hololive Lost Story 作:ダニエルズプラン
日曜日の昼前。
桜井ユウトは、自宅のベッドの上に寝転がっていた。
カーテンの隙間から差し込む陽光が、部屋の床に細い光の帯を作っている。窓の外では、いつものようにホロアースの街が動いていた。遠くを魔導飛行船が横切り、隣の建物の屋上では小型の翼竜を連れた獣人の少年が、洗濯物を干している。
いつも通りの休日。
いつも通りの部屋。
けれど、ユウトの手の中にある端末の画面だけは、明らかに数週間前とは違っていた。
連絡先一覧。
そこには、以前にはなかった名前がいくつも並んでいる。
谷郷元昭。
さくらみこ。
星街すいせい。
ときのそら。
ロボ子さん。
AZKi。
友人A。
昨日の0期生との顔合わせで、一気に四人分増えた。
ときのそら。
ロボ子さん。
AZKi。
Aちゃん。
まつりとフブキに関しては、あの入口前での騒ぎのあと、YAGOOとAちゃんによって「連絡先交換は正式な顔合わせの時に」と厳重に止められていた。
まつりは心底不満そうだったし、フブキも何食わぬ顔で端末を出そうとしていたが、Aちゃんの「だめです」の一言により、二人は揃って沈黙した。
その光景を思い出し、ユウトは小さく息を吐く。
「……本当に、何だったんだろうな」
独り言が部屋に落ちる。
昨日のことを思い返すと、まだ現実感が薄い。
ホロライブ事務所。
0期生との顔合わせ。
自分の過去を語る彼女たち。
Aちゃんのさりげない抜け駆け案内。
そして、最後に入口で飛びついてきた夏色まつり。
情報量が多すぎる。
多すぎて、今でも全部が整理できているとは言い難かった。
ユウトは、端末のコミュニケーションアプリを開く。
メッセージ欄には、昨日から今朝にかけて届いた文章が並んでいた。
『昨日は来てくれてありがとう。ちゃんと帰れたかな?』
ときのそら。
『ユウトさん! 昨日会えてほんとに嬉しかったよ! 今度ロボ子さんのすごいところいっぱい見せるね!』
ロボ子さん。
『昨日はありがとうございました。無理をさせていたらごめんなさい。次は、歌の話もできたら嬉しいです』
AZKi。
『昨日はお疲れさまでした。何か困ったことがあれば、いつでも連絡してください』
Aちゃん。
その下には、いつものようにみことすいせいからのメッセージもある。
『ユウト、昨日ちゃんと寝たにぇ? みこちは心配してるにぇ!』
『昨日の呼び方、忘れてないよね? すいちゃんだよ。すいちゃん』
『まつりちゃんに抱きつかれてた時の感想、正直に言って』
『すいちゃん、そこ聞くのはちょっと怖いにぇ』
『でも気になるよね?』
『気になるにぇ』
『ユウト、返事待ってるね』
『待ってるにぇ』
なぜか二人が個別メッセージで会話を始めている。
「僕の端末を掲示板にしないでほしい……」
ユウトはそう呟きながらも、口元にはかすかな苦笑が浮かんでいた。
以前なら、こんな通知の量を見たら困惑だけが勝っていたかもしれない。
今でも困惑はある。
普通の高校生の端末に、世界的なトップ冒険者たちから次々とメッセージが飛んでくる状況は、どう考えても普通ではない。
だが、不快ではなかった。
むしろ、返信を考えているうちに、自分でも説明できない落ち着きが胸の奥に生まれる。
知らないはずの人たち。
覚えていないはずの過去。
けれど、メッセージの一つひとつには、こちらを気遣う温度があった。
押しつけがましいものもある。
距離感がおかしいものもある。
若干、いやかなり、重いものもある。
それでも、その奥にある感情が偽物ではないことだけは分かる。
ユウトは端末を持ったまま、しばらく天井を見つめた。
ホロライブの人たちは、自分を知っている。
自分は、彼女たちを知らない。
その差はまだ大きい。
昨日も、0期生たちの話を聞きながら、何度も思った。
本当に、それは自分の話なのか。
彼女たちが懐かしそうに語る「桜井ユウト」という男は、今ここでベッドに寝転がって端末を眺めている自分と同一人物なのか。
