流れるプールから戻った後。
マップを見てたらなにやらジャグジーがあったので入ってみた。
う、おおぉ、ぶくぶくしてる。
運良く僕ら以外に使ってる人はいなかったので貸切だ。
「ラッキーだね」
「ね、広々使えるよ」
まあ、人がいないのでね。
芦花さんが上のトップス脱いで、パレオも外してるのも目を瞑りましょう。誰も見てないから、安心。いや、僕の理性は全然安心じゃないんだけどね。
急に脱ぎ始めてびっくりしたけど、さすがに邪魔だったかな?
あまり幼馴染を見ないようにしつつ、入ったのだけども……。
「あー、きもちー」
「……あの、近くない?」
「そんなことないよー」
少なくとも人1人は空けても余裕があるスペースなのに、なぜに真横に?
肩触れそうなんですけど?
近すぎませんか?
やたらと近くて、肩がぶつかって、というかくっつきそうなくらいの距離感。
なんなら僕の心臓のドキドキも伝わるんじゃないかなってくらいには、近いね。
「なんか、今日の芦花、あれだよ」
「あれ?」
「えーっと、その、うーん……」
攻め攻めというか、小悪魔というか。なんか、昔の芦花からは考えられないくらい距離感を埋めてきてる。
でも、なんか上手く言えない。
何言っても今日の芦花は上手いこと流したり、返してくるからね。
やめよ、下手に喋って反撃されるのはまずいや。
「やっぱ、なんでもない」
「え〜気になる〜」
「適当なこと言っちゃっただけだよ〜」
「アキくんったら〜」
「ごめーん」
「いーいーよー」
幸いあまり突っ込まれなかった。
肩に体当たりされるくらいで流してもらえるならいいね。
いや、体当たりで突っ込んでくるのも、そうそうないけどね?
近いからなのか? 一瞬とはいえ触れた肌の柔らかさに少しだけ心臓が強く跳ねた気がする。
相変わらず僕の幼馴染は心臓に悪いようですな。
それからしばらく無言の時間が流れた。
別に気まずいとかはなく、なんとなく、静かに過ごして。
「ね、アキくん」
そんな時、ぼんやり芦花の横顔を眺めてたら、彼女がこちらを見ないまま口を開いた。
空を見てるように見えるけど、どこを見てるのか。
わからないまま、次の言葉を待った。
「なーに?」
「さっき言ったこと、覚えてる?」
「どれのこと?」
「傷のこと。消せない証って言ったじゃん?」
「あー、うん、それね」
視線は交差しないまま、尋ねられたことに返してあげる。
ナンパ男のことはもう記憶から消えてるけど、言われたことは鮮明に残っている。芦花の言葉は結構嬉しいことで、確実に思い出に残ると思う。
別にこの傷跡を見て何か思うことがあったわけではなかった。強いて言うなら痛かったな。その程度でしかない。
芦花のことを守るのなんて、当然、当たり前すぎてそこになにも付随することがなかった。
でも、彼女はこれを命をかけた証だと言ってくれた。
嬉しかった。君の心にそういう風に捉えてもらえて。僕が勝手に守ってしまっただけだと思っていたけど、君も大切に思っていてくれて。
「私ね、ちゃんと見たことないなって。この前の時も、その……恥ずかしくてちゃんとは見れてなかったからさ。今日、ラッシュガード脱いだ時に視界に入っちゃって」
そういえば海の時にも水着だったけど反応してなかったね。思ってるより幼馴染は初心だったようです。守にはなんも反応してなかったのにね。
芦花なら最初に反応しそうなものだけど。
「きっかけはあれだけど、ちゃんと傷跡のことを直視して、思ったの。私、向き合わなきゃって」
「芦花……」
別にいいのに、そんなこと。
名誉の負傷だし、親にもよく守ったって褒められたしね。
死にかけたことは小言たくさんもらってるけども。
でも、芦花がそうしたいなら。僕は、否定なんてしないよ。
「だからさ、良ければ、なんだけど。その、傷跡に、触れてみたいの」
「……ん、痛みとかないし、いいよ。でも、爪はたてないでね?」
「たてないよ! もう、そんなことするわけないじゃん。大事な、証なのに」
僕は全然構わない。
でも、ちょっと気負いすぎだから冗談言ってみたりして。そんなことしないのは分かってるからね。
まあ、僕も少しだけ緊張してたり。塞がってるし、痛みはないとはいえ生々しく残る傷跡は、普段からあまり意識しないようにしている。
違和感というか、体に残る自分の一部ではないような感覚。あんまり意識してしまうと、あの日のこととか、淵辺を彷徨ったこととか思い出してしまう。
でも、今この時は、幼馴染と一緒に直視しよう。君のためなら、どんなことでも。
「さ、触る、よ?」
「うん、どうぞ」
