薄暗い格納庫に、工具の打音が乾いた反響を繰り返していた。
整備班の怒鳴り声。
燃料の臭い。
焼けた金属の匂い。
それら全てが混ざり合った空気の中で、ミラージュ・ファリーナ・ジーナスは無言で歩いていた。
今日も訓練は散々だった。
判断が遅れる。
隊列を乱す。
ハヤテに苛立つ。
その苛立ちに更に自己嫌悪する。
らしくない。
そんな事は、自分が一番分かっていた。
「……はぁ」
小さく息を吐いた時だった。
格納庫の奥。
見慣れない灰色の機体が目に入る。
VF-22。
だが、どこか違う。
柔軟外板ではない翼。
灰色を基調に、紺と白のライン。
そして機首に描かれた――敬礼する鶏。
その瞬間。
ミラージュの呼吸が止まった。
「……嘘」
あり得ない。
そんなはずがない。
だが記憶は、容赦なく一致を告げる。
訓練空域。
厳しくも穏やかな声。
背中を追い続けた飛行。
脳裏に焼き付いた機体。
「セス、教官」
掠れた声が漏れる。
すると機体の影から、男が姿を現した。
長い灰色の髪を後ろで結んだ、細身の男。
気怠げなたれ目。
口元には煙草。
数年前から何一つ変わらないように見えて――
けれど。
ミラージュは一瞬で理解した。
変わっている。
細い。
顔色も悪い。
以前より僅かに立ち姿が不安定だ。
だが男は、そんな視線に気付かないふりをして笑った。
「やぁ、ミラージュ」
その声を聞いた瞬間。
胸の奥で押し込めていた感情が、一気に溢れた。
安堵。
怒り。
寂しさ。
未練。
全部。
「っ!?」
言葉が出ない。
セスは困ったように頭を掻いた。
「いやぁ、そんな怖い顔しないでよ。久しぶりなんだし」
その軽い口調が、逆に神経を逆撫でした。
ミラージュは早足で歩み寄る。
そして。
乾いた音が格納庫に響いた。
セスの頬が横に流れる。
周囲の整備兵が静まり返った。
セス自身も目を丸くしている。
ミラージュの拳は震えていた。
「よくも…顔を見せてくれましたね」
声も震えていた。
「何故、何も言わずに消えたんですか!?」
セスは頬を押さえながら、少し困ったように笑う。
「いやぁ……まあ、その……」
「答えてください!」
格納庫中に響く声。
ミラージュはもう止まれなかった。
「私はっ…!」
そこで言葉が詰まる。
怒鳴りたいのに。
責めたいのに。
こんな事を言いたかったんじゃない。
――会いたかった。
その一言が、喉に引っかかる。
セスはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……君は、真面目だねぇ」
その穏やかな声が、余計腹立たしい。
ミラージュは彼の胸倉を掴んだ。
「誤魔化さないでください」
「うん」
「私は、ずっと――」
そこまで言って、ミラージュは目を見開く。
自分が何を言おうとしたのか、理解してしまったからだ。
セスも気付いていた。
だからこそ、ほんの少しだけ苦しそうに目を細める。
「ミラージュ、突然いなくなってごめん。こっちも色々事情があったんだ」
その言い方はずるかった。
教官としてではなく。
一人の男として呼ぶ声音だった。
ミラージュの指先から力が抜ける。
沈黙。
遠くでレンチの音だけが響く。
やがてセスは視線を逸らし、機体の機首を親指で示した。
「見てよ。これ、まだ使ってるんだ」
そこには、彼のエンブレムである敬礼する鶏がいた。相変わらず憎たらしい顔をしている。
ミラージュはそれを睨む。
「……趣味が悪いです」
「はは、辛辣ぅ」
笑うセス。
その笑顔を見た瞬間、ミラージュは理解した。
この人はまた消える気だ。
何となく分かってしまった。
だから。
今度は逃がしたくなかった。