hololive Lost Story   作:ダニエルズプラン

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第19話 ジャンケン・クライマックス/漫画部屋のラフ・タイム

 ときのそらとAZKi主催による、第二回尋問会。

 

 それは、端的に言えば無事に終わった。

 

 無事に。

 

 ……無事、という言葉の定義に、若干の議論の余地はあるが。

 

 大会議室の中央では、さくらみこと星街すいせいが正座させられていた。

 

 その隣には、白上フブキ、大神ミオ、猫又おかゆ、戌神ころね。

 

 そして少し離れた場所で、谷郷元昭――YAGOOが、穏やかな顔のまま胃のあたりを押さえていた。

 

 尋問会の議題は明確だった。

 

 いつ、どこで、どのように桜井ユウトと接触したのか。

 

 連絡先を交換したのか。

 

 なぜ、それを他のメンバーに共有しなかったのか。

 

 そして、現在ユウトとどの程度やり取りをしているのか。

 

 その一つひとつに対して、そらとAZKiは非常に丁寧に、非常に穏やかに、非常に逃げ道のない形で質問を重ねていった。

 

「みこちゃん。つまり、さくら神社でユウトさんを見つけて、最初は驚いて泣いて、それから連絡先を交換したんだね?」

 

「……はい、そうですにぇ」

 

「すいちゃん。ユウトさんが記憶を失っていることを知ったあと、他のみんなには言わずに、しばらく自分たちだけで連絡を取ろうと考えたんだね?」

 

「……えっと、言い方に語弊があるというか、戦略的保留というか……」

 

「そうなんだね?」

 

「……はい」

 

 すいせいは、笑顔のまま目を逸らした。

 

 その瞬間、会議室中から「抜け駆けだ」「やっぱり」「すいちゃんらしい」「みこちもか」などという、恨みと納得が入り混じったざわめきが広がった。

 

 みこは畳があれば額を擦りつけていたかもしれない勢いで頭を下げていた。

 

「だ、だって仕方なかったんだにぇ! ユウトさんが、みこたちのこと覚えてなくて……でも、連絡先を交換できて……その、ちょっとだけ、ちょっとだけ先に仲良くなりたいって思っただけなんだにぇ!」

 

「ちょっとだけ、ね」

 

 AZKiが静かに微笑んだ。

 

 みこは肩を震わせた。

 

「AZKiちゃんの“ちょっとだけ”の言い方が怖いにぇ……」

 

 ゲーマーズ側への尋問も、なかなかのものだった。

 

「フブキちゃんたちは、いつユウトさんに会ったの?」

 

 そらの問いに、フブキはいつもの白上スマイルを浮かべて答えた。

 

「えー、正確には、みこちゃんとすいちゃんとYAGOOさんが、ユウトくんとお店から出てきたところを偶然見かけまして」

 

「偶然?」

 

「偶然です」

 

「尾行は?」

 

「……少しだけ」

 

「少しだけ?」

 

「……ちょっと長めに」

 

「そうなんだ」

 

 そらはにこにこしていた。

 

 フブキは冷や汗を流していた。

 

 ミオは最初から観念していたらしく、比較的素直に話した。

 

「うん。フブキが気になって追いかけようって言って、ころねも乗って、おかゆは面白そうだからついてきて、私が止めきれなかった」

 

「ミオちゃんは止めようとしたの?」

 

「最初の五秒くらいは」

 

「五秒」

 

「ごめんなさい」

 

 おかゆは、机に頬杖をつきながら眠たげに言った。

 

「でもねぇ、そらちゃん。ユウトさん、ほんとに記憶ない感じだったよ。こっちを見ても、初めましての顔だった」

 

 その一言で、会議室の空気が少しだけ静まった。

 

 先ほどまでの抜け駆け追及の熱が、冷たい現実に触れて温度を失う。

 

 戌神ころねは、両手をぎゅっと握りしめた。

 

「でも、ころねたちの名前を聞いた時、ちょっとだけ変な顔したんだよ。完全に知らないって感じじゃなくて……なんか、胸の奥が痛いみたいな顔」

 

「……そっか」

 

 そらは小さく頷いた。

 

 その表情は穏やかだったが、胸の奥を強く押さえているようにも見えた。

 

 ユウトは覚えていない。

 