ジャグジーの中で、バブルがあまり来ないところで。ちゃんと傷跡が見えるところで。
周りに人もいない中、芦花の肩がくっつくくらい近づき、彼女の右手が、指先が僕の傷跡へ。
恐る恐る、というのが適切なくらいには慎重に。でも、着実に距離を詰めてきて。
ほんの一瞬、触るというより掠めるくらいの時間。でも、その指先が震えてるのが分かってしまった。
「……ん」
「あ、えっと、くすぐったかった?」
「んー、まあ? 大丈夫だよ、そんなにおっかなびっくり触らなくても。普通に撫でるくらいなら」
「そ、そう? わかった」
それから、もう1度。
今度はしっかり、指先で僕の傷跡をなぞる。
上から、下へ。
その逆も。
そこまで大きくなかったとはいえ、一度は凶器が刺され、抜かれた。
縫ったとこも込みでまあ、人目に着いてしまうくらいの大きさではある。
そんな証を、芦花は優しく、丁寧に、何度もなぞり、じっと見つめている。
孔雀緑の瞳は、澄んだまま。いつもの清らかで柔和な彩で、眼差している。
ふと、傷跡に触れたまま、手が止まる。視線も、外さないまま。
「……アキくんはさ」
「うん」
「どうして守ってくれたの」
「んー……」
「皆、立ち竦んじゃうような状況で、貴方だけは、こうなるとも知れずに助けてくれた」
理由なんて1つしかない。
でも、それは言えない。まだ。
「覚悟が、あった?」
「────うん」
「それは、他の人でも?」
「ううん、幼馴染の芦花だから」
申し訳ないけど、芦花以外だったら、あんな早く反応はできなかった。
それは、仕方ないことだと思ってほしい。僕の全てなのだから。
芦花のためなら、という覚悟は、いつでもある。
とうの昔に決まりきった決意だ、鈍ることなどない。
それがたとえ、死にかけることだとしても。
「ばか」
気付けば、彼女は俯いていた。
声は震えて、感情を抑えようとしてるようにも聞こえる。
でも、その指先は、離れないまま。
いや、指先から手のひら全体に変わって、傷跡を隠すように触れる。
芦花の小さな手でも、ギリギリ隠し切れるくらいで。
「怖かった。貴方が、いなくなってしまうかと思った。ずっと、隣にいたのに」
「ぼっかり、心に穴が空いたかと思った。思ってるよりも、貴方の占める割合が大きかったみたい」
「もう、会えないかと思ってたんだ。あのまま目覚めないのかと」
ごめん。
僕には、どうしようもできなかったことだ。
「今こうして隣にいてくれることが、どれだけ大切なのか分かった」
「当たり前が当たり前じゃないって、思ったの」
「貴方が、隣にいてくれたから。戻ってきてくれたから」
「ねぇ、アキくん。貴方は────」
おそらく、大事なことを、言おうとしている。
と、いうところで。
「おかーさん! ここ空いてるー!」
「あら! 今はダメよ!」
お、おっと?
子どもの元気な声で、なんかちょっと重ための雰囲気がどこかへ行ってしまったぞー?
というか、あのまま続けてたら、なにを言われたのか。
気にはなるけど、これ以上はまずい。
「あの、さすがに人目につきそうだし、ね?」
「……むう」
そんな拗ねられても……。
可愛いけど、どうしようもないんですよ。
結局、ジャグジーから退散した後、プールに入る気にもならなかったのでそのまま帰宅することにした。
あ、帰る前に自撮りしたよ。ちゃんと上下ちゃんと着てる芦花とね。思い出の写真ってことで。
んでもって、今は帰りの電車の中。
まあまあ、距離があって、運良く並んで座れた。
さっきの話はぶり返さなかったけど、ちょっとだけぎこちない雑談をこなす。
3駅くらい過ぎたところで、芦花がうとうとと微睡み始めた。
早めの時間から電車に乗って、プールでたくさん遊んで、いろいろあった。
さすがに芦花といえど眠くもなるか。
「寝ちゃっていいよ。起こしてあげる」
「……んぅ、まだ、いける、し」
「こんなとこで意地張らないでよ。ほら、おやすみなさいな」
「……む、ぅ、アキ、く、ん……」
次第に感覚の広がっていった瞬きが、ついには完全に閉じたままに。
睡魔に落ちていった幼馴染の頭を、そっと肩に寄せる。
なんの抵抗もなく、僕の肩を枕にすやすやと眠る。
普段の可愛かったり綺麗だったり、凛としたりしてる彼女の顔も、寝てる時は無防備な可愛さだけを振り撒いてる。
「おやすみ、芦花」
願わくば、夢の中でも、僕が一緒にいるといいな。
がたんごとんと、電車の揺れに眠りを妨げられ目が覚める。
アキくんとずっと喋ってたような……。
まだ覚束ない視界をなんとなく横にずらしてみれば、幼馴染の眠る顔が。
ちっか。てか、肩借りてた? やば、よだれとか垂れてないよね?
