hololive Lost Story   作:ダニエルズプラン

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第34話 闇のスイッチ、吾輩参上!

 

 日曜日の午後。

 

 桜井ユウトは、ホロライブ事務所の顔合わせ用の部屋の前に立っていた。

 

 昨日は4期生との顔合わせだった。

 

 天音かなた。

 

 角巻わため。

 

 常闇トワ。

 

 姫森ルーナ。

 

 桐生ココ。

 

 今までの組とは少し違う、静かで、しんみりとした時間。

 

 騒がしさよりも、言葉の重さが残る顔合わせだった。

 

 特に桐生ココの言葉は、今も胸の奥に引っかかっている。

 

 自分が彼女を送り出したこと。

 

 それを彼女が覚えていたこと。

 

 そして、自分はそれをまだはっきりとは思い出せないこと。

 

 けれど、完全に何もないわけではなかった。

 

 「行ってらっしゃい」と言った自分の声。

 

 「卒業しても、ココさんがいた時間は消えない」と告げた記憶の欠片。

 

 それは、霧の中に浮かぶ光のように、今もユウトの中に残っている。

 

 そして今日は。

 

「……6期生」

 

 ユウトは、小さく呟いた。

 

 6期生。

 

 秘密結社holoX。

 

 名前だけで、すでに少し不穏だった。

 

 いや、かなり不穏だった。

 

 秘密結社。

 

 holoX。

 

 普通の顔合わせの相手としては、あまりにも主張が強い。

 

 昨日、Aちゃんから届いた連絡には、いつも通りの丁寧な文章でこう書かれていた。

 

『明日日曜日午後、秘密結社holoXとの顔合わせで確定しました。安全対策を強化しておきます』

 

 また安全対策だった。

 

 0期生、1期生、2期生、5期生、ゲーマーズ、3期生、4期生。

 

 すでに七組目。

 

 ここまで来れば、ユウトもホロライブ事務所での顔合わせというものにある程度慣れてきている。

 

 しかし、安全対策という言葉が出るたびに、どうしても3期生の骸骨騎士を思い出してしまう。

 

 今回は、さすがに骸骨騎士は出ないだろう。

 

 たぶん。

 

 出ないはずだ。

 

 出ないでほしい。

 

 ユウトは胸ポケットに手を当てた。

 

 銀色の懐中時計が、静かに時を刻んでいる。

 

 チ、チ、チ、チ――。

 

 昨日と同じように、穏やかな音。

 

 けれど、部屋の前に立った瞬間から、少しだけ音が硬くなった気がする。

 

「……行こう」

 

 ユウトは息を整え、扉をノックした。

 

 コン、コン。

 

 いつもなら、すぐに中からAちゃんの声が返ってくる。

 

 どうぞ。

 

 または、少々お待ちください。

 

 そういう、いつもの進行役の声。

 

 だが。

 

「……」

 

 返事がない。

 

 ユウトは数秒待った。

 

 もう一度ノックする。

 

 コン、コン。

 

 やはり返事はない。

 

「……部屋を間違えた?」

 

 廊下の表示を確認する。

 

 顔合わせ用の部屋。

 

 間違いない。

 

 Aちゃんから届いた案内にも、この部屋番号が書かれていた。

 

 ユウトは少しだけ眉を寄せる。

 

 連絡しようか。

 

 そう思って端末に手を伸ばしかけた時、扉がわずかに開いていることに気づいた。

 

 完全には閉まっていない。

 

 内側から、わずかに隙間ができている。

 

「失礼します」

 

 念のため声をかけて、ユウトは扉を開けた。

 

 その瞬間。

 

 目の前に広がっていたのは、闇だった。

 

「……」

 

 部屋の中が、真っ暗だった。

 

 ただ暗いのではない。

 

 窓が閉められているとか、照明が落ちているとか、そういう程度ではなかった。

 

 一メートル先も見えない。

 

 まるで黒い布を何重にも重ねたような、濃い暗闇。

 

