元ITエンジニアの俺、祖先の召喚術から召喚プログラムを組み上げて神も悪魔も従える   作:パラレル・ゲーマー

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第9話 炎属性召喚の分家と、異界巡りの誘い

 障子の隙間から差し込む朝の光が、宙を舞う微細な埃を白く照らし出している。

 

 御門悠真は、使い込まれた黒漆塗りの座卓にノートPCを広げ、キーボードを叩く指を時折止めては、深く大きな溜息をついていた。

 

 ディスプレイの右隅、常にバックグラウンドでシステムを監視している常駐ウィンドウには、昨日の「実戦テスト」の凄まじいログが、未だに生々しい警告色を伴って残されていた。

 

【補助契約(一時借用):コガネ(小型獣霊)】

 

【現在の出力上限:10%(セーフティ固定)】

 

【累積稼働時間:10秒(自動シャットダウン正常終了)】

 

【検出された副作用:嗅覚の異常過敏、平衡感覚の失調に伴う一過性の眩暈】

 

【次回のシステム利用可能制限(クールダウン):残り3時間42分】

 

【現行の運用制限:直接的な戦闘行為への投入禁止 / 承認された訓練施設内でのみ実行可能】

 

「……たった十パーセントの出力を十秒間、同期(シンクロ)させただけなのに、このリバウンドか」

 

 悠真はこめかみを指先で押さえ、未だに鼻の奥に残る、世界が過剰に匂い立っていたあの奇妙な感覚の残滓を振り払おうとした。

 

 コガネの力を間借りした瞬間の、あの世界のクロック周波数が引き上げられたかのような全能感。

 

 それは確かに魅力的だったが、同時に生身の肉体へかかる負荷(ストレス)は、元ITエンジニアの貧弱な身体にとって許容量の限界を叩くものだった。

 

「反応速度の補助モジュール自体は、防御や回避の緊急回避策(例外処理)として極めて有用だ。……だが、五感からの入力情報が多すぎる。視覚、聴覚、特に嗅覚の生データ(ローデータ)がノーフィルターで脳に流れ込んでくるのは、ハードウェア的なバグに近い。UIの側で適切に情報を間引き、ノイズキャンセリングをするフィルター層を一枚挟まないと、実戦じゃ脳のメモリが焼き切れるな」

 

 悠真が独り言を呟きながら、ノートに「憑依時における入力情報のフィルタリング要件」とペンで書き連ねていく。

 

 だが、問題はそれだけではなかった。

 

 最大の問題は、極めて物理的、かつ致命的な「ハードウェアの制約」だった。

 

「何より、憑依して身体能力が上がっている最中に、ノートPCのキーボードを叩いてコマンドを入力するなんて、逆立ちしながらプログラミングするくらい現実的じゃない。戦況の最中に『ちょっと待ってくれ、今パッチを当てるから』なんて言えるわけがないだろ」

 

「ケケケッ! やっと気づいたかよ、この引き籠り管理者」

 

 部屋の対角線上、日当たりの良い畳の上でゴロゴロと寝返りを打っていたジャグラズが、菓子箱から最後の一つのクッキーを口に放り込みながら笑った。

 

「お前がいくらその変な箱の中で無敵の契約網を組もうがよ、実戦の現場(本番環境)じゃあ、ノートPCを抱えて走り回る羽目になるんだぜ? そんなの、敵からすりゃ『ここに弾をぶち込んでください』って言ってるような標的(ターゲット)そのものだろ」

 

「ああ。だからこそ、次の開発目標(ロードマップ)は決まってる」

 

 悠真はPCの画面を切り替え、新しい設計図面のスケッチを開いた。

 

「最低限、スマートフォンの携帯端末から、契約個体のステータス確認、警告の受信、緊急停止、そして出力制限のコントロールができるように、UIをモバイル向けに移植(ポート)する。中核の処理系は御門家の血統認証と蔵の術式基盤をサーバーとして使うから、端末側は軽量なフロントエンド(クライアントアプリ)でいいはずだ」

 

「おいおい、今度は召喚術をスマホアプリにする気かよ。どこまで神秘を俗世のガジェットに落とし込めば気が済むんだ、お前は」

 

「言い方はどうあれ、現場で生き残るための必須要件だ。ノートPCを開かないと防御結界一つ張れないなんて、セキュリティシステムとして欠陥品だろ」

 

