hololive Lost Story 作:ダニエルズプラン
桜井ユウトの夏休みは、ホロライブだけでできているわけではない。
ホロライブ事務所。
タレントたちからの誘い。
Aちゃんや春先のどかの仕事の手伝い。
進路相談。
マネジメントの勉強。
すいせいとまつりの、忘れられない口づけ。
それらが夏休みの大きな部分を占めているのは間違いない。
だが、ユウトには学校の友人たちがいる。
後輩たちがいる。
今の世界で出会った、今のユウトを見ている人たちがいる。
だから、その日。
ユウトはホロライブ事務所ではなく、海にいた。
◇
電車を乗り継いで二時間ちょっと。
窓の外に見える建物が少なくなり、代わりに空が広がっていく。
潮の匂いが、駅へ近づくほどに強くなる。
改札を抜けた瞬間、獣人の少年が大きく伸びをした。
「海だああああああ!」
「まだ駅前だよ」
ユウトが静かに突っ込む。
「でも匂いが海だろ! もう九割海だ!」
「残り一割は?」
「気合い!」
「雑だな」
悪魔族の少年が笑いながら荷物を肩に担ぎ直す。
「まあ、でもテンション上がるのは分かる。夏休み、海、そして赤点補習からの一時逃亡」
「逃亡って言うな!」
「補習は来週からだったかしら」
エルフの少女が淡々と言う。
「現実を突きつけるなよ……」
獣人の少年の耳がぺたりと倒れた。
「今日だけは忘れさせてくれ……」
「忘れても補習は消えないわ」
「エルフって時々残酷だな」
「事実を言っているだけよ」
そのやり取りを聞きながら、ユウトは少しだけ笑った。
その隣では、火威青が涼しげな帽子を片手で押さえながら歩いている。
「ふふ、海。青春。眩しい太陽。まさに物語の一ページですね」
「青くん、駅前で詩的にならないでください」
音乃瀬奏がすかさず言う。
「奏ちゃん、今のは結構いい感じだったと思うんだけど」
「海に着いてから言ってください」
「場所の判定が厳しい」
轟はじめは、すでに全身で楽しそうだった。
「ユウト先輩! 海っしゅ! 泳ぐっしゅ! かき氷も食べるっしゅ!」
「はじめ、まだ着替えてもいないよ」
「気持ちはもう海っしゅ!」
「それは獣人くんと同じこと言ってる」
「うちも九割海っしゅ!」
「残り一割は?」
「クレープっしゅ!」
「海に来てもクレープなんだ」
ユウトがそう言うと、はじめは胸を張った。
「甘いものはどこでも正義っしゅ!」
青と奏が同時に頷いた。
「そこは同意ですね」
「ですね」
「そこは合うんだ」
ユウトは少し呆れながらも、口元を緩めた。
ホロライブの事務所とは違う賑やかさ。
前世の重さを知らない、今の学校生活の空気。
それは、ユウトにとって少しだけ眩しくて、少しだけ落ち着くものだった。
◇
海水浴場は、すでに多くの人で賑わっていた。
青い海。
白い砂浜。
色とりどりのビーチパラソル。
海の家から漂う焼きそばやとうもろこしの匂い。
子どもたちの笑い声。
波の音。
夏そのもののような景色が広がっている。
海の家で荷物を預け、着替えを済ませた一行は、砂浜へ出た。
ユウトは黒を基調にしたシンプルな水着姿だった。
派手さはない。
だが、訓練で鍛えられた身体つきは、隠しようがない。
獣人の少年が、じっとユウトを見た。
「……ユウト」
「何?」
「お前、ちゃんと高校生だよな?」
「どういう意味?」
「なんか戦闘職の人みたいな身体してる」
「それは褒めてるの?」
「たぶん」
悪魔族の少年も頷く。
「いや、正直羨ましい。俺も鍛えようかな」
「まず補習を乗り越えてからにしなさい」
エルフの少女が冷静に言う。
「それ一番きつい筋トレじゃん」
