hololive Lost Story   作:ダニエルズプラン

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第14話 ブラックカードと尾行者たち

 

 チ、チ、チ、チ、チ、チ――。

 

 会員制の喫茶店の奥まった半個室で、銀色の懐中時計は相変わらず静かに時を刻んでいた。

 

 長いようで、短い話だった。

 

 谷郷元昭という男から聞かされた、前世の自分の話。

 

 ホロライブの黎明期。

 

 0期生を支えていたというマネージャーとしての自分。

 

 ゼロノスとして、誰にも知られず、誰からも忘れられながら戦っていた自分。

 

 そして、最後の赤いカードを使い、世界を守る代わりに完全に消えた自分。

 

 話を聞いても、やはり記憶は戻らなかった。

 

 胸は痛んだ。

 

 断片のような映像が脳裏を掠めた。

 

 けれど、それは記憶というにはあまりに曖昧で、霧の向こうにある光のように、手を伸ばせばすぐに消えてしまうものだった。

 

 それでも、意味はあった。

 

 僕は自分が完全な空白ではないことを知った。

 

 僕を覚えている人たちがいる。

 

 僕の過去を語ってくれる人たちがいる。

 

 僕がもう一度、自分の物語を探そうとするなら、付き合うと言ってくれる人たちがいる。

 

 それだけで、胸の中にあった底なしの暗闇は、ほんの少しだけ薄くなった気がした。

 

 「それじゃあ、今日はこのあたりにしようか」

 

 谷郷さんが、腕時計に視線を落としてそう言った。

 

 「これ以上一度に詰め込みすぎるのは、君にとっても負担になるだろうからね」

 

 「……はい。ありがとうございます」

 

 僕は小さく頭を下げた。

 

 「また、話を聞かせてください」

 

 「ああ。もちろんだ」

 

 谷郷さんは穏やかに頷いた。

 

 「君が望む限り、何度でも」

 

 隣のみこが、ぐっと拳を握る。

 

 「次は大学作戦会議もするにぇ!」

 

 「まだその話続いてるの?」

 

 「当然にぇ! ユウトの進路は、みこの進路でもあるのら!」

 

 「僕の進路を勝手に自分の進路にしないでほしい」

 

 「すいちゃんも大学の資料、いくつか見繕っておくね」

 

 「すいちゃんまで」

 

 「大丈夫。偏差値、立地、学部、食堂のメニュー、全部総合的に見て選ぶから」

 

 「食堂のメニューが入ってる時点で選定基準が怪しい」

 

 「大事だよ? ユウトさんがちゃんとご飯食べるかどうかに関わるし」

 

 「……それを言われると反論しづらい」

 

 そんな会話をしながら、僕たちは席を立った。

 

 谷郷さんが先に立ち、僕たち三人がそれに続く。

 

 みことすいちゃんは、さすがに店内では僕の腕に絡みついてはこなかった。

 

 ただし、距離は近い。

 

 とても近い。

 

 左からは、みこの桜の香り。

 

 右からは、すいちゃんの星屑のような淡い香り。

 

 二人が一歩歩くたび、肩が触れそうになる。

 

 僕は何度か距離を取ろうとしたが、そのたびに自然に詰め直されるので、最終的には諦めた。

 

 店内の静かな照明の下、僕たちは会計カウンターへ向かう。

 

 そこに立っていた初老のエルフの店員が、恭しく頭を下げた。

 

 「本日はご利用ありがとうございました」

 

 谷郷さんが静かに頷く。

 

 「こちらこそ。今日も良い席をありがとう」

 

 「恐れ入ります」

 

 店員が、魔導端末を操作する。

 

 淡い光の板に、明細が浮かび上がった。

 

 僕は何気なくそれを見た。

 

 そして、固まった。

 

 「……え?」

 

 思わず、間抜けな声が出た。

 

 桁が、おかしい。

 

 いや、おかしいというより、僕の常識が追いつかない。

 

 珈琲。

 

 紅茶。

 

 ハーブティー。

 

 軽い焼き菓子。

 

 途中でみこが頼んだ桜クリームの小皿デザート。

 

 すいちゃんが「ユウトさんも食べる?」と言いながら追加した果物のタルト。

 

 谷郷さんが話の途中で自然に頼んだ軽食プレート。

 

 どれも、見た目は上品だった。

 