「へーへー、好きにしろよ。……っと、お前がアプリ開発の要件定義(ミーティング)を始める前に、庭の『センサー』たちが騒ぎ始めたぜ?」

 

 ジャグラズが赤い目を細めて窓の外を凝視した。

 

 それとほぼ同時に、悠真のノートPCが、耳慣れない警告音を短く鳴らした。

 

【未登録の来訪者を検出:敷地外周・正門前】

 

【霊的波形を解析……炎属性の熱量を検知(クラス:召喚師)】

 

【敵対意図判定:低 / 警戒度:中】

 

【保有している外部契約個体の反応:複数(高熱源体)】

 

 さらに、悠真の影のあちこちから、塵霊たちの悲鳴に似た断片的なログが、滝のようにコンソールへと流れ込んでくる。

 

『ひ、あつい』

 

『あかい、くる』

 

『こげる、ちり、にげる』

 

『お水、ちょうだい、さむくない』

 

「炎属性の召喚師……? 塵霊たちが、完全にパニックを起こしてるな。火は埃の塊にとって天敵(相性最悪)だからか」

 

 悠真は座卓から立ち上がり、画面の波形を凝視した。

 

「敵か? ジャグラズ」

 

「敵意は薄いな。だが、纏ってる火の気配がそこそこデカい。本職の召喚師だぜ。……ちっ、空気が乾燥して、俺の影まで縮んできそうだ」

 

 不快そうに尻尾を揺らすジャグラズを横目に、悠真は玄関へと向かった。

 

 古いインターホンが、ジリリと不器用な音を立てて屋敷に響き渡る。

 

 悠真が重い木製の扉を開けると、そこには初夏の陽光を背に浴びた、一人の若い女性が立っていた。

 

 年齢は二十一歳前後。

 

 赤みがかった茶髪を短めに切り揃え、その隙間から覗く目つきは、驚くほど鋭く理知的だ。

 

 服装は、一見するとカジュアルなマウンテンパーカーにジーンズというラフなものだが、そのシルエットはどこか洗練されており、動きに一切の無駄がない。

 

 悠真が目を留めたのは、彼女が両手に嵌めている、黒い耐火素材らしき厚手の手袋だった。

 

 さらに、彼女が微かに動くたびに、彼女の袖口や腰のベルトの隙間から、古風な護符や、何かの液体が入った小さなガラス瓶、そして火打石のような触媒が、かすかな金属音を立てて覗いていた。

 

 風が吹き抜ける。

 

 彼女が近づいた瞬間、周囲の空気が一瞬だけ爆ぜるように乾燥し、微かに焦げた和紙と、高級な香木が混ざり合ったような、独特の熱い匂いが悠真の鼻腔を突いた。

 

「どーも。あんたが、噂の御門悠真さん?」

 

 彼女は、親指で自身の胸を指しながら、砕けた口調で言った。

 

「はい。そうですが……どちら様でしょうか」

 

「あたしは炎堂朱音(えんどうあかね)。炎属性の召喚術を専門に引き継いでる、御門の分家筋の者だよ」

 

「分家……」

 

 悠真の脳裏に、祖父の遺言がよみがえる。

 

 万能の思想を捨て切れなかった本家とは違い、特定の属性(エレメント)に特化することで現代まで生き残ったという、あの分家の一族か。

 

「うちの親父がさ、『本家のじいさんが死んで、一般人の孫が当主になったらしい。どんな奴か、挨拶くらいしてこい』ってうるさくてね。……まあ、挨拶は建前半分。あたし個人としては、宗一郎さんにお線香の一本でも上げさせてほしくて来たんだわ。上げていってもいい?」

 

 朱音は、鋭い目元を少しだけ和らげ、仏壇のある奥座敷の方へ視線を向けた。

 

 悠真は一瞬だけ躊躇ったが、彼女の波形に敵意がないこと、そして何より、亡き祖父への敬意を持って訪ねてくれたことを理解し、静かに道を開けた。

 

「……どうぞ。散らかっていますが、中へ」

 

「ありがと。お邪魔するよ」

 

 朱音は、板張りの廊下を、足音を立てずに滑るように歩いていく。

 

