hololive Lost Story 作:ダニエルズプラン
その週の土曜日。
ホロライブ事務所の大会議室には、妙な緊張感が漂っていた。
広い会議室。
長机。
壁に設置された大型モニター。
普段なら企画会議や大型収録前の打ち合わせ、あるいはスタッフを交えた全体説明などに使われるその場所に、今日はホロライブJPの面々が集まっていた。
もちろん全員ではない。
収録中の者もいる。
配信準備で席を外している者もいる。
別件の打ち合わせで後から合流する者もいる。
それでも、0期生からholoXまで、主だった顔ぶれはほとんど揃っていた。
ときのそら。
ロボ子さん。
さくらみこ。
星街すいせい。
AZKi。
白上フブキ。
夏色まつり。
大神ミオ。
猫又おかゆ。
戌神ころね。
百鬼あやめは今はいない。
大空スバル。
湊あくあ。
紫咲シオン。
兎田ぺこら。
宝鐘マリン。
白銀ノエル。
不知火フレア。
潤羽るしあ。
天音かなた。
角巻わため。
常闇トワ。
姫森ルーナ。
桐生ココ。
雪花ラミィ。
桃鈴ねね。
獅白ぼたんも今はいない。
尾丸ポルカも今はいない。
ラプラス・ダークネス。
鷹嶺ルイ。
博衣こより。
沙花叉クロヱ。
風真いろは。
数人分の席は空いている。
しかし、その空席が気にならないほど、会議室内の圧は濃かった。
ホワイトボードには、フブキの丁寧な字でこう書かれている。
『緊急議題:桜井ユウトと火威青・音ノ瀬奏・轟はじめの距離感について』
その下に、誰が書いたのか分からない赤字が追加されていた。
『※プリクラ問題を含む』
さらにその下に、別の筆跡でこう書かれている。
『※腕引っぱり問題も含む』
そして最後に、みこの字で大きくこう書き足されていた。
『※みこもユウトとプリクラ撮りたいにぇ!!!!』
「みこち、議題に私情を混ぜない」
すいせいが冷静に言った。
「すいちゃんだって撮りたいくせに!」
「撮りたいよ」
「即答にぇ!?」
「そこを隠す段階はもう過ぎた」
会議室が、わずかにざわつく。
フブキが、議長席のような場所に座って両手を組んだ。
「さて。皆さん、落ち着いてください」
「フブちゃんが一番目が据わってるにぇ」
「私は落ち着いています」
「その声の平坦さが怖いんだよなぁ!」
スバルが叫んだ。
ミオが隣で肩を叩く。
「スバルも落ち着こうね」
「ミオしゃ、これ落ち着ける議題か!? ユウトが青たちとプリクラ撮ってたって話だぞ!?」
「うん。落ち着けないね」
「ミオしゃ!?」
そらは、苦笑しながら全員を見回した。
その表情には困惑もある。
けれど、同時にどこか優しいものもあった。
「でも、まずはよかったって思うところからじゃないかな」
そらの声に、会議室が少し静かになる。
「青ちゃんたちが、元気にこの世界にいるって分かったんだよね」
その言葉で、空気がわずかに変わった。
騒ぎの中心にあるのは確かに嫉妬だった。
プリクラ。
腕を引っ張る距離感。
ユウトの隣で笑う後輩たち。
それは、恋する乙女たちにとって、無視できるものではない。
だが、それ以前に。
火威青。
音乃瀬奏。
轟はじめ。
前世でホロライブの後輩だった彼女たちが、この世界で無事に生きている。
笑っている。
そして、ユウトの近くにいる。
それは本来、喜ぶべきことでもあった。
「そうだね」
AZKiが静かに頷く。
「見つからなかった仲間が見つかった。それは、ちゃんと嬉しい」
「うん」
わためも柔らかく微笑んだ。
「青くんたちが元気なら、それはよかったことだよね」
「それはそう」
マリンが腕を組んだまま頷く。
「それはそうなんですけど」
そこで船長は、すっと目を細めた。
「恋する乙女としては、話が別なんですよ」
「船長が真面目な顔で変なこと言ってる」
トワが半眼で言う。
「変じゃないですぅ! 極めて重要な問題ですぅ!」
ラプラスが机の上に両手をつき、椅子の上で立ち上がった。
「そうだ! 吾輩も総帥として看過できん! 配下であるユウトが、吾輩の知らぬところで後輩三人に腕を引かれ、プリクラなる密室型記録装置へ連行されていたなど――」
