hololive Lost Story 作:ダニエルズプラン
謹慎処分。
それは、本来ならば静かに受け止めるべき言葉である。
反省。
自粛。
外出禁止。
安静。
少なくとも、桜井ユウトはそう理解していた。
だが、ホロライブにおける謹慎処分は、少し違った。
いや。
少しではない。
かなり違った。
「……あの」
ホロライブ事務所の地下駐車場。
白いバンの前。
ユウトは、包帯の巻かれた手を胸元で軽く押さえながら、目の前の光景を見ていた。
白いバン。
その運転席に座っているのは、YAGOOだった。
「YAGOOさん」
「はい」
「なぜYAGOOさんが運転を?」
YAGOOは、いつもの穏やかな笑顔で答えた。
「責任者ですので」
「責任者が自ら送迎を?」
「今回は特別です」
「特別が多いですね」
「桜井さんが関わると、だいたい特別になります」
「……すみません」
ユウトは素直に頭を下げた。
その瞬間、背後から五つの視線が刺さる。
「謝罪より乗車にぇ」
「逃げ道確認しない」
「ボク、体調ログ取りたいから早く座って」
「立ってる時間が長いと疲れるよ」
「ユウト、乗って」
ユウトは振り返った。
そこには、変装した0期生がいた。
ときのそらは、薄い色の帽子に眼鏡、柔らかいカーディガン。
普通の外出着のはずなのに、なぜか周囲の空気が清らかになる。
ロボ子さんは、大きめのパーカーにキャップ、マスク。
しかし、キャップの中に何かを隠している気配があり、高性能を隠し切れていない。
AZKiは、落ち着いた色のロングコートと帽子。
静かな佇まいなのに、どこか歌のステージから降りてきたような透明感がある。
さくらみこは、サングラスに帽子、パーカー。
だが、口を開けば一発で分かる。
星街すいせいは、黒いキャップと伊達眼鏡、シンプルな上着。
変装としては一番自然だった。
ただし、ユウトの袖をつかんでいる時点で自然ではない。
「……僕、これから護送されるんですか?」
「健康観察先への送迎です」
YAGOOが答える。
「言い方を変えただけでは?」
「安全管理です」
「なるほど」
ユウトは一応納得しようとした。
しかし、白いバン。
YAGOO自ら運転。
変装した0期生に囲まれている。
どう考えても、普通の謹慎処分ではない。
「ユウトくん」
そらが優しく言う。
「今日はちゃんと休む日だからね」
「はい」
「荷物も持たなくていいからね」
「でも、自分の荷物くらいは」
「ユウト」
すいせいの声が一段低くなった。
「何?」
「……持ちません」
「よし」
すいせいは満足そうに頷いた。
ユウトの小さなボストンバッグは、既にロボ子さんが持っていた。
いや、正確には片手で軽々と吊っていた。
「軽いね」
「中身は着替えと洗面道具と充電器くらいですから」
「あと、Aちゃんが入れた健康観察セット」
「何ですかそれ」
「体温計、簡易スキャンシート、常備薬、湿布、栄養補助ゼリー、緊急連絡カード」
「……本格的ですね」
「謹慎だからね」
「僕の知っている謹慎と違う」
みこが胸を張る。
「ホロライブ式謹慎にぇ」
「それは新しい制度ですか?」
「たぶん今日できたにぇ」
「ですよね」
AZKiが微笑む。
「でも、悪くない制度だと思うよ」
「AZKiさんまで」
「だって、ユウトくん一人だと、きっと休まないから」
「……否定しきれません」
「自覚があるなら大丈夫」
「大丈夫ではないです」
ユウトが即座に言い直すと、0期生全員が満足そうに頷いた。
どうやら教育は進んでいるらしい。
◇
バンの中は、思ったより広かった。
しかし、ユウトの座る場所はあらかじめ決められていた。
二列目中央。
右にすいせい。
左にそら。