 顔合わせ用の部屋は、いつもなら明るい。

 

 中央に大きなテーブルがあり、椅子が並び、奥にYAGOOやAちゃん、のどかが座っている。

 

 その見慣れた構造が、今はまったく見えなかった。

 

「……やっぱり、間違えましたか」

 

 ユウトはそう呟き、踵を返そうとした。

 

 その時。

 

 背後で、かちゃり、と音がした。

 

 ユウトは振り返る。

 

 ついさっき、自分が開けたはずの扉。

 

 それが、閉まっていた。

 

「……」

 

 ユウトは扉に手をかける。

 

 開かない。

 

 もう一度引く。

 

 やはり開かない。

 

 押しても引いても、びくともしない。

 

 鍵がかかっているのか。

 

 それとも、魔導的なロックか。

 

 ユウトは、少しだけ息を吐いた。

 

「……これ、顔合わせですよね」

 

 返事はない。

 

 暗闇だけが、部屋の中に広がっている。

 

 ユウトの身体が、無意識にわずかに沈む。

 

 重心を落とす。

 

 足裏で床を探る。

 

 周囲の気配を読む。

 

 何かが来た時、どう動くか。

 

 どこへ避けるか。

 

 反撃するなら、どう崩すか。

 

 考えるより先に、身体が勝手に準備を始めていた。

 

 ユウトは自分の反応に気づき、少しだけ目を伏せる。

 

 まただ。

 

 記憶はない。

 

 だが、身体は戦い方を覚えている。

 

 3期生の骸骨騎士に囲まれた時と同じ。

 

 自分の中にいる、自分の知らない桜井ユウト。

 

 その影が、今も身体の奥で動いている。

 

 胸ポケットの懐中時計が鳴った。

 

 チ。

 

 その音が、暗闇の中で妙に大きく響いた。

 

 次の瞬間。

 

 パッ、と光が点いた。

 

 スポットライトのような白い光が、真上からユウトだけを照らす。

 

「……っ」

 

 急な光に、ユウトはわずかに目を細めた。

 

 周囲はまだ暗い。

 

 自分の立つ場所だけが、舞台の中央のように照らされている。

 

 そして、どこからともなく低い効果音が流れ始めた。

 

 ドン。

 

 ドン。

 

 ドン。

 

 やけに重々しい音。

 

 秘密結社の儀式めいた、妙に芝居がかった音楽。

 

 ユウトは、顔を上げた。

 

「これは……」

 

 次のスポットライトが点く。

 

 ユウトの正面、少し高い位置。

 

 そこに、一人の少女が立っていた。

 

 小柄な身体。

 

 大きな角。

 

 どこか偉そうな立ち姿。

 

 腕を組み、黒と紫の光を背に受けながら、堂々とユウトを見下ろしている。

 

 ラプラス・ダークネス。

 

 秘密結社holoX総帥。

 

 さらに、横へ光が走る。

 

 二つ目のスポットライト。

 

 そこには、鷹嶺ルイが立っていた。

 

 落ち着いた表情。

 

 長身で、余裕のある佇まい。

 

 だが、目だけはユウトをまっすぐ捉えている。

 

 三つ目の光。

 

 博衣こより。

 

 白衣を翻し、なぜか小型の魔導端末と複数の計測器を抱えている。

 

 表情は興奮気味だが、その奥に隠しきれない緊張があった。

 

 四つ目。

 

 沙花叉クロヱ。

 

 少し気だるげな姿勢で立ち、眠そうにも見える。

 

 けれど、こちらを見る瞳は、妙に近い。

 

 遠くから見ているはずなのに、距離を詰められているような感覚がある。

 

 五つ目。

 

 風真いろは。

 

 背筋を伸ばし、まっすぐに立っている。

 

 侍のような落ち着き。

 

 しかし、その手は胸の前で強く握られていた。

 

 五人。

 

 スポットライトに照らされた、ホロライブ6期生。

 

