元ITエンジニアの俺、祖先の召喚術から召喚プログラムを組み上げて神も悪魔も従える 作:パラレル・ゲーマー
五月の爽やかな朝の光が、御門家の古い書斎に差し込んでいた。
窓の外からは庭の雑草が風に揺れる微かな音が聞こえ、部屋の中には使い込まれた木製デスクの匂いが満ちている。
悠真は、起動したばかりのノートPCの画面に映し出される、緑色のコンソールログを見つめていた。
画面の左下には、定期的に送られてくる固定のステータスウィンドウが小さくポップアップしている。
【契約個体:すみか(試用守護精霊)】
【状態:安定(エラー検知なし)】
【空き家内異常:なし(構造的・霊的ともに正常)】
【内見者妨害:0件(ポリシー遵守を確認)】
【要望タスク:お化け屋敷求人の定期巡回(ステータス:該当なし・継続)】
「……毎日欠かさず、勤務希望のステータスを一番上に乗せて送ってくるな、こいつは」
悠真は苦笑しながら、キーボードのショートカットを叩いてそのウィンドウを最小化した。
空き家の悪戯精霊から「家屋の守護精霊」へと役割を再定義(リネーム)された彼女は、今や御門家のシステムにおいて最も稼働率の高い、そして最も就業意欲の強い契約個体となっていた。
「いいじゃねえか。労働意欲がある部下ってのは、経営者からすりゃ最高の人材だろ? 世の中には、供物のクッキーだけ食ってソファでゴロゴロしてる最高に高貴な悪魔だっているんだからな」
部屋の隅のソファに寝そべり、本当にクッキーの袋を抱えながら爪を弄っているジャグラズが、悪びれもせずにケラケラと笑う。
金の髪が朝日にきらめき、額の小さな角がかすかに覗いていた。
「その高貴な悪魔の維持費(ランニングコスト)が、俺の財布をじわじわと削ってるんだよ。……ほら、冗談はそこまでにして、烏丸さんから送られてきた次の案件資料の読み込み(パース)を始めるぞ」
悠真は表情を引き締め、ヤタガラスの連絡窓口から届いた暗号化ファイルを展開した。
ディスプレイに、事務的ながらも緊迫感のある文字列が広がっていく。
【初心者Tier4登録者・能力暴発事案に関する調査依頼】
【対象者:高瀬陸斗(たかせ・りくと)/20歳/大学生】
【現行Tier:Tier4(潜在的脅威・要観察)】
【主症状:戦闘行動時における突発的な身体能力強化(フィジカル・ブースト)の過剰発動】
【事故未遂ログ:所属する大学ラグビー部の練習中、タックルを試みた相手部員を十数メートルに渡って吹き飛ばし、危うく頸椎損傷の重傷を負わせかける。】
【ヤタガラス予備解析:本人の潜在霊力出力に対し、発生している物理的運動エネルギーの計算値が大幅に超過。本人の異能ではなく、外部の「未契約小型獣霊」の憑依、あるいは長年の共生状態による過剰防衛反応と推測される。】
【対応方針:対象者の霊的環境スキャン、獣霊の特定、分離または契約による制御可能性の判断。】
「……外部の獣霊との共生状態、か」
悠真は資料をスクロールしながら、顎に手を当てた。
前日にヤタガラス支部で聞いたばかりの『召喚物憑依』や『獣霊』という言葉が、早くも実務(本番環境)の課題として目の前に現れている。
「ほう、さっそく憑依系の案件かよ。お前、本当に前例を引き寄せるバグ(体質)でも持ってんじゃねえの?」
ジャグラズがクッキーを飲み込み、ソファから起き上がって画面を覗き込んできた。
赤い瞳が、資料に添付されたラグビー部の練習風景の画像に向けられる。
「いいか、悠真。獣霊ってのは、俺たち悪魔とは根本的にアーキテクチャが違うんだ」
「アーキテクチャ?」