 けれど、何も残っていないわけではない。

 

 その事実は、彼女たちにとって残酷でありながら、同時に小さな希望でもあった。

 

 尋問会は長く続いた。

 

 みこがユウトとどんなメッセージを交わしているのかを追及され、すいせいが「普通の範囲だよ」と言い張った直後に通知履歴の量を見られて全員から視線を浴びる一幕もあった。

 

 フブキが「白上はまだ連絡先もらってないので実質無罪です!」と主張し、マリンから「その理屈だと連絡先もらってるmiCometは重罪じゃん」と刺され、みこが「船長は黙ってるにぇ!」と叫ぶ場面もあった。

 

 おかゆが「でも抜け駆けって、見つけた人の特権じゃない?」と爆弾を投下し、ぺこらが机を叩いて「その理屈は危険ぺこ!」と叫んだりもした。

 

 最終的に。

 

 みことすいせいは、ユウトと連絡を取ること自体は許可された。

 

 ただし、過剰に迫りすぎないこと。

 

 ユウトの日常を壊さないこと。

 

 重要な出来事があればYAGOOに報告すること。

 

 そして、他メンバーにも今後の顔合わせの機会を正式に設けること。

 

 これらを条件に、どうにかその場は収まった。

 

 収まった、ということにされた。

 

 しかし、本当の問題はその後だった。

 

「それで」

 

 YAGOOが疲れを隠しきれない声で切り出した。

 

「次は、桜井くんと皆さんの顔合わせについて決めたいと思います」

 

 その瞬間、会議室の空気が再び変わった。

 

 それまで尋問される側と尋問する側に分かれていたメンバーたちが、今度は一斉に同じ方向を向いた。

 

 獲物を見つけた肉食獣のように。

 

「まず、彼の負担を考えれば、一度に全員で会うのは避けるべきです」

 

「それはそうですね」

 

 Aちゃんが頷く。

 

「人数を絞って、少しずつ顔合わせをする形が現実的だと思います」

 

 春先のどかも真面目にメモを取っている。

 

「そこで、期生ごとに――」

 

「はい!」

 

 宝鐘マリンが即座に手を上げた。

 

「3期生、最初でお願いします!」

 

「船長、早い」

 

「こういうのは勢いが大事なんです!」

 

「なら4期生が先だろ」

 

 桐生ココが腕を組んだまま低く言う。

 

「こっちは言いたいことが山ほどあるんだよ」

 

「いやいや、ゲーマーズもユウトさんに会った流れがあるから、自然に続きで顔合わせするのが一番違和感ないと思うんですよねぇ」

 

 フブキがにこにこと手を挙げる。

 

「フブキちゃん、それは明らかに自分たちが有利なだけだよね?」

 

 ミオが横から冷静に刺す。

 

「ミオもゲーマーズ側ですよ?」

 

「だからこそ言ってる」

 

「ぺこらは!?」

 

 ぺこらが勢いよく立ち上がる。

 

「ぺこらたちも会いたいぺこ! いや別に、そんな重く行くつもりはないぺこよ? 普通に、ほんと普通に、ちょっと挨拶して、ちょっと話して、ちょっと記憶に残ってもらうだけぺこ!」

 

「その“ちょっと”が絶対ちょっとじゃないんだよなぁ」

 

 ココが呟く。

 

「0期生が最初でいいんじゃない?」

 

 ロボ子がぽつりと言った。

 

 会議室が一瞬静まる。

 

 その意見には、それなりの説得力があった。

 

 ホロライブの始まり。

 

 ユウトが前世で最初に担当した面々。

 

 そして、みことすいせいが既に接触しているという事情。

 

 流れとしては自然だ。

 

 しかし、それが自然すぎたからこそ、他のメンバーたちは簡単に納得しなかった。

 

「いや、でもmiCometはもう会ってるわけですよね?」

 

 マリンが素早く切り込む。

 

「つまり0期生はすでにアドバンテージを得ているわけで、ここは公平性の観点から別の期生を――」

 

「船長、言い方が会議慣れした大人みたいになってるにぇ」

 

「大人ですから!」

 

「でも、そらちゃんはまだ会ってない」

 

 AZKiが静かに言った。

 

 その一言で、空気がまた少し変わる。

 

