転生者がTS魔法少女になって頑張る話。   作:メルヘン侍

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第三話 雪と若葉は手を繋ぐ

 しばらくして。

 

 少女はようやく落ち着きを取り戻したらしかった。

 

 先程まで真っ赤だった顔も少しずつ熱が引き、今は膝の上へ置かれた手をきゅっと握りながら、おずおずとこちらを見ている。

 

 ただし、目が合うとすぐ逸れる。

 

 そして数秒後にはまた恐る恐る戻ってくる。

 

 忙しい。

 

「す、すみませんでした……」

 

 風に攫われそうな声だった。

 

「じろじろ見てしまって……」

 

 視線は膝の上。

 

 謝罪しているのに目を合わせられないらしい。

 

「別に気にしてない」

 

 そう返すと、少女の肩から少しだけ力が抜けた。

 

 それでも緊張は消えない。

 

 まるで知らない場所へ迷い込んだ子鹿みたいだった。

 

「私は……セレスです」

 

 小さく名乗る。

 

「魔法少女セレス……一年生です」

 

「一年?」

 

 思わず聞き返す。

 

 すると隣のプリンがこくりと頷いた。

 

「同じクラスです」

 

「そうなのか」

 

 初耳だった。

 

 改めて見る。

 

 ミントグリーンの髪。

 小柄な身体。

 春の若葉を人の形へしたみたいな少女。

 

 言われてみれば、確かに魔法少女らしい独特の雰囲気があった。

 

「それで」

 

 あなたは聞く。

 

「どうしてここに来たんだ?」

 

 セレスの肩がぴくりと震えた。

 

 また緊張したらしい。

 

 視線が泳ぐ。

 言葉を探している。

 

 しばらくして。

 

「その……」

 

 ようやく口を開いた。

 

「プリンちゃんが……」

 

 隣を見る。

 

 プリンは相変わらず無表情だった。

 

 だが何故か警戒している。

 

 小動物が縄張りへ知らない生き物が入ってきた時みたいな顔だった。

 

「質問攻めにされていて……」

 

 セレスは続ける。

 

「すごく苦しそうで……」

 

 言葉を選ぶ。

 

 一つ一つ確かめるように。

 

「だから……心配になって……」

 

 そこで言葉が途切れた。

 

 たぶん、勇気を出してここまで来たのだろう。

 

 屋上の入口でずっと様子を見ていたのも、そのためだ。

 

 近付きたいけど、怖い。

 

 だから見ていることしかできなかった。

 

 そんな姿が自然と想像できた。

 

「そうか」

 

 あなたは笑う。

 

「ありがとう」

 

「え」

 

 セレスが顔を上げる。

 

 若葉色の瞳が揺れる。

 

「心配してくれたんだろ」

 

「そ、それは……」

 

「嬉しいよ」

 

 その瞬間、また耳が赤くなった。

 

 分かりやすかった。

 

「でも」

 

 セレスは慌てて首を振る。

 

「私は何もできなくて……」

 

 俯く。

 

 小さな手が制服を握る。

 

「結局、見ているだけでしたし……」

 

 どこか悔しそうだった。

 

 心配した。

 助けたかった。

 けれど勇気が出なかった。

 

 たぶんそんなところだろう。

 

 だから、あなたは少し考えてから言った。

 

「なら」

 

 セレスが顔を上げる。

 

「良かったらプリンと一緒にいてくれないか?」

 

「……え?」

 

 固まる。

 

 思考が止まったみたいに。

 

「プリンもまだ学校に慣れてないし」

 

「ノクス……?」

 

 今度はプリンが反応した。

 

 微妙に警戒している。

 

 何故だ。

 

「同じクラスなんだろ?」

 

「そ、それは……そうですけど……」

 

「仲良くしてくれると助かる」

 

 そう言った瞬間。

 

 セレスの顔が再び赤くなり始める。

 

 隣ではプリンの目が細くなる。

 

 何故だ。

 

 本当に何故だ。

 