同じ名前。
同じ顔。
同じ身体。
けれど、彼女たちの中にいる自分は、どこか遠い。
それでも。
会ってみなければ、何も分からない。
昨日、0期生と会ったことで、それだけは少しはっきりした。
知らないままでいるより、会った方がいい。
自分が何を思うかは、その時にならなければ分からない。
ユウトはゆっくりと起き上がった。
ベッドの上で胡座をかき、端末の連絡先からYAGOOの名前を開く。
数秒、文面を考える。
それから、短く打った。
『谷郷さん。次の顔合わせの日程は決まっていますか?』
送信。
すぐに既読はつかなかった。
YAGOOも忙しいだろう。
ユウトは端末を置き、机の上にある進路希望調査書を見る。
相変わらず白紙だ。
だが、その白紙を見る時の感覚は、以前とは少し違う。
何もない空白。
ではなく。
まだ書いていない余白。
そう思える時間が、少しだけ増えていた。
チ、チ、チ、チ――。
胸元の懐中時計が、静かに時を刻む。
しばらくして、端末が鳴った。
YAGOOからだった。
『連絡ありがとう、桜井くん。次は1期生との顔合わせを予定しています。もし君の都合がよければ、次の土曜日に事務所へ来てもらえますか。もちろん、無理はしなくて大丈夫です』
ユウトは少しだけ画面を見つめた。
1期生。
夏色まつり。
白上フブキ。
夜空メル。
アキ・ローゼンタール。
赤井はあと。
まつりとフブキには、すでに会っている。
というより、まつりには飛びつかれた。
フブキには尾行された。
残りの三人とは、まだ会っていない。
どんな人たちなのか。
どんな顔で、自分を見るのか。
想像すると、少しだけ胃が重くなる。
だが、ユウトは返信した。
『分かりました。次の土曜日、伺います』
送信。
返事はすぐに来た。
『ありがとう。無理のない範囲で。詳しい時間は改めて送ります』
ユウトは端末を伏せた。
窓の外を、翼を持つ人影が二つ、楽しそうに飛んでいく。
「……また、事務所か」
小さく呟く。
不安はある。
けれど、不思議と行きたくないとは思わなかった。
~~~~~~~~
そして、次の土曜日。
ユウトは再びホロライブ事務所の前に立っていた。
前回と同じく、昼前。
空はよく晴れている。
オルタナティブシティの空中回廊には多くの人が行き交い、事務所前の通りにも休日らしい賑わいがあった。
ユウトは建物を見上げる。
灰色の控えめな外壁。
目立たない入口。
しかし胸ポケットの懐中時計は、ここがただの建物ではないことを告げるように、静かに時を刻んでいた。
チ、チ、チ――。
「……今日は、何も起きないといいけど」
思わずそんなことを呟いてから、自分で少しだけ疑わしくなる。
これまでの流れを考えると、何も起きない方がおかしい気がする。
ユウトは軽く首を振り、入口へ向かった。
自動扉が開く。
ロビーに入ると、前回とは違うスタッフが待っていた。
Aちゃんではない。
ユウトは、ほんの少しだけ安心した。
前回のように案内役が突然知り合いだった、ということはなさそうだ。
いや、知り合いと言っていいのかは分からないが。
「桜井ユウトさんですね」
案内役の女性が、柔らかく声をかけてきた。
落ち着いた雰囲気の人だった。
清潔感のあるスタッフ服に、柔らかな表情。
Aちゃんよりも少し後輩らしい空気があり、けれど仕事の手際は良さそうだった。
「はい。桜井ユウトです。本日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。お待ちしておりました」
女性は丁寧に頭を下げた。
「本日の顔合わせ会場までご案内しますね」
「お願いします」
ユウトは軽く会釈する。
Aちゃんではない。
それを確認して、少しだけ肩の力が抜けた。
案内役の女性は、ロビーから廊下へ進む。
ユウトはその後を追った。
前回と同じように、廊下にはいくつもの部屋が並んでいる。配信スタジオ、会議室、資料室。どこからか、スタッフの話し声や機材の稼働音が微かに聞こえる。
