hololive Lost Story 作:ダニエルズプラン
ご不便をおかけします。
最近、桜井ユウトは考えるようになった。
キスをされている。
それ自体は良い。
いや、もちろん良くはない。
良くはないはずだ。
普通に考えれば、よく分からない流れで次々とホロライブのタレントたちに口づけをされている現状は、かなりおかしい。
おかしいはずなのだ。
しかし、夏休みに入ってからのユウトの周囲は、あまりにもおかしいことが多すぎた。
星街すいせいに自宅で初めてのキスを奪われる。
休憩室で見せつけるように再びキスされる。
夏色まつりに「意識してもいいよ」と囁かれる。
白上フブキに悪戯っぽく唇を奪われる。
大神ミオに温かく、優しく口づけされる。
おかゆところねに膝を占拠される。
みこに膝に座られる。
あくあに袖を掴まれる。
マリンに腕を絡められる。
スバルには膝枕事件がある。
青たち後輩にすら、視線の変化を見抜かれる。
ここまで来ると、ユウトの判断基準はだいぶ壊れていた。
だから彼は、こう考えた。
最近、自分からではなく、相手からキスされることが多いな。
まず疑問に思うべきところはそこではない。
そもそも、キスをすること自体に抵抗や確認が必要だと考えるべきだった。
しかし、この日のユウトは思考回路が不安定だった。
さらに言えば、状況も不安定だった。
なぜなら。
現在、ユウトの自宅には、ホロライブ5期生――ねぽらぼの四人がいたからである。
◇
ことの始まりは、夕方だった。
ユウトは近所のスーパーで買い物をしていた。
いつもより多めの食材。
湯呑みが増えた。
ローテーブルも大きくなった。
冷蔵庫の中身も、以前より余裕を持って買うようになった。
理由は単純。
誰かが来るから。
しかも、いつ来るか分からないから。
そして、その予感は今日も当たった。
「ユウトせんぱーい!」
背後から明るい声が響いた。
振り返ると、そこには桃鈴ねねがいた。
その隣には雪花ラミィ。
少し後ろに獅白ぼたん。
そして、なぜか両手を広げて劇的な登場ポーズを取っている尾丸ポルカ。
「はい、運命の再会!」
「ポルカさん、スーパーの鮮魚コーナー前で何をしているんですか」
「鮮魚と運命は似ている」
「似ていません」
ユウトは、買い物かごを持ったまま四人を見た。
「皆さん、どうしてここに?」
ぼたんが、いつもの落ち着いた声で言う。
「買い物」
「それは分かります」
「そしたらユウトがいた」
「そうでしたか」
ねねが元気よく手を上げる。
「ユウト先輩、今日予定ある?」
「特にはありません」
「じゃあ遊びに行っていい?」
「どこへ?」
「ユウト先輩の家!」
「流れが急ですね」
ラミィが微笑む。
「せっかくですし、みんなで少しお話できたらと思いまして」
「それは構いませんが」
「じゃあ決まり!」
ポルカがびしっと指を鳴らした。
「突撃、ユウトハウス!」
「名前をつけないでください」
「ユウトハウス、語感良くない?」
「よくありません」
こうして。
すいせいやフブキたちのように住所を聞いたわけでも、誰かから教わったわけでもなく。
ねぽらぼ四人は、真正面からユウトについてきた。
つまり、尾行でも潜入でもなく、同行。
強いて言うなら、真正面からの上がり込みだった。
◇
ユウトの部屋に入った瞬間、ねねは目を輝かせた。
「おおー! ユウト先輩の部屋!」
「普通の部屋です」
「でもなんか、ホロメンの痕跡がある!」
「痕跡」
ねねが指差したのは、棚の上の狐キーホルダー。
