hololive Lost Story   作:ダニエルズプラン

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第56話 画面の向こうのホロライブ

 

 ある日の夜。

 

 桜井ユウトは、自宅のローテーブルの前に座っていた。

 

 以前のユウトの部屋には、折り畳み机が一つあるだけだった。

 

 必要最低限。

 

 それ以上でも、それ以下でもない。

 

 テレビ。

 

 薄い座布団。

 

 簡単な調理器具。

 

 生活用品。

 

 それだけあれば生活はできる。

 

 そう思っていた。

 

 だが、夏休みに入ってから、その部屋は少しずつ変わり始めていた。

 

 まず、クッションが増えた。

 

 すいせいに「この部屋、ユウトみたい。必要なものはあるけど、自分を楽しませるものが少ない」と言われたからだ。

 

 次に、狐のキーホルダーが増えた。

 

 白上フブキが、笑顔で「飾ってくださいね」と押しつけてきた。

 

 さらに、桜色の小さな置物が増えた。

 

 さくらみこが「これ置いたら部屋がかわいくなるにぇ」と言って譲らなかった。

 

 棚の上には、誰かが持ってきた小さな菓子缶。

 

 台所には、以前より多めに買われた湯呑み。

 

 冷蔵庫には、急な来客に対応するための食材。

 

 そして中央には、もはや折り畳みではない、しっかりした大きめのローテーブルが置かれていた。

 

 組み立てたのはユウト本人だ。

 

 理由は単純だった。

 

 近いうちに、絶対に人が増える。

 

 それは推測ではなかった。

 

 確信だった。

 

 今のところ、ユウトの住所を知っているタレントは限られている。

 

 星街すいせい。

 

 白上フブキ。

 

 夏色まつり。

 

 夜空メル。

 

 それにYAGOO、Aちゃん、春先のどか。

 

 だが、このまま秘密が守られるとは思えなかった。

 

 なぜなら、ホロライブだから。

 

 その一言で、最近のユウトはかなりのことを説明できるようになっていた。

 

 そして、諦めてもいた。

 

 誰かが来る。

 

 きっと来る。

 

 なら、せめて湯呑みと机くらいは用意しておいた方がいい。

 

 それが、ユウトの出した現実的な結論だった。

 

「……慣れてはいけない気がする」

 

 ユウトは小さく呟いた。

 

 だが、目の前にあるローテーブルは現実だった。

 

 その上には、ノートパソコンが置かれている。

 

 白い筐体。

 

 余計な装飾の少ない、しかし性能はかなり良さそうな機種。

 

 これもまた、自分で買ったものではない。

 

 白上フブキから押しつけられたものだった。

 

     ◇

 

 数日前。

 

 フブキは、事務所の休憩室で突然その箱を差し出してきた。

 

「ユウトくん、これどうぞ」

 

「何ですか?」

 

「ノートパソコンです」

 

「見れば分かります」

 

「なら話が早いですね」

 

「そうではなく、どうしてこれを僕に?」

 

「必要だと思ったので」

 

「僕の家にも端末はあります」

 

「でも、マネージャー志望として勉強するなら、資料整理とか配信チェックとか、動画確認とか、いろいろ必要になるでしょう?」

 

「それは、まあ」

 

「というわけで、どうぞ」

 

「受け取れません」

 

「もう初期設定済みです」

 

「早い」

 

「セキュリティも入れてあります」

 

「怖いくらい準備がいいですね」

 

「フブキなので」

 

「理由になっているようでなっていません」

 

 ユウトは困った顔で箱を見た。

 

 フブキは、にこにこと笑っている。

 

 完全に引く気がない顔だった。

 

「フブキさん、これは高いものですよね」

 

「まあまあです」

 

「まあまあの基準が怖いです」

 

「ユウトくんがちゃんと勉強して、ちゃんと配信を見て、ちゃんとホロライブのことを知るための投資です」

 

「配信?」

 

 ユウトが聞き返すと、フブキは目を細めた。

 

「ユウトくん」

 

「はい」

 

「もしかして、私たちの配信、ちゃんと見たことないですね?」

 