 ときのそらは、まだユウトに会っていない。

 

 前世で最も長く彼の隣にいたはずの彼女が。

 

 その事実は、誰にとっても無視しがたいものだった。

 

 だが、情愛の強さという意味では、誰もが譲れない理由を持っている。

 

 話し合いは混迷を極めた。

 

 3期生が「一番情緒が危ないるしあを早めに会わせた方がいい」と主張すれば、他のメンバーは「それは逆に危険では」とざわめく。

 

 ゲーマーズは「既に会っているからこそ次も自然」と押し、マリンは「既に会ったなら後でいい」と切り返す。

 

 4期生はココを中心に「後回しにされる筋合いはない」と主張し、5期生以降も「自分たちにも伝えたいことがある」と声を上げる。

 

 EnglishとIndonesiaの面々も、遠隔通信越しに真剣な表情で参加していた。

 

 YAGOOは一時間ほど粘った。

 

 Aちゃんも、のどかも、議事進行役として頑張った。

 

 しかし、最終的に話し合いで決まったのはたった一つだった。

 

 顔合わせは、期生ごとに行う。

 

 以上。

 

「順番は……」

 

 YAGOOが疲れきった顔で言う。

 

「代表者による公平な方法で決めましょう」

 

「公平な方法?」

 

 そらが首を傾げる。

 

 数秒後。

 

 大会議室の中央に、各期生の代表者が立っていた。

 

 0期生代表、ときのそら。

 

 1期生代表、白上フブキ。

 

 2期生代表、湊あくあ。

 

 ゲーマーズ代表、大神ミオ。

 

 3期生代表、宝鐘マリン。

 

 4期生代表、桐生ココ。

 

 5期生代表、獅白ぼたん。

 

 holoX代表、ラプラス・ダークネス。

 

 English、Indonesia側からも代表が選ばれている。

 

 彼女たちの前に、YAGOOが静かに立った。

 

「では、始めましょう」

 

 場の空気が張り詰める。

 

 それは、ホロライブの未来を左右する重大な戦いだった。

 

 少なくとも、当人たちはそういう顔をしていた。

 

「最初はグー」

 

 全員が拳を握る。

 

 会議室全体が息を呑んだ。

 

「ジャン、ケン――」

 

「ぽん!」

 

 壮絶なる争い。

 

 つまり、ジャンケンが始まった。

 

 最初の一戦で、あくあが沈んだ。

 

「ああああああああああ!? なんでぇぇぇ!?」

 

「弱すぎぺこ」

 

「ぺこら代表じゃないでしょ」

 

 次に、ラプラスが勝ち誇った顔をした直後、あっさり負けた。

 

「な、なぜだ! 我輩の右手は世界を支配するはずでは……!」

 

「ジャンケンは世界征服より難しいからねぇ」

 

 おかゆがのんびり言う。

 

 フブキは強かった。

 

 ミオも堅実だった。

 

 マリンは妙な読み合いを始めて自滅した。

 

「船長、考えすぎ」

 

「うるさい! 勝負とは高度な心理戦なんですよ!」

 

「チョキ出しただけじゃん」

 

 ココは豪快に勝ち進んだが、最後の手前でぼたんに撃ち抜かれたように敗北した。

 

「くっそ、読み負けた!」

 

「ふふ、ジャンケンもエイムだよ」

 

「違うだろ」

 

 熾烈な戦いは続いた。

 

 そして最後に残ったのは、0期生代表ときのそらと、ゲーマーズ代表大神ミオだった。

 

 会議室が静まり返る。

 

 みこは祈るように両手を組んでいた。

 

「そら先輩……! 頼むにぇ……!」

 

 すいせいも腕を組んでいたが、その指先は少し震えていた。

 

 フブキはミオの背中に向かって両手を合わせている。

 

「ミオ、ここで勝ったらゲーマーズの未来が変わります」

 

「背負わせないでよ……」

 

 ミオは苦笑した。

 

 そらは静かに微笑んだ。

 

「ミオちゃん、よろしくね」

 

「うん。そらちゃん、よろしく」

 

 二人は拳を出す。

 

「最初はグー」

 

 空気が張り詰める。

 

「ジャン、ケン――」

 

「ぽん」

 

 そらはパー。

 