桜色の置物。
小さな菓子缶。
少し増えた湯呑み。
そして、ローテーブルの端に置かれたノートパソコン。
ラミィがそれを見て、くすりと笑った。
「本当に、少しずつ皆さんの物が増えているんですね」
「増やそうとして増やしているわけではないんですが」
「でも、受け取ってくれているんですね」
「……拒否しきれなくて」
「ふふ」
ぼたんは、部屋をざっと見回して頷いた。
「前より生活感ある」
「前を知っているんですか?」
「話に聞いた」
「誰から?」
「いろいろ」
「怖いですね」
「ホロライブだからね」
「それで説明できることが増えてきました」
ポルカはローテーブルの周りをぐるりと回った。
「ふむふむ。いい机だねぇ。ここなら宴ができる」
「宴はしません」
「まだ、ね」
「まだ?」
ユウトは嫌な予感を覚えた。
その予感は、わりとすぐに当たった。
◇
最初は、普通にお茶を飲むだけだった。
ユウトが湯呑みを並べる。
ラミィが持参した菓子を広げる。
ねねがそれを見て喜ぶ。
ぼたんがソファ代わりのクッションに楽な姿勢で座る。
ポルカがなぜか部屋の隅で軽くステップを踏んでいる。
「ポルカさん、何を?」
「床の確認」
「床?」
「曲芸ができるかどうか」
「しないでください」
「安全第一でやるから」
「そういう問題ではありません」
その時までは、まだ平和だった。
だが、雪花ラミィが鞄から一本の瓶を取り出した瞬間、空気が変わった。
「……ラミィさん」
「はい?」
「それは何ですか?」
「日本酒です」
透明な瓶。
立派なラベル。
どう見ても一升瓶。
「どうして一升瓶を?」
「せっかくなので」
「せっかくなので、で出てくるものではないと思います」
「大丈夫ですよ。少しだけですから」
ラミィは穏やかに微笑んでいる。
その笑みは上品だった。
上品だったが、瓶は一升瓶だった。
ぼたんが笑う。
「出た」
「出た、とは?」
「ラミィの少しだけ」
「有名なんですか?」
「うん」
ねねが無邪気に頷いた。
「ラミィちゃんの少しだけは、少しじゃないことがある!」
「ねねちゃん?」
ラミィがにこりと笑う。
ねねは口を押さえた。
「ねね、何も言ってない!」
「言っていました」
ユウトは、一升瓶を見つめた。
ホロアース世界では、十八歳から成人として扱われる。
ユウトも年齢上は問題ない。
だが、普段から飲み慣れているわけではない。
そもそも、今まで飲む機会もほとんどなかった。
「僕は、お茶で」
「ええ。無理に飲むものではありませんから」
ラミィは素直に頷いた。
そこまではよかった。
問題は、その後だった。
◇
ラミィが、綺麗な手つきで日本酒を開ける。
少量ずつ、ラミィ、ぼたん、ポルカ、ねねの器へ注ぐ。
ユウトは湯呑みでお茶を飲む。
そのはずだった。
だが、ローテーブルの上には湯呑みが五つ並んでいた。
ユウトの部屋にある湯呑みは、最近増えたばかりだ。
形が似ているものも多い。
会話が盛り上がり、ポルカが曲芸めいた動きで菓子皿を回し、ねねが拍手し、ぼたんが笑い、ラミィが「あらあら」と言っている間。
ユウトは、手元の湯呑みを取り違えた。
一口。
「……?」
口に含んだ瞬間、違和感。
お茶ではない。
香りが違う。
喉に、少し強い熱が落ちる。
「ユウト?」
ぼたんが気づいた。
「それ、ラミィのじゃない?」
ユウトは湯呑みを見る。
ラミィも見る。
「あら」
「……間違えました」
「大丈夫ですか?」
「たぶん」
「たぶん」
