしろ距離を取る側だ。

 

 だから余計に危ない。

 

 無防備だった。

 

 熱に浮かされていた時より、今の方がずっと危険かもしれない。

 

「……ノクス」

 

「んー……」

 

「自覚ありますか」

 

「ない……」

 

 即答だった。

 

 しかも半分寝ている。

 

 ルミナは数秒黙り込む。

 

 あなたの手は温かい。

 

 細く絡む指先。

 

 離そうと思えば離せる。

 

 でも、離した瞬間あなたが少し不安そうに眉を寄せた。

 

「…………」

 

 ルミナの理性が揺れる。

 

 これはずるい。

 

 病み上がりなのを差し引いても、かなりずるい。

 

「……ルミナ」

 

「はい」

 

「いる?」

 

 静かな声だった。

 

 眠気に溶けかけたみたいな、小さな声。

 

 でも、その一言が胸へ刺さる。

 

 ルミナは少しだけ目を伏せた。

 

 それから、絡んだ指先をそっと握り返す。

 

「いますよ」

 

 静かな返事。

 

「ちゃんと、ここにいます」

 

「……そっか」

 

 あなたは安心したみたいに、小さく息を吐いた。

 

 そのまま完全に目を閉じる。

 

 力が抜ける。

 

 けれど最後まで、手だけは離れなかった。

 

 ルミナはそんなあなたを見つめながら、小さく息を吐く。

 

「……本当に」

 

 静かな声。

 

「病み上がり、反則ですね」

 

 けれど、その声音は少しだけ甘かった。

 

 時計の針が、静かに夜を刻んでいく。

 

 窓の外はすっかり暗くなっていた。

 

 ソファの上、あなたは半分眠ったままルミナの手を握っている。

 

 離さない。

 

 まるで、飼い主を見失わないようにしている犬みたいだった。

 

「…………」

 

 ルミナは静かにその様子を見下ろしていた。

 

 長い睫毛が伏せられる。

 

 指先へ伝わる体温はまだ少し熱い。

 

 病み上がり。

 不安定。

 甘えた。

 

 全部分かっている。

 

 分かっているのに。

 

「……困りましたね」

 

 小さく漏れた声は、誰へ向けたものでもなかった。

 

 あなたは返事をしない。

 

 完全に眠りへ落ちかけている。

 

 けれど、ルミナの手へ触れる指先だけは無意識に力が入っていた。

 

「…………」

 

 その感覚が、妙に愛しい。

 

 ルミナは小さく息を吐き、空いている方の手でそっとあなたの髪を撫でた。

 

 柔らかい髪。

 

 少し寝癖がついている。

 

 あなたは撫でられるたび、安心したみたいに肩の力を抜いていく。

 

「……犬ですね」

 

 静かな呟き。

 

 すると。

 

「……いぬじゃない……」

 

 眠ったまま反論が返ってきた。

 

 ルミナの肩が小さく揺れる。

 

「起きていたんですか」

 

「……起きてない……」

 

 完全に寝ぼけている。

 

 会話が成立しているようで成立していない。

 

 でも、そのままあなたはまた指へ力を込めた。

 

 ぎゅ、と。

 

「…………」

 

 ルミナは視線を落とす。

 

 近い。

 静かな部屋の中で、やけに近い。

 

 あなたの呼吸音まで聞こえる距離だった。

 

 こんなふうに触れてこられることなんて、ほとんどない。

 

 普段のあなたは、もっと距離を取る。

 照れて逃げる。

 誤魔化す。

 

 なのに今は、無防備に体温を預けてくる。

 

「……ノクス」

 

「ん……」

 

「これ、明日覚えていますか」

 

 小さく問いかける。

 

 するとあなたは、うとうとしたまま眉を寄せた。

 

「……やだ……」

 

「?」

 

「忘れたくない……」

 

 ルミナの呼吸が止まる。

 

 あなたは目を閉じたまま、小さく呟いた。

 

「……ちゃんと、覚えてたい……」

 

 その声はあまりにも無防備だった。

 

 熱に浮かされているわけじゃない。

 

 今はもう、かなり熱も下がっている。

 

 だからこそ、その言葉はたぶん本音だった。

 