胸ポケットの時計が、静かに鳴る。
「前にも来られたんですよね」
案内役の女性が、歩きながら尋ねてきた。
「はい。一度だけ」
「0期生の皆さんとの顔合わせでしたよね」
「そうです」
「どうでしたか?」
「……少し、圧倒されました」
ユウトが正直に言うと、女性は小さく笑った。
「分かります。0期生の皆さんは、普段は優しいですけど、大切なことになるとすごく真剣ですから」
「はい。それは、よく分かりました」
「でも、皆さん本当に嬉しそうでした」
「……そうでしたか」
「はい」
女性は前を向いたまま、少しだけ声を柔らかくした。
「あなたが来てくれたことが、本当に嬉しかったんだと思います」
ユウトは、その言葉に返事をしなかった。
いや、できなかった。
その言い方に、どこか引っかかるものがあった。
まるでこの人も、0期生たちと同じ側にいるような口ぶりだった。
ユウトは少しだけ眉を寄せる。
「あの」
「はい?」
「失礼ですが、お名前を伺っても?」
女性は足を止めた。
そして、ゆっくりと振り返る。
その表情には、どこか「やっぱり聞かれましたね」と言いたげな微笑みが浮かんでいた。
「申し遅れました」
彼女は丁寧に頭を下げる。
「春先のどかと申します」
「春先……のどかさん」
その名前を口にした瞬間、胸ポケットの懐中時計が短く鳴った。
チ、と。
ユウトの指が無意識に胸元へ動く。
「……あなたも」
ユウトは、少しだけ目を細めた。
「僕のことを、知っているんですか」
のどかは、驚かなかった。
ただ、少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「はい」
短い返事だった。
「前の世界で、あなたにはお世話になりました」
「……そうですか」
「ただ、今日はまず1期生の皆さんとの顔合わせが本題です。私の話は、また改めて」
「もしかして」
ユウトは少しだけため息を吐いた。
「本来の案内役のスタッフさんと、交代しましたか?」
のどかは一瞬、黙った。
それから、視線を少し横に逸らした。
「……現場判断です」
「Aちゃんと同じこと言ってる」
「先輩から学びました」
「学ばなくていいところでは?」
「そうかもしれません」
のどかは、少し困ったように笑った。
その笑顔には、悪びれたところはあまりない。
だが、軽い気持ちでもない。
ユウトはそれ以上、追及しなかった。
Aちゃんも、のどかも。
彼女たちはおそらく、同じ思いでここにいる。
待っていたのだ。
自分のことを。
その気持ちを完全に理解することは、今のユウトにはできない。
けれど、無下にする気にもなれなかった。
「……分かりました。案内、お願いします。のどかさん」
「はい」
のどかは、嬉しそうに微笑んだ。
「こちらです」
再び歩き出す。
ユウトも続く。
廊下の先には、前回とは別の会議室があった。
扉の前で、のどかが一度立ち止まる。
「中では皆さんが待っています」
「はい」
「それと、少しだけ驚くかもしれません」
「……もう慣れてきました」
「それは頼もしいですね」
「慣れたくはなかったですけど」
ユウトの言葉に、のどかはくすりと笑った。
「では、開けますね」
彼女が扉に手をかける。
ユウトは深く息を吸った。
チ、チ、チ――。
懐中時計が、静かに鳴る。
扉が開いた。
~~~~~~~~
部屋に入った瞬間、ユウトの目に飛び込んできたのは、まず天井を見上げているYAGOOだった。
彼は椅子に座ったまま、何かを悟ったような、あるいは全てを諦めたような表情で天井を見つめている。
その隣には、すまし顔のAちゃん。
まるで「私は何も知りません」とでも言いたげな、完璧な仕事顔をしている。
そして、その前。
右端に、二人の少女が正座していた。
夏色まつり。
白上フブキ。
二人の首には、それぞれ大きな看板が下げられている。
『私は抜け駆けしました』
達筆だった。
妙に達筆だった。