 ユウトは黙った。

 

 フブキの笑みが深くなる。

 

「ないですね?」

 

「……切り抜きのようなものは、少し」

 

「本配信は?」

 

「……」

 

「ライブアーカイブは?」

 

「……」

 

「歌枠は?」

 

「……」

 

「ゲーム配信は?」

 

「……」

 

「雑談は?」

 

「……」

 

 フブキは、箱をさらにユウトへ近づけた。

 

「これは必要ですね」

 

「……はい」

 

 ユウトは、その時初めて反論を諦めた。

 

     ◇

 

 そして現在。

 

 ユウトは自宅のローテーブルの前で、そのノートパソコンを開いていた。

 

 画面には配信サービスの検索欄。

 

 その横には、ホロライブの配信スケジュールが表示されている。

 

 誰がいつ配信するのか。

 

 どのチャンネルで配信するのか。

 

 ゲーム配信。

 

 歌枠。

 

 雑談。

 

 企画。

 

 コラボ。

 

 耐久。

 

 同時視聴。

 

 ユウトは、スクロールしながら小さく息を吐いた。

 

「……多いな」

 

 想像以上だった。

 

 ホロライブが有名なことは知っている。

 

 世界的なタレントグループであることも、もちろん知っている。

 

 事務所で彼女たちと会っている。

 

 話している。

 

 抱きつかれたり、膝に座られたり、膝枕されたり、膝周辺を占拠されたりもしている。

 

 すいせいとまつりにキスまでされた。

 

 その事実を思い出して、ユウトは一瞬だけ顔を赤くした。

 

「……今は関係ない」

 

 そう自分に言い聞かせる。

 

 今の目的は、彼女たちの配信活動を見ることだ。

 

 自分は、ホロライブとかなり濃密に関わっている。

 

 事務所にも通っている。

 

 進路希望には、ホロライブ事務所スタッフ兼マネージャーと書いた。

 

 それなのに、彼女たちの本業である配信活動を、まともに見たことがない。

 

 考えてみれば、それはかなりおかしな話だった。

 

 ユウトは検索欄に文字を打ち込む。

 

『ホロライブ』

 

 大量の候補が表示された。

 

 公式チャンネル。

 

 タレントの個人チャンネル。

 

 ライブ映像。

 

 配信アーカイブ。

 

 切り抜き。

 

 ファン制作のまとめ。

 

 歌ってみた。

 

 オリジナル曲。

 

 ユウトは少し迷い、まず公式チャンネルを開いた。

 

 そこには、事務所で見知った顔が並んでいた。

 

 画面の中の彼女たちは、いつもユウトが事務所で見る姿とは少し違っていた。

 

 明るいサムネイル。

 

 大きな文字。

 

 驚いた顔。

 

 笑った顔。

 

 かっこいい決め顔。

 

 可愛いポーズ。

 

 歌う姿。

 

 ゲーム画面の横で叫んでいる姿。

 

 それぞれが、画面の向こうで世界を作っている。

 

 ユウトは、しばらく無言で眺めた。

 

「……これが、皆さんの仕事」

 

 画面越しの彼女たち。

 

 自分を抱きしめる時の彼女たち。

 

 泣きながら前世の話をしてくれた彼女たち。

 

 そして、配信者としての彼女たち。

 

 それらが、ユウトの中でまだうまく繋がっていない。

 

 だからこそ、見る必要があると思った。

 

 マネージャーを目指すなら。

 

 誰かの未来を支える仕事をしたいなら。

 

 まず、その人たちが何をしているのかを知らなければならない。

 

 ユウトは、最初にどの配信を見るか考えた。

 

 迷った末に、最近顔を合わせることが特に多い人物の名前を検索する。

 

『星街すいせい』

 

 入力した瞬間、また顔が少し熱くなった。

 

「……普通に検索しているだけだ」

 

 誰に言い訳するでもなく呟く。

 

 検索結果に、すいせいの歌動画やライブ映像、雑談配信のアーカイブが並ぶ。

 

 ユウトは、まず歌のアーカイブを選んだ。

 