前にロボ子さん。
後ろにみことAZKi。
完全包囲である。
「……あの」
「何?」
すいせいが横から聞く。
「これ、僕が逃げると思われてます?」
「思われてる」
「即答」
「ユウト、逃げるというより、気づいたら誰かを助けに行きそうだから」
「それは……」
言い返そうとして、ユウトは止まった。
昨日の自分を思い出す。
魔獣。
逃げ遅れた姉妹。
鉄パイプ。
無意識に走った身体。
あの場面でもし同じことが起きたら、自分はたぶんまた走る。
それ自体を否定する気はない。
ただ、次は一人で行かない。
そう約束した。
「……そうですね」
ユウトは小さく頷いた。
「気をつけます」
「気をつけるだけじゃなくて、呼ぶ」
すいせいが言う。
「はい。呼びます」
「誰を?」
「すいちゃんたちを」
「よし」
すいせいは短く頷いた。
その隣で、そらがふわりと笑う。
「ちゃんと言えたね」
「言わないと、皆さんが怖いので」
「怖い?」
「優しく怖いです」
「ふふ。そっか」
運転席のYAGOOが、バックミラー越しに言った。
「桜井さん」
「はい」
「休むことも、誰かを支えるためには必要です」
「……はい」
「支える側が倒れてしまうと、支えられる人も不安になります」
その言葉は、静かに車内へ落ちた。
ユウトは、膝の上に置いた手を見る。
包帯。
擦り傷。
打撲。
致命傷ではない。
重傷でもない。
だが、たくさんの人を不安にさせた傷。
「分かりました」
ユウトは、今度こそ素直に頷いた。
「今日は、ちゃんと休みます」
「はい」
YAGOOは穏やかに返事をして、白いバンを発進させた。
そしてユウトは思った。
やはりこれは護送ではないだろうか。
◇
オルタナティブシティの夕方。
魔導交通ラインが空を淡く照らし、ビルの窓には街の光が反射している。
白いバンは、事務所周辺の大通りを抜け、住宅区画へ向かっていった。
すいせいの家。
星街家。
ユウトは、改めてその言葉の重さを感じていた。
これまで、ユウトの自宅にホロメンが来ることは何度もあった。
すいせいも来た。
フブキも来た。
ミオも来た。
まつりも、メルも、5期生たちも来た。
だが、自分が誰かの家に泊まるのは初めてに近い。
しかも、すいせいの家。
姉街もいる。
家族に会う。
「……」
ユウトは、少しだけ背筋を伸ばした。
その横で、すいせいがちらりと見る。
「緊張してる?」
「少し」
「姉街、怖くないよ」
「それは分かっていますが」
「じゃあ何?」
「すいちゃんのお姉さんに会うわけですから、ちゃんと失礼のないようにしないと」
すいせいは、一瞬だけ目を丸くした。
それから、ぷいっと前を向く。
「……そういうとこ」
「え?」
「なんでもない」
耳が赤かった。
みこが後ろから身を乗り出す。
「すいちゃん、にやけてるにぇ」
「にやけてない」
「にやけてるにぇ」
「みこち、後ろ」
「にぇ?」
「近い」
「んなっ」
すいせいが軽くみこの額を押し戻す。
みこは「にぇえ」と言いながら座席へ戻った。
そらが楽しそうに笑い、ロボ子さんがその様子を記録しようとして、すいせいに視線で止められた。
AZKiは窓の外を見ながら、ぽつりと言う。
「星街家、楽しみだね」
「AZKiさんは何度か行ったことがあるんですか?」
「うん。何度か」
「そうなんですね」
「でも、今日は少し特別かな」
「特別?」
「ユウトくんがいるから」
ユウトは言葉に詰まった。
そう言われると、どう返していいのか分からない。
そらが横からそっと助け舟を出す。
「今日は、ユウトくんを休ませる日だからね」
「はい」
「でも、少しだけ楽しい日にもしたいな」
「……はい」
それなら、受け取ってもいいのだろうか。