「構造ってことだよ。俺たち悪魔は、言葉と論理の生き物だ。契約書の穴を突くのは好きだが、一度交わした契約のロジックには絶対に逆らえねえ。……だが、獣霊の連中は違う。あいつらは『本能』と『感情』のプログラムで動いてるんだ。守る、噛みつく、逃げる、威嚇する。そこに複雑な言語プロトコルは存在しねえ。話が通じない時は、力づくでシステムをシャットダウンしにくるぞ。交渉はできるが、絶対に舐めるなよ」
悠真は、ジャグラズの警告を真面目にノートへと書き写した。
・言語契約(テキスト)だけでは不十分。感覚や条件反射(イメージ)ベースの定義が必要。
・「守る」という行動のトリガーと、出力上限の厳密な設定。
・大学生本人の意思と、獣霊のプロセスの完全な同期。
・例外発生時の緊急停止条件(ブレイクポインツ)の組み込み。
「分かってる。力でねじ伏せる魔力(リソース)が俺にない以上、ルールと構造で制御するしかないからな。……それに、もし上手くいけば、俺自身が『力を間借りする』ためのテストケースにもなるかもしれない」
「ケケケッ! やっぱりそこを狙ってやがったか。顔に書いてあるぜ、お前。『少年漫画みたいな身体強化のパッチが欲しい』ってな」
「……男なら、少しは憧れるだろ。あの訓練場で見た速度にはな。だが、まずは高瀬さんの問題を解決するのが最優先だ」
「へーへー、安全第一のブラック当主様。お役所の会議室で、新人が泣きべそかいて待ってるぜ?」
「よし、行くか」
悠真はノートPCを鞄に収め、スタンドから立ち上がった。
*
内閣府特異事象管理連絡室・都内支部の小会議室。
そこに置かれた無機質なデスクの向こうで、高瀬陸斗は小さくなるようにして椅子に座っていた。
二十歳。
ラグビー部員というだけあって、大柄で肩幅が広く、胸板も厚い。
普通の一般人なら、それだけで威圧感を覚えるほどのスポーツマン体型だ。
しかし、今の彼の周囲には、まるで世界から拒絶されることを恐れているかのような、ひどく怯えた陰鬱な気配が立ち込めていた。
部屋の隅にはヤタガラスの補助職員が待機しており、デスクの横には烏丸蓮司がいつも通りのスーツ姿で静かに佇んでいる。
「御門様、お待ちしておりました」
烏丸が丁寧に出迎える。
「高瀬様、こちらが今回、あなたの調査を担当していただく登録召喚師の御門悠真様です」
陸斗はゆっくりと顔を上げた。
その目は充血しており、酷く寝不足であることは明らかだった。
悠真の姿を見て、彼は驚いたように瞬きをする。
スーツを着ているわけでもなく、強力な霊能力を放っている風でもない、自分と大して変わらない年齢の青年に見えたからだろう。
「……召喚師、ですか。もっと、こう、神社の人とか、お寺の偉い人が来るのかと思ってました」
「あ、いえ。俺も最近ヤタガラスに登録されたばかりの見習いみたいなものです。高瀬さんと同じ初心者ですから、上から目線で何かを指図するつもりはありません。まずは、何が起きているのかを一緒に整理させてください」
悠真が努めて穏やかな声で言うと、陸斗の肩の力がわずかに抜けた。
「……練習中だったんです」
陸斗は、自分の大きな手をじっと見つめながら、途切れ途切れに話し始めた。
「いつも通りの、普通のミニゲームでした。相手の部員が、俺に向かってタックルを仕掛けてきたんです。俺は、それを受け止めて、押し返そうとした。……ただ、それだけのはずだったんです。なのに、その瞬間、頭の奥が真っ白になって、背筋が変な風に熱くなって……」
陸斗の指先が、思い出した恐怖で小刻みに震え始める。
「気づいたら、地面を踏み荒らすような凄い音がして、タックルしてきた先輩が、信じられないくらいの速度で後ろに吹き飛んでました。防球ネットを突き破って、グラウンドの隅まで。……幸い、下が柔らかい芝生だったから首の骨が折れずに済んだって言われましたけど、医者からは『あと数センチずれていたら死んでた』って。……俺、自分が怪物になっちゃったみたいで、怖くて……もう、部活も大学も辞めようと思ってます。誰かを殺してしまう前に」
