何かあった才羽モモイが、異世界の廃墟の中で生きるだけの話   作:ミレニアムのモブ:文学派

1 / 2
第1話

ざぁざぁざぁ……。

 

世界を灰色に塗り潰すような、無機質で、けれどどこか規則的な雨音が、反響を繰り返して鼓膜を叩き続けている。

一定のリズムを刻みながら降り注ぐ、静かで、肌を刺すように少しだけ冷たい雨。

私……才羽モモイは、かつては何らかの商業施設であっただろう廃墟の、無残に砕け散って鋭い牙のようになった窓ガラスの傍で、膝を抱えながらその灰色の景色をただぼんやりと眺めていた。

 

ほんの10分ほど前のことだ。ひび割れたアスファルトを歩いていた私の視界の端に、まるで世界の終わりを告げるかのように不機嫌そうに渦巻く分厚い黒雲が、重々しい足取りでゆっくりとこちらへ流れてくるのが見えた。「あ、あれは間違いなく一雨来るパターンのやつだな」と、長年のゲーマーとしての直感と、この過酷な世界で三年生き抜いてきたサバイバーとしての経験則が同時に警鐘を鳴らし、私はすぐさま雨宿りできる安全なポイント(セーフゾーン)を急いで探し回り、そうして奇跡的に崩落を免れていたこの小部屋を見つけ出したのだ。

急激な気温の低下、いわゆる寒冷デバフを警戒して、部屋の隅に転がっていた乾燥した木製の廃材をかき集め、いざという時のための焚き火の準備まで整えたのだけれど……結果から言えば、この程度のささやかな雨の勢いなら、そこまで念入りに素材集め(ファーミング)をする必要はなかったかもしれない。

というのも、ここから少しばかり視線を遠くにずらした場所の空には、あの陰鬱な黒雲の姿はすでになく、まるで何事もなかったかのように澄み切った青空の晴れ間が顔を覗かせているからだ。要するに、この雨は単なる通り雨。ほんの10分も待たずに、あの厄介な雨雲は風に吹かれてどこか遠くへと気ままに流れてゆき、この鬱屈とした雨音も終わりを告げるだろう。

 

実を言うと、私は以前まで、雨という天候がこの世の何よりも嫌いだった。

元々が筋金入りのインドア派であり、太陽の下で汗を流すような運動も好まないゲーム開発部のシナリオライターであった私だけれど、天候の良し悪しに対しては一丁前に文句を垂れる、なんとも面倒くさい性格の持ち主だったのだ。

太陽の光を完全に遮ってしまうどんよりとした曇り空も嫌だったけれど、何より雨が降ると、特定の時期には息が詰まるほど部屋がジメジメと湿気帯びてカビの発生を極度に気にしなければならなくなるし、ふかふかに干したかったお布団や洗濯物も、仕方なく室内の窮屈なスペースで干さなければならなくなる。

さらに最悪なパターンとして、雨が雷という凶悪な追加効果(オプション)を伴ってやってきた時の絶望感たるや筆舌に尽くしがたい。何十時間もかけてコツコツと育て上げ、苦労してレアアイテムを集めたRPGのセーブデータが、落雷による一瞬の停電で文字通り虚空へと吹き飛ばされた経験が、私にはある。

「よし、この強敵を倒したら一旦セーブできる!」と安堵したその絶頂の瞬間に、ピシャーン!という轟音と共にモニターが真っ暗になり、画面に自分の絶望に染まったマヌケな顔が反射したあの時の怒りと虚無感は、何年経った今思い出しても腹の底からマグマのようにふつふつと怒りが湧き上がってくる。

 

けれど……今の私は、そんなかつて憎んでいた雨が、ほんの少しだけ好きになっていた。

誤解しないでほしいのだけれど、視界を完全に奪うような凶暴な豪雨だったり、建物を吹き飛ばすような暴風雨、ましてやトラウマをえぐる雷雨なんかは今でも大嫌いだ。ぶっちゃけ、これから先も一生好きになれる気がしない。

