hololive Lost Story 作:ダニエルズプラン
ホロライブ事務所、顔合わせ用の会議室。
午後の柔らかな光が窓から差し込み、テーブルの上に置かれたグラスや茶菓子を淡く照らしている。
その穏やかな空間に、しかし妙な熱気があった。
理由は単純。
桜井ユウトの正面に座る5期生――雪花ラミィ、桃鈴ねね、獅白ぼたん、尾丸ポルカの四人が、それぞれ異なる方向へ感情を爆発させかけていたからである。
雪花ラミィは、両手を膝の上できゅっと握りしめながら、すでに泣きそうな顔をしていた。
桃鈴ねねは、椅子の上で落ち着きなく揺れている。今にもテーブルを飛び越えてユウトに詰め寄りそうな勢いだった。
尾丸ポルカは、妙に芝居がかった姿勢で胸に手を当てている。表情は笑っているが、瞳の奥は騒がしいほど揺れていた。
獅白ぼたんは、いつものゆるい笑みを浮かべている。だが、その隣から漂うラーメンの香りと、先ほど発覚した屋台抜け駆け疑惑のせいで、ラミィ、ねね、ポルカからじっとりした視線を浴び続けていた。
YAGOOは、そんな四人を見て静かに眼鏡を押さえる。
Aちゃんはすまし顔で進行表を確認していた。
春先のどかは、少し困ったように笑いながら、ユウトの前へ温かいお茶を置く。
「桜井さん、今日は午後からですし、無理のない範囲でお願いしますね」
「ありがとうございます」
ユウトは軽く会釈し、湯呑みを受け取った。
チ、チ、チ、チ――。
胸ポケットの懐中時計は、今日も静かに時を刻んでいる。
前回までの顔合わせと同じ。
いや、同じようでいて、やはり違う。
0期生、1期生、2期生。
それぞれの期生から話を聞くたびに、ユウトの中には少しずつ、形にならない輪郭のようなものが積み重なっていた。
それは記憶ではない。
思い出したわけではない。
けれど、自分の知らない場所に、確かに「自分」がいたのだと感じるための、淡い証拠のようなもの。
今日もまた、その証拠が増えるのだろうか。
ユウトは静かに息を吸った。
YAGOOが穏やかに口を開く。
「では、始めましょうか。まずはいつも通り、自己紹介からお願いします」
「はいっ!」
真っ先に立ち上がったのは、雪花ラミィだった。
勢いよく立ったものの、ユウトと視線が合った瞬間、彼女は一瞬固まった。
そして、頬を赤らめながらも、胸に手を当てて丁寧に頭を下げる。
「ホロライブ5期生、雪花ラミィです。雪の一族で、こちらの世界では氷雪の魔法や治癒系の術も扱っています。えっと、その……ユウトさん」
「はい」
「また、お会いできて……本当に、嬉しいです」
言葉の最後が震えた。
ラミィは唇を結び、必死に涙を堪えている。
その姿に、ユウトは少しだけ背筋を伸ばした。
「桜井ユウトです。よろしくお願いします、雪花さん」
「ラミィで……」
ラミィは小さく言いかけて、慌てて首を横に振る。
「あ、いえ。ごめんなさい。急に距離を詰めたら困りますよね。最初は、雪花さんでも大丈夫です。でも、いつか……」
彼女はそこで、少しだけ目を伏せた。
「いつか、またラミィって呼んでもらえたら嬉しいです」
「……分かりました」
ユウトは静かに頷いた。
その返事だけで、ラミィの目元がまた潤む。
「ラミィちゃん、もう泣きそうじゃん!」
ねねが横から身を乗り出した。
「まだ自己紹介一人目だよ!? ねねの番まで涙取っておいてよ!」
「涙は取り置きするものじゃありませんよ、ねねちゃん」
ラミィが少しだけ困ったように返す。
そのやり取りに、ユウトの口元がほんの少し緩んだ。
次に、ねねが勢いよく立ち上がった。
「桃鈴ねねです!」
声が大きい。
勢いも強い。
ユウトは反射的に背筋を正した。
「ホロライブ5期生! この世界では、歌って踊れて戦えるスーパーねねち! あとあと、すっごく可愛い! それから、ユウト先輩のことが――」
「ねねちゃん」
ラミィが即座に呼び止める。