 その洗練された身体能力は、昨日見たTier4の研修生たちのそれよりも、遥かにプロに近いものだった。

 

 奥座敷への角を曲がろうとした瞬間、朱音の足がぴたりと止まった。

 

 彼女の視線が、廊下の隅の「影」へと向けられる。

 

「……へえ。低級悪魔(レッサーデーモン)を、随分ときれいに飼い慣らしてるじゃない」

 

 影の中から、ジャグラズが不機嫌そうに顔を半分だけ覗かせた。

 

「分かってんじゃねえか、火臭い女。近寄るなよ、あたしの金の髪が熱で縮れたらどう責任取ってくれるんだ」

 

「そっちこそ、硫黄と、……何これ、砂糖菓子の匂いがプンプンするんだけど。随分と甘やかされてる悪魔ね。本家の使役悪魔の威厳はどこにいったわけ?」

 

 朱音は手袋を嵌めた手を腰に当て、呆れたように笑った。

 

「……気配で分かるんですか?」

 

 悠真が尋ねると、朱音は肩をすくめた。

 

「炎属性の召喚師は、影に潜むもの(陰気)と相性が最悪だからね。お互いに、近くにいるだけで拒絶反応が出るのよ。……でも、この悪魔、本家の新しい当主に完全に『縛られてる』みたいだから、あたしに襲いかかってくる心配はなさそうね」

 

「ケッ。縛られてるんじゃねえ、正当なビジネス契約だ!」

 

 ジャグラズの抗議を無視して、朱音は奥座敷へと進んでいった。

 

 *

 

 宗一郎の遺影が飾られた仏壇の前。

 

 朱音はパーカーのポケットから、私物とおぼしき小さな香木を取り出し、慣れた手つきで火をつけた。

 

 線香の煙とは違う、どこか厳かで、鼻の奥を刺激する熱い香りが部屋に広がる。

 

 彼女は畳に正座し、静かに目を閉じて手を合わせた。

 

 その横顔は、先ほどまでの軽い口調からは想像もできないほど、真摯で、どこか悲痛な色を帯びていた。

 

「……宗一郎さん。遅くなってすみません」

 

 朱音の低い声が、静かな部屋に響く。

 

「親父が、また一緒に安酒を飲みながら、古文書の悪口を言いたかったって、ひどく落ち込んでましたよ。……それから、孫さん、ちゃんと屋敷を継いでました。あなたの遺志は、空っぽにはなってないみたいです」

 

 彼女は一礼し、ゆっくりと立ち上がった。

 

 悠真は、その様子を少し離れた場所から見守っていた。

 

「……祖父と、お父さんは、そんなに親しかったんですか?」

 

「親しかったっていうか、腐れ縁ね」

 

 朱音は座卓の前に腰掛け、悠真が出した麦茶を一口飲んだ。

 

「うちの親父は、炎堂家の現当主なんだけどさ。若い頃、異界から持ち帰った古い文献の解読で行き詰まって、絶望してた時期があったのよ。その時に、誰も見向きもしなかった御門の本家に頭を下げにきた。……宗一郎さんは、魔力も戦闘力もゼロに等しかったけど、その膨大な知識だけで、うちの親父の術式の欠陥(バグ)を一瞬で見抜いて、修正してくれたんだって。親父は今でも言ってるわよ。『あ老人は、戦えはしなかったが、召喚術の構造に関する知識だけは、間違いなく世界の最先端(Tier1)だった』ってね」

 

 悠真は、胸の奥が熱くなるのを感じた。

 

 裏社会で「理想だけの無能」と蔑まれていた祖父は、しかし、確かに誰かの命を救い、その技術を支えていたのだ。

 

 その事実が、悠真が今進んでいる道の正しさを、裏側から補強してくれるようだった。

 

「だからまあ、あたしが今日ここに来たのは、分家としての義務が半分。宗一郎さんへの恩返しが半分ってところ。……で、ここからは完全に、あたしの個人的な興味なんだけどさ」

 

 朱音は、麦茶のグラスを置き、鋭い目を悠真に向けた。

 

「……噂は、本当なの?」

 

「噂、ですか?」

 

「ヤタガラスの連絡網でさ、一部の人間がザワついてるのよ。没落した御門の本家に、一般人の孫がふらっと現れて、登録したその日に低級悪魔を完璧に管理下に置き、その数日後には『塵霊(ダスト・スピリット)』を、……なんと百体同時に一括契約して、街の情報網を構築した、ってね」

