hololive Lost Story 作:ダニエルズプラン
ダンジョン訓練は、思っていた以上に呆気なく終わった。
もちろん、危険がなかったわけではない。
今回の訓練場所は、前回と同じく学生向けに管理された低〜中難度の訓練用ダンジョンだったが、それでも現れる魔物は本物だった。牙を剥く魔獣もいれば、壁や天井から奇襲を仕掛けるスライム型の魔物もいる。訓練用に弱体化されているとはいえ、油断すれば怪我では済まない。
だからこそ、引率の騎士たちも教師たちも、前回以上に気を張っていた。
特に、僕――桜井ユウトに対する視線は、かなり露骨だった。
前回の訓練で、僕は自分の身の丈ほどもある大剣を振るい、上位魔獣を両断してしまった。
自分でも信じられない動きだった。
身体が勝手に動いた。
大剣の重さを知っていた。
足運びも、呼吸も、敵の攻撃を受け流す角度も、まるで何度も何度も繰り返してきたかのように、肉体が覚えていた。
そして今回も、その感覚は消えていなかった。
背中のホルダーから訓練用の大剣を引き抜いた瞬間、手のひらにずしりと乗る鋼の重みに、胸ポケットの懐中時計が小さく反応した。
チ、と。
短く、確かに。
その音を聞いた瞬間、僕の身体は自然と深く腰を落とした。
右脇へ大剣を構える。
刀身をわずかに斜めに寝かせる。
重心を前へ置きすぎず、しかし後ろへ逃がしすぎない。
教わった覚えはない。
けれど、僕の肉体にはそれが正しいと分かっている。
迷宮の奥から、狼型の魔獣が飛び出してくる。
牙を剥き、地を蹴り、一直線にこちらへ突っ込んでくる。
以前なら、そこで少しだけ恐怖があったかもしれない。
自分はなぜ戦えるのか。
どうして身体が勝手に動くのか。
この力は本当に自分のものなのか。
そんな疑問が、剣を握る手を一瞬だけ鈍らせていた。
けれど、今日は違った。
怖さはある。
戦いに慣れている自分への違和感もある。
でも、その違和感に飲まれることはなかった。
僕は、大きく息を吐く。
踏み込んできた魔獣の爪を、分厚い刀身で斜めに受ける。
衝撃を正面から受け止めず、柄を支点にして受け流す。
魔獣の体勢がわずかに崩れた瞬間、足を半歩前へ滑らせ、大剣の重みをそのまま回転へ変えた。
鋼が唸る。
訓練用に刃を潰された大剣が、魔獣の胴を真横から叩き、光の粒子へと弾き飛ばした。
周囲から歓声が上がる。
「やっぱすげぇな、ユウト!」
「今の動き、前より綺麗じゃなかった!?」
「ていうか、もう完全に大剣使いじゃん!」
カイトをはじめとしたクラスメイトたちが、興奮したように声を上げた。
僕は大剣を下ろし、小さく肩をすくめる。
「たまたま重心が合っただけだよ」
「前もそれ言ってたぞ!」
「毎回たまたまだったら、それはもう実力だって!」
「いや、どうだろう」
苦笑しながら答える。
けれど、内心では自分でも分かっていた。
前回よりも、動きは明らかに安定していた。
大剣を振ることへの抵抗が減っている。
身体の奥に眠っている技術を、以前よりも自然に引き出せている。
無意識の動きに、今の僕自身の判断が少しだけ追いつくようになっている。
それは、僕自身の変化だった。
ただし、今日の訓練が呆気なく終わった理由は、僕だけではなかった。
一番大きかったのは、クラス全体が前回とは比べものにならないほど成長していたことだ。
「前衛、出すぎるな! 魔獣が横から来るぞ!」
「分かってる! エルフ組、後ろお願い!」
「右のスライム、魔力矢で止める!」
「カイト、突っ込みすぎ!」
「分かってるって!」
以前の訓練では、生徒たちは皆、魔物を前にすると動きが固くなっていた。
習った通りに構えようとして、逆に身体が遅れる。
恐怖で足が止まる。
攻撃することばかり考えて、周囲が見えなくなる。
それは当然のことだった。
学校の授業でいくら戦闘の基礎を学んでも、本物の魔物を前にすれば、頭で理解していたことは簡単に吹き飛ぶ。
けれど、今回は違った。
獣人の友人は、持ち前の身体能力に頼って前へ出すぎる癖を少し抑え、周囲の動きを見ながら戦斧を振るっていた。
エルフの少女は、魔導弓で敵を倒すだけでなく、味方の足元を照らしたり、スライムの移動経路を塞いだりと、支援に回る余裕が出ていた。
悪魔の少年も、浮遊板で無茶な突撃をするのではなく、素早い移動を活かして後衛に迫る魔物を牽制していた。
皆が、自分の武器の扱い方を覚え始めていた。