「ラプラス、座って」
ルイが落ち着いた声で言う。
「吾輩はまだ演説の途中だが!?」
「座って」
「はい」
ラプラスは座った。
ぺこらが耳をぴんと立てながら、腕を組む。
「ぺこらは現地で見たぺこ。あれはかなり近かったぺこ」
「そう」
すいせいが頷く。
「あれは近かった」
「どのくらい近かったの?」
ラミィが尋ねる。
すいせいは少し考えた。
「左右から腕」
おかゆが補足する。
「背中から押されてたねぇ」
ころねもにこにこしながら言う。
「あと、ユウトくん楽しそうだった」
その一言で、会議室が沈黙した。
重い沈黙だった。
何なら、さっきまでの騒がしさよりもずっと重かった。
「……楽しそう」
あくあが小さく呟いた。
その声は、淡く震えていた。
「ユウトさんが、楽しそうに……」
「いいことだよ」
ミオが優しく言う。
「ユウトが今の学校生活をちゃんと楽しめているなら、それはすごくいいこと」
「分かってます」
あくあは頷く。
「分かってます。ユウトさんが笑っているのは、嬉しいです」
そこで、彼女はぎゅっと手を握った。
「でも、隣にいたかったです」
会議室のあちこちで、無言の頷きが起きた。
あくあの言葉は、多くの者に刺さっていた。
ユウトが笑っているのは嬉しい。
彼が日常を楽しめているのも嬉しい。
前世の痛みや記憶だけに囚われていないことも、本当は喜ぶべきことだ。
だが。
その笑顔の隣にいるのが、自分たちではなかった。
それが、苦しい。
「しかも青くんたち、ユウトくんに呼び捨てで呼ばれてるんでしょ?」
まつりが言った。
「ユウトが青、奏、はじめって呼んでた」
すいせいが答える。
「呼び捨て」
るしあがぽつりと言った。
会議室の温度が、二度ほど下がった気がした。
「るしあ?」
フレアがそっと声をかける。
「大丈夫。大丈夫だよ、フレア」
るしあは微笑んだ。
微笑んでいる。
いるのだが、机の下で握っている手に、尋常ではない力が入っていた。
「ユウトが今の生活を大事にするのは、いいこと。青くんたちは前世のことを覚えていない。今のところ普通の女の子。だから、何かするのは違う」
「う、うん」
「分かってる。分かってるから」
るしあは、ゆっくりと息を吸う。
「でも、距離が近い」
その言葉に、また全員が頷いた。
近い。
近すぎる。
ユウトと青たちの距離感は、前世の記憶を持つホロライブメンバーから見ても、今の学校の後輩としてはかなり近かった。
腕を引く。
袖を掴む。
背中を押す。
プリクラに連れ込む。
クレープを一緒に食べる。
何より、ユウトがそれを受け入れている。
困った顔をしながら。
でも、楽しそうに。
「まず確認したいんだけど」
ルイが手元のメモを見ながら言った。
「青くんたちは、やっぱり前世の記憶を持っていないという認識でいいのよね?」
「たぶん」
すいせいが答える。
「私たちのこと、画面の向こうの有名人として見てた」
「すごく緊張してました」
おかゆが続ける。
「青くん、外向きの顔だったし」
「はじめちゃんは感動して震えてたよぉ」
ころねが言う。
「奏も、ちゃんとファンとして挨拶してたぺこ」
ぺこらが頷く。
「前世の後輩としての反応ではなかったぺこ」
ルイは少しだけ目を伏せた。
「そう」
「前世の仲間なのに、今は覚えていない」
こよりが真剣な顔で呟く。
「これは非常に興味深い記憶保持の差異です。ReGLOSSとFLOW GLOWは記憶非保持。けれど現世界での関係性はユウトくんの学校生活に直結している。となると、ユウトくんの現在の心的安定には――」
「こより」
ルイが横から止める。
「研究対象にしない」
「してません! まだ!」
「まだって言ったぺこ」
「こよちゃん、語ると研究スイッチ入るからねぇ」
おかゆが笑う。
こよりは咳払いをした。
「と、とにかく、青くんたちは敵ではありません。むしろ、現在のユウトくんの生活を支える重要な存在です」
「それは分かってる」
フブキが頷いた。
