hololive Lost Story 作:ダニエルズプラン
ホロライブIDとホロライブENの合同顔合わせは、自己紹介を終えたあと、少しの休憩を挟んで本題へ移っていた。
前の世界での、桜井ユウトとの関わり。
今までのライバーたちほど、日常的に顔を合わせていたわけではない。
同じ事務所に通い、同じ廊下ですれ違い、同じ会議室で何度も話していたわけではない。
けれど、距離があったからこそ残る記憶もあった。
時差。
言語。
スケジュール。
配信時間。
海外組としての活動の難しさ。
その隙間に、前の世界のユウトはいたらしい。
「ユウトくんは、返信がすごく丁寧だったよ」
キアラが、紙コップを両手で持ちながら言った。
「こっちが変な時間に連絡しちゃっても、まず時間を見てくれるの。『今、そちらは深夜ではありませんか』って」
「僕は、そんなに時間を気にしていたんですね」
「してたよ!」
キアラは大きく頷いた。
「まあ、自分の時間はあんまり大事にしてなかったみたいだけど」
「……それも、よく言われます」
ユウトが小さく答えると、周囲の何人かが苦笑した。
クロニーは腕を組み、ユウトの胸ポケットのあたりをちらりと見る。
「時間を管理する人ほど、自分の時間を後回しにする。よくある話だけど、良い話じゃない」
「時間の番人らしい忠告ですね」
「なら、ちゃんと聞くこと」
「はい」
素直に頷くと、クロニーは少しだけ満足そうに目を細めた。
ムーナは、静かな声で話した。
「あなたは、遠くにいる私たちを『遠いから後回し』にはしなかった」
「……そうですか」
「うん。直接会う回数は少なかった。でも、必要な連絡はちゃんと来た。こちらの事情も聞いた。時差も、文化も、言葉も、全部完璧だったわけじゃない。でも、分かろうとしてくれた」
ユウトは胸ポケットに触れた。
懐中時計が、静かに鳴っている。
チ、チ、チ、チ――。
その音は、今日に限って少し広く聞こえる。
廊下や会議室だけではない。
遠くの国。
海の向こう。
時差の先。
そんな場所まで、細い糸が伸びていたような感覚。
イナが、穏やかに微笑む。
「ユウトさんは、たくさん話す人ではなかったと思います」
「それは、今もそうかもしれません」
「でも、必要な時に言葉をくれる人でした。少ない言葉でも、ちゃんと届くように」
イナの言葉は静かだった。
けれど、胸の奥に柔らかく残った。
オリーは、先ほどから何度も泣きそうになっては、明るく声を張り上げていた。
「ユウトさんは!遠くても!ちゃんと!見てくれていました!」
「声量がすごいですね」
「感情です!」
「なるほど」
「だから、今日は直接言いたかったんです!ありがとうございますって!」
そう言って、オリーは勢いよく頭を下げた。
ユウトは慌てて手を振る。
「そんな、頭を下げられるほどのことは」
「あります!」
オリーの声はまっすぐだった。
「直接じゃなくても、短い時間でも、ユウトさんがいてくれたことは、ちゃんと意味がありました!」
ユウトは、返す言葉を失った。
大げさだと言おうとした。
自分は覚えていないと言おうとした。
だが、その前にファウナが静かに口を開いた。
「受け取った側が、大事だったと言っているんです」
「……」
「なら、それは大事なことだったんですよ」
優しい声だった。
けれど、逃げ道はなかった。
ユウトは、ゆっくり頷いた。
「……はい」
レイネが上品に笑う。
「よろしい」
少しだけ、場の空気が和らいだ。
そこからも、話は続いた。
リスは、ユウトが海外組の告知タイミングを気にしていたことを話した。
イオフィは、言葉が違っても伝えようとしてくれたことを話した。
アーニャは、必要以上に踏み込まず、それでも見落とさない距離感だったと語った。
ゼータは、連絡文の短さの中にユウトらしさがあったと言った。
カエラは、丁寧な確認こそが信頼だったと静かに話した。
こぼは、名前を呼んでくれたことが嬉しかったと、素直に笑った。
カリオペは、時差を越えた連絡の中にユウトの気遣いがあったと言った。
ぐらは、短く「ちゃんと見てた」と言った。
アメリアは、過去の連絡ログをもとに、ユウトがどれほど細かく時間を見ていたかを説明しかけ、Aちゃんに「機密情報の扱いに注意してください」と止められた。
IRySは、遠くから支えることも希望になり得ると言った。