「ノクス」

 

 プリンが呼ぶ。

 

「ん?」

 

「簡単に増やさないでください」

 

「何を?」

 

 意味が分からなかった。

 

 すると、後ろでルミナが額を押さえた。

 

 ステラは吹き出している。

 

「ノクスさぁ」

 

「うん」

 

「本当に無自覚なんだね」

 

「だから何がだ」

 

 誰も答えてくれなかった。

 

 その代わり目の前ではセレスが真っ赤になり、隣ではプリンが警戒を強めている。

 

 どうやらまた何かやらかしたらしい。

 

 だが、何をやらかしたのかだけは最後まで分からなかった。

 

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 

 昼休みの終わりを告げる予鈴が遠くで鳴る。

 

 屋上へ吹く風は相変わらず穏やかだったが、流石に戻らないわけにはいかなかった。

 

「それじゃあ」

 

 ノクスが立ち上がる。

 

 昼の陽射しを背負いながら。

 

「そろそろ戻る」

 

 そう言って、視線がこちらへ向く。

 

 プリンは少しだけ寂しくなる。

 

 理由は分かっているが言わない。

 

 言うと面倒だからだ。

 

「午後はよろしくな」

 

 そして、ノクスは自然な調子でセレスを見る。

 

「プリンのこと頼む」

 

「ふぇっ」

 

 変な声が出た。

 

 セレスだった。

 

 若葉色の瞳が大きく見開かれる。

 

「わ、私ですか!?」

 

「同じクラスだろ」

 

「そ、それはそうですけど……」

 

「じゃあ頼んだ」

 

 ノクスは笑う。

 

 簡単だった。

 

 本当に簡単だった。

 

 だから困る。

 

 ルミナも困っていた。

 

「はぁ……」

 

 大きなため息。

 

「本当にそういうところよ」

 

「何がだ?」

 

「分からないならいいわ」

 

 全然良くなさそうだった。

 

 ステラも笑っている。

 

「また増やしたね」

 

「だから何をだ」

 

「うーん」

 

 ステラは考えるふりをする。

 

「自覚がないのが一番罪深いかな」

 

 意味が分からない。

 

 そんな顔をノクスはしていた。

 

 そのまま三人は屋上を後にする。

 

 ノクス。

 ルミナ。

 ステラ。

 

 扉が閉まる。

 静寂が戻る。

 

 そして、残されたのは二人だけだった。

 

 プリンとセレス。

 

「……」

 

「……」

 

 沈黙。

 

 風だけが吹いている。

 

 セレスは妙に緊張していた。

 

 さっきまでよりも。

 

 むしろノクスが居なくなってからの方が緊張している気さえする。

 

 不思議だった。

 

「セレスさん」

 

「ひゃっ」

 

 呼んだだけだった。

 

 なのに肩が跳ねた。

 

 小動物だった。

 

「す、すみません……」

 

「何故謝るんですか」

 

「く、癖で……」

 

 変な人だった。

 

 少しだけ面白い。

 

 だから、プリンは話しかけてみることにした。

 

「人見知りですか」

 

「うぅ……はい……」

 

 即答だった。

 

 どうやら自覚はあるらしい。

 

「でも」

 

 プリンは首を傾げる。

 

「私とは話せています」

 

「それは……」

 

 セレスが少し考える。

 

 言葉を探している。

 

「プリンちゃんは……優しい感じがするので……」

 

「そうですか」

 

「はい……」

 

 何となく分かった。

 

 この人は怖がりなのだ。

 

 だから話しかけるのも勇気がいる。

 

 けれど、話してみればちゃんと会話はできる。

 

 そんな人だった。

 

 だから余計に不思議だった。

 

「なら」

 

 プリンは聞く。

 

「何故ノクスにはあんな感じなんですか」

 

「ぇ」

 

 固まった。

 

 数秒。

 本当に数秒。

 

 思考が停止したみたいだった。

 

「ノクスさん……」

 

「はい」

 

 顔が赤くなる。

 

