hololive Lost Story 作:ダニエルズプラン
ある日の夜。
桜井ユウトは、自宅のローテーブルの前に座っていた。
以前のユウトの部屋には、折り畳み机が一つあるだけだった。
必要最低限。
それ以上でも、それ以下でもない。
テレビ。
薄い座布団。
簡単な調理器具。
生活用品。
それだけあれば生活はできる。
そう思っていた。
だが、夏休みに入ってから、その部屋は少しずつ変わり始めていた。
まず、クッションが増えた。
すいせいに「この部屋、ユウトみたい。必要なものはあるけど、自分を楽しませるものが少ない」と言われたからだ。
次に、狐のキーホルダーが増えた。
白上フブキが、笑顔で「飾ってくださいね」と押しつけてきた。
さらに、桜色の小さな置物が増えた。
さくらみこが「これ置いたら部屋がかわいくなるにぇ」と言って譲らなかった。
棚の上には、誰かが持ってきた小さな菓子缶。
台所には、以前より多めに買われた湯呑み。
冷蔵庫には、急な来客に対応するための食材。
そして中央には、もはや折り畳みではない、しっかりした大きめのローテーブルが置かれていた。
組み立てたのはユウト本人だ。
理由は単純だった。
近いうちに、絶対に人が増える。
それは推測ではなかった。
確信だった。
今のところ、ユウトの住所を知っているタレントは限られている。
星街すいせい。
白上フブキ。
夏色まつり。
夜空メル。
それにYAGOO、Aちゃん、春先のどか。
だが、このまま秘密が守られるとは思えなかった。
なぜなら、ホロライブだから。
その一言で、最近のユウトはかなりのことを説明できるようになっていた。
そして、諦めてもいた。
誰かが来る。
きっと来る。
なら、せめて湯呑みと机くらいは用意しておいた方がいい。
それが、ユウトの出した現実的な結論だった。
「……慣れてはいけない気がする」
ユウトは小さく呟いた。
だが、目の前にあるローテーブルは現実だった。
その上には、ノートパソコンが置かれている。
白い筐体。
余計な装飾の少ない、しかし性能はかなり良さそうな機種。
これもまた、自分で買ったものではない。
白上フブキから押しつけられたものだった。
◇
数日前。
フブキは、事務所の休憩室で突然その箱を差し出してきた。
「ユウトくん、これどうぞ」
「何ですか?」
「ノートパソコンです」
「見れば分かります」
「なら話が早いですね」
「そうではなく、どうしてこれを僕に?」
「必要だと思ったので」
「僕の家にも端末はあります」
「でも、マネージャー志望として勉強するなら、資料整理とか配信チェックとか、動画確認とか、いろいろ必要になるでしょう?」
「それは、まあ」
「というわけで、どうぞ」
「受け取れません」
「もう初期設定済みです」
「早い」
「セキュリティも入れてあります」
「怖いくらい準備がいいですね」
「フブキなので」
「理由になっているようでなっていません」
ユウトは困った顔で箱を見た。
フブキは、にこにこと笑っている。
完全に引く気がない顔だった。
「フブキさん、これは高いものですよね」
「まあまあです」
「まあまあの基準が怖いです」
「ユウトくんがちゃんと勉強して、ちゃんと配信を見て、ちゃんとホロライブのことを知るための投資です」
「配信?」
ユウトが聞き返すと、フブキは目を細めた。
「ユウトくん」
「はい」
「もしかして、私たちの配信、ちゃんと見たことないですね?」
ユウトは黙った。
フブキの笑みが深くなる。
「ないですね?」
「……切り抜きのようなものは、少し」
「本配信は?」
「……」
「ライブアーカイブは?」
「……」
「歌枠は?」
「……」
「ゲーム配信は?」
「……」
「雑談は?」
「……」
フブキは、箱をさらにユウトへ近づけた。
「これは必要ですね」
「……はい」
ユウトは、その時初めて反論を諦めた。
◇
そして現在。
ユウトは自宅のローテーブルの前で、そのノートパソコンを開いていた。
