hololive Lost Story   作:ダニエルズプラン

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第30話 スカル案内・愛のデッドライン

 

 日は過ぎて、翌週土曜日の午後。

 

 桜井ユウトは、いつもより少しだけ緊張した面持ちで、ホロライブ事務所の前に立っていた。

 

 オルタナティブシティの空は晴れている。

 

 高層ビルの間を、魔導レールに沿って小型艇が流れるように走り、道路脇では魔導ネオンとホログラム広告が昼間から淡く輝いている。獣人の親子が手を繋いで歩き、エルフの配達員が浮遊端末を操作し、天使族の学生が翼をたたみながら友人たちと笑っている。

 

 魔導技術と科学技術が混ざり合った、いつものホロアースの街並み。

 

 その中で、ユウトだけが少しだけ場違いなほど真剣な顔をしていた。

 

「……3期生」

 

 小さく呟く。

 

 胸ポケットの中で、銀色の懐中時計が静かに時を刻んでいる。

 

 チ、チ、チ、チ――。

 

 落ち着いた音。

 

 だが今日に限っては、その音すら少しだけ急かしているように聞こえた。

 

 理由は分かっている。

 

 先週、ゲーマーズとの顔合わせが終わったあと。

 

 フブキさん、ミオさん、おかゆさん、ころねさん。

 

 ゲーマーズの面々は、次に会うことになる3期生について、実に多種多様な情報を吹き込んできた。

 

 曰く。

 

 兎田ぺこらさんは、警戒心が強いようで好奇心が勝つ。

 

 宝鐘マリンさんは、テンションが高く、距離が近く、話が長い。

 

 白銀ノエルさんは、優しくて真面目だが、力が強い。

 

 不知火フレアさんは、常識人枠。ただし3期生基準。

 

 そして、潤羽るしあさんについては――。

 

 なぜか、全員が一瞬だけ言葉を選んだ。

 

 フブキさんは笑顔のまま視線を逸らし。

 

 ミオさんは困ったように眉を下げ。

 

 おかゆさんは「ユウトくん、がんばってね〜」と言い。

 

 ころねさんは、にこにこしながら「ちゃんと帰ってきてねぇ」と言った。

 

 その時点で、不安にならない方が難しい。

 

 さらに問題なのは、ゲーマーズだけではなかった。

 

 連絡先を交換したライバーたちにも、ユウトは一応、次は3期生と顔合わせをすることを伝えていた。

 

 すると、みこさんからは即座に返信が来た。

 

『にぇ!? 3期生!? ユウト、死なないで帰ってきてにぇ!?』

 

 物騒だった。

 

 すいちゃんからは、少し遅れて短いメッセージが届いた。

 

『3期生は賑やかだけど、悪い子たちじゃないよ。ただし流されないようにね、ユウト』

 

 比較的まともだった。

 

 ただ、その数分後。

 

『特に船長とぺこらとるしあには気をつけて』

 

 と追撃が来た。

 

 まともではなかった。

 

 そらさんは優しく『大丈夫、みんなユウトくんに会いたいだけだから』と送ってくれた。

 

 だが、それに続いてAちゃんさんから『安全確保はこちらで行います』というメッセージが届いた。

 

 安全確保。

 

 顔合わせで出てくる単語ではない。

 

 ユウトは、事務所の自動扉を見上げる。

 

「……大丈夫」

 

 そう呟きかけて、口を閉じた。

 

 最近、その言葉を雑に使うと、やたらと怒られる。

 

 特にゲーマーズとの顔合わせ以降、「大丈夫」は信用審査が必要な単語になりつつあった。

 

 ユウトは小さく息を吐く。

 

「……行こう」

 

