hololive Lost Story 作:ダニエルズプラン
デンライナーは、虹色の空の下を走っていた。
窓の外には、西部劇を思わせる荒野が広がっている。
細かな砂が風に舞い、遠くの岩山が蜃気楼のように揺らめく。だが、その上に広がる空だけは、この世のものとは思えないほど鮮やかだった。
赤。
青。
金。
緑。
紫。
いくつもの光が帯のように重なり、流れ、時折、線路の先へ吸い込まれていく。
列車の中では、車輪の音が規則正しく響いていた。
ごとん、ごとん。
ごとん、ごとん。
その音は、ユウトの胸ポケットで鳴る懐中時計の音と、奇妙に重なっている。
チ、チ、チ、チ――。
ごとん、ごとん。
時を刻む音。
時を走る音。
その二つが重なり合うたび、ユウトの胸の奥で何かが小さく震えた。
食堂車の席には、ユウトと0期生が座っていた。
ときのそら。
ロボ子さん。
さくらみこ。
星街すいせい。
AZKi。
そして、向かい側には野上良太郎。
さらにその周囲には、モモタロス、ウラタロス、キンタロス、リュウタロス、ジーク、そして乗務員のナオミがいる。
情報量が多い。
あまりにも多い。
少し前まで、ユウトはホロライブ事務所の廊下にいた。
深夜、嵐の音を聞きながら、0期生と話していた。
懐中時計から緑色のカードが現れた。
扉を開けたら、そこは見知らぬ駅のホームだった。
赤い列車と、緑と黄色の列車が停まっていた。
そして今、自分たちはデンライナーと呼ばれる列車に乗っている。
過去を見返す旅。
良太郎は、そう言った。
「思い出す旅ではなく、過去を見返す旅……」
ユウトは、小さくその言葉を繰り返した。
良太郎は静かに頷く。
「うん。君の中から消えてしまった記憶を、無理に引っ張り出すわけじゃない。時間に残っているものを、列車の窓から見に行くんだ」
「時間に残っているもの」
「そう」
良太郎の声は穏やかだった。
けれど、その言葉には不思議な重みがある。
「記憶って、人の中にあるものだけじゃないと思う。誰かが覚えていること。誰かが忘れてしまったこと。それでも、確かに起きた出来事。そういうものは、時間の中に残っている」
ユウトは、手の中の緑のカードを見た。
カードは、まだ淡く光っている。
最初に現れた時ほど強くはない。
しかし、確かに存在している。
「……良太郎さん」
「うん」
「あなたと僕は、前の世界で知り合いだったんですか」
その問いに、良太郎は少しだけ目を伏せた。
「本来なら、僕と君の時間は交じり合うことはなかった」
「本来なら」
「うん」
良太郎は、窓の外へ視線を向ける。
虹色の荒野が流れている。
「僕の時間と、君の時間。デンライナーが走る時間と、君が生きていた時間。普通なら、交差しないはずだった」
「それが、交差した」
「偶然に近い形でね」
良太郎は、少しだけ困ったように笑う。
「時間って、ときどき不思議な重なり方をする。誰かが願ったからでも、誰かが計画したからでもなく、ほんの少しだけ線路が近づくことがある」
「線路が」
「うん。その時、僕たちは君を見つけた」
ユウトは、黙って聞いていた。
「最初は、知っているようで知らない存在だった」
「僕が、ですか」
「そう。ゼロノスの力に近いものを持っている。でも、僕たちが知っている人とは違う。名前も、背負っているものも、歩いてきた道も違う」
その言葉に、ユウトは少しだけ反応した。
ゼロノス。
何度か聞いた名前。
自分が前の世界で変身していたという、仮面ライダー。
けれど、良太郎の言い方には少しだけ引っかかりがあった。
知っているようで知らない存在。
自分ではない誰か。
同じ力に近いものを持つ、別の誰か。
「……あなたたちの知っているゼロノスと、僕は違うんですね」
「うん」
良太郎は、はっきり頷いた。
「君は君だ。桜井ユウト。君自身の時間を歩いてきた人だよ」
その言葉は、なぜか胸に深く入ってきた。
自分は誰かの代わりではない。
前の世界の桜井ユウトの影でもない。
今の自分が、何者か。
それを探しているユウトにとって、その言葉は少しだけ救いに近かった。
「でも」
良太郎は続ける。
「放っておけなかった」
「どうしてですか」
「君が、一人で戦っていたから」
その一言で、0期生の表情が変わった。
そらは目を伏せる。
みこは唇を噛む。
すいせいは、拳を膝の上で握った。
ロボ子さんも、AZKiも、静かにユウトを見る。
良太郎の声は、優しい。
けれど、容赦はなかった。
「守るために、自分のことを少しずつ削っていく。苦しいのに、大丈夫な顔をする。失っているものがあるのに、それを誰にも言わない」
