燃え盛る密林を前にして、私はただ途方に暮れていた。
竹の頂上まで登り、遠方を見渡すと、地平線の向こうを真っ黒な煙の壁が覆い尽くしていた。
火の赤い輝きは、まだ見えない。
しかしその煙の量は異常で、湿度の高い竹林や密林が自然に起こすものとは到底思えなかった。
「人間が……意図的に火を使って追い立てているのか?」
それとも、転移初日に見たあのドラゴンが関わっているのだろうか。ドラゴンといえば火を吹くというイメージがあるけども。
火炎放射戦車がこの技術力であるわけないし、空を見てもドラゴンは居ない……
でも、爆撃機がクラスター焼夷爆弾を落としているわけでもない。
じゃあ、あのドラゴンに着いていた翼って何だ?飾りか?
まあドラゴンが飛べるのか火を吹けるのか知らないし、そんなこと考えたって、あの火は止まらない。
いずれにせよ、今はこんなふうに悠長に推理している場合ではない。
一酸化炭素並びに二酸化炭素の脅威は、一切の匂いなく昏倒することだ。
メタンガスあるいはアンモニアガスのように刺激臭のない気体なのだから、気がつけない。
地球標準重力下……1Gにおいて、分子量の関係で二酸化炭素は沈殿する。
三日前から異変は始まっていた。ゴブリンたちが突然川沿いに大量に現れ、西へ西へと殺到し始めたのだ。最初は内乱かと思ったが、今は大規模な避難行であることがはっきりしている。
私は太ももにベルトで固定した鉄の剣に軽く手を触れた。一週間前に死んだ重装歩兵から奪ったこの剣は、心強い味方だ。
足元では火の気配を察知した蛇が激しくうねっていた。ピット器官が狂いでもしたんだろうか?
蛇同士が絡まって、まるでひとつの紐みたいになっている。
私はそんな地面を見つつも、竹林を斜めに横切り、西へ向けて移動を開始した。
川沿いは危険すぎる。
竹の節に足を乗せ、次の節へ、次の節へと飛び移る。
高さ五、六メートルほどの竹の上を、私はほぼ水平にスイスイと渡っていく。この数ヶ月で身につけた移動術だ。地上を走るのと比べたら明らかに楽。
棘のある蔦に足を引っ掛けて流血することもないし、竹を避けるためにブレーキする必要が無いからだろうけども。
見下ろした瞬間、胸がざわついた。
まず最初に目に入ったのは、避難民の集団だった。
小太りで腹の出たゴブリンたちが大半を占め、だかそれらは竹細工の大きな籠を背負ったり、陶器の器を持っている。
初めて見た。小太りゴブリンといえば武器を持ってたりするイメージがあったけども、あいつらは民間人だったのか。
まあ、その横に幼い子どもを抱えた雌個体が必死に歩いていた。石の鉈や何らかの陶器しか持たない者ばかりで、明らかに戦士ではない。民間人だ。
だが民間人だからか、その混乱は凄まじかった。
「蛇だ!蛇を殺せ!」
蛇に瞬きもできないほどの速度で足を絡め取られた小さなゴブリンが悲鳴を上げ、地面に倒れ込む。
あれは足の骨が折られているのだろうか、かわいそうに。
倒れ込んでいる。
小太りゴブリンが蛇を石の鉈で、バゴーンと音を立てて殺した。
やはり身体能力が恐ろしい……民間人にあんな奴がいるのか、ゴブリンって。
石の鉈は硬い地面にぶつかった衝撃で折れた。柄から綺麗に折れた……やはり、反作用で道具が耐えきれないなんて腕力が信じられないくらい強いな。
うとするが、後ろから押されるようにして集団が雪崩を起こし、踏みつけられる者まで出ていた。子どもを抱えた雌個体が泣き叫びながら必死に前へ進もうとするが、疲労で足がもつれ、よろめく。
竹の根元に隠れていた蛇が次々と襲いかかり、集団のあちこちで悲鳴が上がる。籠を背負った者が転倒すれば、中身のわずかな食料や布切れが散乱し、それを奪い合うような小競り合いまで起きていた。
(……ただの村が丸ごと追われたような有様だなあ)
(毎日一匹くらい倒してたのに、さすがに多いなあ)
と、そんな思考をしていると避難民の後方から、低く重い地響きが近づいてきた。
それらに目を凝らすと、本格的なゴブリン軍の後続集団であろうということが分かった。
河原の丸い石が転がる中、足を取られていない。
一切転ぶことなく同じ速度で俊敏に走る彼らは、体格が良く筋肉質で、明らかに戦士中心の集団だった。
彼らの装備が特に私の目を引いた。
ほとんどの者が、鉄の剣を太ももに差している。刃の長さは人間の剣よりやや短めだが、しっかりと鍛えられた鉄の輝きを放っていた。
そして背中には、鉄の板をリベットで打ち付けた盾を背負っている。
あの重装備だというのに河原を行く彼らは信じられないくらい早い。
あれは鉄板を何枚も重ね、リベットで固定した実戦的な作りだ。
