世は全て事もなし   作:エンギウック

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第33話

…こういう連中が引きも切らない場所なのだ、ここは。

 

「待ち草臥れましたよ。ーこの一昼夜何をしていました?」

 

手拭いの下で口辺を吊り上げ歯を剥いて笑えば、見えもしないこの笑いにあからさまに怖じけるその様が本当に笑える。笑うしかない。

何をしに来たのか。何がしたいのか。

 

並び構える連中にざっと目を走らせ、有象無象の中のどれが統制をとっているのか目星をつけ、燐寸を赤く濡れた廃材にふいと投げ込んだ。投げ込むと同時に後ろへ飛び下がる。足の下で地面が抉れ、引き千切れた下生えと土塊が舞い上がり、視界が青白い炎で遮られた。その向こうに、慌てて低く構える敵方の気配。

 

馬鹿が。今構えてどうする?逃げなければ痛みに焼かれるというのに。

 

上がった口角からまた歯が剥き出る。刮目すべきは火ではない。まんまと目眩まされるか。愚かしい。

 

炎の勢いが熱風を生み、二重に巻いた手拭い越しに辛みが鼻腔を抉る。

 

「…ッ」

 

二の腕で手拭いの上から鼻を覆い、目を眇めて残りの猪口を廃材を舐める青白い炎の柱へ投げ付けた。

 

ドォン!

 

密度の高い爆音が鼓膜を、身体をビリビリと打つ。音というより、衝撃。炎の壁が青白い巨大な火の玉に化けた。強烈な熱波と気化した酒精の激臭、そして尋常ではない痛みの元が辺りの空気を薙ぎ払い、吹き荒れる。

 

「ギャーッ」

 

叫び声を尻目に半ば開いたままにしていた台所の戸のすき間から家に滑り込み、バンと閉め切る。

 

呻き声と臓腑でも吐き出しているのではないかと思わせる尋常でない咳き込みが聞こえて来る。

 

深く息を吸って噎せ込まぬよう、浅い息を心掛けながら手拭いを外し、玄関の土間に投げた。息を止めて風呂場に入り、服の上から勢いよく水を浴びる。

則子に知られれば風呂を危険物で汚染したと喚かれそうだが知ったことか。

肌がビリつき、目も鼻も、口内も痛む。

 

「…酷いものを作りましたね…」

 

髪から滴る水もそのままに風呂場の壁に手をついたらば、呟きが漏れた。

 

「この貸しは大きいですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

襖戸を僅かに開けて居間を覗き込むと則子は未だ寝入ったまま、最前と一向変わらぬ寝姿で一瞬生きているのか疑わしくなり、息を詰めて見つめていると僅かに胸元の上下する様が伺えて、吐息が出る。

 

「…全く…」

 

呟いて外套を羽織る。乾いていようがいまいが構わない。内衣は濯いで脱いで洗濯機に突っ込んだ。直肌に外套が障るが他に着るものもない。

 

窓から外を見る。

風は止まったまま。溜め息を吐いて籠に残った最後の手拭いを一枚でまた鼻と口を覆い、台所の戸を開ける。

 

廃材が燃えている。目が痛んだ。

手早く印を結んで水球を出し、毒の火の上に落として戸を閉めた。

 

直後、戸表からジュゥゥッと強烈な音がした。火と熱が水を弾いて爆ぜている。

水球に圧殺された青白い炎が膨れ上がった熱水蒸気に化け、引き戸の隙間から白煙となって室内にまで滑り込んできた。

 

突風に煽られて吹き込んだ刹那の隙間風、それに触れてさえ、手拭い越しに鼻の奥がカッと焼けるように痛んだ。

先程の乾いた刺すような痛みではなく、纏わりつく執拗な痛み。

 

外では曰く形状し難い絶叫と、狂ったように転げ回るような音が慌ただしく、聞き苦しいと眉を顰めたところで、急に静まり返った。

 

この水遁はただ消火の為に出しただけのもの。

なのに、則子の作った"護身具"と相まり、有象無象の動きを止めるに十分な"護身"になった。

 

ふっと笑ったら咳が出た。

 

喉が刺すように痛む。

 

「…ねた枠の辛味は禁薬ですね。まだ持っているようなら没収しなければ」

 

何なら暁に持ち帰り、こういう小道具を喜びそうなデイダラに渡してやってもいい。余計な説明をする気などないから効用の程は己で確かめて貰う事になるが、そこから先は知ったことではない。

 

落ち着いたら首領を縛りあげ、残りは裏手に転がる死に体共々水球で包んで山頂に投げ捨てる。周りを濯いだ辛味の毒水を水球にしてやればそれこそ一石二鳥だ。

 

「一石二鳥がふたつ…。まあ苦労させられた埋め合わせにもなりませんが」

 

喉を鳴らして咳払いし、濡れた髪を掻き上げる。

 

あのやかましい爆弾狂が土産で自爆する様が見られれば溜飲も下がるだろう。痛みに固執する狂信者に与えるのも一興かも知れない。

 

則子はまだ辛味を持っているだろうか。

取り上げるのに苦労しそうだがこれも貸し借り、この要らない苦労への帳尻合わせと考えれば是も否もない。

 

風呂場でまた頭から水を被り、口を濯いだ。石鹸を使って手の血脂を丹念に洗い流す。生き物の生血は胡乱だ。何を含んでいるか解らない。雑菌、病原菌、毒。何より単純に不快。好ましいものではない。

 

居間横の小部屋に行き、冷めたコーヒーを乳白色の小振りの湯呑に注ぐ。陶土を長方形に薄く伸ばしてくるりと巻き、底を付けたようなシンプルな湯呑だ。シンプルだが初めて見る形で気に入った。

 

それを、自分にコーヒーを飲ませる為に、誰かが支度してくれている。

 

妙な気がした。

 

文字通り血で手を汚した自分が、誰かが自分と飲む為に淹れたものを飲む。

 

何かしら解せないような不可思議な心持ちになる。

 

口に含んだ温いコーヒーが苦く、それが美味くてふと口角が上がった。

 

成る程。癖になる。

 

コーヒーを一気に煽りつけて、湯呑を茶箪笥にトンと戻す。

 

後始末をしなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 




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