「まだ自己紹介です」
「あっ、そうだった!」
ねねは一度咳払いをした。
「えっと、ユウト先輩! ねねは桃鈴ねねです! 前の世界でも、今の世界でも、ユウト先輩に会いたかったです! 今日はいっぱい話したいです! よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします、桃鈴さん」
「ねねでいいです!」
「……ねねさん」
「むぅ。さん付けかぁ。でもいい! 第一歩!」
ねねは拳を握る。
「ねね、ユウト先輩に名前呼んでもらった!」
その瞬間、ラミィが少しだけ羨ましそうな顔をする。
ポルカがそれを見逃さなかった。
「おやおや? 雪花ラミィ氏、今ほんのり嫉妬の香りがしましたなぁ?」
「ポルカちゃん?」
「はい、黙ります」
ポルカは素早く着席しかけたが、YAGOOに促されて立ち上がる。
「では次、尾丸さん」
「ふっ……ついに座長の番か」
ポルカはゆっくり立ち上がり、右手を胸に、左手を大きく広げた。
「寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 泣く子も笑う、笑う子はさらに笑う! ホロライブ5期生が誇るサーカスの座長、尾丸ポルカとは私のこと!」
彼女はくるりと半回転し、ユウトの方へビシッと指を向ける。
「そして桜井ユウト氏! この舞台へようこそ! あなたを迎えるため、座長は今日という日をどれほど待ち焦がれたことか!」
「えっと……よろしくお願いします、尾丸さん」
「そこはポルカで!」
「尾丸さん」
「固い! 壁が分厚い! だがよろしい、その壁を越えるのもまた舞台の醍醐味!」
ポルカは大げさに胸を押さえる。
「今は尾丸さんでも構わない。いずれその口から『ポルカ』と呼ばせてみせよう。そう、この尾丸ポルカ、一世一代の大舞台は今ここに幕を開けたのだ!」
「ポルカちゃん、自己紹介が長いよ」
ぼたんがのんびり言った。
「ししろんにだけは言われたくない! 屋台ラーメンで前座を済ませた白獅子にだけは!」
「美味しかったって」
「それが強いんだよ!」
ポルカが机を叩きそうな勢いで叫ぶ。
ねねも便乗した。
「そうだよ! ししろんだけずるい! ねねも何か食べさせたかった!」
「ねねちはまず料理の安全性を確認してからね」
「ししろん!?」
ぼたんはけらけら笑いながら立ち上がった。
「じゃあ、最後は私だね」
彼女は肩の力を抜いたまま、ユウトを見た。
「ホロライブ5期生、獅白ぼたん。こっちの世界では、銃火器とか戦術とか、まあ色々やってる。よろしく、ユウトさん」
「よろしくお願いします、獅白さん」
「ぼたんでいいよ」
「……獅白さん」
「手強いねぇ」
ぼたんは楽しそうに笑う。
しかし、その瞳は穏やかなまま、ユウトの表情をじっと見ていた。
「さっきのラーメン、美味しかった?」
「はい。とても」
「そっか」
彼女は満足そうに頷いた。
「じゃあ、今日はそれで半分くらい勝ちかな」
「何にですか」
「んー、色々?」
「曖昧ですね」
「曖昧なくらいがちょうどいいよ」
ユウトは小さく息を吐いた。
そのやり取りに、ラミィたちがまた悔しそうな顔をする。
Aちゃんが咳払いした。
「皆さん、そろそろ本題へ」
「はい……」
ラミィが背筋を正す。
「はーい!」
ねねが元気よく返事をする。
「座長、着席!」
ポルカが自分で号令をかけて座った。
ぼたんも静かに席へ戻る。
YAGOOは、少しだけ安心したように頷いた。
「では、ここからは桜井くんの前世について、皆さんから見た彼の話を聞かせてもらえればと思います」
空気が、少しだけ変わった。
先ほどまでの騒がしさが完全に消えたわけではない。
けれど、その下にある感情が顔を出す。
懐かしさ。
痛み。
後悔。
喜び。
そして、二度と離したくないという、濃く重い想い。
ユウトは、静かに湯呑みを置いた。
