hololive Lost Story   作:ダニエルズプラン

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第26話 屋台ラーメン・白獅子トラップ

 

 次の週末。

 

 桜井ユウトは、オルタナティブシティの大通りを一人で歩いていた。

 

 空は高く、青い。

 

 上空にはいくつもの魔導飛行船がゆっくりと航路を描き、遠くに浮かぶ大陸の影が、都市の高層ビル群のガラス壁に淡く映り込んでいる。休日のオルタナティブシティは相変わらず人通りが多く、人間、獣人、エルフ、天使、悪魔、魔導機械生命体が当たり前のように行き交っていた。

 

 その雑踏の中を、ユウトは制服姿ではなく、休日用の簡素な私服で歩いている。

 

 胸ポケットには、いつもの銀色の懐中時計。

 

 チ、チ、チ、チ――。

 

 布越しに伝わる秒針の音は、今日も静かだった。

 

 今日の目的は、もはや恒例になりつつあるホロライブ事務所での顔合わせ。

 

 次に会うのは、5期生。

 

 雪花ラミィ。

 桃鈴ねね。

 獅白ぼたん。

 尾丸ポルカ。

 

 0期生、1期生、2期生と順番に顔合わせを終え、そのたびにユウトは自分の知らない「桜井ユウト」について聞かされてきた。

 

 自分が前世でホロライブのスタッフ兼マネージャーだったこと。

 

 代表であるYAGOOにスカウトされ、カバー株式会社に入り、彼女たちの活動を支えていたこと。

 

 そして、仮面ライダーゼロノスとして、彼女たちの未来を守るために戦っていたこと。

 

 何度聞いても、現実味の薄い話だった。

 

 けれど、彼女たちの涙も、笑顔も、言葉も、すべて本物だった。

 

 だからユウトは、今日もここに来た。

 

 自分の失われた過去を知るために。

 

 自分が忘れてしまった彼女たちのことを、少しでも知るために。

 

 ただ、今日の顔合わせは午後からだった。

 

 5期生側の都合で、いつもより少し遅い時間に設定されている。

 

 ユウトは自宅で昼食を済ませてから来てもよかったのだが、少し早めに出てしまった。顔合わせ前に余裕を持っておきたかった、という理由もある。だが、実際のところ、落ち着かなかったという方が正しい。

 

 結果として、ちょうど昼時にオルタナティブシティへ着いてしまった。

 

「……どこかで昼を食べるか」

 

 ユウトは端末で周辺の店を検索しようとした。

 

 この辺りは大都市の中心部だけあって、飲食店はいくらでもある。高級レストラン、気軽なカフェ、回転寿司、異界料理の専門店。選択肢だけなら腐るほどあった。

 

 だが、ユウトは画面を開きかけたところで、ふと顔を上げた。

 

「……屋台?」

 

 ホロライブ事務所へ向かう道の少し手前。

 

 ビルの谷間にある、ちょっとした空きスペース。

 

 そこに、今の時代では少し珍しい、昔ながらの屋台が出ていた。

 

 赤い暖簾。

 

 簡素な木製のカウンター。

 

 湯気を上げる寸胴鍋。

 

 そして、暖簾に白い文字で大きく書かれた言葉。

 

『麵屋ぼたん』

 

 この世界にもラーメン文化はある。

 

 だが、オルタナティブシティの中心部で、しかもホロライブ事務所のすぐ近くに、昔ながらの屋台が出ているのはかなり珍しい。

 

 周囲の近代的なビル群と比べると、そこだけぽつんと別の時代から切り取られてきたような風情があった。

 

 湯気に混じって漂ってくる、醤油と出汁の香り。

 

 その匂いに、ユウトの腹が小さく鳴った。

 

「……ちょうどいいか」

 

 ユウトは屋台へ近づいた。

 

 カウンターには、客は誰もいない。

 

 店主らしき人物は、白い手ぬぐいを頭に巻き、顔の半分ほどを影に隠すようにして、寸胴鍋の前に立っていた。大柄ではないが、妙に落ち着いた立ち姿だった。手元の動きに無駄がない。

 

「すみません。やってますか?」

 

 ユウトが声をかけると、店主はゆっくりと顔を上げた。

 

「へい、いらっしゃい」

 

 低すぎず、高すぎず。

 

 どこか飄々とした声。

 

 ユウトは一瞬だけ引っかかりを覚えたが、それが何なのかは分からなかった。

 