 量も、決して多くはない。

 

 だから、僕は完全に油断していた。

 

 けれど、会計に表示された合計金額は、僕が普段友達と行く食堂のランチ何十回分か分からないほどの額だった。

 

 「……あの」

 

 僕は思わず谷郷さんを見た。

 

 「これ、本当に飲み物と軽食の金額ですか?」

 

 「そうだね」

 

 「何か、魔導船でも一隻買いました?」

 

 みこが吹き出しそうになった。

 

 すいちゃんも口元を押さえている。

 

 谷郷さんは、少しだけ苦笑した。

 

 「この店は、場所代と機密保持料も含まれているからね」

 

 「機密保持料……」

 

 「会話の内容が外に漏れないよう、最高位の遮音結界と記録遮断術式が施されている。そういう意味では、必要経費だよ」

 

 「必要経費って、便利な言葉ですね……」

 

 青も同じようなことを言っていた気がする。

 

 僕は冷や汗をかきながら、自分の財布の中身を頭の中で計算した。

 

 足りない。

 

 まったく足りない。

 

 というより、僕が払う前提ではないのだろうが、それでも金額を見てしまった以上、胃がきゅっと縮む。

 

 「すみません。僕も少しは……」

 

 「桜井くん」

 

 谷郷さんが、穏やかな声で僕を止めた。

 

 「今日は私が呼んだんだ。君が気にすることではないよ」

 

 「でも」

 

 「大人に奢られる時は、素直に奢られておくものだ」

 

 そう言って、谷郷さんは懐から一枚のカードを取り出した。

 

 黒いカードだった。

 

 光沢のある漆黒の表面に、薄く金色のラインが走っている。

 

 魔導認証用の紋様が、まるで夜空に浮かぶ星座のように淡く輝いていた。

 

 店員のエルフが、それを見てさらに深く頭を下げる。

 

 「一括で」

 

 谷郷さんが静かに言った。

 

 その一言が、あまりにも自然だった。

 

 あまりにも慣れていた。

 

 端末が、ピッ、と短く鳴る。

 

 「お支払い、確かに承りました」

 

 「ありがとう」

 

 谷郷さんは、何事もなかったかのようにカードを財布へ戻した。

 

 僕は、その一連の流れを呆然と見ていた。

 

 黒いカード。

 

 一括払い。

 

 微塵も揺らがない代表の余裕。

 

 「……すごい」

 

 思わず、そんな言葉が漏れた。

 

 谷郷さんがこちらを見る。

 

 「すごい、かな」

 

 「すごいです」

 

 僕は真剣に頷いた。

 

 「僕、あんな金額をあんなに穏やかな顔で払う人、初めて見ました」

 

 谷郷さんは、一瞬だけ目を丸くした。

 

 それから、堪えきれないように小さく笑った。

 

 「……君のそういう顔は、珍しいね」

 

 「そうなんですか?」

 

 「ああ。前の君も、驚くことはあったけれど、金銭面で私をそんな目で見たことはあまりなかった」

 

 「前の僕、金銭感覚どうなってたんですか」

 

 「いや、倹約家ではあったよ。ただ、経費や必要な投資に関しては妙に現実的だった」

 

 「今の僕には、まだその境地は遠そうです」

 

 僕がそう言うと、みことすいちゃんが隣で微笑んだ。

 

 「ユウト、今の顔ちょっと可愛かったにぇ」

 

 「分かる。すいちゃん、写真撮りたかった」

 

 「撮らないでください」

 

 「心のカメラには保存した」

 

 「それもやめて」

 

 みこがにゃははと笑う。

 

 すいちゃんも、どこか嬉しそうに目を細めていた。

 

 さっきまで、前世の話で何度も空気が重くなった。

 

 けれど今、この一瞬だけは、普通の雑談のようだった。

 

 高級店の会計に驚く高校生。

 

 それを見て苦笑する大人。

 

 隣でからかう二人の少女。

 

 どこにでもあるようで、どこにもない時間。

 

 本日は大団円。

 

 そう言ってもいいような、柔らかな空気だった。

 

 もちろん。

 