「だからこそ、直接的な牽制はしない」
その言葉で、会議室の空気が少し引き締まった。
フブキはホワイトボードの前に立つ。
「青くゆたちは今のところ、前世の記憶を持っていない一般人です。戦う力も、状況を理解する情報も、こちら側の事情も持っていない」
「うん」
そらが頷く。
「そんな子たちに、私たちの感情だけで圧をかけるのは違うと思う」
「そうですね」
いろはが真剣な顔で頷いた。
「守るべき相手であって、斬る相手ではないでござる」
「いろはちゃん、斬るって言葉がもう物騒」
ポルカはいないが、もしこの場にいたら間違いなくそう突っ込んでいただろう。
代わりにスバルが叫んだ。
「いやほんとにそう! 青たちは何も悪くない! 何も悪くないけど、距離は近い! この二つが同時に成立してるから面倒なんだよ!」
「スバルのまとめ、分かりやすいにぇ」
みこが真顔で頷いた。
「つまり、青くんたちは悪くない。でもユウトとの距離は問題」
「そう」
フブキが頷く。
「なので、今回の会議の目的は青くゆたちへの対処ではありません」
ホワイトボードに新しい文字が書かれる。
『目的:ユウトへのアプローチ強化と、ライバー間の抜け駆け防止』
会議室が、少しざわついた。
「抜け駆け防止」
マリンが腕を組む。
「ついに来ましたね、この議題が」
「船長、嬉しそうに言わないでください」
ノエルが苦笑する。
「だって団長、重要ですよ。ここを曖昧にすると大航海時代が始まります」
「何の海なの?」
フレアが首を傾げる。
「恋の海です」
「沈没船だらけになりそう」
トワがぼそっと言った。
ココが腕を組み、低く笑った。
「要するに、みんなでルール作ろうぜってことだろ?」
「そういうことです」
フブキが頷く。
「ユウトは今、かなり不安定な立場にいます。前世の記憶を完全に取り戻したわけではない。けれど、私たちとの関係を受け入れようとしている。さらに学校では青ちゃんたちとの日常がある」
ミオが続ける。
「そこで私たちがそれぞれ勝手に動くと、ユウトが疲れちゃうかもしれない」
「通知爆撃とか」
すいせいが言う。
数人が目を逸らした。
「みこち」
「すいちゃんも送ってたにぇ!」
「私は節度ある追撃だった」
「追撃は追撃にぇ!」
「すいちゃん、みこちゃん、そこは後で反省会ね」
そらが笑顔で言った。
二人は同時に黙った。
そらの笑顔は、時々とても強い。
「それで」
ルイが手元の紙を整える。
「暫定的な協定案を作るということでいいんですか」
「名前は?」
シオンが興味なさそうに見えて、わりと興味ありげに尋ねた。
「桜井ユウト保護及び恋愛的接近に関する暫定行動規範」
こよりが即答した。
「長い」
全員がほぼ同時に言った。
「じゃあ、ユウト包囲網」
マリンが言う。
「それは本人に聞かれたら最悪でござる」
いろはが真顔で止める。
「ユウトくん見守り協定?」
わためが言う。
「柔らかいけど、実態をごまかしてる気がする」
トワが言った。
そこで、AZKiが静かに口を開いた。
「淑女協定、でいいんじゃないかな」
会議室が静かになった。
「淑女協定」
フブキが反復する。
「いいですね」
「淑女かどうかはさておき」
スバルが言う。
「スバル?」
「いや、だってこの会議室の圧、淑女っていうより戦国大名会議――痛っ、誰か今足踏んだ!?」
「気のせいぺこ」
ぺこらが前を向いたまま言った。
フブキはホワイトボードに大きく書いた。
『暫定・淑女協定』
「では、内容を決めていきましょう」
◇
その頃。
当の桜井ユウトは、そんな大会議室の熱量など知る由もなく、スタジオフロア近くにある休憩室にいた。
ライバーたちが収録の合間に使う、広めの休憩スペースだ。
ソファ。
自販機。
簡易キッチン。
ゲーム機。
雑誌ラック。
隅には、仮眠用のクッションまで置かれている。
ユウトはその一角のテーブル席に座っていた。
目の前には、一枚の紙。
学校から配られた進路希望調査票。
そこには、すでに文字が書かれていた。
『第一希望:ホロライブ事務所スタッフ兼マネージャー』
