hololive Lost Story 作:ダニエルズプラン
ユウトが、ホロライブのライバーたちと今の自分として向き合っていくことを決めた翌日。
空は、昨日までの嵐が嘘みたいに晴れていた。
オルタナティブシティ近隣の町にある高校にも、雨上がりの光が差し込んでいる。校舎の窓には朝日が反射し、中庭の魔導樹からは水滴がきらきらと落ちていた。
いつもの学校。
いつもの教室。
いつもの朝。
けれど、桜井ユウトだけは少し違っていた。
「おはよう」
ユウトが教室に入ると、獣人の少年が真っ先に顔を上げた。
「お、ユウト。おはよ……って、ん?」
「何?」
「いや、なんか今日、顔違くない?」
「顔?」
ユウトは自分の頬に手を当てた。
「寝癖でもついてる?」
「そういう意味じゃねぇよ。なんか、表情が軽い」
悪魔の少年が、机に頬杖をつきながらにやにや笑う。
「分かる。ユウト、週末なんかあっただろ」
「いろいろあった」
「否定しないんだ!?」
獣人の少年が尻尾を揺らす。
「前なら『特に何も』とか言って流してたじゃん」
「今回は、特に何もとは言えないから」
「何それ。めっちゃ気になるんだけど」
エルフの少女も、少し微笑みながらユウトを見る。
「でも、いい変化だと思うわ。桜井くん、前より話しかけやすい雰囲気になったもの」
「そうかな」
「そうよ。前は、ここにいるけれど少し遠いところを見ている感じがしたから」
その言葉に、ユウトは一瞬だけ黙った。
遠いところ。
たしかに、自分はずっと遠くを見ていたのかもしれない。
霧の向こうにある過去。
思い出せない誰か。
胸の奥に空いた穴。
けれど、今は違う。
完全に埋まったわけではない。
記憶も戻りきっていない。
それでも、自分がここにいていいと思える場所が、少しずつ増えていた。
「……まあ、少しは変わったのかも」
ユウトがそう言うと、友人たちは顔を見合わせた。
「おお」
「自覚あり」
「これは大事件だな」
「何だそれ」
「青春だよ青春!」
悪魔の少年が笑う。
「ユウトにもついに青春が始まったってことだ」
「勝手に始めないでくれ」
「もう始まってるって。顔に書いてある」
「書いてない」
「いや、書いてる。『週末に何かあってちょっと前向きになりました』って」
「具体的すぎるだろ」
ユウトは思わず笑った。
その笑みを見て、友人たちはさらに嬉しそうな顔をする。
「ほら、今の」
「今の笑い方、前より自然」
「やっぱ変わったよな」
「……そんなに分かりやすい?」
「分かりやすい」
「めちゃくちゃ」
「ユウト本人だけ分かってないやつ」
友人たちの言葉は軽い。
茶化すようで、でも本当に喜んでいる。
それが分かって、ユウトは少しだけ目を伏せた。
「心配かけてたなら、ごめん」
「そこは謝るとこじゃないって」
獣人の少年が笑う。
「まあ、元気そうならいいんじゃね?」
「そうそう。細かいことは青春の一言で処理できる」
「便利すぎるだろ、その言葉」
そんなふうに、朝の教室はいつも通り賑やかだった。
しかし、その様子を廊下側から見ている三人がいた。
火威青。
音乃瀬奏。
轟はじめ。
ユウトの後輩三人組である。
青は、壁に背を預けながら腕を組んでいた。いつものように外向きの整った立ち姿で、中性的で涼しげな雰囲気をまとっている。近くを通った女子生徒がちらりと見ていくくらいには、相変わらず見栄えがいい。
ただ、奏とはじめは知っている。
この人は、漫画の話になった瞬間、王子様ムーブが崩壊する。
奏は、青の横で少しだけ頬を膨らませていた。
はじめは、教室の中のユウトをじっと見つめている。
「……ユウト先輩、変わったっしゅね」
はじめがぽつりと言った。
「うん」
奏が頷く。
「変わった。絶対変わった」
「笑い方、前よりやわらかいっしゅ」
「そうだね」
青が静かに言う。
「よかった。よかったんだけど」
そこで言葉を切る。
奏は横目で青を見た。
「けど?」
「悔しいよね」