彼の中に渦巻く、圧倒的な自責と恐怖。
悠真は、その言葉を遮ることなく最後まで静かに聴いた。
ITエンジニア時代、本番環境で致命的なシステム障害(システムダウン)を起こし、顔を青くして震えていた後輩の姿が頭をよぎる。
あの時も、責めるべきは人間ではなく、バグの潜む構造だった。
「怖いですよね。自分の身体なのに、自分の意志とは違う出力が勝手に出てしまうのは」
悠真は、陸斗の目をまっすぐに見据えて言った。
「でも、高瀬さん。俺は君を危険人物だとは思いません。力そのものは確かに危険ですが、君自身が乱暴を働いたわけじゃない。未定義の、ルールが決まっていない力が、予期せぬ例外処理(バグ)を起こして暴走しただけです。だから、まずは原因を特定して、正しく仕様を定義しましょう。逃げる前に、何が起きているかを見るべきです」
「仕様を……定義?」
陸斗は、悠真の口から出た奇妙な技術用語に首を傾げたが、その瞳には微かな救いが灯っていた。
*
一行は、支部の地下にある小型の訓練室へと移動した。
周囲の壁には、灰色の衝撃吸収素材が敷き詰められ、その表面には霊的な暴走を即座に減衰させるための防護符がびっしりと貼り付けられている。
部屋の隅には医療班が待機し、烏丸は手元に強力な緊急停止用の呪符を準備していた。
最悪の事態(システムハング)を想定した、徹底的なセーフティ環境だ。
「高瀬さん、そこに立って、少しだけ楽にしていてください。スキャンを始めます」
悠真は作業机にノートPCを開き、召喚プログラムの霊的波形解析モジュールを起動した。
「ジャグラズ、感覚情報の共有(リンク)を開始。お前の目で、彼の背後を視てくれ」
「へえへえ、了解だぜ」
悠真の影から、ジャグラズが音もなく姿を現す。
一般の職員や陸斗には認識阻害で見えていないが、彼女の赤い瞳は、陸斗の身体の周囲に漂うエネルギーの揺らぎを正確に捉えていた。
キーボードを叩く音が、静かな訓練室に響く。
画面上に、陸斗のバイタルデータと霊的波形のグラフがリアルタイムで描画されていく。
【対象スキャン:高瀬陸斗】
【霊的出力:中低(Tier4標準値)】
【外部同期波形:検知(高周波の野生霊的ノイズ)】
【位置特定:対象の背部から右肩周辺に局在】
【ステータス:未契約共生/プロセスの過剰割当(過剰守護状態)】
「……出たな。本人の霊力タンクはそれほど大きくない。なのに、右肩のあたりから、異常なまでの出力のスパイクが記録されてる」
「いるぜ、悠真。ちっこいのがな」
ジャグラズが、陸斗の右肩のあたりを指差して小声で囁いた。
「悪魔じゃねえ。純粋な野生の獣霊だ。サイズはイタチかイイズナくらいだな。陸斗にべったりと張り付いて、周囲をめちゃくちゃに警戒してやがる。毛を逆立てて、今にも飛びかかりそうな勢いだぜ」
「……悪いもの、なんですか? 俺に、何かが憑りついてるんですか?」
陸斗が、自分の右肩を恐怖に満ちた目で振り返りながら尋ねる。
「悪意はないと思います」
悠真は画面を見つめたまま答えた。
「君を呪おうとか、君の肉体を乗っ取ろうという波形じゃない。むしろ、君のことを全力で守ろうとしている。……ただ、守り方の仕様が、あまりにも雑で過激すぎるんです」
「では、暴走の再現テスト(デバッグ)を行います」
烏丸が静かに告げ、手元のスイッチを押した。
訓練室の床から、木製の人型をした簡易的な『式神ダミー』が滑るように現れた。
攻撃能力はほとんどない、ただの標的用の自律モジュールだ。
