追記:お気に入りが400件、カクヨムのフォロワーが200を超えました。ありがとうございます。
三日後
もちろん、その三日間ずっとルミナに付きっきりで看病されていた。
あなたはかなり甘やかされたし、死ぬほど恥ずかしかった。
弱っている時の行動を、色々覚えられてしまった気もする。
眠くなると手を握ること。
不安になると近くへ寄っていくこと。
撫でられると安心して、そのまま眠ってしまうこと。
思い出すだけで、わりと消えたかった。
そして三日目の朝、ルミナが東日本巡回へ出発する日だった。
家の中は、いつもより少しだけ整いすぎていた。
テーブルの上には三日分の予定表。
冷蔵庫には作り置き。
薬の時間を書いたメモ。
その横には、プリンによる監視項目まで並んでいる。
どう見ても重症患者扱いだった。
「……ここまでする必要ある?」
あなたが顔をしかめると、ルミナは静かに鞄の留め具を閉じる。
「あります」
「即答……」
「前科がありますので」
「それ便利すぎるだろ……」
反論できないのが悔しかった。
ルミナは玄関先で振り返る。
朝の光を受けた青い髪が、雨上がりみたいに淡く揺れていた。
「ステラ」
「はいはーい!」
ソファへ座っていたステラが、元気よく手を上げる。
その明るい声だけで、部屋の空気が少し軽くなる。
ルミナはそんな彼女を見つめ、それから静かな声で言った。
「ノクスをお願いします」
「任せて!」
「たぶん、想像しているより大変です」
「……え?」
ステラの笑顔が止まる。
ルミナは淡々と続けた。
「寂しくなると、近くへ来ます」
「え」
「手を握ると落ち着きます」
「えっ」
「撫でると眠ります」
「犬!?」
「離れると、少し不安そうな顔をします」
「…………」
ステラが、ゆっくりこちらを見る。
「ノクスちゃん……」
「見るな」
あなたは即座に顔を逸らした。
耳が熱い。
「違うからな」
「何が?」
「全部だよ」
すると、ソファの背もたれで丸くなっていたプリンが静かに言った。
「概ね事実です」
「プリン」
「事実共有です」
「最近ほんと敵だなお前……」
ステラは数秒黙ったあと、ぱっと顔を明るくした。
「そっか!」
「何がそっかだよ」
「つまり、いっぱい甘やかせばいいってことだね!」
「違う」
「違いません」
ルミナが即答する。
あなたは固まった。
「ルミナ?」
「病み上がりですので」
静かな声だった。
けれど、その奥には昨夜までの熱がまだ少しだけ残っている気がした。
ルミナはゆっくりあなたを見る。
「ノクス」
「……ん」
「無理をしないでください」
「分かってる」
「寂しい時は、ちゃんと言ってください」
「…………」
そんなこと言えるわけがなかった。
けれどルミナは、それを最初から分かっていたみたいに、小さく目を細める。
「言えないなら、ステラの近くにいてください」
「……子供扱い」
「病み上がりですので」
またそれだ。
あなたが顔をしかめると、ステラが横からにこにこ笑った。
「大丈夫大丈夫! 寂しくなったら私がぎゅーってするから!」
「しなくていい」
「する!」
「するな」
「する!」
勝てる気がしなかった。
ルミナはそんな二人を見て、小さく息を吐く。
どこか安心したような。
少しだけ寂しそうな顔だった。
「では、行ってきます」
「……おう」
「行ってらっしゃーい!」
扉が開く。
朝の光が玄関へ差し込む。
ルミナは最後にもう一度だけ、あなたを見た。
「三日後には戻ります」
「分かってる」
「ちゃんと待っていてください」
「……分かってるって」
そう返した声は、自分でも少し弱かった。
ルミナは何も言わなかった。
ただ、ほんの少しだけ柔らかく笑って、静かに扉の向こうへ消えていく。