「お願いします。皆さんの知っている僕の話を、聞かせてください」
その言葉に、ラミィが小さく息を呑んだ。
ねねはぐっと拳を握る。
ポルカは一瞬だけ目を伏せる。
ぼたんは、先ほどまでの柔らかな笑みを少しだけ薄めた。
最初に口を開いたのは、ラミィだった。
「ユウトさんは……前の世界でも、今と同じように、すごく礼儀正しい人でした」
「礼儀正しい、ですか」
「はい。でも、親しい人には少しぶっきらぼうで。優しいのに、優しいって言われるのが苦手で。誰かが困っているとすぐ気づくのに、自分が困っている時は何も言わない人でした」
ラミィの声は、静かだった。
「5期生としてデビューしたばかりの頃、私たちは分からないことだらけでした。配信のこと、レッスンのこと、イベントのこと。表に立つ覚悟はあったはずなのに、いざ始まると怖くなってしまうこともあって」
彼女は膝の上の手を握る。
「そんな時、ユウトさんはいつも近くにいてくれました。決して甘い言葉ばかりをくれる人ではなかったです。でも、必要な時に、必要な言葉をくれる人でした」
「必要な言葉」
「はい。私が不安で泣きそうになった時、ユウトさんは『怖いなら、怖いままでいいです。立てるなら、それで十分です』って言ってくれました」
ラミィの瞳に涙が浮かぶ。
「その時、私は救われたんです。怖がっている自分を否定しなくていいんだって。震えながらでも、前に出ていいんだって」
ユウトは黙って聞いていた。
ラミィは、涙をこぼさないように一度だけ上を向き、それから微笑んだ。
「だから、また会えて嬉しいです。ユウトさんが覚えていなくても、私が覚えています。あなたがくれた言葉も、温かさも、全部」
「……ありがとうございます」
ユウトは静かに頭を下げた。
その声に、ラミィの指先が震える。
次に、ねねが身を乗り出した。
「ねねも! ねねも話す!」
「はい」
「ユウト先輩はね、ねねにとって、すっごく大事な人だった!」
ねねは真っ直ぐ言った。
飾り気のない声。
ラミィのように言葉を選ぶのではなく、思ったことをそのままぶつけてくるような熱があった。
「ねね、前の世界でいっぱい迷惑かけたと思う。元気すぎて怒られたり、話聞いてなくて怒られたり、変なこと言って怒られたり!」
「……結構怒られてますね」
「でもね、ユウト先輩はちゃんと見てくれてた!」
ねねは笑った。
「ねねがふざけてる時も、真面目に頑張ってる時も、失敗して落ち込んでる時も。ユウト先輩は『ちゃんとやれ』って言うけど、ねねがちゃんとやった時は、すごく小さな声で『今のはよかった』って言ってくれた」
ねねは、胸元に手を当てる。
「その一言が、ねね、めちゃくちゃ嬉しかった!」
「そうですか」
「うん! だからね、ユウト先輩! ねね、また褒められたい!」
彼女は目を輝かせた。
「今のねね、前よりもっと歌えるし、踊れるし、戦えるし、あとあと――」
そこで、ねねの表情が急にいたずらっぽくなる。
「あと、ねねの下ネタセンスも――」
「ねねちゃん」
ラミィが即座に止めた。
「それは今言うことではありません」
「えー! 小学生男子みたいなやつだからセーフだよ!」
「セーフじゃないです」
ぼたんも横からのんびり手を伸ばし、ねねの口元を軽く押さえた。
「ねねち、ユウトさんの前でそれはまだ早いかな」
「むぐー!」
ポルカが楽しそうに両手を広げる。
「出たー! 桃鈴ねね氏、感動の再会からの小学生男子ルートに突入しかける!」
「ポルカちゃんも煽らないでください!」
ラミィが慌てる。
ねねはぼたんの手を外し、不満そうに頬を膨らませた。
「だって、ねねらしさも知ってほしいじゃん!」
「方向性を選んでください」
Aちゃんが淡々と言った。
「はい……」
ねねはしゅんとする。
ユウトは、その騒がしいやり取りを見て、思わず小さく笑った。
「元気ですね、桃鈴さんは」
「ねねです!」
「……ねねさんは」