 

 朱音の口から出た具体的な数字に、悠真は「あ、やっぱり筒抜けなんだな」と苦笑した。

 

「はい。本当です。今も、このエリアの約六割のポイントに塵霊を配置して、環境のログを取っていますが」

 

「……うわ、ガチの本当なんだ」

 

 朱音は、呆れたように額に手を当て、深く大きな溜息をついた。

 

「あんた、自分がどれだけ狂ったことをしてるか、本当に分かってないでしょ。塵霊なんて、一体一体は掃除機で吸ったら消えるゴミみたいな存在よ? でもね、召喚契約ってのは、相手の強弱に関わらず、繋いだ『パス(回線)』の本数だけ、術者の脳のメモリをダイレクトに消費するの。普通は、十体を超えたあたりで契約条件が頭の中で混線して、精神が破綻して『頭パーン』よ。それを百体? 同時に、整然と動かしてる? 召喚師の基礎理論(アーキテクチャ)を根底から無視してなきゃ、そんなことできるわけがないわ」

 

「基礎を学ぶ前に、必要に迫られて組んでしまったので……。でも、俺自身の脳で処理しているわけじゃないんです」

 

 悠真は、座卓の上のノートPCの画面を、朱音に見せるように傾けた。

 

「俺は、祖父の遺した万能召喚術の資料を読んで、これは『神秘』ではなく『システム』だと解釈しました。魔法陣をプログラムの『実行環境(ランタイム)』、真名を『一意識別子(ID)』、供物を『接続に必要なリソース支払い』、そして契約文を『ロールベースの権限管理』としてロジックを組み直したんです。俺の血を認証基盤にして、このノートPC上で契約の維持と例外処理を代行させている。だから、低容量の塵霊なら、俺の脳に負荷をかけることなく、マルチスレッドで百体同時に並列管理できるんです」

 

 悠真が淡々と説明を終えると、執務室は水を打ったような静寂に包まれた。

 

 朱音は、ノートPCの画面に映し出される、リアルタイムで塵霊たちの稼働状況をプロットしているコンソール画面を、瞬きもせずに凝視していた。

 

 彼女の手袋を嵌めた指先が、微かに震えている。

 

 長い沈黙の後、彼女はゆっくりと顔を上げ、悠真を凝視した。

 

「……なるほど。万能の術式を、そうやって『外部の仕組み』に丸投げして管理(ガバナンス)したわけ。……あんた、バカなの? それとも、本物の天才?」

 

「え?」

 

「御門の万能召喚術が没落したのはね、『全属性の膨大なルールを、一人の脳で処理し切るのが無理ゲーだったから』なのよ。それを、処理系を分けて外出しするなんて発想、これまでの数百年の歴史の中で、誰一人として試さなかった。……変なやり方。でも、完璧に筋が通ってるわ。あんた、宗一郎さんの遺産を、とんでもない形で再起動(リブート)しちゃったのね」

 

 朱音の言葉には、確かな戦慄と、それ以上の深い敬意が混ざり合っていた。

 

 裏社会の専門家から初めて、自分のアプローチが正しかったと認められた瞬間だった。

 

 悠真は、少しくすぐったいような、確かな達成感を覚えていた。

 

 *

 

「でもさ」

 

 朱音は、興奮を落ち着かせるように麦茶を飲み干すと、ノートPCのキーボードをパシパシと手袋の指先で叩いた。

 

「あんたのその凄いシステム、現状だとその『ノートパソコン』がないと、何一つ命令を出せないわけじゃない?」

 

「……ええ。UI(ユーザーインターフェース)の操作と、ログのリアルタイム解析には、どうしてもこのマシンのスペックが必要です」

 

「戦場で、それ広げるの?」

 

「戦場?」

 

 悠真は首を傾げた。

 

「うん。戦場。……あるいは、現世から少しズレた場所に存在する『異界』。現代風の言葉で言うなら、『ダンジョン』って呼んだ方が馴染みがあるかな」

 

 朱音は当然のように、世界の広さを語り始めた。

 