ぱたん、と小さな音が響いた。
その瞬間、家の中から雨の気配が消えた気がした。
「…………」
あなたは閉まった扉を見つめたまま、しばらく動かなかった。
静かだった。
さっきまで、あんなに誰かの気配があったのに。
「ノクスちゃん」
隣で、ステラがそっと首を傾げる。
「……ん?」
「もう寂しい?」
「早すぎるだろ」
「でも、顔が寂しい」
「してない」
「してるよ」
ステラは笑った。
いつもの太陽みたいな笑顔で。
「じゃあ今日は、私がめちゃくちゃうるさくするね!」
「それはそれで嫌だな……」
「嫌じゃないくせにー」
そう言って、ステラがあなたの手を取る。
温かい手だった。
ルミナとは違う。
静かな雨じゃなくて、朝日みたいな体温。
「ほら、ノクスちゃん」
「何」
「朝ごはん食べよ!」
「お前が作るの?」
「もちろん!」
「不安しかない」
「ひどい!?」
騒がしい声が、静かになりかけた家を一瞬で満たしていく。
あなたは小さく息を吐いた。
けれど、繋がれた手だけは、離さなかった。
*
朝ごはんは、壊滅した。
「なんで卵って黒くなるの!?」
「火つけたまま喋るからだろ……」
キッチンの奥で、ステラが半泣きになっていた。
フライパンからはうっすら焦げ臭い匂いが漂い、コンロの周囲には小さな惨事の跡が散らばっている。
トーストは一枚、勢いよく飛んで床へ落ちたらしい。
その横で、プリンが無言のままコンロの火を止めていた。
「ステラは調理工程中の注意力が散漫です」
「言い方ぁ!」
「事実共有です」
「最近その言葉流行ってるの!?」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ声が、朝の静かな空気を遠慮なくかき回していく。
あなたはダイニングチェアへ深く座ったまま、その光景をぼんやり眺めていた。
朝の光が差し込んでいる。
窓辺へ落ちた陽射しが、ステラの夕焼け色の髪をきらきら照らしていた。
騒がしい。
本当に、うるさい。
ルミナがいる朝とは、何もかも違う。
静かな紅茶の香りもなければ、落ち着いた声もない。
代わりにあるのは、焦げ臭さと大騒ぎだった。
なのに、不思議と少しだけ落ち着いた。
「……ふ、っ」
気づけば、小さく笑いが漏れていた。
「あっ! 今笑った!」
ステラが勢いよく振り返る。
「笑ってない」
「笑ったよねプリン!?」
「笑っていました」
「裏切り者が増えた!」
ステラが大袈裟に騒ぐ。
その反応が面白くて、あなたはまた少しだけ肩を揺らした。
ここ数日、自分がこんなふうに笑った記憶があまりないことに気づく。
熱に浮かされて。
不安ばかり抱えて。
誰かの体温へ縋るみたいに眠っていた。
だから今、この騒がしさが妙に現実感をくれた。
「はい! できた!」
数分後、若干焦げたスクランブルエッグと形の歪なトーストがテーブルへ並べられる。
見た目は正直、かなり怪しい。
「絶対まずい」
「失礼だなぁ!?」
「見れば分かる」
「愛情入りです!」
「それ免罪符にならないからな」
呆れながらフォークを持つ。
ステラは向かい側で、期待と不安を半分ずつ混ぜた顔をしていた。
「ど、どう……?」
一口食べる。
「…………」
思ったより普通だった。
少なくとも、食べた瞬間に死を覚悟するほどではない。
「……思ったより普通」
「やったー!!」
ステラが両手を上げる。
その笑顔は、朝日みたいに眩しかった。
あなたは少しだけ目を細める。
騒がしい。
落ち着かない。
ルミナとは全然違う。
ルミナが静かな雨なら、ステラは強引にカーテンを開ける朝日だった。
勝手に部屋へ入り込んで。
勝手に明るくして。
考え込む隙を奪っていく。
「ノクスちゃん!」
「……ん?」
「今日なにしたい!?」
「急だな」