 まただ。

 

 今日だけで何回目だろう。

 

「その……」

 

「はい」

 

「ノクスさんは……」

 

 言葉が途切れる。

 若葉色の瞳が揺れる。

 制服の裾を握る。

 

 そして、小さな声で言った。

 

「ファンなので……」

 

「ファン」

 

「はい……」

 

 恥ずかしそうだった。

 

 耳まで真っ赤だった。

 

「前から知ってました」

 

 ぽつり。

 

「戦ってるところも……」

 

 ぽつり。

 

「ニュースも……」

 

 ぽつり。

 

 どうやら本当にファンらしい。

 

 プリンは少し考える。

 

 なるほど。

 

 それなら納得できた。

 

「だから」

 

 セレスが続ける。

 

「急に話しかけられて……」

 

 俯く。

 

「頭撫でられて……」

 

 さらに俯く。

 

「笑われて……」

 

 耳が真っ赤だった。

 

「近かったので……」

 

 最後の方は聞き取れないくらい小さかった。

 

 プリンは少しだけ考える。

 

 そして。

 

「大変ですね」

 

 素直な感想だった。

 

 セレスは顔を真っ赤にしたまま、小さく頷いた。

 

 予鈴が二度目に鳴る。

 

 今度こそ戻らなければならない時間だった。

 

 二人は屋上を後にする。

 

 階段を下りる。

 

 昼休みの終わりが近い校舎は不思議な空気をしていた。

 

 教室へ急ぐ足音。

 友人同士の笑い声。

 購買袋を抱えて走る生徒。

 

 様々な音が混ざり合っているのに、プリンの隣を歩くセレスは相変わらず少しだけ緊張している。

 

 まるで知らない森へ迷い込んだ小動物みたいだった。

 

「セレスさん」

 

「は、はいっ」

 

 即座に返事が返る。

 

 やっぱり少し面白い。

 

「一つ聞いてもいいですか」

 

「だ、大丈夫です……」

 

 大丈夫そうには見えなかった。

 

 だが本人が言うなら大丈夫なのだろう。

 

「何故」

 

 プリンは首を傾げる。

 

「私の面倒を見るんですか」

 

「ぇ」

 

 セレスが立ち止まりそうになる。

 

 若葉色の瞳がぱちぱちと瞬いた。

 

「人見知りなんですよね」

 

「は、はい……」

 

「私と話すのも緊張してます」

 

「うぅ……はい……」

 

 否定できなかったらしい。

 

 少しだけ肩が縮こまる。

 

 だから余計に不思議だった。

 

 怖いなら近付かなければいい。

 

 実際、多くの人間はそうする。

 

 なのにセレスは違った。

 

 屋上まで来た。

 

 心配していた。

 

 そして今もこうして隣を歩いている。

 

 理由が分からなかった。

 

 セレスはしばらく黙る。

 

 考えているらしい。

 

 答えを探しているというより、自分の気持ちを言葉へ変えようとしているみたいだった。

 

 階段の踊り場へ差し込む陽射しがミントグリーンの髪を照らす。

 

 春の若葉みたいな色だった。

 

 しばらくして、セレスは小さく息を吸った。

 

「私は……」

 

 声は相変わらず小さい。

 

 けれど今度は途中で消えなかった。

 

「人見知りです」

 

「はい」

 

「知らない人も苦手ですし……」

 

 制服の裾を握る。

 

「話すのも得意じゃないです」

 

 それは見れば分かるし、たぶん本人も分かっている。

 

 だから誤魔化さない。

 

 若葉色の瞳が少しだけ真っ直ぐ前を向いた。

 

「でも」

 

 風が吹く。

 

 柔らかな髪が揺れる。

 

「困っているプリンちゃんを見て、助けたいと思いました」

 

 その一言だけだった。

 

 飾り気も無く、格好良い言葉でもない。

 

 けれど嘘は無かった。

 

 怖い。

 緊張する。

 近付きたくない。

 

 それでも、助けたいと思った。

 