 そんな都合よく終わるはずがなかった。

 

 ~~~~~~~~

 

 店を出ると、オルタナティブシティの午後の空気が一気に肌を撫でた。

 

 路地の向こうから、大通りの喧騒が微かに聞こえてくる。

 

 魔導飛行船の駆動音。

 

 行き交う人々の声。

 

 遠くで鳴る大道芸人の楽器。

 

 店内の静けさから外へ出ると、まるで別の世界へ戻ってきたようだった。

 

 「この後、桜井くんはどうする予定かな」

 

 谷郷さんが歩きながら尋ねてきた。

 

 「少し街を見てから帰るつもりです。せっかくオルタナティブシティまで来たので」

 

 「なら、無理のない範囲で楽しむといい」

 

 「はい」

 

 「みこたちはどうするにぇ?」

 

 みこがすいちゃんを見る。

 

 「私は夕方からリハがあるけど、まだ少し時間あるかな」

 

 「じゃあユウトと一緒に――」

 

 「みこ」

 

 谷郷さんが静かに名前を呼んだ。

 

 その声は穏やかだったが、代表としての圧が少し混じっていた。

 

 「今日はここまでにしておこう。桜井くんも、一度整理する時間が必要だ」

 

 「う……」

 

 みこは分かりやすく不満そうな顔をした。

 

 すいちゃんも少しだけ唇を尖らせる。

 

 「谷郷さん、正論で殴ってくる」

 

 「私は君たちの暴走を止める役目もあるからね」

 

 「すいちゃんたち、別に暴走してないよ?」

 

 「そう思っている時点で危ない」

 

 「にぇ……」

 

 僕はそのやり取りを見ながら、小さく笑った。

 

 こういう関係なのか。

 

 代表とタレント。

 

 上司と所属者。

 

 けれど、それだけではない。

 

 家族のようで、仲間のようで、長い時間を一緒に越えてきた人たちの距離感。

 

 僕はその輪の外側に立っているはずなのに、不思議と疎外感はなかった。

 

 むしろ、少し懐かしい。

 

 胸ポケットの懐中時計が、チ、チ、と柔らかく鳴る。

 

 四人で並んで、細い路地を抜けていく。

 

 左にはみこ。

 

 右にはすいちゃん。

 

 少し前を歩く谷郷さん。

 

 僕は、その後ろ姿を見ながら思った。

 

 この人たちは、僕の過去を知っている。

 

 僕が忘れた僕を、覚えている。

 

 怖さはまだある。

 

 けれど、もう逃げたいとは思わなかった。

 

 「桜井くん」

 

 谷郷さんが振り返る。

 

 「また連絡するよ」

 

 「はい。僕からも、何か聞きたいことができたら連絡します」

 

 「いつでも構わない」

 

 谷郷さんは穏やかに頷いた。

 

 それから、少しだけ笑う。

 

 「ただし、大学作戦会議については、一度落ち着いて考えよう」

 

 「僕もそうしてほしいです」

 

 「えー!」

 

 「すいちゃんはもう三校くらい候補を見つけたけど」

 

 「早すぎる」

 

 「行動力は大事だよ?」

 

 「限度も大事です」

 

 みこが隣でむすっと頬を膨らませる。

 

 「ユウト、みこもちゃんと勉強するからにぇ」

 

 「その前向きさはすごいと思う」

 

 「褒めたにぇ?」

 

 「半分くらい」

 

 「残り半分は!?」

 

 「不安」

 

 「ひどいにぇ!」

 

 そんな軽口を交わせるくらいには、僕の心は少しだけ落ち着いていた。

 

 だからこそ。

 

 その声が背後から聞こえた瞬間、僕たち四人は完全に油断していた。

 

 「――あれぇ? こんなところで何してるんですかねぇ、みこさん、すいちゃん、YAGOO?」

 

 柔らかく、少し気の抜けた声。

 

 けれど、その奥にある圧が尋常ではなかった。

 

 谷郷さんの足が止まる。

 

 みこの肩が、びくりと跳ねる。

 

 すいちゃんの笑顔が、ぴしりと固まる。

 

 僕も反射的に振り返ろうとして――。

 

 なぜか、左右から同時に腕を掴まれた。

 

 「ユウト、振り返っちゃダメにぇ」

 

 「ユウトさん、前だけ見て歩こうか」

 

 「え、何で」

 

 「いいから」

 

