何かあった才羽モモイが、異世界の廃墟の中で生きるだけの話 作:ミレニアムのモブ:文学派
『そうやって、また逃げるのね』
アンリーゼの耳の奥に、鼓膜を通さず直接脳髄を掻き毟るような、その冷たく呪詛めいた声が響いた。
巨大な地下都市ナヴァギオの最下層、複雑に張り巡らされた無数のメンテナンス用横穴……配管の錆と湿ったカビの臭いが立ち込めるその一つに、逃げ込むように入り込み、壁に背を預けて震える手でタバコの煙を揺らしていた、まさにその矢先のことであった。
しかし、アンリーゼはその亡霊のような声に耳を傾け、怯えるような素振りを見せることはなかった。
いや、見せないように必死に虚勢を張っていた。
むしろ、「またか、聞き飽きた」とでも言わんばかりの態度で、深く肺に毒々しい煙を流し込み、狭い天井に向けて長く吐き出したのである。
それでも、その声はアンリーゼの心を削り取るように、執拗に言葉を響かせ続けた。
『これまで、あれだけ大勢の子供たちに死ぬように命令して、そして彼らの肉を肥料にして育てたイモを平然と食べて生きてきたのに……。
いざ状況が良くなって、その死を弔おう、直視しようとすると、怖くて見つめることができない。自分がどれほどの血肉の上に立っているのか、数えることすら恐ろしいのでしょう?』
声は、聞く耳を持たない(ように見せかけている)アンリーゼに一切構わず、彼女の最も柔らかい罪悪感の奥底を冷酷に責め立てる。
『通信機を繋げたままフェイタルビースツの群れに生きたまま食いちぎられた、第3偵察隊のあの子の最期を覚えている?
「総隊長、助けて」「痛い」「死にたくない」……あのノイズ混じりの絶叫には、間違いなくあなたに対する深い恨みと絶望が込められていたわ』
「…………。」
『オートメイルの強襲部隊に遭遇して、反撃の術も持たずに蜂の巣にされた第12回収班の子供たちのことは覚えている?
討伐班が疲労で出撃できない時に、あなた自身が「今日中に物資が要る」と回収任務に出させて……それで、オートメイルの重機関銃で文字通り肉片になるまで撃ち抜かれた。
……あの時のあの子達の、最期の目。あなたに対して、「嘘つき」って絶望していたわ』
「…………ろ」
『磁気嵐のせいで通信が途絶していた、遊撃チームのことは覚えている?
経験豊富で優秀なチームで、今前線に立っている子達の立派な先輩だったのに……あなたが予測して選んだ避難地点が、敵の地下砲撃で崩壊して、生きたまま瓦礫の下敷きになって圧死したわね。
後日、遺体を掘り起こして回収した時……みーんな、信じられない、あなたに裏切られたって顔をして、目を見開いて死んでいたわ』
「…………やめ」
『気づいていないの? それとも、気づかないふりをしているの?
あなたは生存の象徴なんかじゃない。あなたは死を運ぶ存在。
大勢の若者に死ねと命じる癖に、自分自身は自殺することも、最前線で死ぬ事も出来ない、ただの薄汚い臆病者。
人間の皮を被った非人間。仲間の死肉を喰らって生き延びた化け物。
―――そんな汚らわしいお前が、他人の死に安らかに眠るよう祈れるわけがないだろう? 笑わせるな。お前はただ、罪から逃げたいだけだ』
「やめろォッ!!」
ついに、脳内を反響する声に耐えきれなくなった悲痛な叫びをあげつつ、アンリーゼは腰に帯びていた長大なベヨネット(銃剣)のみを乱暴に抜き放ち、声のする暗闇の方向へと無茶苦茶に振り回した。
自身の脳に巣食う罪悪感の亡霊を振り払うように、乱雑に。まるで、暗闇の化け物に怯えてナイフを振り回す、小さな子供のように……ベヨネットはただ虚しく、湿った空気を切り裂く音だけを立てた。
やがて、激しい動きで体力をすり減らし、バランスを崩して濡れた配管の上に座り込む。
総隊長としての威厳も何もなく、ただただ肩を震わせ、身を縮め、迫りくる幻聴から自分を守るように小さく丸くなっていた。
だがそれでも声は、その声は決して止むことはなく……
「『
