数日後
生活は、少しずつ元の形へ戻り始めていた。
朝になれば、静かな足音が聞こえる。
「……ノクス、起きてください」
淡々とした声と一緒に、カーテンが開かれた。
「……まぶし……」
あなたは布団へ顔を埋める。
朝の光が、まだ眠気の残る瞼に痛い。
そんなあなたを見下ろしながら、ルミナが小さく息を吐いた。
「もう十分寝ました」
「あと十分……」
「その十分を三回繰り返したのが今です」
「細かい……」
掠れた声で返すと、すぐ横からプリンが淡々と告げた。
「現在時刻、午前七時十六分です」
「ノクスの二度寝率は高水準を維持しています」
「最近ほんと辛辣だなお前……」
「事実共有です」
「便利ワードみたいに使うな」
布団の中で呻くあなたへ、ルミナは容赦なく掛け布団を少しだけめくった。
冷たい空気が入り込む。
「うわ、冷た……!」
「起きられましたね」
「やり方が軍隊なんだよ……」
「病み上がりを放置するよりは安全です」
まだ言うのか、それ。
あなたが恨めしげに見上げると、ルミナは少しだけ目を細めた。
怒っているわけではない。
むしろ、安心している顔だった。
あなたがちゃんと目を覚まし、ちゃんと文句を言えることを確認して、ようやく息を緩めている。
そのことに気づいてしまうと、あまり強く文句も言えなかった。
「……起きますよ」
「はい」
「だからそんな見張るな」
「信用実績が不足しています」
「管理庁みたいな言い方するな……」
あなたが身体を起こすと、枕元で丸くなっていたプリンが、当然みたいにぴょこんと跳ねた。
そのまま肩へ乗ってくる。
「……重い」
「軽量設計です」
「そういう問題じゃない」
「ノクスの姿勢安定に貢献しています」
「してない」
「しています」
即答だった。
あなたはため息を吐きながらも、プリンを降ろさなかった。
むしろ、落ちないように片手で支え直す。
その動作があまりに自然で、ルミナがほんの少しだけ視線を細めた。
「……最近、プリンとの距離が近いですね」
「そうですか?」
「はい」
ルミナは静かに言った。
「かなり」
「…………」
あなたは少しだけ視線を逸らす。
肩の上で、プリンが淡々と告げた。
「最近のノクスは接触頻度が増加しています」
「分析するな」
「事実共有です」
「それ禁止にしようかな……」
プリンの尻尾が小さく揺れる。
どこか得意げだった。
そんなやり取りをしながらリビングへ向かうと、そこにはすでに朝の空気が満ちていた。
ルミナが並べた朝食。
焼きたてのトースト。
温かなスープ。
綺麗に切り分けられた果物。
どれもきっちり整っていて、ひどくルミナらしい。
「……完璧かよ」
「健康管理です」
「管理されてる感すごいな……」
「病み上がりですので」
「まだ言う……」
あなたが苦笑すると、ルミナは淡々とした顔のまま、けれどほんの少しだけ満足そうに目を伏せた。
その横では、ステラがソファへ寝転がったままゲームをしている。
「あっ、ノクスちゃん起きた!」
「……朝から元気だな」
「えへへー。元気が取り柄なので!」
「それは知ってる」
「もっと褒めていいよ?」
「調子乗るからやだ」
「ひどい!?」
相変わらず騒がしい。
でも、その声が家にあるだけで、不思議と落ち着いた。
ルミナの静かな過保護。
ステラの明るすぎる声。
プリンの肩の重み。
どれも少し前なら、当たり前ではなかったものだ。
世界はまだ危険なままで、何一つ変わっていない。
それでも、朝になれば誰かの声がして、夜になれば「おかえり」が返ってくる。
そんな当たり前が、少しずつ日常になり始めていた。
あなたはトーストを齧りながら、肩の上のプリンへ視線を向ける。
「お前も食う?」
「不要です」
「クッキーなら?」
「検討します」