「ルミナちゃんいない間、いっぱい楽しいことするって決めてるから!」
「子供かよ……」
「病み上がりに言われたくないですー」
「ステラがそれ言うのか」
ステラはえへへ、と笑う。
その笑い声を聞きながら、あなたはふと視線を横へ流した。
いつもルミナが座っている場所。
そこだけ、少し静かだった。
「…………」
胸の奥が、小さく沈む。
たった三日。
分かっている。
すぐ戻る。
それなのに、家の空気が少し違うだけで妙に落ち着かなかった。
静けさが増えるたび、不安が顔を出す。
隣が空いているだけで、胸の奥が少し冷える。
「ノクスちゃん」
不意に、額へ軽く指が触れた。
顔を上げると、ステラがすぐ近くまで覗き込んでいる。
「考え込み禁止!」
「……別に」
「別にじゃない顔してるー」
むぅ、と頬を膨らませる。
それから、ぱっと太陽みたいに笑った。
「よし!」
「今日はね!」
「静かにしてる暇ないくらい遊ぶよ!」
「は?」
「映画見てー! ゲームしてー! お菓子食べてー!」
「病み上がりなんだけど俺」
「だからだよ!」
ステラはそう言って、あなたの手を掴む。
温かい手だった。
ぎゅっと握る力が、妙に真っ直ぐで、迷いがない。
「静かにしてたらさ」
ステラは笑う。
でも、その目だけは少し優しかった。
「余計、寂しくなるじゃん」
「…………」
図星だった。
あなたは何も言い返せないまま、視線を逸らす。
するとステラが、少しだけ得意げに笑った。
「だから今日は、私がずーっとうるさくしてあげます!」
「……迷惑」
「嘘つけー」
そう言って、ステラは繋いだ手をぶんぶん振り回す。
騒がしい。
本当に、騒がしい。
でも、その温度だけはちゃんと安心できた。
*
映画は、三十分で止まった。
「ノクスちゃん」
「……ん」
「全然見てなくない?」
「見てる」
「今主人公どうなってる?」
「……なんか走ってる」
「ずっと走ってる映画じゃないよこれ!?」
ステラのツッコミが飛ぶ。
あなたはソファへ深く沈み込んだまま、小さく息を吐いた。
画面は流れている。
音も聞こえている。
けれど内容は、ほとんど頭へ入ってこなかった。
病み上がりだからか。
「…………」
気づけば、少しだけステラの肩へ寄っていた。
こつり、と額が当たる。
「おっ」
明るい声。
「寄りかかりノクスちゃんだ」
「名前つけるな……」
掠れた声だった。
眠い。
妙に身体が重い。
ステラは一瞬だけ肩を揺らし、それから少し動きを止めた。
「…………」
近い。
思っていたより、ずっと近い。
あなたの髪が肩へ触れている。
寄りかかられた重みが、じんわり伝わってくる。
ステラの耳が、少しだけ赤くなった。
こういう距離には、本当は慣れていない。
ルミナみたいに、静かに受け止める余裕なんてない。
心臓だって普通にうるさい。
けれど、あなたを見た瞬間、その照れは少しだけ薄れていった。
眠そうで。
ぼんやりしていて。
それでも、誰かの隣へいたそうな顔。
静けさの中へ放っておくと、そのまま沈んでしまいそうだった。
「…………」
ステラは小さく息を吐く。
それから、そっとあなたの頭を撫でた。
くしゃ、と少し雑な撫で方。
ルミナみたいに綺麗じゃない。
でも、落ち着く手だった。
「よしよしよし」
「犬扱いするな……」
「だってノクスちゃん犬っぽいし」
「変なイメージついてる……」
そう言いながらも、あなたは離れなかった。
むしろ少しだけ、肩へ体重を預ける。
ステラの手が、一瞬止まる。
「…………」
無防備だった。
あなたはたぶん、自分が何をしているのか、あまり分かっていない。
ただ、安心したいだけなのだ。
隣にいたくて。
誰かの気配へ寄っていきたくて。
静かな場所へ、一人で落ちたくなくて。