ぼたんが少しだけ目を細める。
「ユウト、飲み慣れてないなら水飲んどきな」
「はい」
普通なら、そこで終わるはずだった。
水を飲む。
少し休む。
ラミィの酒は下げる。
しかし、問題はすでにラミィにもあった。
ラミィの頬は、ほんのり赤くなり始めていた。
「ユウトくん、飲み間違えるなんてかわいいですねぇ」
「ラミィさん?」
「大丈夫です。ラミィがついてますからねぇ」
「肩を組まなくても」
ラミィが、ユウトの右側から肩を組んできた。
絡み上戸。
しかも距離が近い。
「ユウトくん、最近ちゃんとご飯食べてますかぁ?」
「食べています」
「本当ですかぁ?」
「本当です」
「嘘ついたらラミィ、怒りますよぉ」
「嘘ではありません」
「ならよしですぅ」
ラミィはにこにこしながら、ユウトの肩に体重を預ける。
ユウトは困ったようにそれを支えた。
ぼたんはそれを見て、少し笑っている。
「ラミィ、もう始まった」
「早いねー!」
ねねは楽しそうに拍手した。
ポルカは、なぜか立ち上がっていた。
「では、ここでポルカによる即興曲芸をご覧いただこう!」
「どういう流れですか」
ユウトが突っ込む。
しかし、突っ込みは届かなかった。
ポルカは器用に紙コップを積み上げ、スプーンを指で回し、持ってきた小さなハンカチを宙でひらりと舞わせた。
ぼたんとねねが拍手する。
「おー」
「ポルカちゃんすごーい!」
「もっと褒めて!」
「すごーい!」
「ししろんも拍手!」
「はいはい」
ぼたんは片手で拍手しながら酒を少し飲む。
ねねも楽しそうに飲む。
ラミィはユウトの右で絡んでいる。
ユウトは、完全に止める側を失っていた。
そして、先ほど間違えて飲んだ日本酒が、じわじわと回り始めていた。
◇
ユウトは、酒に強くなかった。
少なくとも、慣れてはいなかった。
もともと頭ははっきりしている方だ。
戦闘中なら、少しの違和感にも気づく。
だが、酒が入った今、その判断の芯が少しだけ柔らかくなっていた。
右には、ラミィ。
「ユウトくんはですねぇ、もっと自分を大事にしないとだめなんですよぉ」
「はい」
「はいじゃなくてぇ、分かってますかぁ?」
「分かっているつもりです」
「つもりじゃだめですぅ」
「ラミィさん、近いです」
「近くしてるんですぅ」
「そうですか」
ラミィをあしらう。
あしらっているつもりだった。
だが、ユウトの視線は別の方へ向かう。
視線の先では、ポルカがさらに曲芸を披露していた。
紙コップ三段積み。
スプーン回し。
謎のポーズ。
なぜか途中で歌い出し、ねねが手拍子をする。
ぼたんが、面白そうに笑う。
「ポルカ、そこでターン」
「任せろ!」
ポルカがくるりと回る。
少し足元が危うい。
だが、持ち前のバランス感覚で踏みとどまる。
「はい、決まった!」
「おー!」
ねねが拍手する。
ぼたんも拍手する。
「いいね」
「もっといけます! 尾丸ポルカ、まだまだいけます!」
ユウトは、その光景をぼんやり見ていた。
ポルカ。
いつも明るい。
テンションが高い。
エンターテイナー。
自分から場を作り、笑わせ、転がり、また立つ。
事務所で見る時も、配信で見た時も、彼女はいつも誰かを楽しませようとしていた。
そして、ユウトは思った。
最近、自分はキスをされてばかりだ。
すいせい。
まつり。
フブキ。
ミオ。
自分からではない。
相手から。
それは別に、勝ち負けの話ではない。
ないはずなのに。
酒でゆるんだ思考は、変な方向へ滑った。
あ、ポルカなら勝てるかも?