「いるんじゃねえか」
「嗜好品です」
プリンはそう言って、あなたの肩からテーブルへ移ろうとした。
けれど、その瞬間。
「…………」
あなたの手が、無意識にプリンの身体を支えた。
落ちそうになったから。
ただ、それだけの動作だった。
けれど、指先はしばらく離れなかった。
小さな身体。
白い毛並み。
そこに触れているだけで、胸の奥が少し静かになる。
「ノクス?」
プリンが見上げる。
「……いや」
あなたは慌てて手を離した。
「なんでもない」
「そうですか」
プリンはそれ以上追及しなかった。
ただ、テーブルへ降りるのをやめて、またあなたの肩へ戻ってきた。
当たり前みたいに。
あなたも、当たり前みたいにそれを受け入れた。
ルミナが静かにそれを見ている。
ステラも、ゲームを止めてにやにやしていた。
「ノクスちゃん、プリンちゃんと仲良しだねぇ」
「うるさい」
「照れてる?」
「照れてない」
「顔ちょっと赤いよ?」
「朝だからだよ」
「朝って顔赤くなるんだ?」
「なる」
「ならないと思うなぁ」
ステラがけらけら笑う。
あなたは顔を逸らした。
肩の上で、プリンの尻尾が小さく揺れる。
何も言わないのに、どこか満足そうだった。
*
昼前
あなたはプリンと一緒に家を出た。
行き先は、秋葉の自宅だった。
理由は聞いている。
秋葉から連絡があった。
ソラリスの件で、共有しておきたいことがある、と。
その言い方が妙に固くて、あなたは少しだけ嫌な予感を覚えていた。
「……秋葉さんの家って、行ったことなかったな」
「はい」
肩の上で、プリンが答える。
「個人宅への訪問は初回です」
「なんか緊張するな」
「秋葉は危険人物ではありません」
「そういう意味じゃなくて」
「高位権限保持者ではあります」
「余計緊張する言い方すんな」
あなたは駅へ向かいながら、小さく息を吐いた。
空はよく晴れていた。
風は少し冷たい。
病み上がりの身体には、その冷たさが妙に沁みる。
でも、隣に誰もいないわけではなかった。
肩にはプリンがいる。
小さな足が、あなたの服を軽く掴んでいる。
「……落ちるぞ」
「問題ありません」
「なら掴まなくてもいいだろ」
「念のためです」
「はいはい」
あなたは呆れたふりをしながら、プリンが乗っている肩を少しだけ上げる。
揺れないように。
落ちないように。
するとプリンが、ほんのわずかに身体を預けてきた。
「…………」
その重みが、妙に落ち着く。
最近は、そうだった。
静かな場所が少し苦手になっていた。
誰もいない部屋。
音のない夜。
そういう時間に一人でいると、胸の奥が落ち着かない。
だから気づけば、誰かを探している。
ルミナだったり。
ステラだったり。
プリンだったり。
小さいくせに、ずっと近くにいる。
余計なことを言ってくる。
辛辣で、淡々としていて、時々妙に素直で。
その気配が隣にあるだけで、息がしやすかった。
「ノクス」
「ん?」
「最近、接触頻度が増加しています」
「またそれかよ」
「記録上、顕著です」
「記録すんな」
「ノクスが私を肩に乗せる時間も増加しています」
「乗ってくるのはお前だろ」
「拒否されていません」
「…………」
反論しかけて、止まる。
実際、拒否していなかった。
むしろ、降りられると少し寂しい。
そんなことを思ってしまって、あなたは軽く顔をしかめた。
「……嫌ではありません」
プリンがぽつりと言った。
「え?」
「ノクスが近いことは、嫌ではありません」
「…………」
風が吹いた。
あなたは少しだけ黙る。
「お前、最近ちょっと素直だよな」
「学習しています」
「そこAIみたいに返すなよ」
「プリンは高性能です」
「自分で言うな」
思わず笑う。
プリンはむすっとしたようにあなたを見た。