 再生。

 

 画面の中に、星街すいせいが映る。

 

 ステージライト。

 

 青い髪。

 

 強い目。

 

 堂々とした立ち姿。

 

 歌が始まる。

 

 最初の一音で、ユウトの手が止まった。

 

 事務所で聞く鼻歌とは違う。

 

 自宅で背中に寄り掛かりながら小さく歌っていた声とも違う。

 

 画面の向こうの星街すいせいは、完全に歌姫だった。

 

 真っ直ぐで。

 

 強くて。

 

 でも、どこか痛みもあって。

 

 聴いている人の胸を貫くような声。

 

 ユウトは、呼吸を忘れそうになった。

 

 自分はこの人に、朝食を出した。

 

 自分はこの人に、自宅へ押しかけられた。

 

 自分はこの人に、唇を奪われた。

 

 だが、画面の中の彼女は、何十万、何百万という人へ歌を届ける星だった。

 

 その事実が、改めて胸に落ちる。

 

「……すごいな」

 

 素直な言葉が漏れた。

 

 前世の自分は、この星のそばにいたのだろうか。

 

 孤独に悩んでいた彼女の背中を支えたのだろうか。

 

 配信スケジュールを調整し、歌の収録を支え、ライブの準備を手伝ったのだろうか。

 

 分からない。

 

 でも、画面の中のすいせいを見ていると、胸の奥が少し熱くなった。

 

 これは、ただの有名人ではない。

 

 自分に向かってきた少女であり。

 

 世界へ歌う星でもある。

 

 その両方を知らなければ、きっと本当には向き合えない。

 

 ユウトは、最後まで歌を聴いた。

 

 終わった後、しばらく再生画面を閉じられなかった。

 

     ◇

 

 次に検索したのは、白上フブキだった。

 

 理由は、ノートパソコンを押しつけてきた本人だから。

 

 画面には、ゲーム配信のアーカイブや雑談、歌動画、企画配信などが並んだ。

 

 ユウトは、まずゲーム配信を開いた。

 

「……テンションが違う」

 

 思わず呟いた。

 

 画面の中のフブキは、事務所で見る時よりさらに軽快だった。

 

 コメントを拾う。

 

 ゲームに反応する。

 

 冗談を言う。

 

 時々、妙に鋭い読みをする。

 

 笑いながら、場の空気を作る。

 

 ユウトは、自然と画面へ引き込まれた。

 

 フブキは、ただ明るいだけではない。

 

 視聴者との距離感を測るのが上手い。

 

 コメントの流れを見ている。

 

 盛り上がりすぎた時には軽く調整する。

 

 自分が楽しみながら、見る側にも居心地のいい場を作っている。

 

「……場の管理がうまい」

 

 ユウトはノートにそう書いた。

 

 そして、少しだけ笑った。

 

 フブキはたぶん、これを見越してパソコンを渡したのだろう。

 

 ユウトが配信を見始めれば、ただ「ホロライブの人たち」ではなく、「配信者としての彼女たち」を見るようになる。

 

 その入口として、自分の配信も見られる。

 

 計算している。

 

 かなり計算している。

 

「フブキさんらしい」

 

 そう呟くと、画面の中のフブキがちょうど笑った。

 

 まるで、聞こえていたかのようなタイミングだった。

 

 ユウトは、少しだけ苦笑した。

 

     ◇

 

 次に、夏色まつり。

 

 検索欄に名前を打つ時、ユウトの手は少し止まった。

 

 まつりのこと……意識してもいいよ……?

