hololive Lost Story 作:ダニエルズプラン
最後の顔合わせの日が来た。
土曜日の午前。
桜井ユウトは、いつものようにホロライブ事務所の廊下を歩いていた。
胸ポケットには、銀色の懐中時計。
チ、チ、チ、チ――。
規則正しい音が、服越しに小さく響いている。
今日は、ホロライブIDとの顔合わせ。
そして午後には、ホロライブENとの顔合わせが予定されている。
これで、前の世界で自分と関わりがあったというライバーたちとの顔合わせは、最後になる。
最後。
その言葉を意識すると、胸の奥が少しだけ重くなった。
これまで何度もこの事務所へ来た。
0期生。
1期生。
2期生。
5期生。
ゲーマーズ。
3期生。
4期生。
そして6期生、秘密結社holoX。
騒がしい顔合わせもあった。
泣きそうな顔合わせもあった。
骸骨騎士に囲まれたこともあった。
暗闇の部屋に閉じ込められ、スポットライトを浴びたこともあった。
今思い返しても、顔合わせという言葉の範囲をかなり越えている。
だが、そのすべてに共通していたものがある。
彼女たちは、覚えていた。
自分が忘れてしまった時間を。
前の世界で、自分がそこにいたことを。
そして、自分が消えたことを。
今日会うホロライブIDとホロライブENは、今までのライバーたちほど長く、近く、濃密に関わっていたわけではないと聞いている。
前の世界の自分の勤務地は、日本というヤマトに似た国のホロライブ事務所だったそうだ。
だから、日常的に顔を合わせていたのは、どうしても日本側のライバーが中心だったのだろう。
けれど。
それでも彼女たちは、今日ここへ来ている。
通信ではなく。
画面越しではなく。
実際に、この事務所へ。
ユウトは、廊下の先を見た。
いつもなら、自宅からの配信が基本のため、事務所内の配信スタジオは数組が使っている程度だ。
だが、今日は様子が違った。
廊下脇に並ぶスタジオの使用状況表示が、ほとんどすべて赤く光っている。
『使用中』
『使用中』
『使用中』
『使用中』
「……今日は、やけに埋まってる」
ユウトは小さく呟いた。
しかも、それだけではない。
曲がり角の向こう。
白い狐耳らしきものが、ぴょこんと見えた気がした。
別のスタジオのガラス越しには、青い髪と星の飾りのような影が見えた気がする。
扉の隙間からは、海賊帽子の端のようなものが見えていた。
少し先の天井点検口からは、なぜか羊の角らしきものが覗いていた。
そして、背後の方からは、かなり小さな声で「見えてるのら?」と聞こえた気がした。
「……」
ユウトは気づいていないふりをした。
ここで立ち止まって確認してしまえば、たぶん大変なことになる。
今まで顔合わせを終えた組が、最後の顔合わせを見守りたい。
いや、覗きたい。
いや、見届けたい。
その気持ちは、なんとなく分かる。
分かるが、全員に反応していたら部屋にたどり着けない。
ユウトは前を向いたまま歩き続けた。
その背後で、どこかから小さく「スルーされたぺこ」と聞こえた気がしたが、やはり聞こえなかったことにした。
やがて、顔合わせ用の部屋の前に到着する。
扉の前で一度立ち止まり、息を整える。
「……最後の顔合わせ」
そう呟くと、懐中時計が小さく鳴った。
チ。
ユウトは扉をノックした。
「桜井です」
今度は、ちゃんと中から返事があった。
「どうぞ」
Aちゃんの声だった。
ユウトは扉を開ける。
そして、中に入った瞬間、足を止めた。
「……あれ?」
本来なら、そこにいるのはYAGOO、Aちゃん、のどか。
そして午前の顔合わせ組である、ホロライブIDの面々だけのはずだった。
だが、部屋の中にはそれだけではない。
大きく拡張されたテーブル。
追加された椅子。
壁際に並ぶ飲み物と軽食。
そして、ホロライブIDの面々に加えて、ホロライブENのライバーたちまで座っていた。
明らかに午前の部の人数ではない。
午後の顔合わせ対象であるはずのENまで、すでに全員そろっている。
ユウトは、ゆっくりとAちゃんを見る。