そんな会話をしていると、青たち三人も着替えを終えて戻ってきた。
青は、青を基調にした上品な水着姿だった。
中性的な雰囲気はそのままに、海辺らしい軽やかさが加わっている。
奏は、動きやすさを重視した明るい色合いの水着で、髪をまとめていた。
はじめは、元気さがそのまま形になったような水着姿で、すでに砂浜を走り出しそうな勢いだった。
「ユウト先輩!」
はじめが両手を広げる。
「どうっしゅか!?」
「どう、って」
ユウトは一瞬だけ言葉に詰まった。
視線をどう置けばいいのか、少し迷う。
だが、青たちの表情は期待に満ちている。
ここで何も言わないのは、それはそれで失礼だ。
ユウトは、なるべく自然に、なるべく真面目に言った。
「三人とも、似合ってると思う」
青、奏、はじめが同時に固まった。
「……先輩」
青が少しだけ目を見開く。
「今、さらっと言いましたね」
「褒めてほしそうだったから」
「それをそんな自然に言えるのが、ずるいんですよ」
「ずるい?」
奏は少し赤くなった顔を、手で扇ぐようにした。
「ユウト先輩、こういう時だけ直球です」
「いや、変なことは言ってないよ」
「変なことじゃないから困るんです」
はじめは、数秒遅れて意味を噛みしめたのか、ぱあっと笑った。
「ユウト先輩に似合ってるって言われたっしゅ!」
「うん」
「やったっしゅ!」
はじめがその場でぴょんぴょん跳ねる。
「はじめ、砂浜で跳ねると転ぶよ」
「だいじょぶっしゅ!」
次の瞬間、はじめは本当に足を取られかけた。
ユウトが反射的に腕を伸ばし、肩を支える。
「ほら」
「えへへ、ありがとっしゅ」
「気をつけて」
「ユウト先輩がいるからだいじょぶっしゅ!」
「そういう問題じゃない」
青がその様子を見て、少しだけ唇を尖らせた。
「ばんちょう、ずるいなぁ」
「何がですか?」
奏が聞く。
「自然に支えられてる」
「青くんも転べばいいんじゃないですか」
「奏ちゃん、発想が物騒」
「自業自得型アプローチです」
「新しいジャンルを作らないで」
ユウトは、三人のやり取りを聞きながら苦笑した。
少しだけ胸が軽くなる。
海に来てよかった。
そう思った。
◇
しばらくの間、一行は普通の夏休みを楽しんだ。
泳ぐ。
浮き輪で流されかける獣人の少年をユウトが引き戻す。
悪魔族の少年が調子に乗って水をかけ、エルフの少女から冷たい視線を浴びる。
青が格好よく泳ごうとして、波に足を取られて奏に笑われる。
はじめは全力で水を蹴り、なぜか誰よりも前へ進む。
「はじめ、泳ぐの上手いね」
「うち、体動かすの得意っしゅ!」
「確かに」
「ユウト先輩も速いっしゅ!」
「そうかな」
「速いっしゅ! なんか、泳ぐっていうより水の中を斬ってる感じっしゅ!」
「斬ってる?」
青が少しだけ真面目な顔をする。
「ユウト先輩、泳ぎ方まで戦闘っぽいですね」
「そんなことはないと思うけど」
「ありますよ」
奏が頷く。
「動きが無駄に綺麗です」
「無駄に」
「褒めています」
「本当に?」
「半分くらい」
「半分」
海の中で笑い声が弾ける。
ユウトも笑った。
波を受け、夏の太陽を浴び、友人たちと後輩たちに囲まれて。
それは確かに、普通の高校生らしい夏休みだった。
だが。
ふとした瞬間に、頭の奥へ別の景色が差し込む。
玄関。
夏の朝の光。
すいせいの赤い顔。
唇に触れた柔らかい感触。
忘れちゃだめだぞ、という小さな声。
次に浮かぶのは、まつり。
いつもの元気な顔ではない、しっとりとした表情。
視線を合わせてからの口づけ。
耳元で囁かれた言葉。
まつりのこと……意識してもいいよ……?