「醤油ラーメン、一つお願いします」

 

「あいよ。普通盛りで?」

 

「はい」

 

「チャーシュー増しは?」

 

「……じゃあ、お願いします」

 

「味玉は?」

 

「お願いします」

 

「ネギは?」

 

「普通で」

 

「了解。ちょっと待っててね」

 

 店主は、慣れた手つきで麺を茹で始めた。

 

 ユウトはカウンターの丸椅子に座り、屋台の内側を何となく眺める。

 

 小さな屋台だが、やけに整っている。調味料の瓶はきれいに並び、丼も磨かれている。寸胴鍋から漂う香りは本格的で、単なるイベント用の簡易屋台には見えない。

 

 ただ、少しだけ妙だった。

 

 この屋台には、看板らしい看板がない。

 

 店名もない。

 

 価格表も簡素で、営業時間も書かれていない。

 

 まるで、今日この時だけ、ここに現れたような屋台だった。

 

 ユウトは少しだけ首を傾げた。

 

「この辺りで屋台って、珍しいですね」

 

「だよね」

 

 店主は麺の湯切りをしながら、軽い口調で答える。

 

「最近は許可とか衛生管理とか、いろいろ面倒だからねぇ。こういう昔ながらの屋台は、めっきり減ったよ」

 

「よく出せましたね」

 

「まあ、そこは腕と人脈ってやつかな」

 

「人脈」

 

「そうそう」

 

 店主は笑ったようだった。

 

 手ぬぐいの影で表情は見えづらいが、声に楽しげな響きがある。

 

 ユウトは、少しだけ目を細めた。

 

「店主さん、どこかで会ったことありますか?」

 

 店主の手が、一瞬だけ止まった。

 

 だが、それはほんの一瞬だった。

 

「いや? 初対面じゃない?」

 

「そうですか」

 

「うん。たぶんね」

 

「たぶん?」

 

「世の中、似た声の人っているから」

 

 店主はそう言って、丼にスープを注いだ。

 

 透き通った醤油スープ。

 

 そこへ茹で上げた麺が入り、チャーシュー、味玉、メンマ、ネギが手際よく乗せられていく。

 

 最後に、店主は香味油を少し垂らした。

 

 ふわりと、香りが立つ。

 

「お待ち」

 

 目の前に置かれたラーメンを見て、ユウトは素直に感心した。

 

 美味そうだった。

 

 きらきらと光るスープ。

 きれいに折りたたまれた麺。

 柔らかそうなチャーシュー。

 半熟の味玉。

 

 屋台というより、こだわりの専門店の一杯だ。

 

「いただきます」

 

 ユウトは箸を取り、まずスープを一口飲んだ。

 

「……美味しい」

 

 思わず声が漏れた。

 

 それほど、自然に美味しかった。

 

 醤油の香ばしさと、鶏と魚介の出汁。そこにほんの少し、獣人文化圏で使われる香草のような風味が混ざっている。くどくないのに、奥行きがある。身体に染みる味だった。

 

 店主が、ほんの少しだけ嬉しそうに肩を揺らす。

 

「そりゃよかった」

 

「本格的ですね」

 

「まあ、趣味みたいなものだから」

 

「趣味でこの味ですか」

 

「趣味こそ本気でやらないとね」

 

 ユウトは麺を啜る。

 

 細めだが、コシがある。スープとの絡みもいい。

 

 確かに美味い。

 

 ユウトはしばらく黙って食べ進めた。

 

 店主は、そんな彼を静かに見ていた。

 

 ユウトは気づいていない。

 

 暖簾の奥。

 

 白い手ぬぐいの影。

 

 その下で、店主――獅白ぼたんが、普段の穏やかな笑顔をほんの少しだけ崩しそうになっていることに。

 

 今日の顔合わせは午後。

 

 その情報を聞いた瞬間、ぼたんは考えた。

 

 ユウトは真面目だ。

 おそらく、少し早めにオルタナティブシティへ来る。

 そして、昼をどこかで取る可能性が高い。

 

 ならば、事務所近くに昼食の選択肢を用意しておけばどうなるか。

 

 それも、目立ちすぎない、けれど妙に気になる屋台。

 

 人通りはあるが、少しだけ落ち着いた場所。

 

 昼時。

 

 ラーメンの匂い。

 

 ユウトなら、入ってくるかもしれない。

 

 そう思って準備した。

 

