世は全て事もなし   作:エンギウック

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第25話

穏やかに笑って、私をじっと見る。

諦めの滲んだ、赤い目が痛々しくも哀れみを誘う。ー本人に言おうものならまた訛り全開で捲し立てられるだろうから、間違っても口にはしないが。

 

「見ちゃったんですもんね?ヒントが無駄になりました」

 

髪から滴った水の垂れる目の下を慎重に擦りながら重ねて笑う様が、妙に静かでまた癇に障る。

 

名前を知られることを何故こうも嫌がるのか、わからない。名前を知られたくらいで、気持ちを乱しているその理由がわからない。

 

名のある一族でもなければ、どこかしらのビンゴブッカーでもない。

 

期待していた情報は得られなかった。

ただこの人を知っただけだ。

 

何故、頑なに名前を隠そうとしたのか。

 

「則子さん」

 

「…は…?…だ…ッ⁉ば…ッ、すす、す、菅原と呼べと言ったでしょうが⁉話聞いてました⁉何やってんの⁉何言ってんの⁉馬鹿なの?馬鹿なのか?」

 

…何故名前を呼んだだけでここまで言われなければならないのか。

 

「折角姓まで教えて頂いてなんですがね。呼びたいように呼ばせて貰いますよ」

 

「…なら何だってわざわざどう呼ばれたいかなんて聞いた?」

 

「聞きたかったからでしょうね」

 

「訳がわからない」

 

「同感です。訳がわからない」

 

麻布を持ち上げて、"則子"を見下ろす。

 

「家に戻りましょう。少しあなたと、まともに話をしたい」

 

則子はまじまじとこっちを見て、あからさまに顔を顰めた。

 

「まともな話とは?」

 

「…まともな話ですよ。先ずは台所の修繕の算段から話しましょうか」

 

「先ずは?」

 

かなり警戒している。何をそんなに"知られたくない"のか。

 

「そう。先ずは、です。あなたには色々聞きたいことがある。はぐらかされてばかりいたが、これでは埒が明かない」

 

「埒が明かない?ではどうすればあなたの埒は明きます?そうすれば私の負債は消えますか?あなたを納得させる為に私は何を言えばいい?」

 

「本当のことを言えばいい。それだけです」

 

「それをするかしないかは、私が決めることです。あなたが左右することではない。そもそも"本当のこと"とは何です?何についての本当が知りたいのですか?それを知ったところで何になります?ご覧の通り、私はあなたの利得に関わるような人間ではありません。あなたが欲しい"本当のこと"とは何です?私があなたに奇行を働いたこと?その理由?」

 

「…確かに私にはあなたに本当のことを話せという権利はないし、あなたには私の利得に関わるようなものは見当たらない」

 

ー多分。確定は出来ない。まだ。

 

兎に角、則子の奇行を盾にとったところで、それで則子が"本当のこと"を話す筈もない。則子がそうしたいと思わない限り、則子の"本当のこと"は手に入らないのだ。

 

人は話したくないことは話さない。そうすることが出来る。

 

だから、"非道な聞き方"が存在する。どうということでもない。ただ、相手を"話し易く"してやる、"話したくなる"ように差し向ける、そういう"聞き方"があるだけだ。

 

それを則子に行使することは出来るか。することが想像出来なかった。ただただ普通の、あまりに普通の人間である則子に、何かを聞き出す術を行使する、その状態を思い浮かべることが出来ない。

 

だが、いざとなれば、やらざるを得ない。

そして、やるのだ、私は。

そう生きて来たのだから。

 

「私にはなーんにもないですから」

 

則子が何の気なしに笑いながら言った。

 

「鬼の首とったみたいな顔で情けないこと言いますねえ」

 

どこまでも呑気な。

 

「鬼の首も鮫の首もとりゃしませんよ」

 

仕様もないことを言う。笑いながら。この私に。

 

「誰が鮫の首の話をしましたかねえ?」

 

「今私がしましたが何か?」

 

「憎ったらしいですねえ。可愛くない」

 

「ねえ」

 

「ねえってあなた…」

 

「可愛くなくて結構ですよ。私今、全くそれどころじゃないので、そんなんもうてんでどうでもいいです。レベルmaxの無双状態でスライムに会うくらいどうでもいい」

 

「…それは物凄くどうでもいいということを言いたいが為の蛇足的な"訛り"なんでしょうね、多分」

 

「素晴らしい。重ね重ね飲み込みが早くてらっしゃる。流石干柿さん」

 

「わかりました。あなたに"今"強制的に"本当のこと"を言わせることは出来ない」

 

「本当って、意外と難しいと思いますよ」

 

ふと真面目に言って、則子は取り留めない表情を浮かべた。

 

「負債分の償いは別のものにして下さい」

 

そう言って俯いて盆の窪に手をあてた、その指先が、首筋が薄っすら赤い。

 

「そうしましょう。…あなたも償う気があるのなら、少なくとも対話には応じて下さいよ」

 

本当のことを言わなくても、話していれば糸口は見える。その顔から、声から、仕草から。

 

 

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