けれど、今まさに目の前で降っているような、世界を優しく包み込むような静かな雨は、今の私にとって特別な意味を持つようになっていた。

どこかの誰かから聞いた話によると、こういう一定のリズムを刻む静かな雨の音には、極限状態に置かれたヒトの精神に深い安らぎと癒やしをもたらす効果があるらしい。

実際、目を閉じてそのざぁざぁという雨音にじっと耳を澄ませていると、常に敵の襲撃に備えて過剰に昂っていた私の神経が、張り詰めた糸を緩めるように少しずつリラックスしていくのが自分でもよくわかるのだ。

それに、こういう視界の悪い雨の時は、外を徘徊する敵の索敵能力も落ちるため、こうして廃墟に身を潜めていれば、ほんの少しの間だけでも安全に体を休ませることができる。その事実が、より一層この時間を愛おしくさせていた。

いわゆる、ゲームで言うところのセーブエリアやセーフゾーンにたどり着いた時のような、あの独特の安堵感だ。

もうすっかり、平和ボケしたゲーム脳なんてものはこの三年間の血みどろの生活で卒業してしまったはずだけれど、こうした比喩表現は、かつての私自身を彩る大切な記憶の欠片だ。時々、こうして思い出したように心の中で反芻してあげないと、自分が自分でなくなってしまいそうで、なんだかとても気持ちが悪いのだ。

 

(……帰りたいなぁ、ミレニアムに。)

 

かつて部室でダラダラと過ごしていた頃の思考回路をわざとトレースしたからだろうか。ふいに、胸の奥を鋭利なナイフでゆっくりと抉られるような、ひどく痛みを伴う郷愁の念が込み上げてきた。

 

……そう、私、才羽モモイは今、最先端の技術がひしめくミレニアムサイエンススクールの自治区にも、銃弾と青春が交差する愛すべきキヴォトスにも、そして私たちをいつも導いてくれたシャーレの先生が元いたという外の世界にもいない。

全くもって見知らぬ、そして完全に狂ってしまった別の世界で、もう三年間も、泥水をすするようなサバイバル生活を送り続けているのだ。

 

……今から三年前。思い返せば、あの運命の日も、今日のような静かで優しい雨が降っていた。

その日、私と双子の妹であるミドリ、そして私たちゲーム開発部の大切な仲間であるアリスと一緒に、ミレニアムが誇る技術の結晶が集まるエンジニア部の部室へと足を運んだのだ。

目的はいくつかあった。一つは、アリスが愛用している馬鹿みたいに重くて馬鹿みたいに威力の高いレールガン――『光の剣:スーパーノヴァ』の定期メンテナンスをしてもらうこと。もう一つは、常識という枠組みを軽々と飛び越える好奇心旺盛なアリスが、道中でまた何か突飛なトラブルを巻き起こさないか心配だったこと。そして最後に、エンジニア部の部長であるウタハ先輩が、「君たちにぜひ見せたい、世紀の大発明がある」と得意げに語っていたことだ。

 

アリスのスーパーノヴァのメンテナンスは、ウタハ先輩たちの手によっていつも通りスムーズに、かつ完璧に終了した。今回は部室内にアリスの興味を危険な方向に惹きつけるようなガラクタ(もとい発明品)は少なく、残る目的はウタハ先輩が豪語していた『見せたいもの』の鑑賞だけとなり、私たちはさっそくそのベールを脱いだ発明品を見せてもらうことになったのだ。

部室の中央に鎮座していたのは、ごちゃごちゃとした配線とむき出しの金属パーツで構成された、かなり大型のヘンテコな機械だった。

外見からは一体何に使うものなのか全く想像もつかなかったけれど……ウタハ先輩は、その胡乱な見た目も含めて、胸を張りながら熱弁を振るってくれた。

ウタハ先輩、そして響き渡る声のヒビキ、お腹のぽっこりが可愛いコトリ……エンジニア部の三人が徹夜続きで組み上げたというその機械の名前は、『物体転送装置』の試作機だった。

なんでも、ちょっと大きめの段ボール箱とその中身を、このエンジニア部の部室から、遠く離れた私たちゲーム開発部の部室まで、わずか0.1秒という瞬きする間も惜しい速度で空間を跳躍させて送り届けることができる代物だという。

