Escape from Κιβωτός 作:OPA
ゲヘナ学園中央区 風紀委員会本部
「……これは確かなの?」
「はい。報告書の内容に誤りはありません。何せ、今回は風紀委員会だけでなく万魔殿の情報局も一枚噛んでいますから」
「そう…」
風紀委員会行政官――天雨アコの差し出した報告書に目を落としながら、空崎ヒナは険しい表情を浮かべた。
執務室には紙をめくる乾いた音だけが残り、窓の外から聞こえる銃声と喧騒もどこか遠い。夕暮れが差し込み始めた室内は薄暗く、机上の書類の影を長く伸ばしていた。
報告書の内容はゲヘナ学園に隣接する法的空白地帯、つまりブラックマーケットの動向についてだった。
ゲヘナ側のブラックマーケットは、数多くの犯罪組織が縄張りを争う無秩序地帯だ。銃声と爆発音が日常的に響き、昨日まであった建物が翌日には瓦礫になっていることも珍しくない。だが皮肉なことに、互いが潰し合い続けていたからこそ、勢力の均衡は保たれていた。
しかし、その均衡が先月から崩れ始めた。
新たに台頭した新しいヘルメット団の一派が、他の犯罪組織を次々と制圧し、追放もしくは吸収を行っていたのである。その勢いは衰えることはなく、その手はカイザー・コーポレーションの影響下にある組織やマーケットガードにまで及んだという。
「例の組織の動きは今は沈静化していますが、勢力拮抗が崩れたことで隣接する我が校の地区に少なくない損失をもたらしています。事態の早期対応が必須かと」
「確か、先週のはじめに送った部隊は壊滅したんでしょう?」
「……はい。完膚なきまでに」
アコは苦々しく答えた。
交戦記録に残っていたのは、異様に重武装で練度の高いヘルメット団員により風紀委員が壊滅させられていく様子だけだった。
ヒナは小さく息を吐くと、静かに席を立った。
窓の向こうでは、夕日に染まったゲヘナの校舎群が赤黒く沈んでいる。遠くで爆発音が鳴り、その音がわずかに遅れて執務室へ届いた。
「――今はエデン条約を控えているから、そこまで大きな動きはできないわ。その場しのぎの措置として監視部隊を増員しなさい。何か動きがあれば報告すること。その時は私が出向く」
「分かりました」
アコは静かに頷いた。
短いやり取りの後、執務室には再び静寂が落ちる。
だがその沈黙は、嵐の前触れのように重かった。
ブラックマーケット 西部外輪地区
時を遡ること約一ヶ月。
人気の無い裏路地で、うめき声と同時に声が響いた。
「
男性特有の低い声と、汚いロシア語。
頭には三本の白線が入ったMaska-1SCh。身体には同じラインの入ったジャージ。その上から、“KILLA”の文字が描かれた6B13アーマーを着込んでいる。
「
俺はゆっくりと身を起こし、辺りを見回した。
湿ったコンクリートの臭い。壁際に積まれたゴミ袋。排水溝を流れる濁った水。どこにでもある、薄汚れた裏路地だった。
(状況が呑み込めねえ)
さっきまで、俺はIDEAにいたはずだ。
薄暗いショッピングモールの中、瓦礫と放置車両の隙間を縫いながらクソUSEC共と撃ち合っていた。
先に二人始末した。死体を漁っている最中だった。
そこで後ろにいた生き残りに撃たれた。
確かに、そうだった。
「
俺は頭を擦りながら、リグに入っている物資を確認する。
入っているのは愛銃RPK-16の
身体にも触れる。ヘルメットを脱いで顔も、胸も、腹も。
撃たれた痕はない。
痛みもない。
むしろ、コンディションは妙に良かった。
(意味が分からねえ……)
だが、突っ立っていても仕方がない。
遠くから断続的に銃声が聞こえる。
少なくとも、タルコフ市内であることだけは間違いなかった。
俺はRPK-16を構え、裏路地の出口へ向かう。
そして――通りへ出た瞬間、思わず声を上げた。
「
目の前では、少女達が笑いながら銃を撃ち合っていた。
ライフル弾をまともに受けても倒れない。血も出ない。少し体勢を崩すだけで、何事もなかったように反撃している。
その横では、二足歩行の犬と鳥が呆れたように戦況を眺めていた。さらに奥には、重機関銃を軽々と担いだ小柄な少女まで見える。
頭上には、天使の輪みてえな光。
意味不明だった。
(一瞬見ねえうちに、タルコフの連中は性転換手術でもしたのか?)
