元ITエンジニアの俺、祖先の召喚術から召喚プログラムを組み上げて神も悪魔も従える   作:パラレル・ゲーマー

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第10話 スマホ版召喚術と、初めての異界準備

 

 夕暮れの気配が完全に消え去り、古い御門家の本邸は、夜の重い静寂に包まれていた。

 

 炎堂朱音が去った後の玄関には、微かに乾燥した香木の匂いだけが取り残されている。

 

 悠真は一人、仏間に戻り、祖父・宗一郎の遺影の前に静かに座っていた。

 

「じいさん。どうやら俺は、本当に異界という場所に行くことになりそうだ」

 

 線香の煙が細く、まっすぐに立ち上っていく。

 

 遺影の中の老人は、何も言わずにただ穏やかな微笑みを湛えているだけだ。

 

「あんたが残してくれた縁のおかげで、分家の朱音さんが案内役を買って出てくれた。……だけど、あの人が言う通り、今のままじゃ現場の最前線(本番環境)じゃ通用しない。俺自身の肉体が鍛えられないなら、道具と仕組みを極限まで洗練させるしかないんだ」

 

 悠真は遺影に向かって小さく一礼すると、決意を胸に立ち上がり、書斎へと戻った。

 

 座卓の上は、さながらオカルトと現代テクノロジーが衝突した実験室のようになっていた。

 

 愛用のノートPCがファンを高鳴らせ、その横には市販のスマートフォン、祖父が遺した黄ばんだ古文書の山、墨の匂いが残る霊符、ジャグラズに提供するつもりの新しい菓子の袋が雑然と並んでいる。

 

 さらに、画面の端には『塵霊隊(ダスト・スカッド)』の配置を示すデジタルマップと、高瀬陸斗から一時的に「間借り」したコガネの憑依ログ、そして空き家精霊のすみかから送られてきた求人要望の未処理タスクが山積していた。

 

 悠真はノートを開き、ボールペンを走らせて新しい開発要件(ロードマップ)を書き込み始めた。

 

【開発目標:Summon Runtime Mobile(SRM) 試作版】

 

 ・現場での生存(生存率向上)に特化した最小構成(MVP)の実装。

 ・契約個体のリアルタイムなステータス監視機能。

 ・片手操作を前提とした簡易命令(タスク発行)インターフェース。

 ・誤作動を極限まで排除した、確定的な緊急停止(フェイルセーフ)システム。

 ・異界内部における電波遮断を想定した、完全オフライン動作モード。

 

「最初からすべての機能を詰め込むのは現実的じゃない。まずは異界という過酷な現場で死なないための、必要最小限の機能(コアモジュール)に絞るべきだ。これは便利なアプリケーションじゃない。俺の命を繋ぎ止めるための、冷徹な生存管理システム(ライフライン)だ」

 

 悠真が鋭い視線で画面を睨みつけていると、ソファで退屈そうに尻尾を揺らしていたジャグラズが、ふらりと座卓を覗き込んできた。

 

「またそんな難しい顔をして、その小さな板切れを睨みつけてるのか。お前、本当に生真面目だな」

 

「スマホ版のフロントエンドを組んでるんだよ。これでお前たちへのアクセスを最適化する」

 

「ふん。要するに、その薄っぺらい板切れを使って、俺たちに繋がってる『契約の糸』を遠隔で操る気だろ? わざわざそんな面倒なことをしなくても、俺様の名前を呼べば済む話じゃねえか」

 

「呼ぶだけじゃ、お前の現在の魔力消費量(リソース)も、認識阻害の出力パーセンテージも数値化できないだろ。それに、万が一お前が暴走した時のための、緊急停止機能もこの中に実装する」

 

 ジャグラズは露骨に嫌そうな顔をして、尖った犬歯を覗かせた。

 

「……ちっ。またそれかよ。俺を強制的に縛り上げる『止める札』のボタンを、そんな手軽な場所に置く気か? 悪魔差別だぞ、それは。少しは俺を高貴なパートナーとして信用したらどうなんだ」

 

「安全設計に妥協は一切認められない。お前を信用することと、システムにセーフティを組み込むことは全くの別問題だ。例外処理が用意されていないシステムなんて、ただの欠陥品(爆弾)だからな」

 

「へーへー、相変わらず血も涙もない管理者様だこと。せいぜい俺の名前の横に変なバグマークでもつけないでおくれよ」

 