その常軌を逸した説明を聞いて、当時の私は「えっ!それがあったら、重いお届け物とか新作のゲームロムとか、歩かずにすぐ届くじゃん!最高!」なんて、頭の悪い感想を大声で叫んでいたような気がする。

隣にいたミドリも「確かに、締め切り前の修羅場には便利そうですね……」と現実的な顔で頷いていたし、アリスに至っては「おおー!これはRPGでお馴染みの、どこからでも引き出せるアイテムボックスのシステムですね!ウタハは魔法使いだったのですね!」と目をキラキラさせてはしゃいでいたはずだ。

一応、ウタハ先輩は「まだ技術としては未熟で、テストこそ成功したもののエネルギー制御が不安定すぎる。データも十分取れたし、暴走すると危ないから明日には解体する予定だ」と、フラグとしか思えないような予防線を張っていたのだけれど……まさにその直後、文字通りの『事件』が起きたのだ。

 

バンッ!と部室の重い扉が乱暴に蹴り開けられ、どういう脱出マジックを使ったのか、厳重な反省室からまたしても逃げ出したコユキが、弾丸のような速度で転がり込んできたのだ。

そして、その後ろからは、いつものように――いや、いつも以上に額に青筋を立てて激怒しているセミナーのユウカとノア先輩、そして最強のメイド集団C&Cのネル先輩たちが、コユキを捕縛(あるいは物理的な制裁)しようと猛烈な勢いで追いかけてきていた。

当然のごとく、絶対に捕まりたくないコユキと、絶対に逃がさない構えのユウカたちの間で、部室内を縦横無尽に飛び交う激しい銃撃戦が勃発した。……まあ、ぶっちゃけ、そこまではキヴォトスにおいては「いつもの日常風景」でしかなかった。

何か問題が起きれば、とりあえず挨拶代わりに銃の引き金が引かれる。今にして思えば、命のやり取りが日常茶飯事のこの世界で生きてきた身からすると、キヴォトスの住人は相当に野蛮でクレイジーだったと苦笑してしまうが、それでも、あれは間違いなく私が愛した、平和で狂った日常だった。

けれど、ウタハ先輩が血相を変えて「だめだ!その射線は転送装置に当たる!撃つな、やめろ!!」と悲痛な叫び声を上げた瞬間、運命の女神という名の性格の悪いロクデナシが、天の上でニヤリと陰湿な笑顔を浮かべたのだろう。

ネル先輩の蹴りを食らってコユキが派手に吹き飛ばされて倒れ込んだ拍子に、彼女が乱射していたマシンガンの引き金に指が引っかかったままになり……無情にもバラバラと発射された流れ弾の一発が、物体転送装置の『絶対に当ててはいけない』とデカデカと警告マークが貼られたコアユニットに、寸分の狂いもなく直撃してしまったのである。

案の定、というべきか。装置はけたたましい警告音と共に臨界点を突破し、バチバチと青白い閃光を放ちながら暴走を開始……制御不能となった膨大なエネルギーが、近場にある『何か』を手当たり次第に空間の彼方へ転送しようと、渦を巻き始めたのだ。

そして……その時、暴走する装置から最も近い位置、まさに転送の特異点の中心に立っていたのは、私の半身であり、世界で一番大切な妹である、ミドリだった。

ミドリは、突如として目の前で巻き起こった次元の暴走に完全に怯えきり、足がすくんで一歩も動けなくなっていた。……その光景を見た瞬間、私の頭からあらゆる思考が消し飛んだ。言葉を発するよりも、恐怖を感じるよりも先に、私の体が勝手に動いていた。

私は弾かれたように床を蹴り、ミドリの細い腕を力任せにつかみ取ると、間一髪で駆けつけようとしていたネル先輩の胸ぐらめがけて、渾身の力で妹の体を突き飛ばした。

そして、その強引な力学の反作用で、ミドリと位置を入れ替わるようにして――私が、装置の放つ青白い閃光の奔流に、真正面から呑み込まれていったのだ。

妹の命を守る。それは、同じ日に生まれたとはいえ、「お姉ちゃん」である私にとって、呼吸をするのと同じくらい当たり前で、絶対的な役目だったから……。その時の自分の反射的な行動に対して、後悔なんてこれっぽっちも存在しない。むしろ、三年間の地獄を見た今でさえ、私は胸を張って堂々と「あの時の私のプレイングは、世界で一番正しくて完璧だった」と大声で言い切ることができる。