 人の強烈な想念、土地が持つ古い記憶、放置された呪物の磁場、あるいは神仏妖魔のエネルギーが一定の濃度で溜まった場所には、現実の空間から位相がズレた『異界(境界領域)』が発生するのだという。

 

「普通の人間は入れないし、気づかずに迷い込んだら二度と戻ってこれない。中には、現世にはいない強力な怪異や精霊、妖魔、そしてあたしたち召喚師が契約すべき『野良の存在』がゴロゴロしている。……本当に召喚師として手札(リソース)を増やし、上を目指すなら、その異界を巡る調査(ハッキング)は避けて通れないのよ」

 

 悠真は、喉を鳴らした。

 

 これまでは街の中の空き家や公園といった、極めて日常的な範囲でしか怪異と接してこなかったが、裏の世界には、召喚師たちの主戦場となる『異界』が明確に存在しているのだ。

 

「属性特化の召喚師はね、自分の属性に合った異界に突っ込んで、新しい契約相手を探すの。あたしら炎属性なら、大火事の跡地にできた霊的空間とか、古い鍛冶場跡、火伏せ神社の裏空間、そういう『熱』が溜まった境界領域に行く。動物霊なら古い山道や獣道だし、悪魔系なら廃教会や裏の呪具市場の隙間。……そこで命を懸けて交渉して、契約を勝ち取って帰ってくるのよ」

 

 朱音は、悠真のノートPCを指差した。

 

「そんな危険な場所にさ、ノートPCを小脇に抱えて、モンスターの攻撃を避けながらキーボードを叩いて結界を張るの? 決定キー(エンター)を押す前に、首を撥ねられて終わりよ。……だから、さっきあんたが呟いてた『スマホへの移植』。あれは、あんたが現場(フィールド)に出るための、絶対的な必須要件。最低限、スマホの画面から契約一覧の確認、警告の受信、緊急停止(エマージェンシー)、それから最低限のステータスログの同期ができるようになること。それができないうちは、あんたはただの『箱庭の管理者』でしかないわ」

 

「……完全に、おっしゃる通りです」

 

 悠真は、自分の設計思想の甘さを痛感した。

 

 デスクの上で動くシステムと、現場の最前線で動くモバイルシステム(モバイルアプリ)では、求められる堅牢性(堅牢性)とアクセシビリティが全く違う。

 

 スマホ移植は、ただの便利機能ではなく、生存のための生命線だったのだ。

 

 さらに、朱音は容赦なく、現実的な「資金」の話を切り出してきた。

 

「それにさ、召喚師って、信じられないくらい金がかかるのよ」

 

「金、ですか?」

 

「そう。契約個体への毎月の供物代、術式を安定させるための触媒、緊急用の護符、依代にするガラクタの購入費、情報屋への謝礼、ヤタガラスのポータルサイトのシステム利用料……。契約相手が増えれば増えるほど、固定費(ランニングコスト)は際限なく跳ね上がる。資金稼ぎの手段を持ってない召喚師は、能力の強弱に関わらず、数ヶ月で自己破産(リソース枯渇)して終わるの」

 

 悠真は、思わず横のジャグラズを見た。

 

 ジャグラズは、気まずそうに空になったクッキーの箱の裏を見つめている。

 

「……確かに、こいつのケーキ代だけでも、無職の貯金じゃ長期運用は厳しいな、と思ってたところです」

 

「でしょ。だから、召喚師はみんな、異界に潜って『稼ぐ』のよ。異界ってのはさ、人間の欲望や記憶が凝固した空間だから、人間の価値観に合わせた『宝物』が落ちてるの。宝石、貴金属、古いレア物の貨幣、強力な呪具、高価な霊的素材。人間の想念が作るから、欲望は宝箱に、恐怖は鍵のかかった部屋に、罪悪感は血の染みた道具の形になって保管されてる。それを回収して、裏の市場やヤタガラスに買い取ってもらうのさ」

 

【異界から回収可能な主な換金・霊的素材】

 

 ・宝石類(トパーズ、ルビーの原石等):召喚の対価、または高位存在への高エネルギー供物

 

 ・貴金属(精霊銀、呪金):魔法陣の物理的な回路(レイポー)の触媒、護符の芯材

 

 ・霊木片(千年桜の木片):式神や依代の最高級ボディ

 

