元ITエンジニアの俺、祖先の召喚術から召喚プログラムを組み上げて神も悪魔も従える   作:パラレル・ゲーマー

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第2話 低級悪魔ジャグラズと、ヤタガラスの役人

 静寂。

 

 蔵の中に満ちていた、あの暴力的なまでの魔力の奔流と、耳を劈くような悪魔の咆哮が、嘘のように消え失せていた。

 

 残されたのは、埃っぽい蔵の匂いと、ノートPCの冷却ファンが回る微かな唸り音、そして床に青白く光り続ける召喚陣の残光だけだ。

 

 悠真は、作業机の脚に背中を預けたまま、ずるずると床に滑り落ちた。

 荒い呼吸を整えようとするが、肺が酸素を拒絶しているかのように浅く速い呼吸が続く。

 指先が、自分の意志とは無関係に震えていた。

 

「……はぁ、……はぁ、……死ぬかと思った……」

 

 喉の奥が張り付き、声が掠れている。

 

 ディスプレイに表示されている『仮拘束契約:成立』という緑色の文字列。

 それが、かろうじて悠真を正気へと繋ぎ止めていた。

 

 もしこれがなければ、今目の前で不機嫌そうに胡坐をかいている存在を、ただの幻覚だと思い込んで逃げ出していただろう。

 

 光の鎖。

 プログラムが蔵の結界と同期して生成した、論理的な縛り。

 

 それに雁字搦めにされた「それ」は、床の上で鼻を鳴らした。

 

「おい、いつまで放心してんだよ、御門の孫」

 

 しゃがれた、しかしどこか幼さの残る声が悪魔から漏れる。

 

「縛るなら縛る。殺すなら殺す。逃がすなら逃がす。どれかにしろ。こっちだって暇じゃねえんだぞ。蔵の影でじっとしてる方が、まだマシな時間の潰し方だ」

 

 悠真は震える膝を叩き、なんとか顔を上げた。

 

「……襲ってきた側が、よくもまあそんな台詞を吐けるな。こっちは本当に死にかけたんだぞ。半年寝込むくらいで済ませるとか、言ってたよな?」

 

「ケッ。優しい方だろ? 魂の根っこまで食い尽くして廃人にする奴らに比べりゃ、俺様はよっぽど慈悲深い悪魔様だぜ」

 

 悪魔――その黒くひび割れた皮膚を持つ小鬼のような存在は、全く悪びれる様子もなく言い放った。

 

 その言葉を聞いて、悠真は改めて戦慄する。

 

 こいつにとって、人間の生命力を奪うことは、空腹を満たすために食事をするのと同程度の認識なのだ。

 善悪の問題ではなく、生態が違う。

 

 その決定的な断絶を前にして、悠真のエンジニアとしての冷静さが、防衛本能的に頭をもたげてきた。

 

 感情で交渉しても無駄だ。

 こいつを制御するには、より厳密なルールが必要になる。

 

 悠真は震える手を強引に動かし、ノートPCを引き寄せた。

 

「まず、情報の整理(デバッグ)からだ。お前は、悪魔でいいんだな?」

 

「ああ、そうだぜ。見て分かんねえのか? これでも魔界じゃあ……いや、なんでもねえ。とにかく悪魔だ。最下級だがな」

 

「……初見なんだよ。悪魔を見るのも、召喚術を使うのも」

 

 悠真の正直な告白に、悪魔は動きを止めた。

 ぎょろりと剥かれた黄色い目が、悠真を値踏みするように見つめる。

 

「はぁ……? マジモンの素人かよ。おいおい、冗談だろ? あの宗一郎の孫だぜ。御門の血筋が、悪魔を見て『初見です』なんて、システムエンジニアが『キーボードって何ですか』って聞くようなもんだぞ」

 

「例えが妙に具体的だな……。だが事実だ。祖父から話は聞いていた。召喚師の家系だとか、万能召喚術の本家だとか。でも、信じてなかったんだ。二十一世紀の現代で、神だ悪魔だって言われて、『はいそうですか』って信じられる方がどうかしてるだろ。そんなの、仕様書もなしに『このプログラムは魔法で動きます』って言われるようなもんだ」

 

 悪魔は一瞬呆気にとられたような顔をしたが、すぐに耳障りな声で笑い出した。

 

「ケケケケッ! そりゃそうだ! 悪魔の俺が言うのもなんだが、現代人がいきなりこんなもん見せられて信じる方がヤベえよ。だがな、現に俺はここにいる。お前のその変な箱が、俺を物理的に縛り付けてる。それが現実(本番環境)だ、御門の孫」

