沢伝いに則子の家へ戻る。
背中の鮫肌が物欲しげに身震いしている。半端仕事が不満なのだろうが仕方ない。後で手入れしてやらなければ。
沢を離れ則子の家に近付くにつれ、不自然に草の青臭さが鼻についてきた。下生えを踏みしだいたのか、いや、それにしては匂いが強い。茎葉を折った草本の青汁の匂いだ。
眉根が寄る。
則子が起きて外に出たか?
ーそれとも則子以外の何者かが?
大股に歩いて辿り着いた則子の家の前で異様なものを見た。
切り払われて散らばった葛の山と、裏手の小屋程の大きさの様々な植生がきつく絡み合った卵型の不可思議な塊。花が咲き、茎葉が重なり合い、蔦が絡まって固く結び付いている。
「…は?」
思わず間抜けた声が出た。…何だこれは?
奇妙な草花の塊の周りで蜂が羽音を立て、蝶が飛び交っている。
嫌な予感がした。
近付いて用心しながら子細に見ると、胸元ほどの高さに一か所、穴が開いている。腰を屈めて中を覗き込んだ。
則子が眠っていた。
「……」
口が開いた。塞がらない。
頭の中に大量の疑問符が沸き上がる。どれから対処していいかわからない程大量の疑問符だ。
則子は植生の壁に上半身を預け、右手を腹の上にのせてぐっすり寝入っていた。胸が、腹が規則正しく健やかに上下している。雑に結わえたままだった長い黒髪が弛んで、肩に、顔に、寄り掛かった緑の壁に散りかかっている。乱れ髪もいいところだ。一体何があった?
蜂や蝶を払って、穴に手を掛ける。
軽く引いてみれば密度が高く強度がある。異様だ。力任せに引き千切ると、草が花が撒き散った。
…居間で寝ていた筈なのに、何故こんなことになっている?
降り掛かった草や花を払ってやり、マジマジと則子の寝顔を見る。眉間に皺した苦しげな寝顔。悪い夢でもみているのか。どこか痛むのか。
腹の上の右手を掌に収めて握る。熱感はない。が、温かく乾いた感触が妙に生々しい。
眉を顰めて手を離し、改めて則子の寝顔を見た。
…何なんだこれは。
「…則子さん?」
寝入る則子の頬を軽く叩いてみる。舌打ちするんじゃないかと思うほど、則子の眉間の皺が深まった。目を覚ましそうだ。
「起きなさい」
ぱちんと強めに頬を叩き直すと、則子がパチリと目を開いた。
「……」
不穏な顔でじっとこっちを見上げて来る。目が据わっているのは寝起きだからだろうが、不機嫌が人型をとったのかと思うほど不穏。
「…怪我はない?」
ポツリと聞かれた意味を測りかねてー意味を拾いかねて目が見開いた。
それが我ながら癇に障って敢えて目を眇める。
「…ありませんよ」
家に残った血の跡を見たのか。そう思いながら答えると、則子はまた目を閉じてふっと笑った。眉間が開き、安堵したように見える。
「…だと思ったよ…」
また呟いて、黙り、寝息を立て始めた。明らかにおかしい。何故こんなにも眠る?
茫然とした。
状況が驚くほど把握出来ない。何もかも。この人に関すること何もかもだ。
立ち上がれば植生の壁が頭にぶつかる。無性に腹が立ち、力任せによくわからない植物の塊を根元から引き千切り、馬刺の方に放り投げた。
軽い地響きに馬刺がこちらを向き、思いがけない雑草の重量に内心驚いた。引き千切るのも放り投げるも差し足る苦ではないが、だからこそその重量が地響きを立てる程のものだったことに驚く。
名残りの蜂や蝶が不意を突かれて慌てて飛び交っている。
馬刺がのんびり植生の山に歩み寄り、鼻を鳴らしてそれを食み出した。
…何なんだこれは…。
呑気に眠る則子を見下ろす。
眉間の皺は薄れ、安楽に寝息を立てている。
脱力した。
両の腕を脇に垂らし、暫し佇む。
陽は中天を下り、辺りの気温が上がってきた。湿気を含んだ輻射熱がじんわり身体に纏い付いてくる。溜め息が出た。
仕方ない。ここに放置するわけにもいくまい。
内心でボヤきながら、屈んで則子を抱き上げた。5度目。最早腕が則子の感触に馴染み始めてきてしまっている。その軽さや背中の固さ、膝裏の柔らかさ、腕の付け根の窪み。おおよその身体の形。
そう思った途端息が詰まった。
腕を伸ばして身体が触れないよう則子を運ぶ。不自然な格好ではあるが軽さ故不都合はない。ただ何故わざわざ気を遣ってまでこんな真似をしなければならないのかとまた腹が立った。
怒りをぶつけたいところだが当の本人が寝ていてはそれも出来ない。目を覚ましたら何を言ってやろうかと思いかけて止める。お前を5度も抱き上げて運んでやったのだと口にすることに抵抗がある。恩着せがましく言うことではないし、何故かしらバツが悪くも感じた。
それでまた腹が立つ。