 だから来た。

 

 ただそれだけだった。

 

 プリンは少しだけ目を見開く。

 

 そして何となく理解した。

 

 この人も魔法少女なのだ。

 

 ルミナみたいに強くない。

 ステラみたいに明るくない。

 ノクスみたいに誰かを引っ張っていくタイプでもない。

 

 それでも、困っている人を見たら手を伸ばしてしまう。

 

 怖くても。

 震えていても。

 逃げたいと思っていても。

 

 それでも、助けたいと思える。

 

 だから魔法少女なのだ。

 

「そうですか」

 

 プリンは小さく頷く。

 

 何故か少し嬉しかった。

 

 学校は怖い。

 人も多い。

 知らない人ばかりだ。

 

 けれど、こんな人が居るなら少しだけ違うのかもしれない。

 

 教室の近くまで戻ってくる。

 

 人が増える。

 声も増える。

 

 セレスの肩がまた少しだけ強張った。

 

 分かりやすい。

 

 プリンは自然に手を伸ばした。

 

「ひゃっ」

 

 小さな悲鳴。

 

 だが振り払われない。

 

 白い指が若葉色の少女の手を握る。

 

「ぷ、プリンちゃん?」

 

「大丈夫です」

 

 そう言う。

 

「二人なら」

 

 少しだけ考えて。

 

 続けた。

 

「怖くないかもしれません」

 

 セレスが固まる。

 

 顔が赤くなる。

 

 けれど、手は離れなかった。

 

 むしろ、ほんの少しだけ握り返してくる。

 

 弱い力だった。

 

 けれど確かだった。

 

 そして、教室へ近付くにつれて人の声が増えていく。

 

 笑い声。

 雑談。

 机を動かす音。

 

 当たり前の学校の音だった。

 

 教室の扉が見えた頃には、プリンの足取りが少しだけ遅くなっていた。

 

 握られた手から伝わってくる。

 

 緊張しているのだ。

 

 セレスはそっと横を見る。

 

 白い髪。

 小さな背中。

 

 屋上で落ち着いたはずなのに、人が多い場所へ戻るとまた少し肩が固くなる。

 

 教室へ入る。

 

 途端に空気が変わった。

 

「あっ」

 

「プリンちゃん!」

 

「戻ってきた!」

 

 何人もの声が上がる。

 

 視線が集まる。

 

 昼休みの最初と同じだった。

 

 好奇心。

 興味。

 憧れ。

 

 悪意は無い。

 

 だから余計に厄介だった。

 

 プリンの指先が少し強くなる。

 

 逃げるほどではないけれど、怖いのだろう。

 

 知らない人達に見られることが。

 

「ねえねえ!」

 

「質問いい?」

 

「魔法少女って――」

 

 誰かが声を掛ける。

 

 それを合図にしたみたいに周囲が動き出した。

 

 昼休みの続きが、再開されようとしていた。

 

 その時だった。

 

「ま、待ってください!」

 

 教室へ声が響いた。

 

 一瞬だった。

 

 ざわめきが止まる。

 

 誰もが驚いた顔をする。

 

 一番驚いていたのは。

 

 たぶんセレス自身だった。

 

 胸の前で握った手が震えている。

 

 足も少しだけ震えている。

 

 それでも、逃げなかった。

 

 若葉色の瞳が前を向く。

 

 人を見る。

 

 一人。

 また一人。

 

 怖い。

 

 きっと怖い。

 

 それ以上に、言わなければと思った。

 

「プリンちゃんは……」

 

 喉が震える。

 

 それでも言葉は止まらない。

 

「魔法少女になったばかりなんです」

 

 静かな教室へ声が落ちる。

 

「だから……」

 

 一度だけ息を吸う。

 

「注目されることにも慣れてなくて……」

 

 ちらりと、隣を見る。

 

 白い髪の少女。

 少しだけ不安そうな顔。

 

 それを見て、セレスはもう一度前を向いた。

 

「私と同じで……」

 

 耳が赤くなる。

 