 

 耳元の声が蘇る。

 

 ユウトは、唇を引き結んだ。

 

「……配信を見るだけだ」

 

 再生したのは、雑談配信だった。

 

 画面の中のまつりは、明るかった。

 

 笑っている。

 

 話している。

 

 コメントに反応している。

 

 時々、突拍子もないことを言って、自分で笑っている。

 

 事務所で見るまつりに近い。

 

 けれど、違う。

 

 配信の中の彼女は、視聴者へ向けて太陽のように笑っていた。

 

 元気で、賑やかで、少し危なっかしくて、でも人を引き込む力がある。

 

 それが、ユウトの知っているまつりと重なる。

 

 そして、あの日のまつりとも重なる。

 

 忘れ物をしたと言って戻ってきた彼女。

 

 いつもの元気さではなく、しっとりした顔で、自分と視線を合わせてから口づけてきた彼女。

 

 配信画面の中の明るいまつり。

 

 耳元で囁いたまつり。

 

 その二つが同じ人なのだと思うと、ユウトの心臓がまた少し速くなった。

 

「……意識するな、という方が難しい」

 

 ユウトは両手で顔を覆った。

 

 しばらくして、指の隙間から画面を見る。

 

 画面の中のまつりは、楽しそうに笑っていた。

 

 その笑顔を見ていると、胸の奥が温かくなる。

 

 同時に、落ち着かない。

 

 ユウトはノートに書く。

 

『明るさで場を動かす。本人の熱量がそのまま配信の推進力になる』

 

 そこまで書いて、ペンが止まる。

 

 少し迷って、もう一行だけ書き足した。

 

『ただし、見せている明るさの奥にも、別の表情がある』

 

 書いてから、恥ずかしくなった。

 

 だが、消さなかった。

 

     ◇

 

 次に、夜空メル。

 

 自宅へ来た時、彼女は終始やわらかかった。

 

 すいせいとまつりが火花を散らし、フブキが楽しそうに観察している中で、メルは何度も空気を和らげていた。

 

 配信アーカイブを開く。

 

 画面の中のメルは、ふんわりとした声で話していた。

 

 穏やかで、甘くて、聞いていると肩の力が抜けるような雰囲気。

 

 それでいて、ふとした瞬間に距離が近い。

 

 言葉の温度が高い。

 

 ユウトは、画面を見ながら静かに頷いた。

 

「……安心感がある」

 

 ノートに書く。

 

『視聴者との距離を近く感じさせる。声の柔らかさ、間の取り方が強い』

 

 書きながら、ユウトは少し思い出す。

 

 自宅でのメル。

 

 喧嘩になりかけた空気をやわらげてくれた。

 

 話題を変えてくれた。

 

 自分が困った顔をした時、すぐに気づいていた。

 

 メルは、柔らかい。

 

 けれど、ただ柔らかいだけではない。

 

 人の緊張をほどく力がある。

 

 それもまた、タレントとしての強さなのだろう。

 

     ◇

 

 ユウトは、そのまま何人かの配信を見続けた。

 

 さくらみこ。

 

 画面の中のみこは、予想以上に自由だった。

 

 時々何を言っているのか分からなくなる。

 

 だが、分からないのに楽しい。

 

 全力で笑い、全力で焦り、全力で叫ぶ。

 

 その姿が視聴者を巻き込んでいく。

 

 ユウトは、以前デンライナーで見た未来のライブを思い出した。

 

 あの背中。

 

 あの一歩。

 

 自分が守った未来の一つ。

 

『不器用さも含めて人を惹きつける。感情の動きが配信の中心』

 

 ときのそら。

 

 そこには、穏やかで、揺るがない芯があった。

 

 画面越しでも分かる安心感。

 

 始まりの人。

 

 ユウトは、少し背筋を伸ばして見ていた。

 

『安心感。軸。見ている人が帰ってこられる場所』

 

 猫又おかゆ。

 

 ゆるい。

 

 とてもゆるい。

 

 だが、気づけばずっと見ている。

 

 言葉の選び方、間の取り方、笑い方。

 

 無理に盛り上げないのに、場が途切れない。

 

 ユウトはノートに書く。

 

『力を抜かせる配信。居心地を作る力』

 

 戌神ころね。

 

 元気。

 

 圧倒的に元気。

 

 だが、その元気は押しつけではない。

 

 楽しさを共有しようとする力が強い。

 

 夢中になると止まらない。

 

 それを見ている人も巻き込まれる。

 

『全力で楽しむ姿そのものが価値。長時間でも熱が落ちにくい』

 

 湊あくあ。

 

 画面の中の彼女は、少し不器用で、けれど一生懸命だった。

 