 秘密結社holoX。

 

 ユウトは、しばらく無言でその光景を見ていた。

 

 それから、静かに言った。

 

「……ずいぶん本格的ですね」

 

 すると、中央のラプラスが、にやりと笑った。

 

「ふはははは! よくぞ来たな、桜井ユウト!」

 

 声が部屋の中に響く。

 

 どうやら、音響魔導まで使っているらしい。

 

「ここは貴様が知る顔合わせの部屋にして、我ら秘密結社holoXの臨時作戦本部! そして吾輩こそが――」

 

 ラプラスは片手を高く掲げた。

 

「世界を掌握せんとする偉大なる総帥、ラプラス・ダークネ――」

 

 パチン。

 

 部屋の照明が、すべて点いた。

 

「……ス」

 

 ラプラスの声が、最後だけ妙に小さくなった。

 

 暗闇が一瞬で消える。

 

 黒い演出照明も、怪しげな効果音も、スポットライトも、全部止まった。

 

 顔合わせ用の部屋は、いつもの明るさを取り戻した。

 

 中央には普通に大きなテーブルがあり、椅子が並んでいる。

 

 壁際には、照明操作用の魔導端末。

 

 その横に、Aちゃんが立っていた。

 

 手には端末。

 

 表情はいつも通り冷静。

 

 さらに奥には、YAGOOとのどかも座っていた。

 

 のどかは少し困った顔。

 

 YAGOOはすでに遠い目をしている。

 

「……Aちゃん?」

 

 ラプラスが、掲げた手をそのままにして言った。

 

「まだ吾輩の名乗りが終わっていないのだが?」

 

「開始から三十秒を超えました」

 

 Aちゃんは淡々と答えた。

 

「事前にお伝えした通り、演出は三十秒以内です」

 

「短すぎる!」

 

 ラプラスが叫ぶ。

 

「秘密結社の総帥が! 三十秒で! 名乗りを終えられるわけがないだろう!」

 

「事前資料では、想定演出時間が五分四十秒になっていました」

 

「必要な尺だ!」

 

「顔合わせです。儀式ではありません」

 

「儀式も顔合わせの一部だ!」

 

「違います」

 

 即答だった。

 

 ルイが小さく息を吐く。

 

「総帥、だから事前に短くしましょうと言ったんです」

 

「ルイ! 貴様まで裏切るのか!」

 

「裏切りではありません。進行管理です」

 

 こよりが端末を抱えながら抗議する。

 

「でもAちゃん先輩! 暗闇演出中のユウトくんの心拍と懐中時計の反応、こよまだ十分にデータ取れてません!」

 

「取得しないでください」

 

「安全な範囲で!」

 

「顔合わせです。実験ではありません」

 

「ぐう正論!」

 

 クロヱは、明るくなった部屋を見て、眠そうに目をこすった。

 

「えー、もう終わり? せっかく暗い方が雰囲気あったのに」

 

「沙花叉さん」

 

 Aちゃんが言う。

 

「扉の演出ロックを解除してください」

 

「え、バレてた?」

 

「バレています」

 

「ちぇー」

 

 クロヱが指を鳴らすと、扉の方からかちゃりと音がした。

 

 いろはは、少しだけ申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「桜井殿、驚かせてしまい申し訳ないでござる」

 

「いえ」

 

 ユウトは、部屋の状況を見回す。

 

 危険はない。

 

 たぶん。

 

 少なくとも、骸骨騎士よりは安全そうだ。

 

「演出、ということでいいんですよね」

 

「当然だ!」

 

 ラプラスが胸を張った。

 

「吾輩たちholoXの威厳を示すための、完璧な登場演出だ!」

 

「三十秒で終わりましたが」

 

「Aちゃんのせいだ!」

 

「事前合意に基づく進行です」

 

 Aちゃんは揺るがない。

 

 YAGOOが小さく呟いた。

 

「照明が点いて、少し安心しました」

 