それだけじゃない。
戦闘における身体の動かし方。
恐怖をどう飲み込むか。
仲間の声をどう聞くか。
自分一人で勝とうとせず、どう隊列の中で役割を果たすか。
そういう心持ちが、はっきりしてきていた。
だから、前回ほど危なげな場面はなかった。
引率の騎士たちも、最初はかなり警戒していたが、訓練が進むにつれて表情を緩めていった。
「よし、そこまで!」
最後の広場で、訓練用のボス魔獣が光の粒子となって消えた後、教官役の騎士が大きく号令をかけた。
「今回の訓練は終了だ。全員、大きな怪我もなくよく動けていた。前回からの成長が見られる、良い訓練だった」
生徒たちから、安堵と歓喜の声が上がった。
カイトが、戦斧を肩に担いで笑う。
「よっしゃー! 今回はかなり余裕あったな!」
「カイトは余裕っていうか、三回くらい突っ込みすぎてたけどね」
「そこは見逃してくれよ、ユウト!」
「先生に怒られる前に自分で直した方がいいと思う」
「うぐっ」
そんなやり取りに、周囲のクラスメイトたちが笑う。
僕も小さく笑った。
その笑いは、以前よりも自然に出た気がした。
~~~~~~~~
ダンジョンを出ると、外の光がやけに眩しく感じた。
迷宮内の青白い魔導灯に目が慣れていたせいだろう。
訓練施設の出口前には、学校がチャーターした魔導飛行船が停泊している。だが、帰りの準備には少し時間がかかるらしく、生徒たちは施設前の広場でしばらく休憩することになった。
皆、訓練用の防具を外し、支給された水を飲みながら、今日の戦いを振り返っている。
「あそこの連携、よかったよな!」
「いや、あれはエルフ組の支援がうまかった」
「カイトが突っ込みすぎなかったのが一番の成長じゃない?」
「おい!」
笑い声が弾ける。
僕は少し離れた場所で、大剣を返却用の台に立てかけながら、その光景を見ていた。
胸ポケットの時計が、静かに鳴る。
チ、チ、チ、チ――。
この音は、以前なら孤独の象徴だった。
僕だけが抱えている違和感。
僕だけが知らない過去。
僕だけが、どこかこの世界から浮いているような感覚。
けれど、今は少し違う。
この音を聞いていると、みこやすいちゃん、谷郷さん、ゲーマーズの四人の顔が浮かぶ。
そして、目の前で笑っているクラスメイトたちの姿も。
前世の僕を覚えている人たち。
今の僕を知っている人たち。
どちらも、僕のそばにいる。
そんなことを考えていた時だった。
「ユウトー! 何ぼーっとしてんだよ!」
カイトの声が飛んでくる。
「こっち来いよ! 今日の反省会だ!」
「反省会っていうか、ただ騒いでるだけじゃない?」
「それも大事な青春だろ!」
「便利な言葉だね、青春」
僕は苦笑しながら、彼らのもとへ歩いた。
カイト、エルフの少女、悪魔の少年、他のクラスメイトたち。
皆、疲れているはずなのに、どこか晴れ晴れとした顔をしていた。
ダンジョン訓練は危険だ。
怖い。
でも、それを乗り越えた後には、確かに共有できる何かがある。
同じ場所へ入り、同じ魔物と向き合い、同じ緊張を越えてきたからこその連帯感。
それが、今この場にあった。
ふと、僕は思った。
写真を撮りたい。
自分でも驚いた。
普段だったら、絶対にそんなことはしない。
僕は写真を撮るタイプではない。
誰かとの思い出を積極的に形に残そうとする性格でもない。
むしろ、そういう場面では一歩引いて、誰かが撮った写真に端の方で映るくらいがちょうどいいと思っていた。
少なくとも、今までの僕はそうだった。
けれど、この時だけは違った。
この瞬間を、残したいと思った。
今日、自分たちが少しだけ成長したこと。
皆が笑っていること。
僕がその中にいること。
それを、どこかに残しておきたいと思った。
自分でも、らしくないと思う。
キャラじゃないだろう、とも思う。
でも、胸の奥から湧き上がったその衝動を、無視したくはなかった。
「……あのさ」
僕が口を開くと、カイトたちがこちらを見る。
「ん? どうした?」
「せっかくだから……写真、撮らない?」
一瞬、空気が止まった。
カイトが目を丸くする。
エルフの少女も、驚いたように瞬きをした。
悪魔の少年が、口にくわえていた水のストローをぽろっと落とす。
「……ユウトが?」
「自分から?」
「写真を?」
「そんなに驚く?」
僕は少しむっとした。
カイトが、次の瞬間、顔をぱっと輝かせた。
「撮る! 絶対撮る! お前から言い出すなんて、明日浮遊大陸落ちてくるんじゃないか!?」