「……午後の予定では?」
「その予定でした」
Aちゃんは淡々と答えた。
「でした」
「はい。昨夜、両組から合同開催の提案がありました」
YAGOOは少しだけ苦笑している。
のどかは困ったように笑いながら、すでに人数分の資料を抱えていた。
「合同、ですか」
ユウトがそう言うと、ホロライブID側からムーナ・ホシノヴァが静かに口を開いた。
「午前と午後に分けると、どちらかが待つ時間が長くなる」
落ち着いた声だった。
けれど、その奥には確かな熱がある。
「せっかく同じ場所に来たのに、待つだけの時間が増えるのはもったいない」
EN側では、森カリオペが軽く肩をすくめた。
『うん。せっかくここまで来たんだもん。堅苦しく二部制にするなんて、一番楽しいところを捨ててるみたいでしょ』
そして、すぐに日本語で続ける。
「だから、自己紹介は合同でさっと済ませる。その分、話す時間を増やしたい。そういうこと」
アメリア・ワトソンがメモ帳を軽く振った。
「スケジュール的にも、その方が効率的だよ。移動、待機、再集合。全部カットできる」
「探偵らしいですね」
ユウトが言うと、アメリアは少し得意げに笑った。
「でしょ?」
Aちゃんが補足する。
「もちろん、桜井くんの負担を考えて、途中休憩は必ず入れます。午前・午後で完全に分ける予定だったものを、合同顔合わせとして再構成しました」
「再構成」
「はい。自己紹介を合同で行い、その後、休憩を挟みながらそれぞれの話を聞く形です」
ユウトは、部屋の中を見渡した。
ホロライブID。
ホロライブEN。
彼女たちは、今までの組ほど強烈な圧を向けてくるわけではなかった。
3期生のような嵐でもない。
holoXのような演出でもない。
4期生のように、最初から張り詰めた沈黙でもない。
けれど、視線はまっすぐだった。
遠くからでも、確かに待っていた。
そう伝わってくる目だった。
「……分かりました」
ユウトは静かに頭を下げた。
「今日はよろしくお願いします」
その言葉に、IDとENの面々がそれぞれ頷く。
空気が少しだけ柔らかくなった。
すると、どこからか小さく「ユウトが部屋に入ったにぇ」という声が聞こえた気がした。
天井ではない。
壁でもない。
おそらく、何らかの魔導通信か、隣室のスタジオ越しだ。
Aちゃんが無言で端末を操作する。
部屋の防音結界が一段階強化された。
外からの気配が少し薄くなる。
「では」
Aちゃんが進行表を確認する。
「最後の顔合わせ、ホロライブIDおよびホロライブEN合同回を開始します。まずは自己紹介からお願いします」
その言葉を待っていたように、ホロライブID側の一人が元気よく手を上げた。
「じゃあ、IDから行くよ!」
明るい声。
アユンダ・リスだった。
彼女は椅子から立ち上がり、にこりと笑う。
「ホロライブインドネシア、アユンダ・リスです。リスだよ。よろしくね、ユウトくん」
「よろしくお願いします。リスさん」
「リスさん!」
彼女はぱっと目を輝かせる。
「うん、今はそれでいい!」
「今は、なんですね」
「だって、これからもっと仲良くなる予定だから」
リスは明るく笑った。
その明るさは、押しつけがましくない。
遠くから手を振るような、軽やかな温かさだった。
「私たちは、日本の先輩たちみたいに毎日近くで会ってたわけじゃない。でも、ユウトくんが私たちのこともちゃんと気にかけてくれてたのは覚えてるよ」
「……ありがとうございます」
「だから今日は、ちゃんと会えて嬉しい」
リスはそう言って、少しだけ柔らかく笑った。
次に、ムーナが立ち上がる。
「ホロライブID、ムーナ・ホシノヴァです」
月の光のように落ち着いた声。
「よろしくお願いします。ムーナさん」
「うん。よろしく、ユウト」
呼び捨ての響きは強くなかった。
むしろ、自然だった。
「私は、前の世界であなたと直接会う機会は多くなかった。でも、連絡は覚えている。スケジュールのこと、時差のこと、こちらの事情を確認してくれたこと」
ムーナは静かに続ける。
