世は全て事もなし   作:エンギウック

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第17話

「水がお好きならそちらをどうぞ。幾らでも飲んで下さい?」

 

「いいえ。コーヒーを頂きます」

 

「…何でよ?」

 

「この家の主はあなたでルールも都合もあなたのものなんでしょう?」

 

「別に好きなもの飲んだらいいですよ。そこまでどうこう言いませんよ。あなたはお客ですし?」

 

「私はこれで礼節を重んじたい方なんですよ」

 

「…人ンちの洗濯機勝手にあけて家主の洗濯物いじるのは礼節に障らないのか…?」

 

「不測の事態ですから」

 

「そうきたか」

 

「違いますか?」

 

「洗濯機をあけて中に洗濯物があるのは不測の事態でしょうね。でもそこにあった下着を勝手に洗い直して干すのは丁寧な変態の所業です」

 

「あなた理屈っぽいですねえ…」

 

「そういう問題⁉そういう話⁉違くない⁉」

 

「根に持たないで下さいよ。面倒な」

 

「…黙れ変態」

 

「…ほう?痴女が何か言ってますねぇ?」

 

「変態に痴女呼ばわりされる筋合いはありません」

 

「不測の事態の末ですからね」

 

「ほー。同じ不測の事態の末で私が痴女になるならあんたは変態、おあいこだな?そうなるな?」

 

「なりませんよ。私の行為は少なくともあなたの為になる部分がある。あなたの行為は今のところ全く私の為にはならない」

 

「…わかってますよ。だから私は"丁寧な"変態だと言いました」

 

「あなたはただの痴女ですがね」

 

「……」

 

「何です?」

 

「いや…早く出てってくんないかなと思って」

 

「夕べまた抱きついてきた人の言葉とは思えないですねえ」

 

「馬刺の代わりにしちゃってすいませんでしたね」

 

「…ふ。言いますねえ」

 

「言わないとでも思いました?はははーだ」

 

「お客の私を馬代わりにしてさっさと出て行けと言う?」

 

「客は人のうちの台所を壊しません」

 

「あなたが私を客だと言ってましたが?」

 

「…口が滑りましたね、明らかに」

 

「その慣用句はこの場合不適切ですよ」

 

「ニュアンスで話しちゃいけませんかね」

 

「構いませんよ。その場合私もニュアンスで話させて貰いますがね」

 

「あなたのしてることはニュアンスだらけですよ。話し方にまで持ち出されちゃ堪らない」

 

「…ほう?あなた、私の行為にニュアンスを見ている?面白いですね。それはどこらへんの話です?」

 

「さぁ?ニュアンスで理解して下さい」

 

溜め息を吐いて鬼鮫を押しのける。

押しのけると言っても私の力でこの巨体が動く筈もなく、肘に肘で触れて軽く押したところで、相手が動いたというのが正しい。

すっと動くのでもなく肘に僅かな負荷が掛かる辺り、それこそニュアンスを感じる。

 

あなたの思うまま動いている訳ではありませんよという圧。

 

自然と眉間に皺が寄る。

妙な意地の張り合いになってきている気がする。

これは本意ではない。

 

「兎に角、コーヒーを淹れます。お湯が煮え立って蒸発してしまう」

 

「手遅れかもしれませんねぇ…。何せ焚き火の火で沸かしてますから」

 

「沸かし直しますよ」

 

「では私は失礼して外套を干させて貰います」

 

「その丁寧さ、洗濯機に触る前に欲しかったですね」

 

「起こすなと言ったでしょう、あなた」

 

…律儀な…。やり辛い。

 

「場合によりますよ。…ですが、お心遣いは感謝します」

 

「お気遣いなく。よく眠れたようで何よりです」

 

…やっぱり布団で目覚めたのは、この男が運んだからか。私を。

 

「あの。もしかして、何かしら私を心配している?」

 

今ひとつわからない干柿の行動に、理屈を付けたくて聞く。

干柿鬼鮫は片方の眉を上げ、ちょっと黙って私を見た後、口角を上げた。

 

「ほう?何でそう思います?」

 

「いや。そちらこそ過干渉だと思いまして。思い上がりなら申し訳ありません」

 

「夕べも言いましたが、今日中にはあなたを巻き込んでしまった事に蹴りが付きます」

 

…確かに言ってたな。かなり胡乱な発言だ。

 

「…つまりどういうことです?」

 

着物の袷を手繰って整え、気持ち鬼鮫から距離をとって問えば、鬼鮫は肩を竦めた。

 

「知らない方がいいんじゃないですかね?あなた本当に知りたくて聞いてるんじゃないでしょう?考えていることが、そうでなければいいと思って聞いている。違いますか?」

 

「……」

 

確かにそうだ。

痛いところを突いて来る。

 

でも。

 

「…そんな風に思うことならやらなきゃいいんじゃないですかね?」

 

人に否定されるようなこと、人に避けられそうなことをしようとしている自覚があるのなら。

…まあ、そんな簡単なことじゃないんだろうけれど。

 

今度は両の眉を上げて、鬼鮫が私を見る。

 

「あなた私が怖くないんですか」

 

「そりゃ怖いですよ」

 

「即答しましたね」

 

怖くない要素を探す方が面倒なくらいには怖いと思うが。

 

でもこの男はコーヒーを淹れてくれた。セルフ卓袱台反しを止めてくれた。…黙って泣かせてくれたし、私を二度、布団に運んでくれた。よだかの星を読み、なめとこ山の熊を読んでいた。

もしかしたらこの人は、自分が死に体にした人たち絡みで、ここが危ないから一晩家にいてくれたのかも知れない。

過干渉の理由がそこにあるなら少し納得がいく。

だとすれば。

 

「怖いけど…いい人?」

 

いや、いい人とは言い切れない。そうだよな。いい人ではない。でも悪い人とも言い切れない。悪い人でもない。なら何だ?

ー何だって…。

人を簡単に二極化することなんか、出来ない。馬鹿なこと考えてるな。私。

 

「…私に聞いてどうするんです?」

 

鬼鮫が呆れ顔をする。

 

「他に聞ける人がいないからでしょうねえ…」

 

「…まあ、ここら辺は民家もありませんし、私が出ていけばあなたは馬刺くらいしか話し相手がいなくなるでしょうね」

 

…そんなとこなのか、ここは。

薄々人里離れてますムーブは感じていたが、思ったよりぽつんと一軒家物件になっちゃってるのか…。ライフラインは繋がってるようだけれど、一体どこなんだ、ここは。深山の中か?あまり有り難くない話だ。町までの距離によっては仕事は最低限、主に自給自足みたいな生活になりかねない。

先行きがどんどん不安になってきた。

 

 

 

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