何に勝つのか。
なぜ勝つ必要があるのか。
そもそもこの発想がまともではない。
普段のユウトなら、絶対にここで立ち止まった。
だが、この日のユウトは思考回路が不安定だった。
しかも酒が入っていた。
そして、ラミィの腕が肩に絡んでいる。
「ユウトくん、聞いてますかぁ?」
「はい」
「ちゃんと聞いてる顔じゃないですぅ」
「聞いています」
「むぅ」
ラミィがさらに近づく。
その拘束を、ユウトはすっと抜けた。
驚くほど滑らかだった。
戦闘訓練で見せるような体捌き。
ラミィの腕を傷つけず、押しのけず、ただ自然に外す。
「あれぇ?」
ラミィが首を傾げる。
ユウトは立ち上がった。
すたすたと歩く。
ぼたんとねねが座る間を通る。
「ユウト?」
ぼたんが目を上げる。
「ユウト先輩?」
ねねも首を傾げる。
ユウトは、ポルカの前に立った。
ポルカは笑った。
「おやおや、ユウトくん! ポルカの曲芸に感動して、ついに弟子入りを――」
言い終える前だった。
ユウトの手が、ポルカの腰に回る。
もう片方の手が、ポルカの頭に添えられる。
「え……?」
ポルカが声を発しかける。
しかし、その声は最後まで出なかった。
ユウトの顔が近づき。
ポルカの唇は、ユウトの唇によって塞がれた。
◇
時間が止まった。
ねねの拍手が止まる。
ぼたんの目が少しだけ見開かれる。
ラミィが、右側で「あらぁ……?」と呟く。
ポルカは、完全に停止した。
数秒。
いや、実際には一瞬だったのかもしれない。
だが、その場の全員には、とても長く感じられた。
ユウトが離れる。
ポルカの顔が、一瞬で真っ赤になった。
「ぽ」
ポルカが声を出す。
「ぽ、ぽ、ぽ、ぽ……」
壊れた機械のような音だった。
いつものエンターテイナー。
どんな状況でもリアクションを取り、笑いに変える尾丸ポルカ。
そのポルカが、完全に処理落ちしていた。
ねねが目を丸くする。
「ポルカちゃんが壊れた」
ぼたんがぽつりと言う。
「これは珍しい」
ラミィは頬を赤くしたまま、にこにこしていた。
「ユウトくん、大胆ですねぇ」
ユウトは、ポルカを見ていた。
見ていたはずだった。
だが、次の瞬間。
彼の瞼が、とろんと落ちた。
「……」
「ユウト?」
ぼたんが立ち上がる。
ユウトは、そのままポルカの前でふらりと揺れた。
慌ててぼたんが支える。
ユウトは、完全に眠っていた。
「寝た」
ぼたんが言う。
「寝たね」
ねねが言う。
「寝ましたねぇ」
ラミィが言う。
「ぽ、ぽ……」
ポルカはまだ復旧していなかった。
ぼたんはユウトを支えながら、ソファへ運ぶ。
動きは落ち着いていたが、さすがに表情は少し複雑だった。
「とりあえず寝かせよ」
「う、うん!」
ねねが慌ててクッションを持ってくる。
ラミィは水を用意しようとして、一升瓶を見て止まった。
「これはしまいましょう」
「最初からしまってほしかった」
ぼたんが低く言う。
「ごめんなさい」
ラミィは素直に謝った。
ユウトはソファに寝かされる。
すやすやと眠っていた。
あまりにも穏やかな寝顔だった。
今しがたポルカに自分からキスをした人間とは思えない。
いや、そもそも本人が覚えているのか怪しい。
ねねがユウトの寝顔とポルカを交互に見る。
「ポルカちゃん、大丈夫?」
「ぽ……」
「大丈夫じゃなさそう」
ぼたんはポルカへ視線を向けた。
「ポルカ」
「……はい」
ようやく声が戻った。
しかし、声が小さい。
顔は真っ赤。
いつもの派手な表情は消えていた。
そこにいるのは、舞台の上のエンターテイナーではなく、不意打ちで心臓を撃ち抜かれた一人の少女だった。
「嫌だった?」
ぼたんが静かに尋ねる。
ポルカは、即座に首を横に振った。
ぶんぶんと。
勢いよく。
そして、さらに顔を赤くする。
「嫌じゃ、ない……」
「そっか」
「でも、でも、でも、ポルカ、今、何が起きたか全然分かってなくて」
「うん」
「ユウトくんが、来て、腰、持って、え、って思ったら、こう、こう……!」