その事実が分かった瞬間、ステラの胸が少しだけ痛くなる。
恋愛とか。
告白とか。
キスしたいとか。
そういう感情より先に。
今は、この顔を安心させたいと思った。
「……ノクスちゃん」
「んー……」
「今日さ」
「……ん」
「いっぱい甘えていいからね」
あなたが少しだけ目を開ける。
ステラは笑っていた。
いつもの、太陽みたいな笑顔。
でも、その奥だけ少し柔らかい。
「今のノクスちゃん、たぶん一人で静かにしてると、色々考え込むでしょ?」
「…………」
「だから今日は、考える暇なくなるくらい遊ぼうね!」
宣言みたいな声だった。
あなたは少しだけ黙る。
それから、小さく息を吐いた。
「……うるさそう」
「うるさいよー?」
「自覚あるんだ」
「ある!」
即答だった。
あなたは小さく笑う。
ほんの少しだけ。
でも、確かに笑った。
それを見た瞬間、ステラの胸がじわりと熱くなる。
ああ、今はこれでいいんだと思った。
恋を押し付けるんじゃなくて。
好きになってほしいって急ぐんじゃなくて。
ただ、隣で笑わせて。
寂しさを埋めて。
安心して眠れるようにしてあげたい。
今は、それが一番大事だった。
「よーし!」
ステラが勢いよく立ち上がる。
「次はゲーム!」
「休ませる気ゼロだろお前」
「病み上がりだから楽しいこといっぱいするの!」
「理論が雑すぎる……」
そう言いながらも、あなたは少しだけ肩の力を抜いていた。
騒がしい声が、部屋を満たしていく。
静けさが入り込む隙を、全部埋めるみたいに。
その明るさへ包まれながら、あなたはぼんやり思う。
太陽みたいだな、と。
眩しくて。
うるさくて。
落ち着かないのに。
不思議と、心地よかった。
*
ゲームは、思ったより白熱した。
「うわっ!? 今の絶対ずるい!」
「下手すぎない!?」
「煽るな!」
ステラがクッションを投げる。
あなたはそれを片手で受け止めながら、小さく笑った。
昼を過ぎた頃には、部屋の空気はすっかり“ステラのペース”に染められていた。
騒がしくて。
落ち着きがなくて。
少し目を離すと、すぐ距離が近い。
でも、不思議と息苦しくない。
むしろ、静かになる方が今は少し怖かった。
「はいノクスちゃん」
ぽす、と膝へクッションが置かれる。
「次これ!」
「休憩って概念ないのかお前」
「病み上がりには楽しい刺激が必要なんですー」
「絶対適当だろその理論」
呆れながらコントローラーを受け取る。
その時だった。
ふいに、ステラが立ち上がる。
「飲み物取ってくる!」
「ん」
ぱたぱたと遠ざかる足音。
それだけだった。
本当に、たったそれだけなのに。
「…………」
部屋が静かになる。
さっきまで埋まっていた空気が、急に空いた気がした。
あなたは無意識に顔を上げる。
キッチンの方を見る。
姿を探してしまう。
「……何やってんだ俺」
小さく呟く。
自覚はあった。
少し、おかしい。
たった数メートル離れただけで、落ち着かなくなるなんて。
病み上がりのせいだ。
きっとそう。
そう思わないと、妙に怖かった。
「ただいまー!」
次の瞬間、騒がしい声が戻ってくる。
あなたは自分でも気づかないうちに、小さく息を吐いていた。
ステラが目を丸くする。
「……ノクスちゃん」
「ん?」
「今、安心した?」
「してない」
「した顔してた」
「してない」
即答だった。
でも、視線は逸れる。
ステラは数秒黙ったあと、小さく笑った。
からかうみたいな笑顔じゃない。
もっと柔らかい笑い方だった。
「そっか」
それだけ言って、隣へ座る。
距離が近い。
肩が触れる。
あなたは何も言わなかった。
離れようとも、しなかった。
「……ノクスちゃんってさ」
「何」
「今、すっごい誰かに甘えたい時期なんだね」