 ・火精石(炎の結晶):炎属性召喚のダイレクトな燃料・出力ブースター

 

 ・影布(シャドウ・クロス):認識阻害、隠蔽系スキルの効果範囲拡張素材

 

 悠真は、画面のメモ帳にそれらのデータを猛烈な速度で記録していった。

 

 これまでは、ヤタガラスから回ってくる小規模なトラブル解決(デバッグ)の報酬しか頭になかったが、召喚師としての本当の経済基盤は、異界からの「素材回収(スクラップ)」にあるのだと、朱音の話は教えてくれた。

 

「今の俺に決定的に足りないのは……戦闘時に身を守る手札、運用のための資金、そして現場で動かせるモバイルUI、か」

 

「そう。課題が明確(クリア)になったじゃない。……よし、座学ばっかりじゃ退屈だし、ちょっとあたしの『手札』、見せてあげるわ。庭に出なさい」

 

 *

 

 御門家の、雑草が生い茂った広い裏庭。

 

 朱音は、両手の黒い耐火手袋をきゅっと締め直すと、右手の指先を軽く宙に向けた。

 

「サラ、起きて。挨拶の時間よ」

 

 彼女の言葉に呼応するように、彼女の手首に巻かれていた、赤い数珠のような触媒が激しく明滅した。

 

 シュウゥゥッ! という、空気が熱で爆ぜるような音と共に、彼女の指先から、真っ赤な炎の渦が吹き荒れた。

 

 渦は空中で瞬時に収縮し、一匹の小さな、美しい生物へと姿を変えた。

 

 体長十五センチほど。

 

 全身が、まるでルビーを溶かして固めたかのような、鮮やかな赤に染まったトカゲ。

 

 その背中からは、微かな火花がパチパチと音を立てて散り、周囲の空間の温度を急激に引き上げていく。

 

「火蜥蜴(サラマンダー)のサラ。あたしの基礎契約個体(メインモジュール)だよ」

 

 朱音の指先で、サラは愛らしく首を傾げ、小さな炎の息を吐き出した。

 

 その瞬間、悠真の足元の影から、凄まじい悲鳴のログがPCへとダイレクトに送信された。

 

 庭の隅、物置の影に配置されていた塵霊たちが、一斉に蜘蛛の子を散らすように屋敷の中へと逃げ込んでいくのが波形で分かった。

 

『ひ、あつい!』

 

『こげる! 埃が炭になっちゃう!』

 

『退避、全ユニット、緊急退避せよ!』

 

「あ、ごめんごめん。火力、最低限に抑えるわ」

 

 朱音が指をパチンと鳴らすと、サラの周囲の炎が、まるでキャンドルの灯りのように小さく、穏やかなものへと減衰した。

 

「……綺麗ですね。直接、炎そのものを生み出して制御している」

 

「戦闘じゃ、低位の妖魔をそのまま焼き払ったり、異界の暗闇を照らしたり、呪詛のついた汚染物質を焼却処理(デリート)するのに使うわ。便利でしょ?」

 

「ええ、極めて攻撃力(スループット)が高そうだ」

 

「でもね、炎属性には致命的な弱点があるのよ。……燃え移るの。街中でちょっと火球を撃てば、周りの住宅まで火事になる。水辺の異界じゃ出力が激減するし、精密な探索作業には全く向かない。……だからさ」

 

 朱音は、サラを消滅(ログアウト)させ、悠真の目をじっと見つめた。

 

「強い属性を極めるのもいいけど、敵の弱点や状況に合わせて、火、水、風、悪魔、獣、すべての中から最適解を選んで叩き込める『万能』が、もし本当にノーエラーで動くなら……それは、召喚師の世界の、絶対的な頂点(Tier1)なのよ。……かつての御門は、それをやろうとして自滅した。でも……」

 

 彼女は、悠真の細い腕と、その手にあるノートPCを交互に見た。

 

「あんたは、その『無理ゲー』の壁を、別のシステムで超えようとしてる。……だからさ、あたしはあんたを、ただの一般人の素人だとは思わないのよ」

 

 悠真は、その言葉の重さに、小さく息を呑んだ。

 

「ふん、派手なだけで品がねえ火種だこと」

 

 影の中から、ジャグラズが退屈そうに口を挟んだ。

 