 許可は取った。

 場所も押さえた。

 屋台も手配した。

 スープも仕込んだ。

 麺も選んだ。

 衣装も変えた。

 顔がすぐ分からないように、手ぬぐいと簡単な認識阻害の魔導具も用意した。

 

 すべては、ユウトと顔合わせ前に少しでも接触するため。

 

 普通なら抜け駆けだ。

 

 バレたらAちゃんとYAGOOに注意されるかもしれない。

 

 だが、ぼたんは思っていた。

 

 勝負とは、始まる前の準備でほとんど決まる。

 

 正面から感情をぶつけるラミィ。

 一直線に飛び込むねね。

 道化の仮面で距離を詰めるポルカ。

 

 それぞれに強みがある。

 

 なら、自分は自分のやり方でいく。

 

 静かに狙い、待ち、自然に相手を自分の距離へ誘導する。

 

 それが獅白ぼたんのやり方だった。

 

 そして、その狙いは見事に当たった。

 

 ユウトは今、何も気づかず、自分が作ったラーメンを食べている。

 

 それだけのことが、ぼたんの胸の奥を妙に温かくした。

 

 前の世界で。

 

 彼はよく、忙しさの合間に適当な食事で済ませようとしていた。

 

 カップ麺。

 コンビニのおにぎり。

 冷めた弁当。

 苦すぎるブラックコーヒー。

 

 タレントの体調や食事には気を配るくせに、自分の食事はあまりにも雑だった。

 

 ぼたんは、それを覚えている。

 

 だから、今日はちゃんと温かいものを食べてほしかった。

 

 顔合わせ前に、胃と心が少しでも落ち着くように。

 

 ただの抜け駆け。

 

 そう言われれば、その通りだ。

 

 けれど、ぼたんにとってはそれだけではなかった。

 

 目の前でラーメンを食べるユウトを見ながら、ぼたんは手ぬぐいの影で小さく目を細める。

 

 彼は、知らない。

 

 この一杯に込められた意味も。

 

 屋台そのものが仕掛けであることも。

 

 目の前の店主が、今日これから顔合わせをする5期生の一人であることも。

 

 知らないまま、ただ「美味しい」と言って食べてくれた。

 

 それだけで、ぼたんは十分だった。

 

 いや。

 

 十分だと思いたかった。

 

「店主さん」

 

「ん?」

 

「これ、本当に美味しいです」

 

「そっか」

 

「はい。なんというか、落ち着きます」

 

 ユウトはそう言って、少しだけ表情を緩めた。

 

 その顔を見た瞬間、ぼたんの胸が軽く跳ねた。

 

 落ち着く。

 

 その一言は、想像以上に刺さった。

 

 ぼたんは、普段通りののんびりした声を装う。

 

「なら、よかった。また食べに来てよ」

 

「ここ、いつも出してるんですか?」

 

「んー……気が向いたら?」

 

「商売する気あります?」

 

「あるある。たぶん」

 

「たぶん」

 

 ユウトは少しだけ笑った。

 

 その笑顔に、ぼたんは今度こそ危うく表情を崩しそうになった。

 

 懐かしい。

 

 前の彼も、こういう顔をした。

 

 困ったように。

 呆れたように。

 でも、どこか安心したように。

 

 その顔を、自分はどれだけ見たかったのだろう。

 

 ぼたんは胸の奥で静かに息を吐く。

 

 焦るな。

 

 今日はまだ始まりに過ぎない。

 

 正式な顔合わせはこれからだ。

 

 ここで名乗る必要はない。

 

 これは、ただの昼食。

 

 偶然出会ったラーメン屋台の店主と、顔合わせに向かう前の高校生。

 

 それでいい。

 

 今は、まだ。

 

 ユウトはスープを最後まで飲み干した。

 

 丼を置き、深く息を吐く。

 

「ごちそうさまでした」

 

「はい、お粗末さま」

 

「いくらですか?」

 

「そこに書いてある通りで」

 

 ユウトは代金を確認し、少し多めに置こうとして、店主に止められた。

 

「ちょうどでいいよ」

 

「でも、この味なら安いくらいだと思いますけど」

 

「じゃあ、次に来た時にまた食べて」

 

「……屋台があれば」

 

「あるかもよ?」

 

「曖昧ですね」

 

「人生そんなもんだよ」

 

「店主さん、ラーメン屋っぽくないこと言いますね」

 

「ラーメン屋も人生語るでしょ、たぶん」

 