画面には配信サービスの検索欄。
その横には、ホロライブの配信スケジュールが表示されている。
誰がいつ配信するのか。
どのチャンネルで配信するのか。
ゲーム配信。
歌枠。
雑談。
企画。
コラボ。
耐久。
同時視聴。
ユウトは、スクロールしながら小さく息を吐いた。
「……多いな」
想像以上だった。
ホロライブが有名なことは知っている。
世界的なタレントグループであることも、もちろん知っている。
事務所で彼女たちと会っている。
話している。
抱きつかれたり、膝に座られたり、膝枕されたり、膝周辺を占拠されたりもしている。
すいせいとまつりにキスまでされた。
その事実を思い出して、ユウトは一瞬だけ顔を赤くした。
「……今は関係ない」
そう自分に言い聞かせる。
今の目的は、彼女たちの配信活動を見ることだ。
自分は、ホロライブとかなり濃密に関わっている。
事務所にも通っている。
進路希望には、ホロライブ事務所スタッフ兼マネージャーと書いた。
それなのに、彼女たちの本業である配信活動を、まともに見たことがない。
考えてみれば、それはかなりおかしな話だった。
ユウトは検索欄に文字を打ち込む。
『ホロライブ』
大量の候補が表示された。
公式チャンネル。
タレントの個人チャンネル。
ライブ映像。
配信アーカイブ。
切り抜き。
ファン制作のまとめ。
歌ってみた。
オリジナル曲。
ユウトは少し迷い、まず公式チャンネルを開いた。
そこには、事務所で見知った顔が並んでいた。
画面の中の彼女たちは、いつもユウトが事務所で見る姿とは少し違っていた。
明るいサムネイル。
大きな文字。
驚いた顔。
笑った顔。
かっこいい決め顔。
可愛いポーズ。
歌う姿。
ゲーム画面の横で叫んでいる姿。
それぞれが、画面の向こうで世界を作っている。
ユウトは、しばらく無言で眺めた。
「……これが、皆さんの仕事」
画面越しの彼女たち。
自分を抱きしめる時の彼女たち。
泣きながら前世の話をしてくれた彼女たち。
そして、配信者としての彼女たち。
それらが、ユウトの中でまだうまく繋がっていない。
だからこそ、見る必要があると思った。
マネージャーを目指すなら。
誰かの未来を支える仕事をしたいなら。
まず、その人たちが何をしているのかを知らなければならない。
ユウトは、最初にどの配信を見るか考えた。
迷った末に、最近顔を合わせることが特に多い人物の名前を検索する。
『星街すいせい』
入力した瞬間、また顔が少し熱くなった。
「……普通に検索しているだけだ」
誰に言い訳するでもなく呟く。
検索結果に、すいせいの歌動画やライブ映像、雑談配信のアーカイブが並ぶ。
ユウトは、まず歌のアーカイブを選んだ。
再生。
画面の中に、星街すいせいが映る。
ステージライト。
青い髪。
強い目。
堂々とした立ち姿。
歌が始まる。
最初の一音で、ユウトの手が止まった。
事務所で聞く鼻歌とは違う。
自宅で背中に寄り掛かりながら小さく歌っていた声とも違う。
画面の向こうの星街すいせいは、完全に歌姫だった。
真っ直ぐで。
強くて。
でも、どこか痛みもあって。
聴いている人の胸を貫くような声。
ユウトは、呼吸を忘れそうになった。
自分はこの人に、朝食を出した。
自分はこの人に、自宅へ押しかけられた。
自分はこの人に、唇を奪われた。
だが、画面の中の彼女は、何十万、何百万という人へ歌を届ける星だった。
その事実が、改めて胸に落ちる。
「……すごいな」
素直な言葉が漏れた。
前世の自分は、この星のそばにいたのだろうか。
孤独に悩んでいた彼女の背中を支えたのだろうか。
配信スケジュールを調整し、歌の収録を支え、ライブの準備を手伝ったのだろうか。
分からない。
でも、画面の中のすいせいを見ていると、胸の奥が少し熱くなった。
これは、ただの有名人ではない。
自分に向かってきた少女であり。
世界へ歌う星でもある。