 「世界には知らなくていいこともあるにぇ」

 

 「いや、後ろから声かけられてますよね?」

 

 「幻聴にぇ」

 

 「都合のいい幻聴ですね」

 

 その間にも、背後から別の声が聞こえた。

 

 「おやおや〜? これはこれは、ずいぶん楽しそうなメンバーだねぇ」

 

 眠たげで、柔らかい声。

 

 猫又おかゆ。

 

 僕は、その名前をまだ直接知っているわけではなかった。

 

 けれど、みことすいちゃんの反応から、ただ事ではないことだけは分かる。

 

 続いて、明るい犬のような声。

 

 「ねぇねぇ、おがゆ! やっぱりユウトさんだよぉ! 本物だよぉ!」

 

 「ころさん、声大きい」

 

 「だってぇ!」

 

 さらに、落ち着いた、包み込むような声。

 

 「……なるほどね。みこちゃん、すいちゃん。これはちゃんと説明してもらおうかな?」

 

 そして最後に、どこか白い狐のような軽快さを持つ声が続いた。

 

 「いやー、まさか偶然見つけたと思ったら、すでにばっちり接触済みとは。ふふふ、これは面白いことになってますねぇ?」

 

 僕は、ゆっくりと振り返った。

 

 振り返ってしまった。

 

 そして、すぐに後悔した。

 

 そこには、四人の少女が立っていた。

 

 一人目は、白い髪に狐耳を持つ少女。

 人懐っこい笑顔を浮かべているが、その目はまったく笑っていない。

 

 二人目は、黒髪に狼の耳を持つ穏やかな雰囲気の少女。

 優しそうな表情なのに、どこか逃げ場を塞ぐような圧がある。

 

 三人目は、犬耳をぴんと立てた明るい少女。

 目に涙を浮かべながら、今にも駆け出しそうな勢いでこちらを見つめている。

 

 四人目は、猫耳を持つ気だるげな少女。

 眠そうな表情でこちらを見ながらも、その瞳の奥は鋭く状況を観察していた。

 

 ホロライブゲーマーズ。

 

 白上フブキ。

 

 大神ミオ。

 

 戌神ころね。

 

 猫又おかゆ。

 

 僕でも知っている。

 

 いや、ホロアースに住んでいて知らない人間の方が少ないだろう。

 

 ゲーム配信、冒険、討伐、イベント、ライブ。

 

 ありとあらゆる場面で名前を聞く、ホロライブの超有名ユニット。

 

 その四人が、なぜか路地の真ん中に立っていた。

 

 そして、こちらを見ていた。

 

 いや。

 

 正確には、僕を見ていた。

 

 「……」

 

 沈黙が落ちる。

 

 みこが、明らかに顔を青ざめさせていた。

 

 すいちゃんは笑顔のまま固まっている。

 

 谷郷さんは、片手で額を押さえた。

 

 「……どうして、君たちがここに」

 

 谷郷さんが静かに言った。

 

 白上フブキさんが、にこりと笑う。

 

 「いやぁ、偶然ですよ、偶然。ね、ミオ?」

 

 「まあ、最初は偶然だったね」

 

 大神ミオさんが優しく微笑む。

 

 「途中からは、ちょっとだけ尾行したけど」

 

 「尾行って言っちゃったにぇ!?」

 

 みこが叫んだ。

 

 フブキさんが、にこにこと笑みを深くする。

 

 「みこさん?」

 

 「にぇっ」

 

 「すいちゃん?」

 

 「……はい」

 

 「二人とも、何か私たちに言うこと、ありますよね?」

 

 「……」

 

 「……」

 

 二人は黙った。

 

 その沈黙が、すべてを物語っていた。

 

 猫又おかゆさんが、ゆるく首を傾げる。

 

 「みこちとすいちゃん、最近やけに静かだったからねぇ。変だなーとは思ってたんだよね」

 

 「ころねたち、ずっとユウトさんに会いたかったんだよ……?」

 

 戌神ころねさんの声は、震えていた。

 

 その瞳から、今にも涙が零れそうになっている。

 

 「なのに、みこちゃんたちだけ先に会ってたの……?」

 

 「こ、ころね……」

 

 みこの声が弱くなる。

 

 すいちゃんも、さすがに気まずそうに視線を逸らした。

 

 「いや、その……いろいろ事情があって」

 

 「事情?」

 

 フブキさんの狐耳がぴくりと動く。

 

 「へぇ。事情ですか」

 

 「フブさん、目が怖いにぇ」

 