 

 悠真はため息をつき、画面のログをスクロールした。

 

「……そうだな。現実を認めないのは、エラーログを無視してデプロイを強行するのと同じ自殺行為だ。認めよう。お前は悪魔だ。そして俺の書いたプログラムは、どういうわけか機能している。……次だ。お前の名前を教えろ。識別子(ID)が必要だ」

 

 悪魔の笑いが止まった。

 黄色い目に、僅かな警戒が宿る。

 

「……名前? 真名は教えねえぞ。悪魔にとって真名を渡すのは、ルート権限を譲渡するのと同じだ。死んでもお断りだぜ」

 

「別にいい。真名じゃなくていいんだ。仮の名前で構わない。現時点では、お前という個体をシステム上で管理するためのラベルが必要なだけだ」

 

「システム上のラベル……?」

 

 悪魔は不審そうに顔を歪めたが、しばらく考え込んだ後、吐き捨てるように言った。

 

「……じゃあ、ジャグラズだ。仮名だぜ。真名じゃねえ。そこを勘違いすんなよ」

 

「ジャグラズ……了解。入力する」

 

 悠真がキーボードを叩き、『対象仮称:ジャグラズ』と入力してエンターキーを押した。

 

 その瞬間、蔵の空気が一変した。

 

 ノートPCの画面に、警告を示す赤いウィンドウが次々とポップアップする。

 

『仮名登録を確認。対象存在の仮固定(フィックス)を開始します』

 

『対象存在の揺らぎを検出。仮名に基づく低負荷顕現器(インスタンス)を形成』

 

『人間界活動用の仮器(アバター)を固定します』

 

「おい、今なんて出た!? なんだ、何が起きてやがる!」

 

 ジャグラズが叫んだ。

 彼の体が、まるでデジタルノイズに呑み込まれたかのように激しくブレ始める。

 

「待て待て待て! 勝手に器を作るな! お前、本当に何を起動してやがる!」

 

 召喚陣の青白い光が、今度は悠真の目すら潰さんばかりの輝きを放ち、蔵の隅々までを白く染め上げた。

 

 強烈な光の粒子がジャグラズの体を包み込み、その輪郭を強制的に書き換えていく。

 

 悠真は腕で顔を覆いながらも、指の間からその光景を注視した。

 

 やがて光が収まり、視界が回復したとき。

 

 そこにいたのは、黒く醜い小鬼ではなかった。

 

 金髪。

 それも、少し手入れの届いていないような、乱れた金の髪。

 

 背丈は、十代前半から半ばの少女のそれだ。

 

 赤い瞳。

 尖った犬歯。

 額の両脇からは、申し訳程度に小さな黒い角が突き出している。

 

 背中には、まるで蝙蝠を模したアクセサリーのような、小さな羽。

 そして、黒いワンピースのような衣装の裾からは、細い尻尾が不機嫌そうに揺れていた。

 

 見た目は、どこからどう見ても、少し風変わりな衣装に身を包んだ、生意気そうな美少女だ。

 

「……あ、あー! クソッ! 最悪だ!」

 

 少女――ジャグラズは、自分の白く細くなった手足を眺め、絶叫した。

 

「姿が固定されちまった! なんだこれ、どういう仕組みだ!? 俺の存在密度が、この薄っぺらい姿に圧縮されてやがる!」

 

 悠真もまた、呆然としていた。

 

「いや、俺に聞かれても困る。こっちだって完全に想定外だ。プログラムが勝手に『最適化』したんだよ。人間界で安定して存在し、かつコスト(霊力消費)を最小限に抑える形に……おそらく、俺の深層心理か、あるいは一般的な『悪魔』のイメージからアセットを拾ってきたのか……」

 

「アセットだと!? ふざけんな! 見ろよ、この弱そうな腕を! これじゃあ人間を一人引き裂くのにも一苦労だぜ!」

 

「それは好都合だ。お前、さっきよりずっと無害そうに見えるぞ」

 

 ジャグラズは、赤い目を吊り上げて悠真に掴みかかろうとしたが、光の鎖がジャラリと鳴り、彼女を床に引き戻した。

 

「あ……お前、本当にマジモンの素人なのかよ! 悪魔はな、存在としての『名前』がすべてなんだ! 真名は魂そのものだが、仮名だって表層の定義に関わるんだよ! お前のその変な術式が、俺に『ジャグラズ』という名前を与え、それに基づいた定義を強制したんだ! この姿は、お前のシステムにおける『ジャグラズ』というオブジェクトの顕現形態(モデル)なんだよ!」