ダミーは、ゆっくりとした動作で陸斗に向かって歩を進め、その木製の手を陸斗の胸元へと伸ばした。
人間にすれば、ただ「おーい」と声をかけながら近づいてくる程度の、全く無害な接近だ。
陸斗は緊張のあまり、身体を強張らせて息を呑んだ。
ダミーの手が、陸斗の服の繊維に触れそうになった、その瞬間――。
キィィィィン! という、鼓膜を刺すような高い霊的変動音が室内に響き渡った。
陸斗の背後から、目も眩むような鮮やかな金色の光の尾が走り、彼の右肩を駆け抜ける。
陸斗の瞳が、一瞬にして獣のように細く、鋭いものへと変貌した。
「が、ああっ!」
陸斗の口から、本人のものとは思えない低い咆哮が漏れる。
彼の足元から、衝撃吸収素材を噛み砕くほどの凄まじい脚力が爆発した。
常人の動体視力を完全に置き去りにする速度で、陸斗の身体が前進する。
彼は、接近してきた式神ダミーの木製の腕を強引に跳ね上げ、そのまま剥き出しの右手を、ダミーの喉元(首の接合部)へと、文字通り「引き裂く」ような軌道で突き出した。
善悪の判断を伴わない、純粋な『脅威の排除』という本能の暴発。
「ジャグラズ、足止め! 烏丸さん、停止プロトコル発動!」
悠真の叫びと同時に、ジャグラズが影から無数の闇の触手を伸ばし、陸斗の足首を強引に床へと縫い付けた。
それと寸分違わず、烏丸が放った緊急停止の呪符が陸斗の胸元に張り付き、青い火花を散らしてその霊力を強制遮断する。
ガガァン! と激しい音がして、出力を失った陸斗の身体が床へと倒れ込んだ。
ダミーの頭部を捉えるはずだった彼の手は、空を切って静止した。
未遂。
完全なセーフティの勝利だ。
「はぁ、……はぁ、……また、だ……」
陸斗は、床に両手をついて激しく息を荒らげながら、自分の右手を見つめて絶望に顔を歪めた。
「俺、また、あいつを壊そうと……。御門さん、やっぱり、こいつを祓ってください! 俺の中から、完全に追い出してください! 誰かを傷つけるくらいなら、こんな力、最初からいりません!」
悠真はノートPCの画面に記録された、コンパイルエラーのような暴走ログを冷徹に分析していた。
【外的刺激を検知:オブジェクトの接近】
【獣霊側の判定:接近=確定的な敵対行動(襲撃)】
【防衛プログラム:過剰出力(瞬間最大320%)】
【制御権の分配:高瀬陸斗 42% / 獣霊プロセス 58%】
【結果:本人の安全確保のための、対象の完全破壊(デリート)を選択】
「……分かりました。これが、君の身体を暴走させていたバグの正体です」
悠真は、画面を陸斗に見せるようにデスクの向きを変えた。
「この獣霊は、君のことが大好きで、君を守りたいと心から思っている。でも、判断基準が致命的に雑なんです。近づいてくるものを、すべて『君を殺しにきた敵』だと判定してしまう。ラグビーのタックルも、先輩からの軽い接触も、こいつにとってはすべて『主を脅かす襲撃』に翻訳されてしまう。だから、守るために、相手を先に潰しに行っていたんです。悪意なんて、最初から一滴もない。あるのは、不器用すぎる善意の暴走(バグ)だけです」
陸斗は目を見開いた。
「善意、の……暴走……?」
「そうです。こいつは、守り方を知らないだけなんです」
*
「高瀬さん。これを強引に引き剥がして、消滅させる(祓う)ことは簡単かもしれません」
悠真は、静かにノートPCの画面を『感覚交渉モード』へと切り替えた。
「でも、その前に、こいつと話をしてみませんか」
「話す、って……相手は言葉も通じない化け物(霊)なんですよね?」
「悪魔とは違って、テキストでの会話は難しいでしょう。でも、こいつには明確な『目的(守護)』がある。ならば、契約によって正しいルール(仕様)を定義してやれば、暴走を制御し、君の強力な盾へとリデザインできる余地があります。……切り捨てるのは、仕様を調整してからでも遅くはないはずだ」