青は、ユウトの教室の中を見たまま言った。
「僕たちだって、先輩のこと見てたじゃん。なんか抱えてるのも、たまに遠いところ見てるのも、ずっと気になってた」
「……うん」
「でも、先輩をここまで変えたのは、僕たちじゃない」
その言葉に、奏は黙った。
はじめも、少しだけ目を伏せる。
ホロライブ。
青たちは、その名前をもう無視できなくなっていた。
ユウトが最近、オルタナティブシティへよく行っていること。
端末に届く通知を、時々見られない角度で確認していること。
会話の中で「YAGOOさん」という名前が自然に出たこと。
何より、ホロライブの事務所へ行った後のユウトが、少しずつ変わっていたこと。
ただのファンや知り合いではない。
何かがある。
それくらい、三人には分かっていた。
分かっているからこそ、胸がざわざわする。
自分たちは同じ学校にいる。
同じ日常の中にいる。
放課後に声をかけられる。
一緒に遊びにも行ける。
それなのに、ユウトの心の深い場所に触れたのは、自分たちではなかった。
ホロライブだった。
それが、嬉しくて。
悔しくて。
少し寂しかった。
「青くん」
奏が静かに言う。
「うん?」
「嫉妬してる?」
「してる」
青は即答した。
「だいぶ正直」
「ここで格好つけても奏ちゃんにはバレるでしょ」
「まあ、バレる」
はじめが、ぎゅっと拳を握った。
「はじめも、ちょっともやもやするっしゅ」
「だよね、ばんちょう」
「ユウト先輩が元気になったのはうれしいっしゅ。でも、はじめたちじゃないのが、ちょっとくやしいっしゅ」
はじめの言葉は、素直だった。
その素直さに、青は少しだけ笑う。
「じゃあ、今日はぶつけようか」
「ぶつける?」
奏が眉を上げる。
「先輩に」
「物理?」
「いや、まあ、二割くらいは」
「二割残さないで」
「じゃあ気持ちを」
「それならよし」
青は、いつもの王子様めいた笑みを浮かべた。
「今日の放課後、先輩を遊びに連行します」
「結局、言葉が物理」
「青たん、連行って悪いことするみたいっしゅ」
「ばんちょう、今日だけはそれくらいの勢いでいいんだよ」
奏は少しだけ考えて、それから頷いた。
「いいと思う。ホロライブの人たちにユウト先輩が変えられたなら、私たちは今のユウト先輩を振り回す」
「そういうこと」
青は、教室の中で友人たちと話しているユウトを見つめた。
「難しい過去とか、ホロライブとの関係とか、そういうのはまだ分からない。でも、今のユウト先輩と放課後に遊ぶことはできる」
「うち、くれーぷ食べたいっしゅ」
「いいね、ばんちょう。ゲームセンターも行こう」
「ショッピングモールも」
奏が言う。
「駅前のところなら、放課後でも間に合う」
「決まりだね」
青は小さく笑った。
「先輩、今日は覚悟してください」
その声は、楽しそうで。
少しだけ拗ねていて。
それでも、ちゃんと後輩らしいわがままに満ちていた。
~~~~~~~~
放課後。
授業が終わり、教室がいつものざわめきに包まれた。
部活へ向かう者。
魔導端末で予定を確認する者。
友人と遊びに行く相談をする者。
すぐに帰る者。
ユウトは鞄を整理しながら、今日の予定を考えていた。
特に用事はない。
ホロライブの誰かから連絡が来るかもしれないが、今日は早めに帰って休むつもりだった。
あまりにも週末が濃すぎた。
デンライナー。
ゼロライナー。
過去。
未来。
屋上の歌。
大会議場での挨拶。
体よりも心が疲れている。
だから、今日は静かに帰ろう。
そう思っていた。
「先輩」
背後から声がした。
振り返ると、青がいた。
その横に奏。
そして、はじめ。
三人とも、妙に真剣な顔をしている。
「青、奏、はじめ。どうした?」
「捕獲です」
「え?」
青がユウトの鞄の取っ手を掴んだ。
奏が反対側に回り込む。
はじめが正面に立つ。
退路が消えた。
「……何をしてるんだ」
「先輩を捕まえてます」
「見れば分かる」
ユウトは青を見る。