そう考えかけて、すぐに否定する。
二本足で歩く犬や鳥なんざ、流石のタルコフでも見たことがない。
(……だとしたら、ここはあの世か?)
死んだ先で、天使共が銃撃戦。
冗談にしちゃ悪趣味すぎる。
その時だった。
「おいアンタ、見ねえ格好してるな。お前ここの人間じゃねえだろ、さっさと消えな。ここはウチらの縄張りなんだよ」
気付けば、三人の少女が目の前に立っていた。
一人は赤いヘルメット。
残り二人は黒いヘルメットを被っている。
手にはAK-74系統らしきライフル。カスタムも派手な色で構え方は雑だが、引き金に掛かった指だけは妙に慣れていた。
「おいおい天使さんよ、新入りにそんな乱暴しちゃ神サマに怒られるぜ?」
「あぁ? 天使? 何言ってんだこいつ、頭おかしいのか?」
皮肉混じりに返したところで、俺は違和感に気付く。
俺は確かにロシア語で喋った。
だが、耳に届いたのはまるで別の言語だった。
目の前の連中も同じだ。
知らない言葉を使っているはずなのに、意味だけは理解できる。
(……なんだこりゃ)
あの世ってのは、多言語翻訳機能付きらしい。
随分と気が利いてやがる。
「さっさと消えろって言ってんだよ!!」
突如、怒鳴り声と同時に少女がライフルをこちらへ向けた。
次の瞬間、激しい発砲音。
至近距離からのフルオート射撃に、俺は咄嗟に後方へ飛び退き、脇の遮蔽物へ滑り込む。コンクリートの角が弾け、破片が頬を掠めた。
「――
至近距離でのフルオート射撃。
それはあまりにも致命的だ。プレートで防げる部分はともかく、腕や脚にも何発か入った感触があった。至近距離のライフル弾、まともなら骨ごと持っていかれている。
「ハハハッ!! 見ろよアイツ、ビビって隠れやがった!!」
少女達の嘲笑が響く。
だが、そんなことはどうでもよかった。
俺は壁に背を預けたまま、自分の腕を見る。
撃たれたはずの場所に穴はない。
血も流れていない。
痛みは確かにあった。だが、それももうほとんど消えている。
服の上から何度か触って確認する。
傷一つなかった。
向こうは興奮した様子で適当に弾を撒いているだけで、詰めてくる気配はない。
俺はゆっくり息を吐き、確かめるようにRPKを持ち上げた。そして銃口を自分の左手へ向ける。
「……」
一瞬だけ迷い、引き金を引いた。
乾いた銃声。
掌に鋭い痛みが走る。
だが、それだけだった。
手を貫くはずの弾丸は血の一滴すら流さない。傷口もない。
「………なるほどな」
そこでようやく、全部繋がった。
ここは死後の世界だ。
だから死人は死なない。
道理で、あのガキ共の引き金が妙に軽いワケだ。
――最高じゃねえか。
口元が自然と歪む。
俺は再びRPKを構えると、そのまま遮蔽物から上半身を乗り出した。先頭に立っていた赤ヘルの少女へ、イゴルニク弾をフルオートで叩き込む。
硬質な破砕音。
数発がバイザーを貫き、少女の頭を激しく跳ね上げた。
「がっ――!?」
呻き声を漏らしながら、少女が後ろへ倒れる。
「た、隊長!?」
「こいつゥ!!」
残る二人が怒鳴りながら突撃してきた。
乱雑なフルオート射撃。
弾丸がアーマーを叩き、肩や胸へ次々と着弾する。だが関係ない。
俺は真正面から歩き出した。
RPKの反動を押さえ込みながら、短く、正確に頭を狙う。
銃声が路地に反響するたび、一人、また一人と体勢を崩した。
数秒後には、二人とも地面に転がって呻いていた。
静かになった裏通りに、薬莢の転がる音だけが残る。
俺は倒れた三人のそばへしゃがみ込んだ。
ヘルメット越しに荒い息遣いが聞こえる。
さて。
まずは聞かせてもらおうじゃねえか。
――この世界について。
キラはヘイロー付きです