スバル「せっかくなので死んだふりをしてみようと思う」   作:空見大

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スバル「せっかくなのでガーフィールとペトラに死んだふりをしてみようと思う」

 自らの爪で掻き毟った左腕の傷から滲む血を、スバルは自室の洗面台で乱暴に洗い流した。

 水に混じって赤い滴が排水溝へと吸い込まれていくのを見つめながら、フェリスから叩きつけられた正論が呪いのように頭蓋骨の内側で木霊し続けている。

 君の命はもう、君一人のものじゃない。

 君が死ねば、残されたみんなはどうなるの。

 

「んなこと、分かってるっつの……」

 

 洗面鏡に映る自分自身の顔はひどく青白く、目の下には濃い隈が張り付いていた。

 とても平和な王城で暮らす人間の顔ではない。

 今にも死に引きずり込まれそうな、限界を迎えた亡霊の顔だ。

 

 スバルは両手で思い切り自分の頬を叩いた。パァン、と乾いた音が室内に響き、物理的な痛みが僅かに意識を覚醒させる。

 傷口にきつめの包帯を巻き、その上からいつものジャージを羽織る。

 

 息の仕方が分からなくなっているなら、無理やりにでも動いて、誰かと笑い合って、息継ぎの真似事をするしかないのだ。

 スバルは洗面鏡の前で、不自然なほど口角を引き上げた完璧な道化の笑顔を作ると、重い足取りで部屋を後にした。

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 フェリスと別れて一時間後。

 スバルは王城のとある一角にいた。

 人通りがそこまで多くない日当たりの良いテラスに人影が二人分。

 木製の小さな箱を二つ並べながら、何やらコソコソと話し合っている。

 

「箱の中身は何だろなドッキリ?」

 

「そうそう。ガーフィールのやつ、最近ちょっと気が張ってるみたいだからさ。ここらでいっちょ、しょうもないイタズラで息抜きさせてやろうかと思って」

 

 問いかけたのはペトラだ。

 すっかり王城勤務が板についたのか、仕立ての良いメイド服に身を包んだ彼女は、普段は凛々しい表情を見せるものの、今は年相応のいたずらっ子のような笑みを浮かべていた。

 

「面白そう! 私も手伝う! 中身、すっごくヌメヌメしたカエルとかにしちゃう?」

 

「お、ペトラも悪よのう。じゃあ準備は各自でやるってことで。俺とお前で、一つずつ箱の中身を仕込もうぜ」

 

 そんな他愛のない、無邪気な悪戯の計画を二人はそうして組み始める。

 お互いがお互いに何をいれるのかは秘密という条件で、二人はそれぞれの箱に獲物を入れていく。

 

 とはいえペトラはさっき嬉々として発表してしまったので、庭から捕まえてきたばかりの特大でヌメヌメとした大カエルをそのまま箱の中に放り込んだ。

 彼女なりに、ガーフィールを驚かせるための渾身の人選ならぬ蛙選だろう。

 

 スバルの方はといえば、彼もまた可愛らしい小さな白兎を一匹箱のなかに入れている。

 ふわふわした手触りと生き物特有の温かさは触れば驚くのには十分だろう。その後にカエルが出てくることを考えれば前座としてもちょうどいい。

 

 そうして数十分後。

 部屋に呼び出されたガーフィールは、テーブルの上に置かれた二つの箱を前に怪訝な顔で腕を組んでいた。

 

「で、大将。この箱の穴に両手を突っ込んで、中身を当てりゃあいいんだな?」

 

「そういうこと。ただしもうやってもらってるけど、匂いで分かったら面白くないから鼻栓は必須な」

 

「へっ、舐めんなよ。オレ様の感覚を誤魔化せるもんたァ、そうそうねェぜ」

 

 スバルが用意した木製の洗濯ばさみのような鼻栓をつけられながらも、ガーフィールは自信満々に牙を剥き出しにして笑う。

 そして躊躇なく、一つ目の箱――スバルが用意したウサギの箱の二つの穴にズボリと両腕を突っ込んだ。

 少し触って、その不思議な感触に何とも言えない間の抜けた顔をしてみせる。

 

「んだこりやぁ? なんかふわっふわして……ンぁ?」

 

触ったことはある気がするが、目で見ずに触るとそれが何だったのか意外なほどに分からないものだ。

ある程度ペタペと触りながらもその状態にギリギリでたどり着けず、ガーフィールは表情をコロコロと変えながらペタペタと箱の中身を触って確かめる。

 