 ユウトは少し笑い、ちょうどの代金を置いた。

 

「ありがとうございました。時間もちょうどよさそうなので、行きます」

 

「うん。行ってらっしゃい」

 

 その言葉に、ユウトは一瞬だけ動きを止めた。

 

「……行ってらっしゃい?」

 

「ん? 何か変だった?」

 

「いえ。少し、懐かしい感じがしただけです」

 

「そっか」

 

 ぼたんは、静かに答えた。

 

「なら、気をつけて」

 

「はい」

 

 ユウトは軽く頭を下げ、屋台を離れた。

 

 ホロライブ事務所へ向かって歩いていく背中。

 

 ぼたんは、その姿が人混みに紛れかけるまで見送った。

 

 そして、小さく呟く。

 

「……おかえり、ユウトさん」

 

 その声は、湯気に紛れて消えた。

 

 ~~~~~~~~

 

 ユウトがホロライブ事務所の入口へ到着した頃。

 

 屋台の店主――獅白ぼたんは、恐るべき速さで後片付けを始めていた。

 

 丼を洗う。

 寸胴の火を落とす。

 食材を収納する。

 暖簾を外す。

 屋台全体にかけていた簡易認識阻害を解除する。

 

 その動きに無駄はなかった。

 

 まるで熟練の特殊部隊員が現地拠点を撤収するかのように、淡々と、そして異常に速い。

 

「よし」

 

 ぼたんは屋台を小型の収納魔導具へ畳み込み、手ぬぐいを外した。

 

 白い髪がふわりと揺れる。

 

 いつもの、獅白ぼたんの姿。

 

 彼女は時計を見る。

 

 顔合わせ開始まで、まだ少しだけ時間がある。

 

 普通に正面入口から入ればいい。

 

 だが、そこには受付がある。

 

 受付を通れば、Aちゃんかのどか、あるいはYAGOOに「どうして外から来たのですか」と聞かれる可能性がある。

 

 それは面倒だった。

 

 ぼたんは事務所ビルを見上げる。

 

 高い。

 

 しかし、窓の配置、外壁の凹凸、魔導結界、監視カメラの角度。

 

 すべて、事前に確認済みだった。

 

「……まあ、いけるね」

 

 ぼたんは軽く屈伸した。

 

 次の瞬間。

 

 彼女の身体が、地面を蹴った。

 

 人間離れした跳躍。

 

 白獅子のしなやかな身体能力が、ビルの外壁へ吸い付くように接近する。

 

 片手で窓枠のわずかな出っ張りを掴み、足先で壁面の細い溝を捉える。

 

 そこから先は、ほとんど音がなかった。

 

 ぼたんは、事務所ビルの外壁を、まるで獣が岩壁を駆け上がるように登っていく。

 

 通行人の何人かが「今、何か白い影が……?」と見上げたが、すでに彼女の姿は上方へ消えていた。

 

 監視網の死角を縫い、数階分を一気に上がる。

 

 途中、窓越しに事務所内の廊下が見えた。

 

 スタッフが何人か歩いている。

 

 その中に、Aちゃんの姿があった。

 

 ぼたんは一瞬だけ壁に張り付いて動きを止める。

 

 Aちゃんは廊下の端で、ふと窓の方を見た。

 

 ぼたんは息を潜める。

 

 数秒。

 

 Aちゃんは目を細めた。

 

 そして、何かを察したように小さくため息を吐いた。

 

 だが、何も言わずに歩き去る。

 

 ぼたんは、手ぬぐいの代わりにかぶっていたフードを少しだけ直した。

 

「……バレたかな」

 

 たぶん、バレた。

 

 でも今すぐ止めに来ないなら、セーフだ。

 

 ぼたんはそう判断し、再び外壁を登り始めた。

 

 目指すは、顔合わせ用の会議室がある階。

 

 事前に確認した窓。

 

 ロックの種類。

 

 内側のカーテンの開き具合。

 

 すべて想定通り。

 

 ぼたんは片手で窓枠に掴まり、もう片方の手で小型のツールを取り出した。

 

 カチ。

 

 窓のロックが、静かに外れる。

 

「お邪魔しまーす」

 

 小声で呟きながら、ぼたんは窓からするりと中へ入った。

 

 着地音は、ほとんどしなかった。

 

 そこは、顔合わせ予定の会議室の隣にある控室だった。

 

 ぼたんは服の埃を払い、何事もなかったかのように廊下へ出る。

 

 そして、会議室の扉へ向かう。

 