けれど、肩から降りようとはしなかった。
電車に乗っている間も、プリンはずっとあなたの膝にいた。
座席の端。
昼前の車内はそれほど混んでいない。
窓の外を流れる街並みを見ながら、あなたはぼんやりプリンの背を撫でていた。
「……ノクス」
「ん?」
「撫でています」
「嫌か?」
「いえ」
「ならいいだろ」
「はい」
短い返事。
それきり、プリンは黙った。
あなたの膝の上で丸くなり、撫でられるままになっている。
その姿はほとんど小動物だった。
でも、ただの小動物ではない。
世界の外側を知っている。
アークのことを知っている。
あなたに力を与えた存在。
そして、今はこうして、あなたの膝の上にいる。
「……変なの」
「何がですか」
「いや」
あなたは窓の外へ視線を向けた。
「なんでもない」
電車の揺れが、少しだけ眠気を誘う。
病み上がりの身体は、まだ完全ではなかった。
気を抜くとすぐに瞼が重くなる。
あなたはそれを誤魔化すみたいに、プリンの背をもう一度撫でた。
「眠いのですか」
「別に」
「心拍、呼吸、姿勢から眠気を確認」
「分析するなって」
「寝ても構いません」
「駅過ぎるだろ」
「起こします」
「信用していいのか?」
「高性能ですので」
「はいはい」
そう返しながらも、あなたは少しだけ目を閉じた。
ほんの一瞬のつもりだった。
けれど、電車の揺れと膝の上の重みが、妙に心地よかった。
意識が少しだけ沈む。
その直前、あなたは無意識にプリンへ指先を添えていた。
「……離れんなよ」
小さな声だった。
自分でも言ったかどうか分からないくらい。
けれど、プリンは確かにその声を聞いていた。
「…………」
金色の瞳が、わずかに揺れる。
「はい」
返事は、静かだった。
あなたは半分眠ったまま、膝の上のプリンへ指先を預けている。
プリンはその指に、小さな手を添えた。
離れない、とでも言うみたいに。
*
「……でっか」
思わず、あなたは呟いていた。
目の前にあるのは、高級住宅街の最奥に建つ巨大な邸宅だった。
黒い門扉。
広すぎる前庭。
水の流れる人工池。
ガラス張りの三階建て。
どう見ても一般家庭ではない。
「秋葉さんって金持ちだったんだな……」
感心したように見上げるあなたへ、肩の上のプリンが小さく答える。
「魔法少女管理庁上層部ですので」
「いや、管理庁ってそんな儲かるのか?」
「秋葉個人の資産も大きいかと」
「世知辛ぇ……」
あなたは高そうな噴水を見ながら、小さく息を吐いた。
プリンは、また当然みたいにあなたの肩へ乗っている。
小さな手足が、あなたの服を軽く掴んでいた。
「……広いですね」
「ん?」
「ここです」
プリンは邸宅を見上げる。
「見失う可能性があります」
「子供かお前は」
「合理的判断です」
即答だった。
あなたは苦笑しながら、プリンの身体を軽く支え直す。
「……別に離れねえよ」
「…………」
プリンは何も言わなかった。
ただ、肩へ預ける重みだけが、ほんの少し柔らかくなる。
インターホンを押す。
数秒後、落ち着いた女性の声が聞こえた。
『開いている。入れ』
「セキュリティどうなってんだ……」
「高度な監視体制が敷かれている可能性があります」
「怖いこと言うな」
重い門が、低い音を立てて開いた。
二人で石畳の道を歩いていく。
噴水の音。
風に揺れる木々。
静かすぎるくらい静かな空間。
その途中で、プリンがぽつりと口を開いた。
「ノクス」
「ん?」
「本日の目的を再確認します」
「秋葉さんに呼ばれたから来たんだろ?」
「はい」
プリンは頷く。
「加えて、ソラリスとの今後について共有があります」
「…………」
あなたは少しだけ真顔になった。
ソラリス。
黒い太陽のアーク。