「理由を聞いてる」
「今日、先輩は僕たちと遊びます」
「急だな」
「急です」
奏が頷く。
「でも決定事項です」
「僕の予定は?」
「確認します」
青が人差し指を立てる。
「今日このあと、外せない予定ありますか?」
「……ないけど」
「じゃあ決定です」
「早い」
はじめが、ぱっと顔を明るくした。
「ユウト先輩、きょうは、はじめたちとあしょぶ日っしゅ!」
「遊ぶ日」
「そうっしゅ!」
「いや、気持ちは嬉しいけど、三人にも予定があるんじゃないのか?」
「空けました」
青が言う。
「空けたのか」
「はい」
奏も頷く。
「ユウト先輩を連れ回すために」
「連れ回すって言い方」
「じゃあ、付き合ってもらうために」
「意味はあまり変わってないな」
青は、少しだけ笑った。
いつもの整った笑顔。
でも、目の奥に拗ねた色がある。
「先輩」
「何?」
「最近、ホロライブの人たちといろいろありましたよね」
ユウトは一瞬だけ黙った。
青は、それを見逃さない。
「やっぱり」
「……」
「今は、詳しく聞きません」
青は、少しだけ目を伏せた。
「でも、先輩が変わったのは分かります」
奏が続ける。
「前より、ちゃんとここにいる感じがします」
はじめも頷いた。
「うれしいっしゅ。でも、ちょっと、もやもやするっしゅ」
「もやもや?」
「はいっしゅ」
はじめは、自分の胸に手を当てた。
「はじめたちも、ユウト先輩のこと、しんぱいしてたっしゅ。でも、ユウト先輩をらくにしたのは、はじめたちじゃなかったっしゅ」
その言葉は、まっすぐだった。
ユウトは、返す言葉を探して止まる。
奏が小さく息を吐く。
「だから、ちょっと悔しいです」
青が、正面からユウトを見た。
「嫉妬してます」
「嫉妬」
「はい」
青は隠さなかった。
「先輩にというより、ホロライブの人たちに。先輩をそんな顔にした時間に。僕たちの知らないところで、先輩の心に触れた人たちに」
「……青」
「重いこと言ってる自覚はあります」
「あるんだ」
「あります。でも、今日はそれを言う日なので」
奏が少しだけ笑った。
「青くん、開き直った」
「奏ちゃんも同じ気持ちでしょ」
「否定はしない」
はじめが元気よく手を上げる。
「はじめもっしゅ!」
「だから、今日は私たちのわがままを聞いてください」
青は言った。
「難しい過去の話はなし。ホロライブの話も、今はなし」
奏が指を立てる。
「今日のユウト先輩は、私たちの放課後に付き合う先輩です」
はじめがにこっと笑う。
「いっぱい、ふりまわしましゅ!」
「宣言するんだな」
「しましゅ!」
ユウトは、三人を見た。
ホロライブのライバーたちとは違う。
前の世界の記憶を持っていない後輩たち。
ゼロノスも、デンライナーも、桜井ユウトが消えたことも知らない。
だからこそ、今の自分だけを見ている。
今の自分が変わったことに置いていかれたような寂しさを、正直にぶつけてきている。
困る。
少し照れる。
でも、嫌ではなかった。
「……分かった」
三人の表情が一斉に明るくなる。
「本当ですか?」
奏が確認する。
「うん。ただし、あまり遅くならない範囲でな」
「やった」
青が小さくガッツポーズをした。
はじめはぴょんと跳ねる。
「やったっしゅ! ユウト先輩げっとっしゅ!」
「捕まえられたんだな、僕」
「はいっしゅ!」
ユウトは苦笑した。
「で、どこへ行くんだ?」
青が胸を張る。
「まずは駅前のショッピングモール」
奏が続ける。
「それからゲームセンター」
はじめが手を上げる。
「それから、くれーぷっしゅ!」
「結構しっかり連れ回す予定だな」
「はい」
「はい」
「はいっしゅ」
三人の返事は揃っていた。
ユウトは鞄を持ち直す。
「じゃあ、行くか」
その瞬間、青がユウトの腕を軽く引いた。
「では、先輩はこっちです」
「歩ける」
「知ってます。でも引きます」
「なぜ」
「嫉妬してるので」
「便利な理由だな」
「今日は万能です」