 そして、ホロライブ事務所の中へ足を踏み入れた。

 

 ~~~~~~~~

 

 事務所のロビーは、いつも通り明るかった。

 

 受付カウンターにはスタッフがいて、奥の廊下からは配信スタジオの準備をする声や、機材を運ぶ音が聞こえてくる。

 

 魔導照明は穏やかに光り、壁面に浮かぶ案内表示には、本日のスタジオ利用予定や会議室の予約状況が流れていた。

 

 いつもの光景。

 

 そのはずだった。

 

「桜井ユウト様ですね」

 

 案内役のスタッフが声をかけてきた。

 

 黒いベストに白いシャツ。

 

 丁寧な姿勢。

 

 柔らかい声。

 

 見た目だけなら、今まで案内してくれたスタッフたちと大きな違いはない。

 

 だが、ユウトはその瞬間、わずかに眉を寄せた。

 

 何かが変だった。

 

「はい。よろしくお願いします」

 

「こちらへどうぞ」

 

 スタッフは淡々と頭を下げ、廊下の奥へ歩き出す。

 

 ユウトもそれに続いた。

 

 歩きながら、ユウトは案内役の背中を見る。

 

 姿勢は綺麗だ。

 

 歩幅も乱れていない。

 

 言葉遣いも丁寧。

 

 だが、どこか違和感がある。

 

 生気がない。

 

 目の光が薄い。

 

 表情が動かない。

 

 まるで、決められた動作だけをなぞっている人形のような。

 

 いや。

 

 もっと言えば。

 

 屍が、無理やり人の姿をして動いているような。

 

「……」

 

 ユウトは、胸ポケットに手を当てた。

 

 懐中時計は鳴っている。

 

 チ、チ、チ、チ――。

 

 いつも通り。

 

 だが、ほんの少しだけ、音が硬い気がした。

 

「本日の顔合わせは、いつもの部屋ですか?」

 

 ユウトは何気ない調子で尋ねる。

 

 スタッフは振り返らずに答えた。

 

「はい。顔合わせ用の部屋へご案内します」

 

「そうですか」

 

 答えに不自然さはない。

 

 しかし、歩いている方向がおかしい。

 

 今まで、0期生、1期生、2期生、5期生、ゲーマーズと顔合わせをした時に使っていた部屋は、空間拡張された階層の中でも比較的人通りのある区画にあった。

 

 スタッフやタレントが行き来し、途中に休憩スペースもある。

 

 だが、今歩いている廊下は違う。

 

 妙に静かだ。

 

 人気がない。

 

 壁面の案内表示も少なくなっている。

 

 照明も、わずかに暗い。

 

 廊下の角を曲がるたびに、事務所の賑やかな気配が遠ざかっていく。

 

 ユウトは、足を止めた。

 

「あの」

 

 スタッフも、少し遅れて止まった。

 

「何でしょうか」

 

「顔合わせ用の部屋は、こちらでしたか?」

 

「はい」

 

「今までと道が違うように思うのですが」

 

「本日は、特別室を使用します」

 

「特別室」

 

「はい」

 

「YAGOOさんやAちゃんさんは、そこに?」

 

「はい」

 

 即答。

 

 だが、声に抑揚がない。

 

 ユウトは、スタッフの顔を見た。

 

 スタッフは微笑んでいる。

 

 微笑んでいる、ように見える。

 

 しかし、その笑みはあまりにも整いすぎていた。

 

「……失礼ですが」

 

 ユウトは、少しだけ声を低くした。

 

「あなた、本当にホロライブのスタッフさんですか?」

 

 その瞬間。

 

 廊下の空気が、変わった。

 

 スタッフの動きが止まる。

 

 首だけが、ゆっくりとユウトの方へ向く。

 

 口元の笑みが、少しずつ歪んだ。

 

「……」

 

 返事はない。

 

 代わりに、骨が軋むような音が聞こえた。

 

 ぱき。

 

 ぱき、ぱき。

 

 人の皮膚のように見えていたものが、薄い魔力の膜となって剥がれていく。

 

 黒いベスト。

 

 白いシャツ。

 

 人間の顔。

 

 それらが溶けるように消え、下から現れたのは――。

 

 白い骨。

 

 空洞の眼窩。

 

 古びた鎧。

 

 手に持つ、鈍く光る剣。

 

 骸骨騎士だった。

 

「……本当に、屍でしたか」

 

 ユウトは静かに呟いた。

 

 骸骨騎士は答えない。

 

 代わりに、剣を構える。

 

 同時に、ユウトの背後で金属音が鳴った。

 