 ゲームに向かう集中。

 

 失敗した時の反応。

 

 成功した時の喜び。

 

 ユウトが事務所で見る、緊張しながら袖を掴んでくるあくあと重なる。

 

『不器用さと努力が見える。応援したくなる構造』

 

 宝鐘マリン。

 

 話がうまい。

 

 テンポが速い。

 

 場を支配する力がある。

 

 そして、時々ずるいくらい弱さも見せる。

 

『トークの構成力。自己演出。視聴者を船に乗せる力』

 

 大空スバル。

 

 勢い。

 

 ツッコミ。

 

 声。

 

 見ているだけで元気になる。

 

 だが、その奥に面倒見の良さが透けている。

 

『場の回転力。ツッコミによる整理。明るい牽引役』

 

 ユウトは気づけば、かなりの量をノートに書いていた。

 

 配信を見る。

 

 特徴を書く。

 

 自分が感じたことを書く。

 

 タレントとしての強みを書く。

 

 改善点を書こうとして、手が止まる。

 

 改善点。

 

 それを書くには、まだ自分は知らなさすぎる。

 

 ただの視聴者として見ただけでは分からない。

 

 裏側も、本人の思いも、活動方針も知らない。

 

「……マネージャーって、簡単じゃないな」

 

 当然のことを、改めて呟いた。

 

 配信を見るだけで分かることがある。

 

 でも、配信を見るだけでは分からないこともある。

 

 表の姿と、事務所での姿。

 

 ファンへ向けた顔と、仲間へ向ける顔。

 

 自分へ向ける顔。

 

 その全部を混同してはいけない。

 

 けれど、切り離しすぎてもいけない。

 

 支えるというのは、きっとその間を見ることなのだろう。

 

 ユウトはノートの端に書いた。

 

『画面の向こうの彼女たちを知らなければ、隣にいる彼女たちも支えられない』

 

 書いてから、しばらくその文字を見つめた。

 

     ◇

 

 気づけば、かなり時間が経っていた。

 

 外は暗い。

 

 ローテーブルの上には、空になった湯呑み。

 

 ノート。

 

 ノートパソコン。

 

 いくつもの配信タブ。

 

 ユウトは、目元を押さえた。

 

「……見すぎた」

 

 おかゆなら「目を休めてねぇ」と言うだろう。

 

 ころねなら「水飲んで!」と言うかもしれない。

 

 スバルなら「寝ろ!」と叫ぶ。

 

 ミオなら、静かに肩を叩いてくる。

 

 フブキなら、きっと「ちゃんと見ましたね」と笑う。

 

 すいせいなら、どう言うだろう。

 

 まつりなら、どう言うだろう。

 

 そう考えた瞬間、また唇の記憶が蘇りかけた。

 

 ユウトは慌てて首を振る。

 

「……今は違う」

 

 画面に戻る。

 

 最後に開いたのは、ホロライブの配信スケジュールだった。

 

 今この瞬間にも、誰かが配信している。

 

 誰かが歌っている。

 

 誰かが笑っている。

 

 誰かがゲームに叫んでいる。

 

 誰かがファンと話している。

 

 ユウトが自宅でノートを取っている間にも、ホロライブは動いている。

 

 前世の自分は、この流れの中にいたのだろう。

 

 裏側で、スケジュールを確認し、体調を気にし、企画を支え、トラブルを処理し、時にはゼロノスとして戦って。

 

 そして、消えた。

 

 ユウトは、胸ポケットの懐中時計に触れた。

 

 チ、チ、チ、チ――。

 

 静かな音。

 

 今の自分は、まだそこにはいない。

 

 でも、近づこうとしている。

 

 過去をなぞるためではなく。

 

 今の自分として。

 

 彼女たちの配信を見て、初めてその実感が少し湧いた。

 

「……すごい人たちだ」

 

 今さらのように、そう思った。

 

 ホロライブのライバーたち。

 

 自分に向かってくる少女たち。

 

 画面の向こうで何万人、何十万人を笑わせるタレントたち。

 

