hololive Lost Story   作:ダニエルズプラン

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第13話 進路希望調査の行方

 チ、チ、チ、チ、チ、チ――。

 

 会員制の喫茶店の奥まった半個室に、僕の胸ポケットに収まった銀色の懐中時計の音が、静かに響いていた。

 

 テーブルの上には、すっかり冷めた珈琲がある。

 

 黒い液面に、店内の柔らかな照明がぼんやりと映っていた。

 

 目の前には、谷郷元昭さん。

 

 僕の左隣には、さくらみこ。

 

 右隣には、星街すいせい。

 

 世界的冒険者ギルドであり、配信者プロダクションでもあるホロライブの代表と、そのトップスター二人。

 

 そんな人たちに囲まれて、僕は自分の過去について聞かされていた。

 

 普通に考えれば、ただの高校生が体験するにはあまりにも非現実的な状況だ。

 

 けれど、僕の胸の奥では、驚きとは別の感情が静かに渦巻いていた。

 

 懐かしさ。

 

 痛み。

 

 そして、どうしようもない空白。

 

 「……つまり、前の世界の僕は、ホロライブのマネージャーだったんですね」

 

 僕は、ゆっくりと言葉を確かめるように呟いた。

 

 「0期生の頃から、ずっと」

 

 「ああ」

 

 谷郷さんは静かに頷いた。

 

 「君は、まだ事務所が本当に小さかった頃から手伝ってくれていた。最初は正式なマネージャーというより、何でも屋に近かったかもしれない」

 

 「何でも屋……」

 

 「資料作り、スケジュール管理、機材運搬、企画の準備、トラブル対応。とにかく人手が足りなかったからね。君には随分と無茶を頼んだと思う」

 

 「それで、僕は引き受けたんですか?」

 

 「引き受けた」

 

 谷郷さんの口元に、少しだけ苦笑が浮かぶ。

 

 「むしろ、私が頼む前に動いていることも多かったよ」

 

 その言葉に、みこが勢いよく頷いた。

 

 「そうにぇ! ユウトはいつもそうだったにぇ! みこが配信前に機材トラブルで『もうだめだにぇぇぇ!』ってなってたら、いつの間にか後ろにいて、無言で直してくれてた!」

 

 「無言で?」

 

 「うん! しかも直したあとに『騒ぐ前にケーブルを確認しろ』って怒るの!」

 

 「……それは、言い方が悪いですね」

 

 「でも、助けてくれたんだにぇ」

 

 みこの声が、少しだけ柔らかくなる。

 

 「いつも、そうだった」

 

 すいちゃんも、僕の横で指先を組んだ。

 

 「私がホロライブに入った時も、ユウトさんは裏でたくさん動いてくれてた。谷郷さんを説得したり、資料を作ったり、私がちゃんと歌える場所を探したり」

 

 「僕が?」

 

 「うん」

 

 すいちゃんは、少しだけ泣きそうな顔で笑った。

 

 「でも、表ではあんまり言わないんだよね。『僕はただ仕事をしただけだ』って顔してさ」

 

 「……」

 

 自分の話なのに、自分の話ではないようだった。

 

 みこやすいちゃんが語る桜井ユウトは、確かに僕の名前をしている。

 

 でも、今の僕とは違う。

 

 誰かのために動いて。

 

 誰かを支えて。

 

 誰かを守るために、自分の存在まで削って。

 

 それでも平然と「仕事だ」と言うような人。

 

 そんな人間が、本当に僕だったのだろうか。

 

 「それだけじゃない」

 

 谷郷さんが、静かに続けた。

 

 「君は、裏方としてだけでなく、ゼロノスとしても戦っていた」

 

 その名前を聞いた瞬間、胸ポケットの時計が強く鳴った。

 

 チ――。

 

 指先が、無意識に胸元へ伸びる。

 

 ゼロノス。

 

 何度聞いても、その言葉は胸の奥に引っかかる。

 

 大剣の重み。

 

 赤く錆びたような装甲。

 

 風に溶けていくカード。

 

 灰色の死神。

 

 断片だけがある。

 

 けれど、そこに至る道筋は何一つ見えない。

 

 「時間を改変しようとする敵と戦うために、君は変身していた」

 