 振り返る。

 

 そこにも骸骨騎士がいた。

 

 一体ではない。

 

 二体。

 

 三体。

 

 曲がり角の影から、壁の陰から、天井の魔導照明の暗がりから、次々と現れる。

 

 いつの間に囲まれたのか。

 

 いや、最初からこの区画に誘い込まれていたのだろう。

 

 ユウトは、ゆっくりと周囲を見渡した。

 

 前方に三体。

 

 後方に四体。

 

 左右の退路にも、それぞれ二体ずつ。

 

 合計十一体。

 

 骸骨騎士たちは無言で剣を構え、ユウトを中心に包囲していた。

 

 普通なら、悲鳴を上げる場面だ。

 

 逃げ出す場面だ。

 

 助けを呼ぶ場面だ。

 

 だが、ユウトの身体は、奇妙なほど冷静だった。

 

 心臓は速い。

 

 恐怖もある。

 

 だが、それより先に身体が動く準備を始めている。

 

 足の位置。

 

 重心。

 

 敵との距離。

 

 剣の長さ。

 

 廊下の幅。

 

 天井の高さ。

 

 逃げるならどこか。

 

 戦うなら、どの個体から崩すか。

 

 そんなことが、考えるより先に頭の中へ流れ込んでくる。

 

 自分でも分からない感覚。

 

 忘れているはずの戦い方。

 

 だが、身体だけは覚えている。

 

「……これも、前の僕のせいですか」

 

 ユウトは、小さく息を吐いた。

 

 胸ポケットの懐中時計が鳴る。

 

 チ、チ、チ――。

 

 いつもより速い。

 

 骸骨騎士の一体が踏み込んだ。

 

 剣が振り下ろされる。

 

 ユウトは半歩だけ横へ動いた。

 

 刃が、鼻先をかすめる。

 

 同時に、ユウトの手が骸骨騎士の手首を取る。

 

 力任せではない。

 

 関節の向き。

 

 剣の勢い。

 

 相手の踏み込み。

 

 それらを利用して、わずかに捻る。

 

 骸骨騎士の剣が床へ落ちた。

 

 金属音が廊下に響く。

 

 ユウトは、落ちた剣を蹴って遠ざけながら、距離を取った。

 

「……できれば、話し合いで済ませたいのですが」

 

 骸骨騎士たちは答えない。

 

 当然だ。

 

 骨なのだから。

 

 ユウトは少しだけ眉を寄せた。

 

「骨に話し合いは難しいですね」

 

 背後から二体が迫る。

 

 ユウトは振り返らずに、一歩前へ出た。

 

 背後の剣が空を切る。

 

 同時に、前方の一体が突きを放つ。

 

 ユウトは身体を沈め、突きの軌道を避け、そのまま相手の懐へ入った。

 

 肘で鎧の継ぎ目を押す。

 

 骨の身体が崩れる。

 

 骸骨騎士が膝をついた。

 

 完全には倒れない。

 

 だが、包囲に隙間ができる。

 

 そこへ走る。

 

 そう判断しかけた時だった。

 

 廊下の奥から、静かな拍手が聞こえた。

 

 ぱち。

 

 ぱち。

 

 ぱち。

 

 骸骨騎士たちの動きが、ぴたりと止まる。

 

 ユウトも、そちらを見る。

 

 薄暗い廊下の奥。

 

 骸骨騎士たちの向こう側。

 

 そこから、一人の少女が歩いてきた。

 

 小柄な身体。

 

 淡い色の髪。

 

 どこか儚げな雰囲気。

 

 けれど、その周囲には、明らかに普通ではない魔力が漂っている。

 

 骸骨騎士たちは、彼女の前で道を開けるように左右へ分かれた。

 

 少女は、ゆっくりとユウトの方へ近づいてくる。

 

 一歩。

 

 また一歩。

 

 そのたびに、廊下の空気が重くなる。

 

 ユウトは、彼女を見た。

 

 知らない。

 

 直接会った記憶はない。

 

 だが、名前は分かる。

 

 ゲーマーズが言葉を濁した人。

 

 みこさんが「死なないで帰ってきて」と言った理由の一つ。

 

 すいちゃんが「気をつけて」と付け加えた相手。

 

 ホロライブ3期生。

 

 潤羽るしあ。

 

「……見つけた」

 

 少女は、小さく呟いた。

 

 その声は、とても静かだった。

 

 泣き出しそうなほど優しく。

 

 けれど、逃げ場を塞ぐほど深かった。

 

「ユウトくん」

 

 名前を呼ばれた瞬間、ユウトの胸が強く痛んだ。

 

 懐中時計が鳴る。

 

 チ。

 

 いつもより大きな音。

 