 ミオはグー。

 

 一瞬の沈黙。

 

 次の瞬間。

 

「勝った……!」

 

 みこが叫んだ。

 

「0期生だああああああああああ!!」

 

 すいせいが珍しく拳を握りしめた。

 

 AZKiはほっとしたように息を吐く。

 

 ロボ子は「やったー」と両手を上げた。

 

 会議室のあちこちからは、悔しそうな呻き声が上がった。

 

「ぐあああああああ!」

 

「そら先輩、強すぎるぺこ!」

 

「これが原初の力……」

 

「ジャンケンで神話作るな」

 

 YAGOOは静かに頷いた。

 

「では、最初の顔合わせは0期生ということで」

 

 こうして、桜井ユウトと最初に正式な顔合わせを行う期生は、0期生に決まった。

 

 もちろん。

 

 そんなことを、当の桜井ユウトはまだ何も知らない。

 

 ~~~~~~~~

 

 同じ頃。

 

 僕――桜井ユウトは、火威青の自宅にいた。

 

 正確には、青の部屋にいた。

 

 目の前には原稿用紙。

 

 右手にはペン。

 

 机の上には、トーン、定規、消しゴム、ベタ用のインク、資料用の本、そしてなぜか半分食べかけのチョコレート菓子。

 

 床にはクッションがいくつか転がっていて、部屋の隅には画材が山のように積まれている。壁際の本棚には、漫画、イラスト集、ファッション誌、資料集がぎっしり詰まっていた。

 

 火威青。

 

 僕の一つ下の後輩。

 

 学校では、男子よりも女子にモテると評判の、クールで中性的な雰囲気を持つ美人。廊下を歩けば後輩から黄色い声を浴び、授業中に窓際で頬杖をついているだけで絵になるような、いわゆる王子様タイプ。

 

 ……というのが、学校での表向きの評価だ。

 

 僕から見た青は少し違う。

 

 クールを装っているくせに、興味のある漫画や映画やキャラクターの話になると、急に目を輝かせて早口になる。

 

 格好つけた台詞を言った三秒後に段差でつまずく。

 

 自分の作ったキャラクター設定に入り込みすぎて、深夜に長文メッセージを送ってきたあと、翌朝になって「昨日の僕は忘れて」と言ってくる。

 

 つまり、放っておくには危なっかしい後輩だった。

 

「ユウト先輩、そこの集中線、もう少し鋭くできますか?」

 

 隣から声をかけてきたのは、音ノ瀬奏だった。

 

 青と同級生で、僕を慕ってくれている後輩の一人だ。

 

 彼女は青の部屋に置かれた低いテーブルの反対側で、原稿用紙を覗き込みながらペンを動かしていた。いつもの制服姿ではなく、ゆったりした部屋着の上に薄手のカーディガンを羽織っている。髪も普段より少しラフにまとめていて、学校で見る時よりもずいぶん気が抜けている印象だった。

 

「このコマ?」

 

「はい。主人公が敵に向かって踏み込むところなので、もっとこう……バッ! って感じがほしいです」

 

「バッ、か。分かるような分からないような」

 

「ニュアンスです、ニュアンス」

 

 奏は真剣な顔で頷く。

 

 その横で、轟はじめが床に座り込みながら、効果音の書き文字を練習していた。

 

「ユウト先輩、これ“ドゴォ”と“ズガァ”ならどっちが強そうっしゅか?」

 

「場面によるかな」

 

「じゃあ、魂に響くのは?」

 

「その質問はもっと難しいな」

 

 はじめは「むむむ」と唸りながら、紙に大きく“ドゴォ”と書き足した。

 

 彼女もまた青の同級生で、僕を慕ってくれている後輩だ。普段は元気で勢いがあって、独特のリズムで周囲を巻き込むタイプ。今日はゆるいパーカーに短めのパンツという、かなり動きやすそうな格好をしている。髪も少し崩れていて、完全に作業モードだった。

 

 そしてこの部屋の主である青は、僕の正面で原稿を抱え込みながら、神妙な顔でネームを見つめていた。

 

 青も今日は、学校で見るような整った外行きの服ではない。大きめのシャツに、ゆったりしたパンツ。袖はまくり上げられ、髪も少しだけ乱れている。眼鏡をかけているせいか、普段の王子様感はかなり薄れていて、どちらかといえば締切前の漫画家志望者という表現がしっくり来た。

 