ステラを壊しかけ、世界を焼きかけた存在。
あの戦いが終わってから、まだそれほど時間は経っていない。
今は対話が成立している。
そう分かっていても、その名前が出るだけで空気の温度が少し変わる気がした。
「……まあ、そうだよな」
あなたが小さく息を吐く。
すると。
「…………」
肩の上のプリンが、少しだけあなたへ寄った。
「……プリン?」
「いえ」
淡々とした声。
けれど。
「今日は、ノクスが近いので」
「……は?」
「落ち着きます」
「…………」
今度は、あなたが固まる番だった。
プリンはそんなあなたを見上げながら、小さく続ける。
「最近のノクスは、片時も離れませんので」
「言い方」
「事実です」
「だからその言葉便利すぎるだろ……」
あなたは顔を逸らした。
少しだけ耳が熱い。
肩の上で、プリンの尻尾が小さく揺れる。
そのまま二人で、巨大な玄関前へ辿り着いた。
静かに扉が開く。
中から聞こえたのは、落ち着いた女性の声だった。
「来たか」
秋葉だった。
黒いシャツに細身のパンツというラフな格好なのに、不思議と隙がない。
ただ立っているだけなのに、空気の重心がそこへ集まる。
管理庁上層部。
何度見ても、その肩書きが妙に納得できる雰囲気だった。
「お邪魔します」
「邪魔だと思うなら帰れ」
「理不尽だな……」
靴を脱ぎながらぼやくと、秋葉は小さく笑った。
「冗談だ。入れ」
中へ足を踏み入れた瞬間、あなたは思わず周囲を見回す。
「……広」
ホテルみたいだった。
吹き抜けの天井。
白を基調にした内装。
大きなガラス窓。
壁へ飾られた抽象画。
生活感は薄いけれど、不思議と落ち着く静けさがある。
「秋葉さん、ここ一人で住んでるんですか?」
「普段はな」
「普段は?」
その時、リビングの奥から静かな声が聞こえた。
「今は私がいる」
「…………」
あなたは視線を向けた。
ソファへ座っていたのは、ソラリスだった。
黒い髪。
金色の瞳。
人の形をしているのに、人ではない何か。
それなのに、片手にはティーカップ。
その姿があまりにも自然で、逆に現実感がなかった。
「……馴染みすぎでは?」
思わず本音が漏れる。
ソラリスは真顔であなたを見た。
「努力している」
「努力の方向性どうなってんだよ……」
あなたが呆れると、秋葉が肩を竦めた。
「放っておくと、また一人で外側へ戻るからな」
「戻ること自体は自然だ」
「連絡なしで消えるなと言っている」
「……努力している」
「そこも努力項目なのかよ」
完全に会話が成立していた。
世界を焼きかけたアークと、人類側の司令官。
その光景が、妙に現実感を狂わせる。
「……なんか、普通に喋ってるのすげぇ違和感あるな」
あなたが小さく呟くと、ソラリスは静かに紅茶を置いた。
「お前も、今は普通に話している」
「……まあ」
「怖くないのか」
「怖いですよ」
あなたは正直に答えた。
「でも、今は話せるので」
「…………」
ソラリスは少しだけ黙った。
その沈黙が、以前より人間臭く見えた。
「……というか」
あなたはふとソラリスを見る。
「ほんとに秋葉さんと一緒にいるんだな」
「ああ」
答えたのは秋葉だった。
「こいつのところへ何度か行って、そのままなし崩しだ」
「何度か行って、って」
あなたが眉を寄せる。
するとソラリスが当然みたいに言った。
「この女は普通にこちら側へ来る」
「…………は?」
空気が止まる。
数秒黙ったあと、あなたはゆっくり秋葉を見る。
「……行けるんですか?」
「まあな」
軽い。
言い方が軽すぎる。
「いや、“まあな”じゃなくて……」
「単独で来た人間は初めて見た」
ソラリスが静かに付け加える。
「しかも帰還した」
「…………」
あなたが無言になる。
秋葉は面倒そうに息を吐いた。
