Side:張喚
城外には三万の敵が押し寄せてきていた。
場内に残っている兵は七千。本来なら一万はいたはずなのだが、張邈のうつけが三千の兵と共に裏切った。
張邈については曹進様から不穏な動きがあるので気を付けるように警告されていたので、被害もほとんど出てはいない。
本来なら内側のことは、軽々しく口にはできない。
動かぬ証拠が無い限り決して口に出すものではない。
内側のことはそれほど微妙なことなのだ。
人間には、疑心暗鬼というものがある。
調べられていると相手に知られるだけで、その者の疑心暗鬼を目覚めさせることになる。
その危険をおかしてまで言ってこられた。それほど曹進様には余裕が無かったのだろう。
思い起こせばあの方とも随分長い付き合いになったものだ。
特別な家庭の環境に苦しみながらも、母親のためひたすら努力を続けた。
妹の曹操様はまさに天才だった。
頭では決して妹には勝てないと悟った彼に残った唯一の道が軍人だった。
軍人として確固たる地位を築かなければ居場所を無くすと。
剣、槍、棒、無手と数多の技を磨き、その見込みの速さには驚かされた。
しかし同時に一つの分野で最強を目指せる才能が無いことも本人が一番理解していた。
しかし個人の武、指揮、状況把握など総合的な面でみれば素晴らしいものだった。
初陣は街の近くに出没していた盗賊の退治だった。
私は武術の指南役だったので付いていった。
初陣とは思えぬ見事な活躍だった。
曹嵩様をはじめ、周りのものも彼の実力を認め始めていた。
その晩、私は彼を初めて誉めた。
彼は厳しく接して欲しいと願い、私も自身の性格でもあるのだが厳しく扱った。
立派な男として、男と男の付き合いだった。
その一切の優しさも妥協もなかった。
私に褒められた時、彼は涙を流した。
今までどれ程周りから心ない言葉を浴びせられようと、身体を打たれようと決して涙を流さず、心で泣き続けた青年が初めて涙を流したのだ。
『私は張喚殿に褒めてもらいたかった、認めて貰いたかった。張喚殿は私にとって父のような存在です』
彼のその言葉を聞いた瞬間、私の胸に熱いものが込み上げてきた。
私は彼を抱きしめた。
『貴方は私の誇りです。この張喚、貴方の指導を務められたことは一生の自慢になるでしょう』
私の胸で彼は泣き続けた。
それから数年たち、気がつけば私も五十をいつか超えていた。
身体の衰えを嫌でも感じさせられた。
昔のように駆け抜けることができなくなっていた。
そんな時、曹進様に相談された。
そろそろ前線から身を引き、新兵の調練に専念してみてはと。
確かに戦場とは違い、新兵の調練では激しく動き回ることもない。
経験豊富なものが務めるべきことだろう。
理屈では分かるが、私にはもう必要ないと言われたという気がした。
私が了承し、部屋を出ていこうとすると呼びとめられた。
彼は私に語りかけた。
『前線で戦えなくなったからといって、軍人でなくなる訳ではないはずです。未来ある若者を育てるのも立派なことです。
そして誰であろうとも休息なくして戦えはしない。
帰って安心して休める場所が必要だ。
……張喚殿、私は貴方にその場所を守っていただきたいのです』
その顔は私が見た最初で最後の泣き顔に思い出させた。
私は初めて彼の辛さを感じた。
母親が死んでから彼は変わった。
彼の母親は心優しく、清らかな人だった。
人を騙すな、嘘はつくな。真直ぐ生きなさい。それが彼女の教えだった。
彼は母親の教え通りに生きていた。
しかし母親が死んでからは変わった。
自分の無力さを痛感し、変わった。
彼が裏で何をやっているのかは正直私にはわからない。
しかし武はわかる。
まじめ一辺倒だったのが、相手の虚を突く型に変わっていた。
良く言えば柔軟になった。悪く言えばこずるくなった。
そんなことを続け、彼の心はぼろぼろになっていったのだろう。
彼は母親に似て、争いごとを好まない優しい性格だった。
自分を偽り、最愛の母の教えに反した行動をとり続けた結果だ。
私に彼の心を癒すことはできない。所詮、戦しか知らん不器用な軍人でしかないのだ。
そんな私に唯一出来ることをするしかない。
私は新兵の調練に専念した。
そして戦となれば彼が帰ってくるこの場所を守り抜くこと。
城壁の上から敵兵を睨みつける。
貴様等がどれ程の攻撃を仕掛けてこようと、この城は、曹進様の帰る場所は落とさせん。
この張喚の忠義、しかとその身に刻みつけよ。