いつしかその亡霊の声は、アンリーゼ自身の掠れた呟きと同化し、果てのない自問自答と自己嫌悪の螺旋となって、暗い横穴の中に止まることなく響き続けていた。
~~~~~
「……アンリーゼさんの、カウンセリング?」
一方そのころ、ナヴァギオの少し開けた居住区画の一角にあるロビーにて。ユリの重々しい言葉を、モモイは間の抜けた声でオウム返ししていた。
その確認の言葉に、ユリは深刻な顔でゆっくりと頷き、口を開いた。
「はい。つい先程、前線の部隊員から、これまでの戦没者の名を刻んだ墓石、あるいは慰霊碑を作る事が提案されました。ノアズ・レイヴン上層部はこれを了承……それに伴い、総隊長のご命令で、これまでの戦没者の完全なリストアップと、第4倉庫に眠る遺品の整理を―――」
「ユリ〜、前置きの丁寧な説明はすごく嬉しいし助かるんだけど、本題おねが~い。私、そういうお堅い話ちょっと苦手なの」
「……失礼しました。少し言葉が過ぎましたね。
とにかく、わたくしに対してその命令を下した後、総隊長は総隊長室を退出なされましたが……すれ違いざまに見えたその際の表情が、何かにひどく怯えているようにも、あるいは、今にも心が限界を迎えて泣き出してしまいそうな……そんな、普段の総隊長からは想像もつかないほど脆いものだったのです」
ユリは喋りながら、両手で大切そうに包むように持っていた缶ジュース(モモイにとっては見慣れた、キヴォトスのエンジェル24でよく売られている『桃色エナジー』である)のプルタブを、どこか思い詰めたように見つめる。
そのユリの瞳に浮かぶ感情は、モモイにも痛いほどよくわかるものであった。
異世界に飛ばされて右も左もわからなかった自分に、生きるための戦闘訓練だけでなく、私生活の些細なことまで度々世話を焼いてくれた、母親替わりのアンリーゼ。彼女を本気で心配し、なんとかしてあげたいと願う娘のような感情、そのものだったからだ。
「これまで私たちが強いられてきた極限状況をよく考えてみれば、最高責任者としてすべての命を天秤にかけてきた総隊長の精神が、とっくに限界を超えて摩耗しているのは容易に想像できたことでした……。
ですので、医療部と綿密に連絡を取り合った結果、総隊長のメンタルケア、つまりは本格的なカウンセリングを極秘裏に実施しようと思い、一番総隊長に心理的距離が近いモモイちゃんに、適任者がいないか相談したのですが……その表情だと、あなたでも難しいみたいですね」
「うん……。アンリーゼさんのことだから、私やアーサーたちみたいな身内に対しては、絶対に弱さを見せないように『私は大丈夫だ、舐めるな』って強がると思うし、無理に聞き出そうとしたら怒ると思う」
「……そう、ですよね。あの人は、そういう不器用な方ですから」
二人でどうしたものかと困ったような笑顔を浮かべていると、ふと二人のいるノアズ・レイヴンのロビーの扉のひとつが開いた。兵器整備室に繋がる油臭いドアから、首に汚れたタオルを巻いてやってきたのは、第7部隊所属の天才整備士『Z』ことザックだった。
自然と、彼がやってきたのを無言で眺めていたモモイとユリの視線に気づいたザックは、不思議そうに眉をひそめて2人を見つめ返す。
「どうした、お前ら。俺の顔になにか変なもんでもついてるのか?」
小柄で子供のような見た目からは到底考えられないほどの、長年葉巻を吹かしてきたマフィアのボスのようなどえらい低いバリトンボイスが部屋に響き渡るが、すっかりそれに慣れている2人は特に意に介さず、休憩に来たザックに言葉を返した。
「あー、うん。頬のところに、黒いオイルべっとりついてるよ」
「わたくしたちからみて右側の頬、ザックさんからは左側の頬に、おそらく黒色火薬かエンジンオイルを無意識に拭った跡がくっきりと残っております」
「む……チッ、さっき使ったタオルについてやがったか。
それで? お前ら2人して、世界の終わりみたいな辛気臭い顔を突き合わせて何してたんだ? またどっかの部隊がやらかしたのか?」
「……実は、ですね」
ユリは、ザックに先程モモイに相談した『総隊長のメンタルケア問題』の内容をそのまま、隠さずに話した。