「あははっ! ガーフ、すっごい変な顔!」

 

「るっせぇ! 待てよォ、ここッまで出てんだ……分かった! 兎だ兎!」

 

「正解! さすがだなガーフィール」

 

 答え合わせとばかりにスバルが箱の上部を開け、中から兎を取りだす。

真っ白な毛並みに真っ赤な目が特徴的な兎は、スバルに抱きかかえられると不満げにカチカチと歯を鳴らした。

そんな兎を見てガーフィールはガッツポーズをして見せる。

 

「まぁオレ様の手にかかればこんなもんよ!」

 

「とはいえこれはチュートリアル。次が本番だ」

 

 スバルがもう一つの無骨な黒い箱――ペトラがカエルを仕込んだ箱をガーフィールの前に押し出す。

 だが、ガーフィールは不満げに鼻を鳴らした。

 

「おいおい大将、オレ様ばっかりやられっぱなしってのは不公平じゃねェか? ここは言い出しっぺの大将が手ェ突っ込む番だろ」

 

「え? いや、俺は別にいいよ中身知ってるし、そもそも触りたくないし」

 

「なんでそんなもんをオレ様に触らせようとするんだよ!? 大将のビビる反応を見て、オレ様が当てるってことで良いだろ」

 

「わー! 面白そう! スバルやってみてよ!」

 

 ペトラまでが目を輝かせて拍手し始める。彼女の箱に入っているのはただのカエルだ。

 大好きなスバルがそれに触れて情けない声を上げるのを見たいという、無邪気な期待だった。

 

「えぇ……ほんとにやんのか?」

 

 スバルは露骨に嫌そうな顔を作り、一歩後ずさる。

 カエルと言われるとさわれそうにも思えるが、人の拳ほどの大きさもあるそれはなかなか嫌な触り心地をしている。

 それをわかっているからこそスバルも嫌な顔をするが、それがガーフィールの悪戯心を強く刺激した。

 

「逃がさねェぜ大将! 男なら腹括って手ェ入れなァ!」

 

「ちょ、おい待てガーフ! マジでやめ、離せって!」

 

「いいからほらッ!」

 

 有無を言わさぬガーフィールの膂力が、強引にスバルの両腕を掴み上げる。

 抵抗するスバルの腕を、黒い箱の二つの穴へと容赦なく、肩口までズボリと突っ込ませた。

 

 ガーフィールは、悪戯っ子のように牙を見せて笑っていた。

 ペトラもまた、大好きな人が変な生き物に触れて大袈裟に驚くのを期待して、微笑ましいじゃれ合いを見るような目で笑っていた。

 

 スバルの両腕が、箱の最奥へと到達する。

 ーー直後だった。

 

「熱ッッァァ!!!」

 

 王城の分厚い窓ガラスをビリビリと震わせるほどの、鼓膜を劈く絶叫。

 それは、冗談や演技などでは絶対にあり得ない、純粋な激痛と死の恐怖に染まりきった、本物の悲鳴だった。

 

「んだこれ!! 痛っーーッァァ!!!」

 

「た、大将……?」

 

「痛い痛い痛い痛い痛っ……」

 

 ガーフィールの動きがピタリと止まる。

 スバルは白目を剥き、全身を激しく痙攣させながら箱に突っ込んだ両腕を押さえて絶叫し続けている。

 あまりに異常な事態。何が起きているのか理解できないまま、ガーフィールの視線が箱の底へと落ちた。

 

 黒い箱の隙間からどす黒い、粘り気のある赤黒い液体が、ドクドクと夥しい量で溢れ出していた。

 鼻栓をしていても分かるほどの鉄の匂い。生き物の血の匂い。それも、尋常ではない量の。

 

「スバル……!?」

 

 ペトラの顔から、一瞬にして全ての血の気が引いた。

 パニックに陥った彼女は、喉の奥から悲鳴を上げながら反射的にスバルの身体を引っ張り、箱から彼の両腕を強引に引き抜いてしまった。

 

「あ」

 

 ペトラの小さな唇から、間の抜けた音が漏れる。

 箱から抜け出たスバルの両腕。

 肘から先のそれは、すでに人間の部位としての原型を一切留めていなかった。

 骨は砕け散り、肉は無惨に挽肉のように削げ落ち、皮一枚で辛うじて繋がっているだけの、ぐちゃぐちゃの肉塊。

 

「ぁ、ヒュッ……、が、ぁ……」

 