陸斗は戸惑い、自分の胸元を押し当てた。
「ルール、ですか……。そんなこと、俺みたいな素人にできるんでしょうか」
「俺がインターフェースを仲介します。君と、その獣霊の間に、新しい三者契約(規約)を結ぶ。守っていい場面、出力を抑えるべき場面、そして君が『止まれ』と思ったら、何が何でもプロセスを停止させるという絶対遵守のバックドアを組み込むんです」
悠真の淀みのない言葉に、烏丸も深く頷いた。
「御門様の提案は合理的です、高瀬様。ヤタガラスとしても、能力の完全な消失よりは、適切なガバナンス下での制御を推奨します。試してみる価値はありますよ」
「……分かりました。御門さん、お願いします」
陸斗が覚悟を決めて頷いたのを確認し、悠真はキーボードのエンターキーを強く叩いた。
【感覚契約プロトコル:起動】
【対象波形のパルスを変換……イメージ言語によるセッションを確立します】
次の瞬間、陸斗の右肩から、ふわりと金色の煙のようなものが立ち上った。
煙は部屋の中央で形を成し、一匹の小さな、美しいイタチのような姿へと顕現した。
体長は三十センチほど。
輝く金色の毛並みに、黒真珠のような小さな瞳。
それは悠真とジャグラズを激しく威嚇するように、ウゥゥと微かな唸り声を上げていた。
しかし、プログラムの翻訳機能を通して、その断片的な「意思」がスピーカーからテキストとして出力される。
『まもる』
『りく、あぶない』
『ちかづく、てき、かむ』
『りく、まもる、やくそく』
陸斗の目が、驚愕に大きく見開かれた。
「こいつ……俺の名前を、呼んでる……?」
「高瀬さん、心当たりはありませんか? こいつは、ずっと昔から君のそばにいたはずです」
「昔から……。あ、……ばあちゃんのお守りだ」
陸斗は、ポケットから古びた、色褪せた布製のお守りを取り出した。
ラグビーの試合の時も、いつもバッグの底に入れて持ち歩いていた、亡き祖母の形見だ。
金色のイタチ――獣霊は、そのお守りを見るなり、唸り声を止め、切なそうに身体を丸めた。
『ばあば』
『やくそく、した』
『りくを、まもってね、って』
『だから、まもる。てき、ぜんぶ、こわす』
陸斗の目から、大粒の涙がポロポロと床にこぼれ落ちた。
「ばあちゃん……。そうか、お前、ばあちゃんとの約束をずっと守ってくれてたんだな。……ごめんな、化け物扱いして。でもな、お前がそうやって俺を守ってくれるたびに、俺はすごく悲しいんだよ。誰かを傷つけて、部活の先輩を殺しかけて、俺はボロボロになってるんだ」
獣霊は、陸斗の涙を見て、激しく狼狽(ろうばい)したように空中を泳いだ。
『りく、かなしい?』
『まもる、だめ?』
『てき、こわす、だめ?』
『わからない、わからないよ』
「分からないなら、これからルールを覚えよう」
悠真は、静かに契約のパラメータを設定し、画面を獣霊へと向けた。
「いいか、コガネ。それが君の新しい名前だ」
『こがね……?』
「君が陸斗さんを守ることは禁止しない。だが、守り方を変えるんだ。これが君たちの、新しい『主契約(グランド・ポリシー)』だ」
【守護獣霊コガネ・主契約仕様書(Ver 1.0)】
・コガネは、高瀬陸斗の絶対的な守護存在としての権利を有する。
・ただし、ラグビーのタックル、練習、日常の接触行為を「敵対行動」と判定することを厳禁とする。
・身体能力強化の出力は、通常時において「最大出力の30%以下」に制限(リミッター)をかける。
・高瀬陸斗が明確に『止まれ』と意識、または発声した場合、コガネのすべてのプロセスはミリ秒単位で緊急停止しなければならない。