「放っておく方が危険だったんだ」
「監視込みだ」
「監視されている覚えはない」
「気づいていないだけだ」
さらっと恐ろしい会話をしている。
あなたは思わず苦笑した。
「……やっぱ秋葉さん、普通に化け物側だよな」
「失礼だな」
「否定しないんですね」
「今更だろう」
その返し方が、妙に格好良かった。
その時、肩へ乗っていたプリンが少しだけあなたへ寄る。
自然な動作だった。
あなたも当たり前みたいに、その小さな身体を支え直す。
すると。
「お前ら、距離近くないか?」
秋葉がじっとこちらを見ていた。
「……は?」
「さっきからずっとくっついてるだろう」
「いや別に……」
否定しかけて、あなたは自分の肩を見る。
プリンが当然みたいに乗っていた。
しかも服をがっつり掴んでいる。
「…………」
少し気まずい沈黙。
その横で、ソラリスが静かに口を開いた。
「接触頻度は高いようだな」
「分析するな」
「事実です」
今度はプリンまで乗ってきた。
「最近のノクスは、片時も離れませんので」
「言い方!」
思わず声が大きくなる。
秋葉が吹き出した。
「はは、重症だな」
「違いますって」
「でも拒否はしていません」
プリンが淡々と追撃する。
「…………」
あなたは言葉に詰まった。
最近、誰かの気配がないと落ち着かなかった。
特にプリンは、ずっと隣にいる。
気づけば探してしまうし、触れていると安心する。
でも、それを改めて他人に指摘されると、妙に恥ずかしい。
「……顔赤いぞ」
「うるさいです」
あなたが顔を逸らす。
肩の上で、プリンの尻尾が小さく揺れた。
秋葉はそれ以上からかわず、キッチンの方へ歩いていく。
「とりあえず座れ。話はそれからだ」
落ち着いた声だった。
強く響かせたわけでもないのに、その一言で部屋の空気が整う。
あなたは小さく息を吐いて、ソファへ向かった。
肩の上のプリンは、まだ離れなかった。
あなたも、降ろそうとはしなかった。
*
秋葉の家のリビングは、広すぎるくらい広かった。
大きな窓の向こうでは、整えられた庭が午後の光を受けて静かに揺れている。
人工池の水面がきらきら反射していた。
高級住宅、という言葉だけでは少し足りない。
生活のための場所というより、“領域”という感じがした。
余計なものはない。
整っていて、静かで、少し冷たい。
でも不思議と居心地は悪くなかった。
「……座ってるだけで緊張するな」
あなたがソファへ腰を下ろしながら呟くと、キッチンの方から秋葉が返す。
「壊さなければいい」
「壊す前提で話さないでください」
「前科が多い」
「俺だけじゃないだろ……」
ぼやきながら、あなたは肩の上のプリンを膝へ降ろした。
けれどプリンは、そのままあなたの服の裾を小さく掴んでいる。
いつも通りみたいで。
でも、少しだけ違った。
「…………」
あなたはその小さな手を見る。
プリンは何も言わない。
ただ静かに、そこにいた。
向かい側では、ソラリスが紅茶を飲んでいる。
静かに座り、当たり前みたいにティーカップを持っている。
その姿だけ見れば、落ち着いた客人にすら見える。
「……慣れてますね」
あなたが思わず言うと、ソラリスが視線だけを向けた。
「何にだ」
「人間の家」
「慣れてはいない」
「その割に馴染んでる」
「この女が、勝手に私を座らせる」
ソラリスが秋葉を見る。
秋葉はコーヒーを淹れながら、平然と答えた。
「立ったまま話されると圧があるからな」
「圧」
「自覚しろ」
「……努力する」
「そこも努力項目なんですね」
あなたが思わず呟くと、秋葉が小さく笑った。
それだけで、少し空気が緩む。
けれど、プリンの反応はなかった。
いつもなら何かしら淡々と混ぜてくるはずなのに、今日は妙に静かだった。