 

 悠真は、その言葉を聞きながら、冷静にメモを取った。

 

「なるほど……名前がオブジェクトの定義ファイル(定義体)として機能し、召喚契約の中で名乗ることは、その定義へのコミットを意味するわけか。仮名であっても、システムがその情報を基に顕現形態を固定(フリーズ)してしまう……これは重要な仕様だな」

 

「メモるな! 死ぬほど腹が立つ!」

 

「いや、システムを運用する上で仕様の把握は必須だろ。お前だって、わけのわからないエラーで存在が消滅したくはないはずだ」

 

 ジャグラズはぐぬぬと唸り、悔しそうに自分の尻尾を掴んだ。

 

「……クソが。俺はこの器自体は、結構若いっていうか、魔界じゃ下っ端の弱小最下級悪魔なんだよ。姿なんざ本来、霧みたいに曖昧なもんでいいんだ。それをお前の変なプログラムが、人間界で安定しちまう形に固定しやがった。……動きやすくはなったけど、逃げ道が減った。最悪だ」

 

「管理する側からすれば、非決定的な要素が減るのはメリットでしかないな」

 

「俺にはデメリットしかねえよ、この人でなし! いや、人だけどよ!」

 

 悠真は、ジャグラズをこのまま蔵に放置しておくわけにはいかないと考えた。

 

 祖父が亡くなり、この屋敷の管理者は自分だ。

 そして、未だに完全には制御できていない悪魔が蔵にいるという事実は、いつ爆発するかわからないセキュリティホールを抱えているのと同じだ。

 

 かといって、現在のプログラムには「強制帰還(アンインストール)」の機能がまだ実装されていない。

 祖父のノートにも、帰還の手順は極めて複雑で、下手をすれば次元の歪みに術者が巻き込まれると書かれていた。

 

 ならば、今できる最善の手は「仮契約(プロビジョニング)」による権限管理だ。

 

「ジャグラズ。お前を今すぐ魔界へ返すことはできない。だが、自由にするわけにもいかない。だから、一時的な契約を結ぶ。いいな?」

 

「ケッ。選択肢なんてねえんだろ。どうせその鎖で縛り上げながら言うんだ、好きにしろよ」

 

 悠真は、ノートPCの画面で契約書の草案を組み立て始めた。

 

 エンジニア時代の経験を活かし、曖昧さを一切排除した、論理的かつ厳格な条項。

 

「いいか、これが契約内容だ」

 

【仮契約条項 Version 0.1】

 

 第一条:乙(ジャグラズ)は、甲(御門悠真)に対し、直接・間接を問わず、いかなる危害も加えてはならない。

 

 第二条:乙は、甲の許可なく、御門家の敷地内から一歩も外に出てはならない。

 

 第三条:乙は、いかなる場合においても、人間の魂、生命力、精神エネルギーを、無断で摂取・毀損してはならない。

 

 第四条:乙は、甲の質問に対し、自身の知る範囲において、虚偽なく、かつ遅滞なく回答する義務を負う。

 

 第五条:甲は、乙の存在維持に必要な最低限の代価(供物)を、合意に基づき提供する。

 

 第六条:本契約の期間は、本締結から72時間とする。期間満了時、両者合意の上で再交渉を行う。

 

 第七条:乙が上記条項に違反した場合、甲は即座に拘束式を再起動し、乙に苦痛を伴うペナルティを課す権利を有する。

 

「おい、ちょっと待て!」

 

 ジャグラズが画面を覗き込んで、鋭い声を上げた。

 

「第六条! 三日かよ! 短すぎるだろ! 普通、悪魔の契約っつったら、死ぬまでとか、百年とか、そういうスパンだろ!」

 

「初回のテスト運用(PoC)なんだから、短期間で区切って評価(レビュー)するのは当然だろ。実績もないのに長期契約を結ぶ馬鹿がどこにいる。お前のパフォーマンスを見てから、継続(リニューアル)するか判断する」

 

「俺は派遣社員かよ! 悪魔だぞ、俺は!」

 

「似たようなものだろう? お前も魔界という名のブラック企業から派遣されてきた、非正規の怪異みたいなもんだ」

 

「言い方がムカつく! ものすごくムカつく!」

 

 ジャグラズは地団駄を踏んだ。

 

「それに第五条! 供物だよ供物! 魂がダメ、血もダメって、俺に何を食えってんだよ。俺の燃費がいいっつっても、何かしらのリソース(エネルギー)は必要なんだぜ」

 

