弑すと言われて怯えさせた?違う。そんな簡単な女なら先刻のやりとりで私が腹を立てるようなことにならなかった。
何故また泣く?こんなに簡単に何度も泣くような女か、この人は。そんな殊勝な性格はしていないじゃないか。なのに何で泣く?
わからない。クソが。
力なく垂れた則子の右手を捩じ上げる。痛くない筈はないが則子は動揺しない。黙ってされるまま、こっちを見ている。ー痛みに疎いと言っていたが本気か。
「…私はあなたを好きに出来る。わかりますね?」
腰を屈めて顔を寄せて言えば、則子は嫌悪の表情を浮かべて目を眇めた。
「見損ないますよ。干柿さん」
ムッとする。喉が僅かに詰まる。
そのまま片腕で則子を抱き締めた。
細く頼りない。なのにちゃんと温かい。背骨が硬い。腰骨が触る。なのにしなやかで柔らかい抱え心地。
クソ。
「ぎゃッ」
ぎゃ、とは何だ。ぎゃ、とは。この馬鹿女め。
「離せ、この…馬鹿ッ!」
また馬鹿と言ったな。この女。
捩じ上げた右手から伸びた蔓が更に増えて体に巻きついてくる。息が詰まった。掌に掠め取っていた木の匙を、蔦の核心、則子の右手に、捩じ上げた右手の三指に押し付ける。
「何を…ッ」
則子が押し戻そうとするのにも構わず、木の匙ごと右手の三指を握り締めた。蔓で巻かれて則子と身体が密着してしまって動き辛い。胸元に則子の顔が押し付けられている。外套越しに則子の息遣いが感じられて生々しい。蔦に巻かれ、私に密着し、混乱しているのが伝わってくる。
「や…止めろって!!!!」
「黙りなさい!」
握り締めた手がどんと押し返された。
「…ッ」
木の匙が割れて木が枝が横ざまに伸び出た。木通の蔦が千切れ、辺りにわっと散る。木の匙を握ったままの則子の手が重量に引き摺られて、その下敷きになりそうになった。蔦で絡まり合った身体がその則子に引っ張られてバランスが崩れる。則子が咄嗟に私にしがみ付いた。
「手を離して!」
則子が反射的にしがみ付いていた私から手を離した。
「馬鹿者!そうじゃない!」
舌打ちして則子の右手を掴んで払った。木の元が則子から離れる。則子を抱き抱えて踏みとどまったその傍らにどすんと木が、落ちた。
「………」
「………」
落ちた木の先が壁を突き破っている。畳は陥没し、辺りに木通の蔦が散らばり、腕の中で則子が茫然としている。
「…何だこれ…」
則子の、普段さして大きくもない目が零れ落ちそうに見開かれている。思わず目の下に手を差し出したくなると思って、笑いがこみ上げかけたのを押し込めた。
「栗の木ですね。もう少し育てば実がなったものを」
白い花の房を垂らして独特の香りを放つ木を見下ろし、胸元の則子を見下ろす。
「あなたの匙は栗の木製だったようですね」
「…家が…また壊れた…」
そこか。全くどこまでもこの人は。
「壊れた家は直せばいい。今考えるべきはそこではないでしょう」
「昼ご飯どうします?」
「…そこでもありません」
「迂闊にものに触れなくなってしまいました」
ー成る程。確かに。
「手袋しなくちゃ…」
そう言って何の気なしに足を踏み出しかけた則子が蔦で縛り付けられた状況に改めて気付き、私を見上げた。
「…私に説明を求めても無駄ですよ。私にも訳がわかっていないんだから」
「そのようですね」
則子が溜め息を吐いて私から身体を離そうと蔓をガサつかせた。
「それと同じで私も薬師の話を知りません。私は本屋の店員で薬剤師じゃない」
「…則子さん。ひとつ提案があります」
「何ですか」
「あなた、私と来ませんか」
「行きません」
「…話を聞いてから答えなさい。短絡的に返事をするもんじゃない」
「いきなり来ませんかって言われて、はい行きますなんて答える人がいますか?」
「では取引をしましょう。あなたが素直についてくれば、私はあなたの初見での行為についてもうとやかく言いません」
「それはあなたに答えることでなしになった筈です」
「互いの同意もない、結果もないことが取引になるとでも?」
「…相応の思いはさせられたと思いますが、あの程度じゃ足りないんでしょうね。あなたの認識では」
「台所とこの部屋も直します」
「…あなたのDIYで家を魔改造されるのは真っ平です。私は忍者屋敷に住む気はありません」
「ちゃんと然るべき手順を踏んで然るべき職人に頼んで修繕しますよ。元の通りに」
「本気ですか。お金ないんじゃなかったんですか」
「…経費で落とします」
「経費?…経費かぁ…。現実味ないなぁ…」
「現実味がない?何故そう思います?」
「そんな気前のいい出納係がいるんですか?あなたの勤め先に?」
「…そこは話の持っていきようでしょうね」
「話を持っていける相手なんですかね?」