「遠かったけど、見えていなかったわけじゃない。それを、今日は伝えたい」
ユウトは、少しだけ胸に手を当てた。
懐中時計は静かに鳴っている。
「……はい」
続いて、アイラニ・イオフィフティーンが立ち上がった。
「ホロライブID、アイラニ・イオフィフティーン!イオフィです!」
明るく、色彩豊かな声だった。
「よろしくお願いします。イオフィさん」
「はい、よろしく!ユウトくん!」
イオフィはにこにこしながら、手元の小さなスケッチブックを掲げた。
そこには、簡単な似顔絵のようなものが描かれている。
銀色の懐中時計を持つユウトらしき人物。
その周囲に、IDとENの面々が並んでいた。
「これは?」
「今日の記念!まだ途中だけどね」
「ありがとうございます」
「前のユウトくんは、言葉が違っても、ちゃんと伝えようとしてくれた。だから、私も今日はちゃんと伝えたい。会えて嬉しいって」
その言葉に、ユウトは静かに頭を下げた。
ID二期生側から、勢いよく立ち上がったのはクレイジー・オリーだった。
「クレイジー・オリ―!ホロライブIDのゾンビアイドルです!」
声が大きい。
かなり大きい。
だが、3期生やholoXの騒がしさとはまた違う、まっすぐな明るさだった。
「ユウトさん!会いたかったです!」
「よろしくお願いします。オリーさん」
「オリーさん!オリーさんですか!はい!今はそれで大丈夫です!でもいつかもっとフレンドリーに!」
オリーは両手をぶんぶん振る。
今にも飛び出してきそうな勢いだったが、隣のアーニャがさりげなく服の端を掴んで止めていた。
「落ち着いて、オリー」
「落ち着いてます!」
「落ち着いてない」
アーニャ・メルフィッサは、静かな声でそう言うと、ユウトへ向き直った。
「ホロライブインドネシア、アーニャ・メルフィッサです。よろしく」
「よろしくお願いします。アーニャさん」
「うん」
彼女は落ち着いた表情で頷く。
「前のあなたとは、長く話したわけではない。でも、必要な時にちゃんと返事をくれる人だった。遠くにいても、連絡が途切れないようにしてくれた人」
短い言葉。
だが、そこには確かな感謝があった。
「だから、今日はちゃんと会えてよかった」
「……ありがとうございます」
次に、パヴォリア・レイネが優雅に立ち上がった。
「ホロライブID、パヴォリア・レイネです」
「よろしくお願いします。レイネさん」
「ええ、よろしくね、ユウトくん」
レイネは上品に微笑む。
「前の世界で、あなたが海外組の告知や調整にも気を配ってくれていたことを覚えているわ。派手なことではなかったかもしれない。でも、遠くにいる私たちにとっては、とても大事なことだった」
「僕は、当然のことをしていただけかもしれません」
「その当然を、ちゃんとやってくれる人は貴重なのよ」
レイネの言葉に、ユウトは返せなかった。
その通りだと、どこかで思ってしまったからだ。
ID三期生の方からは、ベスティア・ゼータが静かに立ち上がった。
「ホロライブID、ベスティア・ゼータです。秘密任務中……ではなく、今日は顔合わせ」
「よろしくお願いします。ゼータさん」
「よろしく、ユウトさん」
ゼータは落ち着いた声でそう言った。
だが、少しだけ目が楽しそうに細められている。
「さっき廊下で、いろんな人が覗いてたの、気づいてた?」
「……気づいていないことにしていました」
「賢い」
「ありがとうございます」
「私たちも、通信越しでは何度も見ていた。でも、実際に会うのは違う。今日は、その違いを大事にしたい」
その言葉は静かだが、まっすぐだった。
続いて、カエラ・コヴァルスキアが立ち上がる。
「ホロライブID、カエラ・コヴァルスキアです」
とても落ち着いた声だった。
表情の変化は少ない。
だが、柔らかい雰囲気がある。
「よろしくお願いします。カエラさん」
「よろしく、ユウトさん」
カエラは小さく頷いた。
「前のあなたは、忙しくても返信が丁寧だった。短い文でも、ちゃんと見てくれていると分かった」
「短い文でも?」