「YAGOOさんまで!?」

 

 ラプラスは衝撃を受けた顔をした。

 

 のどかが困ったように笑う。

 

「でも、ユウトさんが本当に閉じ込められたと思ったら危ないですし……」

 

「演出用の簡易ロックだ! 緊急時には外れる!」

 

「閉じ込めたこと自体は認めるんですね」

 

 ユウトが言うと、ラプラスは一瞬止まった。

 

「……細かいことを気にするな」

 

「気にします」

 

「むぅ」

 

 ラプラスは頬を膨らませた。

 

 その反応は、総帥というより年相応の少女に近い。

 

 しかし、次の瞬間にはまた胸を張る。

 

「とにかく! 我らこそ秘密結社holoX! 貴様を迎えるにふさわしい舞台を用意したのだ!」

 

「ありがとうございます」

 

 ユウトは素直に頭を下げた。

 

「準備していただいたこと自体は、嬉しいです」

 

「……」

 

 ラプラスの動きが止まった。

 

「……ふ、ふん」

 

 彼女は顔をそらす。

 

「当然だ。吾輩たちほどの組織なら、この程度は造作もない」

 

 だが、耳まで少し赤くなっていた。

 

 ルイがそれを見て、微笑ましそうに目を細める。

 

 Aちゃんは端末を確認し、静かに言った。

 

「では、改めて顔合わせを開始します。まずは自己紹介からお願いします」

 

「むぅ……」

 

 ラプラスはまだ不満そうだった。

 

「せめて名乗りだけは最後まで」

 

「自己紹介として、一分以内でお願いします」

 

「一分!?」

 

「一分です」

 

「吾輩の威厳が一分に収まると思うのか!」

 

「収めてください」

 

 ラプラスはしばらく唸っていたが、やがて渋々と椅子の前に立った。

 

「……よかろう」

 

 そして、ユウトをまっすぐ見る。

 

 その瞬間、先ほどまでの抗議混じりの表情が少し変わった。

 

 偉そうな総帥の顔。

 

 それに混ざる、隠しきれない緊張。

 

 そして、再会への強い感情。

 

「秘密結社holoX総帥、ラプラス・ダークネスだ」

 

 今度の声は、先ほどよりも落ち着いていた。

 

「貴様……いや、ユウト」

 

 呼び方を変えた瞬間、彼女自身が少し驚いたように目を揺らした。

 

「吾輩たちは、ずっと待っていた」

 

 部屋が静かになる。

 

 ラプラスの声は、総帥らしくあろうとしていた。

 

 だが、その奥には震えがあった。

 

「前の世界で、貴様は吾輩たちを支えた。秘密結社holoXなどという、胡散臭くて、騒がしくて、面倒な連中を、呆れながらもちゃんと見ていた」

 

「……自分で胡散臭いと言うんですか」

 

「そこは突っ込むな!」

 

 ラプラスは少しだけいつもの調子を取り戻す。

 

 だが、すぐに声を落とした。

 

「でも、いなくなった」

 

 その一言で、部屋の空気が重くなる。

 

「吾輩は総帥だ。偉大な総帥だ。だから、平気な顔をしていなければならない。そう思った」

 

 ラプラスは、拳を握った。

 

「でも、平気ではなかった」

 

 ユウトは、静かに彼女を見る。

 

 ラプラスの小さな身体からは、確かな熱が伝わってきた。

 

「だから、今日会えてよかった。貴様が覚えていなくても、今ここにいるなら、それでまずはよい」

 

 そこでラプラスは、少しだけ顔を赤くする。

 

「まずは、だからな! いずれ吾輩の偉大さも、holoXの素晴らしさも、全部思い出してもらう!」

 

「努力します」

 

「そこは断言しろ!」

 

「まだ自信がないので」

 

「正直すぎる!」

 

 ラプラスはぷいと顔を背けた。

 

「ふん。よろしくしてやる、ユウト」

 