ただ休むだけではなく。
ただ心配をかけた罰としてではなく。
彼女たちと一緒に過ごす時間として。
ユウトは、膝の上で指を軽く握った。
◇
白いバンは、オルタナティブシティの住宅区画にあるファミリーマンションの前で止まった。
高層すぎず、低層すぎず。
落ち着いた外観。
エントランスには魔導認証式のオートロック。
周囲には植栽があり、夜間でも柔らかい光で照らされている。
すいせいと姉街が住んでいると聞いていたから、ユウトは勝手にもっと小さな部屋を想像していた。
だが、建物を見る限り、かなりしっかりしたマンションだった。
「着きました」
YAGOOが車を停める。
「ありがとうございました、YAGOOさん」
「いえ。桜井さん」
「はい」
「本日は、くれぐれも安静に」
「はい」
「家事をしようとしない」
「はい」
「荷物を持とうとしない」
「はい」
「大丈夫と言わない」
「大丈夫ではないです」
「よろしいです」
YAGOOは満足そうに頷いた。
ユウトは、なぜ代表取締役にこのような確認をされているのか、少しだけ遠い目になった。
バンを降りると、すぐに0期生が周囲を囲んだ。
すいせいが右。
そらが左。
みことロボ子さんが後ろ。
AZKiが少し前。
完璧な布陣。
「あの、本当に逃げません」
「逃げない人は、そう言うんだよ」
ロボ子さんが言った。
「逃げる人ではなく?」
「ユウトくんの場合は、助けに行く人」
「……それは否定しきれない」
「だから囲む」
「合理的ですね」
「でしょ」
ユウトは諦めた。
もちろん、ここに至って逃亡という選択肢自体が存在しない。
仮に存在したとしても、取ろうとは思わなかった。
ここまで心配されて、ここまで連れてきてもらって、逃げる理由がない。
むしろ逃げたら、本当に謹慎処分が追加される。
おそらく次は、ころねとおかゆの家で両側からホールドされる謹慎になる。
それはそれで危険だった。
精神的に。
エントランスへ向かう途中、YAGOOは運転席の窓を開けた。
「では、私はこれで失礼します」
「え、YAGOOさんは上がらないんですか?」
「星街さんのご家族もいらっしゃいますので、ここから先は皆さんにお任せします」
「そうですか」
「引き渡し完了の連絡はしておきます」
「引き渡し」
「健康観察開始の連絡です」
「また言い直しましたね」
YAGOOは穏やかに笑い、そのまま白いバンを発進させた。
数秒後には、角を曲がって見えなくなる。
つまり、ここから先は本当に星街家である。
ユウトは、静かに息を吸った。
◇
すいせいは当然、鍵を持っているはずだった。
マンションの住人なのだから当たり前だ。
だが、彼女はエントランスのオートロック前で、迷いなくインターホンの部屋番号を押した。
「すいちゃん?」
ユウトが首を傾げる。
「鍵、ありますよね?」
「ある」
「ではなぜ」
「来たこと、ちゃんと知らせるため」
「自分の家なのに?」
「今日は、ユウトを連れてきたから」
すいせいは、さらっと言った。
その言い方が、まるで大事なものを家族へ見せる前のようで、ユウトは少しだけ言葉に詰まった。
インターホンが繋がる。
『はい』
女性の声。
すいせいが、少しだけ姿勢を正した。
「姉街。着いた」
『早かったね。ユウトくんも一緒?』
「うん」
『じゃあ開けるね』
電子音が鳴り、オートロックが開いた。
すいせいが扉を開ける。
「行こ」
「はい」
エントランスを抜ける。
エレベーターへ向かう。
その間も、ユウトは0期生に囲まれていた。
「本当に逃げません」
「分かってるよ」
そらが笑う。
「分かっていて囲んでるんですね」
「うん」
「なぜ」
「心配だから」