 スバルの喉から、空気が漏れるような小さな音が鳴る。

 ぐちゃぐちゃになった両の上腕から、ボタボタと滝のように血がこぼれ落ちる中、スバルは糸の切れた人形のように床へと倒れ伏した。

 ピク、ピクと痙攣する身体。瞬く間に床に広がっていく、絶望的な血の海。

 

「あ、あああ、ああああああああっ!?」

 

 ペトラが頭を抱え、狂乱したように叫び声を上げた。

 自分が入れたものは庭で捕まえたただのカエルだ。安全なもののはずで、だから何も起きないはずで、スバルが少し驚いて笑って終わるはずだった。

 それなのに、自分の用意した箱が、自分が仕込んだ何かが、大好きなスバルの腕を骨ごと食いちぎってしまった。

 自分のせいで、スバルが。

 

「大将! 大将大将大将ォォッ!!」

 

 ガーフィールは床に膝を突き、震える両手でスバルの身体に触れた。

 即座に治癒の魔法を展開する。淡い光が、スバルの惨たらしい両腕を包み込んでいく。

 治る。自分の魔法なら、これくらい絶対に治せる。そんな悲痛な祈りとともに、ガーフィールは強くスバルの手を握りしめる。

 ガーフィールの放つ、温かく力強いマナの波動。本来であれば、こんな深い傷であっても塞いでみせる素晴らしい治癒の光だ。

 

 だが、傷は全く塞がらない。

 

「なんでだ……なんで血が止まんねェんだよォッ!!」

 

 いくら魔力を注ぎ込んでも、ぐちゃぐちゃになった肉塊からは止めどなく血が溢れ続ける。

 治癒魔法が一切機能しないというあり得ない現実に、ガーフィールの顔が恐怖に歪んだ。未知の猛毒か、あるいは呪いか。

 箱の中に潜んでいた得体の知れない何かが、大将の命を急速に削り取っていく。

 

 オレ様が、無理やり手を突っ込ませたからだ。

 

 嫌がっていたのに。オレ様が、あの箱のなかに大将の手を強引に押し込んだから。オレ様のせいで、大将が。

 

「死ぬな! 死ぬなァ! オレ様が悪かった! 治れ、頼むから治ってくれェッ!!」

 

 大粒の涙をボロボロとこぼしながら、ガーフィールは必死に光を注ぎ続ける。

 だが、彼の膝の上で事切れるように横たわるスバルの痙攣は、徐々に弱々しくなっていき、やがて完全に動かなくなった。

 

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ! スバル様ぁぁっ!!」

 

 ペトラの悲痛な泣き叫ぶ声が部屋に響き渡る。

 ガーフィールは血まみれになった自分の両手を見つめ、絶望に瞳孔を開き切っていた。

 自分が殺した。慕っていた大将を、こんな下らない悪戯の延長で、自分が。

 

 心が完全に圧し折られ、ガーフィールの喉から獣の咆哮のような慟哭が漏れ出ようとした、その時。

 

「…………てってれー」

 

 ピクリとも動かなかったはずのスバルが、ゆっくりと目を開けた。

 

「ドッキリ……大成功……なんちゃって」

 

 血まみれになった服の胸元から、無傷の両腕をそっと取り出しながら、スバルはひどく間延びした声でそう告げた。

 

 部屋を満たしていた絶望の悲鳴が、ピタリと止む。

 ガーフィールとペトラは、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔のまま、生き返ったスバルと、床に転がる偽物の肉塊を交互に見つめていた。

 

 数秒後。

 事態を正確に理解した二人の目から、先ほどとは全く違う、大粒の涙が堰を切ったように溢れ出した。

 

「た、大将ぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

「スバルぅぅぅっ! ばかばかばかばかぁぁぁっ!!」

 

「うわっ、お、おい二人とも! 血糊がつくから!」

 

 ガーフィールとペトラは、血まみれの床などお構いなしにスバルへと飛びついた。

 怒りや非難の言葉など一切ない。ただ、彼が無事であったという安堵のあまり、二人は子供のように声を上げてボロボロと泣きじゃくった。

 

 左右から本物の両腕に力強くしがみつかれ、顔をぐしゃぐしゃにして泣き叫ぶ二人を前に、スバルは天井を仰ぐ。

 

「勝手にこんなドッキリやったのバレたら、ラムに信じられないくらい怒られるんだろうなぁ」

 

 困り果てたように笑いながら、スバルは汚れていない手で優しく二人の背中を撫で続けるのだった。

 

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