 少し恥ずかしい。

 

 けれど。

 

「人と話すのが得意じゃないんです」

 

 教室が静かだった。

 

 誰も茶化さない。

 誰も笑わない。

 

 みんな聞いている。

 

 だから、セレスは勇気を振り絞った。

 

「だから……」

 

 若葉色の瞳が真っ直ぐ前を向く。

 

「少しだけ」

 

 震える声。

 

 けれど、その中に確かな願いがあった。

 

「そっとしてあげてください」

 

 言い切る。

 沈黙が落ちる。

 

 数秒が、とても長く感じた。

 

「……あ」

 

 誰かが呟く。

 

「ごめん」

「そうだよな」

「嫌だったよね」

「ごめんね」

 

 一人。

 また一人。

 

 謝罪が聞こえ始める。

 

 悪気が無かったからこそ、ようやく気付いたのだろう。

 

 自分達が囲み過ぎていたことに。

 

 プリンは少しだけ目を瞬かせる。

 

 それから静かに首を振った。

 

「大丈夫です」

 

「嫌ではありませんでした」

 

 本心だった。

 

 怖かったけど、悪い人はいなかった。

 

「だから問題ありません」

 

 その言葉に教室の空気が少し柔らかくなる。

 

 誰かが笑う。

 誰かが安心した顔をする。

 

 そこでようやくチャイムが鳴った。

 

 午後の授業開始。

 

 先生が教室へ入ってくる。

 

 新しい日常が始まる。

 

 プリンは席へ向かう。

 

 途中で、ふと隣を見る。

 

 セレスは顔を真っ赤にしていた。

 

 どうやら、今になって緊張が戻ってきたらしい。

 

 そんな姿を見て、プリンは少しだけ思った。

 

 この人は不思議だ。

 

 誰よりも怖がりなのに。

 

 誰かのためならちゃんと前へ出られる。

 

 だから、きっと良い魔法少女なのだろう。

 

 そんなことを思いながら。

 

 午後の授業が始まった。

 

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 

 午後の授業が始まる。

 

 教師が黒板へ文字を書く。

 チョークが擦れる音。

 ページを捲る音。

 誰かがペンを走らせる音。

 

 窓の外では雲がゆっくり流れていて、教室の中には眠気を誘うような穏やかな空気が満ちていた。

 

 だからだろうか、頭の中だけが落ち着かなかった。

 

「……」

 

 窓の外を見る。

 

 青い空。

 白い雲。

 鳥が一羽。

 

 平和だなと思う。

 

 次の瞬間には、昼休みの屋上が浮かんでいた。

 

 白い髪。

 膝の上。

 目を閉じていた少女。

 

 黒板を見る。

 文字が並んでいる。

 

 何も入ってこない。

 

 教師が何か説明している。

 

 たぶん大事な内容だが、右から左へ流れていく。

 

 もう一度窓を見る。

 

 また同じことを考えている。

 

 我ながら重症だった。

 

 知らない環境。

 知らない教室。

 知らない人間。

 

 昼休みには落ち着いていた。

 

 セレスもいた。

 

 きっと大丈夫だ。

 

 理屈ではそう思う。

 

 思うのだが、理屈と気になる気持ちは別の生き物らしい。

 

 気付けばシャーペンは止まり、ノートも真っ白なままだった。

 

「……駄目だな」

 

 小さく呟く。

 

 集中できないのではない。

 

 最初から集中する気が失踪していた。

 

 あなたは静かに手を挙げる。

 

「先生」

 

「どうしたノクス」

 

 教師が振り返る。

 

 少しだけ罪悪感が湧いた。

 

 本当に少しだけ。

 

「腹が痛い」

 

 嘘だった。

 

 しかも雑だった。

 

 もう少し何かあっただろうと思う。

 

 だが教師は顎へ手を当てる。

 

「保健室か?」

 

「たぶん」

 

 たぶんじゃない。

 

 間違いなく行かない。

 

 けれど教師は頷いた。

 