 ~~~~~~~~

 

 その頃。

 

 ユウトは、通常通り受付を済ませ、案内役のスタッフに連れられて会議室へ向かっていた。

 

 今回は、Aちゃんでものどかでもなかった。

 

 本当に普通のスタッフだった。

 

 ユウトはそれだけで、少しだけ安心した。

 

 ここ最近、案内役が高確率で前世の関係者にすり替わっているため、普通に案内されることの方が珍しくなっている。

 

 案内スタッフは丁寧に会議室の前で立ち止まり、扉をノックした。

 

「桜井様がお見えです」

 

 中からYAGOOの声が聞こえる。

 

「どうぞ」

 

 扉が開く。

 

 ユウトは会議室へ入った。

 

 まず目に入ったのは、YAGOO。

 

 その隣にAちゃんと春先のどか。

 

 そして、テーブルの向こう側に並ぶ三人の少女。

 

 雪花ラミィ。

 桃鈴ねね。

 尾丸ポルカ。

 

 5期生のうち、三人。

 

 ユウトは一瞬だけ目を瞬かせた。

 

 獅白ぼたんの姿がない。

 

 ラミィは緊張した様子で背筋を伸ばしていた。白と青を基調とした衣装が、彼女の雪のような雰囲気とよく合っている。だが、その手元は少し震えていた。

 

 ねねは、今にも立ち上がりそうな勢いで椅子の端に座っている。目がきらきらしており、感情を抑えきれていないのが一目で分かる。

 

 ポルカは、妙に芝居がかった姿勢で座っていた。口元には笑みを浮かべているが、その瞳の奥は静かに揺れている。

 

 ユウトが入った瞬間、三人の視線が一斉に集まった。

 

 重い。

 

 だが、以前ほど圧倒されるだけではなくなっている自分もいた。

 

「桜井くん、来てくれてありがとう」

 

 YAGOOが穏やかに声をかける。

 

「こちらこそ、お招きありがとうございます」

 

 ユウトは頭を下げた。

 

 ラミィが息を呑む。

 

 ねねは口元を押さえた。

 

 ポルカは小さく「うわ、本当にいる……」と呟いた。

 

 ユウトは少しだけ困ったように笑う。

 

「桜井ユウトです。今日はよろしくお願いします」

 

「よ、よろしくお願いします……!」

 

 ラミィが慌てて頭を下げる。

 

「ユウト先輩! ねね、桃鈴ねねです! よろしくお願いします!」

 

 ねねは勢いよく立ち上がった。

 

「ちょ、ねねち、まだ自己紹介の順番じゃ……!」

 

 ラミィが慌てる。

 

 ポルカは両手を広げた。

 

「ふっ、これが始まりの鐘か……! 座長、尾丸ポルカ! ついに舞台へ上がる時が来たようだな!」

 

 YAGOOが少しだけ苦笑する。

 

「皆さん、落ち着いてください。まずは獅白さんが来てから――」

 

 その瞬間。

 

 会議室の扉が、控えめにノックされた。

 

 こんこん。

 

 全員が扉の方を見る。

 

「ごめん、ちょっと遅れた」

 

 入ってきたのは、獅白ぼたんだった。

 

 いつもの落ち着いた表情。

 

 いつものゆるい笑み。

 

 何事もなかったかのような足取り。

 

「ぼたんちゃん!」

 

 ラミィが振り返る。

 

「遅いよ、ししろん!」

 

 ねねが声を上げる。

 

「我ら5期生、これにて集結! ……と言いたいところだけど、ししろん、なんかラーメンの匂いしない?」

 

 ポルカが鼻をひくつかせる。

 

 ぼたんは、にこっと笑った。

 

「気のせいじゃない?」

 

「いや、するよ! 絶対する!」

 

「お昼、ラーメン食べたからかな」

 

「え、ししろん昼食べてきたの?」

 

「うん」

 

 ぼたんは自然に答えた。

 

 ユウトは、その声を聞いた瞬間、少しだけ眉を動かした。

 

 どこかで聞いた声。

 

 さっきの屋台の店主。

 

 いや、まさか。

 

 ユウトはぼたんを見る。

 

 ぼたんは、何食わぬ顔で微笑んでいる。

 

「初めまして、だね。獅白ぼたんです。よろしく、ユウトさん」

 