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 

 ルミナは、しばらく何も言えなかった。

 

 胸の奥が、静かに熱を持っていく。

 

 絡められた指先が、わずかに震える。

 

 あなたの体温が伝わるたび、呼吸が浅くなっていくのが分かった。

 

 静かな部屋だった。

 

 時計の秒針だけが、夜を少しずつ進めている。

 

 その音の中で、あなたがぼんやりしたまま小さく口を開く。

 

「……最近」

 

「……はい」

 

「魔力、吸ってくれない……」

 

 一瞬、ルミナの思考が止まった。

 

「…………」

 

 静寂。

 

 呼吸すら忘れるみたいな沈黙だった。

 

 あなたはそんなこと気づいていない。

 

 半分眠ったまま。

 

 熱に浮かされたみたいな瞳で、ぼんやりルミナを見ている。

 

「前は、してたのに……」

 

「最近、全然しない……」

 

 掠れた声。

 

 責めているわけじゃない。

 怒っているわけでもない。

 

 ただ、寂しそうだった。

 

 その声音だけで、ルミナの耳まで熱くなる。

 

 魔力供給。

 

 唇を重ねて、互いの熱を流し込む行為。

 

 呼吸ごと、相手を身体へ入れてしまうみたいな距離。

 

 以前のルミナは、それを頻繁に求めていた。

 

 もちろん、魔力を渡す意味もあった。

 

 けれど、途中で気づいてしまったのだ。

 

 あなたへ触れるたび、力が満ちていった。

 

 雨が研ぎ澄まされていく。

 

 夜霧みたいだった魔力が、少しずつ輪郭を持ち始める。

 

 あなたの熱が、自分を強くしていく感覚があった。

 

 だから、必要以上に触れていた。

 必要以上に、口づけていた。

 

 そしてきっと、それだけじゃなかった。

 

 好きだったのだ。

 

 あなたへ触れる時間が。

 息が混ざる距離が。

 唇を重ねるたび、あなたが少しだけ安心した顔をするのが。

 

 どうしようもなく、愛しかった。

 

 けれど、ルミナが強くなるにつれて、その必要性は減っていった。

 

 以前みたいに、頻繁に魔力を受け取らなくても力を維持して戦えるようになった。

 

 だから最近は、本当にしていなかった。

 

 ――していなかった、のだが。

 

「…………」

 

 なんで今、それを言うんですか。

 

 しかもそんな顔で。

 

 眠そうに。

 甘えるみたいに。

 触れてほしいと訴えるみたいに。

 

「……ノクス」

 

「んー……」

 

「それは、必要がなくなったからです」

 

「……必要なくても、してた」

 

 即答だった。

 

 しかも何も考えていない声。

 

 だから余計に危ない。

 

「前は、もっとしてた……」

 

「…………」

 

 ルミナが黙る。

 

 あなたは、自分がどれだけ危ういことを言っているのか分かっていない。

 

 ただ、寂しかったのだろう。

 

 風邪を引いて。

 弱って。

 不安定になって。

 

 そうして、一人で眠る夜が怖くなった時に思い出したのだ。

 

 唇が触れる距離。

 ルミナの熱。

 息が混ざる感覚。

 

 触れられるたび、“ここにいていい”と思えた時間を。

 

「……エッチもしたのに」

 

 ぽつり、と夢の続きを零すみたいな声だった。

 

 ルミナの肩がびくりと揺れる。

 

「…………」

 

「もう、キスもしないんだなって……」

 

 静かな声だった。

 

 拗ねているわけでもない。

 責めているわけでもない。

 

 ただ、少しだけ傷ついた犬みたいな顔をしていた。

 

「……ノクス」

 

 掠れた声が漏れる。

 

 ルミナは、自分の心臓がうるさいことに気づいていた。

 

 あなたはきっと、深い意味で言っていない。

 

 病み上がりで。

 弱っていて。

 安心したくて。

 誰かの体温が欲しくて。

 

 ただ、それだけなのだろう。

 

 でも、その“ただそれだけ”がルミナにはあまりにも重かった。

 

「……最近、避けられてるみたいで」

 

 あなたは視線を伏せる。

 

 絡めた指へ、少しだけ力が入った。

 