 *

 

 開発を開始して数時間、悠真は最初の、そして最大の物理的な壁に突き当たっていた。

 

 ――スマートフォンのハードウェアが、神秘(オカルト)の霊的負荷に耐えきれない。

 

 ノートPCの場合、御門家の蔵の奥に設置されている巨大な召喚陣と無線LANを介して半ば固定設備として同期していたため、霊的な圧力は陣の側に逃がすことができていた。

 

 しかし、完全に独立した市販のモバイル端末に、直接召喚術の通信プロトコル(霊的波形)を流し込もうとすると、端末の電子回路が異常な挙動を示し始めるのだ。

 

「……またノイズか。輝度設定が勝手に最大になって、バッテリーの消費速度が通常の十倍を超えてる」

 

 悠真は眉をひそめ、画面が激しく明滅するスマートフォンを手にとった。

 

 タッチパネルは触れてもいないのに誤作動を繰り返し、スピーカーからは「ザー……ザー……」という砂嵐のような雑音に混ざって、微かに塵霊たちの声が漏れ聞こえていた。

 

『ちり……ちり……』

 

『ゆうま……みえない……あつい……』

 

「まるでホラー映画に出てくる呪いのアプリだな。これじゃあ、UIの入力(タップ)すらまともに受け付けない」

 

「ケケケッ! 面白いことになってんじゃねえか」

 

 ジャグラズが画面を指差して笑う。

 

「その板切れから、埃の化け物どもの声が漏れてるぜ。あいつら、その中に入りたくてウズウズしてるみたいだな。……ほら、空き家のあのクソ精霊からも、何か妙な電波が飛んできてんぞ」

 

 スマートフォンの画面が突然、真っ黒な背景に変色し、そこに文字が勝手にタイピングされるように浮かび上がった。

 

【契約個体:すみか より受信】

 

【提案:アプリ起動時の演出に、古い扉の軋む音、または不気味な子供の笑い声を適用することを強く推奨します。これにより、内見者……ではなく、主様の精神的緊張感を高める効果が期待されます。】

 

「……却下だ」

 

 悠真は冷たく呟き、デバッグコマンドを入力してそのメッセージを強制終了(キル)した。

 

『ゆうま、なんで!? いい演出だと思うのに!』

 

「業務用アプリに無駄なホラー演出(演出ログ)はいらない。操作の邪魔だ。……ジャグラズ、お前の言う通り、物理的な電子機器に神秘側のデータを直接流し込むのには無理がある。スマホの基盤を守るための、ハードウェア的な緩衝層(ハードウェア・インターフェース)が物理的に必要だ」

 

 悠真は作業を一時中断し、祖父の蔵へと向かった。

 

 埃っぽい棚の奥をランタンの光で照らし、古文書の影に隠されていた木箱をいくつか引っ張り出す。

 

 中から出てきたのは、若き日の宗一郎が収集し、結局使いこなせなかった呪術的な素材の山だった。

 

 古い銀糸、微かに霊力を反射する小さな銅鏡の破片、術式が刻まれた薄い霊木の板、そして御門家の家紋が刺繍された、革製の古めかしい札入れ。

 

「……よし。これらを組み合わせれば、論理的な緩衝材(コンバーター)を作れる」

 

 書斎に戻った悠真は、手先を器用に動かしながら、スマートフォンの背面に霊木の薄板を合わせ、銀糸と銅鏡の破片を配置して、それらを札入れの革ケースへと強引に組み込んだ。

 

 名付けて『御門式携帯端末護符ケース』。

 

 スマートフォン本体に霊的圧力を直接通すからエラーが起きる。

 

 ならば、このケースに埋め込んだ護符と御門家の血統認証を中継させることで、オカルト的な負荷(パケット)をケース側にすべて逃がす。

 

 スマートフォンは、あくまで画面の表示(描画)とタッチ入力だけを処理する端末(クライアント)として再定義するのだ。

 

 ケースをカチリと装着し、再び電源を入れる。

 

 スマートフォンの画面は、先ほどまでの激しいチラつきが嘘のようにピタリと安定していた。

 

 黒い背景の中に、極めてシンプルで洗練された緑色のフォントが滑らかに立ち上がる。

 

【Summon Runtime Mobile 試作版 起動成功】

 

【認証:御門悠真(血統署名一致)】

 