「……はい」
エレベーターに乗る。
すいせいが階数を押す。
扉が閉まる。
狭い箱の中で、ユウトはまた0期生に囲まれた。
変装しているとはいえ、ホロライブ0期生に囲まれている。
冷静に考えると、かなりすごい状況だった。
みこがサングラスを少し下げる。
「ユウト」
「はい」
「姉街はいい人だから、安心するにぇ」
「はい」
「ただし、すいちゃんの話をたくさん聞いてるにぇ」
「……それは、どの程度?」
「ユウトの話題が出ない日が少ないくらい?」
「みこち」
すいせいが低い声を出す。
みこはそっとサングラスを戻した。
「今のはみこの独り言にぇ」
「聞こえました」
「聞かなかったことにするにぇ」
「無理があります」
すいせいの耳がまた赤くなる。
ロボ子さんが小さく笑った。
「姉街、ユウトくんのことかなり楽しみにしてたよ」
「ロボ子さんまで」
「昨日すいちゃん、帰ってからずっとそわそわしてたし」
「ロボ子さん?」
「事実ログ」
「消して」
「記憶は消せない」
すいせいが無言でロボ子さんを睨む。
AZKiが静かに言った。
「大丈夫。姉街はたぶん、ユウトくんを困らせるより、すいせいを困らせると思う」
「それはそれで、僕はどうすれば」
「見守ってあげて」
「見守り」
「今日はユウトくんが見守られる日だけどね」
エレベーターが到着した。
扉が開く。
廊下を少し歩く。
すいせいは、迷いなく一つの扉の前で止まった。
ユウトの心臓が、少しだけ早くなる。
星街家。
すいせいの家。
その扉。
すいせいは鍵を取り出すことなく、躊躇なくチャイムを押した。
「鍵、ありますよね?」
「ある」
「またですか」
「今日はそういう日」
すいせいは、どこか照れたように言った。
しばらくして、扉の向こうから足音が近づいてくる。
鍵が開く音。
扉が開いた。
そこに立っていたのは、すいせいの姉。
姉街だった。
◇
「いらっしゃい」
最初の声は、とても自然だった。
優しくて、明るくて、どこか家の匂いがする声。
姉街は、まずすいせいを見た。
それから、0期生たちを見て。
最後に、ユウトを見た。
その瞬間。
表情が、ぱっと柔らかくなった。
「あなたがユウトくん?」
「は、はい。桜井ユウトです。本日はお世話になります」
ユウトは、背筋を伸ばして頭を下げた。
「怪我をしているところ、ご迷惑をおかけします」
「迷惑じゃないよ」
即答だった。
あまりにも即答だった。
ユウトが少し驚いて顔を上げると、姉街はにこにこと笑っていた。
「むしろ、よく来てくれたね」
「……ありがとうございます」
「すいちゃんから、ずっと話は聞いてたから」
「ずっと」
「うん。ずっと」
「姉街」
すいせいが低い声を出した。
姉街は楽しそうに笑う。
「だって本当でしょ?」
「言い方」
「じゃあ、最近よく聞いていたから」
「それも同じ」
「じゃあ、毎日のように?」
「姉街!」
すいせいが顔を赤くする。
ユウトは、どう反応していいか分からず固まった。
姉街はそんなユウトを見て、さらに柔らかく笑った。
「ごめんね。驚かせた?」
「いえ……少しだけ」
「ふふ。正直でよろしい」
姉街は一歩横へずれる。
「さ、入って。怪我人を玄関先で立たせるわけにはいかないから」
「はい。失礼します」
ユウトが靴を脱ごうと少し屈む。
その瞬間、すいせい、そら、みこ、ロボ子さん、AZKi、姉街の視線が一斉に刺さった。
「……靴を脱ぐだけです」
「手、痛いんでしょ」
すいせいが言う。
「靴は手で脱ぎません」
「バランス崩したら?」
「崩しません」
「ユウト」
「……崩すかもしれません」
「よろしい」
すいせいはしゃがむと、ユウトの靴を揃えた。