「無理するなよ」

 

「はい」

 

 あなたは立ち上がる。

 

 保健室へ行く人間とは思えないほど元気な足取りで、教室を出た。

 

 廊下は静かだった。

 

 授業中の校舎は別世界みたいだと思う。

 

 昼休みまであれだけ騒がしかったのに、今は陽射しだけが長く床へ落ちている。

 

 足音が響く。

 

 一人分だけ、それが妙に大きく聞こえた。

 

 さて、どうするか。

 

 いや、考えるまでもなかった。

 

 足は既に別の方向へ向かっている。

 

 保健室ではない。

 

 

 

*

 

 

 

 まず最初に向かったのはルミナの教室だった。

 

 窓から中を覗く。

 

 すぐに見付かった。

 

 青い髪。

 窓際。

 真っ直ぐな背筋。

 綺麗なノート。

 

 姿勢も視線も一切ぶれていない。

 

 完璧だった。

 

 普通に優等生である。

 

 お嬢様学校へ籍だけ置いている人間とは思えない。

 

 むしろ教師側に立っていても違和感が無い。

 

 その時、ルミナが顔を上げた。

 

 視線が合う。

 

「……」

 

「……」

 

 一秒。

 二秒。

 三秒。

 

 何も言わない。

 何も言わないのに。

 

 何してるの?という意味だけは恐ろしいほど伝わってくる。

 

 あなたは静かに視線を逸らした。

 

 撤退だった。

 

 あれ以上留まると説教が始まる。

 

 確信があった。

 

 

 

*

     

 

 

 次はステラ。

 

 教室を覗く。

 

「……」

 

 寝ていた。

 

 見事なくらい。

 

 堂々と。

 窓際で。

 腕を枕にして。

 

 教師の説明などどこ吹く風である。

 

 むしろ幸せそうだった。

 

 教師は気付いていない。

 

 いや、気付いていて諦めているのかもしれない。

 

 どちらにせよ。

 

 後で怒られる。

 

 あなたは心の中で手を合わせた。

 

 安らかに。

 

 

 

 *

 

         

 

 そして、最後。

 

 たぶん最初からここへ来るつもりだった。

 

 認めたくないだけで。

 

 足は自然と一年生の教室へ向かう。

 

 静かな廊下。

 陽射し。

 窓。

 

 その向こう側、教室の中を覗く。

 

 国語だった。

 

 教科書が開かれている。

 教師が朗読している。

 静かな授業。

 

 その中で、白が見えた。

 

 雪みたいな髪だった。

 

 窓から差し込む午後の日差しを受けて、一本一本が淡く光っている。

 

 プリンだった。

 

 そして、隣には若葉色があった。

 

 セレス。

 

 淡いミントグリーンの髪が春の新芽みたいに揺れている。

 

 二人の机は少しだけ近い。

 

 本当に少しだけ。

 

 けれど、その距離が妙に自然だった。

 

 セレスが教科書へ指を置く。

 小さな声で何かを囁く。

 プリンが頷く。

 また指を動かす。

 また頷く。

 

 ただそれだけ。

 

 大した会話は無い。

 

 楽しそうに盛り上がるわけでもない。

 

 けれど、どこか居心地が良さそうだった。

 

 無理をしていない。

 

 頑張って話題を探しているわけでもない。

 

 ただ隣にいる。

 

 森の奥で偶然見付けた二匹の小動物みたいだった。

 

 警戒心が強くて。

 人混みは苦手で。

 それでも気付けば同じ木陰にいる。

 

 そんな空気だった。

 

 不意に、プリンが少しだけ目を細める。

 

 知らない人間なら見逃す程度に。

 

 けれど、あなたは知っている。

 

 あれは機嫌が良い時の顔だ。

 

 その変化へ気付いたのか。

 

 セレスの肩からも少しだけ力が抜ける。

 

 若葉が風へ揺れるみたいな小さな変化だった。

 

 たぶん、嬉しかったのだろう。

 