「人間に害が出るものは一切認めない。……そうだな、お前の言う『代価』の本質は何だ? 祖父はどうしてた?」

 

 ジャグラズは鼻を鳴らし、少し遠くを見るような目をした。

 

「あのジジイ……宗一郎は、焦げた肉とか、安酒とか、線香の煙とか、そんなもんを供えてたな。あとは……愚痴だ。あいつが一人で蔵に籠って、誰にも言えない愚痴を俺に吐き出す。それが一種の負のエネルギー(精神的対価)になってたんだよ」

 

「愚痴、か……」

 

 悠真は、蔵の中で一人、この扱いきれない万能召喚術に挑み続けていた祖父の姿を思い浮かべた。

 

 誰からも理解されず、変わり者と呼ばれ、それでも御門の誇りを守ろうとしていた老人。

 彼にとって、悪魔であるジャグラズだけが、唯一、本当の自分をさらけ出せる相手だったのかもしれない。

 

「……分かった。スーパーで買える範囲の食材なら検討しよう。焦げた肉、砂糖菓子、あとはブラックコーヒー。それと……俺も愚痴ならいくらでもある。仕事を辞めたばかりで、将来の不安(ストレス)なら腐るほど溜まってるからな。それを供物としてくれてやる」

 

「……ケッ。砂糖菓子にブラックコーヒーか。現代的じゃねえか。まあいい、餓死するよりはマシだ。低級悪魔を舐めるなよ。俺たちは燃費がいいんだ」

 

「よし、交渉成立(合意)だ」

 

 悠真がエンターキーを叩くと、ディスプレイに『仮契約:成立』の文字が力強く表示された。

 

 ジャグラズの手足に巻き付いていた光の鎖が、砂のように崩れて消えていく。

 

 自由になった彼女は、よろよろと立ち上がり、不機嫌そうにスカートの埃を払った。

 

「……あーあ。最悪の初仕事だぜ。御門の当主に捕まって、三日の短期契約。履歴書(キャリア)に傷がつくぜ」

 

 悠真は、一息つくと、ジャグラズに問いかけた。

 

「……お前、じいさんと、ずっとここにいたのか?」

 

 ジャグラズは、蔵の隅にある古い木箱の上に腰掛け、足をぶらぶらとさせた。

 

「契約ってほどのもんじゃなかったけどな。あのジジイが若い頃、何かの実験で俺を呼び出しかけて、案の定、途中でエラー(失敗)したんだよ。完全な召喚もできなきゃ、送還もできない。俺は次元の隙間に片足を突っ込んだまま、この蔵の影に引っかかっちまった」

 

「……祖父らしいな。バグを残したまま放置か」

 

「おかげで俺は、この蔵から出られず、魔界にも戻れず、何十年もここで腐ってたわけだ。あのジジイ、死ぬ間際まで『次こそは完全な術式を』なんて言ってたけどよ。結局、才能はなかったな」

 

 ジャグラズは、突き放すような口調で言った。

 

「本当に、才能だけはなかったぜ。何十年も、読めもしねえ古い術式を必死に解析(デコード)しようとしてた。馬鹿みたいにな。……でも、諦めだけは異常に悪かった。それだけは、認めてやってもいい」

 

 彼女の言葉には、毒が含まれている。

 だが、その根底には、長年共に過ごした者だけが持つ、奇妙な情愛のようなものが混じっていた。

 

「だからよ、驚いたんだぜ。その孫がふらっと現れて、ジジイが一生かけても動かせなかった術式を、その『変な箱』で一晩で叩き起こしちまったんだからな」

 

 悠真は、ノートPCのモニターを見つめた。

 

「……変な箱じゃない。ノートPCだ。祖父が神秘(ブラックボックス)として扱っていたものを、俺が論理(ロジック)で整理しただけだ」

 

「その『整理』が、俺たち異界の存在にとっては一番性質が悪いんだよ。……で、どうすんだよ、御門の孫。俺を捕まえて、何をするつもりだ? お前もあのジジイみたいに、蔵に引き籠って古文書と格闘するのか?」

 

「まさか。俺は、状況を把握したいだけだ。……ジャグラズ。俺は何も知らない。この世界の裏側で何が起きているのか。召喚術が、現実にどれほどの意味を持つのか。そして、俺が引き継いだこの『御門』という看板が、どれほどの厄介事を抱えているのか」

 

 ジャグラズは、ニヤリと口角を上げた。

 

 その顔は、一瞬だけ少女の皮を被った「悪魔」の表情に戻っていた。

 