「……うるさい」
「否定しないんだ」
くすくす笑う声。
あなたは眉を寄せる。
でも、本気で怒る気にはなれなかった。
ステラはあなたを見る。
眠そうな目。
少し気を抜くと、すぐ誰かへ寄ってきそうな空気。
見ているだけで、放っておけなくなる。
「…………」
だから、自然に手が伸びた。
髪を撫でる。
くしゃ、と少し乱暴なくらいに。
「ん……」
あなたの目が少し細くなる。
それだけで、ステラの胸が妙に苦しくなった。
懐かれている。
信頼されている。
安心する場所みたいに扱われている。
それが嬉しくて。
でも、少しだけ切なかった。
「……ステラ」
「ん?」
「もうちょい」
「へ?」
あなたが、ステラの袖を軽く掴む。
無意識だった。
離れるなと言うみたいに。
「ここ、いて」
「…………」
ステラの呼吸が、一瞬止まる。
全部近かった。
あなたはたぶん、分かっていない。
どれだけ危険な顔をしているのか。
熱が抜け切っていない瞳。
眠そうな声。
無防備に寄りかかる仕草。
こんなの、好きな相手にされたら、普通に心臓へ悪い。
「…………っ」
ステラは小さく息を呑む。
一瞬だけ。
本当に、一瞬だけ。
キスしたい、と思った。
そのまま抱きしめてしまいたい、と。
でも、それは違うとステラは言い聞かせた。
今、ノクスが欲しいのはたぶん、キスなんかじゃない。
もっと静かで、切実なものだ。
だからステラは、飲み込むみたいに息を吐く。
代わりに、そっとあなたの頭を抱き寄せた。
明るい太陽みたいな笑顔のまま。
「……大丈夫だよ」
優しく髪を撫でる。
「今日は、どこにも行かないから」
「…………」
その言葉は、思っていたより深く胸へ落ちた。
あなたは小さく目を閉じる。
撫でられる感覚が心地いい。
頭の奥で張り詰めていたものが、少しずつほどけていく。
熱を出してからずっと、自分でも気づかないうちに力が入っていたのかもしれない。
「……ノクスちゃんってさ」
ステラが、ぽつりと呟く。
「思ってたより、ずっと頑張りすぎるよね」
「……急に何」
「だって最近、ずっと無茶してたじゃん」
あなたは少しだけ黙る。
反論はできなかった。
アーク討伐。
巡回支援。
訓練。
全部、自分から増やしたものだった。
最近、平和だったから。
最近、幸せだったから。
だから逆に、怖くなった。
この日常が、ある日突然壊れてしまう気がして。
考えないようにするみたいに、戦っていた。
「…………」
ステラは何も追及しなかった。
ただ静かに、あなたの髪を撫で続ける。
その優しさが、逆に少し苦しかった。
「……俺さ」
掠れた声が落ちる。
「最近、なんか変なんだよな」
「変?」
「一人だと落ち着かないし」
「静かだと、色々考えるし」
「……気づくと、誰か探してる」
そこまで言ってから、自分で少し嫌になる。
弱っているみたいだった。
実際、弱っているのだろう。
風邪を引いてから、特に。
「……ノクスちゃん」
ステラの声は、思っていたより静かだった。
からかうみたいな調子じゃない。
もっと柔らかい声。
「それ、別に悪いことじゃないよ」
「…………」
「だってさ」
ステラは小さく笑う。
いつもの明るい笑顔。
でも今は、その光を少しだけ和らげたみたいな顔だった。
「一人で平気な人なんて、そんなにいないもん」
あなたは何も言えなかった。
その代わり、無意識にまた少しだけステラへ寄る。
肩へ額を預ける。
まるで、そこが自分の居場所だと確かめるみたいに。
「おー、甘えたノクスちゃんだ」
「……うるさい」
「でも離れない」
「…………」
否定できなかった。
ステラは小さく笑う。
それから、そっとあなたの頭へ頬を寄せた。
「大丈夫だよ」
もう一度、優しく言う。
「ちゃんといるから」