ユウトは、それを前に腕を組んでいた。
「……」
書いた。
書いたのだ。
勢いで書いたわけではない。
何度も考えた。
考えて、消そうとして、消せなくて、結局そのまま残している。
でも、提出するとなると、急にその文字が重く見えてくる。
「そんなに睨んでも紙は逃げないよ」
少し離れたソファで、獅白ぼたんがゲームコントローラーを握ったまま言った。
画面の中では、銃火器を持ったキャラクターが無駄のない動きで敵を倒している。
「睨んでいるつもりはないんですけど」
「じゃあ圧をかけてる」
「紙に?」
「進路って、たまに敵より手ごわいからねぇ」
ぼたんは軽く笑いながら、画面の敵をまた一体倒した。
別のソファでは、尾丸ポルカが仰向け気味に座って、紙パック飲料を吸っている。
「進路希望調査かぁ。いいねぇ、青春だねぇ。ポルカの人生にもそういう紙があった気がする。たぶんサーカスのチラシと一緒にどっか行ったけど」
「失くさないでください」
「大丈夫大丈夫。人生の進路なんて、だいたい途中で曲がるから」
「それは励ましですか?」
「名言です」
「名言かな……」
少し離れた畳スペースでは、百鬼あやめがクッションを抱えてくつろいでいた。
「やりたいなら、書けばいい余」
あやめが目を閉じたまま言った。
ユウトは顔を上げる。
「あやめさん、起きてたんですか」
「起きてる余。半分くらい」
「半分」
「半分でも聞こえる余」
あやめは目を開け、ゆっくり身体を起こした。
「ユウトは、また難しく考えてる」
「……そう見えますか」
「見える余」
ポルカが体を起こし、ユウトの紙を横から覗き込んだ。
「おおー。第一希望、ホロライブ事務所スタッフ兼マネージャー。なかなか凄いところ書くねぇ」
「やっぱり、変ですか」
「変ではない」
ポルカは真顔で言った。
「ただし倍率が高い」
「採用の倍率ですか?」
「精神的倍率」
「精神的倍率」
「この職場、担当タレントからの愛が重い場合があります」
「……」
「今ちょっと思い当たる顔をしたね?」
「してません」
「したした。ポルカは見逃さない女」
ぼたんがゲームを一時停止し、振り返った。
「でも、いいんじゃない?」
「ぼたんさん」
「ユウトがやりたいなら」
「僕が、やりたいのかどうかが……まだ少し分からなくて」
ユウトは、進路希望調査票に目を落とした。
「前の僕が、そういう仕事をしていたらしいから。だからこの文字を書いたのかもしれない。ホロライブの皆さんが、僕にそういう姿を重ねているから、応えようとしているのかもしれない」
胸ポケットの銀色の懐中時計が、静かに時を刻んでいる。
「これが、今の僕の希望なのか。前の僕をなぞろうとしているだけなのか、まだ分からないんです」
休憩室が少しだけ静かになった。
ポルカは紙パックを置き、ぼたんはコントローラーを膝に置いた。
あやめは、ユウトをじっと見る。
「ユウト」
「はい」
「前の自分をなぞったら、今の自分ではなくなるの?」
あやめの問いに、ユウトはすぐには答えられなかった。
「それは……」
「過去に好きだったものを、今も好きになることはある余。前に選んだ道を、今の自分がもう一度選ぶこともある」
あやめは、ゆっくりと言う。
「大事なのは、それを誰のためだけに選ぶかじゃなくて、選んだ後に自分が歩けるかどうかではない?」
ユウトは黙った。
あやめの言葉は、ゆるく聞こえて、妙に深いところへ刺さった。
ぼたんも頷く。
「誰かのためって理由でもいいと思うよ」
「いいんですか?」
「うん。ただし、自分が完全に空っぽになるならダメ」
ぼたんは、少しだけ真面目な顔をする。
「ユウトの場合、すぐ自分を弾にしそうだからね」
「……そんなことは」
「ある」
ぼたんは即答した。
ポルカも頷く。
「あるねぇ。ユウトくん、自己犠牲の香りがするもん。こう、湿度高めの廊下で漂ってる感じ」
「どんな香りですか」
「ポルカレーダーに反応する香り」
「信用していいのか分からないレーダーですね」