「……っ」
ユウトは、海水を顔にかけるようにして頭を冷やした。
「ユウト?」
青が気づく。
「大丈夫ですか?」
「うん。少し、海水が目に入っただけ」
「本当ですか?」
「本当」
青は、その返事を聞いてもすぐには頷かなかった。
奏も、少し離れた場所からユウトを見ている。
はじめも、心配そうに首を傾げた。
「ユウト先輩、なんかぼーっとしてたっしゅ」
「そう?」
「してたっしゅ」
「少し疲れたのかもしれない」
「じゃあ休むっしゅ!」
はじめが即座に言った。
「海の家で借りたパラソルのとこ行くっしゅ!」
「まだ皆遊んでるよ」
「ユウト先輩が休むなら、うちも休むっしゅ!」
青が頷く。
「僕も少し休みたいですね。さっき波に負けましたし」
「青くんは格好つけ疲れですか?」
「奏ちゃん、今日は刺すね」
「いつもです」
「自覚あり」
結局、ユウトと青たち三人は一度海から上がることになった。
◇
海の家で借りたビーチパラソルの下は、少しだけ涼しかった。
砂浜に敷いたシート。
買ってきた冷たい飲み物。
遠くでは、友人たちがまだ海ではしゃいでいる。
獣人の少年が悪魔族の少年に水をかけ、反撃され、エルフの少女にまとめて注意されている。
平和な光景だった。
青たちは、それぞれ飲み物を手に座る。
ユウトはパラソルの影から海を眺めていた。
波の音。
笑い声。
夏の風。
けれど、頭の中には別の音が残っている。
短いリップ音。
すいせい。
まつり。
忘れようとすればするほど、鮮明になる。
意識してはいけない。
そう思うほど、意識してしまう。
すいせいの唇。
まつりの声。
どちらも、今のユウトに向けられたものだった。
前世の自分ではない。
今ここにいる桜井ユウトに。
「ユウト先輩」
青の声で、ユウトは我に返った。
「何?」
「さっきから、かなり遠いところを見ています」
「海を見てただけだよ」
「海じゃないと思います」
青は、いつもの王子様めいた笑みを浮かべている。
けれど、目は真剣だった。
奏も、飲み物のストローを指で弄びながら言う。
「何かありましたよね」
「……」
「ホロライブ関係ですか?」
その問いに、ユウトはすぐには答えられなかった。
青たちは、その沈黙だけで十分だった。
はじめが、ユウトの隣に膝を抱えて座る。
「ユウト先輩、苦しいっしゅか?」
「苦しい、というほどではないよ」
「じゃあ、むずむずするっしゅか?」
ユウトは少しだけ驚いた。
「むずむず?」
「うち、むずむずする時あるっしゅ。楽しいのに、なんか胸がぎゅーってする時っしゅ」
はじめは、自分の胸を押さえながら言った。
「ユウト先輩、今そういう顔してるっしゅ」
ユウトは、言葉を失った。
はじめの言葉は幼く聞こえる。
でも、時々とても真っ直ぐに核心を突いてくる。
青が少しだけ苦笑した。
「ばんちょう、たまにすごいこと言うよね」
「そうっしゅか?」
「うん」
奏が頷く。
「今のは、かなり当たっている気がします」
「……」
ユウトは、視線を海へ戻した。
話していいことではない。
少なくとも、すいせいやまつりの名前を出して、あったことをそのまま話すわけにはいかない。
それは彼女たちの気持ちに関わることだ。
軽々しく口にしていいものではない。
だが、何も話さないと、青たちはきっと心配する。
「……最近」
ユウトは、ゆっくり口を開いた。
「ホロライブの人たちとの距離が、少し変わってきた気がして」
「距離」
奏が反復する。
「前から近かったと思いますけど」
「さらに、ですか?」
青が聞く。
「うん」
ユウトは頷く。
「僕は、前の自分の記憶を全部持っているわけじゃない。だから、皆さんが僕に向けてくれる気持ちの重さを、どこまで受け止めていいのか、まだ分からないところがある」
青たちは黙って聞いていた。