「俺様みたいな、影と隠密の美学が分からねえ脳筋属性は、これだから困るぜ」

 

「派手なのはいいことよ、悪魔。敵も燃えるし、不都合な証拠も全部灰にできるからね」

 

「発想が完全に犯罪者(テロリスト)のそれだろ! 悠真、こいつ危ねえぞ!」

 

「二人とも、俺の庭を燃やさないでくれよ。消火器の補充(コスト)も馬鹿にならないんだから」

 

 悠真が苦笑交じりに間に入ると、朱音とジャグラズは、お互いにプイと横を向いた。

 

 朱音はジャグラズの存在を嫌悪しているわけではなく、むしろ、これほど強力な悪魔が、一人の新人の下で寸分の狂いもなく管理(コントロール)されている手際に、内心で深く感心しているようだった。

 

 *

 

 リビングに戻り、朱音はパーカーのポケットから、一枚のスタイリッシュなデザインの名刺を取り出し、座卓の上に置いた。

 

「……今度、あたしが受託した『初心者向けの小さい異界』の調査案件があるんだけどさ。一緒に来てみる?」

 

 悠真の目が、大きく見開かれた。

 

「本当ですか? 俺みたいな、戦闘力のない人間が同行してもいいんですか?」

 

「うん。危険度の低い、ただの『霊的残滓の回収(スクラップ)』の現場だからね。あたしが前衛(ガード)をしてあげる。……ただし、条件があるわ」

 

 朱音は、名刺の上の文字を指でトントンと叩いた。

 

「……スマホへの移植、終わらせること」

 

「やっぱり、そこですか」

 

「あったり前でしょ。ノートPCを持って異界に入るなんて、自殺志願者よ。スマホの画面で、契約個体の簡易命令と、緊急停止(エマージェンシー)、それから最低限のステータスログの同期ができるようになること。それができたら、連絡しなさい。名刺に番号とメール、ヤタガラスのIDが書いてあるから」

 

「……分かりました。大至急、モバイル版の要件定義と実装に入ります」

 

「期待してるわよ、天才エンジニア様。……あ、変な呪物を拾ったり、この悪魔が暴走しそうになった時も、相談に乗ってあげる。ただし、相談料はきっちり取るからね。召喚師は、金がかかるんだから」

 

 朱音は、荷物をまとめて玄関へと向かった。

 

 古い門扉を開け、現世の住宅街へと戻ろうとしたその時、悠真は堪らず、彼女の背中に声をかけた。

 

「……あの、朱音さん」

 

「ん? なに?」

 

「どうして、そこまでしてくれるんですか。分家としての挨拶や、お線香を上げるだけなら、さっきの座敷の時点で終わりでもよかったはずです。……俺みたいな新人に、異界の案内まで買って出てくれる理由が、分からなくて」

 

 朱音は門扉に手をかけたまま、一瞬だけ動きを止めた。

 

 初夏の風が、彼女の茶髪を揺らす。

 

 彼女は振り返らないまま、少しだけ遠い声で呟いた。

 

「……そうね。あんたのシステムが、召喚師として最高に面白いから、っていうのもある。……でも、一番の理由はさ」

 

 彼女は、少しだけ首を傾げて、悠真を横目で見た。

 

「……あんたのお爺さんに、頼まれてたからだよ」

 

「祖父に……?」

 

「数年前ね。宗一郎さんが、うちの親父のところにふらっと遊びに来てさ。酒を飲みながら、珍しく真面目な顔で言ってたんだって。……『もし、将来、うちの孫が、何かの間違いで御門の道(ここ)に進むことがあったら。その時は、少しだけでいい、あいつの盾になって、手を貸してやってくれ』ってね。……あのじいさん、分かってたのよ。自分の代じゃあ、万能の夢は稼働(リリース)できない。でも、いつか血を引いた誰かが、その続きのコードを書き始めるかもしれないって。……ずっと、予防策(セーフティ)を張ってたんだよ、あんたのためにね」

 

 悠真は、言葉を失った。

 

 胸の奥から、言葉にならない巨大な感情がせり上がってくる。

 

 祖父は、自分が死んだ後のことまで、まだ見ぬ孫の未来のことまで見据えて、分家との縁を繋ぎ、守護の約束を残してくれていたのだ。

 