しかも、まつりの看板には小さく「飛びつきました」と追記されており、フブキの看板には「尾行しました」と丁寧に書き足されていた。
その横に、一列に並ぶ1期生の面々。
夜空メル。
アキ・ローゼンタール。
赤井はあと。
そして、正座中のまつりとフブキ。
全員が、ユウトの方を見ていた。
まつりは涙目で、しかしどこか嬉しそう。
フブキは笑顔を保とうとしているが、看板の存在感がすべてを台無しにしている。
メルは両手を胸元で合わせ、今にも泣き出しそうな柔らかな表情。
アキロゼは穏やかに微笑みながらも、瞳の奥に深い感情を宿している。
はあと――あるいは、はあちゃまは、腕を組みながらこちらを見ていたが、その表情はいつもの破天荒さよりずっと真剣だった。
ユウトは無言で数秒、部屋の中を見渡した。
そして、ゆっくりと口を開く。
「……これは、何ですか」
YAGOOが天井を見上げたまま答えた。
「再発防止策です」
「再発」
「待ち伏せ、尾行、抜け駆け、飛びつき。そういった一連の行為に対する、視覚的な反省の表明です」
「看板で?」
「はい」
「達筆ですね」
「Aくんが書きました」
ユウトはAちゃんを見る。
Aちゃんはすまし顔のまま頷いた。
「心を込めました」
「込める方向性が独特ですね」
「反省は分かりやすい方がいいので」
まつりが正座したまま、ぷるぷる震えている。
「ユウトさん……まつり、反省してるよ……」
「看板を見る限り、そうみたいですね」
「でも、会えて嬉しかったのは本当だから……」
「それは昨日も聞きました」
「今日も言う!」
「……はい」
フブキが隣で笑顔を作る。
「ユウトくん、白上も深く反省しております」
「尾行についてですか?」
「はい。非常に深く」
「看板に書いてありますね」
「はい。達筆ですね」
「誤魔化そうとしてません?」
「してませんよぉ」
そのやり取りを聞いて、メルがくすりと笑った。
アキロゼも少しだけ肩の力を抜く。
はあちゃまは、腕を組んだまま小さく呟いた。
「相変わらずツッコミ鋭いじゃん……」
その言葉に、ユウトは視線を向ける。
「相変わらず、ですか」
「あ」
はあちゃまは一瞬、しまったという顔をした。
だが、すぐに口元を引き結んだ。
「……うん。相変わらず」
短く、それだけ言った。
部屋の空気が少しだけ静まる。
のどかは、ユウトの斜め後ろに立ったままだった。
YAGOOがようやく天井から視線を戻す。
「桜井くん。来てくれてありがとう」
「はい。こちらこそ、お招きありがとうございます」
「本来なら、もう少し落ち着いた形で始める予定だったんだが」
YAGOOは、右端の二人をちらりと見る。
まつりとフブキは同時に目を逸らした。
「このような形になってしまった」
「いえ」
ユウトはもう一度、看板を見た。
「……印象には残りました」
「それは良かったのか悪かったのか」
Aちゃんが淡々と言った。
「悪い方ではないと思います」
ユウトの答えに、部屋の空気が少しだけ緩む。
まつりが小さく「よかったぁ……」と呟いた。
フブキも胸を撫で下ろす。
するとAちゃんが、すぐに言った。
「ただし、反省は継続してください」
「はい……」
「はい……」
二人は正座したまましゅんとした。
ユウトは、少しだけ苦笑した。
そして、改めて1期生たちに向き直る。
「桜井ユウトです。今日はよろしくお願いします」
彼が頭を下げると、1期生たちの表情が一斉に揺れた。
その仕草。
その声。
その礼儀正しさ。
前世の桜井ユウトと同じものが、そこにあった。
けれど、彼の瞳はまだ自分たちを知らない。
その事実が、喜びと痛みを同時に呼び起こす。
YAGOOが静かに進行を始めた。
「では、前回と同じく、まずは自己紹介からにしましょう」
ユウトは頷き、案内された席に座った。
のどかは自然にYAGOOの隣へ移動する。
Aちゃんはすまし顔で立っているが、ちらりとのどかを見た。
「のどかさん」
「はい」
「案内役を交代しましたね?」
「現場判断です」
「私の時と同じ言い訳ですね」
「先輩の背中を見て育ちました」