「…………」
あなたは無意識に、膝の上のプリンを撫でる。
柔らかな毛並み。
小さな身体。
触れていると落ち着く。
でも、プリンはほんの少しだけ身体を強張らせた。
「……プリン?」
「問題ありません」
即答。
でも、声が少し早い。
「本当か?」
「はい」
「じゃあ、なんで今日そんな静かなんだよ」
「通常範囲です」
「嘘つけ」
あなたがじっと見ると、プリンは少しだけ視線を逸らした。
珍しい反応だった。
その時、秋葉がトレーを持って戻ってくる。
コーヒーの香りが静かに広がった。
あなたの前には紅茶。
プリンの前には、小さな皿に乗ったクッキー。
「……プリンの分まであるんですか」
「用意しないとあとで拗ねるだろう」
「拗ねません」
プリンが即答する。
けれど小さな身体は、自然にクッキーへ伸びていた。
あなたは半目になる。
「説得力ないぞ」
「嗜好品です」
「便利ワード増やすな」
プリンは小さくクッキーを齧る。
その仕草だけは、いつも通りだった。
でも、沈黙の芯だけは消えない。
秋葉はソファへ腰を下ろし、コーヒーを一口飲んだ。
それから、ようやく本題へ入るみたいに目を細める。
「さて」
その一言で空気が変わった。
柔らかな生活音が遠のく。
リビングの静けさが、少しずつ別の質感へ変わっていく。
「呼んだ理由は分かっているな」
「ソラリス関連、ですか」
「半分はな」
秋葉は静かに言った。
「もう半分は、プリンのことだ」
「…………」
膝の上で、プリンが小さく止まる。
あなたはそれに気づいた。
「プリンの?」
「ああ」
秋葉はソラリスへ視線を向ける。
「まずは向こう側の状況からだ」
ソラリスは小さく頷いた。
ティーカップを置き、静かに口を開く。
「メンシス戦以降、外側は長く沈黙していた」
静かな声だった。
けれど、その言葉だけで部屋の空気が少し重くなる。
「傷が深かったからだ」
あなたは小さく息を呑む。
メンシス。
あの巨大なアーク。
中部の山脈での戦い。
思い出すだけで、身体の奥が少し軋む。
「だが最近、その静けさが崩れ始めている」
ソラリスは淡々と続けた。
「アークたちが、再び動き始めている」
「……また増えるってことか?」
「単純な出現数の話ではない」
ソラリスの金色の瞳が細くなる。
「メンシスは、あくまで先兵に過ぎなかった」
「…………」
あなたは言葉を失う。
あれが先兵。
なら、本体はどれほどなのか。
考えたくもなかった。
「本来、外側にはまだ多くのアークが存在している」
静かな声。
「そして最近、複数のアークが観測を始めている」
「観測……」
嫌な言葉だった。
ただ見ているだけのはずなのに、妙に生々しい。
「何を観測してるんですか」
あなたが聞く。
ソラリスの視線が、ゆっくりプリンへ向いた。
「プリンだ」
短い答え。
部屋が静まり返る。
あなたの手が、無意識にプリンを抱えるように動いた。
プリンは抵抗しない。
むしろ少しだけ、あなたの指へ寄った。
「……プリンを?」
「ああ」
ソラリスは頷く。
「複数のアークが、既に観測を始めている」
「それって……狙ってるってことか?」
「近い」
「近い、って」
「まだ直接行動ではない。だが視線は向いている」
淡々とした声。
だからこそ嫌だった。
脅かそうとしているわけじゃない。
ただ、事実として告げられている。
「メンシスもそうだった」
その言葉に、プリンの身体がぴくりと揺れる。
あなたはそれを見逃さなかった。
「……メンシス以外のアークも、プリンを?」
「そうだ」
ソラリスは静かに答える。
「そもそも、プリンが狙われるのはメンシス単独の意思ではない可能性が高い」
「外側には、プリンの存在を探しているものがいる」
秋葉が低く口を開いた。