【現在の稼働個体:4系統 / 102体】

 

【ハードウェアステータス:安定】

 

「……よし。起動(デプロイ)に成功した」

 

 悠真は、小さくガッツポーズをした。

 

「へえ、本当にそのお守りのケースを着せたら、静かになったな。人間の小細工も大したもんだ」

 

 ジャグラズが感心したように呟く。

 

「まだ動作確認(テスト)の段階だ。ここから各モジュールの検証を始める」

 

 *

 

 悠真は、新しく完成した画面をタップし、契約個体の一覧(ダッシュボード)を表示させた。

 

 モバイル用に最適化された画面には、各個体のステータスがリアルタイムで更新されている。

 

【個体識別:ジャグラズ】

 

 ・種別:低級悪魔(レッサーデーモン)

 ・状態:安定(顕現形態:固定)

 ・リソース消費量:通常値(ただし供物への不満度:やや上昇)

 ・パッシブスキル:認識阻害(有効)、影潜り(待機)

 ・エマージェンシーロック:完全有効

 

「おい、悠真。その『不満度:やや上昇』って表示は何だ。嫌がらせか?」

 

 画面を覗き込んだジャグラズが、細い指で画面を小突いた。

 

「お前が毎日ハーゲンダッツの追加注文を要求してくるから、消費リソースの予測値が跳ね上がってるんだよ。事実ベースのステータスだ」

 

「もっとこう、“高貴なる夜の支配者”とか、悪魔らしい格好いい肩書きに書き換えろよ!」

 

「種別表示に主観は一切含めない。次、塵霊隊のステータスだ」

 

 画面をスワイプすると、市街地の簡易地図が表示され、そこに百個の小さな青い光の点が、まるで星座のように細かく点滅していた。

 

【Dust Spirit Network(塵霊隊)】

 

 ・総契約数:100体

 ・稼働エリア:御門家周辺 62%、駅前区域 38%

 ・ステータス:索敵巡回中(異常ログなし)

 

 画面の隅で、塵霊たちの微弱な信号がテキストとしてポップアップする。

 

『ゆうま、みえる』

 

『ちり、ここにいるよ』

 

『あかいお姉ちゃん、もういない?』

 

「これなら、現場を歩きながらでも、どのポイントに異常があるか一目でマッピングできる。……ただ、異界の中に入ったら、この百体の通知を一画面に流すと確実に画面が埋まるな。通知のフィルタリング条件を、現場の危険度(アラートレベル)に応じて自動で切り替えるように設定しておこう」

 

 さらに画面をスクロールする。

 

【個体識別:すみか】

 

 ・種別:試用守護精霊(家屋定住型)

 ・担当エリア:駅裏空き家

 ・状態:良好

 ・通知設定:高頻度(雑談ログを含む)

 

『ゆうま! スマホの中にすみか、映ってる!? お化け屋敷の求人はまだ!?』

 

「……すみか、通知頻度を制限(ミュート)するぞ。業務に関係のない私信は一日三回までだ」

 

『えー! けち! すみか、ちゃんと見張ってるのに!』

 

「業務報告だけなら、ログで自動送信されるように組んであるから問題ない」

 

 悠真は淡々と設定を変更していく。

 

 力を持った怪異たちを、スマートフォンの設定画面(コントロールパネル)一つで制御していく光景は、側から見れば奇妙という他なかった。

 

 最後に、画面の最下部。

 

【個体識別:コガネ】

 

 ・主契約者:高瀬陸斗

 ・補助契約(間借り):御門悠真

 ・一時憑依ステータス:【利用不可(ロック中)】

 ・解除条件:承認された訓練施設内、または主契約者の緊急要請時のみ

 

「よし。ここも仕様通りにガチガチにロックがかかってるな。……力があること自体よりも、それが『使えない条件』をシステム的に明確にしておくことの方が、生存戦略としては遥かに重要だ」

 

 悠真がそう呟くと、ジャグラズは少し複雑そうな表情で鼻を鳴らした。

 

「……お前、本当に悪魔より悪魔じみた徹底っぷりだな。だが、その画面の一番上にある、その大きな赤い四角は何なんだ?」

 

 ジャグラズが指差したのは、画面の上部に常に固定されている、不気味なほどの存在感を放つ赤いアイコンだった。

 

