格納庫は夜でも騒がしかった。
整備音。
工具の金属音。
誰かの笑い声。
その片隅でセスはYVF-22VGの主翼を眺めながらコーヒーを飲んでいた。
灰色の機体に悪目立ちする敬礼した鶏。
相変わらず趣味が悪い。
「……やっぱ変だろ、それ」
後ろから声がする。振り返らなくても分かる。
ハヤテ・インメルマンだった。
セスは笑う。
「何が?」
「ノーズアート」
「可愛いでしょ?」
「どこが」
ハヤテは呆れた顔で機体を見る。
「なんで鶏なんだよ」
「美味いから」
「最低の理由だな」
セスは肩をすくめる。ハヤテは少し黙った後、機体を見上げる。
「……でもさ」
「ん?」
「この機体、すげぇよな」
その声音は素直だった。セスは少しだけ目を細める。
「そうだね」
「普通あんな動きしねぇだろ」
「するよ」
「しねぇって」
ハヤテが即答する。
「ミラージュでも無理だし、メッサーでも嫌がる」
「そりゃ嫌がるよ」
「じゃあ何でやるんだよ」
セスはコーヒーを飲む。少し考えてから答えた。
「空がそうしろって言うからかな」
「は?」
「今そこ行けって感じる時があるんだ」
「意味分かんねぇ…」
ハヤテは本気で困惑していた。でもセスは笑うだけだ。諦めたハヤテは機体へ寄りかかる。
「……あんたさ」
「うん?」
「昔からそんな感じ?」
少しだけ静かな声だった。セスは視線を上げる。
格納庫天井。
今の自分は遠い昔を見ているみたいな目だろう。
「どうだったかな」
「覚えてねぇの?」
「忘れちゃった」
嘘だった。全部覚えている。
死んだ戦友の顔も。
怒鳴る上官も。
空へ上がる度に軽くなる感覚も。
でも、言わない。
ハヤテはそれを察したみたいに舌打ちした。
「そういうとこだよ」
「何が?」
「誰にも本音言わねぇの」
セスが少し笑う。
「言ってるじゃん」
「いーや、言ってねぇ」
即答で否定したハヤテは真っ直ぐセスを見る。
「優しいフリして、全部誤魔化してる」
その言葉にセスの笑みがほんの少し止まる。でも次の瞬間には戻っていた。
「厳しいねぇ」
「ミラージュ泣かせんなよ」
今度は完全に止まった。
数秒間、格納庫の音だけが響く。
セスは困ったように笑う。
「何の話?」
「とぼけんなよ」
ハヤテは眉を顰める。
「分かるんだよ」
「……」
「あいつ、あんたの事になると飛び方変わる」
セスの目が少し細くなる。それを無視してハヤテは続けた。
「前より楽しそうに飛ぶ」
「それは良い事じゃない?」
「でも不安そうでもある」
痛いところだった。セスは黙る。
ハヤテは少しイラついたように言う。
「あんたさ」
「うん?」
「消える気だろ」
空気が変わる。整備音が妙に遠く感じた。
セスはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑う。
「考え過ぎ」
「俺、そういうの嫌いなんだよ」
ハヤテの声は低かった。
「勝手に居なくなる奴」
その瞬間だけ、セスの表情が僅かに曇る。
昔を思い出したからだ。
失った人達を。
でも彼は笑顔の仮面で覆い隠す。
「若いねぇ」
「茶化すなよ、おっさん」
「ごめんごめん」
仮面を剥がせない事にハヤテは舌打ちする。
「……あんたさ」
「ん?」
「ミラージュの事、好きだろ」
直球だった。
セスが吹き出す。そして溜息を吐き出して平静を装った。
「ハァ…君ってほんと遠慮ないな」
「否定しねぇじゃん」
「大人は誤魔化す生き物なの」
「ズル」
「そうだね。ズルいよね」
セスは笑う。
でも、その目は少しだけ寂しそうだった。
ハヤテはそれを見て余計腹が立つ。
「あんたさぁ……」
「うん?」
「好きならちゃんとしろよ」
セスは答えない。
代わりにYVF-22VGを見上げる。
灰色の翼。
空へ還るための機体。
そして小さく呟く。
「…ちゃんと出来ないから、困ってるんだよ」
ハヤテは聞こえないフリをした。
彼の優しさに甘える自分がセスは嫌いだった。
◇
最初は、気に食わなかった。
――それが、メッサー・イーレフェルトにとってのセスへの第一印象だった。
飛び方は危険。
命令遵守も完璧とは言い難い。