「つまり、メンシスは始まりに過ぎなかったってことか」
「……最悪ですね」
「ああ、最悪だ」
秋葉は否定しない。
司令官としての冷静さがあった。
でも、その奥にある警戒は本物だった。
「これまでは、メンシス戦の影響で大きな動きが鈍っていた」
「だが、その時間が終わりつつある」
ソラリスが静かに続ける。
「外側は、また形を取り戻している」
「そして、戻ったものは再び探し始める」
金色の瞳が、プリンを見る。
「本来、そこにないはずのものを」
「…………」
あなたはプリンを抱える腕に少し力を込めた。
胸の奥がざわつく。
この感覚を知っている。
誰かが離れていきそうな時の。
置いていかれそうな時の、不安に似ていた。
「プリン」
あなたは膝の上を見る。
「お前、知ってたのか」
「…………」
プリンはすぐに答えなかった。
その沈黙だけで、何かは知っているのだと分かってしまう。
「プリン」
もう一度呼ぶ。
今度は少し低い声になった。
プリンは小さく身体を揺らし、それから静かに言った。
「一部は、把握していました」
「なんで言わなかった」
「確定情報ではなかったためです」
「そういう問題じゃないだろ」
「……ノクス」
プリンがこちらを見る。
金色の瞳が、少しだけ揺れていた。
「言えば、ノクスは心配します」
「当たり前だろ」
「なので、言いませんでした」
「だからそれが駄目なんだよ……」
あなたは小さく息を吐く。
怒りたいけど、怒りきれない。
隠した理由も分かってしまうから。
怖がらせたくなかった。
あるいは、自分の問題へ巻き込みたくなかった。
そう思った瞬間、胸の奥が少し痛んだ。
「……なぜ、プリンが狙われる」
秋葉が低く聞く。
プリンはしばらく黙っていた。
あなたの膝の上で、小さな身体を丸める。
いつもなら即答する。
でも今は違う。
迷っていた。
プリンが、言葉を選んでいる。
「プリン?」
あなたが呼ぶ。
プリンは静かに目を伏せた。
「私は」
小さな声だった。
「人類のために作られたアークです」
その瞬間。
空気が止まる。
「……は?」
出てきた声は、間抜けだった。
けれど、それはあなた一人ではなかった。
秋葉も。
ソラリスも。
一瞬、本当に言葉を失っていた。
「待て」
最初に口を開いたのは秋葉だった。
「……人類のために作られた?」
「はい」
プリンは静かに頷く。
ソラリスの金色の瞳が細くなる。
「そんな存在は聞いたことがない」
「私も知らない」
静かな声だった。
「少なくとも、外側の理屈から外れている」
秋葉の視線がプリンへ向く。
落ち着いた目だった。
責めるでもなく。
だが、逃がしもしない視線。
「説明できる範囲でいい」
「話せ」
「…………」
プリンは少しだけ黙った。
それから、小さく息をするみたいに身体を揺らす。
「細部は開示できません」
「ただし、私は人類に敵対するための個体ではありません」
「むしろ、その逆です」
部屋の空気が、さらに重くなる。
秋葉も。
ソラリスも。
明らかに初耳だった。
つまり、これは管理庁の情報にもない。
ソラリスの知識にもない。
プリンだけが抱えていた秘密だ。
「……それで狙われてるのか」
あなたが呟く。
プリンは少しだけ目を伏せた。
「はい」
「外側にとって、私は異物です」
「だから、観測されています」
静かな声だった。
でも、その声が少しだけ寂しく聞こえた。
あなたは無意識に、プリンを抱える腕へ力を込める。
小さな身体が、ほんの少しだけこちらへ寄った。
その感触が、妙に苦しかった。
誰が好き?
-
ノクス
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ルミナ
-
ステラ
-
プリン
-
秋葉