「失礼な。ポルカレーダーは情緒不安定な時ほど精度が上がります」
「それはそれで不安です」
ユウトは小さく笑った。
その笑みを見て、ぼたんが少しだけ口元を緩める。
「まあ、第一希望に書くくらいならいいんじゃない? 提出した瞬間に人生確定ってわけじゃないし」
「そう、ですか」
「うん。ゲームで言うなら、今はキャラメイクの方向性を決めてるくらい」
「まだ序盤っぽいですね」
「でも初期ビルドは大事」
「急に重い」
「大丈夫。振り直しもある」
ポルカが片手を上げる。
「人生、スキルツリーぐちゃぐちゃでも意外と何とかなる!」
「ポルカさんらしいですね」
「褒めてる?」
「たぶん」
「たぶんかぁ」
ユウトはもう一度、進路希望調査票を見る。
第一希望の欄。
ホロライブ事務所スタッフ兼マネージャー。
その文字は、まだ重い。
けれど、さっきより少しだけ息苦しさが減っていた。
ユウトはペンを持つ。
第二希望の欄で少し迷った後、そこに小さく書いた。
『未定』
そして、備考欄に短く書く。
『誰かの未来を支える仕事に興味があるため』
書いてから、ユウトは少し照れたように目を逸らした。
「……変ですかね」
ぼたんが画面を見たまま言う。
「いいんじゃない?」
ポルカが大きく頷く。
「いいねぇ。青春ポイント高い」
あやめも微笑んだ。
「よいと思う余」
ユウトは、小さく息を吐いた。
「ありがとうございます」
その時。
遠くの方で、何かがどっと盛り上がるような気配がした。
音としては聞こえない。
けれど、何となく分かる。
妙に強い圧。
戦闘前の殺気とは違う。
もっとこう、熱量が高くて、逃げ道が少ない気配。
ユウトは思わず顔を上げた。
「……何か、すごい気配がしませんか?」
ぼたんが画面を見たまま言った。
「会議室じゃない?」
「会議室?」
「うん。今日は大会議室で集まりがあるから」
「何の会議ですか?」
「さあ」
ぼたんは笑った。
「ユウトにはまだ早い会議かな」
「僕に関係あるんですか?」
ポルカが口笛を吹いた。
「さあー? ポルカ何も知らないなぁー?」
「その言い方は知ってる人の言い方です」
「ポルカ、知らないなぁー?」
あやめは楽しそうに笑った。
「知らぬが花というやつだ余」
「……不安なんですけど」
「大丈夫大丈夫」
ぼたんがゲームを再開する。
「たぶん今日のボス戦は、まだ始まってないから」
「ボス戦?」
「こっちの話」
ユウトはますます不安になった。
◇
一方、大会議室では。
淑女協定の条文作りが、なかなかの混沌を迎えていた。
「第一条」
フブキがホワイトボードに書く。
『ユウト本人の意思を最優先とする』
「これは絶対」
そらが言う。
「うん」
全員が頷いた。
ここだけは、誰も異論がなかった。
ユウトを大事にしたい。
だからこそ、ユウトを追い詰めてはいけない。
自分たちの感情をぶつけるだけでは、前世と同じことを繰り返してしまうかもしれない。
それだけは、避けなければならない。
「第二条」
ルイがメモを読み上げる。
『青ちゃん・奏ちゃん・ばんちょうに対して、不当な圧力、牽制、威圧、囲い込みを行わない』
「囲い込みはこっちがされてる側ぺこでは?」
ぺこらが小声で言う。
「ぺこら」
ミオが見た。
「はいぺこ」
「青ちゃんたちは悪くない」
「分かってるぺこ」
ぺこらは耳を少し下げた。
「分かってるから、余計むずかしいぺこ」
その言葉には、素直な感情があった。
青たちが悪いわけではない。
むしろ、今のユウトにとって大切な存在なのだろう。
だから排除も牽制もできない。
できないし、してはいけない。
それでも、嫉妬は消えない。
「第三条」
フブキが続ける。
『ユウトへの連絡は節度を持つ』
会議室がざわついた。
「節度って何にぇ?」
みこが首を傾げる。
「一日何通まで?」
すいせいが真面目に考える。
「上限を決めるのはどうかなぁ」
おかゆが言う。
「でも、決めないとみんな送るよ」
ころねがにこにこ言った。
「ころさんも送るでしょ」
「送るよぉ?」
「正直」
ミオがため息を吐く。