「うん。たとえば、『確認しました』『無理はしないでください』『時差がありますので休んでください』」
ユウトは、少しだけ目を伏せる。
まただ。
自分が言いそうな言葉。
知らないのに、どこか知っている言葉。
「それだけでも、遠い側には助かる」
カエラはそう言って、静かに座った。
最後に、こぼ・かなえるが椅子から勢いよく立ち上がった。
「ホロライブID、こぼ・かなえる!」
元気な声。
少し幼い響き。
「ユウト! やっと会えた!」
「よろしくお願いします。こぼさん」
「こぼさん!」
こぼは頬を膨らませる。
「なんか遠い!」
「初対面なので」
「みんなそれ言われてる?」
「かなり言っています」
「じゃあ仕方ない!」
切り替えが早かった。
こぼはにっと笑う。
「こぼもね、前のユウトのこと、いっぱいじゃないけど覚えてる。遠かったけど、ちゃんと名前を呼んでくれたこと。配信の時間、無理しないように言ってくれたこと」
彼女は少しだけ声を落とす。
「だから今日は、こぼもちゃんと名前を呼ぶ。ユウト」
ユウトの胸が、小さく鳴った気がした。
懐中時計の音と重なるように。
「はい」
「会えてうれしい」
「僕も、会えてよかったです」
こぼは、満足そうに笑って座った。
ID組の自己紹介が終わると、部屋に温かな空気が広がっていた。
日本在住組のような、距離を一気に詰めてくる重さとは少し違う。
遠くから、しかし確かに支えてくれていた人たち。
遠かったからこそ、直接会えたことを大切にしている人たち。
ユウトは、それを感じていた。
Aちゃんが進行表を確認する。
「では、続いてホロライブENの皆さん、お願いします」
最初に立ち上がったのは、森カリオペだった。
「ホロライブEN、森カリオペ。死神です」
低く、落ち着いた声。
「よろしくお願いします。カリオペさん」
「カリでもいいよ。まあ、今はカリオペさんでいいけど」
彼女は少しだけ笑った。
「私たちは、君と毎日顔を合わせていたわけじゃない。時差もある。言葉も違う。直接会う機会も限られていた」
カリオペは腕を組む。
「でも、君が気にかけてくれていたことは覚えてる。深夜の連絡に、無理にすぐ返さなくていいって言ってくれたこと。こっちの時間を確認してくれたこと」
声は淡々としていた。
けれど、優しかった。
「すごく意味があったんだ。たぶん……君が思ってるより…ずっと」
ユウトは静かに頷いた。
「……ありがとうございます」
次に、小鳥遊キアラが明るく立ち上がる。
「ホロライブEN、小鳥遊キアラ! フェニックスで、KFPの店長です!」
「よろしくお願いします。キアラさん」
「よろしく、ユウトくん!」
キアラは元気よく手を振った。
「前のユウトくんは、遠くにいる私たちにもちゃんと気を遣ってくれたよね。時差で変な時間に連絡しちゃった時も、『寝てください』って」
「かなり言っていたみたいですね、僕」
「言ってた!」
キアラは笑う。
「でも、それが嬉しかった。遠くにいるから後回し、じゃなかったから」
続いて、一伊那尓栖が静かに立ち上がる。
「ホロライブEN、一伊那尓栖です。イナで大丈夫です」
「よろしくお願いします。イナさん」
「よろしくお願いします、ユウトさん」
イナの声は穏やかだった。
深い海のような静けさがある。
「前のユウトさんとは、たくさん話したわけではありません。でも、絵や配信のことで困った時、ちゃんと話を聞いてくれたことを覚えています」
彼女は柔らかく微笑んだ。
「遠い場所にいても、ちゃんと繋がっていると感じられました」
その言葉に、ユウトの胸が少しだけ温かくなる。
次に、がうる・ぐらが立ち上がる。
「がうる・ぐら。ドーモ、サメデス!!」
「よろしくお願いします。ぐらさん」
「ぐらさん」
ぐらは少しだけ口を尖らせる。
「フォーマルだね」
「初対面なので」
「はいはい、出た出た。そのセリフはもう聞きましたー」
彼女は小さく笑った。
「でも、会えてうれしいよ。前のユウトは、なんか……遠くからでもちゃんと見てた。無理すんなって言うタイプ」