その声は、ルミナとは全然違った。
静かな雨みたいに包み込む声ではない。
もっと明るくて。
もっと真っ直ぐで。
寂しさごと抱えて、無理やり光の方へ連れていくみたいな声だった。
「……ステラ」
「ん?」
「今日、ずっとうるさいな」
「褒め言葉?」
「ちがう」
「えー?」
ステラが笑う。
その笑い声につられるみたいに、あなたも少しだけ口元を緩めた。
窓の外では、午後の日差しがゆっくり傾き始めている。
部屋の中は相変わらず騒がしかった。
ゲームの音。
ステラの笑い声。
プリンの呆れた視線。
全部ごちゃごちゃなのに、不思議とその騒がしさの中にいると落ち着いた。
一人じゃないと思えた。
だからあなたは、眠たげに目を細めながら、もう少しだけステラへ寄りかかる。
その距離を、今はまだ手放したくなかった。
*
夕方になる頃には、さすがに体力が切れ始めていた。
病み上がりなのだから当然だった。
昼間はステラの騒がしさに押し流されていたけれど、静かな時間が戻ってくると、身体は正直に重さを思い出す。
「ノクスちゃん?」
「……ん」
「眠い?」
「ちょっと」
ソファへ沈み込んだまま答える。
ゲーム画面は止まっていた。
コントローラーは、いつの間にか膝の上から落ちている。
ステラは隣で、そんなあなたをじっと見ていた。
「今日はここまでにする?」
「……まだ平気」
「その顔で言う?」
くす、と笑う声。
あなたは返事の代わりに、小さく息を吐いた。
身体が重い。
熱は下がったはずなのに、夕方になると少し怠さが戻ってくる。
ぼんやりした頭のまま、あなたは無意識に隣へ寄った。
肩へ額が当たる。
「おっと」
ステラが少し身体を揺らす。
「ノクスちゃん、今日めちゃくちゃくっついてくるね?」
「……そう?」
「そうだよー?」
自覚が薄いのが、一番危ない。
ステラは苦笑する。
でも、離れなかった。
あなたも離れない。
むしろ、ソファの隙間を埋めるみたいに近づいていく。
「…………」
静かだった。
昼間みたいな騒がしさが、少し落ち着いている。
窓の外は薄暗くなり始めていて、部屋の中には柔らかな間接照明だけが灯っていた。
そのせいか、距離感がおかしくなる。
ステラの呼吸が聞こえる。
髪が触れる。
服越しの熱が、じわりと伝わる。
あなたは眠たげなまま、無意識にステラの袖を掴んだ。
「……どこいくの」
「え?」
「動いた」
「いや、お茶取りに行こうかなって……」
「…………」
掴む力が、少しだけ強くなる。
「……あとで」
「…………っ」
ステラの心臓が跳ねた。
近すぎる。
あなたはたぶん、何も考えていない。
ただ、離れてほしくないだけだ。
それが分かるから、余計に危ない。
「ノクスちゃん、それ反則じゃない……?」
「……何が」
ぼんやりした声。
眠たげな目。
熱の名残が少しだけ残る頬。
こんなの、普通に可愛い。
ステラは小さく息を吐いた。
「…………」
ノクスが好きだ。
明るく笑っている時も。
無茶して戦う時も。
今みたいに、弱って甘えてくる時も。
全部、大好きだ。
「……ステラ」
「ん?」
「安心する」
そういうのは、二回目だ。
その言葉だけで、胸の奥が熱くなる。
「……もー」
困ったみたいに笑って、それから。
ステラはそのまま、あなたをぎゅっと抱きしめた。
「甘えんぼノクスちゃんだ」
「……うるさい」
「よしよしよし」
頭を撫でる。
髪をくしゃくしゃにしながら、何度も優しく撫でる。
あなたは抵抗しなかった。
むしろ安心したみたいに、ステラの肩へ額を擦り寄せる。
完全に甘えていた。
「わ、ちょ、ノクスちゃん近い近い」
「……んー」
返事になっていない声。
眠いのだろう。
半分くらい意識が落ちている。