「ユウトが返信できない時は追撃しない。これくらいから始めようか」
「追撃禁止」
フブキが書く。
みこが小さく手を上げた。
「質問にぇ」
「どうぞ」
「追撃と応援メッセージの違いは?」
「受け取る側が圧を感じるかどうか」
「難しいにぇ……!」
「みこち、まず『返信まだかにぇ』は追撃」
「ぐぬぬ」
すいせいがさらりと言うと、みこは机に突っ伏した。
「第四条」
こよりが勢いよく手を上げる。
『ユウトくんの現在の生活環境に関する情報共有を――』
「こより」
ルイが止める。
「監視みたいな言い方はしない」
「では、生活接点把握?」
「もっとダメ」
「現状理解?」
「それならギリギリ」
フブキが書き直す。
『ユウトの現在の生活を尊重し、必要な範囲で情報共有する』
「必要な範囲って何ぺこ?」
「ユウトが困っている時、危険がある時、明らかに無理をしている時」
ミオが答える。
「プリクラは?」
あくあが小さく言った。
「危険ではないかな」
そらが優しく言う。
「腕を引っ張られるのは?」
るしあが言った。
「それも、本人が嫌がっていないなら危険ではない……かな」
フレアが慎重に答える。
「クレープのクリームを拭いてあげるのは?」
ころねが言った。
会議室が凍った。
「何それ」
すいせいがころねを見る。
「見たの?」
「ちょっとだけ」
「ころさん、いつ」
「別れた後、ちょっとだけ遠くから見えたよぉ」
「それは危険です」
あくあが即答した。
「危険度高いです」
「いや待て待て待て!」
スバルが立ち上がる。
「クリーム拭いただけだろ!?」
「スバル」
マリンが重々しく言った。
「恋愛戦線において、口元クリーム拭きは上位イベントです」
「何の攻略本読んでんだよ!」
「人生です」
「人生にそんなチャートあるの!?」
ノエルが少し頬を赤くして言う。
「で、でも確かに、距離は近いかもしれませんね……」
「団長まで!?」
「口元は近いですから……」
かなたが机に両手をつく。
「握力でクレープを粉砕しそう」
「かなたん、落ち着いて」
トワが肩を押さえる。
「粉砕するのはクレープじゃなくて気持ちだけにして」
「それもだいぶ危ないよ、トワちゃん」
わためが苦笑する。
フブキは額に手を当てた。
「ころね、そういう重要情報は早めに出してください」
「ごめんねぇ」
ころねは笑っている。
笑っているが、少しだけ目が細い。
「でも、ユウトくん、自然にやってた」
「自然に」
るしあの声がまた低くなる。
「自然に、女の子の頬を」
「るしあちゃん、深呼吸」
フレアが優しく背中を撫でる。
そらが両手を合わせた。
「みんな、落ち着こう。ユウトくんはたぶん、そういう意味でやってないよ」
「そこが問題なんです!」
マリン、まつり、あくあ、みこが同時に叫んだ。
そして、お互いを見て気まずそうに黙った。
「……一致団結してるにぇ」
「嫌な団結ですね」
シオンが呟いた。
「第五条」
ルイがやや強引に進行する。
『ユウトに対するアプローチは、本人の負担にならない形で強化する』
「強化はするんですね」
ねねが言った。
「する」
すいせいが即答した。
「しない理由がない」
「すいせい先輩、強い」
ねねが感心したように頷く。
「具体的には?」
ラミィが尋ねる。
「まず、事務所に来た時にちゃんと話す時間を作る」
ミオが言う。
「偶然を装った待ち伏せは?」
「禁止寄り」
「偶然なら?」
「偶然を作りに行くのは禁止」
「ミオしゃ、言葉が強い!」
スバルが叫ぶ。
フブキは淡々と書く。
『偶然を作らない』
ぺこらが耳をぺたんと下げた。
「ぺこら、もう何も言えないぺこ」
「言えないくらいでちょうどいいかも」
おかゆが笑った。
「おかゆも現地にいたぺこ!」
「偶然だよぉ」
「まだ言うぺこか!?」
そらが静かに言った。
「でも、アプローチって言っても、焦らない方がいいと思う」
会議室がそらを見る。
「ユウトくんは、やっと私たちと向き合うって決めてくれたところだから。あんまり一気に進めようとすると、また自分を後回しにしちゃうかもしれない」