「青」

 

「ん?」

 

「この敵キャラ、三ページ前と言ってることが違うけど大丈夫?」

 

「えっ」

 

 青はものすごい速度で僕の手元を覗き込んできた。

 

「どこ?」

 

「ここ。最初は“復讐のために戦う”って言ってるのに、こっちでは“退屈だから壊す”になってる」

 

「……あ」

 

 青の顔から、すっと血の気が引いた。

 

 奏が呆れたように言う。

 

「青くん、また設定が途中で変わったんですか?」

 

「い、いや、これは違うんだ奏ちゃん。敵キャラの内面にある二面性を表現していて……」

 

「青たん、それたぶん今考えたやつっしゅよね?」

 

 はじめが遠慮なく刺す。

 

 青は胸に手を当てて、わざとらしく遠くを見る。

 

「ばんちょう。創作者というものは、時に今この瞬間の閃きによって過去の自分すら超えていくものなんだよ」

 

「要するに設定ミスっしゅね」

 

「……はい」

 

 僕は思わず笑ってしまった。

 

「青らしいな」

 

「ユウト先輩、それ褒めてます?」

 

「半分くらいは」

 

「残り半分は?」

 

「いつものことだなって」

 

「それは褒めてない!」

 

 青が不満げに声を上げる。

 

 奏とはじめが笑う。

 

 僕も、ペンを持ったまま小さく笑った。

 

 こういう時間は、不思議と落ち着く。

 

 さくら神社に行ってから数日。

 ホロライブの人たちと関わるようになってから、僕の日常には確かな変化があった。

 

 みこさんとすいせいさんからのメッセージ。

 

 最初は、二人とも探るようだった。

 

『今日はちゃんと寝た?』

 

『学校どうだったにぇ?』

 

『時計、変な反応してない?』

 

『無理してない?』

 

『ご飯食べた?』

 

 そんな、どこか距離を測るようなメッセージがぽつぽつと届いていた。

 

 けれど、いつからか堰を切ったように増えた。

 

 みこさんは、神社で見つけた変な形の大根の写真を送ってきたり、たい焼きの話をしたり、唐突に「ユウトは犬派? 猫派? 巫女派?」と意味の分からない選択肢を投げてきたりする。

 

 すいせいさんは、ライブリハーサルの合間に「今の歌、あなたに聞かせたいかも」と送ってきたり、星空の写真を送ってきたり、かと思えば「既読ついたね。返事まだかなー?」と妙な圧をかけてくる。

 

 ひどい時は、数分に一回。

 

 もっとひどい時は、連続で通知が鳴る。

 

 普通なら、困るはずだ。

 

 相手は世界的な有名人だし、僕はただの高校生だ。

 

 距離感がおかしい。

 

 どう考えてもおかしい。

 

 なのに。

 

 嫌ではなかった。

 

 むしろ、通知が来るたびに、胸の奥が少しだけ温かくなる自分がいた。

 

 返信を考えている時、不思議と懐かしい気持ちになる。

 

 みこさんの妙な文章に呆れながら返事を打つ時も。

 

 すいせいさんの少し強引なメッセージに戸惑いながら返す時も。

 

 どこか、以前にもこんな風にやり取りをしていたような感覚がある。

 

 もちろん、記憶は戻らない。

 

 過去は今も霧の向こうだ。

 

 それでも、その霧の奥から、手を伸ばせば届きそうな温度だけが、時々ふっと僕の指先に触れる。

 

 だから僕は、前より少しだけ笑えるようになったのかもしれない。

 

「……ユウト先輩」

 

「ん?」

 

 奏に呼ばれて顔を上げると、彼女は僕の顔をじっと見ていた。

 

「何かいいことありました?」

 

「え?」

 

「さっきから、ちょっと楽しそうです」

 

 その言葉に、青のペンがぴたりと止まった。

 

 はじめも顔を上げる。

 

「たしかに。ユウト先輩、なんか今日やわらかいっしゅ」

 

「柔らかい?」

 

「雰囲気がっしゅ。いつもはこう、静かで、遠く見てる感じなんすけど。今日はちょっとだけ、ちゃんとここにいる感じがするっしゅ」

 

 はじめの言葉は、妙に真っ直ぐだった。

 