 谷郷さんの声は重かった。

 

 「けれど、ゼロノスの変身には代償があった。カードを使うたびに、人々の中から君に関する記憶が消えていく」

 

 「……記憶が」

 

 「ああ」

 

 僕は喉の奥が乾くのを感じた。

 

 「それで、皆さんは僕のことを忘れていった」

 

 「……そうだ」

 

 谷郷さんは、深く頷いた。

 

 みこが唇を噛む。

 

 すいちゃんの手が、テーブルの下で小さく震えた。

 

 「私たちは、何度も君を忘れた」

 

 谷郷さんの声が、かすかに掠れる。

 

 「君がどれだけ近くにいて、どれだけ守ってくれていたとしても。変身するたびに、誰かの中から君が消えていった。君が昨日まで大切な仲間だったとしても、翌日には『初めまして』と言ってしまう」

 

 その光景を想像した。

 

 できてしまった。

 

 昨日まで一緒にいた人から、次の日には初対面のように扱われる。

 

 大切だったはずの場所から、自分だけが少しずつ消えていく。

 

 名前も、顔も、記憶も。

 

 自分がそこにいた証だけが、砂のように零れ落ちていく。

 

 「……それは」

 

 僕は、思わず呟いた。

 

 「かなり、きついですね」

 

 あまりにも軽い言葉だった。

 

 けれど、それ以上の言葉が見つからなかった。

 

 みこが、僕の袖をぎゅっと掴む。

 

 「きついなんてもんじゃないにぇ……」

 

 その声は震えていた。

 

 「ユウトは、いつも笑ってた。ちょっと呆れた顔して、みこたちが忘れても『気にするな』って言って……でも、今思えば、そんなわけないのに……」

 

 「私たちが忘れるたびに、ユウトさんは一人になっていった」

 

 すいちゃんの声も震える。

 

 「それでも、あなたは戦った。私たちが笑っていられるように」

 

 「……」

 

 僕は何も言えなかった。

 

 前世の僕は、いったい何を考えていたのだろう。

 

 怖くなかったのか。

 

 悲しくなかったのか。

 

 怒らなかったのか。

 

 それとも、全部抱えたまま、それでも戦うことを選んだのか。

 

 理解できない。

 

 けれど、胸の奥が痛かった。

 

 まるで、自分ではない誰かの痛みが、少し遅れて自分に届いているようだった。

 

 「そして、最後の日」

 

 谷郷さんは、そこで一度言葉を切った。

 

 店内の空気が、さらに重くなる。

 

 「2022年の大晦日。君は最後の敵との戦いに向かった。最後の赤いカードを持って」

 

 「……そのカードは」

 

 聞かなくても、分かっていた。

 

 でも、聞かずにはいられなかった。

 

 谷郷さんは、自分の胸元に手を当てた。

 

 「私の中に残っていた、君に関する最後の記憶だった」

 

 みこが、顔を伏せる。

 

 すいちゃんも、目を閉じた。

 

 「私は、それを君に渡した。君をこの世界から完全に消してしまう最後の一枚だと知っていながら」

 

 「……」

 

 「君は、それを使った。そして、世界を救った」

 

 赤い光。

 

 ひび割れるカード。

 

 誰かに向かって、深く頭を下げる感覚。

 

 ありがとう。

 

 本当に、ありがとうございました。

 

 その言葉が、喉の奥に引っかかった。

 

 けれど、思い出せない。

 

 見えそうで、見えない。

 

 触れそうで、触れない。

 

 「……すみません」

 

 僕は、気づけばそう言っていた。

 

 三人が同時に顔を上げる。

 

 「何でユウトが謝るにぇ?」

 

 みこが、泣きそうな声で言った。

 

 「いや……こんなに話してもらっているのに、何も思い出せなくて」

 

 僕は自分の手を見る。

 

 この手が本当に、彼女たちを支えていたのか。

 

 この手が、本当に剣を握っていたのか。

 

 この手が、本当に世界を救ったのか。

 

 分からない。

 

 「話を聞いて、驚いて、少しだけ胸が痛くなって……でも、それだけなんです。記憶として戻ってくるわけじゃない」

 

 言葉が重くなる。

 