薄ぼんやりとした意識は、すぐにはっきりとした。そりゃ好きな人の前で無防備な顔晒すのは抵抗が……。いやでも、普段は晒させてるから、おあいこかな?
「ん、幸せそう」
寝顔を少しだけ観察してみれば、なにやら幸せそうな顔に見えて。
何を夢見てるかは分かんないけど、どうせなら私だといいなと願ってみる。
ちょっと欲張りすぎかな?
さっきは親子に割り込まれてしまって聞けなかったけど、アキくんが私をどう思ってるか、聞きたかった。
でも、人目がなかったとはいえ、いつ人が来るかわかんないところで聞くものでもないかも。
2人きりの時に、ちゃんと聞きたいな。
邪魔されないように、2人っきりで。
次は、どうしようかな。なにか、ちょうどいいイベントあったかな。
眠っている幼馴染の肩に頭を寄せながら、ぼんやりと近づいてくる乗り換え駅を待った。
良い考えは、思いつかなかった。
乗り換え駅で、芦花に起こされ、その後はまた2人で雑談。
夢の中でも芦花と話してたような気がするけど、気のせいかなぁ。
まあいいか。
最寄駅につき、いつもの帰り道を歩く。
片道2時間程度はあったので、夕方前に向こうを出たけどもう夕暮れ時だ。
まだ明るいけど、そろそろ日も落ちてくる時間。
「ご飯どうする? うちで食べる?」
「アキくんがいいなら、ご相伴に預かろうかな?」
「全然いいよー。今日はカレーの予定だよ」
「おぉ、アキくんちのカレーかぁ。豆カレーだっけ」
「うん、お母さんがよく作ってくれたやつ」
「荒鷹家に伝わるカレーだね」
「そんな大層なものではないけどね」
元々はどこかで食べる予定だったんだけど、なんか、おもってるより早く帰ってきてしまったので、ご飯作る時間もありそうなんだよね。
ってことで、芦花をご招待。
元々予定があったわけではないけど、それっぽく言ってみたら、芦花も乗ってくれた。
親から子にレシピというか、作り方が流れるのはどこの家庭と同じだよね。
綾紬家の卵焼きとかね。
それはそうとして、いつもの公園へ。
寄る気はなかったはずなんだけど、気付いたら足が向かっていた。無意識ってやつ?
「なんか、寄っちゃったねぇ」
「少しブランコでも乗ってから帰ろっか」
「さんせー」
公園に足を踏み入れて、ブランコに座る。
2人揃ってゆっくりと漕ぎ出して、互い違いのタイミングで前後する。
なんとなく、プールで遊んだ後のゆらゆらしてる感じが残ってる。
「楽しかったね」
「うん、誘ってくれてありがとね」
「いえいえ、いきなりだったから断られるかと思ったよ」
「まあ、面食らったけどね。芦花とならどこへでも」
「……そーいうこというんだから」
ん? まあ、ほんとのことだよ?
お好きなところに連れ回してね。
「次はどこへ誘おうかな〜」
「次はもう少し早めに連絡してね」
「わかったー」
む、これは適当に流してる時の伸び方。
次も急なお誘いになりそうだ。
「さ、カレーも作らなきゃだし、いこ」
「ん、いこ」
ブランコの揺れが小さくなってきたところで、立ち上がる。
ブレーキをかけていたから、僕らが立った後のそれは、同じタイミングで揺れている。
「さ、芦花にも手伝ってもらわないとね」
「任せて〜」
この後、芦花と一緒に作ったカレーは、予想通りとても美味しかった。
まだ、まだなのですよ。
これの更新されてる頃には、ドルビーアトモスで超かぐや姫見てる頃かも?