 僕は少し困って、ペンを回した。

 

「そうかな。自分ではよく分からないけど」

 

「ありますよ、そういうの」

 

 奏が頷く。

 

「人って、自分の変化には案外鈍いですから」

 

「奏ちゃん、急に大人っぽいこと言うね」

 

 青が横から茶化す。

 

「青くんが子供っぽいだけです」

 

「辛辣だなぁ」

 

 軽口が飛び交い、また作業に戻る。

 

 しばらくは、ペンの音だけが部屋に響いた。

 

 紙を擦る音。

 定規を置く音。

 はじめが「ズガァ……いや、ドガァ……」と小声で悩む声。

 青が設定ノートを捲りながら「この伏線、使える……いや、使えない……?」と呟く声。

 奏が丁寧にベタを塗る音。

 

 少しして、青が大きく伸びをした。

 

「よし、一回休憩にしよう。さすがに目が疲れた」

 

「賛成です」

 

 奏がペンを置く。

 

「うちも指が限界っしゅ」

 

 はじめも手をぷらぷら振った。

 

 僕もペンを置き、肩を回す。

 

「じゃあ、僕ちょっとお手洗い借りるよ」

 

「うん。廊下出て右ね」

 

「分かった」

 

 僕は立ち上がり、部屋を出た。

 

 扉が閉まる。

 

 その瞬間。

 

 部屋の中に、奇妙な沈黙が落ちた。

 

 青、奏、はじめ。

 

 三人は、しばらく誰も口を開かなかった。

 

 青は机の上に置かれた自分のペン先をじっと見つめていた。

 

 奏は自分の袖口をつまんでいる。

 

 はじめは床に座ったまま、膝を抱えるようにして視線を泳がせていた。

 

 最初に口を開いたのは、青だった。

 

「……ねぇ、奏ちゃん、ばんちょう」

 

「はい」

 

「なんすか、青たん」

 

「今の状況……結構恥ずかしいのでは?」

 

 その言葉に、奏とはじめが同時に固まった。

 

 数秒後。

 

 奏の顔がじわじわと赤くなっていく。

 

「……言わないでください、青くん」

 

「やっぱり?」

 

「気づかないふりをしていたんです」

 

 奏は自分のカーディガンの前をぎゅっと掴んだ。

 

 はじめも、急に自分の服装を見下ろした。

 

「うち、めっちゃラフな格好っしゅね……」

 

「ばんちょうは動きやすさ全振りだね」

 

「青たんも人のこと言えないっしゅよ。めっちゃ部屋着っしゅ」

 

「僕は家主だからいいんだよ」

 

「よくないです」

 

 奏が即座に言った。

 

「青くん、いつも学校ではあんなに格好つけてるのに、今日は完全に作業部屋の人です」

 

「奏ちゃん、言い方」

 

「だって事実です」

 

 青は言い返そうとして、自分の袖を見た。

 

 まくり上げた袖。

 

 少し乱れた髪。

 

 作業用の眼鏡。

 

 インクが少しだけついた指先。

 

 学校で女子たちから「青様」と呼ばれる火威青の姿とは、だいぶ違う。

 

 奏も、はじめも同じだった。

 

 ユウトが来る前から三人で漫画制作をしていたため、完全に気を抜いた格好だった。外に出るための服ではない。人に見せるための姿でもない。

 

 ましてや。

 

 自分たちが慕っている先輩に見られるための格好ではない。

 

 その事実に、三人は今さらながら気づいてしまった。

 

「……ユウト先輩、何も言わなかったっすね」

 

 はじめがぽつりと言う。

 

「うん」

 

 青が頷く。

 

「何も言わなかったね」

 

「気づいてないんでしょうか」

 

 奏が呟く。

 

 青は少し考えた。

 

「気づいてない、というより……気にしてないんだと思う」

 

 その言葉に、三人の間にさらに複雑な沈黙が落ちた。

 

 ユウトは優しい。

 

 少しぶっきらぼうで、静かで、どこか遠くを見ているような人だが、周囲をよく見ている。

 

 青の設定ミスにも気づく。

 

 奏がペンを持ち替えた時、手が疲れていることにも気づく。

 

 はじめが集中力を切らしかけると、自然に話題を振って気分転換させる。

 

 気づかない人ではない。

 

