湯あみをすませて更衣したところで眉根が寄った。半乾きの外套が不快だ。
この程度のことで不愉快になる自分にうんざりするが、仕方ない。風呂に入った意味があるのかと思いながら廊下を歩く。
女湯の前で則子を待つこともが考えたがまた言い合いになるのが目に見えていたので止める。あまり構いつけると毛を逆立てて怒るので面倒だ。
浴衣くらい着たければ着せてやればよかったと、ふと思った。自分でさえ洗い清めて温まった身体に濡れたものを着直すのが不快なのだ。であれば則子なら尚更。
考えながら廊下の角を曲がったところで、どんと誰かとぶつかった。反射的に腕を広げて抱き留める恰好になって、眉根が寄る。廊下を走るんじゃない。粗忽な。
「あ…すいません…」
小さな声で謝られて、驚いた。
「…何をしてるんですか、あなた」
息を切らせて右手を押さえる則子が腕の中にいた。
「あ、干柿さん」
青い顔に冷や汗を浮かべて則子が不自然な笑みを浮かべた。
「すいません。ぶつかってしまった。大丈夫ですか?」
「あなたにぶつかられたくらいで大丈夫も何もあったもんじゃありませんよ。どうしました?」
「……」
則子は答えもせず考え込む様子を見せた。右手を庇うように押さえたその様子が気になる。
「どうしました?」
もう一度聞くと、顔を上げて一歩下がり、首を振ってまた不自然に笑った。
「ちょっと…逆上せてしまいました。湯中りしたかな」
語尾が微かな震えを帯びている。
「…そうですか。部屋に戻りましょう」
背中を教えて促すとふらつきながら黙って歩き出す。足取りが覚束ない。
互いに黙り込んだまま居室まで行く。則子の息遣いが荒い。居室の引き戸を開けてやると、則子はちょっと頭を下げて礼を示して中に入り、どさっと畳の上に倒れ込んだ。
「…また何か生やしたんですか?公共の場で植生の生成に干渉すべきではないと思いますよ?」
傍らに屈み込んで顔を覗き込んだが、目が合わない。一点を見詰めたまま強いて規則的に吸って吐いて、呼気を整えようとしている。冷や汗に濡れる額に触れた。抵抗はない。触れられるがまま、じっとしている。熱感はなく、むしろ額はひんやりと冷たい。
「今度は何をやらかしたんです」
溜め息混じりに立ち上がり、押入れを開けて布団を延べる。則子が体を起こし、這いずって布団に転がった。
「ごめんなさい。ちょっと横にならせて」
「もうなってるじゃないですか」
「…うん。本当に悪いんだけど少し休ませて。あなたも横になりたいならもう一つ布団を敷いて下さい。ちょっと今、私布団敷く気力ない」
「何で私まで横にならなきゃないんですか。元からあなたの為に敷いたんだから黙って寝てなさい」
呆れながら言うと、則子は目を閉じてふっと笑った。
「ごめん。ありがとう。あなた良い人だ」
「布団を敷いたくらいで良い人になるんじゃ世話ありませんね」
「うん」
何がうんなのかわからないが、馬鹿に素直なのがいっそ気味悪い。
「大丈夫なんですか?様子がおかしい」
「…うん。干柿さん。私は何処に行くんです?」
不意に聞かれて目が眇まる。
「私の組する組織に行きます。暁といって覚えは?」
冷や汗を浮かべた則子が額にのせた私の手を丁寧に退けて目を開いた。
「…暁…」
どっちつかずの顔つきで呟いて頷いて見せたが、どういう意味で頷いたのかがわからない。暁を知っているということか、そこへ行くということへの了承か。
「そこで私はどうなるんです?」
「…色々話して貰うことにはなると思いますよ」
霜の禁薬について、薬師との関りについて、その三指について。霜が張った術。これに関わって現れたのなら、それについても聞かせて貰う。
「今私に話してくれればそれだけ早く家に帰れる」
暁で則子をどう扱おうとするか次第ではあるが、少なくとも暁に着いてから尋問される時間は省ける。
その尋問に誰が携わるか、私があたることが出来ればいいが恐らく外される。今回の容易に済む筈の任務に躓いているこの様であれば、それが道理だ。
則子の顔を見る。また目を閉じて眉間に皴している。握り締められた右手。その三指。
誰がこの人の尋問にあたるだろう。誰でも大体どうなるかは目に見えている。口を割らせようとするとき、私がするであろうことを他の連中もやる。
そうなる前に話をしてくれ。
「干柿さん。残念ながら私は本当に、あなたが知りたいことに答えられない。言いたくないのでも言えないのでもなく、答えを持っていないからです。知らないことには答えられない」
則子が上体を起こして深い息を吐いた。
「わかることなら答えます。聞いて下さい?どうぞ」
ふらつく則子を支えかけて止める。それも違う気がした。