「へぇ。知りたいか。……まあ、いいぜ。それが契約(仕事)だからな。俺は最下級だが、情報収集は得意だ。影に紛れて噂を拾う、動物たちの会話を盗み聞きする、低級霊の動きを追う。戦闘は期待すんなよ? 俺の武器は、逃げ足と情報だ」

 

「偵察・情報収集特化(スカウター)か。悪くない」

 

「お前の言い方はイチイチ鼻につくがな。……いいぜ。教えてやるよ。まず、お前が最初に知っておくべきは、『ヤタガラス』だ」

 

「ヤタガラス?」

 

「日本政府の秘密組織だよ。特異能力者・怪異事案管理組織。……表向きは『内閣府特異事象管理連絡室』なんて長ったらしい名前を名乗ってるがな。裏じゃあ、八咫烏(ヤタガラス)って呼ばれてる。能力者、退魔師、陰陽師、召喚師……そういう、一般常識から外れた連中を登録して管理してる、政府の役人共だ」

 

 悠真は頭を抱えた。

 

「……本当に、そういう現代ファンタジーにありがちな組織があるのか」

 

「当たり前だろ! 怪異や悪魔が実在して、実害も出てるんだ。国が何もしてない方が、セキュリティホールだらけで国家運営ができねえよ。奴らは優秀だぜ? そして、執念深い」

 

 ジャグラズの説明によれば、ヤタガラスは日本の能力者に対する「監視」と「登録」を主目的としている。

 

 基本的には、登録された能力者が人間に危害を加えない限りは放置されるが、大規模な怪異事案が発生した際や、未登録の危険能力者が現れた場合には、容赦なく介入してくるという。

 

「あのジジイ、宗一郎も登録はされてたはずだ。ただ、何十年も実績がねえから、向こうじゃあ『休眠アカウント』扱いだったんだろうな。召喚師の本家当主が、何も呼べずに蔵でボケかけてる。そんな古い名簿の一行だ。……だがな」

 

 ジャグラズは、悠真のノートPCを指差した。

 

「お前がその術式を再起動(リブート)したとなれば、話は別だ。蔵の結界を叩き起こして、悪魔(俺)を捕縛し、顕現形態まで固定した。その『霊的振動』を、あいつらが嗅ぎつけないはずがねえ」

 

「……つまり、放置しておくと、向こうから来るってことか」

 

「来るだろうな。監査(おしかり)にな。未登録の能力者が、無断で悪魔を使役してるってなれば、面倒なことになるぜ」

 

 悠真は深く溜息をついた。

 

 エンジニア時代も、無断でシステムを変更したり、未承認のツールを本番環境で使ったりすれば、コンプライアンス部門から厳しい追及を受けたものだ。

 

 まさか、裏社会(この世界)でも同じようなことが起きるとは。

 

「なら、こちらから連絡した方がいいな。事故(インシデント)が起きる前に、状況を報告しておくのは基本だ」

 

「……お前、本当に生真面目だなぁ。悪魔を召喚しといて、真っ先に考えるのが役所への届け出かよ」

 

「報告・連絡・相談は、どんな業界でも生存戦略の基本だぞ」

 

 悠真は、祖父の遺した膨大な資料の中から、ヤタガラスとの関わりを示すものを探し始めた。

 

 山積みの古文書をかき分け、埃を被った引き出しを開けていく。

 やがて、一番下の引き出しから、一通の古い封筒が出てきた。

 

 表書きには、『内閣府特異事象管理連絡室 御門宗一郎殿』。

 

 中には、十数年前の登録証と、黄ばんだ連絡用の名刺、そして古めかしいドメインのメールアドレスが記された紙が入っていた。

 

「……これか。本当にあった」

 

 悠真は半信半疑のまま、名刺に書かれた番号へ電話をかけた。

 

 スマートフォンの画面に表示される『不明な番号』への通話。

 心臓が嫌な跳ね方をする。

 

 三回、四回。

 コールが続き、悠真が「やはり古すぎるか」と思いかけた時。

 

『はい。ヤタガラス総合受付、広報窓口です』

 

 機械的な自動音声ではない、妙に落ち着いた女性の声が響いた。

 

「……あ、もしもし。ええと、御門宗一郎の孫です。祖父が亡くなったので、その報告と、後継の登録手続きについて相談したくて……」

 

『御門宗一郎様ですね。少々お待ちください。……はい、登録番号〇〇四五、休眠区分を確認しました。後継者様のお名前は、御門悠真様でよろしいでしょうか?』

 

「はい、そうです。……あの、普通に繋がるんですね」

 