「それが、このアプリの最大の核心(コア)。『緊急停止(エマージェンシー・ブレーキ)』のボタンだ」

 

 *

 

 悠真は、その赤いボタンを見つめながら、システム設計者としての深い悩みを打ち明けた。

 

「このボタンの配置が、一番の難問だったんだ。……異界で契約個体が暴走した時、あるいは予期せぬエラーが起きた時、一秒でも遅れれば俺の命はない。だから、何よりも『押しやすさ(即応性)』が求められる」

 

「だったら、画面の真ん中にデカデカと置けばいいじゃねえか」

 

「それだと、歩きながら操作した時や、敵の攻撃を避けて転んだ時に、指が誤って触れてしまう危険性(誤タップ)があるだろ? 探索の最中に、何でもないところで緊急停止が誤作動して、お前の認識阻害が突然解除されたら、その瞬間に俺たちは怪異の群れの中に生身で放り出されることになる」

 

「あ……それは確かに、最悪のバグ(大惨事)だな」

 

 ジャグラズも、想像したのか身震いをした。

 

「二段階の確認画面(『本当に停止しますか? Y/N』)を挟めば誤操作は防げる。だけど、そんなものを一分一秒を争う戦場でポチポチ押している余裕はない。即応性と安全性が、完全にトレードオフの関係になってるんだ」

 

 悠真は、祖父の遺した古文書を紐解いた。

 

 そこには、かつての召喚師たちが命の危機に瀕した際、言葉ではなく「己の血と、強烈な恐怖の意志」によって発動させる『緊急帰還符』の記述があった。

 

「……なら、それをこのケースの物理的な構造(ハードウェア)に組み込めばいい」

 

 悠真は、携帯ケースの側面に、細かく銀糸を織り込んだ。

 

「通常時は、画面を長押しして、さらに血統認証を通さないと緊急停止は作動しない。……だけど、俺が本当に命の危険を感じて、このスマホの側面を『握り潰すほどの力』で強く握りしめた時、ケースの銀糸が俺の急激な心拍数の上昇と、霊的なパルスを検知する。その瞬間、画面の操作を一切無視して、全契約個体への強制遮断(シャットダウン)と退避命令が最優先で実行(割り込み処理)されるように組んだ」

 

 ジャグラズは、目を丸くした。

 

「つまり……怖くなったら、その板切れを全力でギュッと握りしめれば、全部止まるってことか」

 

「大雑把に言えばそうだ。言葉も、画面を見る余裕すらなくても、人間の防衛本能(握るという動作)そのものをトリガーにする。これなら、現場の混乱の中でも確実に機能するはずだ」

 

「……へえ。お前のその執念深さだけは、ちょっと尊敬してやるぜ」

 

「死にたくないだけだよ。……よし、試作版の基本実装は完了した。ヤタガラスに確認(申請)を出す」

 

 *

 

 悠真はノートPCに向かい、烏丸蓮司宛に、作成したばかりのシステム仕様書と、端末の稼動ログを添付してメールを送信した。

 

【件名:召喚契約管理用携帯端末(モバイル版SRM)試作完了に伴う安全確認のご相談】

 

 メールを送信して、わずか十分後。

 

 悠真のスマートフォンが、ジリリリ、と軽快な着信音を鳴らした。

 

 画面には『烏丸蓮司』の文字。

 

「もしもし、御門です」

 

『……御門様。烏丸です。まず、一つだけ確認させてください』

 

 電話の向こうの烏丸の声は、いつもの冷静なトーンでありながら、どこか遠い目をしているような、深い疲弊が混ざり合っていた。

 

『昨日、炎堂朱音様がそちらを訪問されたと、記録にありますが』

 

「はい。挨拶に来ていただきました」

 

『そこから……もう携帯端末への術式移植(スマホアプリ化)を完了させたのですか?』

 

「ええ。異界にノートPCを持ち込むわけにはいかないと指摘されたので、大至急、最小構成(プロトトタイプ)をビルドしました。お守りのケースを使って緩衝層を作ったら、案外すんなりと稼働しまして」

 

『……。御門様、裏社会の常識において、その「すんなり」という言葉の意味が、当方とあなたで数光年ほどの乖離がある可能性を、そろそろ自覚していただきたいのですが』

 

 受話器の向こうで、書類がバサリと落ちる音が聞こえた。

 

 烏丸が額を押さえているのが、手に取るように分かる。

 