「でも、最近は……前の僕じゃなくて、今の僕に向けられているものもあるんだって、分かってきて」
ユウトは、そこで言葉に詰まった。
唇に残る感触が、また蘇る。
すいせいの声。
まつりの囁き。
顔が熱くなる。
「……それで、少し混乱してる」
青は、ユウトの横顔を見つめた。
奏はストローを動かす手を止めた。
はじめは、小さく首を傾げる。
「ユウト先輩」
「何?」
「誰かに、すごいことされたっしゅか?」
ユウトの肩が、わずかに跳ねた。
ほんのわずか。
だが、青たちは見逃さなかった。
「……はじめ」
ユウトは困ったように笑う。
「すごいことって、曖昧だね」
「でも、されたっしゅよね?」
「……」
沈黙。
青の目が、少しだけ細くなる。
奏は、静かにユウトを見る。
ユウトは、何か言おうとした。
だが、その時。
視線が、ふと青の顔へ向いた。
いつもの整った顔。
海辺の光を受けて、少し柔らかく見える表情。
そして。
唇。
「……っ」
ユウトは慌てて視線を逸らした。
海へ。
友人たちへ。
波打ち際へ。
悪魔族の少年が派手に転び、獣人の少年が笑い、エルフの少女が呆れている光景へ。
視線を戻す。
戻したが、遅かった。
青は気づいた。
奏も気づいた。
はじめも、少し遅れて気づいた。
今、ユウトの視線は自分たちの唇へ行きかけた。
それは、今までなかった視線だった。
ユウトは礼儀正しい。
少し鈍いところもあるが、人の身体をじろじろ見るようなことはしない。
水着を褒めた時も、目を逸らしすぎず、かといって変なところを見ることもなかった。
そのユウトが、唇を意識した。
なぜか。
青たちは、答えにたどり着きかけていた。
誰かとキスをした。
それも、おそらく最近。
だから、唇を意識している。
だから、すいせいやまつりのことを思い出しているような顔をしている。
だから、今、自分たちの唇まで見そうになった。
「……ユウト先輩」
青の声は、少しだけ低かった。
「はい」
ユウトは、なぜか敬語で返した。
「今、どこ見ました?」
「海」
「嘘ですね」
「友人たち」
「その前です」
「……」
奏が静かに畳みかける。
「ユウト先輩、今、私たちの顔を見ました」
「顔は見たよ」
「その中でも、特定の場所を見ようとしていました」
「……奏」
「否定しないんですね」
ユウトは、額に手を当てた。
暑い。
これは夏のせいだ。
海辺の太陽のせいだ。
そう思いたかった。
だが、たぶん違う。
はじめが、自分の口元に手を当てる。
「ユウト先輩、ここ見たっしゅか?」
「はじめ」
「見たっしゅね?」
「……」
ユウトは、完全に逃げ場を失った。
青たちは、顔を見合わせる。
三人とも、少しだけ頬が赤い。
だが、同時に目が真剣だった。
「ユウト先輩」
青が言う。
「誰かと、何かありましたね」
「……それは」
「答えられないなら、答えなくていいです」
青は、そう言った。
その声は、いつもの軽さより少しだけ静かだった。
「でも、何かあったことは分かりました」
奏も頷く。
「ホロライブの誰かですか?」
ユウトは答えなかった。
だが、答えないことが答えになっていた。
はじめは、少しだけ唇を尖らせる。
「ユウト先輩、またホロライブさんに連れてかれてるっしゅ」
「連れていかれてるわけじゃ」
「でも、ユウト先輩、今ここにいるのに、心がちょっと向こうにあるっしゅ」
その言葉は、思った以上に深く刺さった。
ユウトは、海を見た。
友人たちは笑っている。
青たちは隣にいる。
今ここには、確かに現在の日常がある。
なのに、自分の意識はすいせいやまつりへ引っ張られていた。
それは、青たちに寂しい思いをさせることだったのかもしれない。
「……ごめん」
ユウトが言うと、青はすぐに首を横に振った。
「謝らないでください」
「でも」
「謝ってほしいわけじゃないです」
青は、少しだけ笑う。
「ただ、ちょっと悔しいだけなので」