その言葉に、全員が黙った。
ユウトは優しい。
優しすぎる。
そして、自分を最後に回す癖がある。
自分がどうしたいかより、相手が何を望んでいるかを優先してしまう。
それを知っているからこそ、全員が言葉を失った。
「だから」
そらは続ける。
「私たちの気持ちは大事。でも、ユウトくんがちゃんと自分の気持ちで選べるようにしないと」
「……そうだね」
すいせいが頷いた。
「そこは、ちゃんとしないと」
ココが腕を組んだまま笑う。
「ま、つまり全員で押すけど潰すなってことだな」
「ココちゃんのまとめ方は雑だけど合ってる」
トワが言った。
「第六条」
フブキが書く。
『抜け駆け禁止』
会議室の空気が、一瞬で変わった。
「来た」
マリンが呟く。
「これが本丸」
「抜け駆けの定義は?」
シオンが言う。
「二人きりで食事は?」
「状況による」
「プリクラは?」
「事前申告」
「プリクラ事前申告制って何!?」
スバルが頭を抱えた。
「じゃあ、ユウトくんと二人で配信の相談をするのは?」
AZKiが尋ねる。
「仕事なら可」
「仕事を理由に私情を混ぜるのは?」
ルーナが小さく言う。
「んなっ……それは難しいのら」
「難しいのは姫様が言った側では?」
かなたが突っ込む。
「ユウトとお茶するのは?」
まつりが尋ねる。
「事前共有」
「散歩は?」
「事前共有」
「買い物は?」
「事前共有」
「じゃあ、偶然会った場合は?」
ぺこらが言う。
全員がぺこらを見た。
「何ぺこ、その目は」
「偶然」
すいせいが言う。
「偶然」
おかゆが言う。
「偶然」
ころねが言う。
「偶然」
ぺこらは視線を逸らした。
「……偶然の扱いは慎重に」
ルイがまとめた。
フブキが書く。
『偶然を主張する場合、後日報告すること』
「もう裁判みたいになってるぺこ」
「恋のコンプライアンスぅ」
ココが笑う。
「笑いごとじゃないですけど、笑わないとやってられませんね」
フレアが苦笑する。
「第七条」
いろはが手を上げる。
「ユウト殿が助けを求めた場合、全ての競争を一時停止し、全員で支える。これは入れてほしいでござる」
その言葉には、誰も異論を挟まなかった。
フブキが丁寧に書く。
『ユウトが困っている時は、競争より支援を優先する』
会議室が静かになる。
それは、この会議で最も大切な条文だった。
恋。
嫉妬。
独占欲。
焦り。
それらは確かにある。
隠せないほどある。
けれど、それ以上に。
彼を失いたくない。
彼に、今度こそ笑っていてほしい。
その思いだけは、全員に共通していた。
「……うん」
そらが微笑んだ。
「これなら、いいと思う」
ミオも頷く。
「淑女協定、暫定版としては十分かな」
「ただし」
すいせいが指を立てる。
「ホロライブプリクラ会は別途開催します」
「そこは諦めてなかったにぇ」
「諦める理由がない」
ころねがにこにこ頷く。
「ユウトくん、約束したもんねぇ」
「証人いるもんねぇ」
おかゆも笑う。
「ぺこらも聞いたぺこ」
「みこも撮るにぇ!」
「あくあも……撮りたいです」
「るしあも撮る」
「船長も当然参加です」
「スバルも? いや、え、これ全員で撮るのか!? 筐体壊れない!?」
「そこは魔導技術で何とかするにぇ」
「何ともならねえよ!」
また会議室が騒がしくなる。
しかし、さっきまでの刺すような空気とは少し違っていた。
青たちに対する嫉妬は消えていない。
ユウトとの距離感への危機感も消えていない。
だが、ひとまず方向性は決まった。
青たちには手を出さない。
彼女たちの今を尊重する。
そのうえで、自分たちもユウトとの時間を増やす。
そして、ライバー同士の抜け駆けは防ぐ。
暫定的な淑女協定。
それは、恋する乙女たちが暴走しないためのブレーキであり。
同時に、全員で少しずつアクセルを踏むための合図でもあった。
「では」
フブキがホワイトボードを振り返る。
「暫定・淑女協定、採択でよろしいですか?」
全員が、それぞれの形で頷いた。
「異議なし」
「異議なしにぇ」