ザックは黙って話を聞くうちに、手にした缶コーヒー(これもミレニアム製だ)を開ける手も止め、2人と同じようにひどく困ったような、険しい表情を浮かべた。
「……なるほどな。確かに、こいつはとてつもなく難しい問題だ。
あの強情な女狐が、素直に他人に腹の底を見せるとは到底思えねぇ」
「でしょー? 腕ずくで聞き出すなんて、絶対無理だし」
「……ですが、このまま放置してしまえば、総隊長は過去の罪悪感に押し潰され、取り返しのつかない、本当に引き返せないこと(自死)が起きてしまいそうで……」
「それは確かにそうだ。あの女、背負い込みすぎなんだよ。
……そうだ。俺たちみたいな『身内』じゃなきゃ、相談するんじゃないか?」
「「?」」
ザックの思いつきの言葉に、モモイとユリが揃って小首を傾げる。
ザックはその様子を見て、我が意を得たりとニヤリと笑い、言葉を続けた。
「
「……あっ! そっか! 先生に頼ればいいのか!」
「確かに……! 『シャーレの先生』様なら、ノアズ・レイヴンにとっては完全に部外者でありながら、総隊長と対等な立場で話ができる稀有な大人です。かつ、モモイちゃんの一件で、あの二人は不思議と悪友に似た関係性を築いていますし……何より、『シャーレの先生』様があのキヴォトスで培ってきた経験値や、生徒たちの心を救ってきたという実績なら、総隊長の頑なな心を開くカウンセリングはお手の物かもしれません」
「やった! それじゃあ早速、先生に頼みに行こうよ、ユリ!」
「そうしましょう。この時間なら、先生様は第4層の孤児院で、子供たちに文字や勉学を教えているはずです。
ザックさん、助かりました。的確な助言に心から感謝します」
「おう。あいつを……アンリーゼを頼んだぞ。気ぃつけろよ」
~~~~~
ナヴァギオは、旧世界の遺物である巨大な都市型の地下シェルターであり、すり鉢状に下へと続く全五階層の作りとなっている。
地表に最も近い第1層に、ノアズ・レイヴンの軍事本拠地と、ナヴァギオ暫定政府公務棟、そして負傷者が運び込まれる医療区と物資集積区が存在し、第2層から第4層にかけては一般市民が身を寄せる広大な居住区、最後の最下層である第5層が、この都市の命綱である巨大食料生産プラントとエネルギープラントとなっている。
モモイとユリが向かおうとしている、親を失った子供たちを保護する孤児院があるのは、居住区の最下層である第4層に存在している。
「それにしても……」
その第4層に向かっているさなか、第3層の居住区のメインストリートを進んでいるモモイとユリだが、モモイは歩きながら、そこら中に所狭しと掲げられている『復興工事中』の真新しい垂れ幕を、感慨深げに見渡していた。
トンテンカンと、あちこちで小気味よく金槌が振るわれる音や、ギャリギャリギャリと鋼材を切断するドリルか電動ノコギリの力強い音が響いている。黄色くペイントされた安全第一のヘルメットを被り、やけに目立っているキヴォトスのロボット市民たちや、色とりどりのつなぎを着た生徒たちが、慌ただしくも極めて正確に作業を進めていた。そして、そんなキヴォトスの住民たちに混ざって、かつては無気力にただ死を待っていただけのナヴァギオの住民たちが、一緒に汗を流して資材を運んだり、新しい建築の建て方を熱心に教授されていたりと、街全体が随分と忙しく、そして活気に満ち溢れていた。
「キヴォトスからの支援、すごく上手くいってるみたいだね。みんな、顔つきが全然違うよ」
「はい。これも全て、次元を越えて手を差し伸べてくれたシャーレの先生様と、キヴォトスの皆様、そして超常的な技術を提供してくださったセミナーの皆様……何より、その架け橋となってくれたモモイちゃんのおかげですよ。
この絶え間ない物資と技術支援のお陰で、今時期における危険なスクラップミッションの回数を極限まで少なくするどころか、回収班に所属している大勢の幼い子供たちが、死と隣り合わせの地上の外に出なくても済むような、そんな夢のようなところまで来ていますから」