「別に、ルミナが悪いわけじゃない」

 

「俺が返事してないからだって、分かってるし……」

 

 小さな声だった。

 

 告白の返事。

 

 あなたはまだ、それを保留している。

 

 ルミナの気持ちは知っている。

 

 でも、怖かった。

 

 アークとしての自分が最後にどうなるのか。

 ノクスという存在が、どこへ行き着くのか。

 

 何も分からないまま、誰かの未来を受け取っていいのか分からなかった。

 

 それに。

 

 ルミナも。

 

 ステラも。

 

 どちらも同じくらい大切だった。

 

 静かな夜みたいな安心も。

 太陽みたいな温度も。

 

 どちらも失いたくなかった。

 

 だからこそ、決めきれない。

 

「……ちゃんと決めなきゃいけないのに」

 

 掠れた声。

 

「なのに最近、なんか……寂しくて」

 

 あなたは目を閉じる。

 

 一人だと落ち着かない。

 

 触れていないと、不安になる。

 

 風邪を引いてから、ずっとそうだった。

 

「……ごめん」

 

 小さな謝罪。

 

「待たせてるのに、甘えてばっかで」

 

「…………」

 

 ルミナは、しばらく何も言えなかった。

 

 胸の奥が熱い。

 痛いくらい熱い。

 

 あなたは、本当にずるい。

 

 自分勝手に振り回しているわけじゃない。

 

 ちゃんと苦しんで。

 ちゃんと悩んで。

 

 そのうえで、不安に負けそうになっている。

 

 だから責められない。

 

 むしろ、抱きしめたくなる。

 

「……ノクス」

 

 静かな声だった。

 

 ルミナはそっと手を伸ばし、あなたの頬へ触れる。

 

 熱を持った肌。

 

 あなたは安心したみたいに、その掌へ擦り寄った。

 

 居場所を確かめるみたいに。

 

「…………っ」

 

 だめだった。

 

 可愛すぎる。

 

 こんなふうに頼られて、平気でいられるわけがない。

 

「それ以上甘えられると、本当に困ります」

 

 少し震えた声。

 

 あなたはぼんやりしたままルミナを見る。

 

「……困る?」

 

「困ります」

 

「……やだ?」

 

 ルミナは答えられなかった。

 

 数秒、静かな沈黙だけが落ちる。

 

 それから、小さく熱い息を吐いた。

 

「嫌なわけ、ないでしょう」

 

 その声は、夜へ落ちる雫みたいに静かだった。

 

 けれど、触れた場所からゆっくり熱を広げていく。

 

「…………」

 

 あなたはぼんやりとルミナを見上げる。

 

 近かった。

 

 ソファへ寄り添った身体。

 絡んだ指先。

 頬へ触れる白い手。

 

 青い髪から、淡い花みたいな香りがする。

 

 それだけで、妙に安心した。

 

 だから、たぶん本当に無意識だった。

 

 あなたはその掌へ、そっと頬を擦り寄せる。

 

 甘えるみたいに。

 確かめるみたいに。

 

「……っ」

 

 ルミナの呼吸が、小さく乱れる。

 

 犬みたいだった。

 撫でられると安心して。

 

 もっと触れてほしくて、自然と寄っていってしまう。

 

 あなた自身、そんな自覚はない。

 

 ただ、今は触れていないと少し怖かった。

 

 誰かの体温がないと、不安だった。

 

「……ルミナ」

 

「……はい」

 

「もうちょい、撫でて」

 

 掠れた声だった。

 

 半分眠っているみたいに柔らかくて。

 

 でも、ひどく真っ直ぐだった。

 

 ルミナは数秒、言葉を失う。

 

 普段のあなたなら、絶対こんなこと言わない。

 

 照れて逃げる。

 誤魔化す。

 ぶっきらぼうに笑って終わらせる。

 

 なのに今は、何も隠さないまま無防備に甘えてくる。

 

「…………」

 

 ルミナは小さく息を吐いた。

 

 それから、指先をゆっくりあなたの髪へ沈めていく。

 

 柔らかな髪を梳く。

 撫でる。

 

 逃がさないみたいに、優しく。

 

 あなたはその感触へ目を細め、小さく息を吐いた。

 