ポルカは両手で口元を押さえた。
「ポルカの、ポルカの口が……!」
「落ち着いて」
「落ち着けるかー!」
叫んだ。
少しだけいつものポルカに戻った。
だが、叫んだ後、また小さくなる。
「……でも、やばい」
「何が?」
ねねが聞く。
ポルカは、口元を押さえたまま、ユウトの寝顔をちらりと見た。
「心臓が、やばい」
ねねは、少し羨ましそうに唇を尖らせた。
「いいなぁ」
「ねねちゃん?」
「いや、びっくりしたけど、いいなぁって思っちゃった」
ねねは正直だった。
ラミィも、頬を赤くしたまま小さく頷く。
「少し、羨ましいですね」
「ラミィまで」
ぼたんは、ユウトを見下ろしてから、肩をすくめた。
「まあ、羨ましいのは分かる」
「ぼたんも!?」
「うん」
ぼたんはさらりと言った。
「でも、酔ってる時のやつだから、後でちゃんとしないとね」
その言葉に、三人は少しだけ静かになった。
ユウトは酒に慣れていない。
間違えて飲んで、判断が緩んだ。
ポルカが嫌ではなかったとしても、本人が覚えていないなら、このまま笑い話にして終わらせていいかは難しい。
ただ、今夜ここで騒ぎ立てることでもない。
ユウトは眠っている。
ポルカは混乱している。
ラミィは酔っている。
ねねも少し酔っている。
ぼたんは、軽く息を吐いた。
「とりあえず今日は事故扱い。ユウトには水飲ませて寝かせる。ラミィ、日本酒は終了」
「はい……」
「ねね、片づけ手伝って」
「うん」
「ポルカ」
「はい」
「立てる?」
「……たぶん」
「たぶんか」
ぼたんは少し笑った。
「無理なら座ってて」
「座る……」
ポルカは、へなへなとその場に座った。
両手で顔を覆う。
指の隙間から、ユウトを見る。
眠っている。
本人はたぶん何も覚えていない。
でも、自分は覚えている。
唇の感触。
腰に回された手。
頭に添えられた手。
突然近づいた顔。
普段のユウトなら絶対にしないような、妙に迷いのない動き。
ポルカの心臓がまた跳ねた。
「……ずるい」
小さく呟く。
「何も覚えてなさそうなの、ずるい」
◇
夜は、そのまま静かに片づけへ移った。
ぼたんが中心になって、酒を片づける。
ラミィは水を飲まされる。
ねねは食器をまとめる。
ポルカはしばらく再起不能だったが、少しずつ復帰して、いつものように大げさな動きで片づけを手伝おうとした。
しかし、ユウトの寝顔を見るたびに動きが止まる。
「ポルカ」
「はい」
「皿、落とすよ」
「落としません!」
かちゃん。
「あっ」
「落としかけた」
「落としてない! セーフ!」
ぼたんが苦笑する。
ユウトは眠っている。
すやすやと。
平和そうに。
その寝顔を見ていると、怒るに怒れない。
むしろ、寝かせておこうという気持ちになる。
それがまた、困った。
片づけが終わった頃、ラミィは少し正気に戻っていた。
「ユウトくん、本当に大丈夫でしょうか」
「寝てるだけだと思う」
ぼたんが答える。
「水は置いた。起きた時に飲めるようにしてる。念のため、少し様子見てから帰ろう」
「はい」
ねねが、ユウトの寝顔を覗き込む。
「ユウト先輩、寝顔かわいいね」
「ねねちゃん、声小さめで」
「はーい」
ポルカも近づき、少し離れた位置からユウトを見た。
近づきすぎると、また心臓が持たない。
そう思った。
しかし、視線は逸らせない。
ユウトの唇を見てしまう。
そこに、さっき自分の唇が触れた。
触れられた。
自分からではない。
ユウトから。
酒が入っていたとしても。
覚えていないとしても。
それは、ポルカの中に深く刻まれてしまった。
「……困ったなぁ」
ポルカは、小さく笑った。
「ポルカ、ちょっと本気で困ったかも」
その声は、誰にも届かなかった。
いや、ぼたんには聞こえていたかもしれない。
だが、ぼたんは何も言わなかった。
◇
翌朝。
ユウトは、頭の重さで目を覚ました。
「……」
見慣れた天井。
自宅のソファ。
身体には薄いブランケット。
ローテーブルの上には水とメモ。
『起きたら水飲んでね。ししろん』