「す、すいちゃん、自分でできます」
「謹慎」
「はい」
「怪我人」
「はい」
「今日はされる側」
「……はい」
すいせいの手つきは少しぎこちなかった。
だが、丁寧だった。
ユウトの靴を揃え終えると、彼女は小さく息を吐いて立ち上がる。
姉街が、その様子を見てにまにましていた。
「すいちゃんが人の靴揃えてる」
「姉街」
「写真撮ればよかった」
「撮らないで」
「はいはい」
0期生たちは玄関へ入り、それぞれ変装具を外していく。
帽子。
眼鏡。
マスク。
サングラス。
外の顔から、少しずつ家の顔へ変わっていく。
ユウトは、その光景を不思議な気持ちで見ていた。
配信者。
アイドル。
ホロライブ0期生。
魔法少女。
大切な人たち。
そして今は、誰かの家に集まった普通の女の子たち。
その中に自分がいる。
少し場違いで。
でも、追い出されているわけではない。
「ユウトくん?」
そらが声をかける。
「どうしたの?」
「いえ……少し、不思議で」
「不思議?」
「皆さんの家の空気を見るのは、初めてなので」
その言葉に、すいせいが少しだけ目を逸らした。
姉街は、そんな二人を見比べて、何かを察したように微笑んだ。
「じゃあ今日は、ちゃんと家で休んでいってね」
「はい。よろしくお願いします」
「うん。よろしくね、ユウトくん」
初対面のはずだった。
少なくとも、姉街は前世の記憶を持っていない。
ユウトも、彼女と会った覚えはない。
それなのに。
姉街の声には、なぜか最初から歓迎の温度があった。
異様なほどの好感度。
だが、それは不気味なものではない。
すいせいが積み上げてきた話。
昨日から今日にかけての心配。
そして、目の前のユウトを見て、彼女が自然に受け入れたもの。
そんな温かさだった。
◇
星街家は、思っていたより広かった。
オルタナティブシティのファミリーマンションの一室。
玄関から廊下を抜けると、リビングダイニングが広がっている。
すいせいと姉街の二人で暮らすには、いささか広すぎるのではないか。
ユウトは、思わずそう思ってしまった。
リビングには大きめのソファ。
クッションがいくつも並び、その中に星を模したものが混じっている。
棚には小物や雑貨。
壁際には、音楽機材らしいものが整然と置かれたスペースがあり、少し離れたところには防音室らしい扉もある。
生活感がある。
だが、散らかってはいない。
姉街の手が入っているのだろうと思わせる、整った温かさ。
そして。
リビングダイニングの中央に置かれた、かなり広めのローテーブル。
その上には、料理が並んでいた。
気合いが入っていた。
明らかに入っていた。
唐揚げ。
出汁巻き卵。
煮込みハンバーグ。
野菜たっぷりのスープ。
鮭の南蛮漬け。
ポテトサラダ。
彩りのいい温野菜。
小さめのおにぎり。
茶碗蒸し。
さらに、消化に良さそうな雑炊まで別に用意されている。
テーブルの端には、果物とゼリー。
飲み物も数種類。
どう見ても、数人で軽く食べる量ではない。
お泊まり会。
いや、歓迎会。
もしくは、怪我人回復祭り。
「……すごい」
ユウトの口から、自然に声が漏れた。
姉街は少し照れたように笑う。
「作りすぎたかな?」
「いえ。とても、おいしそうです」
「よかった」
「これ、全部姉街さんが?」
「うん。すいちゃんも少し手伝ったよ」
「少しじゃないし」
すいせいが小さく言う。
姉街がにやりとする。
「じゃあ、結構手伝ったね」
「普通に手伝った」
「はいはい」
「姉街」
すいせいは抗議するが、耳が赤い。
ユウトは、その様子を見て少しだけ笑った。
「すいちゃんが料理を手伝ったんですね」
「何その意外そうな顔」
「いえ、意外というか」