 「あなたたちは、僕のことを覚えているのに。僕だけが、あなたたちの大切な時間を何も覚えていない。それが……申し訳なくて」

 

 沈黙。

 

 最初に動いたのは、すいちゃんだった。

 

 彼女は僕の右手を、そっと両手で包んだ。

 

 「気にしなくていいよ」

 

 「でも」

 

 「気にしなくていい」

 

 すいちゃんは、いつになく真剣な声で繰り返した。

 

 「忘れられる痛みなら、私たちは知ってる。知ってるからこそ、今のユウトさんを責めたりしない」

 

 みこも、反対側から僕の袖を掴んだ。

 

 「そうにぇ。ユウトが悪いんじゃない。全部、あの変身とか、カードとか、世界の仕組みが悪いんだにぇ」

 

 「世界の仕組み……」

 

 「そう! みこがいつか神様に文句言ってやるにぇ!」

 

 みこは涙目のまま、妙に力強く言った。

 

 その勢いに、僕は少しだけ笑ってしまう。

 

 「神社の巫女が神様に文句を言うのはどうなの」

 

 「エリート巫女だからできる」

 

 「便利な肩書きだね」

 

 谷郷さんも、穏やかに僕を見ていた。

 

 「桜井くん。記憶は、急いで取り戻すものではないのかもしれない」

 

 「……そうでしょうか」

 

 「ああ。少なくとも私は、君に無理やり過去を押しつけたいわけではない。君が今の君として、何を受け取り、何を選ぶのか。それが一番大切だと思っている」

 

 その言葉は、静かだった。

 

 でも、深く響いた。

 

 「もちろん、私たちは君に思い出してほしい。もう一度、同じように笑い合いたい。けれど、それ以上に……今度こそ、君自身の意思を大切にしたい」

 

 谷郷さんは、ゆっくりと頭を下げた。

 

 「だから、謝らなくていい。思い出せないことを、君の罪にしないでほしい」

 

 胸の奥が、じんと熱くなった。

 

 どう返せばいいのか分からなかった。

 

 僕はただ、小さく頷いた。

 

 「……ありがとうございます」

 

 チ、チ、チ、チ――。

 