「……初めまして」

 

 ユウトは少しだけ間を置いてから答えた。

 

「よろしくお願いします。獅白さん」

 

 ぼたんは、ほんのわずかに笑みを深めた。

 

 Aちゃんは、その横で静かに目を細めていた。

 

「獅白さん」

 

「ん?」

 

「どちらから入室しましたか?」

 

「廊下から」

 

「その前は?」

 

「廊下の前?」

 

「そういうことではありません」

 

 Aちゃんの声は穏やかだった。

 

 穏やかだったが、逃げ道を塞ぐ響きがあった。

 

 ぼたんは数秒、黙った。

 

「……正面?」

 

「本当ですか?」

 

「たぶん」

 

「たぶん」

 

 のどかが小さく呟いた。

 

 YAGOOはすでに何かを察した顔で眼鏡を押さえている。

 

「獅白くん」

 

「はい」

 

「もしかして、外壁を登りましたか?」

 

 ユウトは一瞬、耳を疑った。

 

「外壁?」

 

 ラミィが青ざめる。

 

「ぼ、ぼたんちゃん!?」

 

 ねねは逆に目を輝かせた。

 

「ししろん、壁登ったの!? かっこいい!」

 

「ねねち、そこじゃないです!」

 

 ポルカは腹を抱えかけていた。

 

「ま、待って、情報量! ラーメンの匂い、遅刻、外壁! 座長でも処理が追いつかない!」

 

 ぼたんはのんびり肩をすくめた。

 

「いやぁ、ちょっと近道を」

 

「近道で外壁は登りません」

 

 Aちゃんが即座に言った。

 

「今後、外壁経由での入室は禁止です」

 

「はーい」

 

「返事が軽い」

 

 YAGOOは深く息を吐いた。

 

「……桜井くん、毎回何か起きて申し訳ない」

 

「いえ」

 

 ユウトは、まだ少し混乱していた。

 

「僕も、だんだん慣れてきました」

 

「それはそれで申し訳ないね」

 

 ぼたんは自分の席へ向かいながら、ユウトの横を通った。

 

 その瞬間、ふわりと醤油ラーメンの香りがした。

 

 ユウトの目が、少しだけ細くなる。

 

「……獅白さん」

 

「ん?」

 

「今日、事務所の近くでラーメン屋台を見ませんでしたか?」

 

 会議室の空気が止まった。

 

 ラミィ、ねね、ポルカが一斉にぼたんを見る。

 

 Aちゃんとのどかも見る。

 

 YAGOOも見る。

 

 ぼたんは、ゆっくりとユウトを見返した。

 

「見たかもね」

 

「屋台の店主の声が、獅白さんに少し似ていた気がするんですが」

 

「へぇ」

 

「へぇ、って」

 

「世の中、似た声の人っているから」

 

 ユウトは沈黙した。

 

 その台詞。

 

 さっき聞いた。

 

 完全に聞いた。

 

「……まさか」

 

「どうしたの、ユウトさん」

 

「いや……」

 

 ユウトは、しばらくぼたんを見つめた。

 

 ぼたんはにこにこと笑っている。

 

 顔は穏やか。

 

 だが、まったく白状する気はなさそうだった。

 

 ユウトは軽く息を吐いた。

 

「何でもありません」

 

「そっか」

 

 ぼたんは満足そうに頷く。

 

 ラミィが、震える声で尋ねた。

 

「ぼたんちゃん……もしかして、先にユウトさんと会ってたの?」

 

「会ってないよ」

 

「本当に?」

 

「ラーメン屋の店主としてなら、接客したかも」

 

「それを会ったって言うんです!」

 

 ラミィが珍しく強めに言った。

 

 ねねが立ち上がる。

 

「ずるい! ししろんずるい! ねねもユウト先輩に何か食べさせたかった!」

 

 ポルカが両手を広げる。

 

「これは抜け駆け! 圧倒的抜け駆け! しかもラーメンという胃袋ルート! 策士! 白獅子、恐ろしい子!」

 

 ぼたんはけろりとしている。

 

「でも、ユウトさんは美味しいって言ってくれたよ」

 

 その一言で、三人の動きが止まった。

 

 ラミィの目が潤む。

 

 ねねが口を尖らせる。

 

 ポルカは胸を押さえた。

 

「……それは、強い」

 

 ラミィがぽつりと呟く。

 

「強すぎるよ、ぼたんちゃん……」

 