「……」
「そういう人を、僕は知っている」
ユウトは、良太郎を見た。
彼の目には、遠い記憶の影があった。
きっと良太郎自身も、似たようなものを見てきたのだろう。
あるいは、自分自身がそうだったのかもしれない。
「だから、君のことを知った時、ある人が言ったんだ」
「ある人?」
「うん」
良太郎は、少しだけ笑った。
「君に、発破をかけてほしいって」
「僕に」
「そう。自分だけで全部抱え込もうとしているなら、一度ちゃんと怒ってやれって」
その言い方に、モモタロスが鼻を鳴らした。
「まったく、あいつらしいっつうか何つうか」
ウラタロスは口元に笑みを浮かべる。
「素直じゃないよね」
キンタロスは腕を組んだまま、静かに頷く。
「せやけど、心配しとったんやろ」
リュウタロスは足をぶらぶらさせる。
「ねえねえ、名前言わないの?」
良太郎は困ったように笑う。
「今はまだ」
「えー」
「順番があるから」
ジークは、優雅に目を閉じる。
「物語には相応しき幕開けがある。名の明かし方にも格式が必要というものだ」
「お前は黙ってろ」
モモタロスが即座に言った。
ユウトは、そのやり取りを聞きながら考えていた。
ある人。
良太郎たちが知っている、ゼロノスに関わる誰か。
その人が、自分に発破をかけてほしいと頼んだ。
だが、名前はまだ明かされない。
理由は分からない。
けれど、今は追及するべきではないのだろう。
良太郎は、ユウトをまっすぐ見た。
「ユウトくん」
「はい」
「君は、自分に資格があるのか悩んでいるんだよね」
ユウトの肩がわずかに揺れた。
0期生と深夜の廊下で話していたこと。
それを良太郎が聞いていたはずはない。
だが、彼は知っているようだった。
「前の君をみんなが覚えている。でも、今の君は覚えていない。だから、みんなの中にいる桜井ユウトと、今の自分の間に距離を感じている」
「……はい」
ユウトは、正直に頷いた。
「僕は、皆さんに何を返せるのか分からないんです。僕は覚えていない。なのに、皆さんは僕にありがとうと言ってくれる。またよろしくと言ってくれる」
手の中のカードが、わずかに震えた。
「その言葉を受け取る資格が、今の僕にあるのか……分からない」
良太郎は、すぐには答えなかった。
代わりに、窓の外へ視線を向けた。
列車はまだ荒野を走っている。
だが、遠くに何かが見え始めていた。
光の粒が集まるような、駅の影。
「たぶん、その答えは誰かが教えるものじゃない」
良太郎は言った。
「君が見て、感じて、決めることだと思う」
「僕が決める」
「うん。失った記憶を完全に取り戻せなくても、過去を見ることはできる。そして、その過去を見たうえで、これからどんな未来を歩くかを決めることはできる」
ユウトは、その言葉を胸の中で繰り返した。
失った記憶は戻らないかもしれない。
それでも、未来は選べる。
その時だった。
食堂車のドアが、静かに開いた。
ユウトたちが振り向く。
そこに立っていたのは、一人の初老の男性だった。
背筋の伸びた姿勢。
手にはステッキ。
品のある立ち振る舞い。
どこか飄々としていて、それでいてただ者ではない雰囲気がある。
男性は、ゆっくりと食堂車へ入ってきた。
まるで自分の屋敷の廊下を歩いているかのように、優雅に。
ユウトたちの席の隣まで来ると、自然な動作で腰を下ろした。
「オーナー」
良太郎がそう呼んだ。
オーナー。
この列車の責任者なのだろうか。
ユウトは、その男性を見る。
男性はにこりと微笑んだ。
「いやはや。なかなか興味深い運行になりましたね」
その声は穏やかだった。
だが、どこか掴みどころがない。
ナオミが、待ってましたと言わんばかりにカウンターから皿を運んできた。
「お待たせしました、オーナー!」
皿の上にあったのは、チャーハンだった。
山のように盛られたチャーハン。
そしてその頂上には、小さな旗が立っている。
なぜ旗が。
誰も説明しない。
ナオミは当然のように皿を置き、オーナーは当然のようにスプーンを手に取った。
そして、旗を倒さないように、慎重にチャーハンを食べ始めた。
「……」
ユウトは、思わず見てしまった。
そらも見ている。
みこは口を開けている。
すいせいは何とも言えない表情をしている。
ロボ子さんは、なぜか旗の角度を目で追っている。
AZKiは静かに呟いた。
「すごく集中してる」
その通りだった。
オーナーは、優雅でありながら、真剣だった。
旗を倒さない。
その一点に、全神経を注いでいるように見える。
モモタロスは、呆れたように腕を組んだ。
「相変わらずだな」
ウラタロスは笑っている。