「だから、これはただの『恩返し』。宗一郎さんには、うちの親父もあたしも、返しきれないほどの恩があるの。……あんたが本当に、御門の万能の続きをやるって言うなら、あたしがいくらでも、あんたの前衛(ファイヤーウォール)になってあげるわよ」

 

 朱音は、手袋の手を軽く上げて見せた。

 

「じゃあね、悠真。スマホ版、大至急作りなさいよ。……異界(現場)は、待ってくれないんだから」

 

 彼女は、今度こそ弾むような足取りで、坂道の向こうへと去っていった。

 

 その背中を見送りながら、悠真は深く、静かに頭を下げた。

 

「……ありがとうございました、朱音さん」

 

 その感謝の言葉は、去り行く彼女の背中と、そして、屋敷の奥で静かに微笑んでいるであろう、祖父の魂へと捧げられたものだった。

 

 *

 

 書斎に戻った悠真は、ノートPCの前に座る前に、仏壇の祖父の遺影の前に立ち、静かに手を合わせた。

 

「……じいさん。本当に、諦めの悪い人だな」

 

 遺影の中の宗一郎は、何も言わずに、ただ穏やかに微笑んでいる。

 

 だが悠真には、その笑顔の裏にある、狂気にも似た情熱のバトンが、今、自分の手の中にしっかりと握られていることが分かった。

 

「……助かったよ。後は、俺の仕事(開発)だ」

 

 悠真は、デスクに戻り、猛烈な勢いでキーボードを叩き始めた。

 

 画面のテキストエディタに、新しい最優先のプロジェクトタスクが書き込まれていく。

 

【新規開発プロジェクト:Summon Runtime Mobile(通称:SRM)】

 

【目的:召喚契約管理UIの、スマートフォン端末への完全移植】

 

【必須実装要件(MVP)】

 

 ・現在契約中個体(ジャグラズ、塵霊隊、すみか、コガネ)の一覧およびステータスリアルタイム同期

 

 ・周囲の未契約個体、霊的アセットの近接警告通知(アラート)

 

 ・全プロセスのミリ秒単位での強制遮断(エマージェンシー・シャットダウン)

 

 ・契約個体への、パケット化された簡易行動命令の送信

 

 ・供物(リソース)残量の可視化と自動警告

 

 ・異界(ローカル環境)探索時における、オフライン動作モードのサポート

 

 ・認証プロトコル:御門家血統波形(マスター) + 端末の霊的固有署名(サブ)

 

「おいおい、目の色が変わったじゃねえか、無職召喚師」

 

 ジャグラズが、新しく開けたお菓子の袋を抱えながら、感心したように覗き込んできた。

 

「作る。これを作らないと、次のステージ(異界)には進めない。……現場の要求仕様(朱音の条件)は明確だ。なら、納期までに完璧に実装(ビルド)してみせる」

 

 悠真の指が、残像を残すほどの速度で画面を埋めていく。

 

 その時、PCの画面の隅に、緑色のメッセージウィンドウがぴょこんとポップアップした。

 

 守護精霊『すみか』からの定期報告だ。

 

【契約個体:すみか】

 

【お化け屋敷求人パトロール:該当案件なし】

 

【すみかからの追加ログを受信:『ゆうま、テレビでみた。この世じゃない、すごーく怖いお化け屋敷(異界)があるってほんと? すみか、そこではたらきたい! 約束、忘れないでね!』】

 

 悠真は、キーボードを叩く手を止め、深く、大きな溜息をついた。

 

「……異界のお化け屋敷、か。確かに、人間の恐怖の記憶が溜まった異界なら、それ自体がお化け屋敷みたいな構造になってるケースは多そうだな」

 

「ケケケッ! 相変わらずやる気だけはTier1の精霊だな。おい悠真、そいつのキャリア支援のためにも、大至急スマホ版を完成させなきゃな!」

 

「……分かってるよ。全く、どいつもこいつも、仕様変更の要求が多すぎるんだよ、この業界は」

 

 悠真は愚痴をこぼしながらも、その唇に微かな笑みを浮かべ、再びコードの世界へと没頭していった。

 

 御門悠真の次の課題は、強大な敵との戦闘ではない。

 

 未知なる深淵(異界)へと、自分の神秘を持ち込むための、新しい論理(モバイルシステム)の開発だった。




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