 ねねが悔しそうに言う。

 

 ポルカは天を仰いだ。

 

「顔合わせ前に胃袋を掴むとは……座長、完全に一手遅れた……!」

 

 ユウトは、ようやく状況を理解し始めた。

 

 あのラーメン屋台は、偶然ではなかった。

 

 獅白ぼたんが、彼を待ち構えるために出した屋台だった。

 

 しかも、本人はそれを悪びれるどころか、ほとんど隠す気もない。

 

「あの、獅白さん」

 

「ぼたんでいいよ」

 

「……獅白さん」

 

「固いなぁ」

 

「屋台、出してたんですか?」

 

「うん」

 

「僕を待って?」

 

「まあ、結果的に?」

 

「結果的に、ではないですよね」

 

「ばれた?」

 

「ばれます」

 

 ぼたんは、くすっと笑った。

 

「でも、美味しかったでしょ?」

 

「それは……美味しかったです」

 

「ならよかった」

 

 その言い方があまりにも自然で、ユウトはそれ以上責める言葉を見失った。

 

 ラミィが両手を握りしめる。

 

「ぼたんちゃん、あとでお話があります」

 

「ラミィ、怖い顔してるよ」

 

「しています」

 

「おお」

 

 ねねも手を上げた。

 

「ねねも! ねねも抗議する!」

 

「何を?」

 

「ねねもユウト先輩に美味しいって言われたい!」

 

「それは抗議なのかな」

 

 ポルカは芝居がかった動きで椅子に座り直す。

 

「よろしい。ならば本日の舞台、開幕前から波乱含み! 白獅子の屋台奇襲により、雪女と桃鈴と座長の心に火がついた! さあユウト氏、覚悟はいいか!」

 

「何の覚悟ですか」

 

「5期生の重さを受け止める覚悟だ!」

 

 ポルカは笑った。

 

 けれど、その目は笑いだけではなかった。

 

 その奥には、他の期生たちと同じ、深く濃い感情が確かに揺れている。

 

 ユウトは、静かに姿勢を正した。

 

「……桜井ユウトです。今日は、よろしくお願いします」

 

 そう言って、頭を下げる。

 

 5期生の四人は、それぞれ違う表情で彼を見つめた。

 

 ラミィは、今にも泣きそうな優しい顔で。

 ねねは、真っ直ぐで眩しい笑顔で。

 ポルカは、道化の笑みの奥に痛みを隠しながら。

 ぼたんは、いつもの穏やかな笑みのまま、けれど瞳の奥だけは少しだけ熱を帯びて。

 

 YAGOOが、静かに口を開く。

 

「では、改めて始めましょう」

 

 Aちゃんが横で小さく補足する。

 

「なお、獅白さんの外壁移動と屋台については、顔合わせ後に確認します」

 

「はーい」

 

 ぼたんは軽く返事をした。

 

 ラミィ、ねね、ポルカの視線がさらに鋭くなる。

 

 ユウトはそれを見て、思わず小さく呟いた。

 

「……本当に、毎回何か起きるな」

 

 その言葉に、ぼたんが楽しそうに笑った。

 

「ホロライブだからね」

 

「それ、最近よく聞きます」

 

「便利な言葉でしょ」

 

「便利すぎる気がします」

 

 会議室に、少しだけ笑いが起きた。

 

 そして。

 

 ラーメンの余韻と、白獅子の抜け駆け疑惑と、外壁入室という新たな問題を抱えたまま。

 

 5期生との顔合わせが、ようやく始まろうとしていた。

 

 チ、チ、チ、チ――。

 

 ユウトの胸ポケットの懐中時計が、静かに時を刻む。

 

 今日もまた、彼の知らない彼を知る少女たちが、彼の前に座っている。

 

 その視線は重く、温かく、少しだけ危うい。

 

 けれど、ユウトは逃げなかった。

 

 知らなければならないと思った。

 

 彼女たちのことを。

 

 そして、彼女たちの中にいる、もう一人の自分のことを。

 

 そのために、彼はここにいる。

 

 ラミィが、震える手を膝の上で握りしめる。

 

 ねねが、身を乗り出す。

 

 ポルカが、深く息を吸う。

 

 ぼたんが、穏やかに目を細める。

 

 YAGOOが、静かに頷いた。

 

「まずは、自己紹介から始めましょう」

 

 5期生の物語が、ゆっくりと幕を開けた。

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