 るしあは、ユウトを見つめたまま微笑んだ。

 

 その笑みは、嬉しそうだった。

 

 泣きそうだった。

 

 怒っているようにも見えた。

 

 そして、何より。

 

 ずっと待っていた人を、ようやく捕まえたような顔だった。

 

「やっと、来てくれた」

 

「……潤羽るしあさん、ですか」

 

 ユウトがそう言うと、るしあの表情がわずかに揺れた。

 

「潤羽るしあさん」

 

 彼女は、ゆっくりとその呼び方を繰り返す。

 

「そっか。今は、そう呼ぶんだ」

 

「すみません。僕は、まだ」

 

「分かってる」

 

 るしあは即座に言った。

 

「分かってるよ。ユウトくんは覚えてない。私たちのことも、前の世界のことも、何も。だから仕方ない。仕方ないって、ちゃんと分かってる」

 

 言葉は理解を示している。

 

 だが、その声は震えていた。

 

 ユウトは、何も言えなかった。

 

 骸骨騎士たちは動かない。

 

 ただ、るしあの命令を待つように、剣を下げたまま立っている。

 

「でもね」

 

 るしあは、一歩近づく。

 

「私は覚えてる」

 

 また一歩。

 

「ユウトくんが、私の声を聞いてくれたこと」

 

 一歩。

 

「不安な時に、そばにいてくれたこと」

 

 一歩。

 

「大丈夫って言って、全然大丈夫じゃなかったこと」

 

 ユウトの指が、無意識に胸ポケットへ伸びた。

 

 懐中時計。

 

 それを握ると、わずかに呼吸が整う。

 

 るしあは、その仕草を見て目を細めた。

 

「その時計」

 

「……これが、何か」

 

「前も、持ってた」

 

 るしあの声が、さらに柔らかくなる。

 

「最後の方。ユウトくん、時々それを見てた。何かを数えるみたいに。何かが減っていくのを、確かめるみたいに」

 

 ユウトの胸が軋む。

 

 減っていく。

 

 何が。

 

 記憶か。

 

 時間か。

 

 それとも、自分という存在そのものか。

 

「聞いても、教えてくれなかった」

 

 るしあは笑った。

 

 笑っているのに、目が泣いていた。

 

「いつもそうだった。優しい顔して、何でもないみたいにして、でも本当に大事なことは言ってくれない」

 

「……すみません」

 

「謝らないで」

 

 るしあの声が、少しだけ強くなった。

 

「今のユウトくんに謝ってほしいんじゃない」

 

「でも」

 

「でも、じゃないよ」

 

 その瞬間、骸骨騎士たちが一斉に剣を構えた。

 

 ユウトは反射的に身構える。

 

 るしあは、すぐに片手を上げた。

 

「だめ」

 

 たった一言。

 

 骸骨騎士たちは、また剣を下ろした。

 

 完全に従っている。

 

 この骸骨騎士たちは、るしあが召喚したもの。

 

 ユウトにも、それはもう分かっていた。

 

「……本物のスタッフさんは」

 

 ユウトは静かに尋ねた。

 

 るしあは首を傾げる。

 

「眠ってるだけ」

 

「眠っているだけ、ですか」

 

「うん。怪我はさせてないよ」

 

「それを聞いて少し安心しました」

 

「ユウトくんは、そういうところ気にするよね」

 

 るしあは、どこか嬉しそうに言った。

 

「自分が囲まれてるのに、先に他の人の心配する」

 

「普通だと思います」

 

「普通じゃないよ」

 

 るしあは即答した。

 

「ユウトくんの普通は、いつも自分を抜かしてる」

 

 その言葉に、ユウトは黙った。

 

 何度も言われている。

 

 ミオにも。

 

 おかゆにも。

 

 ころねにも。

 

 ノエルの話としても聞いた。

 

 自分のことを後回しにする。

 

 大丈夫じゃない時ほど大丈夫と言う。

 

 何も言わずに消える。

 

 それが、前の桜井ユウトだったのだと。

 

 そしておそらく、今の自分にも同じ癖がある。

 

「……潤羽さん」

 

「るしあ」

 

 彼女は遮った。

 

 ユウトは言葉を止める。

 

 るしあは、真っ直ぐにユウトを見る。

 

「るしあって、呼んで」

 

「……」

 

「お願い」

 

 声は小さかった。

 

 命令ではない。

 

 けれど、断れば何かが壊れてしまいそうな響きだった。

 

 ユウトは少しだけ目を伏せる。

 