『ですが、未登録のモバイル術式を無断で実戦投入されるのは、行政としても管理上、非常に困ります。……分かりました。安全性の検証テスト(セキュリティ監査)を行います。本日午後、支部の地下訓練室へお越しください。……同行の前提条件として、炎堂朱音様にも同席の要請を出しておきますので』

 

「分かりました。よろしくお願いします」

 

 通話が切れる。

 

 悠真は、スマートフォンの画面に映る緑色のログを見つめた。

 

「よし。本番環境のテスト(監査)が決まったぞ、ジャグラズ」

 

「ケケケッ! お役所の目の前で、そのお守りスマホが火を噴かないことを祈るぜ、ブラック当主」

 

 *

 

 午後。

 

 ヤタガラス都内支部の地下、最大規模の防護結界が張られた訓練室。

 

 そこには、烏丸蓮司だけでなく、既に腕を組んで不機嫌そうに待っている炎堂朱音の姿があった。

 

「おっそい! 悠真!」

 

 朱音は、黒い耐火手袋を嵌めた手を振り回しながら、悠真の姿を見るなり歩み寄ってきた。

 

「昨日の今日で『スマホ版ができたからテストさせてくれ』ってメールが回ってきた時、あたし、ヤタガラスの悪質なフィッシング詐欺かと思ったわよ! あんた、本当に作ったの!?」

 

「最低限の生存機能だけですが。これです」

 

 悠真が、御門家の紋が入った革ケースに収められたスマートフォンを差し出すと、朱音はそれをひったくるようにして奪い取り、目を皿のようにして観察し始めた。

 

 画面をタップし、ジャグラズや塵霊隊のステータス画面が滑らかに切り替わるのを見て、彼女の目つきが徐々に驚愕へと染まっていく。

 

「……マジじゃない。何これ、意味が分からない。なんで市販の液晶画面が、悪魔の魔力に当てられて焼き切れてないわけ?」

 

「ケースの内部に、祖父の遺した霊木の板と銀糸を組んで、霊的パケットの緩衝層(コンバーター)を作ったんです。本体の基盤には、変換された安全なデータしか流していません」

 

「……あんた、やっぱり本物の変態(天才)ね。御門の万能召喚術を、こんなコンパクトなガジェットに凝縮しちゃうなんて……」

 

 朱音は呆れ果てたように溜息をついたが、すぐに表情を引き締め、プロの召喚師の目(現場目線)になって端末を弄り回し始めた。

 

「……うーん。システムとしては凄いけど、これ、現場じゃ使えないわね」

 

「えっ、どこに欠陥が?」

 

 悠真が身を乗り出すと、朱音はスマートフォンを片手で激しく上下に振りながら、手厳しく指摘した。

 

「まず、画面の文字が小さすぎる! 異界の中はね、基本真っ暗なの。あるいは、血の霧が立ち込めてたり、怪異の絶叫で空間が歪んでたりする。そんな中で、こんなオシャレで細い緑色のフォントをじっくり読んでる余裕なんてあるわけないでしょ! 走って逃げながらでも、一瞬でステータスが分かるように、文字は今の三倍、色ももっと極端に変えなさい!」

 

「なるほど……視認性の問題(アクセシビリティ)ですね。メモしておきます」

 

「あと、この命令ボタン! 手袋をしてたら反応が鈍いわよ! あたしたち前衛は、常に耐火グローブや防護符を手に纏ってるの。現場用のUI画面は、ボタンを画面の半分くらいのクソデカサイズにするか、物理的なボリュームボタンの長押しなんかと連動できるようにしなさい!」

 

 朱音の指摘は、まさに「実戦の戦場」を生き抜いてきた者ならではの、極めてリアルなフィードバックだった。

 

 開発環境(書斎)の中だけでは決して気づけなかった、現場の過酷な要求仕様だ。

 

「さらに、この警告アラート! 画面に赤いウィンドウを連打させるのはダメ! 異界の中じゃ、ちょっとしたノイズでも画面が真っ赤になるわよ。普段の『注意ログ』と、今すぐ逃げないと死ぬ『即時退避(クリティカル・エラー)』のアラートは、振動のパターンと警告音の周波数を完全に分けなさい。画面を見なくても、ポケットの中の振動だけで、あ、これヤバい奴だって体に分からせるの」

 