「不吉なこと言うな」
「いやでも、いいじゃん! 撮ろうぜ!」
カイトは周囲に声をかける。
「おーい! ユウトが写真撮りたいってよ!」
「何その言い方」
すぐにクラスメイトたちが集まってくる。
「マジで?」
「桜井くんが?」
「これは記念だね」
「今日のボス戦よりレアじゃない?」
「そこまで?」
僕は軽く額を押さえた。
だが、皆が楽しそうに集まってくるのを見ると、不思議と嫌な気はしなかった。
誰かが端末を取り出す。
別の誰かが、施設の職員に撮影を頼む。
「じゃあ、みんな並んでー」
職員の声に合わせて、僕たちは広場の一角に並んだ。
背後には訓練用ダンジョンの大きな門。
周囲には、青空と浮遊船。
生徒たちは訓練後で少し疲れているけれど、皆、晴れやかな顔をしている。
カイトが僕の肩に腕を回してきた。
「ほら、ユウト! もっと笑えよ!」
「これでも笑ってる」
「固い固い!」
反対側から、エルフの少女が微笑む。
「桜井くん、そのままでいいと思うわ。自然で」
「ありがとう」
「でも、もう少しだけ口角上げてもいいかも」
「結局上げるんだ」
悪魔の少年が前列でピースをする。
「ユウト、今日の主役なんだから真ん中な!」
「主役は嫌なんだけど」
「諦めろ!」
押し込まれるように、僕は中央近くへ立たされた。
カイトの腕が肩に乗る。
周囲から笑い声。
青空。
胸ポケットの時計の音。
チ、チ、チ、チ――。
職員が端末を構える。
「はい、撮りますよー」
その瞬間、僕は少しだけ息を吸った。
写真。
思い出を形に残すもの。
前世の僕は、どれほど写真から消えたのだろう。
誰かと写っていたはずの記録から、自分だけが抜け落ちていく。
きっと、そんなこともあったのだろう。
だからこそ、今この瞬間を残したいと思ったのかもしれない。
今の僕が、ここにいること。
このクラスメイトたちと、同じ時間を過ごしていること。
それを、どこかに残したかった。
「はい、チーズ!」
シャッター音が鳴った。
画面の中には、少しぎこちなく笑う僕と、その周囲で明るく笑う友人たちが写っていた。
カイトは満面の笑み。
エルフの少女は穏やかに微笑み。
悪魔の少年はなぜか変顔。
他のクラスメイトたちも、思い思いの表情をしている。
そして僕は。
思っていたより、ちゃんと笑っていた。
「……」
画面を見て、少し驚いた。
こんな顔をしていたのか。
カイトが横から覗き込む。
「お、いいじゃん! ユウト、ちゃんと笑えてる!」
「うるさいな」
「これは保存だな! 全員に共有するぞ!」
「あ、うん。お願い」
「お前にも送るからな」
「ありがとう」
写真はすぐに共有された。
クラスのグループに送られ、皆が次々と反応していく。
『今日の訓練お疲れ!』
『桜井くん真ん中レア!』
『隣の顔うるさい』
『悪魔組、変顔やめろ』
『次も頑張ろう!』
端末が次々と震える。
僕も送られてきた写真を保存した。
画面の中の自分を、しばらく見つめる。
少しぎこちない。
でも、悪くない笑顔だった。
ふと、思った。
これを、誰かに送りたい。
その「誰か」がすぐに浮かんだことに、僕は少しだけ苦笑した。
みこ。
すいちゃん。
それから、昨日いつの間にか連絡先が増えていた谷郷さん。
いや、増えたというか、気づいたら登録されていた。
たぶん、昨日の帰り際、谷郷さんが「何かあったら連絡できるように」と言って、自然な流れで交換したのだろう。
不思議と、嫌ではなかった。
僕は写真を開き、三人に送信する。
メッセージを添えた。
『今日のダンジョン訓練、無事に終わりました。クラスの皆と写真を撮りました』
送信。
数秒後。
みこから即座に返信が来た。
『ユウトが自分から写真!?!?!?』
続いて、すいちゃん。
『え、待って。保存した。永久保存した』
そして、谷郷さんから。
『良い写真だね。君が楽しそうで、安心したよ』
その三つの返信を見た瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。
みこから、さらに連続でメッセージが来る。
『真ん中にいるにぇ!』
『笑ってるにぇ!』
『近くない!?』
『いや友達だからいいけど近くない!?』
『でもいい写真にぇ……』
すいちゃんからも。
『ユウトさん、ちゃんと笑ってる』
『よかった』
『本当に、よかった』
『あと隣の子たちとの距離、ちょっと近いね』
