その後ろ姿を目で追って溜め息が出た。
まさか自分がこうも律儀な性格をしているとは思わなかった。
今の今まで市井の人間にうるさく補償を求められたことがなかったから気付かなかったが、確かに壊したものは直さなければならない。後腐れになるし、こちらから無関係の人間に干渉する形になりかねない。不要の遺恨を増やしてどうする。遺恨の売り買いはもう十二分に間に合っているし、後々絡まれてもー私に絡む市井の人間がいるかどうかは甚だ疑問だがー面倒でしかない。その都度始末するのも違う。後味が悪過ぎる。
普通がこんなに扱い辛い面倒なものだとは。
知りたくなかった…。
ここまで考えてまた馬鹿かと言いたくなった。
則子が胡乱な立場にないと決めつけている。これだけ奇妙な状況にあって尚、則子を害のないものと思い込もうとしている。
そうであれば始末に迷うような面倒がないから。我ながら手前勝手だがそれが正直なところだ。そう。面倒がな…
「うわッ!」
「……」
段々慣れてきた叫び声が聞こえてきた。
また何を…。コーヒーでも切れたか?
呆れながら声のした小部屋を覗き込んで動きが止まった。
則子が何かを抱きかかえるように蹲っている。
「どうしました」
「どうもしません!いちいち反応しなくてよろしい!あっちに行って下さい!」
屈み込んで伏せた則子がくぐもった声で言った。
額にぴきと青筋が走るのがわかった。
いちいち反応するな?それはあなたこそだろう。いちいち声を上げるんじゃない。
「本当にどうもしてない。だからあっちへ行って洗濯物でも干してて下さい」
「……」
どう見てもどうかしているのに何を言っているのか。どうしてこの人はこうなのだ。自分で自分を処理しようとし過ぎだ。出来もしないのに。
「…則子さん。さっさと昼ご飯にしましょう。食べながら話すと言いましたよね?何をしています?」
肩に手をかけたら振り払われた。
「何もしてない。昼ご飯にします。今作るからあっちに行って」
カプサイシンのときの、沢での則子を思い出した。だが今はカプサイシンはない。あれは私が使い切った…筈だ。
肩に手をかけるのは止めた。肩を鷲掴みにして身体を引き起こす。抵抗されたが、されたと理解出来る程度の些細な負荷。構わず更に引き起こせば、勢い余って則子が後ろ向きに倒れた。
右手に薄黄緑の蔦が絡まり、濃い紅紫の米粒が開いた様な花が点々と咲いている。
ー通草…。通草?
隠すように抱え込もうとした則子の右手を掴んで引き寄せる。そこで通草の蔦が手拭いの入っていた籠から伸びていることに気付いた。
何だこれは…。
「…則子さん。あなたこれ…」
右手から則子に目を移し、また右手を見、則子を見る。則子は何処を見ているかわかないような目を見開いてこっちを見ながら、首を振って笑った。いや、笑おうとして、中途半端な口の形で息を呑み、吐いて、すとんと表情を消した。
「聞かれてもわからないから答えられません。だから聞かないで下さい」
表で草の籠の中で寝入っていた則子がそう言う。
「私がいない間に何がありました?」
「それに答えて状況が整理されるとは思いません」
「…それは試してみなければわからない。言ってみなさい」
「言っても意味がない」
「何故そう決めつける」
「あなたは通りすがりだ。そしてこれは私の問題だ」
「…さあ、どうでしょうね。あなたの問題で片が付くものではないかも知れませんよ?」
「誰が私の問題に片を付けられる?知りもしないで知ったようなことを言うのは止めて下さい」
「あなたにはあなたの問題がある様に、私には私の事情がある。知らなければならないことがあるならばそれはあなたが何と言おうと私に聞き出さなければならないことです」
「私の問題があなたの問題ではないように、あなたの事情は私の事情ではない。答えたくないことには答えません」
「…答えたくなりたくなるような真似を私にさせたいんですか」
「何をされようが私があなたに答えられることには限りがある。そしてそれはあなたの期待に応えるものではないでしょうね。それだけは…それだけははっきりしています」
「それを決めるのはあなたではないんですよ」
「決めているんじゃない。私はあなたの期待に応えるものではない。それがはっきりしていると、私はそう思っている。それだけです。私は何も持たない。何もない」
「私が何を期待しているのか、あなたは知らないでしょう?」
「私があなたの利害に一致するものかどうか、今必要なものを持っているかどうかを知りたいのでしょう?違いますか?」
「その通りです。ですがあなたは私の利害と必要なものが何か、わかっていない」