「育たなくていいところです」
YAGOOが小さくため息を吐く。
「……スタッフ側にも、後で話し合いが必要そうだね」
「代表、今日は1期生の顔合わせです」
Aちゃんが真顔で言う。
「そうだね。そうだったね」
YAGOOは自分に言い聞かせるように頷いた。
自己紹介は、正座中の右端からではなく、左側のメンバーから始まることになった。
最初に前へ出たのは、夜空メルだった。
金色の髪が柔らかく揺れ、吸血鬼らしい神秘的な雰囲気をまとっている。けれど、ユウトを見る目はとても優しかった。
「初めまして、だね。私は夜空メル。ホロライブ1期生で、ヴァンパイアだよ」
「ヴァンパイア……」
「怖くないよ?」
メルは少しだけ笑う。
「この世界では、夜の魔力や魅了の力を使って戦ったり、配信では歌ったりお話したりしてるの」
「よろしくお願いします、夜空さん」
「メルでいいよ」
「……メルさん」
「うん。最初はそれでもいいかな」
メルは微笑んだ。
その笑顔には、焦らない優しさがあった。
「前の世界でも、ユウトさんは私たちのことをよく見てくれてた。私が困ってる時、気づいたら助けてくれてた。たぶん、本人は当たり前のことだと思ってたんだろうけど……私にとっては、すごく大きかったんだ」
ユウトは黙って聞く。
「また会えて嬉しい。覚えてなくても、本当に嬉しいよ」
「……ありがとうございます」
次に、アキ・ローゼンタールが前へ出た。
柔らかな雰囲気と、異国めいた美しさを持つ女性。耳の形や纏う魔力から、この世界ではエルフに近い種族なのだろうとユウトは思った。
「アキ・ローゼンタールです。みんなからはアキロゼって呼ばれることが多いかな。ホロライブ1期生で、歌やダンス、冒険では植物や精霊に関わる魔法を扱っています」
「よろしくお願いします、アキロゼさん」
「こちらこそ、よろしくね。ユウトくん」
アキロゼは、ユウトの名前をとても大切そうに呼んだ。
「前の世界ではね、あなたはいつも、少し離れたところから私たちを見ていてくれたの。ステージの上に立つ私たちの後ろで、照明や音響やスケジュールを気にして、何か起きたらすぐ動いてくれる」
彼女は小さく笑う。
「それでいて、褒めるのはちょっと下手だったかな」
「下手だったんですか」
「うん。『悪くなかったです』とか『次はもっと良くなります』とか、そういう言い方が多かった気がする」
Aちゃんが横から頷く。
「ユウトさんの褒め言葉としては、かなり上位です」
「そうなんですか」
ユウトが微妙な顔をする。
「前の僕、表現が足りないですね」
「でも、それが嬉しかったんだよ」
アキロゼは優しく言った。
「あなたがちゃんと見てくれているって、分かったから」
次は、赤井はあとだった。
彼女は腕を組み、少しだけ挑むような目でユウトを見ていた。
だが、その瞳の奥には、隠しきれない揺れがあった。
「赤井はあと。……まあ、はあちゃまって呼ばれることもあるけど」
「赤井さん」
「はあとでいい」
「はあとさん」
「……まあ、いいけど」
はあと――はあちゃまは、少しだけ不満そうに頬を膨らませた。
「私は1期生。前の世界でも、今の世界でも、色々やってる。料理とか、企画とか、配信とか、あと……まあ、いろいろ」
「いろいろ」
「いろいろ!」
彼女は強めに言ったあと、ふっと視線を逸らした。
「前のユウトは、私の無茶にけっこう付き合ってくれた。いや、止められたことも多いけど」
「止める側だったんですか」
「うん。でも、ただ止めるんじゃなくて、どうすれば形になるか考えてくれた」
はあちゃまは、指先をぎゅっと握った。
「私が変なことやろうとしても、頭ごなしに否定はしなかった。『それをやるなら、最低限ここは守れ』って言ってくれた。……それが、けっこう嬉しかった」
彼女の声は、少しだけ小さくなった。
「だから、また会えて……よかった」
ユウトは、静かに頷いた。
「話してくれて、ありがとうございます」
「……別に」
はあちゃまはそっぽを向いた。