「よろしくお願いします。ラプラスさん」

 

「総帥と呼べ!」

 

「今はラプラスさんで」

 

「むぅ……」

 

 不満そうにしながらも、彼女の目は少し嬉しそうだった。

 

 次に、鷹嶺ルイが立ち上がった。

 

「秘密結社holoXの女幹部、鷹嶺ルイです」

 

 落ち着いた声。

 

 場を整えるような、しっかりとした響き。

 

「先ほどの演出については、代表してお詫びします」

 

「おいルイ! 謝るな! あれは威厳ある演出だ!」

 

「驚かせたことは事実ですから」

 

「ぐぬぬ……」

 

 ルイはラプラスを軽く受け流し、ユウトへ向き直った。

 

「ユウトくん、今日は来てくれてありがとう」

 

「こちらこそ。よろしくお願いします。鷹嶺さん」

 

「うん。まずはそれで大丈夫」

 

 ルイは穏やかに微笑んだ。

 

 その笑顔は、holoXの中ではかなり落ち着いている。

 

 けれど、完全に平静というわけではなかった。

 

「前の世界のユウトくんは、holoXの暴走を止める側でもあったけど、私のこともよく見てくれていたと思う」

 

「鷹嶺さんを、ですか」

 

「うん。私は、みんなをまとめる側だから。総帥を支えて、こよりを止めて、沙花叉を起こして、いろはちゃんを見守って。そうやって動いている時、ユウトくんは時々言ってくれたの」

 

 ルイは、少し懐かしそうに目を細める。

 

「『鷹嶺さんも、休む側に入ってください』って」

 

 ユウトは、胸の奥が少し痛むのを感じた。

 

 言った覚えはない。

 

 だが、言いそうだとは思った。

 

「私は大丈夫って返したんだけど、ユウトくんはあまり信用してくれなかった」

 

「それは……僕も言われる側なので」

 

「うん。だから今は、私から言うね」

 

 ルイの声が、少しだけ強くなる。

 

「ユウトくんも、休む側に入ってね」

 

 静かな言葉。

 

 だが、逃げ道がない。

 

 ユウトは少しだけ苦笑した。

 

「はい。気をつけます」

 

「気をつけるだけじゃなくて、ちゃんと休むこと」

 

「……はい」

 

「よろしい」

 

 ルイは満足そうに頷いた。

 

「よろしくね、ユウトくん」

 

「よろしくお願いします、ルイさん」

 

 ルイの表情が、ほんの少しだけ柔らかくなる。

 

「うん」

 

 次に、博衣こよりが勢いよく立ち上がった。

 

「はいはいはい! 秘密結社holoXの頭脳! 博衣こよりです!」

 

 元気な声。

 

 白衣の袖が揺れ、彼女の手元の端末には、何やら複雑な数値が表示されている。

 

「ユウトくんの記憶喪失、懐中時計の反応、戦闘経験の身体記憶、すべて非常に興味深く――」

 

「こよりさん」

 

 Aちゃんが静かに呼ぶ。

 

「はい!」

 

「自己紹介です」

 

「分かってます! 分かってますけど、研究者としては見逃せない要素が多すぎて!」

 

「こより」

 

 ルイの声。

 

「落ち着いて」

 

「はい!」

 

 こよりは一度深呼吸した。

 

 そして、改めてユウトを見る。

 

「ホロライブ6期生、博衣こよりです。よろしくね、ユウトくん」

 

「よろしくお願いします。博衣さん」

 

「博衣さん!」

 

 こよりは少しだけ反応した。

 

「ふむふむ、現在の距離感としては苗字さん付け。既に顔合わせ済みのメンバーから聞いていた通りですね。これは今後の親密度推移を――」

 

「こよりさん」

 

「はい! 自己紹介でした!」

 

 彼女は慌てて端末を下ろした。

 

 だが、その目はずっとユウトを見ている。

 

 研究者としての興味。

 

 それは確かにある。

 

