居住ブロックの共用ラウンジは、珍しく静かだった。
遠くで誰かが流している音楽。
コーヒーメーカーの駆動音。
それ以外には、ページを捲る音くらいしか聞こえない。
テーブル席の一角で、フレイア・ヴィオンは鏡を覗き込みながら難しい顔をしていた。
「むむむ……」
額のルン周辺。
そこへ薄くファンデーションを塗っては、首を傾げる。
「なんか変な感じするんよ……」
「たぶん、厚塗りし過ぎかな」
向かいから声が飛ぶ。
フレイアが顔を上げると、セスがに頬杖をついていた。
「教官〜、難しいんよ!」
「だから力入れ過ぎだよ。隠そうとすると逆に目立つんだって」
そう言いながら、セスはテーブルの上のコンパクトを手に取る。
「貸りて良い?」
フレイアは素直に差し出した。
セスは慣れた手付きでスポンジを軽く叩く。
その動きが妙に自然で、フレイアは目を丸くした。
「うわ、手慣れとる……」
「まぁね」
セスは苦笑する。
「長いから、付き合いが…」
その言葉に、フレイアは少しだけ表情を曇らせた。
セスの腕。
時折見える、薄く変色した皮膚。
日焼け――ではない。
彼が長袖を好む理由を、フレイアは何となく察していた。
だがセスはいつもの調子で続ける。
「ほら、こうやって境目ぼかすの」
鏡越しにフレイアの額を示す。
「全部隠そうとしない。色味を馴染ませる感じ」
「おお……」
「あとルン周辺は光反射しやすいから、最後に軽く粉乗せれば…」
「女子力高すぎるんよ……」
「褒め言葉として受け取っとく」
セスが笑う。
フレイアもつられて笑った。
だが次の瞬間、彼女はふと真顔になる。
「……教官」
「んー?」
「苦しくなかったん?」
セスの手が止まる。
フレイアは鏡ではなく、彼本人を見ていた。
「隠し続けるの」
ラウンジが静かになる。
遠くで誰かが笑う声だけが聞こえた。
セスは少しだけ目を細める。
「まぁ、慣れかなぁ」
軽い口調。
でもフレイアは納得しない。
「慣れても、苦しいもんは苦しいんよ」
「……」
「うちは、ルン好きやよ」
真っ直ぐな声だった。
セスは少し困ったように笑う。
「ありがとう。君は強いねぇ」
「そんな事ない!」
即答。
フレイアはむっと頬を膨らませる。
「うちだって怖い事あるもん!」
「うん」
「でも、教官みたいに一人で我慢し続ける方が怖いんよ!」
セスは一瞬だけ黙る。
その横顔を見て、フレイアは少しだけ後悔した。
踏み込み過ぎたかもしれない。
だがセスは怒らなかった。
むしろ、小さく笑った。
「敵わないなぁ、君には」
「ふぇ?」
「いや、なんでもない」
そう言って彼は再びスポンジを取る。
「ほら、仕上げ。顔上げて」
フレイアは素直に従った。
セスは丁寧な手付きでメイクを整えていく。
まるで壊れ物を扱うみたいに優しい手だった。
やがて鏡を向ける。
「どや?」
フレイアは目を輝かせた。
「おおー! 自然なんよ!」
「でしょ?」
セスは少し得意げに笑う。
その笑顔を見て、フレイアはふと思う。
この人は、きっとずっとこうやって、痛みを“目立たなく”して生きてきたのだと。
完全に消すんじゃない。
誰にも気付かれない程度に、上手く誤魔化して。
だからフレイアは、ぽつりと言った。
「……教官」
「ん?」
「たまには、隠さんでもええと思うよ」
セスの笑みが、ほんの少しだけ深まった。