耳が赤かった。
次は、看板を下げたままの夏色まつりだった。
「まつりは、夏色まつり! ホロライブ1期生! 元気とお祭りと可愛いもの担当!」
「昨日も会いましたね」
「昨日も会った! でも、ちゃんとした自己紹介は今日だから!」
まつりは正座したまま、胸を張った。
看板が揺れる。
『私は抜け駆けしました』
その文字がやたらと主張してくる。
ユウトはそこに視線を向けないようにした。
「前の世界のユウトさんは、まつりが泣いた時も、笑った時も、怒られた時も、なんだかんだそばにいてくれた」
まつりの声が、少しずつ震えていく。
「まつりが調子に乗りすぎた時は怒ってくれたし、落ち込んでる時は何も言わずに飲み物置いてくれたし、寂しい時は……忙しいのに、ちゃんと話を聞いてくれた」
涙が浮かぶ。
それでも、まつりは笑った。
「だから、昨日はごめんなさい。飛びついて。でも、会えたのが嬉しすぎて、止まれなかった」
「……はい」
「反省はしてる」
「看板にも書いてありますね」
「してるけど、後悔はしてない」
「それは反省と言えるんですか」
ユウトが淡々と突っ込むと、フブキが横で吹き出した。
まつりも一瞬きょとんとした後、泣き笑いのような顔になった。
「そういうところ、ほんとユウトさんだ……」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ温かくなる。
最後は、白上フブキだった。
彼女も正座したまま、看板を下げている。
だが、その姿勢は妙に綺麗だった。
「白上フブキです。ホロライブ1期生、兼ゲーマーズ。狐です。よろしくお願いします、ユウトくん」
「よろしくお願いします、白上さん」
「フブキでいいですよ」
「フブキさん」
「うーん、堅いですねぇ」
「初対面なので」
「初対面、ですか」
フブキの笑顔が、ほんの少しだけ寂しげになった。
けれど、すぐにいつもの柔らかな笑みへ戻る。
「前の世界で、白上はあなたにたくさん助けられました。企画の相談、配信の調整、メンバー同士の橋渡し。あなたはいつも、面倒な役回りを自然に引き受けてくれた」
「面倒な役回り」
「はい」
フブキは頷く。
「あなたは、自分が中心に立つ人ではありませんでした。でも、誰かが中心に立てるように、後ろから支えてくれる人でした。白上は、そういうあなたをとても信頼していました」
ユウトは、フブキの言葉を黙って聞いていた。
「だから、昨日はすみません。尾行しました」
「急に現実に戻りましたね」
「必要な謝罪ですので」
「看板にもありますね」
「はい。達筆です」
フブキは胸を張った。
Aちゃんが即座に言う。
「誇らないでください」
「はい」
フブキはすぐに姿勢を正した。
自己紹介が終わった。
1期生五人。
その全員が、ユウトを見ていた。
それぞれ違う表情で。
メルは柔らかく。
アキロゼは穏やかに。
はあちゃまは少し不器用に。
まつりは涙を堪えながら。
フブキは笑顔の奥に重さを隠して。
ユウトは、その視線を一つずつ受け止めた。
「ありがとうございます」
彼は静かに言った。
「皆さんのことを、少しだけ知れた気がします」
その言葉に、まつりがまた泣きそうになる。
フブキも、ほんの少しだけ目を細めた。
YAGOOがゆっくりと口を開く。
「では、次は桜井くんの前世について、1期生から見た彼の話を少しずつしてもらいましょう」
その瞬間、空気がまた変わった。
懐かしさと、痛みと、喜びと、喪失。
そのすべてが混じった時間が、これから始まる。
ユウトは、テーブルの上に置かれた温かい飲み物を一度見た。
今日はブラックコーヒーではなく、のどかが用意したらしい少し甘めの紅茶だった。
彼はカップを手に取り、一口飲む。
甘い。
前回の苦すぎるコーヒーとは違う味。
けれど、胸ポケットの懐中時計は変わらず鳴っている。
チ、チ、チ、チ――。
1期生との顔合わせは、抜け駆けの看板と、二人目の抜け駆け案内役を抱えたまま。
ゆっくりと、本題へ進み始めた。