ムメイは、忘れていたことを思い出した時、悲しかったと打ち明けた。
ベールズは、カオスな状況でもユウトは冷静だったと笑いながら言い、それから少し真面目に「でも、君自身もカオスの中にいたんだよね」と付け加えた。
それらの話を、ユウトは一つずつ聞いた。
今までのライバーたちとの記憶とは違う。
濃密さではなく、距離の中にあった繋がり。
毎日隣にいたわけではない。
けれど、確かに関わっていた。
画面の向こうに。
文章の中に。
時間調整の一文に。
短い返信に。
ユウトが忘れてしまった自分は、そこにもいた。
その事実は、嬉しくもあり、苦しくもあった。
気づけば、時間は過ぎていた。
壁面の時計が昼を示し、窓の外の光も少し高くなっている。
Aちゃんが進行表を確認しようとした、その時だった。
ピコン。
小さな通知音が鳴った。
ひとつではない。
ピコン。
ピコン。
ピコン。
部屋中の端末が、一斉に震えた。
ただし、ユウトの端末だけは沈黙していた。
「……?」
ユウトは、自分の端末を見る。
通知はない。
だが、部屋にいるユウト以外の全員の端末には、何かが届いている。
YAGOO。
Aちゃん。
のどか。
IDとENのライバーたち。
全員が画面を確認した。
そして、顔を見合わせた。
「……なるほど」
ムーナが静かに呟く。
「時間だね」
カリオペが、少しだけ口角を上げた。
「どうやら、次のパートが始まるみたいだね」
「次?」
ユウトが聞き返す。
だが、誰もすぐには答えなかった。
Aちゃんは端末を閉じ、立ち上がる。
「桜井くん」
「はい」
「少し、移動します」
「移動?」
「はい」
YAGOOも、のどかも立ち上がる。
それに続いて、IDとENのライバーたちも次々と席を立った。
ただし、ムーナとカリオペだけはその場に残る。
ID側とEN側の代表者。
その二人を除いて、全員が部屋を出ていった。
入れ替わるように、扉が開く。
そこに現れたのは、見慣れた顔だった。
ときのそら。
白上フブキ。
大空スバル。
尾丸ポルカ。
大神ミオ。
宝鐘マリン。
桐生ココ。
ラプラス・ダークネス。
0期生からholoXまで、それぞれの代表者たち。
彼女たちは、まるで打ち合わせ済みのように部屋へ入ってくると、ユウトの前に並んだ。
「……えっと」
ユウトが言葉を探す前に、そらがにこりと微笑んだ。
「ユウトくん」
「はい」
「来てください」
「どこへですか」
「いいからいいから!」
スバルが元気よく言う。
「今日はもう、流されとけ!」
「説明は」
「あとで!」
フブキが白上スマイルで近づいてくる。
「大丈夫です。拉致ではありません」
「前例があるので、その言い方は不安になります」
「今回は骸骨騎士も落とし穴も暗闇演出もありません」
「比較対象がおかしいです」
マリンが横から身を乗り出す。
「ユウトくん、こういう時はですね、素直に美少女たちに導かれるのが正解なんですよ」
「その言い方で正解から遠ざかりました」
「冷静!」
ココが豪快に笑う。
「まあ、観念しろ。悪いようにはしねぇよ」
ラプラスが腕を組む。
「ふん。偉大なる総帥も同行するのだ。光栄に思え」
「ラプラスさんは、何があるか知っているんですか」
「当然だ」
「教えては」
「ならん」
「ですよね」
ミオが苦笑しながら、ユウトの背中にそっと手を添えた。
「大丈夫。怖いことじゃないよ」
その言葉は、静かだった。
だから、ユウトは抵抗をやめた。
そらがユウトの腕を軽く引き、スバルとポルカが後ろから押すようにして、代表者たちがユウトを部屋の外へ導いていく。
ムーナとカリオペも、その後ろに続いた。
廊下に出ると、さっきまで覗いていた気配が綺麗になくなっていた。
いや、なくなったというより。
全員、別の場所へ移動したような気配だった。
ユウトは、嫌な予感ではなく、不思議な緊張を覚えた。
どこへ向かっているのか。
代表者たちは答えない。
ただ、皆少しだけ楽しそうで、少しだけ泣きそうだった。
やがて、一行は普段は大会議場として使われている大きな部屋の前に着いた。
扉は閉まっている。
その向こうから、微かなざわめきが聞こえた。
フブキがユウトを見る。
「準備はいいですか?」
「何の準備か分からないので、何とも」
「正直でよろしい」
ココが扉に手をかける。
「んじゃ、行くぞ」