その両方を知らなければ、きっと本当には向き合えない。
ユウトは、最後まで歌を聴いた。
終わった後、しばらく再生画面を閉じられなかった。
◇
次に検索したのは、白上フブキだった。
理由は、ノートパソコンを押しつけてきた本人だから。
画面には、ゲーム配信のアーカイブや雑談、歌動画、企画配信などが並んだ。
ユウトは、まずゲーム配信を開いた。
「……テンションが違う」
思わず呟いた。
画面の中のフブキは、事務所で見る時よりさらに軽快だった。
コメントを拾う。
ゲームに反応する。
冗談を言う。
時々、妙に鋭い読みをする。
笑いながら、場の空気を作る。
ユウトは、自然と画面へ引き込まれた。
フブキは、ただ明るいだけではない。
視聴者との距離感を測るのが上手い。
コメントの流れを見ている。
盛り上がりすぎた時には軽く調整する。
自分が楽しみながら、見る側にも居心地のいい場を作っている。
「……場の管理がうまい」
ユウトはノートにそう書いた。
そして、少しだけ笑った。
フブキはたぶん、これを見越してパソコンを渡したのだろう。
ユウトが配信を見始めれば、ただ「ホロライブの人たち」ではなく、「配信者としての彼女たち」を見るようになる。
その入口として、自分の配信も見られる。
計算している。
かなり計算している。
「フブキさんらしい」
そう呟くと、画面の中のフブキがちょうど笑った。
まるで、聞こえていたかのようなタイミングだった。
ユウトは、少しだけ苦笑した。
◇
次に、夏色まつり。
検索欄に名前を打つ時、ユウトの手は少し止まった。
まつりのこと……意識してもいいよ……?
耳元の声が蘇る。
ユウトは、唇を引き結んだ。
「……配信を見るだけだ」
再生したのは、雑談配信だった。
画面の中のまつりは、明るかった。
笑っている。
話している。
コメントに反応している。
時々、突拍子もないことを言って、自分で笑っている。
事務所で見るまつりに近い。
けれど、違う。
配信の中の彼女は、視聴者へ向けて太陽のように笑っていた。
元気で、賑やかで、少し危なっかしくて、でも人を引き込む力がある。
それが、ユウトの知っているまつりと重なる。
そして、あの日のまつりとも重なる。
忘れ物をしたと言って戻ってきた彼女。
いつもの元気さではなく、しっとりした顔で、自分と視線を合わせてから口づけてきた彼女。
配信画面の中の明るいまつり。
耳元で囁いたまつり。
その二つが同じ人なのだと思うと、ユウトの心臓がまた少し速くなった。
「……意識するな、という方が難しい」
ユウトは両手で顔を覆った。
しばらくして、指の隙間から画面を見る。
画面の中のまつりは、楽しそうに笑っていた。
その笑顔を見ていると、胸の奥が温かくなる。
同時に、落ち着かない。
ユウトはノートに書く。
『明るさで場を動かす。本人の熱量がそのまま配信の推進力になる』
そこまで書いて、ペンが止まる。
少し迷って、もう一行だけ書き足した。
『ただし、見せている明るさの奥にも、別の表情がある』
書いてから、恥ずかしくなった。
だが、消さなかった。
◇
次に、夜空メル。
自宅へ来た時、彼女は終始やわらかかった。
すいせいとまつりが火花を散らし、フブキが楽しそうに観察している中で、メルは何度も空気を和らげていた。
配信アーカイブを開く。
画面の中のメルは、ふんわりとした声で話していた。
穏やかで、甘くて、聞いていると肩の力が抜けるような雰囲気。
それでいて、ふとした瞬間に距離が近い。
言葉の温度が高い。
ユウトは、画面を見ながら静かに頷いた。
「……安心感がある」
ノートに書く。
『視聴者との距離を近く感じさせる。声の柔らかさ、間の取り方が強い』
書きながら、ユウトは少し思い出す。
自宅でのメル。
喧嘩になりかけた空気をやわらげてくれた。
話題を変えてくれた。
自分が困った顔をした時、すぐに気づいていた。
メルは、柔らかい。
けれど、ただ柔らかいだけではない。