『行政サービスですので。担当部署へ繋ぎます』

 

 電話の向こうから、保留音――どこかで聞いたことのある、役所の窓口で流れるような安っぽい電子メロディが聞こえてきた。

 

 ジャグラズが横で、腹を抱えて笑っている。

 

「ケケケ! 見ろよ、悪魔も怪異も役所には勝てねえんだよ! 神秘の崩壊だな、こりゃ!」

 

 しばらくして、電話に出たのは、落ち着いた、しかしどこか飄々とした雰囲気の男だった。

 

『お待たせしました。特異事象管理連絡室、担当の烏丸(からすま)です。御門様、まずはご愁傷様でした。宗一郎様には、以前、解読の件で大変お世話になりました』

 

「あ、どうも。ご丁寧にありがとうございます」

 

『後継者登録の件ですが、御門家は歴史ある本家筋ですので、一度現地確認が必要となります。明日、そちらへ伺ってもよろしいでしょうか?』

 

「明日!? ……あ、はい。構いませんけど。そんなに急なんですか?」

 

『はい。御門家の蔵にある「あれ」の管理状態についても、確認しておきたい事項がありまして。……ちなみに、現在はどのような状況でしょうか?』

 

 悠真は、チラリと横にいる金髪の悪魔を見た。

 

「ええと……とりあえず、蔵の中にいた異界存在は捕まえています(デバッグ済みです)」

 

『捕まえている? ……左様ですか。召喚師の素養がないと伺っていましたが、それは重畳。では、その状態を維持してください。明日、午前十時に伺います』

 

 電話はそこで切れた。

 

 悠真は、スマートフォンの画面をぼんやりと見つめ、大きく息を吐いた。

 

「……明日来るってさ。担当の役人が」

 

「ケケケ! 御門の孫。覚悟しとけよ。ヤタガラスの役人は、どいつもこいつも役人の皮を被った退魔師(スペシャリスト)だ。お前のその『変な術式』を見て、なんて言うか楽しみだぜ」

 

 翌日。

 午前十時。

 

 約束の時間、一分の狂いもなく、屋敷のインターホンが鳴った。

 

 悠真が玄関を開けると、そこには一人の男が立っていた。

 

 年齢は三十代半ば。

 黒い、ごく普通のビジネススーツ。

 短く整えられた髪に、柔和な笑顔。

 手には黒い革のビジネス鞄。

 

 胸元には、『内閣府』と記された地味な身分証がぶら下がっている。

 

「どうもどうも。ヤタガラス……失礼、特異事象管理連絡室の烏丸蓮司(からすまれんじ)です。急なお願いにお応えいただき、ありがとうございます」

 

「……御門悠真です。どうぞ、中へ」

 

 悠真は、あまりにも「普通」のサラリーマンにしか見えない男に戸惑いながらも、彼を蔵へと案内した。

 

 烏丸は、屋敷の廊下を歩きながら、さりげなく、しかし鋭い視線を周囲に走らせていた。

 

 庭の草木の揺れ、廊下の影の密度、空気の淀み。

 彼はそれらから、一般人には感知できない「霊的なログ」を読み取っているようだった。

 

 蔵の重い扉を開け、中に入る。

 

 そこには、昨夜と変わらず、木箱の上に座って退屈そうに尻尾を振っているジャグラズがいた。

 

「ジャグラズ。挨拶して。ヤタガラスの人だ」

 

「なんで俺が役人に挨拶しなきゃなんねえんだよ」

 

「仮契約第四条。甲の指示に従って情報開示に協力する。……だろ?」

 

 悠真が釘を刺すと、ジャグラズは不満そうに鼻を鳴らし、烏丸を睨みつけた。

 

「……ケッ。低級悪魔のジャグラズだ。よろしくな、カラス野郎」

 

 烏丸は、ジャグラズの姿を見るなり、一瞬だけ驚きに目を見開いた。

 だが、次の瞬間には、元の柔和な営業スマイルに戻っていた。

 

「おや、これは驚きました。低級悪魔(レッサーデーモン)……ですか。それも、ずいぶんと『綺麗に』顕現していますね」

 

 烏丸は、ジャグラズの周囲を一周し、まるで美術品でも鑑定するかのような目つきで彼女を観察した。

 

「最近始めたにしては、ずいぶんと手早い。……宗一郎様は、彼を呼び出すのに一生を費やしたと伺っていましたが」

 

「昨日、死にかけながらなんとかしました。……こいつに殺されかけたんで、無我夢中で」

 