 懐中時計の音が、少しだけ優しく聞こえた。

 

 ~~~~~~~~

 

 それからもしばらく、谷郷さんたちは前世の話を続けてくれた。

 

 ホロライブがまだ小さな事務所だった頃の話。

 

 ときのそらさんの最初のステージ。

 

 ロボ子さんの配信準備で起きた機材トラブル。

 

 みこが配信前に緊張しすぎて、なぜか控室でたい焼きを三つも食べた話。

 

 すいちゃんが個人勢からホロライブに入るまでの道のり。

 

 白上フブキさんや、湊あくあさん、宝鐘マリンさん、白銀ノエルさんたちとの思い出。

 

 僕は一つひとつ聞いた。

 

 時に驚き、時に苦笑し、時に胸が痛くなった。

 

 前世の僕は、想像以上に多くの人たちと関わっていたらしい。

 

 誰かの配信を支え、誰かの夢を後押しし、誰かが折れそうになった時に背中を押した。

 

 そして、その裏側で敵と戦い続けていた。

 

 「……普通に考えて、働きすぎでは?」

 

 僕がそう呟くと、みこが即座に頷いた。

 

 「そうにぇ! ユウトは働きすぎ!」

 

 「だから何度も休めって言ったんだけどね」

 

 すいちゃんがため息を吐く。

 

 「でも、ユウトさんは『休める時に休んでる』とか言うんだよ」

 

 「休んでなさそうですね」

 

 「休んでなかったにぇ」

 

 「でしょうね」

 

 自分のことなのに、他人事のように呆れてしまう。

 

 谷郷さんは、少しだけ苦い顔をした。

 

 「その点については、私にも責任がある」

 

 「いや、今の僕が責めることではないと思います」

 

 「それでも、だよ」

 

 彼は静かに言った。

 

 「今度君がもしホロライブに関わるなら、同じことはさせない。これは約束する」

 

 今度。

 

 その言葉に、僕は少しだけ反応した。

 

 ホロライブに関わる。

 

 さっき谷郷さんは、もう一度力を貸してほしいと言った。

 

 僕は、すぐに答えは出せないと答えた。

 

 その判断は、今でも変わらない。

 

 でも、話を聞けば聞くほど、僕の中には別の感情も生まれていた。

 

 この人たちのことを、もっと知りたい。

 

 自分が関わっていたというホロライブを、もっと見てみたい。

 

 僕が何を失ったのかを、知りたい。

 

 そして可能なら。

 

 今の僕として、何かを返したい。

 

 そんなことを考えていた時だった。

 

 「……あれ?」

 

 僕は、ふと思いついた。

 

 三人がこちらを見る。

 

 「どうしたにぇ?」

 

 「何か思い出した?」

 

 すいちゃんの声が、少しだけ期待に揺れた。

 

 僕は慌てて首を振る。

 

 「いや、記憶じゃなくて……もっと現実的な話なんですけど」

 

 「現実的な話?」

 

 谷郷さんが首を傾げる。

 

 僕は少し気まずくなりながら、自分を指さした。

 

 「僕、まだ高校生ですよね」

 

 三人が黙る。

 

 「しかも高校三年生ですけど、誕生日はまだ来ていないので、今は十七歳です」

 

 「……」

 

 「……」

 

 「……」

 

 なぜか三人の顔から、すっと表情が消えた。

 

 僕は続ける。

 

 「ホロライブのメンバーの人たちは冒険者登録やギルド活動の例外規定があると思いますけど、僕にはそういうものはありません。未成年ですし、学校もあります」

 

 谷郷さんが、ゆっくりと眼鏡を押し上げた。

 

 「……そうだね」

 

 「少なく見積もっても、卒業まで半年以上あります。それに、僕は進路をまだ決めていませんけど、大学進学も選択肢として考えるなら、正式に働くとなると四年以上先になる可能性があります」

 

 口に出してみると、当たり前すぎる話だった。

 

 僕は前世の記憶を持たない。

 

 そして、今の僕はただの学生だ。

 

 いきなり世界的プロダクションに関わると言われても、法的にも社会的にも、現実的な問題が山ほどある。

 

 「なので……谷郷さんを待たせることになります。みこやすいちゃんにも」

 

 僕は少し申し訳なくなった。

 

 「話を聞いて、ホロライブに関心は持ちました。でも、今すぐどうこうできる立場じゃない。もし仮に将来関わるとしても、ちゃんと学校を卒業して、それから進路を考えて……」

 

 「待って」

 

 すいちゃんが、唐突に僕の言葉を遮った。

 

 「はい?」

 

 彼女の青い瞳が、何か恐ろしい速度で計算を始めていた。

 

 みこもまた、最初はぽかんとしていたが、数秒後、同じく何かに気づいたように目を見開いた。

 

 「……そうじゃん」

 

 「そうだよ、みこち」

 

 「その手があったにぇ」

 

 「うん。全然ある」

 

 二人が、互いに顔を見合わせる。

 