人の緊張をほどく力がある。
それもまた、タレントとしての強さなのだろう。
◇
ユウトは、そのまま何人かの配信を見続けた。
さくらみこ。
画面の中のみこは、予想以上に自由だった。
時々何を言っているのか分からなくなる。
だが、分からないのに楽しい。
全力で笑い、全力で焦り、全力で叫ぶ。
その姿が視聴者を巻き込んでいく。
ユウトは、以前デンライナーで見た未来のライブを思い出した。
あの背中。
あの一歩。
自分が守った未来の一つ。
『不器用さも含めて人を惹きつける。感情の動きが配信の中心』
ときのそら。
そこには、穏やかで、揺るがない芯があった。
画面越しでも分かる安心感。
始まりの人。
ユウトは、少し背筋を伸ばして見ていた。
『安心感。軸。見ている人が帰ってこられる場所』
猫又おかゆ。
ゆるい。
とてもゆるい。
だが、気づけばずっと見ている。
言葉の選び方、間の取り方、笑い方。
無理に盛り上げないのに、場が途切れない。
ユウトはノートに書く。
『力を抜かせる配信。居心地を作る力』
戌神ころね。
元気。
圧倒的に元気。
だが、その元気は押しつけではない。
楽しさを共有しようとする力が強い。
夢中になると止まらない。
それを見ている人も巻き込まれる。
『全力で楽しむ姿そのものが価値。長時間でも熱が落ちにくい』
湊あくあ。
画面の中の彼女は、少し不器用で、けれど一生懸命だった。
ゲームに向かう集中。
失敗した時の反応。
成功した時の喜び。
ユウトが事務所で見る、緊張しながら袖を掴んでくるあくあと重なる。
『不器用さと努力が見える。応援したくなる構造』
宝鐘マリン。
話がうまい。
テンポが速い。
場を支配する力がある。
そして、時々ずるいくらい弱さも見せる。
『トークの構成力。自己演出。視聴者を船に乗せる力』
大空スバル。
勢い。
ツッコミ。
声。
見ているだけで元気になる。
だが、その奥に面倒見の良さが透けている。
『場の回転力。ツッコミによる整理。明るい牽引役』
ユウトは気づけば、かなりの量をノートに書いていた。
配信を見る。
特徴を書く。
自分が感じたことを書く。
タレントとしての強みを書く。
改善点を書こうとして、手が止まる。
改善点。
それを書くには、まだ自分は知らなさすぎる。
ただの視聴者として見ただけでは分からない。
裏側も、本人の思いも、活動方針も知らない。
「……マネージャーって、簡単じゃないな」
当然のことを、改めて呟いた。
配信を見るだけで分かることがある。
でも、配信を見るだけでは分からないこともある。
表の姿と、事務所での姿。
ファンへ向けた顔と、仲間へ向ける顔。
自分へ向ける顔。
その全部を混同してはいけない。
けれど、切り離しすぎてもいけない。
支えるというのは、きっとその間を見ることなのだろう。
ユウトはノートの端に書いた。
『画面の向こうの彼女たちを知らなければ、隣にいる彼女たちも支えられない』
書いてから、しばらくその文字を見つめた。
◇
気づけば、かなり時間が経っていた。
外は暗い。
ローテーブルの上には、空になった湯呑み。
ノート。
ノートパソコン。
いくつもの配信タブ。
ユウトは、目元を押さえた。
「……見すぎた」
おかゆなら「目を休めてねぇ」と言うだろう。
ころねなら「水飲んで!」と言うかもしれない。
スバルなら「寝ろ!」と叫ぶ。
ミオなら、静かに肩を叩いてくる。
フブキなら、きっと「ちゃんと見ましたね」と笑う。
すいせいなら、どう言うだろう。
まつりなら、どう言うだろう。
そう考えた瞬間、また唇の記憶が蘇りかけた。
ユウトは慌てて首を振る。
「……今は違う」
画面に戻る。
最後に開いたのは、ホロライブの配信スケジュールだった。
今この瞬間にも、誰かが配信している。
誰かが歌っている。
誰かが笑っている。
誰かがゲームに叫んでいる。
誰かがファンと話している。