「この状況でもブレないのは、さすがですね」
キンタロスは腕を組んだまま頷いた。
「男の勝負や」
「チャーハンで?」
みこが小声で言った。
「チャーハンでもや」
キンタロスは真面目だった。
オーナーは、スプーンを動かしながら、ふとユウトの方を見る。
「桜井ユウトくん」
「はい」
突然呼ばれ、ユウトは背筋を伸ばした。
オーナーは微笑む。
しかし、スプーンの動きは止まらない。
旗はまだ倒れていない。
「今日は特別運行です」
「特別運行」
「ええ。通常の時間の運行とは異なります。あなたの過去を変えるためではありません。あなたの記憶を無理に戻すためでもありません」
オーナーは、チャーハンを少しだけ崩しながらも、旗の周囲を慎重に残している。
「失った記憶を取り戻すことは、容易ではありません。ましてや、あなたの場合はただの物忘れではない。時間と記憶と存在に関わる、非常に厄介な欠落です」
ユウトは、何も言えなかった。
時間と記憶と存在。
その言葉が、胸に重く沈む。
0期生も、表情を強張らせていた。
「ですが」
オーナーは続ける。
「記憶を取り戻せなくても、過去を見ることはできる。過去を見て、そこで何があったのかを知ることはできる。そして、それを知ったうえで、どのような未来を歩いていくかを決めることはできる」
良太郎が先ほど言ったことと、よく似ている。
だが、オーナーの言葉には、列車の運行を告げる者のような確かさがあった。
「桜井ユウトくん。あなたはこれから、自分が忘れてしまった時間を見ます」
オーナーの目が、わずかに細くなる。
「そこには、楽しい時間もあるでしょう。温かい時間もあるでしょう。ですが、同時に、苦しい時間もあります。あなたが目を逸らしたくなるものも、きっとある」
懐中時計が、チ、と鳴る。
「それでも見るかどうか」
オーナーは、スプーンを止めずに言った。
「それは、あなたが決めることです」
ユウトは、手の中の緑のカードを見た。
怖い。
その感情は消えていない。
むしろ、オーナーの言葉でよりはっきりした。
楽しいだけの旅ではない。
温かい思い出だけを見るわけではない。
きっと、自分が消えていく理由に近づく。
自分が何を失い、どれだけの人を泣かせ、どんな終わりへ向かったのか。
それを見ることになる。
でも。
そらが隣にいる。
ロボ子さんがいる。
みこがいる。
すいせいがいる。
AZKiがいる。
そして、良太郎たちがいる。
一人ではない。
「……見ます」
ユウトは、静かに答えた。
「僕は、見ます。過去を変えるためではなく、今の僕がこれからどうするかを決めるために」
オーナーは満足そうに頷いた。
「よろしい」
そして、再びチャーハンへ意識を戻した。
「では、まずは最初の駅です」
その瞬間、列車の揺れが少しだけ変わった。
ごとん。
ごとん。
速度が落ちていく。
窓の外の荒野が、光に包まれ始めた。
虹色の空が白く滲み、砂の大地が溶けるように薄れていく。
代わりに、別の景色が浮かび上がってきた。
まだ今ほど大きくない、配信の世界。
小さな部屋。
画面。
マイク。
不慣れな機材。
そして、一人の少女。
ときのそら。
「……」
そらが、息を呑んだ。
その表情が、少しずつ変わっていく。
懐かしさ。
驚き。
そして、胸が締め付けられるような感情。
「これ……」
そらの声が震える。
「私の、最初の……」
良太郎が静かに言った。
「最初の駅」
列車が、ゆっくりと止まっていく。
「ホロライブが始まった時」
窓の向こうに映るのは、まだ誰も未来を知らなかった頃の景色。
夢と不安が混ざった、小さな始まり。
そして。
「ときのそらさんが、初めて配信活動を行った時だよ」
デンライナーが、静かに停車した。
車内に、発車ベルとは違う、柔らかな音が響く。
ユウトは窓の外を見つめた。
そこにいる少女は、今隣に座っているそらよりも少し幼く、少し緊張しているように見えた。
だが、その瞳には確かな光があった。
まだホロライブという名前が、今ほど大きな意味を持つ前。
まだ誰も、長い物語の先を知らなかった頃。
その小さな始まりを、ユウトは今、初めて見る。
いや。
前の自分は、きっと知っていた。
でも今の自分は、初めて見る。
そらの隣で。
0期生たちと一緒に。
時の列車の窓越しに。
オーナーのチャーハンの旗は、まだ倒れていなかった。
しかしユウトの中では、何かが静かに揺れ始めていた。
ホロライブの始まり。
ときのそらの始まり。
そして、やがて桜井ユウトが関わることになる物語の、最初の停車駅。
過去を見返す旅は、ここから本当に始まる。