扉が開いた。
瞬間。
音と光と匂いが、一気に溢れ出した。
大会議場の中には、前の世界のユウトを覚えているライバーたちが全員集まっていた。
0期生。
1期生。
2期生。
ゲーマーズ。
3期生。
4期生。
5期生。
holoX。
ホロライブID。
ホロライブEN。
そしてYAGOO、Aちゃん、のどか。
全員がそこにいた。
長机には、豪華な食事が並んでいる。
サンドイッチ。
肉料理。
サラダ。
果物。
ケーキ。
飲み物も大量に用意されていた。
ただし、皆の手にあるのは酒ではない。
ジュースやお茶が入った紙コップ。
未成年もいるし、そもそも今日は顔合わせの締めなのだろう。
大会議場は、完全に宴会場になっていた。
「……これは」
ユウトが呟く。
その背中を、ポルカがぽんと押した。
「主役、前へどうぞー!」
「主役?」
「そう!」
スバルが笑う。
「今日くらい主役やれ!」
ユウトは困惑したまま、部屋の中央へ連れていかれる。
長机の前。
全員の視線が集まる場所。
そこで立ち止まると、そらが紙コップを渡してきた。
中には、透明な炭酸ジュースが入っている。
「ユウトくんも」
「ありがとうございます」
紙コップを受け取る。
代表者たちは、それぞれ自分たちの期生の列へ戻っていった。
そらは0期生へ。
フブキは1期生の方へ。
スバルは2期生へ。
ポルカは5期生へ。
ミオはゲーマーズへ。
マリンは3期生へ。
ココは4期生へ。
ラプラスはholoXへ。
ムーナはIDへ。
カリオペはENへ。
全員が、それぞれの場所へ戻る。
そして、ユウトだけが前に残された。
大会議場いっぱいの視線。
けれど、それは責めるものではなかった。
温かく。
強く。
少しだけ泣きそうで。
そして、嬉しそうだった。
YAGOOが一歩前へ出た。
「桜井くん」
「はい」
「本当は、最初からこういう形も考えていました。ただ、あなたの負担を考えると、段階を踏む必要があると思いました」
Aちゃんが続ける。
「今日、最後の顔合わせが終わるタイミングで、皆さんから提案がありました。桜井くんに、改めて全員で伝えたいことがあると」
のどかは、目元を赤くしながら微笑んでいた。
「だから、少しだけサプライズです」
「少し、ですか」
ユウトは思わず言った。
大会議場いっぱいの人数を見れば、少しではない。
かなり大規模だ。
しかし、誰もそれを訂正しなかった。
そらが、紙コップを持ち上げる。
それに合わせて、全員がコップを掲げた。
ユウトも、少し遅れてコップを持ち上げる。
沈黙が落ちた。
そして。
彼女たちは、声を揃えて言った。
「こちらこそお世話になりました! またよろしくお願いします!」
その言葉が、大会議場に響いた。
まっすぐに。
温かく。
逃げ場なく。
ユウトの胸へ届いた。
「……」
何も言えなかった。
喉が詰まる。
胸が痛い。
懐中時計が鳴る。
チ、チ、チ、チ――。
いつもより、ずっと近い。
彼女たちは、自分に礼を言っている。
自分が覚えていない過去に対して。
自分が忘れてしまった時間に対して。
それなのに、その言葉は今の自分にも向けられている。
こちらこそお世話になりました。
またよろしくお願いします。
過去への感謝と、未来への願い。
その両方が、たった一言に詰まっていた。
そらが優しく言う。
「ユウトくん」
ユウトは、何とかコップを持ち上げた。
「……こちらこそ」
声が少し掠れた。
「よろしくお願いします」
その瞬間、全員が笑った。
乾杯の声が上がる。
紙コップが掲げられ、会場に明るい音が広がる。
誰かが拍手をした。
誰かが泣き笑いをした。
誰かが「ユウトー!」と叫んだ。
誰かが「今日は逃がさないにぇ!」と言った。
誰かが「食べて食べて!」と皿を差し出した。
誰かが「ジュース追加!」と走った。
宴会が始まった。
~~~~~~~~
そこからの時間は、騒がしかった。
本当に騒がしかった。
0期生がユウトを囲もうとすれば、1期生が対抗する。
2期生が料理を持ってくれば、5期生が飲み物を勧める。
ゲーマーズはなぜか一角にゲーム機を持ち込みかけ、Aちゃんに止められる。
3期生はすでに騒がしく、ぺこらが何かを仕掛けようとしてフレアに肩を掴まれていた。
4期生は比較的落ち着いているようで、かなたが紙皿を握りすぎて少し曲げた。