それでも、ステラの服は離さなかった。
「ふふ」
ステラは小さく笑う。
それから、今度はあなたの下腹部へ、ぽん、ぽん、と優しく触れた。
赤ちゃんを寝かしつけるみたいな、ゆっくりしたリズム。
「…………っ」
その瞬間、あなたの身体が小さく跳ねた。
「えっ」
ステラが目を瞬かせる。
呼吸が乱れる。
服を掴む指へ、少しだけ力が入る。
「ノクスちゃん?」
「…………」
答えない。
でも、耳がじわりと赤かった。
その感覚に、覚えがあった。
以前、ルミナにこうして下腹部を優しく叩かれて、そのまま妙に身体が熱くなってしまったことがある。
安心して。
力が抜けて。
でも同時に、変なふうに敏感になってしまって。
「…………ぁ」
掠れた息が漏れる。
頭がぼうっとする。
安心する感覚と、別の熱が混ざって、どうしていいか分からなくなる。
「え、えっ、待って!? 大丈夫!?」
ステラが慌てる。
「苦しい!? 違う!? え、顔赤い!?」
「……ちが」
掠れた声。
でも説明できない。
恥ずかしい。
自分でも整理できていない。
ただ、その場所を優しく叩かれる感覚が、妙に身体へ響いてしまう。
「…………」
ステラは少しだけ固まる。
それから。
「あ」
何かを察した顔をした。
「……ルミナちゃん?」
「…………」
あなたが黙る。
それだけで答えになっていた。
「えっ、なにそれぇ……」
ステラの顔がみるみる赤くなる。
「そ、そういう甘やかし方されてたの!?」
「……知らない」
「知らなくないでしょ絶対!」
半泣きみたいな声。
でも、あなたは否定できなかった。
実際、あの時もかなり駄目だった記憶がある。
安心して。
熱くなって。
そのままルミナへ擦り寄ってしまった。
「……っ」
思い出した瞬間、さらに顔が熱くなる。
ステラが、おろおろしながらあなたを見る。
「え、ど、どうする!?止める!?」
「…………」
一瞬だけ迷って。
あなたは小さく、ステラの服へ顔を埋めた。
「……やめなくていい」
「…………っ」
ステラの心臓が爆発しそうになる。
でも、あなたは本当に眠そうで。
安心したいだけみたいな顔をしていて。
だからステラは、小さく息を吐いた。
「……もー」
困ったみたいに笑う。
それから今度は、もっと優しく。
壊れ物へ触れるみたいに、ぽん、ぽん、と下腹部を叩いた。
「よしよし」
頭を撫でる。
「大丈夫だよー」
ぽん、ぽん。
「ちゃんといるからね」
一定のリズム。
安心させるみたいな手。
あなたは目を閉じたまま、小さく息を漏らした。
熱い。
恥ずかしい。
でも、安心する。
その全部が混ざって、頭がぼうっとしていた。
*
翌朝。
目を覚ましたあなたの視界へ、最初に入ったのは、ソファの背にもたれて眠っているステラだった。
「…………」
カーテンの隙間から、薄く朝日が差し込んでいる。
柔らかな光が、ステラの夕焼け色の髪を淡く照らしていた。
あなたはぼんやり瞬きをする。
頭は昨日より軽い。
身体も、かなり楽だった。
どうやら熱はちゃんと下がったらしい。
「……ステラ」
小さく名前を呼ぶ。
すると。
「んぅ……」
ステラがゆっくり目を開けた。
寝ぼけた顔のまま、数秒あなたを見つめる。
それから、ぱっと表情が明るくなった。
「ノクスちゃん! おはよ!」
「……おはよ」
「体調どう!?熱ある!?苦しくない!?」
「近い近い」
勢いよく顔を寄せてくる。
あなたは少し笑いながら、それを軽く押し返した。
でも、その声を聞いた瞬間、不思議と安心した自分がいた。
「…………」
あなたは小さく視線を落とす。
昨夜のことを、少し思い出す。
眠くて。
寂しくて。
かなり甘えていた気がする。
「……俺、昨日なんか変なこと言ってない?」
「いっぱい言ってた!」
「うわ最悪」