「……気持ちいい」

 

「それはよかったです」

 

 ルミナの声は少し掠れていた。

 

 あなたが近い。

 熱い。

 甘える。

 しかも無自覚。

 

 理性へ悪すぎる。

 

 撫でるたび、あなたは安心したみたいに肩の力を抜いていく。

 

 まるで、帰る場所を見つけた犬みたいだった。

 

「……ノクス」

 

「ん……」

 

 ルミナの指先が、そっとあなたの顎へ触れる。

 

 そのまま静かに持ち上げる。

 

 自然な動作だった。

 

 けれど、視線が絡んだ瞬間空気が変わる。

 

 近い。

 近すぎる。

 

 あなたの睫毛が小さく震えた。

 

 熱っぽい瞳が、至近距離でルミナを映している。

 

 ルミナは静かな顔をしていた。

 

 でも、瞳の奥だけがひどく熱かった。

 

「そんな顔で見ないでください」

 

「……どんな顔」

 

「キスしたくなる顔です」

 

 低く、静かな声だった。

 

 あなたはぼんやり目を瞬かせる。

 

 それから、小さく笑った。

 

「……したいなら、すればいいのに」

 

「…………っ」

 

 その瞬間。

 

 ルミナの理性が、静かに途切れる。

 

 もう無理だった。

 

 こんなふうに頼られて。

 甘えられて。

 寂しそうに擦り寄られて。

 

 我慢なんて、できるわけがない。

 

「……後悔しませんね?」

 

「……しない」

 

 眠そうな声。

 

 でも、その返事だけは迷いがなかった。

 

 ルミナはゆっくり目を閉じる。

 

 そして、そっと唇を重ねた。

 

 柔らかい感触。

 熱が触れ合う。

 

 最初は、ただ確かめるみたいなキスだった。

 

 触れるだけの、静かな口づけ。

 

 本当は、それだけで終わるつもりだった。

 

「…………」

 

 けれど。

 

 あなたが離れなかった。

 

 むしろ、追いかけるみたいにルミナの服を掴む。

 

「……っ」

 

 ルミナの呼吸が乱れる。

 

 熱い。

 近い。

 

 唇が離れる、その一瞬さえ惜しくなる。

 

 あなたは半分眠ったまま、小さく息を漏らした。

 

「……ルミナ」

 

 その呼び方は、だめだった。

 

 ルミナの指が、あなたの首筋へ触れる。

 

 熱を確かめるみたいに撫でて。

 

 そのまま、ゆっくり引き寄せる。

 

 再び重なる唇。

 

 今度は深かった。

 

 ゆっくり。

 溶かすみたいに。

 呼吸を奪うみたいに。

 

「……ん……」

 

 あなたの喉が小さく震える。

 

 熱が混ざる。

 吐息が絡む。

 

 静かなキスなのに、逃げ場がなかった。

 

 ルミナは優しい。

 

 優しいのに、妙に支配的だった。

 

 逃がさないみたいに何度も角度を変え、深く口づけてくる。

 

 あなたは抵抗しない。

 

 むしろ安心したみたいに、ルミナへ身体を預けていた。

 

 青い髪が頬を掠める。

 指先が首筋をなぞる。

 

 時々、顎を持ち上げられる。

 

 全部優しくて、頭がおかしくなるくらい甘かった。

 

「……っ、ノクス……」

 

 キスの合間、掠れた声で名前を呼ばれる。

 

 その響きだけで、胸の奥が熱くなる。

 

 あなたはぼんやり目を閉じたまま、ルミナの服を掴む。

 

 離れたくなかった。

 

 今だけは、どこにも行ってほしくなかった。

 

「……は、ぁ……」

 

 唇が離れた瞬間、あなたは小さく息を漏らす。

 

 熱かった。

 頭がぼうっとする。

 視界まで少し滲んでいる。

 

 ルミナも呼吸を乱していた。

 

 白い肌が薄く赤く染まり、夜色の髪が乱れている。

 

 その姿が綺麗すぎて、あなたは言葉を失った。

 

「…………」

 

 数秒、静かな沈黙が落ちる。

 

 互いの呼吸音だけが、やけに近かった。

 

 それからルミナが、小さく額を押さえる。

 