ユリは歩みを進めながら、ふと、先ほど自らの手で抽出した、膨大な『戦死者リスト』のデータの重みを思い出す。
そのリストに載っていた名前のほとんどが、自分より年上か、あるいは同年代の若者たちだった。だが……時折、目を覆いたくなるような現実として、自分よりずっと年下、あるいはまだ年齢が2桁(10歳)にすらなっていない、小さな戦死者の名前すら刻まれていたのだ。
……その無数の戦死者の中には、幼い頃のユリが、本当の姉のように慕っていた優しい人物の名前も、確かに含まれていた。
それに、キヴォトスからの支援が来る前は、ナヴァギオという都市全体に、もっと重く、泥のようにへばりつく『絶望』という名の病魔が蔓延していた。
『今日は運良く生き延びることができた。でも、明日は生き残ることができるのか? 明日が来たら、この悪化していく状況はどうなるんだ?』
そういう出口のない不安が、人々の心を蝕み、絶望させ、生きる希望そのものを根本から失わせていたのだ。
だからこそ、暴動や犯罪を力で抑え込む警備隊の武力が必要だった。死体を肥料にするという狂気の沙汰も、生きるためだと無理やり正当化するしかなかった。
でも、今はどうだろう。
途切れることのない支援物資のおかげで、もう明日飢える心配をしなくて済む。
十分なほどにお腹は膨れ、命綱である食料生産プラントは、修理のついでにミレニアムの技術で劇的にアップグレートされた。
救護騎士団と救急医学部の連名の支援のお陰で、病気になった人間を「蔓延を防ぐため」という名目で隔離し、見殺しにしなくて済む。
適切な医療を、必要な人に迅速に届けることができ、十分な薬があり、確かな手術の腕のおかげで、ちょっとした怪我や病気に怯えて死を覚悟しなくてもすむようになったのだ。
……だからこそ。だからこそ、あの一般構成員の男も、こう思ったのだろう。
『自分たちはもう、死肉を食らって生き延びる化け物ではない。人間として、仲間の死を弔うことができるのだ』と。
「……やはり、今しかないのでしょう。
死者を正しく弔い、総隊長の……私を育ててくれた、不器用なお母様の心を過去の罪から守り、癒すタイミングは。私たちが、ようやく『尊厳を持つ人間に戻れる』のは、今しかないのです」
ポツリと、活気づくナヴァギオの街の風景を眺めながら、ユリは静かに呟いた。
もっと早く支援が来てくれれば、あの人たちは死なずに済んだのに、なんていう愚かなセリフは、決して出てこなかった。
だってそれは、モモイがもっと早く、あの恐ろしい転移事故に巻き込まれればよかったと言うことと同義だからだ。
今こうして心に余裕が生まれ、冷静に過去を振り返って考えられるからこそ、ユリは……いや、ナヴァギオの住民たちは皆、人らしい倫理と思考を取り戻し始めたのだ。
……だからこそ、最高責任者としてすべての業を背負ってきたアンリーゼは……人間に戻りかけている今の状況と、これまでの自分の冷酷な決断とのギャップに耐えきれず、あの脆く崩れそうな表情を浮かべたのだと、ユリははっきりと気づいたのである。
「……ユリ?」
「……急ぎましょう、モモイ。
善は急げという言葉もありますし、一刻も早く先生様に事情を話し、協力を仰がなければなりません。
総隊長の心が、過去の重圧で完全に折れてしまう前に。……全てが、手遅れになる前に」
ユリは、復興の音に包まれるナヴァギオの街から前へと目線を戻し、第4層へ向かう道を、祈るように足早に進み始めた。
ユリのただならぬ焦る様な雰囲気に、モモイもすこし不安げに眉をひそめるものの、親友の決意を察し、何も言わずに足早に進むユリの背中を、しっかりと追いかけるのであった。
シリアス目なお話を
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ぜひ見たい
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いいえ、遠慮しておきます