「はい! 元気です!」
ねねは即座に復活した。
「ユウト先輩が笑ったから、ねね勝ち!」
「勝ち負けなんですか」
「勝ちです!」
その勢いに、ユウトは少しだけ困ったように笑った。
次は、ポルカだった。
彼女はしばらく黙っていた。
騒がしさの中心にいるようでいて、どこか一歩引いた場所から全体を見ているような目をしている。
そして、ゆっくり立ち上がった。
「ではここで、座長による即興劇をお届けしましょう」
「え?」
ユウトが瞬きをする。
ラミィが「ポルカちゃん?」と呼びかけるが、ポルカは止まらなかった。
「演目は――『ある裏方と、道化の夜』」
ポルカは椅子を一つ引き、会議室の中央へ出た。
片手を胸に当て、もう片方の手を宙へ伸ばす。
「そこは、小さな事務所の片隅。照明は暗く、外は雨。舞台に立つ道化は笑っていた。けれど、その笑顔の裏側で、足は震えていた」
声色が変わる。
軽薄で明るい尾丸ポルカではなく、舞台の上で物語を紡ぐ座長の声。
「『大丈夫、大丈夫。私は道化。笑わせるのが仕事。泣き顔なんて見せるものか』」
ポルカは一歩、後ろへ下がる。
「けれど、その震えに気づいた男がいた。彼は舞台の主役ではない。華やかな衣装も、拍手も、スポットライトもない。ただ、舞台袖で進行表を握っているだけの、ひどく不器用な裏方だった」
ユウトの胸ポケットで、時計が小さく鳴った。
チ、と。
「その男は言う。『無理に笑わなくていい』と。道化は笑う。『私は笑うのが仕事だ』と。男は呆れたように返す。『なら、泣いた後で笑え。順番を間違えるな』」
ポルカの声が、ほんの少し震えた。
「道化は怒った。そんな簡単に言うなと。自分が笑わなければ、誰が場を繋ぐのだと。けれど男は、進行表を畳んで言った」
ポルカは、目を閉じる。
「『お前が泣いても、舞台は終わらない。俺が繋ぐ』」
会議室が静まり返った。
ポルカは、ゆっくり目を開けた。
その瞳には、涙が浮かんでいた。
「……そういう人だったんだよ、ユウト氏は」
芝居がかった声ではなかった。
ただの尾丸ポルカの声だった。
「ポルカが笑えない時、笑えって言わなかった。泣くなって言わなかった。ただ、ポルカが戻ってくるまで舞台を繋いでくれた」
彼女は、笑おうとした。
だが、その笑みは少し崩れた。
「だから、座長はね。あの時の裏方に、まだお礼を言えてないんだ」
「……尾丸さん」
「ポルカでいいよ」
彼女は、涙を指先で拭いながら笑った。
「今すぐじゃなくていい。でも、いつか。ちゃんと、ポルカって呼んでよ。そしたら座長、もう一回ちゃんとお礼言うから」
ユウトは、しばらく言葉を探した。
けれど、うまく見つからなかった。
だから、ただ頷いた。
「……分かりました」
ポルカは、それだけで十分だと言うように、深く一礼した。
「以上、即興劇でした」
「ポルカちゃん……」
ラミィが涙を拭う。
ねねも鼻をすすっていた。
「ポルカ、ずるい……そんなの泣くじゃん……」
「泣くのも舞台の一部でございますれば」
ポルカはまた道化の笑みを浮かべる。
だが、先ほどより少しだけ、目元が赤かった。
最後に、ぼたんが口を開いた。
彼女は椅子に深く腰掛けたまま、いつものように肩の力を抜いていた。
「私は、みんなほど上手く話せないかもだけど」
「獅白さんが?」
「ぼたんでいいよ」
「……獅白さん」
「手強いねぇ」
ぼたんは笑った。
そして、少しだけ視線を落とす。
「ユウトさんは、前の世界で、私たちのことをよく見てた。戦い方も、配信の癖も、疲れ方も。何かあった時、どこから手を入れれば崩れないか、たぶんいつも考えてた」
彼女の声は落ち着いていた。
だからこそ、言葉が静かに染み込む。
「私が覚えてるのは、ある日の夜かな。みんなが帰った後、事務所に戻ったら、ユウトさんが一人で資料をまとめてた。顔色悪いのに、平気そうな顔して」
ぼたんは、ふっと笑う。