 今の自分には、彼女との距離が分からない。

 

 どこまで踏み込んでいいのか。

 

 どこからが、前の自分の影をなぞるだけになるのか。

 

 分からない。

 

 それでも。

 

 目の前の彼女が、今にも泣きそうな顔で待っていることだけは分かった。

 

「……るしあさん」

 

 ユウトは、静かに言った。

 

 るしあの瞳が揺れる。

 

「さん、ついた」

 

「すみません。今は、これで」

 

「……うん」

 

 るしあは小さく笑った。

 

「今は、それでいい」

 

 今は。

 

 その言葉が、妙に重かった。

 

 るしあは、ゆっくりと手を伸ばす。

 

 ユウトの手首に、そっと触れた。

 

 冷たくはない。

 

 むしろ、少し熱い。

 

 強く掴まれているわけでもない。

 

 だが、離す気がないことだけは分かった。

 

「ねえ、ユウトくん」

 

「はい」

 

「どうして、みんなのところには普通に行ったの?」

 

「え?」

 

「0期生。1期生。2期生。5期生。ゲーマーズ」

 

 るしあの声が、ほんの少し低くなる。

 

「みんなとは、ちゃんと顔合わせしたんだよね」

 

「はい」

 

「笑った?」

 

「……たぶん」

 

「話した?」

 

「はい」

 

「名前、呼んだ?」

 

「呼びました」

 

「そっか」

 

 るしあは、微笑んだ。

 

 その笑みは柔らかい。

 

 だが、廊下の空気はさらに重くなった。

 

「じゃあ、私たちの番だよね」

 

「そのために来ました」

 

「うん」

 

 るしあは頷く。

 

「でも、普通に会うだけじゃ足りないと思ったの」

 

「足りない」

 

「だってユウトくん、また逃げるかもしれないから」

 

 ユウトは息を止めた。

 

「逃げるつもりはありません」

 

「今はそうかもしれない」

 

 るしあの指に、少しだけ力が入る。

 

「でも、前もそうだった。逃げるつもりなんてない顔で、いなくなった」

 

「……」

 

「だから、最初にちゃんと捕まえたかった」

 

 骸骨騎士たちが、無言で立っている。

 

 眠らされた本来のスタッフ。

 

 人気のない廊下。

 

 偽装した案内役。

 

 囲まれた自分。

 

 これが、彼女なりの「ちゃんと捕まえる」だったのだろう。

 

 だいぶ物騒だ。

 

 かなり物騒だ。

 

 完全に事案だ。

 

 だが、その根元にあるものが怒りだけではないことも、ユウトには分かってしまった。

 

 恐怖。

 

 喪失。

 

 後悔。

 

 愛情。

 

 それらが、あまりにも強く混ざり合っている。

 

「……るしあさん」

 

「なに?」

 

「僕は今日、3期生の皆さんに会いに来ました」

 

「うん」

 

「あなたにも、会いに来ました」

 

 るしあの瞳が、大きく揺れた。

 

「だから、逃げません」

 

「……ほんと?」

 

「はい」

 

「本当に?」

 

「はい」

 

「大丈夫って言ってない?」

 

「言っていません」

 

「誤魔化してない?」

 

「……少し緊張はしています」

 

「うん」

 

 るしあは、少しだけ満足そうに頷いた。

 

「そういうのは、ちゃんと言って」

 

「はい」

 

「怖いなら怖いって言って」

 

「……怖いです」

 

 ユウトが正直に言うと、るしあの表情が一瞬止まった。

 

 そして、なぜか少し嬉しそうに笑った。

 

「そっか」

 

「嬉しいんですか」

 

「うん」

 

「怖がられているのに?」

 

「隠されるより、ずっといい」

 

 その言葉は、妙にまっすぐだった。

 

 ユウトは返事ができなかった。

 

 るしあは、手首から手を離さないまま、少しだけ身を寄せる。

 

「怖くてもいいよ」

 

「……はい」

 

「でも、嫌いにならないで」

 

 声が、震えた。

 

「お願い。怖がってもいいから、嫌いにならないで」

 

 ユウトは、るしあを見た。

 

 彼女は本当に怯えていた。

 

 自分を失うことに。

 

 自分に拒絶されることに。

 

 自分がまた、どこかへ消えてしまうことに。

 

 ユウトはゆっくりと息を吸った。

 