「それはそれは。大変な初仕事(オンボーディング)でしたね。ですが、この顕現形態……名前(仮名)による存在の固定化、そして霊的出力の最適化……。失礼ですが、御門様。どのような『触媒』を使われましたか?」

 

 悠真は無言で、作業机の上のノートPCを指差した。

 

 烏丸は首を傾げながらPCの画面を覗き込み、そして、先ほどとは比較にならないほど深い沈黙に陥った。

 

 画面には、『Summon Runtime Prototype』のコンソール画面。

 

 流れるログ。

 契約オブジェクトのツリー構造。

 リアルタイムでの魔力消費監視グラフ。

 

 烏丸の笑顔が消え、目だけが猛禽類のような鋭さを帯びた。

 

「……これは、御門宗一郎様の術式ですか?」

 

「いえ。祖父の残した資料を、俺がプログラムとして組み直したものです」

 

「組み直した……プログラムとして?」

 

「はい。召喚術という『システム』の運用において、人間の脳を処理系(プロセッサ)にするのは効率が悪すぎます。手順の複雑化、エラーハンドリングの欠如、属人化されたノウハウ。これらを論理的に構造化し、計算機に代行させる。そうすれば、俺のような魔力のない素人でも、最小限のリソースで『万能召喚術』を部分的に稼働させることができる……そう仮説を立てて、組んでみました」

 

 烏丸は、しばらく言葉を失ったようにPCを見つめていたが、やがて、小さく、しかし深く笑い始めた。

 

「……なるほど。これは面白い。実におかしい。御門家らしいと言うべきか、御門家らしくないと言うべきか」

 

「どういう意味です?」

 

「万能召喚術の本家……御門家は、昔から理屈が大きすぎて、現実に扱えない理想論(ペーパープラン)ばかりを並べる家だと、裏社会では揶揄されていました。ですが……『扱えないなら、扱える形に書き換えてしまえ』。その力技こそ、真に万能を志す者の狂気かもしれません」

 

 烏丸は、鞄から分厚い書類の束を取り出し、悠真の前のテーブルに並べた。

 

「御門悠真様。現在、あなたは未登録の能力者であり、かつ危険な異界存在を不完全ながらも使役している状態です。本来であれば、これだけで『要注意対象』としての監査対象になりますが……」

 

 烏丸は名刺を一枚、PCのキーボードの横に置いた。

 

「あなたがこちらに自ら連絡をしてきたこと、そして、御門家の正当な後継者であることを鑑み、本日をもって『正式な召喚師』としての登録手続きを進めさせていただきます」

 

「登録すれば、俺は召喚師として働かなきゃいけないんですか?」

 

「いえいえ、強制ではありません。基本的には、怪異事案の報告義務が生じるだけです。……もっとも、あなたのような『特異な』術を扱う方を、私たちが放っておくかどうかは別問題ですが」

 

 烏丸は、鞄からペンを取り出し、書類を指し示した。

 

「ヤタガラスは、能力者をすべて支配する組織ではありません。あくまで、神秘が現代社会の平穏を乱さないよう、交通整理をするのが仕事です。……怪異や悪魔を無登録で放し飼いにされると困りますが、適切な管理(ガバナンス)が行われているのであれば、私たちはあなたの自由を尊重します」

 

「放し飼いって言うな」

 

 ジャグラズが横から口を挟んだ。

 

「では、『契約管理下にない異界存在の自由顕現』と言い換えましょうか。どちらにせよ、登録は必須です」

 

 悠真は差し出された書類に目を通した。

 

『能力者登録申請書』

『相続による家系登録変更届』

『使役存在仮登録届』

 

 どれもこれも、神秘的な雰囲気は皆無で、どこかの役所の申請フォームそのものだった。

 

「書類、多いですね……」

 

「行政ですので。神秘も魔法も、監査に通らなければ予算……もとい、認可が下りないのですよ」

 

「ケケケ! 悪魔より役所の方が面倒だな! 見ろよ悠真、こいつ俺の登録情報まで書き込んでやがるぜ!」

 

 烏丸は、淀みない筆致でジャグラズの情報を書き込んでいった。

 

『種別:低級悪魔。仮名:ジャグラズ。顕現形態:金髪少女型。契約者:御門悠真。』

 

 悠真は、その光景を眺めながら、自分が一歩ずつ、引き返せない領域へと足を踏み入れていることを実感していた。

 

「……一つ、聞いていいですか」

 

「何でしょう?」

 

「じいさんは……御門宗一郎は、あなたたちにとって、どういう存在だったんですか?」

 