 自分へ向けられた笑顔が。

 

「……」

 

 あなたは窓から離れる。

 

 十分だった。

 

 教室の中では教師の声が続いている。

 

 白い髪。

 若葉色の髪。

 

 並んだ姿は妙に絵になっていた。

 

 雪と春。

 

 そんな言葉がふと頭を過る。

 

 もう大丈夫だろう。

 

 根拠なんて無い。

 

 踵を返す。

 

 保健室へ行くという嘘は既に破綻していたし、そろそろ戻らないと本当に怒られる。

 

 もっとも。

 

 教室へ戻った後で、ルミナに廊下をうろついていた件を追及されることになるのだが。

 

 その時のあなたは、まだ知らなかった。

 

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 

 放課後のチャイムが鳴る。

 

 その瞬間、教室の空気が一斉にほどけた。

 

 水面へ落ちた石みたいに静寂が崩れ、椅子の音や笑い声が連鎖して広がっていく。

 

 ようやく終わったらしい。

 

 長かった。

 

 主に精神的な意味で。

 

「ノクスさん!」

 

 終わったと思った瞬間だった。

 

「今日どうでした!?」

 

「明日も一緒にお昼食べませんか!?」

 

「部活入る予定あります!?」

 

 囲まれる。

 

 見事なまでに。

 

 朝も見た光景だった。

 昼も見た。

 

 そして放課後も見ている。

 

 慣れたくないのに少し慣れてきている自分が嫌だった。

 

「考えておく」

 

「また今度な」

 

 適当に返しながら鞄を持つ。

 

 視線を流す。

 出口を見る。

 距離を測る。

 

 そして、隙が生まれた瞬間に抜けた。

 

 戦場離脱だった。

 

 非常に鮮やかだったと思う。

 

 明日はもっと包囲網が強化されるのだろうが、それは明日の自分に任せることにした。

 

 校舎を出る。

 

 夕陽が世界を柔らかく染めていた。

 

 校庭は橙色。

 

 窓ガラスは赤く光り、長く伸びた影だけが一日の終わりを教えている。

 

 待ち合わせ場所へ向かう。

 

 校門の前、すぐに見慣れた二人を見付けた。

 

「遅い」

 

 ルミナだった。

 

 腕を組んでいる。

 

 夕陽を背負った青髪はどこか絵画みたいで、本人が黙っていれば本当に絵になる。

 

 黙っていれば。

 

「質問攻めに遭ってた」

 

「人気者ですね」

 

「なりたくてなったわけじゃない」

 

 ため息交じりに返す。

 

 すると隣から笑い声が聞こえた。

 

 ステラだった。

 

「でも結構楽しそうだったよ?」

 

「気のせいだ」

 

「そうかなぁ」

 

 絶対気のせいではないと言いたげな顔をしている。

 

 腹立たしい。

 

 そのまま視線を向ける。

 

「というかお前」

 

「うん?」

 

「授業中寝てただろ」

 

 一瞬。

 

 ステラの笑顔が固まった。

 

「え」

 

「窓際」

 

「え」

 

「腕枕」

 

「え」

 

「熟睡」

 

 言う度に顔色が変わる。

 

 面白い。

 

「見てたの?」

 

「見た」

 

「何で!?」

 

「散歩」

 

「授業中に!?」

 

 その声に今度はルミナが反応した。

 

 ゆっくりと。

 本当にゆっくりと。

 こちらを見る。

 

 嫌な予感がした。

 

「へぇ」

 

 終わった。

 

「散歩してたんだ」

 

「違う」

 

「授業抜け出して?」

 

「違う」

 

「人の教室覗いて?」

 

「違う」

 

「私達の様子見てたんだ」

 

 違わなかった。

 

 言葉が詰まる。

 

 ステラが吹き出した。

 

「なにそれー!」

 

 肩を震わせている。

 

「心配だったの?」

 

「違う」

 

「過保護だなぁ」

 

「違う」

 

 全部違う。

 

 たぶん。

 

 その時だった。

 