竹林での戦闘を意識したのか、盾のサイズは比較的コンパクトで、機動性を重視しているのが見て取れる。
そして彼らは、服を着用している。人間用の服を着ているようで、なんだかはち切れそうな見た目だ。
筋肉のせいでパッツパツになった服を着た戦士の姿も混ざっており、サイズが合っていない。
だけども、つい一ヶ月前までの石器・骨器中心のゴブリンとは、装備の質・量ともに完全に別物だった。
私は竹の上をさらに速く渡ったが、地上の軍勢は容赦ない。
一歩一歩のストライドが完全に違う。
脚の長さが長いからだろうけども、やがて追い抜かれるのも時間の問題だろうということもよく分かる
数百匹規模の鉄器装備の戦士集団が、私の真下を波のように勢いよく通り過ぎていく。
筏に乗ることなく鉄の盾を背中に背負い、そして鉄の剣をしっかりと太ももに複数本のベルトで押さえている。
彼らは房のついた兜の羽飾りを揺らしながら、何か喋っているようだった。
ここからじゃあ、あまりに遠くて聞こえない。見ることはできるけど。なんと言っているのかは集中しないとよく聞こえなかった。
だけど同じく、西を目指しているのには間違いがなかった。
そして彼らの脚力と持久力、そして装備の充実ぶりは圧倒的だった。
竹の上から見下ろすと、同じ西を目指しているのに自分が取り残されていくような苛立ちが込み上げてきた。
(くそ……地上を走るだけでこの速度か)
西で見た重装歩兵部隊は八十人程度だった。あの部隊が全滅したとしても、せいぜい数十の鉄剣が手に入る計算だ。だが今、下を行くこの軍勢はおかしい。
三百や四百では到底説明がつかない数の鉄器——特に鉄の剣とリベット打ちの鉄盾——を保有している。
重装歩兵たちは盾を持っていなかった!
ならばあの盾は一体どこから湧いて出たのだ。
高度な冶金技術がなければありえない装備。
盾を持ち、鉄の剣をしっかりと固定したゴブリンがやって来ているのだ。
私のように人間の軍隊の装備方法を見よう見まねで真似たのかもしれないが。
彼らは東の方角から大量に押し寄せてきている。
重装歩兵たちが来たのは西だった。ということは——
「東に……別の人間の拠点があったのか? それとも、私が追放されたあの都市が、意外と近くに……」
目隠しをされて森に捨てられたあの日、ドラゴンが客車を引いていた方向。
あれが東だったとしたら、すべての辻褄が合う。
鉄剣と鉄盾の大量流入、東からの大移動、火災による追い立て。複数の事象が、徐々に一つの絵を描き始めていた。
貴族の乗り物たるバスの中には近衛の兵士が乗っていた。
そして訳もわからぬままに捕えられ、鞭打ちで追放。
あれらのドラゴンがいた都市、仮に最初の街とするが、あの最初の街が近くにあるか。それとも、ゴブリンによって陥落したか。
だが陥落したという線は怪しい。
煙の壁は確実に近づき始め、風向きが変わったのか、かすかに焦げた臭いが鼻を掠め始めた。遠くで何か爆ぜるような乾いた音も聞こえ出す。
大砲があるのか!?いやわからん、しかし焦げた匂いがするということは火が余程近くなってきたのかもしれん。
まあ私は、この火から逃れ、西へ進む。そして——
必ず東に戻る。
あの都市で私を目隠しして、ぐるぐると回転させ、そして置き去りにした衛兵どもは許せん。
固定が甘かったのか知らないが階段を頭にぶつけてきた客車の連中、特に貴族が気に食わん。
服が白飛びしてないからなんだ。何がそんなに偉いんだ?
青いから何だ。お前たちは、元の私のように富を築いた人間ではない。世襲の富に踊らされた、旧来の封建的な人間だ。
そしてこの理不尽な世界に私を放り込んだ何者かに対して、必ず復讐をしてやる。
神か知らんが絶対に許さん。
若返ったこの肉体と、ようやく手に入れた鉄の剣があれば、決して不可能ではない。
特に、二十歳かの頃だろう。体格がその時くらいだ。
まあ、だとすれば……
私の肉体は火星航空隊でパイロット訓練を受けた頃だろう。
私は鞘を強く握りしめつつも、次の竹の節へと跳躍した。
もはや手を使う必要性すらなく、節に足を乗せて次々と走るようにして移動出来る。
食生活は全然違うけど不思議なことに筋肉が衰えた気分はしない。据え置きだ。
地上では避難民の混乱が続き、鉄の盾と鉄の剣を携えた軍勢がそれを飲み込みながら西へ流れていく。私はその巨大な濁流に遅れを取りながらも、静かに、しかし確実に追跡を続けた。
まだまだゴブリン軍が居ようとも、後続の奴らが来ていようとも関係ない。私は追い抜かれたとしても、最後尾の奴らから順番に殺る。