ユウトが自宅でノートを取っている間にも、ホロライブは動いている。
前世の自分は、この流れの中にいたのだろう。
裏側で、スケジュールを確認し、体調を気にし、企画を支え、トラブルを処理し、時にはゼロノスとして戦って。
そして、消えた。
ユウトは、胸ポケットの懐中時計に触れた。
チ、チ、チ、チ――。
静かな音。
今の自分は、まだそこにはいない。
でも、近づこうとしている。
過去をなぞるためではなく。
今の自分として。
彼女たちの配信を見て、初めてその実感が少し湧いた。
「……すごい人たちだ」
今さらのように、そう思った。
ホロライブのライバーたち。
自分に向かってくる少女たち。
画面の向こうで何万人、何十万人を笑わせるタレントたち。
その両方を知っていくこと。
それが、これからの自分に必要なのだろう。
◇
その時、チャット通知が鳴った。
ホロライブのグループチャット。
ユウトは、少しだけ身構えながら開く。
『白上フブキ:ユウトくん、パソコン使えてますか?』
タイミングが良すぎる。
ユウトは思わず画面を見つめた。
「……見られてる?」
もちろん、そんなはずはない。
ないはずだ。
たぶん。
ユウトは返信する。
『桜井ユウト:はい。ありがとうございます。今日、少し配信を見ていました』
送信した瞬間。
既読が増えた。
速い。
怖い。
『白上フブキ:誰のですか?』
『星街すいせい:誰の?』
『夏色まつり:誰の!?』
『さくらみこ:みこの見たにぇ!?』
『猫又おかゆ:お、ユウトくん配信デビューだねぇ』
『戌神ころね:ころねの見た!?』
『大空スバル:ちゃんと休憩しながら見たか!?』
『宝鐘マリン:船長のも見ました?』
『湊あくあ:あ、あくあのは……見ましたか……?』
『大神ミオ:みんな一斉に聞かない』
ユウトは、しばらく端末を見つめた。
予想はしていた。
していたが、予想以上だった。
どう返すべきか悩む。
少し考えてから、正直に入力した。
『桜井ユウト:何人か見ました。皆さん、すごかったです』
送信。
今度は、一瞬だけチャットが止まった。
そして。
『星街すいせい:私のは?』
『夏色まつり:まつりのは?』
『白上フブキ:フブキのは?』
『桜井ユウト:見ました』
さらに止まった。
その後、すいせいから短い返信が来た。
『星街すいせい:そっか』
まつりからも来た。
『夏色まつり:そっかー』
フブキからも来る。
『白上フブキ:感想は今度聞きますね』
ユウトは画面を見ながら、少しだけ頬を緩めた。
短い言葉なのに、三人それぞれの表情が浮かぶようだった。
すいせいは少し照れた顔。
まつりは、明るく見せながら内心で跳ねている顔。
フブキは、にこにこしながら次の一手を考えている顔。
ユウトは、また少しだけ心臓が落ち着かなくなった。
だが、悪い感覚ではなかった。
『大神ミオ:今日は遅いから、そろそろ目を休めてね』
『大空スバル:寝ろよ!』
『猫又おかゆ:水飲んでねぇ』
『戌神ころね:おやすみするんだよぉ!』
ユウトは、小さく笑った。
『桜井ユウト:はい。今日はそろそろ休みます。おやすみなさい』
送信。
大量の「おやすみ」が返ってきた。
スタンプも大量に飛んできた。
ユウトは、それをしばらく眺めてから、パソコンを閉じた。
部屋が静かになる。
けれど、以前のような静けさではなかった。
テーブル。
湯呑み。
クッション。
ノートパソコン。
誰かが持ってきたもの。
誰かの配信。
誰かの声。
それらが部屋の中に少しずつ増えている。
ユウトは、ノートの最後にもう一行だけ書いた。
『まずは、見ることから始める』
そしてペンを置く。
胸ポケットの懐中時計が、静かに時を刻んでいた。
チ、チ、チ、チ――。
画面の向こうにいた彼女たち。
事務所で隣にいる彼女たち。
自宅へ来る彼女たち。
その全部を、これから少しずつ知っていく。
次の停車駅は、配信アーカイブ。
行き先表示には、こう出ていた。
『初視聴・知らない君を知る時間』