 「怖くないですよぉ?」

 

 「怖いにぇ!」

 

 大神ミオさんが、少し困ったように笑いながらも、逃げ道を塞ぐように一歩前に出た。

 

 「みこちゃん、すいちゃん。ユウトくんのこと、谷郷さんには報告したんだよね?」

 

 「し、したにぇ」

 

 「必要最低限は」

 

 「他のみんなには?」

 

 「……」

 

 「……」

 

 「なるほど」

 

 ミオさんの笑顔が、ほんの少しだけ深くなった。

 

 「後でお話ししようか」

 

 みこが小さく震えた。

 

 「ミオしゃ……怒ってるにぇ?」

 

 「怒ってないよ」

 

 「絶対怒ってるにぇ」

 

 「怒ってないよ。ただ、ちょっとだけ、ちゃんと聞きたいことがたくさんあるだけ」

 

 「それを怒ってるって言うんだにぇぇ……」

 

 僕は、完全に置いていかれていた。

 

 目の前でホロライブの有名タレントたちが会話している。

 

 その中心に、自分がいる。

 

 意味が分からない。

 

 しかも、四人の視線が何度も僕に戻ってくる。

 

 まるで、ずっと探していたものを前にしているような目。

 

 さくら神社で、みことすいちゃんに初めて会った時と同じ目。

 

 僕を知っている人たちの目。

 

 胸ポケットの時計が、チ、チ、チ、と少しだけ速く鳴った。

 

 「あの」

 

 僕は、恐る恐る口を開いた。

 

 全員の視線が、一斉にこちらへ向いた。

 

 圧がすごい。

 

 「……初めまして、で合っていますか」

 

 その言葉を口にした瞬間。

 

 四人の表情が、揺れた。

 

 ころねさんは、今にも泣き出しそうに顔を歪めた。

 

 おかゆさんの眠そうな瞳が、わずかに細くなる。

 

 フブキさんの笑顔が一瞬だけ消えた。

 

 ミオさんは、静かに息を呑んだ。

 

 みこが、僕の袖をそっと掴む。

 

 すいちゃんが、小さく目を伏せる。

 

 谷郷さんは、重い表情で四人を見た。

 

 「……やっぱり」

 

 おかゆさんが、小さく呟いた。

 

 「覚えてないんだね」

 

 「すみません」

 

 僕は頭を下げた。

 

 「僕は、あなたたちのことを画面やニュースで見たことはあります。でも、直接会った記憶はありません」

 

 「……そっか」

 

 ころねさんが、胸元をぎゅっと握る。

 

 「ユウトさん、ころねのことも……覚えてないんだね」

 

 「……はい」

 

 その返事が、彼女を傷つけることは分かっていた。

 

 でも、嘘はつけなかった。

 

 ころねさんの目から、大粒の涙がぽろりと零れた。

 

 けれど、彼女は泣き叫ばなかった。

 

 ぐっと唇を噛んで、必死に笑おうとする。

 

 「でも……生きてた」

 

 彼女は、震える声で言った。

 

 「覚えてなくても、生きてた。ころね、それだけで……それだけで、すごく嬉しいよ」

 

 胸が痛んだ。

 

 まただ。

 

 また、僕の知らない誰かの想いが、僕に向けられている。

 

 受け止めたいのに、受け止め方が分からない。

 

 おかゆさんが、ころねさんの肩にそっと手を置く。

 

 そして、僕を見た。

 

 「初めまして、ユウトさん。……で、いいのかな」

 

 「すみません」

 

 「謝らなくていいよ。謝るのは、たぶん僕たちの方だから」

 

 その言葉の意味は、分からなかった。

 

 でも、痛みだけは伝わった。

 

 白上フブキさんが、一歩前に出る。

 

 その表情は、最初の軽い笑みとは違っていた。

 

 どこか真剣で、けれど無理に明るさを保とうとしているような顔。

 

 「白上フブキです。ホロライブゲーマーズ所属。……前の世界でも、君にたくさん迷惑をかけた狐です」

 

 「大神ミオです。同じくゲーマーズ。ユウトくんには、何度も助けてもらったよ」

 

 「戌神ころね……です。ユウトさん、また会えて、ほんとに……ほんとに嬉しい」

 

 「猫又おかゆでーす。僕も、また会えてよかった」

 

 四人が、それぞれ名乗る。

 

 初めましての言葉。

 