「嫌いには、なっていません」

 

「ほんと?」

 

「はい」

 

「今のところ?」

 

「今のところ、という言い方は少し変ですが」

 

「じゃあ、嫌いじゃない?」

 

「嫌いじゃないです」

 

 るしあは、胸元を押さえた。

 

 泣きそうな顔で、少し笑う。

 

「よかった」

 

 その瞬間。

 

 廊下の奥から、慌ただしい足音が聞こえた。

 

「るしあちゃん!?」

 

「ちょ、待って待って待って! やっぱり先に動いてるじゃん!」

 

「ぺこら、言ったぺこ! るしあが一番危ないって言ったぺこ!」

 

「ぺこらも先週覗いてたでしょ!」

 

「それは偵察ぺこ!」

 

「二人とも今はそこじゃない!」

 

 複数の声。

 

 賑やかで、慌ただしくて、明らかに3期生らしい混沌。

 

 ユウトがそちらを見ると、廊下の角から四人の少女が飛び出してきた。

 

 兎耳を揺らす兎田ぺこら。

 

 帽子を押さえながら走る宝鐘マリン。

 

 慌てた顔の白銀ノエル。

 

 そして、状況を見てすぐに頭を抱える不知火フレア。

 

 その後ろには、Aちゃん、のどか、そしてYAGOOまでいる。

 

 Aちゃんの表情は、非常に冷静だった。

 

 冷静すぎて怖い。

 

 端末には、すでに何かが記録されている。

 

「るしあさん」

 

 Aちゃんが言った。

 

「本日の集合場所は、顔合わせ用の部屋とお伝えしていましたよね」

 

「……うん」

 

「桜井くんを人気のない区画に誘導する予定は、進行表にはありませんでした」

 

「……うん」

 

「スタッフを眠らせて、骸骨騎士に擬態させる予定もありませんでした」

 

「……うん」

 

「骸骨騎士で包囲する予定もありませんでした」

 

「……うん」

 

「では、これは何ですか」

 

 るしあは、ユウトの手首を握ったまま、小さく答えた。

 

「……お迎え」

 

「拉致未遂です」

 

 Aちゃんの即答が廊下に響いた。

 

 マリンが額に手を当てる。

 

「るしあー! 気持ちは分かる! 分かるけど手順が重い!」

 

「船長も大概距離感バグってるぺこ」

 

「ぺこらに言われたくない!」

 

「ぺこらは観葉植物に隠れるだけぺこ! 骸骨騎士は出さないぺこ!」

 

「隠れる時点でアウトだよ」

 

 フレアが疲れた声で言う。

 

 ノエルは、ユウトの方へ一歩近づいた。

 

「ユウトさん、大丈夫ですか?」

 

 その言葉に、ユウトは反射的に「大丈夫です」と答えそうになった。

 

 だが、寸前で止まる。

 

 3期生全員の視線が、こちらに集まっていた。

 

 特にるしあの視線が強い。

 

 ユウトは少しだけ考えてから言った。

 

「……驚きました」

 

 フレアが小さく頷く。

 

「うん。それが普通だと思う」

 

「少し怖かったです」

 

 るしあの指が震える。

 

 ユウトは続けた。

 

「でも、怪我はありません」

 

 ノエルがほっと息を吐く。

 

 マリンは胸を押さえた。

 

「よかったぁ……船長、心臓止まるかと思いましたよ」

 

「骨に囲まれていたのは僕ですが」

 

「それはそう!」

 

 ぺこらが腕を組む。

 

「ユウト、なかなか冷静だったぺこね」

 

「冷静だったというより、身体が勝手に動きました」

 

 その言葉に、Aちゃんの目がわずかに細くなる。

 

 YAGOOも、何かを察したように表情を曇らせた。

 

 前の世界。

 

 ゼロノス。

 

 戦い。

 

 記憶はなくても、身体に残ったもの。

 

 ユウト自身にも、それが何なのかはまだ分からない。

 

 ただ、骸骨騎士に囲まれた時、自分の身体は確かに戦う準備をした。

 

 それが少しだけ怖かった。

 

 るしあは、ユウトの手首を握る手を緩めた。

 

「……ごめんね」

 

 小さな声だった。

 

「怖がらせたかったわけじゃないの」

 

「はい」

 

「ただ、会いたかった」

 

「はい」

 

「ちゃんと、私のところにも来てほしかった」

 

「来ました」

 

 ユウトは静かに答える。

 

「僕は、今日、3期生の皆さんに会いに来ました。もちろん、るしあさんにも」

 

 るしあの瞳に、また涙が浮かんだ。

 