「悔しい?」
「はい」
奏が続ける。
「私も悔しいです」
「奏も?」
「はい。ユウト先輩が今まで意識していなかった場所を見るようになった。それは、誰かがそうさせたということです」
奏の言葉は淡々としていた。
だが、耳が少しだけ赤かった。
「それがホロライブの誰かなら、やっぱり悔しいです」
「……」
はじめも、ぎゅっと拳を握る。
「うちも悔しいっしゅ」
「はじめ」
「ユウト先輩がどきどきしてるの、うちたちじゃない誰かのせいっしゅ」
はじめは、真っ直ぐに言った。
「それ、ちょっとやだっしゅ」
ユウトは、何も言えなかった。
青たちに、前世の記憶はない。
ホロライブのライバーたちのような重さはない。
だが、今のユウトを見ている。
今のユウトが遠くへ行くことに、寂しさを覚えている。
それは、決して軽い感情ではなかった。
「ユウト先輩」
青が、いつもの王子様めいた笑みを浮かべる。
だが、その笑みは少し拗ねていた。
「今日は、海に来てるんですよ」
「うん」
「ホロライブさんのことを考えるな、とは言いません」
「……」
「でも、少しは僕たちのことも見てください」
奏が、静かに付け加える。
「唇ではなく、ちゃんと顔を見てください」
「奏」
「今のは大事です」
「かなり踏み込んだね」
「踏み込みました」
はじめが、両手を上げる。
「うちも見てほしいっしゅ!」
「見てるよ」
「もっとっしゅ!」
「もっと?」
「いっぱいっしゅ!」
ユウトは困ったように笑った。
その笑みを見て、青たちは少しだけ安心した。
ようやく、今ここに戻ってきた気がしたから。
◇
その後、ユウトたちは再び海へ戻った。
青が、少しだけ大げさに手を差し出す。
「ユウト先輩、エスコートしましょうか?」
「海に?」
「海に」
「逆では?」
「僕がしたいんです」
「青、波に負けたばかりだよね」
「それを言わないのが優しさでは?」
奏が横から言う。
「青くん、また格好つけて転ばないでくださいね」
「奏ちゃん、今日の僕への信頼がずっと低い」
「実績です」
はじめがユウトの腕を引く。
「ユウト先輩、行くっしゅ!」
「はじめ、走ると」
「転ばないっしゅ!」
数歩後、はじめは少しつまずいた。
ユウトが支える。
「ほら」
「えへへ」
「本当に気をつけて」
「ユウト先輩がまた支えてくれたっしゅ」
はじめは嬉しそうだった。
青が少しだけ羨ましそうに見る。
奏はその青を見て、呆れたように笑った。
波打ち際へ戻ると、友人たちが手を振った。
「ユウトー! 戻ってきたか!」
「遅いぞー!」
「今度はビーチボールよ」
エルフの少女がボールを掲げる。
「チーム分けは?」
ユウトが聞くと、悪魔族の少年がにやりと笑った。
「ユウトはハンデで青たちと同じチームな」
「それ、ハンデなの?」
「お前がいる時点で戦力バランスおかしくなるからな」
「ユウト先輩、うちたちとチームっしゅ!」
はじめが喜ぶ。
「勝つっしゅ!」
「勝ちましょう、ユウト先輩」
奏が言う。
「僕も格好いいところを見せますよ」
青が胸を張る。
「転ばないようにね」
「ユウト先輩まで!?」
笑い声が、海辺に広がる。
ユウトも、その中にいた。
まだ、完全に心が落ち着いたわけではない。
すいせいやまつりのことは、きっとまた思い出す。
ホロライブの他のタレントたちから、同じようなことが起きたら、自分はどうすればいいのか。
その答えも出ていない。
だが、今は海にいる。
青たちがいる。
友人たちがいる。
それをちゃんと見よう。
ユウトは、そう思った。
◇
夕方。
海水浴を終えた一行は、海の家の近くでかき氷を食べていた。
獣人の少年はブルーハワイで舌を青くし、悪魔族の少年に笑われている。
エルフの少女は宇治金時を選び、「渋い」と言われて少し不満そうだった。
はじめはいちご味を両手で抱え、幸せそうに食べている。
