「…さあ…?まあ、強いて言えばちょっとばかり痛い格好してますよね。あなたも私も」
女が肩を竦めて顔を顰めた。
「痛い?」
「中2の春の長患いと言うか…」
「ちゅうに?」
「思春期汁の過剰噴出と言うか…」
「思春期汁?」
「アドレナリンとドーパミンがダダ漏れっぱなしの自家オーバードーズというか…」
「…何を言ってるんです?」
「うちの地元の訛り、独特な言い回しです。お気になさらず」
投げ槍に言って女は溜め息を吐いた。
「真っ当に考えればあなたのバカでかい外套を私が羽織って歩いてたら、ただの変な女です。確かに素っ頓狂でした。反省しましょう。そうしましょう」
卓袱台の食器をカタカタと重ね、女は窓表を眩しげに見やった。
「この天気なら洗濯物もすぐ乾きます。…そうしたら町へ出る?」
訳のわからないことを言ったかと思えば裏をかくようなことを言い、不意に素直になる。
掴み辛い。
平々凡々な市井の人間とはこういうものなのか?
度し難い。
が。
「忘れたくて忘れているんでしょうが、私には片付けなければならない案件があります。どの道それが片付かないうちはあなたを連れて町に行ったりはしませんよ」
意地が悪い、というのだろう。こういう物言いは。
しかし事実だ。
遺恨を残してここを立つつもりはない。
「……」
女は眇めた目をそのままこっちへ向けてきた。
「そうですか」
それだけ。
何の感情ものらない声でそれだけ言って、女は食器を手に居間を出て行った。
台所の水道は折れ曲がった無残な格好ながら辛うじて、そして奇跡的に機能を保って廃材の横にある。
そこで食器を洗うつもりなのだろう。夕べと同じように。
何もわざわざ台所の残骸の中で食器洗いをしなくても、風呂場でも水は出るというのに律儀なことだ。
湯呑に残ったコーヒーを飲む。冷めて苦みが増しているが、不味くはない。冷やして飲んでも悪くなさそうな味だ。奢った豆を使っているのかと思いかけ、ふと笑う。
多分違う。
家を見ても家主を見ても、ある程度つましく暮らしているのは明らかだ。飲み切るのが早く、酸化させないから不味くないのではないか。
本当に常飲しているのだろう。
ー…家主。
あの女は、この家の家主は自分だと言った。
ここは借家だから、話は家主に聞けとも言った
ー恐らく家主は女自身だ。
台所を自分の台所だと言っている。
壊れた家の心配が、自分事でしかない。
あの女の焦りや懸念には家主が、他者が介在していない。
そもそもこの辺鄙な場所に借家などあろう筈もない。
大体この家は、数日前ここに来た時に"無かった"。
「……」
無かった家に妙な女が居る。
その女が、全く意味のない辿々しい救命処置を施しかけた死に体をー私が手にかけた死に体を跨いで私に抱きついてきた。
好きだと言った。
何でも力で解決するなと、そうしたくないと思うことならするなと、意味ありげなことを言った。
この女は何か妙だ。
妙だが、恐らくは"ただの女"だ。
ただ"何か"に巻き込まれているだけの在り来りな女。…在り来りにしては少し口が回りすぎるような気もするが、"普通"の範疇にいる人間だろう。
そうでないとすれば。
もし今動いている懸案に関わりのある人間であるとすれば。
私はあの女を、最悪手にかけることになる。
そうでなくとも一度アジトに回収し、今後あの女をどう扱うかを話し合うことになるだろう。
目の前の女はそういう懸念は全く持っていない。
ただ何かズレたところで独り藻掻いているように見える。
何を目的に、何を隠そうとしているのか。
何故私に個人的に干渉したのか。
「……」
ふと気付く。
水音が止んで久しい。食器を洗いあげてー戻って来るのか?
何処かへ行ったのか?だが何処へ?ひとりで町に向かったか。ついてくるようなことを言っていたが、あの女なら痺れを切らせてひとりで行きかねない気がした。
万が一逃げようとしたとしても、無駄だ。あの無防備な様子ならあの女を捕らえるのは容易い。
溜め息を吐いて立ち上がる。
思えば昨晩もこうだった。馬刺とかいう黒馬にしがみついたまま動かなかった女を、見るに堪えず上がり框で待ったあのとき。
嘘をついた。癇に障るだけではない。苛立つ。