 烏丸は手を止め、少しだけ表情を和らげた。

 

「……宗一郎様は、休眠登録の召喚師でした。実戦での実績はほとんどありませんでしたが、その知識と古文書の解釈能力は、私たちにとっても非常に貴重なものでした。……彼は、最後まで万能召喚術にこだわっておられました。多くの専門家は、それはもはや現代では不可能な理想だと考えていましたが……」

 

 烏丸は、悠真のPCの画面に映る、忙しく動き続けるコードを一瞥した。

 

「……どうやら、その種火は、消えていなかったようですね」

 

 悠真は返答に窮した。

 

 祖父が守り抜こうとした、無能と呼ばれた万能の夢。

 それが、今、自分の手元で、形を変えて動き始めている。

 

 それが正しいことなのか、まだ悠真にはわからない。

 

「では、登録手続きは預かりました。正式な書類は後日、郵送にてお届けします。オンライン申請のパスワードも同封しますので、今後はそちらから事案報告を行ってください」

 

 烏丸は鞄を閉じ、立ち上がった。

 

「御門様。あなたはまだ、未熟な召喚師です。それは紛れもない事実です。ですが、あなたは御門家の術式を、従来とは全く異なるパラダイムで動かしてしまった。……私たちは、あなたを見守らざるを得ません」

 

「見守る、ですか。監視、ではなく?」

 

「行政用語では、どちらも同じようなものですがね。……それでは、失礼します」

 

 烏丸は、丁寧にお辞儀をすると、蔵を去っていった。

 

 あまりにも普通のビジネスマンが商談を終えて帰るような、拍子抜けするほどあっさりとした幕切れだった。

 

 屋敷に、再び静寂が戻る。

 

 悠真は、テーブルの上に置かれた烏丸の名刺を見つめた。

 

 本当に、政府の秘密組織が来た。

 

 本当に、自分は能力者として登録された。

 

 そして、横には仮契約を結んだ悪魔が、欠伸をしながら爪を弄っている。

 

「……終わったな、悠真。これで、お前も正式に裏側の住人だ」

 

「俺は昨日まで、ただの無職だったんだぞ。……肩書きが増えただけだ。無職召喚師、か」

 

「ケケケ! いいじゃねえか。響きは最高にクールだぜ?」

 

 悠真は、もう一度ノートPCの前に座った。

 

 画面には、改善(アップデート)が必要なモジュールが山積している。

 

 真名の解析アルゴリズムの高速化。

 強制帰還機能のテスト。

 供物管理の自動化。

 ヤタガラスのポータルサイトとのAPI連携……。

 

「……とりあえず、強制帰還機能を作らないと、万が一の時に詰むな」

 

「おい。俺を実験台にする気か?」

 

「他にテスト対象(ターゲット)がいないだろ。……バグが出る前に、しっかり検証(テスト)しておかないと」

 

「悪魔をテスト対象って言うな! このブラック当主!」

 

 悠真は、ジャグラズの文句をBGMに、キーボードを叩き始めた。

 

 祖父の遺言。

 万能の夢。

 現代のロジック。

 

 それらが混ざり合い、新しい「神秘」が形を成していく。

 

 逃げ道は、もうどこにもなかった。

 

 *

 

 屋敷を後にした烏丸蓮司は、黒いセダンの運転席に乗り込み、手慣れた手つきでスマートフォンの発信ボタンを押した。

 

「……はい、烏丸です。御門宗一郎の後継者、御門悠真との接触を完了しました」

 

 電話の向こうからの問いかけに、烏丸は蔵で見たあのPCの画面を思い浮かべ、わずかに声のトーンを落とした。

 

「ええ、若いです。召喚師としては完全な素人……。ですが、問題はそこではありません。彼は、御門家の万能召喚術を『プログラム化』していました」

 

 受話器の向こうで、微かな息を呑む音が聞こえた。

 

「はい。……ええ、驚くべき効率です。これまで数百年、誰一人として動かせなかったあの巨大な術式が、現代の論理(コード)によって再起動されています。……はい。引き続き、最優先監視対象としてマークします」

 

 烏丸は電話を切ると、深くシートに背中を預けた。

 

「……万能召喚術、再起動、か。……全く、とんでもない時代になったものだ」

 

 窓の外。

 初夏の陽光が、古い屋敷の屋根を眩しく照らしていた。

 

 終わったはずの家系。

 潰えたはずの夢。

 

 それが、一人の無職の青年が持ち込んだ「技術」によって、静かに、しかし確実に世界を書き換えようとしていた。




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