 

――そうして、私は光の渦の果てに、この見知らぬ滅びの世界へと不時着(転移)したのだ。

 

この世界に放り出された後、死に物狂いで生き延びる過程で出会った僅かな生存者たちから、この世界の成り立ちについてあらかたの歴史を教えてもらったのだが……控えめに言って、ここはすでに「ゲームオーバー」を迎えた後の、エンディング後の虚無の世界だった。

途方もなく昔の時代、機械工学とAI技術が極限まで発展した巨大な国家と、遺伝子操作と生体工学が神の領域まで発展したもう一つの巨大な国家が、地球の覇権を懸けて全面戦争を始めたらしい。

最初は、これまでの歴史がそうであったように、シャーレの先生みたいに、銃弾が一発急所に当たっただけであっけなく死んでしまうような、脆くて弱い「ヒト」たちが最前線で血を流して戦っていたのだけれど……やがて疲弊した二つの国は、決して作ってはいけない悪魔の兵器を実用化してしまった。

機械技術が発展した国は、工場さえあれば無限に自己複製と進化を繰り返す完全自立型の無人機械兵器……『オートメイル』を。

生体技術が発展した国は、環境に適応し、捕食と交配によってより凶悪な個体を生み出し続ける完全繁殖型の生体兵器……『フェイタルビースツ』を。

戦場はあっという間にヒトの手を離れ、オートメイルとフェイタルビースツによる、終わりの見えない地獄の代理戦争へと変貌を遂げた。……そして、このシステムが稼働した時点で、この世界のヒトたちは絶対に気付くべきだったのだ。自分たちが始めたこの戦争には、もう二度と『終わり(クリア)』が来なくなってしまったという決定的なバグに。

オートメイルは、どれだけ破壊され、どれだけスクラップにされようとも、地中深くのプラントで無限の生産力を誇り、戦闘データを学習してより強固な装甲と火力を備えて戦場に舞い戻った。

フェイタルビースツは、強力なオートメイルに殺されるたびに、生き残った強い個体同士が世代交代を繰り返し、圧倒的な繁殖力による『数』と、環境適応による『質』で機械の軍団を押し返した。

感情を持たない鋼鉄と、理性を捨てた肉塊による泥沼の殺し合いが延々と繰り広げられ、やがてその業火は当事国の制御を完全に離れて世界中へと広がり、戦争とは全く関係のない平和な国が跡形もなく巻き込まれ、兵器とは無縁だった無実のヒトたちが虫けらのように殺されていった。最終的に、兵器に指揮権を持っていたはずの国家の中枢機能が完全に滅び去っても、オートメイルとフェイタルビースツにインプットされた「敵を殲滅せよ」という基本プログラムだけが残り、戦いは止まらなかった。

それが、私が今立っているこの世界の現状。創造主である人類がほぼ絶滅し、文明のすべてが灰燼に帰した滅びのあとでもなお続く、無限ループに陥った機械と生物の永遠の戦争。

その果てしない殺し合いの余波に巻き込まれ、泥と血にまみれながらも、それでも絶望せずに生き残っていた数少ない人々が、見ず知らずの異邦人である私を拾い上げ、介抱し、そして焚き火を囲みながら静かに教えてくれた、悲しすぎる昔話だ。

 

……もちろん、ただ守られているだけでは生き残れない。私も彼らの生存圏を守るため、そして生きるための物資を手に入れるために、オートメイルやフェイタルビースツの群れに無謀な戦いを何度も挑んだ。

そのたびに、痛烈な一撃を食らって何度も何度も死の淵を彷徨い、そして、ボロボロになって生還するたびに、私がキヴォトスから身につけて持ってきた、かけがえのない大切なアイテムたちが、一つ、また一つと永遠に欠損していった。