「私が『寝た方がいいよ』って言ったら、ユウトさんは『獅白こそ帰れ。明日も収録だろ』って返してきた」
「……言いそうですね」
「言いそうでしょ?」
ぼたんは目を細める。
「で、私は言ったんだ。『じゃあ、ラーメン食べたら帰る』って。そしたらユウトさん、すごく面倒くさそうな顔しながら付き合ってくれた」
ユウトは、思わず胸元の時計に手を当てた。
なぜか、その場面が妙に引っかかった。
思い出したわけではない。
けれど、夜の事務所、湯気の立つラーメン、隣に座る白い髪の少女。
そんな輪郭だけが、霧の向こうで揺れた気がした。
「さっきのラーメンは、その時の再現……とまではいかないけど」
ぼたんは、少しだけ照れくさそうに笑った。
「いつか、また一緒に食べたいなって思ってたから」
「……だから、屋台を?」
「うん」
「事務所の近くに?」
「うん」
「僕を狙って?」
「まあ、ちょっとだけ」
「ちょっとだけではないと思います」
「バレたか」
ぼたんは軽く笑った。
でも、その声は優しかった。
「ユウトさんは、自分の食事とか休憩とか、けっこう雑だったからね。今日はちゃんと温かいものを食べてから来てほしかったんだ」
その言葉に、ラミィの表情が柔らかくなる。
ねねも少しだけ静かになった。
ポルカは何も言わず、ぼたんの横顔を見ていた。
ユウトは、静かに口を開く。
「……美味しかったです。本当に」
「そっか」
ぼたんは、ただそれだけを言った。
だが、その短い返事に、彼女の感情は十分すぎるほど込められていた。
そこから先も、話は続いた。
ラミィは、前世でユウトが5期生の初めての大きなイベント前に、全員分の確認事項をまとめた紙を渡してくれた話をした。
ねねは、ユウトに褒められたくて練習を頑張りすぎ、逆に怒られた話をした。
ポルカは、ユウトが「お前の無茶は読めない」と言いながらも、なぜかいつも必要なスタッフや機材を先回りして用意していた話を、また半分芝居にしながら語った。
ぼたんは、戦闘訓練や危険な案件の時、ユウトが自分の実力を信頼してくれていたことを話した。
ユウトは聞いていた。
ラミィの言葉を。
ねねの勢いを。
ポルカの芝居を。
ぼたんの静かな声音を。
どれも覚えていない。
けれど、どれも嘘ではなかった。
話の途中で、ねねがまた変な方向へ走りかけた。
「それでね! ユウト先輩が真面目な顔で『桃鈴、今のはダメだ』って言った時、ねね思ったんだよ。これってさ、つまり――」
「ねねちゃん」
「まだ何も言ってない!」
「言おうとしている顔でした」
「小学生男子レベルだよ! かわいいやつ!」
「かわいくてもダメです」
ラミィが制止する。
ぼたんは横で静かにねねの口元へ茶菓子を差し出した。
「はい、ねねち。これ食べて落ち着こう」
「むぐ」
ねねは茶菓子を口に入れられ、言葉を封じられた。
ポルカはすかさず立ち上がる。
「ここで入りました! 雪花ラミィの鉄壁ガード! 獅白ぼたんの茶菓子封印! 桃鈴ねね、またしても下ネタ未遂で撃沈!」
「実況しないでください!」
ラミィが顔を真っ赤にする。
「ねね、撃沈してないもん! むぐっ」
「食べながら喋らない」
ぼたんがのんびり注意する。
ユウトは、その騒がしさを見ていた。
胸の奥に、少しだけ温かいものが広がる。
懐かしい、と思った。
覚えていないのに。
この賑やかさを、自分はどこかで知っている気がした。
誰かが泣いて、誰かが笑って、誰かがふざけて、誰かが止めて。
それを少し離れた場所から見ながら、呆れたようにため息を吐く。
そんな自分が、どこかにいた気がした。
チ、チ、チ、チ――。
時計の音が、少しだけ大きく聞こえた。
けれど、記憶は戻らない。
霧は晴れない。
ただ、霧の向こうから誰かの笑い声だけが、ほんの一瞬、聞こえたような気がした。
~~~~~~~~
気づけば、窓の外の光は傾き始めていた。
