世は全て事もなし   作:エンギウック

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第29話

一頻り叫んで、呆れ顔の鬼鮫を尻目に寝室へ行く。

 

「コピー機が大学ノート10冊⁉ば…ッ、この…ッ、運動会の参加賞か!差額を払えバカタレがーー!!!!!」

 

「エアーポッズが耳栓ンン⁉用途がわかんないなら解釈すんな、バカー!!!!」

 

憔悴して居間に戻り、物言いたげな顔をしている鬼鮫を見て、がっくり肩を落とす。

 

「G-SHOCKが懐中時計に、iPadは100均もかくやのホワイトボードになってました…」

 

酷すぎる…。採算が合わないのにも程がある。

 

「…いや、知りませんよ。何だか知りませんがご愁傷様です。悪い引っ越し業者にでも当たりましたかね?」

 

「それだ!引っ越し祝いってより、業者にやられた感…。クッソ、消費者生活センターに連絡してやる…ッ」

 

「…消費者…生活センター…?」

 

眉根を寄せる鬼鮫に答える気にもならない。

今は消費者の権利について語ってる場合じゃないし、そもそもこの目の前の大男が消費者の苦労や悲哀を理解するとは、まぁったく思えない。何の気なしに人のうちの台所を消費する者は生活センターに相談するよりされる案件側だ。何なら誰か警察を読んでくれ。いや警察じゃ無理か。自衛隊か特殊部隊…で、間に合う?間に合わない?

この人は実際どれだけ強いんだろ?鮫じゃなくゴジラか。ゴジラなのか?シンか?旧式か?モスラはどこだ?使徒とも生身で戦えちゃう?

 

待て待て今はそれどころじゃない。

 

まあSwitchも加湿器もコピー機もなきゃないで暮らしていける。色々痛恨だが生きてはいける。

 

それより。

 

ここの立地条件が本当に鬼鮫が語ったようなものなら、仕事どころじゃない状況じゃなくなる。そっちの方が大問題だ。

 

湯治場や茶屋みたいなのがあると言ってたな。

そこで雇って貰えないだろうか。とは言え、それが近くにあればいいけれど、遠かったら完全にアウトだ。

絶景の見渡せる山頂近くにございますなんて言われた日には通勤だけでアルピニストもかくやの登山家スキルに目覚めてしまう。

 

いや、いい。大丈夫だ。

仕事をしなくても、食べてはいける。山菜や沢の魚、いざとなれば大合唱してる鳥、いよいよとなれば馬刺…。いやいやいやいや。それは駄目だ。それは無理だ。もう情が移ってしまってる。足も失う。絶対出来ない。

 

ああ、でも働けないとしたら、現金が枯渇する。

電気も水道もガスも止まる。何なら電話も…。まあ電話はいらないか。この状況じゃ公共料金の督促専用電話にしかなりゃしない。なくていい。全然いい。常しえに鳴らんでいい。

 

色んなことがいっぺんに肩に伸し掛かってきた。

覚悟していたつもりなのに、突き付けられた途端重さが増した。

 

頭がふつふつ煮立つような気がした。ジリジリ焦げ付くようにこめかみが痛む。

 

ああ。こんなの。

 

…こんなのないだろ、コンチクショウ…。

 

「…う…」

 

食いしばった歯の間から声が漏れた。

 

「う?」

 

鬼鮫が眉を上げて訝しむ。

 

ああ、変な女でしょう?わかってる。

 

でも。

 

でも。

 

どうしよう。

 

どうしたらいい?

 

何をどこからどうしたら…目を閉じたら目眩がした。

 

頭を振って目を開けると今度はぼたぼたと涙が零れ、驚いてそれを拭ったら鬼鮫と視線が合う。

 

不思議そうに、探るように、じっとこっちを見ている。

 

駄目だ、負けない。崩れてたまるか。

 

睨みつけようと眉間に力を入れる。

 

「…ぅ」

 

また目眩がした。でも目を閉じない。また泣くのは駄目だ。

 

我慢したら、気が遠くなった。意識が身体を手放すのを感じる。風船がガスを失って急激に萎むように、スーッと何かが抜けていく。

自分を保つ何か。諦めちゃいけない何か。立っている為の何か。生きていく為の何か。

 

だめだめだめだめ

 

霞んで狭まる視界の中で、鬼鮫が何かに反応してこっちに手を伸ばした。

 

止めて止めろ触るな触らないで

 

視界が真っ暗になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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