holoXはラプラスが乾杯の口上をやり直そうとし、ルイに座らされた。
IDとENは、JP組の勢いに驚きながらも楽しそうに混ざっている。
ユウトは、次々に話しかけられた。
「ユウトくん、これ食べた?」
「飲み物足りてる?」
「無理してない?」
「大丈夫って言う前に考えてね」
「次はいつ来るぺこ?」
「連絡返してねぇ」
「プリンの約束忘れるななのら」
「総帥の名乗り完全版はまだだぞ!」
あまりにも多い。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
騒がしい。
圧が強い。
距離が近い。
でも、その中心にあるのは、確かに温かさだった。
自分がここにいていいのだと、全員で言われているような気がした。
それなのに。
宴会が進むほど、ユウトの胸の奥に別の感情が沈んでいった。
楽しい。
それは本当だ。
嬉しい。
それも本当だ。
けれど。
申し訳なさが、消えなかった。
彼女たちは覚えている。
自分がしたことを。
自分が言った言葉を。
自分がいた時間を。
自分が消えた痛みを。
それなのに、自分は覚えていない。
彼女たちの思い出を、自分は同じ温度で返せない。
彼女たちが語ってくれた言葉に、懐かしさの欠片は感じる。
時計が反応することもある。
映像のようなものが一瞬だけ見えることもある。
でも、まだ足りない。
彼女たちが抱えてきた時間に対して、自分の中はあまりにも空白だった。
宴会の途中。
ユウトは、誰にも気づかれないように少しずつ輪の外へ出た。
料理を取りに行くふりをして。
飲み物を取りに行くふりをして。
会話の隙間を縫うように。
そして、大会議場の扉から静かに外へ出た。
廊下は、宴会場の中とは対照的に静かだった。
扉の向こうからは、笑い声や話し声が漏れている。
ユウトは少し離れた壁際まで歩き、背中を預けた。
そして、天井を見上げる。
白い天井。
魔導照明の柔らかな光。
どこにでもある事務所の廊下。
けれど、胸の中は晴れなかった。
「……僕は」
小さく呟く。
誰もいない廊下に、自分の声だけが落ちる。
「本当に、ここにいていいんでしょうか」
答えはない。
胸ポケットの懐中時計だけが、静かに鳴っている。
チ、チ、チ、チ――。
彼女たちは、自分の過去を覚えてくれている。
自分を待っていてくれた。
会えてよかったと言ってくれた。
またよろしくと言ってくれた。
それは嬉しい。
痛いほど嬉しい。
けれど、だからこそ苦しい。
自分は何を返せるのだろう。
覚えていないのに。
彼女たちの大切な記憶を、自分は持っていないのに。
前の桜井ユウトが築いた関係の中に、今の自分が入っていく資格が本当にあるのか。
今の自分は、ただその影に甘えているだけではないのか。
彼女たちが見ているのは、自分ではなく、前の世界の桜井ユウトなのではないか。
そんな考えが、次々に浮かんでくる。
止めようとしても、止まらない。
「……すみません」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
彼女たちへ。
前の自分へ。
YAGOOへ。
Aちゃんへ。
それとも、今ここで何も思い出せない自分自身へ。
ユウトは、片手で顔を覆った。
大会議場の中では、まだ笑い声がしている。
あの場所は温かい。
だからこそ、今の自分の冷たさが際立つようだった。
その時だった。
遠くで、低い音が鳴った。
ごろ、と。
雷のような音。
ユウトは顔を上げる。
廊下の窓の外を見ると、先ほどまで晴れていたはずの空が、いつの間にか暗くなっていた。
黒い雲が、オルタナティブシティの上空を覆っている。
風が強くなり、窓ガラスが小さく震えた。
魔導ネオンの光が、暗い雲の下で不安定に揺れる。
「……嵐?」
季節外れだった。
今日の天気予報では、晴れ。
少なくとも、昼から急に嵐になるような話はなかったはずだ。
だが、外の空は明らかに荒れている。
雨が叩きつけるように降り始めた。
風がビルの間を唸りながら吹き抜ける。
遠くで魔導レールの運行警告灯が赤く点滅し始めた。
ユウトの端末が震える。
同時に、事務所内の緊急通知が壁面に表示された。
『気象警戒情報:オルタナティブシティ周辺に突発性魔導嵐が発生』
『公共交通機関、一部停止』
『屋外移動は危険です』