 その両方を知っていくこと。

 

 それが、これからの自分に必要なのだろう。

 

     ◇

 

 その時、チャット通知が鳴った。

 

 ホロライブのグループチャット。

 

 ユウトは、少しだけ身構えながら開く。

 

『白上フブキ:ユウトくん、パソコン使えてますか?』

 

 タイミングが良すぎる。

 

 ユウトは思わず画面を見つめた。

 

「……見られてる?」

 

 もちろん、そんなはずはない。

 

 ないはずだ。

 

 たぶん。

 

 ユウトは返信する。

 

『桜井ユウト:はい。ありがとうございます。今日、少し配信を見ていました』

 

 送信した瞬間。

 

 既読が増えた。

 

 速い。

 

 怖い。

 

『白上フブキ:誰のですか?』

 

『星街すいせい:誰の?』

 

『夏色まつり:誰の!?』

 

『さくらみこ:みこの見たにぇ!?』

 

『猫又おかゆ:お、ユウトくん配信デビューだねぇ』

 

『戌神ころね:ころねの見た!?』

 

『大空スバル:ちゃんと休憩しながら見たか!?』

 

『宝鐘マリン:船長のも見ました?』

 

『湊あくあ:あ、あくあのは……見ましたか……?』

 

『大神ミオ:みんな一斉に聞かない』

 

 ユウトは、しばらく端末を見つめた。

 

 予想はしていた。

 

 していたが、予想以上だった。

 

 どう返すべきか悩む。

 

 少し考えてから、正直に入力した。

 

『桜井ユウト:何人か見ました。皆さん、すごかったです』

 

 送信。

 

 今度は、一瞬だけチャットが止まった。

 

 そして。

 

『星街すいせい:私のは?』

 

『夏色まつり:まつりのは?』

 

『白上フブキ:フブキのは?』

 

『桜井ユウト:見ました』

 

 さらに止まった。

 

 その後、すいせいから短い返信が来た。

 

『星街すいせい:そっか』

 

 まつりからも来た。

 

『夏色まつり:そっかー』

 

 フブキからも来る。

 

『白上フブキ:感想は今度聞きますね』

 

 ユウトは画面を見ながら、少しだけ頬を緩めた。

 

 短い言葉なのに、三人それぞれの表情が浮かぶようだった。

 

 すいせいは少し照れた顔。

 

 まつりは、明るく見せながら内心で跳ねている顔。

 

 フブキは、にこにこしながら次の一手を考えている顔。

 

 ユウトは、また少しだけ心臓が落ち着かなくなった。

 

 だが、悪い感覚ではなかった。

 

『大神ミオ:今日は遅いから、そろそろ目を休めてね』

 

『大空スバル:寝ろよ!』

 

『猫又おかゆ:水飲んでねぇ』

 

『戌神ころね:おやすみするんだよぉ!』

 

 ユウトは、小さく笑った。

 

『桜井ユウト:はい。今日はそろそろ休みます。おやすみなさい』

 

 送信。

 

 大量の「おやすみ」が返ってきた。

 

 スタンプも大量に飛んできた。

 

 ユウトは、それをしばらく眺めてから、パソコンを閉じた。

 

 部屋が静かになる。

 

 けれど、以前のような静けさではなかった。

 

 テーブル。

 

 湯呑み。

 

 クッション。

 

 ノートパソコン。

 

 誰かが持ってきたもの。

 

 誰かの配信。

 

 誰かの声。

 

 それらが部屋の中に少しずつ増えている。

 

 ユウトは、ノートの最後にもう一行だけ書いた。

 

『まずは、見ることから始める』

 

 そしてペンを置く。

 

 胸ポケットの懐中時計が、静かに時を刻んでいた。

 

 チ、チ、チ、チ――。

 

 画面の向こうにいた彼女たち。

 

 事務所で隣にいる彼女たち。

 

 自宅へ来る彼女たち。

 

 その全部を、これから少しずつ知っていく。

 

 次の停車駅は、配信アーカイブ。

 

 行き先表示には、こう出ていた。

 

『初視聴・知らない君を知る時間』

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