「冷たいっしゅ!」
「ゆっくり食べてください」
奏が言う。
「頭きーんってなるっしゅ!」
「言ったそばから」
青はレモン味を選び、なぜか格好よく食べようとしていた。
「かき氷を格好よく食べる必要ある?」
ユウトが聞く。
「あります」
「あるんだ」
「夏の王子様なので」
「青くん、今のはかなり痛いです」
「奏ちゃん?」
ユウトは少し笑った。
笑いながら、ふと視線が青たちの顔へ向かう。
先ほどのことを思い出し、すぐに目を逸らしそうになる。
だが、今度は逃げなかった。
ちゃんと顔を見る。
青の少し拗ねた顔。
奏の鋭いようで優しい目。
はじめの素直な笑顔。
唇ではなく。
ちゃんと、その人を見る。
「ユウト先輩?」
奏が気づく。
「何ですか?」
「いや」
ユウトは、少しだけ笑った。
「楽しいなと思って」
三人は、また固まった。
「……ユウト先輩」
青が額に手を当てる。
「そういうところですよ」
「また?」
「またです」
奏も小さく頷く。
「不意打ちが過ぎます」
「今の、うち好きっしゅ!」
はじめが笑う。
「ユウト先輩、今日も楽しいっしゅか?」
「うん」
ユウトは頷いた。
「楽しいよ」
その言葉に、青たちは少しだけ安心した。
ホロライブに何かがあった。
誰かが、ユウトの視線を変えた。
それは悔しい。
悔しくて、少し怖い。
けれど今、ユウトはここにもいる。
海辺の夕方。
かき氷。
友人たちの笑い声。
後輩三人組。
この時間も、ユウトの夏休みの中にある。
それだけは、確かだった。
◇
帰りの電車。
遊び疲れた獣人の少年は座席で眠り、悪魔族の少年もその隣でうとうとしている。
エルフの少女は本を開いているが、ページはあまり進んでいない。
奏とはじめも眠そうだった。
青だけが、窓の外を見ながら起きていた。
ユウトは、その隣に座っていた。
「ユウト先輩」
「何?」
「今日、楽しかったですか?」
「うん。楽しかった」
「ならよかったです」
青は、少しだけ笑う。
「でも、次はもっと僕たちを見てくださいね」
「……うん」
「約束です」
「約束」
青は満足そうに頷いた。
それから、少しだけ声を落とす。
「ホロライブの誰かが、ユウト先輩に何をしたのかは聞きません」
「青」
「でも、負けませんから」
ユウトは言葉を失った。
青は、窓の外を見たまま続ける。
「僕たちは前のユウト先輩を知りません。ホロライブの皆さんみたいに、深い過去もありません」
「……」
「でも、今のユウト先輩と過ごす時間なら、これから作れます」
ユウトは、青の横顔を見る。
青は、少しだけ耳まで赤くなっていた。
「だから、見ていてください」
その声は、いつもの格好つけた声ではなかった。
少し不器用で、少し真剣な後輩の声だった。
ユウトは、静かに頷く。
「見るよ」
「本当ですか?」
「うん」
「唇じゃなくて?」
「青」
「冗談です」
青は笑った。
今度は、いつもの王子様めいた笑みだった。
しかし、その奥に少しだけ照れが残っている。
ユウトは苦笑する。
「今日はそれ、しばらく言われるんだろうね」
「しばらくで済むといいですね」
「済まないのか」
「奏ちゃんとばんちょう次第です」
「青も言うでしょ」
「言います」
「言うんだ」
小さな笑い声が、電車の揺れに混じった。
夏の海は遠ざかっていく。
けれど、その日の時間は、確かにユウトの中に残った。
すいせいやまつりの口づけがユウトの意識を変えたように。
青たちとの海もまた、ユウトの今を少しだけ形作っていく。
チ、チ、チ、チ――。
胸ポケットの懐中時計が、電車の揺れに合わせるように時を刻む。
過去を知る人たち。
今を見ている人たち。
どちらの時間も、ユウトの夏休みを走っている。
次の停車駅は、まだ見えない。
行き先表示には、夕焼け色の文字でこう出ていた。
『夏の海、視線はまだ迷子』