「それもよく言っていたみたいです」
「言ってたと思う」
ぐらは短くそう言って、少しだけ真面目な顔になる。
「だから、今度は君も無理しないで」
「はい」
アメリア・ワトソンが、メモ帳を片手に立ち上がった。
「ホロライブEN、ワトソン・アメリア。探偵です」
「よろしくお願いします。アメリアさん」
「よろしく、ユウト」
アメリアはユウトを観察するように見る。
「前の君は、前のログによればかなり細かく時間を気にしてた。時差、締切、配信時間、休憩時間。海外組にとっては、そういう調整が本当に大事だった」
「ログが残っているんですか」
「少しだけね」
アメリアは肩をすくめる。
「探偵だから」
「なるほど」
「あと、さっき廊下で誰が覗いてたかも、だいたい分かる」
「そこは聞かないでおきます」
「賢明だね。……今度お話ししましょう?」
次に、IRySが立ち上がった。
「HiRys!ホロライブEN、IRySです!」
「よろしくお願いします。IRySさん」
「よろしくお願いします、ユウトさん」
IRySは優しく微笑んだ。
「前のあなたは、希望という言葉を軽く扱わない人だったと思います。誰かを励ます時も、簡単に大丈夫とは言わなかった」
「最近、大丈夫は慎重に使うようになりました」
「そのようですね」
彼女は少しだけ楽しそうに笑う。
「それでも、あなたが遠くから支えてくれたことは、私たちにとって希望の一つでした」
セレス・ファウナが、柔らかく立ち上がる。
「ホロライブEN、セレス・ファウナです」
「よろしくお願いします。ファウナさん」
「よろしくね、ユウトさん」
彼女の声は、森の中にいるように穏やかだった。
「あなたは、私たちの環境や体調にも気を配ってくれていました。直接会えなくても、画面の向こうにいる人をちゃんと人として見てくれる。それは、とても優しいことです」
ユウトは少しだけ目を伏せる。
「僕は、そんな大したことを」
「そう言うと思いました」
ファウナは柔らかく遮った。
「でも、受け取った側にとっては大事なことでした」
オーロ・クロニーが立ち上がる。
「ホロライブEN、オーロ・クロニー。時間の番人です」
その肩書きを聞いた瞬間、懐中時計が小さく鳴った。
チ。
クロニーの視線が、ユウトの胸ポケットへ向く。
「……その時計」
「懐中時計です」
「そう」
彼女は少しだけ目を細める。
何かを見透かすような視線。
だが、踏み込んではこなかった。
「よろしく、ユウト」
「よろしくお願いします。クロニーさん」
「前のあなたは、時間を大事にする人だった。自分の時間は軽く扱っていたけど」
「……それも、よく言われます」
「でしょうね」
クロニーは静かに言った。
「今回は、自分の時間も守ること。これは時間の番人からの忠告」
「覚えておきます」
「それなら良し。アメリアからも言われたかもしれないけど、今度お話ししましょ?」
七詩ムメイが、少しおずおずと立ち上がる。
「ホロライブEN、七詩ムメイです」
「よろしくお願いします。ムメイさん」
「よろしく、ユウトさん」
ムメイは少しだけ笑った。
「私は、忘れっぽいって言われることがあるけど」
そこで、彼女は少しだけ目を伏せる。
「あなたのことを思い出した時、忘れていたことが悲しかった」
部屋が静かになる。
「たくさん一緒にいたわけじゃない。でも、ちゃんといた人だったから。遠くても、そこにいてくれた人だったから」
ユウトは、静かに頷いた。
「……ありがとうございます」
最後に、ハコス・ベールズが勢いよく立ち上がった。
「我は混沌!ホロライブEN、ハコス・ベールズ!」
「よろしくお願いします。ベールズさん」
「Baeでいいよ! まあ今はベールズさんでもいいけど!」
ベールズは明るく笑った。
「前のユウトは、カオスな状況でも冷静だったって聞いてる!」
「聞いている?」
「自分でも覚えてるけど、みんなからも聞いた!」
「なるほど」
「だから、今日も冷静だったね。廊下であんなに覗かれてたのに」