「……うん」

 

 Aちゃんが小さく息を吐く。

 

「では、骸骨騎士は撤収。眠らせたスタッフには謝罪。顔合わせは予定通り、部屋を移動して行います」

 

「はい……」

 

 るしあが手を上げると、骸骨騎士たちは静かに膝をついた。

 

 その身体が淡い光に包まれ、骨と鎧がほどけるように消えていく。

 

 廊下に残ったのは、さっきまでの不穏な空気と、妙に疲れた沈黙だけだった。

 

 ぺこらが、ぽつりと言う。

 

「初手から重すぎぺこ」

 

「ぺこらの落とし穴案も大差ないからね」

 

 フレアが言う。

 

「まだ出してないぺこ!」

 

「出す予定だったの?」

 

「……ないぺこ」

 

「目が泳いでる」

 

 マリンがユウトの前に出て、勢いよく頭を下げた。

 

「ユウトくん! 3期生を代表して謝ります! うちの同期が大変ご迷惑を!」

 

「船長が代表でいいぺこ?」

 

「こういう時だけ船長に押し付けるのやめて!?」

 

 ノエルも真剣に頭を下げる。

 

「ユウトさん、すみません。るしあちゃんの気持ちは分かるんです。でも、これは止めるべきでした」

 

「いえ。皆さんが来てくれたので」

 

「ユウトさん……」

 

 ノエルが感動したように目を潤ませる。

 

 フレアがすぐに言った。

 

「ノエル、抱きしめない」

 

「ま、まだ何もしてないよ!?」

 

「腕が動いてた」

 

「うっ」

 

 ユウトは、そのやり取りを見て、少しだけ肩の力を抜いた。

 

 3期生。

 

 確かに癖が強い。

 

 かなり強い。

 

 ゲーマーズの話は、盛っていたようで半分以上本当だった。

 

 だが、目の前の彼女たちは、ただ危険なだけではない。

 

 騒がしくて。

 

 不器用で。

 

 感情が強くて。

 

 それでも、誰もがユウトを見ていた。

 

 前の世界の自分を。

 

 消えてしまった自分を。

 

 そして、今ここにいる自分を。

 

 るしあは、まだユウトのそばにいた。

 

 手首から手は離れている。

 

 けれど、距離は近い。

 

 離れたくないという気配が、痛いほど伝わってくる。

 

「ユウトくん」

 

「はい」

 

「ちゃんと、部屋に来てくれる?」

 

「はい」

 

「逃げない?」

 

「逃げません」

 

「本当に?」

 

「本当に」

 

「……分かった」

 

 るしあは小さく頷いた。

 

 その顔は、少しだけ安心していた。

 

 Aちゃんが進行表を確認する。

 

「では、改めて3期生顔合わせを開始します。なお、開始前に予定外の召喚魔術、拉致未遂、擬態行為、落とし穴設置が確認された場合、即座に中止します」

 

「落とし穴はまだ見つかってないぺこ!」

 

「ぺこらさん」

 

「はいぺこ」

 

「今、自白しましたね」

 

「してないぺこ」

 

「しました」

 

「してないぺこぉ……」

 

 ぺこらの耳がしゅんと下がる。

 

 マリンが笑い、ノエルが困ったように微笑み、フレアがため息をつき、るしあがユウトの横で小さく笑う。

 

 その光景を見て、ユウトもほんの少しだけ口元を緩めた。

 

 怖かった。

 

 驚いた。

 

 困った。

 

 でも、逃げる気はなかった。

 

 自分の知らない過去を知るために。

 

 彼女たちの中に残る桜井ユウトと向き合うために。

 

 そして、今ここにいる自分が、何を選ぶのかを確かめるために。

 

 ユウトは、3期生たちと共に歩き出した。

 

 人気のない廊下から、賑やかな顔合わせの部屋へ。

 

 骸骨騎士に囲まれた不穏な幕開けは、どうにか終わった。

 

 だが、ユウトはまだ知らない。

 

 本当の3期生回は、ここからが本番だということを。

 

 そして。

 

 潤羽るしあの「お迎え」は、これでもまだ、彼女なりにかなり我慢した方だったということを。

 

 チ、チ、チ、チ――。

 

 胸元の銀色の懐中時計が、静かに時を刻む。

 

 その音は、いつもより少しだけ大きく。

 

 まるで、失われた時間の扉が、また一つ開いたことを告げているようだった。

 

 

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