 けれど、その声には再会の色が混じっていた。

 

 僕は、深く頭を下げた。

 

 「桜井ユウトです。……今の僕は、何も覚えていません。それでも、よろしくお願いします」

 

 何を言えばいいのか分からなかった。

 

 だから、そう言うしかなかった。

 

 フブキさんが、少しだけ目を細める。

 

 「うん。よろしく、ユウトくん」

 

 その瞬間、みこが小さく唸った。

 

 「……なんか、フブキちゃんが普通に距離詰めてきてるにぇ」

 

 「みこさんが隠してたからでは?」

 

 「うぐっ」

 

 すいちゃんも、やや警戒した目でゲーマーズを見る。

 

 「……四人とも、いつから尾行してたの?」

 

 「店に入る少し前からかなぁ」

 

 おかゆさんが悪びれず言う。

 

 「ということは、腕を組んで歩いてたところも?」

 

 「見たねぇ」

 

 「見たよぉ」

 

 「ばっちり見ましたね」

 

 「うん、見た」

 

 四人がそれぞれ答える。

 

 みことすいちゃんの顔が、同時に赤くなった。

 

 「ち、違うにぇ! あれは案内のためで!」

 

 「そう。迷子防止」

 

 「ユウトくん、そんなに迷子になる子なの?」

 

 ミオさんが柔らかく尋ねる。

 

 僕は首を横に振った。

 

 「いえ、普通に一人で歩けます」

 

 「ユウト!?」

 

 「ユウトさん!?」

 

 「事実なので」

 

 フブキさんが、ぷっと吹き出した。

 

 「なるほど。記憶がなくてもツッコミは健在なんですね」

 

 「それ、さっきも言われました」

 

 「ふふ。いいですねぇ」

 

 その笑顔は軽やかだった。

 

 けれど、その瞳の奥には、どこか懐かしさと切なさがあった。

 

 谷郷さんが、深く息を吐く。

 

 「……ひとまず、場所を変えよう。この人数で路地に立ち止まっているのは目立つ」

 

 「そうですね」

 

 ミオさんが頷いた。

 

 「それと、谷郷さん」

 

 「何かな」

 

 「みこちゃんとすいちゃんには、あとでちゃんとお話しします」

 

 「私も同席しよう」

 

 「にぇぇ……」

 

 「すいちゃん、ちょっと仕事の時間が……」

 

 「逃がしませんよぉ?」

 

 フブキさんがにっこり笑った。

 

 「……はい」

 

 すいちゃんが珍しく素直に頷いた。

 

 僕はその光景を見ながら、思った。

 

 大団円。

 

 そんなものは、どうやらこの人たちの周りには存在しないらしい。

 

 誰かと会えば、次の誰かが現れる。

 

 秘密にすれば、すぐに見つかる。

 

 静かに終わろうとすれば、背後から騒動が追いかけてくる。

 

 それは混乱だった。

 

 けれど、不思議と嫌ではなかった。

 

 胸ポケットの時計が、チ、チ、チ、と時を刻む。

 

 また一つ、僕を知る人たちが現れた。

 

 また一つ、僕の過去へ繋がる糸が増えた。

 

 それが重いのか、温かいのか。

 

 まだ、はっきりとは分からない。

 

 けれど。

 

 ころねさんが涙を拭いながら、それでも嬉しそうに笑っている。

 

 おかゆさんが眠そうな顔でこちらを見守っている。

 

 フブキさんがどこか楽しげに、しかし真剣に僕を見ている。

 

 ミオさんが優しく、でも逃げ場のない空気で全員をまとめている。

 

 そして隣では、みことすいちゃんが、隠し事がバレた子供のように小さくなっている。

 

 その光景を見て、僕は少しだけ笑ってしまった。

 

 「……本当に、騒がしい人たちですね」

 

 その言葉に、全員の視線が僕へ向いた。

 

 一瞬の沈黙。

 

 それから、フブキさんが笑った。

 

 「うん。それがホロライブですから」

 

 ミオさんも頷く。

 

 「ユウトくんも、昔よくそう言ってたよ」

 

 僕は胸元の時計を押さえた。

 

 「……そうですか」

 

 チ、チ、チ、チ――。

 

 懐中時計が、少しだけ嬉しそうに鳴った気がした。

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