しかも周囲から妙に馴染むのが早い。
隊を乱すタイプかもしれない。
そう判断していた。
だが、気づけばΔ小隊の日常は少しずつ変わっていた。
「……?」
メッサーは資料端末から顔を上げる。
格納庫内が静かすぎた。
正確には、“余計な騒音が減っている”。
整備班の怒鳴り声。
補給ミス。
申請遅延。
以前なら毎日のように発生していた細かな問題が、最近は妙に少ない。
アラドが改善したのかと思った。
だが違う。
原因は――セスだった。
「予備パーツ、先に発注しておきました」
「整備スケジュール、少し組み替えてあります」
「ハヤテ、燃費計算ズレてるよ」
いつの間にか、本当に自然に、誰かが困る前に動いている。
目立たない。
けれども、確実に隊の負担が減っていた。
「……」
メッサーは訓練場を見る。
そこではハヤテ・インメルマンが新しい空戦機動を試していた。
以前より動きに無駄が少ない。しかも妙に大胆だ。
「うーん、そこで機首を押さえなくて良い!」
セスの声。
「流れに逆らうと失速しちゃうよ! 一回落ちよう!」
「落ちろって怖ぇよ!?」
「実戦でいきなり落ちた時のリカバリーする方が無茶だよ! 訓練中に何度もやって感覚を覚えようねぇ!」
無茶苦茶な指導だがハヤテは笑っていた。
楽しそうに飛んでいる。
その飛行を見ながら、メッサーは小さく眉を寄せた。
…成長速度が上がっている。
感覚だけだった操縦に“意図”が混ざり始めていた。しかも厄介なことに、セスの飛び方はハヤテの感性と妙に噛み合っている。
理論で縛るのではなく“空の流れ”を覚えさせているのだ。
メッサーは小さく舌打ちした。
気に入らん。だが――否定できない。
食堂にて。
チャック・マスタングの店から、妙にいい匂いがする。
「最近美味くなってないか?」
「だろー? セスが味見役してくれてさ。この辛味、もうちょい後に来る方がいいとか細かいんだよなあ」
チャックは笑っていた。
以前より余裕がある。隊全体が忙しいはずなのに、妙に空気が軽い。
ワルキューレの控室でも。
「ミラージュ、最近笑うようになったよね」
「えっ!? そ、そうですか!?」
顔を赤くするミラージュ・ファリーナ・ジーナス。その様子を見ながら、カナメたちが微笑している。
原因は分かっていた。
セスだ。
あいつは、人との距離がおかしい。
踏み込みすぎない。
だが離れすぎもしない。
気づけば隣にいる。
まるで最初から部隊の一員だったみたいに。
「……気に入らん」
メッサーは小さく呟く。理由は分からない。
隊の状態は良くなっている。
ハヤテは伸びている。
ミラージュは肩の力が抜けた。
チャックも楽しそうだ。
アラド隊長の胃痛も少し減った気がする。
本来なら歓迎すべきことだった。
なのに、どうしても胸の奥がざわつく。
その理由に気づいたのは、夜間哨戒だった。
高高度、月明かりの中を二機のVFが並走する。
通信は最低限の静かな空だった。
ふと、セスが言う。
「メッサ―中尉、キミ死ぬ気で飛んでるでしょ」
唐突だった。
メッサーは視線を向けない。
「…軍人だ。覚悟はある」
「違うよ」
セスの声は静かだった。
「覚悟じゃない」
夜空を滑るYVF-22VG。その飛び方は危うい。限界のさらに先へ踏み込むような飛行。
だがメッサーは知っている。
これはただの無謀ではない。
“死”を理解した上で飛んでいる。
そしてセスもまた、自分と同じ目をしていた。
「空で死ぬ事を、どこかで受け入れてる」
メッサーの指が操縦桿を少し強く握る。
図星だった。
セスは続ける。
「帰れたらいい。だが帰れなくても仕方ない」
その言葉は、まるで自分自身を聞いているようだった。
「……」
「だからキミは僕が気に入らない」
メッサーは返答しなかった。
できなかった。理解してしまったからだ。
セスは、自分によく似ている。
他人のために動く。
仲間を支える。
隊を乱さないよう振る舞う。
そのくせ自分自身の命には、どこか頓着していない。
空で燃え尽きる未来を、静かに受け入れている。
それが――どうしようもなく気に入らなかった。
まるで自分の嫌な部分を見せつけられているようで。