 僕は嫌な予感がした。

 

 「何の話ですか」

 

 「ユウト」

 

 みこが、両手をテーブルについた。

 

 「この世界では、高校を卒業してから冒険者になる人も珍しくないにぇ」

 

 「それは、まあ」

 

 「もちろん大学に行く人もいるにぇ」

 

 「そうですね」

 

 「みこたちも、一応この世界で高卒認定は持ってるんだにぇ」

 

 「……はい?」

 

 すいちゃんが、にっこり笑った。

 

 「私たち、今この世界だと十九歳なんだよね」

 

 「……」

 

 「高卒認定もある。ギルド活動の実績もある。学力については……まあ、必要なら今から勉強すればいい」

 

 「すいちゃん、勉強得意だったにぇ?」

 

 「必要ならやる」

 

 「みこもエリートだからいけるにぇ!」

 

 「そこはちょっと不安」

 

 「なんでにぇ!?」

 

 僕は嫌な予感が、確信に変わっていくのを感じた。

 

 「まさか」

 

 すいちゃんが、満面の笑みで言った。

 

 「ユウトさんが大学に行くなら、私たちも同じ大学に入ればいいんじゃない?」

 

 沈黙。

 

 僕は、珈琲カップを持ったまま固まった。

 

 谷郷さんも、眼鏡の奥で目を瞬かせている。

 

 みこは、もはや完全に乗り気だった。

 

 「天才にぇ! すいちゃん、それ天才にぇ!」

 

 「でしょ?」

 

 「ユウトが高校を卒業するまで待つだけじゃなくて、大学生活も一緒に送れるってことにぇ!?」

 

 「そういうこと」

 

 「同じキャンパス! 同じ講義! 同じ食堂!」

 

 「放課後に一緒に課題やったり」

 

 「休日に勉強会したり!」

 

 「ユウトさんの進路相談にも乗れる」

 

 「みこが隣で応援してあげるにぇ!」

 

 「みこちはまず自分の勉強の心配をした方がいいかも」

 

 「うるさいにぇ!」

 

 二人は、一瞬で盛り上がり始めた。

 

 つい数分前まで、僕の過去について重い話をしていたはずなのに。

 

 この切り替えの速さは何なのだろう。

 

 「待ってください」

 

 僕は何とか声を出した。

 

 「いや、待ってください。本当に待ってください」

 

 「何にぇ?」

 

 「何でそうなるんですか」

 

 「ユウトが大学に行くかもしれないから」

 

 「僕が、ですよね」

 

 「うん」

 

 「どうして二人も一緒に行く話になるんですか」

 

 「一緒にいたいからに決まってるにぇ!」

 

 みこは即答した。

 

 すいちゃんも当然のように頷く。

 

 「それ以外に理由いる?」

 

 「いると思います」

 

 「じゃあ、ユウトさんをサポートするため」

 

 「建前が雑です」

 

 「同じ大学なら自然に会えるよね」

 

 「本音が早い」

 

 「それに」

 

 すいちゃんは、少しだけ真面目な顔になった。

 

 「私たち、前の世界ではユウトさんの隣にいながら、ユウトさんを忘れ続けた」

 

 「……」

 

 「今度は、逆にしたい。ユウトさんが自分の未来を選ぶなら、その過程をちゃんと見ていたい。仕事としてじゃなくて、同じ時間を生きる人間として」

 

 その言葉に、僕は黙った。

 

 ふざけているようで、彼女の瞳は真剣だった。

 

 みこも、少しだけ声を落とす。

 

 「みこも……ユウトが普通の学生として過ごす時間を、無理に奪いたいわけじゃないにぇ」

 

 「みこ……」

 

 「でも、その時間の外側で待ってるだけなのは嫌。ユウトが学校で何を見て、何に悩んで、どんな未来を選ぶのか。みこも一緒に見たい」

 

 彼女は、ぎゅっと自分の胸元を握った。

 

 「今度は、ユウトが一人で決めて、一人で抱え込むんじゃなくて……みこたちも、ちゃんと隣にいたい」

 

 僕は返す言葉を失った。

 

 二人の提案は、かなり突拍子もない。

 

 世界的トップスター二人が、僕と同じ大学に入る。

 

 現実味がない。

 

 そんなことをしたら、大騒ぎになるに決まっている。

 

 けれど。

 

 ただの思いつきではないことも、伝わってきた。

 

 僕の時間を奪わないために。

 

 でも、僕のそばにいるために。

 

 彼女たちは、彼女たちなりに道を探している。

 

 「……谷郷さん」

 

 僕は助けを求めるように、目の前の大人を見た。

 

 谷郷さんはしばらく黙っていた。

 

 そして、非常に複雑な顔で珈琲を一口飲んだ。

 

 「……法的には、可能だね」

 

 「そこで止めてくれないんですか」

 

 「止めたい気持ちはある」

 

 「なら」

 