・他者を過剰に傷つける「殺傷目的の攻撃」を禁止し、常に「回避・防御・受け流し」を最優先ルーチンとする。
・契約違反が発生した場合、監修者(御門悠真)のシステムにより、出力を強制遮断(アカウントロック)されることを受け入れる。
「高瀬さん。君にも責任があります。自分の感情を制御し、コガネと常に対話すること。守られる側にも、正しい守られ方を学ぶ義務がある。いいですね?」
「はい……! 責任を持って、俺、コガネと一緒に歩きます!」
陸斗が叫ぶ。
金色のイタチ――コガネは、陸斗の顔をじっと見つめ、その細い首を縦に振った。
『りく、かなしくないなら、まもる。ルール、まもる』
【三者契約:締結完了】
【対象:高瀬陸斗 / コガネ】
【ステータス:出力制限モード(30%固定)に移行】
【攻撃判定アルゴリズム:再学習(機械学習)を開始】
*
「……よし、それじゃあ、制御の検証テスト(バグチェック)だ」
悠真の合図で、再び式神ダミーがゆっくりと前進してきた。
陸斗は一呼吸置き、右肩のあたりを意識しながら、心の中で強く語りかけた。
「コガネ、守ってくれ。でも、絶対に相手を壊すな。30%だ」
『わかった。まもる、こわさない』
ダミーの手が、陸斗の胸元に触れる。
その瞬間、彼の足元が微かに光った。
だが、先ほどのような暴虐な爆発ではない。
陸斗の動きは、極めて洗練されていた。
彼は半歩だけ軽やかに後ろに下がり、ダミーの腕を自身の前腕で優しく外側へと受け流した。
相手の力を利用し、そのままダミーの身体を滑らせるようにして、自分の背後へと受け流す。
ラグビーのディフェンスにおける、完璧な「いなし」の技術。
ポン、と軽い音がして、ダミーはバランスを崩しながらも、壊れることなくその場に立ち尽くした。
「……止まれた」
陸斗は、自分の両手を見つめ、驚喜の声を上げた。
「俺、自分の意志で、力を抑えて止まれたぞ……!」
コガネが嬉しそうにキィと鳴き、陸斗の首元にふわりと巻き付いた。
普通の人間には見えないが、彼らの絆が、完全に安全な「システム」として再構築されたのが悠真にははっきりと見えた。
「成功ですね。出力は正確に28%。攻撃的な挙動も完全に抑制されています」
悠真がログを確認して告げると、烏丸は満足そうに拍手を送った。
「素晴らしい手際です、御門様。これで高瀬様の事案は、一旦『クローズ』と判断できます。……さて、業務はここまでですが」
烏丸は、眼鏡の奥の目を悪戯っぽく光らせた。
「御門様。あなたが以前から気にされていた『召喚物憑依』の件ですが……。コガネ様の主契約に影響を及ぼさない範囲での、一時的な『サブ契約(リソースの割り当て)』をテストしてみますか?」
悠真は、ごくりと唾を飲み込んだ。
画面のパラメータを見る。
コガネの接続ポート(パス)には、確かに「監修者用の一時利用枠」が空いている。
「主契約はあくまで高瀬さんです。俺が使うのは、コガネの能力の、ほんの『十パーセント以下の端数』、時間にして十秒だけの間借りですが……高瀬さん、よろしいでしょうか」
「もちろんですよ! 御門さんは俺たちの恩人です。コガネが嫌がらないなら、いくらでも使ってください」
陸斗が笑顔で快諾すると、コガネもまた悠真に向かって、ちょこんと頭を下げた。
『ゆうま、ちょっとだけ、かす。でも、りくが一番だからね』
「ああ、分かってるよ。ほんのちょっとだけ、デバッグに付き合ってくれ」
悠真はキーボードを叩き、臨時の補助契約をコンパイルした。
【補助契約:一時憑依プロトコル(Ver 0.1)】
【許可範囲:嗅覚の拡張、反応速度の微増、脚力の最低限の補助】
【出力上限:10%(セーフティロック常時発動)】
