「あなた、私に干渉しましたね?」
窓枠から手を離し、鬼鮫が窓を乗り越えて中に入って来た。
目を見張って後退りすると、鬼鮫は口角を上げて目を眇めた。
「失礼。名無しさん。待っても招き入れる気配がないのでお邪魔させて頂きますよ。話し辛いのでね」
「そりゃすいませんでしたね…。あー、お茶でも如何ですかとか言った方がよさそうですね?お茶要りますか?」
「要りません。お気遣いなく」
「そうですか。では失礼して私だけコーヒーを淹れさせて頂きます。煙草を吸っても?」
「あなたの家らしいのでお好きにどうぞ。…不摂生な人ですねえ」
テーブルの上の灰皿と、ビールの空き缶を見て鬼鮫が眉を顰める。
「私の摂生についてあなたが気を揉むことはありません。お気遣いなく」
ドリッパーに無造作にコーヒー粉を放り込み、はたと手を止める。
恐る恐る見やれば、ウォーターサーバーのあったところには保温機能しかないんです、私と自己主張するレトロなポットと茶箪笥があるのみ。
がっくりと肩が落ちた。
落ち込みが全く隠せない。
このポットのお湯がなくなったら、台所のない今、私はどうお湯を沸かしてカフェインを摂取すればいいのか。
いよいよ薪を拾ってきてアウトドア生活しなければならないじゃないか。家にいるのに!アウトドア!アウトドア、嫌いじゃないけど!在宅アウトドアって何ィ⁉
「…何をそんなにがっかりしてるんです、急に?」
鬼鮫が訝しんで聞いてきたが、もう知ったこっちゃない。
「…台所を直して下さい」
腹の底から声が出た。
「は?」
聞き返す鬼鮫を睨みつけ、空のマグをたんとテーブルに置く。
「壊したものを直してくれと言っている。…ホントふざけるなよ?飯も作れない、コーヒーも飲めない、話にならないんだよ、流石に!」
「風呂には入れましたよね?」
「風呂で腹が膨れるか!つか、あなた、風呂風呂失礼だろう?異性が入浴してても気付かないフリするのが礼儀ってもんだ!デリカシーがない!デリカ死だ!」
「いきなり人を呼び捨てて抱きつくのはデリカシーに値する行為ですかね?」
「それは悪かった!夢の恥は書き捨てだと思って甘えました!ごめんなさい!」
「夢の恥はかき捨て?…あなた本当に夢をみてる気でいるんですか。随分呑気ですねえ」
この私を前にして。
そういう無言の圧を感じた。
「……」
黙って目の前の男を見る。
この男は暴力を糧に生きている人間だ。そういうことになっている。みっとも悪く気を失ったらしいときに目の前で起きたことが、それを裏付けている。
私はこの男の末路を知っている。これが夢であろうとなかろうと。
今どういう時系列にあるのか。実は公式をあまりよく知らない私には、測り辛い。でもいずれこの男は孤独を囲ったまま、僅かな希望と矜持を抱いて自死する。
潔く美しい死に様という人もある。
けれど。
「…あんまり何でも力任せに解決しようとしない方がいいですよ」
私はこの男の死に様をいいものとは思わない。
「世の中暴力が全てじゃありませんから」
嘘や裏切りがあっても、それしかないわけではないのと同じように。
鬼鮫の視線の圧が強まる。
まあこの人にしてみれば、訳のわからない変な女がいきなり説教し始めたようにしか思えないだろう。
実際それ以外の何ものでもないし。
「睨んでも駄目ですよ?私が変だろうがあなたが強かろうが、真実はひとつ」
コーヒーを啜りながら情けない思いで言えば、干柿鬼鮫は私の大事な湯呑みを力強くゴンと卓袱台に置いてーひび割れでもしてたらどうしてくれるー笑った。
「面白い言い回しをしますねえ?ではその真実とは何なんです?私とあなたを並べて語る真実なんて、ある筈もないように思えますが?」
「……」
まあそりゃそうも言いたくなるだろう。
些少なことは見ないようにして傍若無人に生きて来たんだろうし、その勢いがなけりゃこの男は今ここでこうして生きていない。
だがしかしだ。
「アンタうちの台所を全壊させたろ」
「…はぁ…」
「アンタが壊したのは間違いなくうちの、私の台所だ」
「…そうなんでしょうねえ…。で?それが何です?」
「実際壊したよな?」
「実際壊しましたね」
「真実だよな」
「真実というのは、こういう場合に使う言葉じゃないんじゃないでしょうかねえ…。下らない」