「ノクス」

 

 聞き慣れた声が届く。

 

 振り返る。

 

 夕暮れの光の中に白があった。

 

 雪みたいな髪。

 夕陽を受けて淡く桃色に染まった睫毛。

 透き通る氷色の瞳。

 

 プリンだった。

 

 そして、その隣には若葉色があった。

 

 春の新芽を思わせるミントグリーンの髪。

 少しだけおどおどした雰囲気。

 小動物みたいな少女。

 

 セレスだった。

 

「お」

 

 ステラが目を丸くする。

 

「セレスちゃんだ」

 

 ルミナも少し驚いた顔をした。

 

 そして、あなたは気付く。

 

 二人の手だった。

 

 繋がっている。

 

 当たり前みたいに。

 

 白い指と。

 若葉色の指が。

 

 離れることを忘れたみたいに重なっている。

 

「……」

 

 目を瞬く。

 

 一度。

 二度。

 

 見間違いではない。

 

 プリンが近付いてくる。

 

 何か言いたそうだった。

 

 口を開いて。

 閉じて。

 また開いて。

 

 珍しく言葉を探している。

 

 その横でセレスが少し落ち着かなさそうにしていた。

 

 けれど、繋いだ手だけは離れない。

 

「ノクス」

 

「ん?」

 

 プリンがこちらを見る。

 

 そして、ほんの少しだけ笑った。

 

 雪解けの瞬間みたいな小さな変化だった。

 

「友達ができました」

 

 風が吹く。

 

 若葉色の髪が揺れる。

 白い髪が揺れる。

 

 繋がれた手はそのままだ。

 

「……」

 

 言葉が出なかった。

 

「一日目で、できちゃいました」

 

 続く声は小さい。

 

 けれど隠しきれていない。

 

 胸の奥で抱えていた宝物を見せる子供みたいだった。

 

「セレスさんと」

 

 ちらりと。

 

 プリンが隣を見る。

 

 セレスも見る。

 

 二人とも少し照れている。

 

「一緒に帰りたいです」

 

 その瞬間だった。

 

 胸の奥で何かが決壊した。

 

「あ」

 

 視界が滲む。

 

 早かった。

 

 本当に早かった。

 

 昨日まで学校を不安がっていた少女が。

 人の多さに怯えていた少女が。

 昼休みには袖を握って離さなかった少女が。

 

 たった一日で、自分から友達を作った。

 

 しかも嬉しそうだ。

 

 それが駄目だった。

 

「ノクス?」

 

 プリンが首を傾げる。

 

「何で泣いてるんですか」

 

「いや……」

 

 声が少し震える。

 

 格好悪い。

 

「良かったなって……」

 

 駄目だった。

 涙が落ちる。

 本当に落ちる。

 

 ルミナが額へ手を当てた。

 

 ステラは完全に笑っている。

 

「駄目だ」

 

 肩を震わせながら言う。

 

「本当に泣いてる」

 

「やばい」

 

「感動してる」

 

 失礼だった。

 

 だが反論できない。

 

「あなた」

 

 ルミナが呆れたように言う。

 

「娘が初めて友達を連れてきた母親みたい」

 

 静寂。

 

 一秒。

 二秒。

 

 ステラが吹き出した。

 セレスが慌てる。

 プリンがきょとんとする。

 

 そして、あなただけが反論した。

 

「違うだろ」

 

「どこが?」

 

 即答だった。

 

 答えられない。

 

 客観的に見ると完全にそうだったからだ。

 

 夕陽が沈んでいく。

 校門の前。

 

 雪みたいな少女と。

 若葉みたいな少女。

 

 呆れる青髪と。

 笑い続ける金髪。

 

 騒がしい声が空へ溶けていく。

 

 学校生活初日。

 

 思っていたより面倒で。

 思っていたより疲れて。

 思っていたより騒がしくて。

 

 そして。

 

 思っていたより、ずっと悪くない一日だった。




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  • ルミナ
  • ステラ
  • プリン
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