 しかし、それだけではなかった。

 

「前のユウトくんはね、こよの研究とか企画とか、ちゃんと聞いてくれたんだ」

 

 こよりの声が、少しだけ落ち着く。

 

「こよが早口で話しても、途中で止めないで、最後まで聞いてくれた。もちろん、危ないことは危ないって止めたけど」

 

「止める必要がある研究もあったんですね」

 

「ちょっとだけ!」

 

「ちょっと」

 

「本当にちょっと!」

 

 ルイが横から小さく首を振った。

 

 ユウトは、それ以上追及しないことにした。

 

 こよりは、端末を胸の前で抱える。

 

「でもね、ユウトくんがいなくなった後、こよは思ったの。もっとちゃんと聞けばよかったって。ユウトくんのことも、調べるとか分析するとかじゃなくて、ちゃんと本人に聞けばよかったって」

 

 彼女の声が、少し震える。

 

「だから今日は、研究者としても興味はあるけど……それ以上に、会いたかった」

 

 その言葉だけは、まっすぐだった。

 

 ユウトは静かに頭を下げる。

 

「ありがとうございます。こよりさん」

 

「……っ」

 

 こよりは目を見開いた。

 

「今、こよりさんって」

 

「はい」

 

「もう一回!」

 

「こよりさん」

 

「録音したい!」

 

「しないでください」

 

「だめ!?」

 

「だめです」

 

 こよりは残念そうに肩を落とした。

 

 だが、その顔は嬉しそうだった。

 

 次に、沙花叉クロヱがゆっくり立ち上がった。

 

 彼女は他のメンバーよりも、どこか力の抜けた雰囲気をまとっている。

 

 眠そうで、だるそうで、飄々としている。

 

 だが、ユウトは少しだけ身構えた。

 

 理由は分からない。

 

 ただ、彼女の視線が近い。

 

 距離はある。

 

 椅子一つ分以上は離れている。

 

 それなのに、ふっと油断したら一気に距離を詰められそうな気がした。

 

「秘密結社holoXの掃除屋、沙花叉クロヱでーす」

 

 クロヱはゆるく手を振った。

 

「よろしくね、ユウトくん」

 

「よろしくお願いします。沙花叉さん」

 

「沙花叉さんかぁ」

 

 クロヱは、少しだけ笑った。

 

 その笑顔は柔らかい。

 

 けれど、どこか寂しい。

 

「さかまたって呼んでくれてもいいよ」

 

「今は、沙花叉さんで」

 

「ふーん」

 

 クロヱはゆっくりと首を傾げる。

 

「今は、ね」

 

 その言い方に、妙な重さがあった。

 

 ユウトは何も言わなかった。

 

 クロヱは、眠そうな声のまま続ける。

 

「ユウトくん、ちゃんと帰ってきた?」

 

 その質問は、自己紹介の流れから少し外れていた。

 

 部屋の空気が変わる。

 

 ラプラスが口を閉じる。

 

 ルイが静かにクロヱを見る。

 

 こよりも端末を下ろす。

 

 いろはは、強く手を握った。

 

「帰ってきた、というのは」

 

「ここに」

 

 クロヱは、まっすぐユウトを見た。

 

「ちゃんと、ここにいる?」

 

 ユウトは、息を止めた。

 

 ここにいる。

 

 その言葉が、妙に胸に刺さる。

 

 自分はここにいる。

 

 この部屋にいる。

 

 holoXの前に立っている。

 

 だが、彼女たちが知っている桜井ユウトは、まだ戻りきっていない。

 

 記憶も。

 

 時間も。

 

 彼女たちと過ごした日々も。

 

 だから、簡単に「帰ってきました」とは言えなかった。

 

「……今の僕は、ここにいます」

 

 ユウトはゆっくり答えた。

 

「でも、あなたたちが覚えている僕が、完全に帰ってきたとは言えません」

 

 クロヱの目が、少しだけ細くなる。

 