最初に失ったのは、ミレニアムの誇る技術でカスタマイズされた私の愛銃、アサルトライフルの”ユニーク・アイディア”だった。

仲間を庇い、フェイタルビースツの巨大な爪による凶悪な斬撃をとっさに銃身で防いだ瞬間、悲鳴のような金属音と共に、愛銃は真っ二つにへし折られてしまった。

次に失ったのは、ゲーム開発部のみんなでデザインを考えた、おそろいのピンク色のパーカーコートだった。

廃墟での市街戦の最中、高所から狙撃してきたオートメイルの無慈悲な銃弾の雨を避けきれず、生地は無惨に引き裂かれ、血と泥にまみれて穴だらけのボロ布へと成り果ててしまった。

そして最後に失ったのは……ミドリとおそろいで買った、私のトレードマークでもあったヘッドホンだった。

オートメイルの大隊とフェイタルビースツの群れの大規模な衝突に不運にも巻き込まれ、爆風と瓦礫の雨が頭部に直撃した時、鋭い破砕音と共に、それは跡形もなく砕け散ってしまった。

 

死の恐怖に直面し、私のアイデンティティとも言える大切なものが物理的に壊れていくたびに、私の心はポキリと、今にも修復不可能なほどに折れかけていた。

どうして、ただゲームが好きだっただけの私が、こんな血生臭くて痛くて怖い目に遭わなくちゃいけないんだろう。

どうして、こんな不条理で理不尽なクソゲーに、強制参加させられなくちゃいけないんだろう。

どうして、こんなにも息が詰まるほど苦しい思いをしてまで、泥をすすって生き延びなくちゃいけないのだろう。

そもそも、どうしてこんな絶望的な世界になってしまったのだろう。

自問自答を繰り返し、膝を抱えて涙を枯らす夜は数え切れなかった。けれど……その暗闇に落ちるたびに、この世界の過酷な環境で生き抜く強きヒトたちが、不器用ながらも私を温かく励まし、倒れそうな背中を強く支え、そして、失われた大切なものの代わりを、彼らなりの形で直して、与えてくれたのだ。

 

その日の備蓄食料が自分たちの分すらカツカツで少ないはずなのに、見ず知らずの私に湯気の立つ温かいスープとご飯を惜しげもなく分けてくれた、皺くちゃの老夫婦がいた。

自分たちの寝るスペースすら狭くて隙間風が入るのに、「お姉ちゃん、ここで寝なよ」と一番暖かい毛布と寝床を譲ってくれた、泥だらけの子供たちがいた。

真っ二つに壊れて捨てざるを得なかった愛銃から、妹のミドリが誕生日プレゼントにくれた大切なキーホルダーのアクセサリだけを、危険な戦場にわざわざ引き返して回収してきてくれた、無口な隻眼の男性がいた。

ボロボロに引き裂かれて使い物にならなくなったピンクのコートを、この世界で採れる強靭な素材と防弾繊維を丁寧に継ぎ接ぎして、より実戦的で使いやすく、それでいて元のデザインの面影を残すように仕立て直してくれた女性がいた。

完全に砕け散ったヘッドホンの残骸から、かろうじて生きているパーツを拾い集め、元の猫耳のようなデザインを意地でも再現した上で、高性能な索敵用通信機として甦らせてくれた、偏屈だが腕の立つ老技師がいた。

武器をなくし、戦う手段を失って絶望していた私に、彼が長年使っていたという重厚で新しい武器を、「お前なら使いこなせる」と迷いなく託してくれた歴戦の戦士がいた。

その扱いの難しい武器が私の小さな手と体に完全に馴染むまで、血を吐くような厳しい訓練を毎日毎日、一切の妥協なく叩き込んでくれた師匠がいた。

平和な日常なんて想像もつかないこの世界で、「キヴォトスって、ゲームって、どんな世界なの?」と、私の語る故郷の思い出話を、目を輝かせながら興味深そうに何時間も聞いてくれた少女がいた。

「モモイなら、いつか必ずあの光の中に帰れる。俺が保証する」と、根拠なんて何一つないはずなのに、力強い瞳で私の存在を、私の希望を肯定して励ましてくれた、同年代の不敵な男の子がいた。

