血を見たせいか、思い通りにならない女が流血する様にそそられたのか、わからない。ただ気が昂って心拍が上がってきた。
「…いいねえ…」
背中の鎌の柄に手がかかる。意識してそうした訳じゃない。手が勝手に動いて柄を握る。そう、俺が思うより先に俺の身体が俺の意思を汲み取って動いている。
「アンタ名前はァ?」
「……」
女が口元を押さえたまま後ずさった。
こっちも口を拭いながら距離を詰める。
「なあ。流石に名前くらい教えろよ?このまんま死なせたら捧げ甲斐もねえ。たまに思い出してやんねえでもねえからよ?言えよ、名前を」
更に距離を詰めて鎌を抜く。風切り音がしてちっとばかり乱れて垂れた前髪が岩石混じりの風に逆らってばらっと揺れた。
瞬きもせず見据えてくる目にますます気が昂る。
ああ~、やべェ。はは。もしコイツがヤマダだったら角都にぶっ殺されるかも知れねえなァ、俺ァ。
胸元の掛守りをまさぐって持ち上げ、口元に引き上げて息を吸う。
えらく気分がいい。
これから何をするかを思うと。
口元を押さえる女の指の隙間から落ちる血が匂う。この風の中にあってさえ、間違いなく匂うこのお愉しみの匂い。少しばかり喉に詰まる生臭く生温かく、突き放しと掻き抱きが一緒くたになった薄気味悪く最高に滾る匂い。
掛守りに口をつける。何度となく触れて来たこの感触。
はあぁあ。
やべェ。堪んねえ。
女が頭巾の下から目を見開いてこっちを見ている。
怯えているらしいのは勿論だが、不思議なものを見るような目をしている。何かを確認して変に納得したような目付きでもある。
何だ、コイツ。何でそんな目で俺を見んだ?
少しばかり興が削げた。
「逃げなくていいのかァ?」
声を掛けたら、また一歩後ろに下がって左右に目を走らせる。こんな荒れ地に逃げ場なんざある訳もねえが、まあこんなモンだよな。人間てのはとかく最期は足掻きたがる。それが最高なんだけどよ。
女がふっと何かに目を止めた。
何だ?
女の目線を追うと、岩の隙間にこびりつくみたいに生えた木だか草だか、兎に角何か緑のモンが風に引っ張られるように靡いている。
何か生えてんな…。
見たまんまそう思った瞬間、女がふっと身を屈めてその草めがけて足を踏み出した。
「おっと」
反射で振り抜いた鎌が女の頭巾を掠めて剥ぐ。女は鎌を搔い潜り、血塗れの口で右手の三つがけを咥えて素手を現し、飛び付くように草に触れた。
剥がれて靡く頭巾が鎌の刃を叩く。疼いて鎌を引き戻し、振り上げたところでどんと地面が跳ねた。
「…あん…?」
思わず飛び下がった足元へ見るだに異様なものが掴みかかり、掴み損ねて、また掴みかかって来る。
「は?え?」
葉っぱが付いた細い枝の、何本も這い伸びて俺の足元へ絡みつこうとしている。
「ぅうわ!何だこりゃ、きっしょ悪ッ‼」
地を這うようにざわざわと押し寄せてくる何だかよく分からない木だか何だかが、気味が悪い。
「おい!おめェ何だこれ!何しやがった⁉」
どう考えてもこの異況の大元だろう女は右手に細い枝や緑の葉っぱを絡みつかせ、左手でまだ口を押さえつけて、顔を顰めている。
「申し訳ないです。正当防衛させて頂きます」
くぐもった声が、笑えることに本当に申し訳なさそうに言ったのと同時に細い枝の先がぐんと鎌首を擡げて矯め、ずわと刺すように伸びて左の足首が捕られた。
「だ…ッ、おいコラクソッ垂れ!」
後退していた左足を捕られて右足が上がり、咄嗟に右手に持っていた鎌を地面に着いて倒れるのを回避した、それを待っていたように鎌もまた細い枝に囚われた。速い。
「あ、あ、あ、止めろゴラァッ‼‼」
足から鎌から枝が、葉っぱのついた枝が身体に這い上がって来る。ざわざわと身体が拘束されていく言いようのない不快感敗北感無力感。
いっそ一周回って興奮してきた。あああああぁ、悪くねえが、もう許さねえ。
身を仰け反って両の拳を握り、力を入れて顎を引く。
「…ン…のクソヤロウがあぁぁああッ‼‼‼」
が、囚われた両足と右半身に力が入らない。身体が固定されて踏ん張れない。
「地道に手で引き千切れば何れ動けます。ちょっとの間頑張って下さい」
がっくり肩を落として荒い息を吐きながら、女が左の手を口元から放した。
血塗れの口、欠けた前歯、あら、ヤバい、笑える。
「腹の立つこともあるでしょうが、これで貸し借りはなしということで」
自分の口元を指して女が顰め面をした。
「随分譲歩してますよ。後腐れなくお願いします}
そう言って、二三歩下がってちょっと頭を下げる。
「…少しくらい往生しても不死身だから大丈夫ですよね?いや、大丈夫であれ」
「く…くはは…ッ、覚えてろよ、てめェ」
左上半身を残して、全てが拘束された。容易に動けない。
岩雨が吹き付ける。風が強くなれば、吹き付けるこの欠片は多分もっとデカくなる。
おいおいおい。場合によっちゃミンチになりかねねんじゃねえの?