その瞬間、部屋の外からわずかに物音がした。
Aちゃんが再び端末を操作する。
防音結界がさらに一段階強くなった。
ベールズは楽しそうに笑う。
「ほら」
「気づいていないことにしています」
「Good choice!」
EN組の自己紹介も終わった。
部屋の中には、少し不思議な空気が流れていた。
人数は多い。
種族も、雰囲気も、距離感も違う。
けれど、彼女たちの言葉には共通するものがあった。
遠かった。
会う機会は少なかった。
いままでのライバーたちほど、長く濃密に関わったわけではなかった。
それでも、ユウトはそこにいた。
通信の向こうに。
時差の先に。
配信予定の隙間に。
短い返信の中に。
遠くからでも、彼女たちを支えていた。
そして彼女たちは、それを覚えていた。
ユウトは、胸ポケットの懐中時計に触れる。
チ、チ、チ、チ――。
音は静かだった。
今日の時計の音は、これまでより少し広く響いているように感じた。
日本という国の事務所から、海を越えて。
時差を越えて。
それでも繋がっていた時間を、思い出させるように。
Aちゃんが進行表を確認する。
「では、自己紹介はここまでです。ここから休憩を挟み、その後、それぞれ前の世界での桜井くんとの関わりについて話していただきます」
すると、オリーが勢いよく手を上げた。
「休憩中も話していいですか!」
「休憩です」
Aちゃんは即答した。
「でも!」
「休憩です」
「はい!」
こぼが小声で言う。
「Aちゃん、強い」
アメリアが頷く。
「とても強い…」
カリオペが肩をすくめる。
「強くなきゃ無理でしょ。見てよ、この部屋」
ユウトは、思わず少し笑った。
最後の顔合わせ。
始まる前は、少し重いものになると思っていた。
実際、重さはある。
彼女たちもまた、自分が忘れてしまった時間を覚えている。
けれど、その重さは今までの組とは少し違っていた。
遠かったからこその遠慮。
遠かったからこその感謝。
もっと話しておけばよかったという後悔。
そして、今日こうして直接会えたことへの、静かな喜び。
ユウトは、部屋に集まったIDとENの面々を見渡した。
「皆さん」
自然と声が出た。
全員の視線が、ユウトへ向く。
「今日は、予定を合わせて来てくださってありがとうございます」
ユウトは、ゆっくり頭を下げた。
「僕はまだ、皆さんとのことを思い出せていません。でも、今日聞いた自己紹介だけでも、前の僕が皆さんとちゃんと繋がっていたことは分かりました」
懐中時計が鳴る。
チ。
「だから、聞かせてください。僕が忘れている、遠くにいた皆さんとの時間を」
部屋の空気が静かになる。
リスが微笑む。
ムーナが頷く。
イオフィがスケッチブックを胸に抱く。
オリーが泣きそうなほど明るい顔をする。
アーニャが静かに目を伏せる。
レイネが柔らかく笑う。
ゼータがまっすぐ見る。
カエラが小さく頷く。
こぼが「うん」と答える。
カリオペが目を細める。
キアラが嬉しそうに笑う。
イナが穏やかに頷く。
ぐらが小さく「A」と呟く。
アメリアがメモ帳を閉じる。
IRySが微笑む。
ファウナが優しく見守る。
クロニーが懐中時計を一度だけ見て、そしてユウトを見る。
ムメイが少しだけ泣きそうに笑う。
ベールズが親指を立てる。
YAGOOは、静かに目を伏せていた。
Aちゃんは、端末に何かを記録する手を止めている。
のどかは、目元を少し赤くしていた。
そして、外の廊下。
防音結界の向こうにいるであろう、すでに顔合わせを終えた者たちの気配が、なぜか少しだけ静かになった気がした。
最後の顔合わせ。
合同になったことで、予定は少し変わった。
けれど、無駄になった時間はない。
むしろ、ここから始まる時間のために、彼女たちは集まったのだ。
海を越えて。
時差を越えて。
前の世界の記憶を抱えて。
ユウトは席に着く。
目の前には、遠くにいたはずの彼女たちがいる。
自分が忘れてしまった、けれど確かに繋がっていた時間を知るために。
最後の顔合わせは、ようやく本当の始まりを迎えようとしていた。