 

そうやって、私は数え切れないほどの絆に支えられ、文字通り命を繋いでもらいながら、這いつくばってでも今を生きている。

でも、ふと立ち止まると、どうしても考えてしまうのだ。キヴォトスの空の下に取り残された、みんなの心は大丈夫だろうか、と。

 

ミドリは、きっと私のベッドで毎晩泣いているだろう。

昔から私よりもずっと冷静沈着で、何事も大人っぽく振る舞っていたけれど、その内面は誰よりも繊細で、傷つきやすく、そして私にべったりの甘えんぼだったから。

ユズはどうだろう……。

あの時、自分も一緒にエンジニア部に行かなかったことを深く深く後悔して、自分の心の殻に閉じこもるどころか、無理に強がって残されたゲーム開発部のみんなを引っ張ろうと、心身を削っていないだろうか。

アリスも、きっと悲しみに暮れてダメになっているに違いない。

あの子はいつだって光の勇者であろうと真っ直ぐに胸を張るけれど、パーティの仲間の痛みを誰よりも自分のことのように感じる、底抜けに優しい子だから。

ケイは、そんなアリスを裏から支えながら、きっと必死に頑張ってくれているはずだ。

私がこの世界から帰還するための隠しルートを見つけ出そうと、論理の限界を超えて、キヴォトス中のあらゆる情報を漁って走り回ってくれているかもしれない。

 

ユウカは、ちゃんと眠れているだろうか。

部費の無駄遣いや徹夜のゲームに対して、いつも口うるさくお小言をぶつけてきたけれど、誰よりも生徒思いで、心配性で、根本的に優しくて……。今となっては、鼓膜が破れそうになるほどのあの「モモイ!!」という怒鳴り声すら、胸が締め付けられるほど恋しく思えてしまう。

ノア先輩も、自分の記憶力に押し潰されていないか心配だ。

いつも静かに微笑んで、大人っぽく余裕の態度を崩さない人だったけれど、彼女の脳は一度見たものを絶対に忘れられない。私が光に呑み込まれて消え去ったあの瞬間の絶望的な光景を、永遠に鮮明なまま記憶し続けて、一人で苦しくなっていないだろうか。

コユキは……まあ、良くも悪くもコユキだし、元気にやっているだろう。

すべての元凶なのだから、さすがに少しは反省して責任感を感じていてほしいところだけれど、あの謎のバイタリティがあれば、暗い雰囲気も吹き飛ばしてくれているかもしれない。

 

ウタハ先輩とヒビキ、コトリの三人は、無茶をして体を壊していないだろうか。

今回の事故の直接的な原因は、エンジニア部が組み上げた転送装置なのだから……彼女たちの性格上、強烈な罪悪感に駆られて、きっと寝る間も、食事の時間すらも惜しんで、私を呼び戻すための装置の修復と改良に命を削っているはずだ。

 

ネル先輩は……きっと、絶対に大丈夫。

誰よりも小柄で、誰よりも喧嘩っ早くて、誰よりも強いあの人のことだ。涙なんて絶対に見せず、誰よりも気丈に力強く振る舞って、傷ついたみんなの心を支えるサポート役に徹してくれているはずだ。

アスナ先輩やカリン先輩、アカネ先輩たちも、きっといつも通りに、それぞれのやり方でミレニアムの平穏を守ってくれていると思う。

 

そして、先生は……。

大人の責任として、私たち生徒のためにいつだって無茶をするあの人は……きっと今も、私を助け出すために、あらゆる手段を尽くして全力で動いてくれているよね。

 

……キヴォトスに残してきた、愛すべきみんなの顔を一人ひとり思い浮かべていると、いつの間にか、窓を叩くざぁざぁという雨脚がすっかり弱まり、微かな小雨へと変わっていた。

そして、重く垂れ込めていた灰色の雨雲の分厚い隙間から、まるで世界を祝福するかのような暖かく眩い陽光が、幾筋もの光の柱となってこの冷たい廃墟の中へと差し込んできていた。