午後から始まった顔合わせは、他の期生の時よりも短く感じた。
実際には、かなり話していたはずだ。
だが、始まりが遅かったこともあり、ユウトが帰らなければならない時間は、いつもより早く訪れた。
Aちゃんが時計を確認する。
「そろそろ、桜井さんの帰宅時間ですね」
「えっ、もう!?」
ねねが勢いよく立ち上がる。
「まだ全然話し足りない!」
「ねねちゃん、今日は午後からでしたから」
ラミィが寂しそうに言う。
「そうだけどぉ……」
ポルカは椅子の背にもたれ、大げさに天を仰いだ。
「幕が下りるには早すぎる……! 観客はまだ喝采を送り足りていないぞ!」
「次の公演に期待だね」
ぼたんがのんびり返す。
「ししろんは余裕ぶってるけど、ラーメンの抜け駆けがあるからね!」
「まだ言ってる」
「座長は忘れない!」
「私も忘れていませんからね、ぼたんちゃん」
ラミィがにこりと微笑む。
その笑顔に、ぼたんが珍しく少しだけ肩をすくめた。
「あとで怒られるやつかな」
「お話です」
「怒られるやつだね」
ユウトは、そのやり取りを見て静かに立ち上がった。
「今日はありがとうございました」
そう言って頭を下げる。
ラミィ、ねね、ポルカ、ぼたんの四人が、一斉にユウトを見る。
「こちらこそ……来てくださって、本当にありがとうございました」
ラミィが深く頭を下げる。
「ユウト先輩! また絶対会ってね!」
ねねが身を乗り出す。
「本日の舞台はここまで! しかし物語はまだまだ続く! ユウト氏、次回公演もお楽しみに!」
ポルカがビシッと指を立てる。
「またラーメン作るよ」
ぼたんはさらりと言った。
「屋台で?」
「今度は正面から誘うかも」
「最初からそうしてください」
「善処する」
「する気が薄い返事ですね」
ぼたんは笑った。
YAGOOも席を立つ。
「では、入口までお送りします」
Aちゃんとのどかも続く。
当然のように、5期生も立ち上がった。
ユウトはもう、その流れに驚かなくなっていた。
どうやらホロライブでは、顔合わせ後の見送りは半ば儀式のようなものらしい。
会議室を出る。
廊下には夕方の静かな空気が流れていた。
今日は、幸いにも他のタレントと遭遇する気配はない。
それでもYAGOOはわずかに警戒しているようだったし、Aちゃんは廊下の角やスタジオ区画の出入口を確認していた。
のどかは苦笑している。
「今日は何も起きないといいですね」
「今のところ、十分いろいろ起きている気もします」
ユウトが言うと、Aちゃんが頷いた。
「屋台と外壁入室は記録に残します」
「記録されるんだ」
ぼたんが笑う。
「当然です」
Aちゃんは容赦なかった。
ねねはユウトの隣を歩きながら、そわそわしている。
「あの、ユウト先輩!」
「はい」
「連絡先! まだ交換してない!」
「ああ、そうでしたね」
ユウトは端末を取り出した。
その瞬間、5期生全員の空気が変わった。
ラミィは緊張で指先を震わせる。
ねねは今にも飛び跳ねそうになる。
ポルカは胸に手を当て、妙に厳かな表情を作る。
ぼたんはいつも通りに見えるが、端末を取り出す手がほんの少しだけ早かった。
入口前のロビー。
そこで、ユウトは順番に連絡先を交換していった。
ピッ。
『雪花ラミィ』
ラミィは画面に表示されたユウトの名前を見て、目元を押さえた。
「……本当に、繋がった」
「雪花さん?」
「ごめんなさい。嬉しくて」
彼女は涙を拭いながら笑った。
ピッ。
『桃鈴ねね』
「やったああああ!」
ねねが両手を上げる。
「ユウト先輩! ねね、送るから! いっぱい送るから!」
「ほどほどにお願いします」
「ほどほどにいっぱい送る!」
「それはほどほどなんですか」
ピッ。
『尾丸ポルカ』
ポルカは端末を掲げ、厳かに宣言した。
「ここに新たなる縁の糸が結ばれた! 座長、感無量!」
「普通に連絡先交換しただけです」