「……完璧なフィードバックです。完全に俺の設計ミスでした。現場用の『異界探索モード』の画面を、通常画面とは完全に切り離して一からデザインし直します」

 

 悠真が深く感心してノートに書き留めていると、今度は横から烏丸が、タブレットを片手に行政目線のチェックを入れ始めた。

 

「御門様、システム的なガバナンスの観点から、いくつか確認を。……このアプリ、異界の内部で電波(通信)が遮断された際の、ログのローカル保存期間はどれくらいに設定されていますか?」

 

「内部のフラッシュメモリに、完全に暗号化した状態で最大二週間分のログを保持します。支部に戻り次第、ヤタガラスのサーバーへAPI経由で自動送信(デプロイ)される設計です」

 

「よろしい。……では、契約個体が一般人の居住領域へ逸脱、あるいはポリシーに違反した際の、ヤタガラスへの緊急通報(パケット送信)のバックドアは?」

 

「ケースの緊急停止回路と連動して、自動的に暗号化された座標データが、ヤタガラスの指定ポートへ送信されるように組んであります。個人情報に相当する周囲の一般人の音声や映像は、送信前にすべて自動でマスク(黒塗り)処理されます」

 

 烏丸は、眼鏡を指で押し上げ、満足そうに微笑んだ。

 

「完璧ですね。行政としては、その『事故時の履歴(監査ログ)』の透明性こそが最も重要です。……よろしい、御門様。これより、その端末の動作確認を兼ねて、支部の『模擬異界』での実地テストを許可します」

 

 *

 

 訓練室の奥。

 

 重厚な鋼鉄の扉を開けると、そこには現世の物理法則が微かに歪められた、ヤタガラス管理下の『小型模擬異界』が広がっていた。

 

 一歩足を踏み入れると、空気が不自然にひんやりと冷たく、重くなる。

 

 見た目は古い旅館の長い廊下のようだが、壁の木目の模様が、生き物のように僅かに蠢いていた。

 

 スマートフォンのアンテナ表示は即座に『圏外(アウト・オブ・サービス)』を示し、遠くの暗がりから「ふふ……」と、出所不明の不気味な笑い声が反響してくる。

 

 スマートフォンのケースが、かすかに青白い光を放ち、画面に『オフライン動作モードへ移行』の文字が浮かんだ。

 

『ゆうま! ここ、ちょっと空き家のお友達の家に似てる! すみか、ここ好き!』

 

 スピーカーから、すみかの弾んだ声が漏れる。

 

「すみか、お化け屋敷の偵察じゃないんだから静かにしてくれ。……通知頻度を『緊急のみ』に設定変更(ミュート)」

 

『えー! つまんないの!』

 

「ジャグラズ、認識阻害を起動。出力を三十パーセントに設定して、廊下の奥まで歩いてみてくれ」

 

「へえへえ。テスト稼働だな」

 

 ジャグラズが影に潜み、廊下の奥へと進む。

 

 悠真のスマートフォンの画面には、彼女の現在位置と、認識阻害の電磁的・霊的ノイズの有効範囲(バウンディングボックス)が、正確な円となって描画されていた。

 

「位置同期、遅延(レイテンシ)なし。認識阻害の出力も、設定値通りに維持されてる」

 

「じゃあ、次はあたしのサラを近づけるわよ。高熱源体への、塵霊隊のリアクションテストね」

 

 朱音が指先から火蜥蜴のサラを顕現させ、廊下の奥へと放った。

 

 サラが火花を散らしながら進むと、悠真のスマートフォンが、激しいバイブレーションと共に、凄まじい勢いで警告ログを吐き出し始めた。

 

【警告:極端な熱源(炎属性波形)の接近を感知】

 

【塵霊隊(DS-012~035)よりパニックシグナルを受信】

 

【ポリシー違反:一斉退避行動が開始されました。環境ログが一時的に混線中】

 

「うわ、駄目だ! 塵霊たちのパニック通知が多すぎて、画面の描写プロセスの処理が追いつかない! 警告音がうるさすぎる!」

 

 スマートフォンのスピーカーから、ピピピピピ! とけたたましいアラート音が鳴り響き、画面が赤い警告ウィンドウで埋め尽くされる。

 

「ほら見なさい!」

 

 朱音が、すかさず悠真の頭を軽く叩いた。

 