「正直だね」

 

「最近、そうした方がいいと学びました」

 

「誰に?」

 

「たくさんの人に」

 

「そっか」

 

 クロヱは小さく笑った。

 

「じゃあ、今はそれでいいや」

 

 今は。

 

 また、その言葉。

 

 何度も聞いてきた。

 

 今は、それでいい。

 

 けれど、ずっとではない。

 

 いつか。

 

 きっと。

 

 そういう願いが、そこに込められている。

 

 クロヱは、少しだけ身を乗り出す。

 

「でも、またいなくなるのはなしね」

 

「……はい」

 

「ほんと?」

 

「はい」

 

「大丈夫って言ってない?」

 

「言っていません」

 

「よし」

 

 クロヱは満足そうに頷いた。

 

「じゃあ、よろしくね。ユウトくん」

 

「よろしくお願いします、クロヱさん」

 

 クロヱの瞳が、わずかに揺れた。

 

「……うん」

 

 その返事は、とても小さかった。

 

 最後に、風真いろはが立ち上がった。

 

 彼女は背筋を伸ばし、ユウトに向かって深く一礼した。

 

「秘密結社holoXの用心棒、風真いろはでござる」

 

 声は澄んでいた。

 

 まっすぐで、迷いがない。

 

「桜井殿、本日はお越しいただき、ありがとうございます」

 

「こちらこそ、よろしくお願いします。風真さん」

 

「……風真さん」

 

 いろはは、その呼び方を一度だけ噛みしめるように繰り返した。

 

 それから、静かに顔を上げる。

 

「今は、それで十分でござる」

 

 十分。

 

 そう言いながら、彼女の瞳には強い感情があった。

 

「前の世界で、桜井殿は何度も拙者たちを助けてくれました」

 

 いろはの声が、少しずつ重くなる。

 

「配信のことだけではありません。迷った時、困った時、誰かが無理をしている時。桜井殿は、いつも気づいてくれたでござる」

 

 彼女の手が、胸の前でぎゅっと握られる。

 

「でも、拙者は気づけなかった」

 

 その言葉に、ユウトは胸が痛んだ。

 

「桜井殿が何を抱えていたのか。どれだけ無理をしていたのか。何を失いながら戦っていたのか。拙者は、最後までちゃんと守れなかった」

 

「……風真さん」

 

「だから」

 

 いろはは、ユウトの言葉を遮らなかった。

 

 けれど、自分の言葉を止めもしなかった。

 

「今度こそ、守るでござる」

 

 まっすぐだった。

 

 あまりにもまっすぐで、逃げ場がない。

 

「桜井殿が一人で抱えようとするなら、拙者が止めます。どこかへ行こうとするなら、追いかけます。危ない場所へ向かうなら、隣に立ちます」

 

 その瞳には、後悔と決意が混ざっていた。

 

「もう、見送るだけは嫌でござる」

 

 ユウトは、何も言えなかった。

 

 その言葉は、今まで何度も聞いてきたものと似ている。

 

 勝手にいなくならないで。

 

 大丈夫と誤魔化さないで。

 

 一人で抱えないで。

 

 けれど、いろはの言葉には、剣のような鋭さがあった。

 

 守る。

 

 今度こそ守る。

 

 それが彼女の中で、祈りではなく誓いになっている。

 

「……僕は」

 

 ユウトは、ゆっくり言葉を探した。

 

「まだ、皆さんが覚えている僕を思い出せていません。だから、守られるほどのことをした自覚もありません」

 

「それでも」

 

 いろはは即座に答えた。

 

「拙者が守りたいのでござる」

 

 その一言に、部屋が静まり返った。

 

 ユウトは、胸ポケットに手を当てる。

 

 懐中時計が鳴った。

 

 チ。

 

 一瞬、何かが見えた気がした。

 

 夜の事務所。

 

 騒がしい声。

 

 資料を抱えた自分。

 

 廊下の向こうから走ってくる誰か。

 