 むしろ、気づきすぎるくらいの人だ。

 

 なのに、自分たちの格好に関しては、何も言わない。

 

 それは安心でもあった。

 

 変にからかわれない。

 

 変な目で見られない。

 

 だから一緒にいて落ち着く。

 

 けれど同時に、少しだけ悔しい。

 

 慕っている先輩に、少しは意識してほしい。

 

 そう思ってしまう自分がいる。

 

「……ユウト先輩って、そういうところありますよね」

 

 奏が小さく言った。

 

「優しいんですけど、優しすぎて、こっちが女の子として意識されてない気がするというか」

 

「分かるっしゅ」

 

 はじめが勢いよく頷いた。

 

「うちら、後輩としては可愛がられてる気がするでしゅよ。でも、それ以上は全然っしゅ。たぶんユウト先輩の中では、うちら“手のかかる後輩”枠っしゅ」

 

「ばんちょう、それ僕にも刺さる」

 

「青たんは一番手がかかるっしゅ」

 

「否定できない……」

 

 青は苦笑した。

 

 けれど、その笑みはすぐに消えた。

 

「でもさ」

 

 青は、自分の膝の上で手を組んだ。

 

「最近の先輩、少し変わったよね」

 

 奏とはじめが青を見る。

 

「前は、笑っててもどこか遠かった。僕たちと話してても、半分くらい心が別の場所にあるみたいだった」

 

「……はい」

 

 奏が静かに頷く。

 

「でも、今日は違う。さっき笑った時、本当に楽しそうだった」

 

「それは、いいことっしゅよね」

 

 はじめが言う。

 

 青は頷いた。

 

「うん。いいことだよ」

 

 けれど、その声には少しだけ苦味が混ざっていた。

 

「でも……少し悔しい」

 

 奏とはじめは何も言わなかった。

 

 青のその感情は、二人にも分かってしまったからだ。

 

 ユウトの心が、少し開いた。

 

 それ自体は嬉しい。

 

 だが、そのきっかけが自分たちではないことが、悔しい。

 

 入学した時から、なぜか彼のことが放っておけなかった。

 

 青は、最初からユウトに絡んでいた。

 

 どこか空っぽで、どこか危うくて、普通に笑っているのに、今にも消えてしまいそうな先輩。

 

 その横顔が気になった。

 

 気づけば声をかけていた。

 

 気づけば漫画の相談をしていた。

 

 気づけば、自分の部屋に呼んで原稿を手伝ってもらうくらいの距離になっていた。

 

 奏も、はじめも同じだ。

 

 ユウト先輩は、放っておけない。

 

 そう思って近づいて、少しずつ慕うようになった。

 

 それなのに。

 

 彼の表情を柔らかくしたのは、出会って十数分か、せいぜい数十分の誰かだった。

 

 その誰かが誰なのか、ユウトはぼかしていた。

 

 さくら神社に行ったこと。

 

 そこで少し、不思議な出会いがあったこと。

 

 大切な何かに触れたような気がしたこと。

 

 それだけしか話していない。

 

 でも、青には分かった。

 

 その誰かは、ユウトの心に触れた。

 

 自分たちがずっと手を伸ばしても届かなかった場所に、簡単に入り込んだ。

 

「……ずるいな」

 

 青は小さく呟いた。

 

 奏が目を伏せる。

 

「青くん」

 

「分かってる。相手が悪いわけじゃない。ユウト先輩が少しでも楽になったなら、それは喜ぶべきことだよ」

 

 青は笑おうとした。

 

 けれど、その笑みは少しだけ歪んでいた。

 

「でも、悔しいものは悔しいんだ」

 

 はじめは、膝を抱えたまま唇を尖らせた。

 

「うちも、ちょっと分かるっす。ユウト先輩には笑っててほしいっす。でも、その笑顔を引き出したのが誰か分かんないの、なんかモヤるっす」

 

「はい」

 

 奏も静かに言った。

 

「私も、少しだけ……嫉妬しています」

 

 その言葉を口にした瞬間、奏は自分で驚いたように目を伏せた。

 

「……こんなこと、思うつもりなかったんですけど」

 

「奏ちゃん」

 