「異議なしぺこ」
「異議なしです」
「異議なーし」
「異議なしでござる」
「異議なし余……って、あやめいないじゃん」
スバルが思わず突っ込んだ。
誰かが真似したらしい。
「まあ、あやめちゃんもたぶん異議なしということで」
ミオが苦笑する。
その時、会議室の扉が軽くノックされた。
全員が一斉に振り返る。
ドアが開き、Aちゃんが顔を出した。
「皆さん、そろそろ次の収録に移動する方はお願いします。あと、会議室の使用時間が延長されていますけど、議題は終わりましたか?」
会議室内の面々は、なぜか一斉に姿勢を正した。
フブキが咳払いをする。
「はい。とても有意義な会議でした」
「そうですか」
Aちゃんはホワイトボードを見た。
『暫定・淑女協定』
『抜け駆け禁止』
『偶然を作らない』
『プリクラ事前申告』
Aちゃんは数秒黙った。
そして、何も聞かなかったことにした。
「……ユウトくん、今休憩室にいますよ」
その一言で、会議室の空気がまた変わった。
すいせいの目が動く。
みこの耳がぴくっと動く。
あくあが小さく息を呑む。
るしあの指がぴくりと動く。
ころねがにこにこ笑う。
おかゆがのんびり立ち上がる。
「皆さん」
ミオがすかさず言った。
「淑女協定、第一条」
フブキが続ける。
「ユウト本人の意思を最優先」
そらが微笑む。
「ゆっくりね」
「……はい」
全員が答えた。
だが、その返事には、どこか遠足前の子どものような浮つきが混じっていた。
◇
休憩室。
ユウトは進路希望調査票をクリアファイルにしまっていた。
第一希望は、消さなかった。
ホロライブ事務所スタッフ兼マネージャー。
その文字が本当に自分の願いなのかは、まだ分からない。
それでも、提出してみようと思った。
今はまだ、それでいい気がした。
ユウトがファイルを鞄に入れた瞬間、廊下の向こうから複数の足音が聞こえてきた。
普通の足音ではない。
なぜか整っている。
なぜか勢いがある。
なぜか、見えない圧がある。
ユウトの身体が、無意識に反応した。
危険察知。
戦闘勘。
ゼロノスとして刻まれた身体の記憶。
だが、感じるのは殺気ではない。
もっと別の、逃げ道の少ない何か。
「……ぼたんさん」
「んー?」
「何か来てませんか」
「来てるねぇ」
ぼたんはゲーム画面を見たまま答えた。
「敵ですか」
「敵じゃないよ」
ポルカが笑う。
「味方だよ。とても強い味方」
「強い味方」
「そして圧がある味方」
「それは味方なんですか?」
あやめがくすくす笑う。
「ユウト、逃げるなら今だ余」
「え」
「冗談だ余」
「今の間、冗談じゃなかった気がします」
休憩室の扉が開いた。
そこには、すいせいがいた。
その後ろに、みこ、おかゆ、ころね、そら、フブキ、ミオ、あくあ、ぺこら、るしあ、マリン、その他数名。
明らかに人数が多い。
明らかに、ただ休憩に来た雰囲気ではない。
「ユウト」
すいせいが言う。
「はい」
「今、時間ある?」
ユウトは、思わずぼたんを見た。
ぼたんは画面を見たまま、楽しそうに笑っている。
ポルカは親指を立てた。
あやめは、クッションを抱えたままにこにこしていた。
誰も助ける気がない。
ユウトはゆっくりと息を吐いた。
「……少しなら」
その瞬間。
ホロライブの少女たちの表情が、ぱっと明るくなった。
それは、あまりにも分かりやすくて。
少しだけ重くて。
けれど、確かに温かかった。
「じゃあ」
そらが優しく言う。
「少しだけ、お話ししよっか」
ユウトは頷いた。
その胸ポケットで、銀色の懐中時計が小さく時を刻む。
チ、チ、チ、チ――。
過去を覚えている者たち。
今を掴む者たち。
その間で、ユウトはまた一つ、新しい時間の中へ足を踏み入れようとしていた。
そして彼は、まだ知らない。
たった今、自分を巡る恋と嫉妬と節度のための協定が、正式に採択されたことを。
淑女協定。
それは一見、ブレーキのようで。
実のところ、ホロライブ全体によるアプローチ強化作戦の発車ベルでもあった。
次の列車は、もうホームに入っている。