「……本当に、だめですね」

 

「……?」

 

「あなたに甘えられると、理性が仕事しません」

 

 掠れた声だった。

 

 あなたはぼんやりしたまま、小さく笑う。

 

 それから、また無意識みたいにルミナへ擦り寄った。

 

 熱を求めるみたいに。

 安心を探すみたいに。

 

 触れていないと眠れない、幼子のように。

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 

 気づけば、時計の針は深夜を越えていた。

 

 窓の外には、静かな夜が広がっている。

 

 街の灯りは遠く滲み、部屋の中には小さな間接照明だけが残っていた。

 

 柔らかい橙色の光が、ソファへ寄り添う二人の輪郭を曖昧に溶かしている。

 

「…………」

 

 あなたはぼんやりと天井を見上げたまま、小さく息を吐く。

 

 唇が熱かった。

 

 深く触れ合った感覚が、まだ残っている。

 

 喉の奥が、少しだけ甘く痺れていた。

 

 隣では、ルミナが静かに呼吸を整えている。

 

 青い髪が肩へ流れ落ち、その隙間から白い首筋が覗いていた。

 

 乱れた髪。

 薄く赤い唇。

 長い睫毛。

 

 普段は静謐そのものみたいな彼女が、今だけ少し熱を帯びて見える。

 

「……ノクス」

 

 静かな声だった。

 

 あなたはゆっくり視線を向ける。

 

 ルミナの指先が、そっとあなたの頬へ触れた。

 

 熱を確かめるみたいに。

 逃がさないみたいに。

 

 そのまま親指が、ゆっくり唇をなぞる。

 

「っ……」

 

 小さく肩が震える。

 

 それだけで、また熱が戻ってくる。

 

 ルミナはそんなあなたを見て、小さく目を細めた。

 

「今さら照れているんですか」

 

「……うるさい」

 

 掠れた声で返す。

 

 するとルミナが、少しだけ笑った。

 

 珍しく、悪戯っぽい笑い方だった。

 

「さっきは、あんなに甘えていたのに」

 

「……半分寝てた」

 

「全部覚えていますよ」

 

「最悪だ……」

 

 あなたは片手で顔を覆う。

 

 けれど、その手首をルミナが静かに掴んだ。

 

「…………」

 

 ゆっくり引き寄せられる。

 

 青い髪から、甘い香りがした。

 

 あなたは抵抗できないまま、ルミナを見つめる。

 

「ノクス」

 

「……ん」

 

「私は、あなたが怖がっていることを知っています」

 

 静かな声。

 

「自分がどうなるか分からないことも」

 

「私とステラの間で苦しんでいることも」

 

「全部、分かっています」

 

 ルミナの指が、あなたの髪を梳く。

 

 優しく、まるで怯えた子犬を落ち着かせるみたいに。

 

「だから」

 

 そのまま額へ、柔らかく唇が落ちる。

 

「まだ、答えを出さなくていいんです」

 

 あなたは目を閉じる。

 

 胸の奥に張りつめていたものが、少しだけほどけていく。

 

 ルミナの体温が近い。

 

 触れているだけで、不思議と呼吸が楽になる。

 

「……ルミナ」

 

「はい」

 

「いなく、ならない?」

 

 消えそうな声だった。

 

 置いていかれないか確かめるみたいな声音。

 

 ルミナは数秒黙ったあと、小さく笑う。

 

 そして、そっとあなたを抱き寄せた。

 

 青い髪が、さらりと頬へ触れる。

 

「ずっといますよ」

 

 静かな声。

 

「どこにも行きません」

 

 その言葉は、夜よりも静かで。

 

 でも、ひどく温かかった。

 

 あなたは安心したみたいに、その肩へ額を預ける。

 

 まるで、ようやく帰る場所を見つけたみたいに。

 

 ルミナの指が、ゆっくりあなたの髪を撫でる。

 

 優しく。

 何度も。

 永遠に。

 

 窓の外では、夜が静かに更けていく。

 

 けれど今だけは。

 

 世界の終わりみたいな不安も、少し遠かった。




次回はステラです。

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  • ノクス
  • ルミナ
  • ステラ
  • プリン
  • 秋葉
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