『いや、友達なら普通か。普通だよね。うん』
僕は思わず笑ってしまった。
「何笑ってんだよ、ユウト」
カイトが横から覗き込もうとする。
「別に」
「また例の知り合いか?」
「まあ、そんなところ」
「いい顔してるなぁ」
「そう?」
「うん。やっぱ最近のお前、かなりいい感じだぞ」
カイトは何気なく言った。
僕は少しだけ黙る。
いい感じ。
そうなのだろうか。
自分では分からない。
けれど、自分から写真を撮りたいと思ったのは事実だ。
誰かにそれを送りたいと思ったのも事実だ。
それは、たぶん。
僕の心が、少しずつ開き始めている証なのかもしれない。
過去に向けて。
今の友人たちに向けて。
これからの未来に向けて。
ほんの少しだけ。
~~~~~~~~
同じ頃。
ホロライブ事務所、代表執務室。
谷郷元昭は、端末に届いた一枚の写真を静かに見つめていた。
そこには、ダンジョン訓練を終えた学生たちの集合写真が写っている。
中央近くに、桜井ユウトがいた。
学生服に軽装防具の名残を身にまとい、友人らしき獣人の少年に肩を組まれている。少し戸惑ったような、けれど確かに柔らかな笑みを浮かべている。
谷郷は、しばらくその写真から目を離せなかった。
「……君が、自分から写真を」
ぽつりと呟く。
前世のユウトは、写真に残ることをあまり好まなかった。
いや、正確には避けていたわけではない。
ただ、いつも自然と撮る側に回っていた。
タレントたちの笑顔を残し、イベントの記録を残し、裏方として必要な資料を作る。
その中に自分が写ることは少なかった。
そして、ゼロノスの代償が進むにつれて。
彼の姿は、写真からも、記憶からも、世界からも消えていった。
だからこそ、この一枚は重かった。
今のユウトが、自分から撮りたいと思った写真。
今の彼が、ここにいることを残そうとした証。
谷郷の胸に、熱いものが込み上げる。
「……良い友人たちに囲まれているんだね」
それは安堵だった。
そして、少しの寂しさでもあった。
自分たちの知らない場所で、今のユウトは今の人間関係を築いている。
前世の記憶を持たない彼が、この世界で得た大切な日常。
それを壊してはいけない。
改めて、そう思った。
端末の画面に、みことすいせいの反応も流れてくる。
みこは案の定、かなり騒がしい。
すいせいは落ち着いているようで、ところどころ嫉妬のようなものが滲んでいる。
谷郷は苦笑した。
「まったく……」
その時、執務室の扉がノックされた。
「どうぞ」
扉が開き、スタッフの一人が顔を出す。
「代表。そろそろお時間です」
「ああ。分かった」
谷郷は端末を伏せ、ゆっくりと立ち上がった。
これから始まるのは、ホロライブ所属タレントたちへの説明会だった。
桜井ユウトが見つかったこと。
しかし、前世の記憶を失っていること。
現在は高校生として生活していること。
そして、本人の意思と生活を尊重するため、接触には厳格なルールを設けること。
伝えなければならない。
だが、簡単な説明で済むはずがない。
ときのそらをはじめ、多くのタレントたちは、ユウトとの再会を待ち続けていた。
彼に謝りたい者。
感謝を伝えたい者。
ただ抱きしめたい者。
泣きたい者。
怒りたい者。
笑い合いたい者。
そのすべてを、一度に受け止める場になる。
谷郷は、机の上に置かれた端末をもう一度手に取った。
画面には、ユウトが送ってくれた写真。
友人たちに囲まれ、少しぎこちなく、しかし確かに笑っている少年の姿。
谷郷は、その写真を見つめながら静かに言った。
「君の日常は、必ず守るよ」
それは、誰に聞かせるでもない誓いだった。
そして同時に。
前世で守られる側だった少年に、今度こそ返すべき約束でもあった。
谷郷は端末を胸ポケットにしまい、代表執務室を出る。
廊下の先には、大会議室へ続く扉がある。
その向こうでは、すでに多くのタレントたちが待っている。
ホロライブ全体を揺るがす説明会。
桜井ユウトという、失われたはずの名前を巡る、新たな局面。
谷郷は一度だけ深く息を吸い、扉の前に立った。
そして、静かにドアノブへ手をかける。
チ、チ、チ、チ――。
遠く離れた少年の胸元で鳴っているはずの時計の音が、なぜか耳の奥に聞こえた気がした。
止まっていた物語は、もう止まらない。
谷郷元昭は、ホロライブの代表として、そして桜井ユウトの最初の理解者として、これから始まる嵐の中へ足を踏み入れた。