 刀のように真っ直ぐな眼差し。

 

 ――桜井殿。

 

 呼ばれた気がした。

 

 だが、その先は霧の中に消える。

 

「……ありがとうございます」

 

 ユウトは静かに言った。

 

「風真さんに、そう言ってもらえることを、今の僕は大事にしたいです」

 

 いろはの瞳が揺れた。

 

「はい」

 

 彼女は、もう一度深く頭を下げる。

 

「よろしくお願いいたします、桜井殿」

 

「よろしくお願いします、いろはさん」

 

 その呼び方に、いろはの肩がぴくりと動いた。

 

「……いろはさん」

 

「あ、嫌でしたか?」

 

「いえ」

 

 いろはは、顔を上げる。

 

 その頬が、少しだけ赤い。

 

「嬉しいでござる」

 

 その声は、これまでで一番柔らかかった。

 

 ~~~~~~~~

 

 holoX全員の自己紹介が終わった。

 

 正確には、ラプラスの名乗りはAちゃんによって途中で切られた。

 

 こよりの研究説明も途中で止められた。

 

 クロヱの扉ロックも解除された。

 

 それでも、一通りの自己紹介は終わった。

 

 ユウトは、改めて5人を見る。

 

 ラプラス・ダークネス。

 

 鷹嶺ルイ。

 

 博衣こより。

 

 沙花叉クロヱ。

 

 風真いろは。

 

 秘密結社holoX。

 

 最初の演出はかなり芝居がかっていた。

 

 暗闇に閉じ込められ、スポットライトで照らされ、総帥が大仰に名乗りかけた時は、一体どうなることかと思った。

 

 だが、自己紹介が進むにつれて見えてきたのは、ただの騒がしさだけではなかった。

 

 待っていた時間。

 

 失った痛み。

 

 再会の喜び。

 

 そして、今度こそ離したくないという強い思い。

 

 それは、今まで会ってきた誰とも同じで、誰とも違っていた。

 

 Aちゃんが端末を確認し、少しだけ表情を緩める。

 

「では、自己紹介はここまでです。次は、前の世界での桜井くんとの関わりについて、順番に話していただきます」

 

 その言葉に、holoXの空気がまた少し変わった。

 

 ラプラスが腕を組み直す。

 

 ルイが静かに目を伏せる。

 

 こよりが端末を持つ手に力を込める。

 

 クロヱがユウトを見つめる。

 

 いろはが背筋を伸ばす。

 

 ユウトは、自然と胸ポケットの懐中時計に触れていた。

 

 チ、チ、チ、チ――。

 

 銀色の針は、静かに進んでいる。

 

 暗闇の演出は終わった。

 

 秘密結社の名乗りも、Aちゃんによって短縮された。

 

 しかし、本当の意味でのholoXとの顔合わせは、まだ始まったばかりだった。

 

 ユウトは、椅子に座り直す。

 

 目の前には、かつて自分が支えたという5人がいる。

 

 自分を覚えている5人がいる。

 

 そして、自分が忘れてしまった時間を、これから語ろうとしている。

 

 ラプラスが、少しだけ偉そうに顎を上げた。

 

「では、吾輩から話してやろう」

 

「一分ではなくていいんですか?」

 

 ユウトが言うと、ラプラスは一瞬きょとんとした。

 

 それから、嬉しそうに笑った。

 

「ふん。貴様が望むなら、いくらでも聞かせてやる」

 

「長くなりすぎない範囲でお願いします」

 

「そこは遠慮するな!」

 

 holoXの面々が、少しだけ笑う。

 

 暗闇から始まった第34話。

 

 その先にあるのは、笑いだけではない。

 

 きっと、痛みもある。

 

 寂しさもある。

 

 それでもユウトは、逃げずに聞こうと思った。

 

 自分が忘れている、彼女たちとの時間を。

 

 秘密結社holoXとの顔合わせは、ここから本当の本番を迎える。

 

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