 「ただ、この世界では、冒険者やギルド所属者が大学へ再入学することは珍しくない。特にホロライブの場合、社会的活動と学業の両立を支援する制度もある」

 

 「YAGOO!」

 

 みこが目を輝かせる。

 

 「さすがにすぐ決める話ではない」

 

 谷郷さんは釘を刺すように言った。

 

 「大学側との調整、活動スケジュール、警備、身分の扱い。考えるべきことは山ほどある。君たち二人も、思いつきだけで動いていい話ではないよ」

 

 「分かってるにぇ」

 

 「分かってる顔じゃないけど」

 

 「すいちゃんは分かってます」

 

 「すいせいくんも、目がかなり本気だね」

 

 「もちろん」

 

 すいちゃんは微笑んだ。

 

 「だって、これは将来設計の話だから」

 

 「……将来設計」

 

 僕は頭を抱えたくなった。

 

 大学進学という、ついさっきまで僕一人の問題だったものが、なぜか一瞬でホロライブトップスター二人を巻き込む巨大計画に変わっている。

 

 意味が分からない。

 

 分からないけれど。

 

 胸の奥が、少しだけ温かかった。

 

 「……僕、まだ大学に行くって決めたわけじゃないんですけど」

 

 「じゃあ、決めるところから一緒に考えるにぇ!」

 

 「進路相談だね」

 

 「いや、学校の先生みたいな顔をしないでください」

 

 「みこ、進路指導できるにぇ!」

 

 「まず自分の進路を考えてからにして」

 

 「ユウト、今ちょっと辛辣じゃない!?」

 

 「自然に出ました」

 

 「それだよ!」

 

 みこが、なぜか嬉しそうに指を差してくる。

 

 「今の感じ! 前のユウトっぽかったにぇ!」

 

 「え……」

 

 すいちゃんも、目を細めて笑った。

 

 「うん。ちょっとだけね」

 

 僕は、自分の言葉を振り返る。

 

 自然に出たツッコミ。

 

 相手の勢いに呆れながら、少しだけ遠慮なく返す感覚。

 

 それが、前の僕に似ていると言われた。

 

 記憶は戻らない。

 

 でも、何かが残っているのかもしれない。

 

 胸ポケットの時計が、チ、と鳴った。

 

 「……そう、ですか」

 

 「うん」

 

 すいちゃんが、優しく言った。

 

 「だから焦らなくていいよ。記憶が戻らなくても、ユウトさんはユウトさんだから」

 

 その言葉に、胸が詰まった。

 

 谷郷さんが、静かに話をまとめるように言った。

 

 「桜井くん。今日のところは、ここまでにしよう」

 

 「……はい」

 

 「進路のことも、ホロライブとの関わり方も、すぐに答えを出す必要はない。まずは君自身の生活を大切にしてほしい」

 

 「分かりました」

 

 「ただ、もし君が望むなら、いつでも話を聞かせる。ホロライブのことも、君自身のことも」

 

 谷郷さんは、まっすぐに僕を見た。

 

 「君が自分の物語を取り戻したいと思うなら、私たちは何度でも付き合う」

 

 僕は、その言葉をゆっくり受け取った。

 

 取り戻す。

 

 失われた物語。

 

 それが本当に戻るのかは分からない。

 

 でも、今の僕には、それを一緒に探そうとしてくれる人たちがいる。

 

 それは、きっと。

 

 前よりもずっと大きな違いだった。

 

 「……ありがとうございます」

 

 僕は頭を下げた。

 

 「また、話を聞かせてください」

 

 谷郷さんの顔が、少しだけ和らいだ。

 

 「ああ。もちろんだ」

 

 みこが、隣で小さく拳を握る。

 

 「次は大学作戦会議もするにぇ!」

 

 「それは保留で」

 

 「えー!」

 

 「すいちゃんは、資料集めておくね」

 

 「集めなくていいです」

 

 「大学のパンフレットとか」

 

 「気が早い」

 

 「オープンキャンパスもあるよ」

 

 「本当に気が早い」

 

 谷郷さんは、そんな僕たちを見ながら苦笑した。

 

 けれど、その目はどこか嬉しそうだった。

 

 きっと、彼にとってはこれも懐かしいのだろう。

 

 誰かが騒ぎ、誰かが呆れ、誰かが未来の話をする。

 

 そんな、何でもない時間が。

 

 僕にはまだ記憶がない。

 

 けれど、その空気の中にいることを、嫌だとは思わなかった。

 

 チ、チ、チ、チ――。

 

 懐中時計が、静かに時を刻む。

 

 僕の過去は、まだ遠い。

 

 けれど、未来は少しずつ近づいている。

 

 そしてその未来には、どうやら僕一人だけではなく、かなり騒がしい人たちが勝手についてくるらしい。

 

 僕は冷めかけた珈琲を一口飲んだ。

 

 苦い。

 

 けれど、不思議と嫌いではない味だった。

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