「安心するとか、離れるなとか!」
「忘れて」
「無理ー」
ステラがけらけら笑う。
その笑い声を聞きながら、あなたは額を押さえた。
恥ずかしい。
病み上がりとはいえ、かなり酷かった気がする。
「でも」
不意に、ステラの声が少しだけ柔らかくなる。
「嬉しかったよ」
「…………」
あなたが顔を上げる。
ステラは笑っていた。
いつもの明るい笑顔。
でも、その奥に少しだけ熱がある。
「ノクスちゃん、ちゃんと頼ってくれたから」
「……あれ頼ってたっていうか」
「甘えてた!」
「うるさい」
即答すると、ステラはまた笑った。
その笑顔を見ていると、胸の奥が少し落ち着く。
昨日まで感じていた変な不安が、少しだけ遠くなっていた。
「……ありがとな」
ぽつりと零す。
ステラがきょとんと目を瞬かせた。
「何が?」
「……その、色々」
「看病とか」
「一緒いてくれたのとか」
言いながら、自分でも少し照れくさくなる。
ステラは数秒黙ったあと、ふわっと笑った。
「えへへ」
嬉しそうな顔だった。
その笑顔を見た瞬間、胸の奥が少し熱くなる。
「…………」
不意に、ステラが立ち上がる。
「よし!」
「ノクスちゃんもかなり元気そうだし!」
「今日はお散歩くらい行けるかもね!」
「……病み上がりだぞ俺」
「だから軽くだよ軽く!」
そう言って笑う。
でも、その笑顔が少しだけぎこちなかった。
あなたは気づかない。
ステラだけが気づいている。
昨夜から、自分が更に距離を意識してしまっていることに。
近づきすぎると、触れたくなる。
抱きしめたくなる。
キスしたくなる。
だから少しだけ、自分を誤魔化すみたいに明るく振る舞っていた。
「……ステラ?」
「ん?」
「なんか今日テンション変じゃない?」
「えっ」
一瞬、顔が固まる。
「そ、そんなことないよー!?」
「いやなんか」
「いつもより挙動うるさい」
「ひどい!?」
あなたが少し笑う。
その顔を見た瞬間、ステラの胸がまた苦しくなる。
「…………」
好きだ。
どうしようもないくらい。
でも、返事を急がせたくなかった。
ノクスがちゃんと、自分の気持ちで選べるようにしたかった。
「……ねぇ、ノクスちゃん」
「ん?」
ステラが、ゆっくりあなたへ近づく。
少しだけ真面目な顔。
あなたが目を瞬かせる。
「私さ」
ステラは小さく笑う。
少し照れたみたいに。
でも、逃げない声で。
「ちゃんと、ノクスちゃんのこと好きだからね」
「…………」
「返事は急がなくていい」
「ルミナちゃんのことも大事なの知ってるし」
「ノクスちゃんがいっぱい悩んでるのも分かってる」
「だから、待つよ」
静かな声だった。
いつもの太陽みたいな勢いじゃない。
もっと真っ直ぐで、大切に触れるみたいな声。
「でも」
そこで少しだけ笑う。
「これだけは、ちゃんと覚えといて」
その瞬間、ステラがそっとあなたへ顔を寄せた。
「……っ」
柔らかな感触が、一瞬だけ唇へ触れる。
触れるだけの、小さなキス。
本当に、一瞬。
離れる時、ステラの耳は真っ赤だった。
「……私も、負ける気ないから」
照れ隠しみたいに笑う。
その顔が、妙に眩しかった。
「…………」
あなたはしばらく何も言えなかった。
唇へ残った感触が、じわりと熱を持っている。
胸の奥が、妙に落ち着かなかった。
でも、嫌じゃない。
むしろ、その熱をもう少し感じていたいと思ってしまう自分がいた。
「……ステラ」
「ん?」
「それ、反則だろ」
掠れた声でそう言うと、ステラは一瞬きょとんとして。
次の瞬間、顔を真っ赤にして笑った。
「ノクスちゃんにだけは言われたくないですー!」
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