「そんな大音量でアラートを鳴らしたら、異界の中の他のモンスターに、ここに人間がいますよって宣伝してるようなもんでしょ! 警告は音じゃなくて、画面のフラッシュとバイブの回数で制御しなさいって言ったでしょ!」

 

「す、すみません! すぐに例外処理のコード(パッチ)を書きます!」

 

 悠真は、慌ててスマートフォンを強く握りしめ、頭の中で『全プロセス、緊急停止!』と強く意識した。

 

 その瞬間、ケースの銀糸が悠真の脈拍と霊的パルスを検知し、スマートフォンの画面が暗転。

 

 それと同時に、廊下の奥にいたジャグラズの認識阻害と、逃げ惑っていた塵霊たちの接続が、ミリ秒単位で完全に強制遮断(アカウントロック)された。

 

 ジャグラズが「うおっ!?」と声を上げて影から引きずり出され、廊下の光の中に姿を現す。

 

「……ふぅ。緊急停止(エマージェンシー)のハードウェアトリガーは、完璧に動作したな。一瞬でシステムが初期化された」

 

 悠真が冷や汗を拭いながら画面を再起動すると、朱音は満足そうに腕を組んで頷いた。

 

「……合格。いくつかの不具合(バグ)はあるけど、現場のフィードバックを反映すれば、十分に異界に持ち込めるわ。昨日の今日でここまで仕上げてくるなんて、本当に大したエンジニア(召喚師)だね、あんた」

 

「ありがとうございます。朱音さんの現場目線のアドバイスのおかげです」

 

 烏丸も、訓練室のモニターを見ながら頷いた。

 

「素晴らしい。携帯端末による召喚術の運用テスト、第一段階はクリアと見なします。……では、御門様。安全性が証明されたということで、次回の『初異界探索』の具体的な行き先を決定しましょう」

 

 *

 

 執務室に戻り、朱音がデスクの上に広げたのは、ヤタガラスが管理している都内の「低危険度異界」の調査資料だった。

 

 資料のタイトルには、『旧商店街・地下通路の小異界』と記されている。

 

「ここが、あんたの初舞台(デビュー戦)だよ、悠真」

 

 朱音は、資料の写真を指差し、その概要を説明し始めた。

 

 そこは、数十年前の再開発によって完全に閉鎖され、地中に埋もれた古い商店街の地下通路だった。

 

 かつてそこを行き交った買い物客たちのささやかな記憶、閉店を余儀なくされた店主たちの未練、そして置き去りにされた無数の「忘れ物」たちの思念が長年蓄積した結果、現実の地下から位相がズレた、小さな異界へと変質してしまったのだという。

 

「危険度は『低』。出現する怪異も、古い看板の精霊とか、値札に宿った小鬼、忘れ物のガラクタに意志が宿った小妖魔くらい。命に関わるような上位の存在は、ヤタガラスの定期巡回で間引きされてるから出ないわ。……何より、ここを選ぶ最大の理由はね」

 

 朱音は、ニヤリと口角を上げた。

 

「……あんたの『塵霊隊』と、死ぬほど相性が良いからだよ」

 

「塵霊隊と?」

 

「そう。忘れ物や埃、寂れた空間の記憶から情報を拾い上げるのが、あんたの百体の兵隊たちの本職でしょ? あそこはまさに、こいつらのための『ログの山』みたいな場所よ。あたしが前衛で敵を焼き払ってる間に、あんたの塵霊隊を使って、異界の奥に溜まった『霊的残滓』を回収する。……運が良ければ、古い古銭や、現世に持ち出せる貴重な装飾品、あるいは、あんたの新しい手札になりそうな、温厚な低位精霊と出会えるかもしれないわ」

 

 悠真の目が、輝きを帯びた。

 

 戦闘ではなく、探索と調査、そして役割を失った存在との新たな契約。

 

 それこそが、自分の召喚プログラムが最も輝くフィールド(本番環境)だ。

 

「目的は、戦闘ではなく調査と回収(ハッキング)。これなら、俺のシステムを最大限に活かせます」

 

「ただし、烏丸さんからの条件つきだけどね」

 

 烏丸が、書類を差し出しながら真面目な顔で告げた。

 

「御門様。初の異界同行を許可しますが、現地での『追加契約』は、安全管理上、最大でも【三体まで】に制限させていただきます。……また現地で、塵霊をさらに百体増やす、といった一括バッチ処理は厳禁ですので、ご注意ください」