【有効時間:10秒(自動シャットダウン設定)】
【禁止事項:攻撃、全力疾走、戦闘行動の一切】
「ジャグラズ、安全装置(セーフティ)として待機。異変があれば強引に切断しろ」
「へーへー。無理して脳みそ焦がすなよ、ブラック当主」
ジャグラズが影の中で腕を組む。
「よし。……一時憑依、実行(デプロイ)」
悠真が画面の実行ボタンをクリックした。
次の瞬間、コガネの身体が光の粒子となって霧散し、悠真の右腕から胸元へと、スッと染み込んでいく感覚があった。
「――っ!?」
悠真は、あまりの衝撃に目を見開いた。
世界が、一瞬にして静止したかのように錯覚した。
いや、違う。
自分自身の「処理速度(クロック周波数)」が、爆発的に跳ね上がっているのだ。
耳に入る音が、異常なほど鮮明に分離されて聞こえる。
エアコンのフィルターが震える微弱な音、地下の配管を流れる水の音。
鼻を突いたのは、情報の津波だった。
室内の消毒液の匂い、古い和紙の匂い、そして隣にいるジャグラズから漂う、悪魔特有の「甘い、焦げたようなバニラの匂い」までが、成分分析をされたかのように頭の中に流れ込んでくる。
視界の端で、烏丸が手元の資料を捲る動作が、まるでスローモーションの動画のように見えた。
「これが、……身体強化の世界、か……!」
悠真は、自分の足元を見つめた。
地球の重力が、普段の半分になったかのように身体が軽い。
今なら、あの訓練場の壁を蹴って走ることすらできそうな万能感が、脳髄を甘く痺れさせる。
「御門様、軽く一歩だけ、前に踏み出してください。走ってはいけませんよ」
遠くから聞こえる烏丸の指示に従い、悠真は右足を一歩、前へと踏み出した。
だが、その瞬間。
「おっと、と……!」
自分の想定を遥かに超える速度で肉体が前に進み、重心が完全に置いてけぼりになった。
悠真の身体が、無様に前のめりに倒れそうになる。
すかさず、足元から伸びたジャグラズの闇の触手が悠真の腰をがっしりと受け止め、強引に元の位置へと引き戻した。
「だから言ったろ。スペックの合わねえパッチを雑に当てるから、そうやって挙動が不安定(バグ)になるんだよ」
ジャグラズの呆れた声が響くと同時に、カウントダウンがゼロを指した。
【有効時間10秒が経過しました。自動シャットダウンを実行します】
【一時憑依:終了】
フッと、世界の処理速度が元に戻った。
拡張されていた五感が急激に萎縮し、強烈な立ち眩みと、鼻の奥がツンとするような嗅覚過敏の副作用が悠真を襲う。
「……はぁ、……くっ、頭がクラクラする……」
悠真は作業机に手を突き、激しく乱れた息を整えた。
「出力たったの十パーセント、十秒だけでこれか。……これ、生身の人間がノーガードで使ったら、本当に精神がブチ切れるな」
「分かっていただけましたか」
烏丸が、手元のタブレットにテスト結果を記録しながら言った。
「力を得るということは、それだけのノイズを脳に受け入れるということです。ですが、初回としては大成功(ノンエラー)です。御門様に、補助的憑依の適性あり、と。……もっとも、当面は支部の訓練施設内でのみ、使用を許可しますがね」
「……はい。自宅でこっそり試すなんて、怖くてとてもできませんよ」
悠真は冷や汗を拭いながら、小さく苦笑した。
しかし、その胸の内には、確かな高揚感(手応え)が残っていた。
自分自身は弱くても、契約の仕組みを通じて、他者の力を安全に「パッケージ化」して利用する回路が、確かに構築できたのだ。
*
「高瀬さん。君の力は消えていません。……でも、もう君を脅かす怪物でもありません」
テストを終え、ロビーに戻った悠真は、陸斗に向き合って最後の言葉をかけた。