ユウトは、水を手に取り、ゆっくり飲んだ。
頭が少しぼんやりしている。
昨夜の記憶を辿る。
ねぽらぼが来た。
ラミィが日本酒を出した。
自分は飲まないつもりだった。
だが、湯呑みを間違えた。
そこから先が、曖昧だった。
ラミィに絡まれた気がする。
ポルカが曲芸をしていた気がする。
ねねが拍手していた。
ぼたんが笑っていた。
そのあたりまでは覚えている。
だが、その後がない。
「……寝たのか」
ユウトは額を押さえる。
やってしまった。
客人を招いておきながら、先に寝落ちしたらしい。
しかも、酒を間違えて飲んだ。
情けない。
携帯端末を見ると、ねぽらぼのグループチャットにメッセージが来ていた。
『獅白ぼたん:起きたら水飲んで。昨日は寝落ちしただけだから心配しなくて大丈夫』
『桃鈴ねね:ユウト先輩おはよー! 昨日楽しかった!』
『雪花ラミィ:昨日は申し訳ありません……日本酒は今後気をつけます』
『尾丸ポルカ:ポルカは元気です!!!!!!!!』
ユウトは、最後のメッセージを見て首を傾げた。
「ポルカさん、元気なんだ」
普段通りのようで、句読点がおかしい。
いや、ポルカなら普段通りかもしれない。
ユウトは返信する。
『桜井ユウト:昨日はすみません。途中から記憶が曖昧で、先に寝てしまったようです。片づけまでありがとうございました』
すぐに既読がついた。
速い。
『獅白ぼたん:大丈夫。ちゃんと寝られてたならよし』
『桃鈴ねね:大丈夫だよ!』
『雪花ラミィ:本当にすみませんでした。今度お詫びします』
『尾丸ポルカ:何も! 何もなかった! ポルカは元気!』
ユウトは、また首を傾げた。
「何もなかった……?」
何もなかったなら、なぜわざわざ言うのか。
疑問は浮かんだ。
しかし、寝起きの頭と軽い二日酔いでは深く考えられなかった。
『桜井ユウト:それならよかったです』
送信。
ポルカからは、少し遅れて返信が来た。
『尾丸ポルカ:よかったです!!!!』
やはり句読点がおかしい。
だが、ユウトは深く追及しなかった。
結果として。
昨夜のことは、ポルカたちによって誤魔化された。
これ幸いと、というより。
今はまだ、ユウトに思い出されるとポルカが爆発するからだった。
◇
一方その頃。
ポルカは自宅で布団にくるまっていた。
端末を握りしめ、ユウトとのチャットを見ている。
『それならよかったです』
その文字を何度も見返す。
「よくない……」
布団の中で小さく呟く。
「よくないよ、ユウトくん……」
覚えていない。
ユウトは覚えていない。
あのキスを。
自分からポルカへ来たことを。
腰に手を回したことを。
頭を支えたことを。
ポルカの唇を塞いだことを。
覚えていない。
それは、ずるい。
とてもずるい。
でも。
ポルカは、唇に指を当てた。
覚えていないのはユウトだけだ。
自分は覚えている。
あの瞬間、自分の心臓が跳ねたことも。
声が出なくなったことも。
いつものエンターテイナーの仮面が全部剥がれたことも。
そして、嫌ではなかったことも。
「……困った」
ポルカは、布団の中でさらに丸くなる。
「ポルカ、これ、だいぶ困った」
恋心は、もともとあった。
前世の記憶から続く重い気持ち。
ユウトを失った痛み。
再会できた喜び。
今のユウトに向かっていく感情。
それは、確かにあった。
だが、昨夜の一瞬で、その感情は大きくなった。
舞台の上で笑うための心ではなく。
誰かに見てほしい、ただの少女の心として。
尾丸ポルカは、もう一度端末を見る。
ユウトからのメッセージ。
何も覚えていない、少し申し訳なさそうな文章。
ポルカは、顔を真っ赤にしたまま、小さく笑った。
「……いつか」
声は、布団の中に沈む。
「いつか、覚えてるユウトくんに、ちゃんと請求するから」
それは、誰にも聞かれない宣言だった。
けれど、ポルカの中では確かに鳴っていた。
次の停車駅は、未精算。
行き先表示には、こう出ていた。
『酔いどれキス、ポルカだけが覚えてる』