「されど連絡先、侮るなかれ。端末に名が刻まれるとは、すなわち物語に登場人物として登録されるということ!」
「表現が大げさですね」
「ポルカだからね!」
ピッ。
『獅白ぼたん』
ぼたんは画面を確認し、満足そうに頷いた。
「これで、次に屋台出す時も連絡できるね」
「普通の用事でも連絡してください」
「じゃあ、普通にラーメン食べる?」
「それは普通なんですか」
「普通普通」
ユウトは少しだけ笑った。
それを見て、ぼたんの目が細くなる。
ロビーの自動扉の外には、夕方のオルタナティブシティが広がっている。
今日は、誰かが飛びついてくることもなかった。
誰かと偶然遭遇することもなかった。
少なくとも、最後だけは平穏だった。
「それでは、今日は失礼します」
ユウトは5期生、YAGOO、Aちゃん、のどかに向かって頭を下げた。
「また、連絡します」
YAGOOが穏やかに言う。
「はい」
ラミィが小さく手を振る。
「ユウトさん、気をつけて帰ってくださいね」
「はい。雪花さんも」
ねねが大きく手を振る。
「ユウト先輩! 帰ったらメッセージ見てね!」
「分かりました」
ポルカが片手を胸に当てて一礼する。
「さらばユウト氏! 次なる舞台でまた会おう!」
「はい。また」
ぼたんは、最後に軽く手を上げた。
「またね、ユウトさん」
「はい。……ラーメン、ごちそうさまでした」
ぼたんの目が、ほんの少しだけ丸くなる。
そして、すぐに柔らかく細められた。
「お粗末さま」
ユウトは自動扉を抜け、外へ出た。
夕方の風が、頬を撫でる。
胸ポケットの懐中時計が、チ、チ、チ、と静かに鳴る。
また新しい名前が増えた。
雪花ラミィ。
桃鈴ねね。
尾丸ポルカ。
獅白ぼたん。
彼女たちの語る自分は、やはり遠かった。
だが、遠いだけではなかった。
ラミィの涙。
ねねの笑顔。
ポルカの即興劇。
ぼたんのラーメン。
それらは、確かに今の自分へ届いている。
記憶ではない。
けれど、今この瞬間の出来事として、ユウトの中に残った。
ユウトは一度だけ、事務所を振り返った。
ガラス越しに、5期生の四人がまだ手を振っているのが見えた。
ラミィは目元を拭いながら。
ねねは全力で。
ポルカは大げさに。
ぼたんは静かに。
ユウトは軽く会釈を返し、歩き出した。
この日の顔合わせは、珍しく最後まで大きなハプニングなく終了した。
少なくとも、ユウトの認識では。
――もっとも。
ユウトの姿が見えなくなった直後、ロビーではラミィがゆっくりとぼたんへ振り返っていた。
「ぼたんちゃん」
「はい」
「屋台の件と外壁の件、詳しく聞かせてもらいますね」
「ラミィ、笑顔が怖いよ」
「笑顔です」
ねねも腕を組む。
「ねねも聞く! ずるいから!」
ポルカは両手を広げた。
「さあ始まりました! 第二幕、白獅子尋問編!」
「ポルカちゃんも一緒に聞きますよ」
「え、座長も?」
「もちろんです」
ぼたんは、珍しく少しだけ困ったように笑った。
Aちゃんが淡々とメモを取り出す。
「外壁入室については、事務所側からも確認があります」
「こっちも?」
「当然です」
YAGOOは、また少しだけ天井を見上げた。
「……桜井くんが無事に帰れただけ、今日は良かったと思いましょう」
のどかは苦笑した。
「そうですね。今日は比較的、平和でした」
「比較的」
YAGOOはその言葉を繰り返し、静かにため息を吐いた。
ホロライブ事務所の夕暮れは、今日も騒がしい。
けれど、その騒がしさの中心には、少し前まで誰の記憶からも消えていたはずの一人の少年がいる。
彼の端末には、新たに四つの名前が刻まれた。
そして、その四つの名前はきっと。
これから彼の日常へ、遠慮なく、鮮やかに、そして少しだけ重たく入り込んでいくのだろう。
チ、チ、チ、チ――。
遠ざかるユウトの胸元で、銀色の懐中時計が静かに時を刻み続けていた。
止まっていたはずの物語は、また一つ、新しいページをめくった。