「ユウト先輩が元気になるなら、それでいいと思っていました。今でもそう思っています。でも……私たちの前では見せなかった表情を、誰かには見せたのかもしれないと思うと、少し苦しいです」

 

 青も、はじめも、何も言わなかった。

 

 三人の間に、小さな沈黙が落ちる。

 

 それは暗い沈黙ではなかった。

 

 むしろ、初めて三人が同じ感情を共有した瞬間だった。

 

 ユウト先輩を慕っている。

 

 ユウト先輩に笑ってほしい。

 

 でも、自分たち以外の誰かが彼の心を開いたことが、悔しい。

 

 自分たちも、もっと彼の近くに行きたい。

 

「……ねぇ」

 

 青が顔を上げた。

 

「このままじゃ、嫌だよね」

 

 奏とはじめが青を見る。

 

「僕たちだって、ユウト先輩の近くにいるんだ。だったら、ただ見てるだけじゃなくて、もっと踏み込んでもいいと思う」

 

「踏み込む、ですか」

 

「うん」

 

 青は少しだけ、いつもの王子様めいた笑みを取り戻した。

 

「まずは、ユウト先輩に僕たちをちゃんと意識させるところからだね」

 

「青くん、それは具体的には?」

 

「……えっと」

 

 青は数秒考えた。

 

「原稿の締切を守る」

 

「それは人として当然です」

 

 奏が即答した。

 

「青たん、恋愛以前の問題っしゅ」

 

「うるさいなぁ!」

 

 はじめが笑い、奏も小さく笑った。

 

 さっきまでの重い空気が、少しだけ軽くなる。

 

 その時、廊下から足音が聞こえた。

 

「戻ったよ」

 

 扉の向こうから、ユウトの声。

 

 三人は同時に跳ねた。

 

「わ、わわっ!」

 

 奏が慌てて原稿を整える。

 

「何も話してないっしゅ!」

 

「ばんちょう、それは逆に怪しい!」

 

 青が小声で叫ぶ。

 

 扉が開いた。

 

 ユウトが部屋に戻ってくる。

 

 ユウトは、部屋の中に流れる妙な緊張感に首を傾げた。

 

「……どうかした?」

 

「な、何でもないですよ、ユウト先輩」

 

 奏がやけに丁寧に笑う。

 

「しょうっしゅ! 何もないっしゅ!」

 

 はじめが力強く頷く。

 

 青は涼しい顔を作ろうとしていたが、眼鏡が少しずれていた。

 

「うん。何もないですよ、先輩。ただ、創作における人間関係の機微について、少し議論していただけさ」

 

「……そう」

 

 どう考えても何かあった顔だった。

 

 けれど、追及するのも野暮な気がした。

 

 ユウトは再び席に戻り、ペンを取る。

 

「じゃあ、続きやろうか。青、この敵キャラの台詞、直すんだろ?」

 

「うっ……そうだった」

 

 青が現実に引き戻されたように原稿を見る。

 

 奏とはじめも、それぞれペンを持ち直した。

 

 作業が再開する。

 

 けれど。

 

 さっきまでと、ほんの少しだけ空気が違っていた。

 

 奏は時々、ユウトの顔をちらりと見ては慌てて原稿に目を戻す。

 

 はじめはユウトに効果音を見せる時、少しだけ距離が近くなった。

 

 青は妙に格好つけた台詞を言おうとして、途中で照れて咳払いをする。

 

 ユウトには、その理由までは分からない。

 

 ただ、何となく。

 

 三人との距離が、さっきより少しだけ近くなったような気がした。

 

 チ、チ、チ、チ――。

 

 胸ポケットの懐中時計が、静かに時を刻む。

 

 ホロライブの事務所で、ユウトの知らない顔合わせの順番が決まっていることも。

 

 0期生が最初に来ることも。

 

 そして、目の前の後輩たちがユウトに向ける感情の名前に、少しずつ気づき始めていることも。

 

 ユウトはまだ、何も知らなかった。

 

 それでも。

 

 青の部屋に響くペンの音は、どこか温かかった。

 

 失われた過去ではなく、今ここにある現在が、ほんの少しだけ僕の足元を照らしているような気がした。

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