「これからは、君自身がコガネの正しいオーナー(管理者)として、一緒に訓練を重ねてください。……部活については、すぐに復帰するのはお勧めしません。まずヤタガラスの制御カリキュラムを修了して、それからスポーツの現場での『使用ポリシー』を、顧問の先生やヤタガラスと相談して決めてください。能力を使って競技に出るのは、不公平(規約違反)になる可能性もありますからね」
陸斗は、首元で丸くなっているコガネを優しく撫でながら、晴れやかな顔で笑った。
「そうですよね。試合でコガネの力を使ったら、完全にドーピング違反ですよね。……なんか、急に現実的な問題になってきました」
「現実の世界で生きていくための力ですから。……でも、君たちの絆は本物だ。おばあさんとの約束を、今度は君自身の手で、正しく守っていってください」
「はい……! 本当に、ありがとうございました、御門さん!」
陸斗は深く頭を下げ、コガネと共に、ヤタガラスの研修受付へと歩いていった。
その背中は、会議室で出会った時よりも、遥かに大きく、頼もしく見えた。
「お疲れ様でした、御門様」
烏丸が、一通の封筒を悠真に差し出した。
「今回の事案解決に伴う、調査協力費の五万円です。成功報酬の本金については、後日口座へ振り込まれます。……それと、これが今後の『支部訓練施設の限定利用許可証』です。憑依運用のテストを行う際は、必ず事前に申請を出してくださいね」
「ありがとうございます、烏丸さん。……金銭も助かりますが、この利用許可証が、今の俺には一番ありがたい報酬です」
悠真は、そのカードキーを宝物のようにつなぎ、ポケットに収めた。
「また、新しい前例を作ってしまいましたね。……非常に面倒ですが、行政としても、あなたの『仕様書』には期待せざるを得ません」
「胃が痛くならない程度の期待でお願いします」
悠真の言葉に、烏丸はクスクスと笑いながら、見送りの手を振った。
*
帰り道。
支部のビルを出ると、都心の空はすっかり夕焼けのオレンジ色に染まっていた。
横を歩くジャグラズは、コンビニで買わせた最高級のバニラアイスを、幸せそうに頬張っている。
「で、どうだったよ、初めてのフィジカル・ブーストは」
「……凄かった。でも、それ以上に死ぬほど怖かったよ。一歩間違えれば、自分の身体じゃないものに引っ張られて、壊れてしまう感覚が」
「ケケケッ、合格点だな」
ジャグラズはスプーンを口に咥えたまま、悠真を横目で見た。
「力を怖いと思えるうちは、お前は暴走しねえよ。召喚師ってのはな、自分が強くなるんじゃない。力を借りる相手と、その『借り方(インターフェース)』を間違えない奴が、一番強いんだからな」
「……お前、たまに悪魔のくせに、すごく良いエンジニアみたいなこと言うよな」
「悪魔だからな。人間のシステムをハックするのが本職だぜ」
悠真はスマートフォンを取り出し、契約プログラムの新しいステータス画面を開いた。
【補助契約(一時借用):コガネ】
【契約種別:監修者用一時憑依・インスタンス生成】
【利用可能アセット:嗅覚拡張、反応速度+10%、脚力微補助】
【制限事項:有効時間10秒、出力10%固定、戦闘使用厳禁】
【再使用待機時間(クールダウン):24時間】
画面の中で、小さな金色のイタチのアイコンが、静かに点滅している。
戦闘での無双なんて、程遠い。
たった十秒の、それも戦闘禁止の、不格好な借り物の力だ。
しかし、ゼロではない。
御門悠真は、自分自身が強くなったわけではない。
だが彼は、力を借りるための最初の回路を、確かに手に入れた。
夜の帳が下りる街に、電子の明かりが静かに溶けていった。
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