 

「わ、分かっています。現地での追加契約は、最大三体まで、ですね。例外規定として、遵守します」

 

「本当に分かってんのかよ、この契約依存症(ブラック当主)」

 

 ジャグラズが横からジト目で睨んでくるが、悠真は「約束するよ」と小さく笑った。

 

 朱音は、悠真のスマートフォンを革ケースごと彼に返した。

 

「よし、これで全ての準備(プロビジョニング)は完了。……でも、悠真。最後にこれだけは忘れないで」

 

 朱音の目から、悪戯っぽい光が消え、プロの召喚師の、冷徹なまでの真剣さが宿った。

 

「そのスマホも、プログラムも、あたしたちの術式も、全部ただの『道具』に過ぎない。異界の中で生き残るために一番大事なのは、あんた自身の『判断の速さ』と『撤退の潔さ』よ。バグが出たら、契約なんかよりも先に、自分の足で全速力で逃げること。いいわね?」

 

「……はい。身に沁みる言葉です。肝に銘じておきます」

 

 悠真は、スマートフォンをポケットに収め、その確かな重みを確かめた。

 

「あんたの強みは、戦うことじゃない。世界から見落とされた弱いもの、古いものを見つけて、正しい役割(仕事)を与えること。あの寂れた地下通路の異界には、そういう『忘れ去られたもの』が沢山眠ってる。……きっと、あんたの御門の術式にとっては、最高の現場になるはずよ」

 

 朱音のその言葉が、次なる未知の深淵への、確かな期待(アンカー)となって悠真の胸に突き刺さった。

 

 *

 

 夜。

 

 御門家の書斎に戻った悠真は、明日の出発に備え、静かに荷造り(デプロイの準備)を始めていた。

 

 机の上に並べられた、初異界探索用のセット。

 

 モバイル版SRMがインストールされたスマートフォン、それを守る携帯端末護符ケース、予備の大容量バッテリー二個、祖父が遺した緊急用の古い護符、ジャグラズに提供するための新しいクッキーの袋、塵霊隊の接続を安定させるための古い古布の端切れ、そして、懐中電灯と救急セット、ヤタガラスの能力者登録証。

 

「……遠足の準備かよ、お前は」

 

 ソファでアイスのカップを抱えたジャグラズが、呆れたように呟く。

 

「準備不足でシステムエラーを起こして死ぬよりは、無駄な荷物が多い方が遥かにマシだ。現場でのイレギュラーに対処するための、冗長性(バックアップ)の確保だよ」

 

 悠真が荷物のパッキングを終えたその時、ポケットのスマートフォンが、設定通りに「一瞬の微弱なフラッシュ」で通知を告げた。

 

 朱音のフィードバックを反映した、新しい現場用UIの挙動だ。

 

 画面を見ると、すみかからの短いログが表示されていた。

 

【契約個体:すみか より受信】

 

『ゆうま! 異界の中の、すごーく古い、怖いお化け屋敷みたいな場所に行くんでしょ!? すみか、ここでちゃんとお留守番してるから、かっこいいお化けの写真、絶対に撮ってきてね! 約束だからね!』

 

 悠真は、そのメッセージを見つめながら、小さく息を吐いて微笑んだ。

 

「……写真は、安全が確保されている時だけな。仕事のログとして撮影してきてやるよ」

 

『わーい! ゆうま、大好き! 頑張ってね!』

 

 さらに、影の底から、百体の塵霊たちの囁きが一斉にスマホの画面に流れていく。

 

『ゆうま、おでかけ』

 

『くらい通路、ちり、たくさんある?』

 

『ゆうまがいくなら、みんなでみる。みんなで、探すよ』

 

 悠真は、スマートフォンを握りしめた。

 

 画面の緑色のフォントは、暗い部屋の中でも、迷いのない光を放って稼働を続けている。

 

【Summon Runtime Mobile 試作版:運用待機中】

 

【システムステータス:オールグリーン】

 

【異界探索モード:アクティブ】

 

「よし。……行こう。初めての異界へ」

 

 御門悠真は、もはやノートPCの前に籠るだけの、ただの無職の青年ではなかった。

 

 その手の中には、異界の暗闇を冷徹な論理で切り裂くための、小さな、現代の御門の術式が、確かに灯っていた。




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