奏が反対側からユウトの袖を掴む。
「私も今日は遠慮しません」
「奏まで」
「青くんだけに任せると、かっこつけて変な方向に行くので」
「奏ちゃん、ひどくない?」
「実績に基づいています」
「今日その言葉、強いな」
はじめは、ユウトの前を歩きながら振り返った。
「ユウト先輩、はやくはやくっしゅ!」
「分かった、分かった」
ユウトは思わずそう返していた。
その口調が、ホロライブのライバーたち相手より少し砕けていることに、自分でも気づいた。
三人の後輩に挟まれるようにして、ユウトは教室を出る。
廊下にいた友人たちが、その様子を見てにやにやした。
「おー、ユウト、連行されてる」
「完全に捕まってんじゃん」
「青春だな!」
「だから何でも青春で片づけるな」
ユウトが言うと、獣人の少年が親指を立てた。
「がんばれ。あの三人、目が本気だ」
「助けてくれないのか」
「無理。俺たちには荷が重い」
悪魔の少年が笑う。
「ユウト、骨は拾ってやるよ」
「遊びに行くだけでそこまで行くのか」
エルフの少女が、くすっと笑った。
「桜井くん、楽しんできて。たぶん今のあなたには、そういう時間も必要だから」
ユウトは少しだけ驚いて、それから頷いた。
「……そうだな」
青が、その返事に少しだけ満足そうに笑う。
「さあ、行きますよ。今日は遠慮しませんから」
「ほどほどにしてくれ」
「ほどほどにはしません」
奏が言う。
「でも、楽しくします」
はじめが両手を上げる。
「ぜったい、たのしくしましゅ!」
ユウトは、少しだけ肩の力を抜いた。
「じゃあ、よろしく」
「そこは」
青が振り返る。
「『今日は付き合ってやるよ』くらいでいいんですよ、先輩」
「僕には難しい」
「じゃあ練習です」
「練習?」
「放課後の先輩ムーブ練習」
「また変な課題が増えたな」
奏が笑う。
「ユウト先輩、課題多いですね」
「多すぎる」
はじめがにこにこしながら言う。
「でも、はじめたちがてつだいましゅ」
ユウトは、三人を見る。
「……ありがとう」
青が一瞬だけ照れたように顔を逸らした。
「そういうところですよ」
「何が?」
「すぐ真面目にありがとうって言うところ」
奏が頷く。
「でも、そこがユウト先輩っぽいです」
はじめも嬉しそうに言った。
「ユウト先輩は、ユウト先輩っしゅ」
その言葉に、ユウトは一瞬だけ足を止めそうになった。
ユウト先輩は、ユウト先輩。
前の自分でもなく。
誰かの記憶の中にいる存在でもなく。
今ここにいる自分として。
後輩たちは、そう呼んでくれている。
ユウトは、小さく笑った。
「そうだな」
「はい?」
奏が振り向く。
「いや。何でもない」
「気になります」
「内緒」
「うわ、ユウト先輩が内緒って言った」
青が少し驚いた顔をする。
「成長ですね」
「何の?」
「後輩を振り回す力」
「身につけていい力なのか、それ」
はじめが元気よく言う。
「いいっしゅ!」
奏が笑った。
「はじめがいいって言ってるので、いいです」
「奏まで」
青が、ユウトの腕を引く。
「さあ、行きますよ。まずはショッピングモールです」
「はいはい」
「そのあとはゲームセンター」
「分かった」
「最後はクレープ」
「覚えた」
「そしてユウト先輩には、私たち全員のおすすめを一口ずつ食べてもらいます」
「急に重い予定が追加されたな」
「嫉妬してるので」
「本当に万能だな、その理由」
「今日は万能です」
ユウトは、三人に連れられて学校を出た。
夕方の街には、雨上がりの名残が残っていた。
水たまりが空の色を映し、魔導ネオンが少し早めに灯り始めている。
ホロライブ事務所での大きな時間から一夜。
今度は、学校の後輩たちとの小さな放課後が始まる。
過去を見たユウト。
未来を見たユウト。
そして今、青、奏、はじめに振り回されるユウト。
それもまた、桜井ユウトの新しい時間だった。
放課後の騒がしい列車は、切符も改札もなく、三人の後輩によって強制的に出発した。