突発性魔導嵐。
ユウトは、表示を見つめた。
胸ポケットの懐中時計が、いつもより強く鳴る。
チ。
チ。
チ。
まるで、嵐の音に反応しているように。
大会議場の扉が開いた。
「ユウトくん?」
聞こえたのは、のどかの声だった。
彼女は廊下に出てきて、ユウトを見つけるとほっとしたように近づいてきた。
「ここにいたんですね。探しました」
「あ……すみません。少し、外の空気を」
言いかけて、ユウトは窓の外を見た。
外の空気どころではない。
嵐はさらに強くなっている。
のどかも窓を見て、表情を変えた。
「これは……帰るのは危ないですね」
すぐにAちゃんとYAGOOも廊下へ出てきた。
続けて、そらやフブキ、ミオ、ルイ、カリオペたちも顔を出す。
Aちゃんは端末を確認し、すぐに判断した。
「公共交通機関の停止範囲が拡大しています。魔導船も一部欠航。外部転移ゲートも安全確認中です」
「つまり」
YAGOOが言う。
Aちゃんは、ユウトを見た。
「桜井くん、今日は事務所に泊まってください」
「……泊まる?」
「はい。この天候では帰宅困難です。無理に帰すことはできません」
ユウトは、反射的に「大丈夫です」と言いかけた。
しかし、周囲の視線が一斉に強くなった。
そら。
フブキ。
ミオ。
ルイ。
カリオペ。
そして、少し遅れて扉の向こうから顔を出したマリンやラプラス、いろはまで。
全員が、言わせないという顔をしていた。
ユウトは、口を閉じた。
そして、言い直す。
「……分かりました。お世話になります」
その瞬間、周囲の空気が少し緩んだ。
「よし」
ミオが小さく頷く。
「雑な大丈夫、未遂で止まったね」
「成長ですね」
ルイが微笑む。
フブキは白上スマイルを浮かべた。
「では、ユウトくんのお泊まり準備ですね」
「言い方が」
「何か問題が?」
「あります」
マリンが背後から飛び出してくる。
「大事件ですよ! ユウトくんが事務所にお泊まり! これは各方面の情緒が大変なことに!」
「もう大変でござる」
いろはが真顔で言った。
ラプラスは腕を組んで偉そうに頷く。
「ふん。嵐すらも、吾輩たちの集いを延長するために来たということか」
「総帥、天候を支配したみたいに言わないでください」
ルイがすぐに突っ込む。
カリオペは外を見ながら肩をすくめた。
「冗談じゃないほどの嵐ね」
そらが、ユウトを心配そうに見る。
「ユウトくん、体調は大丈夫?」
ユウトは一瞬だけ答えに迷った。
胸の中は晴れていない。
けれど、今ここで全部を話すこともできない。
それでも、誤魔化しすぎるのはよくない。
「……少し、考え事をしていました。でも、体調は問題ありません」
そらは、じっとユウトを見た。
何かを見抜くように。
けれど、今は深く踏み込まなかった。
「そっか」
優しく微笑む。
「じゃあ、あとで温かいもの飲もうね」
「はい」
Aちゃんがすぐに指示を出す。
「仮眠室と来客用宿泊室を確認します。桜井くんには男性来客用の個室を用意します。ライバーの皆さんは、宴会場に戻ってください。廊下に集まらないように」
「はーい」
「了解です」
「んなー」
「ぺこー」
「Ahoy」
「返事が混ざっています」
Aちゃんの冷静な声に、少しだけ笑いが起きた。
しかし、窓の外では嵐がさらに強くなっている。
雨がガラスを叩き、雷が低く鳴り、街の魔導ネオンが滲んで見えた。
ユウトは、その嵐を見つめる。
まるで、自分の胸の中の曇りが外に漏れ出したような天気だった。
もちろん、そんなはずはない。
ただの偶然。
季節外れの突発性魔導嵐。
それだけのはずだ。
それでも、懐中時計は強く鳴り続けていた。
チ、チ、チ、チ――。
帰れない。
今日は、ここに泊まるしかない。
ホロライブ事務所に。
前の自分がいた場所に。
自分を覚えている人たちが集まる場所に。
ユウトは、窓の外の嵐を見ながら、小さく息を吐いた。
宴会はまだ終わっていない。
けれど、彼の心には別の嵐が生まれていた。
彼女たちの中にいる桜井ユウト。
今ここにいる桜井ユウト。
その二つの間にある空白が、今までよりも深く感じられる。
そして、その夜。
季節外れの嵐によって、ユウトは初めてホロライブ事務所に宿泊することになった。
失われた時間へ向かう列車は、終点に着いたはずだった。
けれど。
嵐の夜は、まだ始まったばかりだった。