 

「……ふふっ。やっぱり、ただの通り雨だったね」

 

「よいしょっと」と、少しだけ低くなった声で呟きながら、コンクリートの床からゆっくりと立ち上がる。

すぐさま戦闘態勢に入れるよう、軽く、しかし入念な準備運動を開始する。

腕の筋肉をゆっくりと伸ばし、脚の関節を曲げてアキレス腱を伸ばし……急激な負荷で筋肉痛や肉離れを起こさないように、体の隅々まで血流を巡らせる。

念入りな準備運動が終わると、次は腰のタクティカルポーチを素早くまさぐり、アイテムのインベントリに忘れ物や補充漏れがないか、指先の感覚で確認していく。

止血帯や消毒液の入った応急キット、視界を奪うフラッシュバン、仲間への合図に使う信号銃、そして最低限のカロリーを摂取するための携帯食料。よし、アイテムの欠損はない。

そして最後に、壁に大切に立てかけてあった、この世界で受け取った無骨で不格好な相棒(武器)のグリップをしっかりと握りしめる。

大型の弾薬を装填するリボルバー式のライフル、その分厚い銃身の下部には、重厚な片刃の刀身が一体化して取り付けられている、近接と遠距離の両方をこなすロマンの塊……この世界での武器の正式なカテゴリ名は、『リボルバーブレード』だっただろうか。

でも、私はこの相棒を、そんな味気ない名前では呼んでいない。私がこの武器につけた名前は、”ウェイ・バック・トゥ・ミレニアム(Way Back To Millennium)”。

……いつか必ず、あの大好きな日常へ帰還するための一本道。

その強い決意を忘れないように、あの老技師に頼み込んで、黒光りする銃身の側面に、その名前をしっかりと刻み込んでもらっているのだから。

 

「さーて……サクッとこのエリアの敵を一掃して、早く終わらせて、拠点のボロベッドでゴロゴロしよーっと!」

 

かつての部室でゲームのコントローラーを握る前によく口にしていた調子で、独り言を空中に放り投げ、自身の士気を最高潮へと鼓舞する。

ウェイ・バック・トゥ・ミレニアムの重みを両手でしっかりと確かめるように持ち直し、私はひび割れた床を力強く蹴って、雨宿りをしていた廃墟のビルから飛び出した。

水たまりを跳ね飛ばしながらしばらく走っていると、かつては巨大なホテルのロビーだったと思われる天井の高い大広間で、想定通りの敵のエンカウント(遭遇)があった。

蜘蛛のように這い回る六脚戦車型の重装甲オートメイルと、異常発達した筋肉を持つ豚頭の巨大なフェイタルビースツが、互いの存在を認識し、殺意を剥き出しにして睨み合っていたのだ。

どちらも中型のボス個体クラス。どうやら、この広間を自分たちの新たな縄張りにしようと争っているらしい。だが、このエリアの地下に細々と暮らしている、あの優しい生き残りのヒトたちにとっては、どちらが勝っても最悪の邪魔者でしかない。

 

「悪いんだけれど、あんたたちには、ここで仲良くゲームオーバーになってもらうからね!」

 

私はウェイ・バック・トゥ・ミレニアムの銃口を真っ直ぐに構え、その一触即発の睨み合いの中央へと、一切の躊躇なく乱入した。

その直前。私は、雨の湿気で額に僅かに浮かんでいた汗と、道中で頬に跳ねていた泥の汚れを、パーカーの袖口で乱暴に、しかし完全に拭い去った。どれだけ泥臭い世界にいようとも、顔に薄汚れた跡を残したまま戦うのは、ミレニアムの生徒としての、そして私自身の美学に反する。

鏡のように磨かれたリボルバーブレードの刀身に、一点の曇りもない自分の素顔が映り込む。

そして――私の唇の端が、三日月のように吊り上がった。

それは、かつて部室で笑っていたような、純粋で無邪気なそれではない。目の前の暴力的な敵を完全に蹂躙し、叩き潰すことを確信した、少し狂気的で、ゾクッとするほど大人びた『悪い笑顔』だった。




そのうち、続きかきます
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。