「できるし」
「疑っていません」
「本当に?」
「本当です」
すいせいはじっとユウトを見る。
ユウトも真剣に頷く。
すいせいは、ふいっと視線を逸らした。
「……ならいい」
みこが横からにやにやする。
「すいちゃん、朝から張り切ってたにぇ」
「みこち」
「ユウトが来るから、栄養あるものがいいって」
「みこち」
「あと、食べやすいものも必要って」
「みこち」
「姉街と献立相談してたにぇ」
「みこち!」
すいせいがみこに詰め寄る。
みこは「にぇええ」と言いながらそらの後ろへ隠れた。
そらはにこにこしながら二人を見ている。
ロボ子さんは料理の写真を撮ろうとして、姉街に「後でね」と止められた。
AZKiは静かにテーブルを見つめていた。
「すごいね。あったかいご飯」
「AZKiさん?」
「ううん。いいなって思って」
その声は、どこか優しかった。
ユウトは、料理を見てから、姉街とすいせいを見る。
「ありがとうございます」
深く頭を下げた。
「こんなに準備していただいて」
「いいのいいの」
姉街は軽く手を振る。
「すいちゃんがね、ちゃんと食べさせたいって言うから」
「姉街」
「あと、怪我人だから柔らかいものも必要って」
「姉街」
「それと、ユウトくんは遠慮しそうだから、みんなで食べられる量にしようって」
「姉街!」
すいせいの声がだんだん大きくなる。
姉街は楽しそうだった。
ユウトは、すいせいを見る。
すいせいは顔を赤くして、そっぽを向いている。
「……すいちゃん」
「何」
「ありがとう」
「……別に」
「嬉しいです」
「っ」
すいせいの肩が跳ねた。
姉街が手を叩く。
「はい、ユウトくん強い」
「え?」
「その素直さは強いよ」
「そうですか?」
「すいちゃんに効く」
「姉街!」
すいせいが本日何度目か分からない抗議をした。
◇
席順を決めるだけで、少し揉めた。
理由は単純である。
全員がユウトの近くに座りたがったから。
「怪我人はここ」
姉街が、ローテーブルの一番座りやすい場所にクッションを置いた。
背中を預けられるように、ソファを後ろにする。
「ここなら楽でしょ?」
「はい。ありがとうございます」
「右隣はすいちゃん」
「姉街!?」
「家主だから」
「家主なら姉街もでしょ」
「私は正面で観察する」
「観察って言った!」
「健康観察」
「絶対違う」
姉街はにこにこしている。
「左隣はそらちゃん」
「いいの?」
そらが少し驚く。
「うん。ユウトくんが落ち着くと思うから」
「ありがとう」
そらは穏やかに頷いた。
みこが手を挙げる。
「みこは?」
「すいちゃんの隣」
「にぇえ、ユウトの近くがいいにぇ」
「近いよ」
「一個挟むにぇ!」
「食事中に飛びつかない位置」
「姉街、みこの扱い分かってるにぇ!?」
ロボ子さんはユウトの斜め前。
AZKiはその隣。
姉街は正面。
こうして、星街家の食卓は完成した。
ユウトは座ろうとしたが、その前にすいせいがクッションを調整した。
「脇腹、痛くない?」
「大丈夫……ではないですが、痛みは軽いです」
「よし」
そらが水を置く。
「先に少し飲んでね」
「ありがとうございます」
ロボ子さんが端末を開く。
「食前体調チェック。痛み、十段階でどれくらい?」
「二くらいです」
「本当?」
すいせいが聞く。
「……三です」
「最初から三って言って」
「はい」
みこが箸を持ちながら言う。
「ユウト、盛るにぇ」
「痛みをですか?」
「少なく言うから、多めに言うにぇ」
「それはそれで正確ではないのでは」
「ユウトの場合、ちょうどよくなるにぇ」
「信頼がない」
「あるから怒ってるにぇ」
それを言われると、ユウトは黙るしかなかった。
姉街が茶碗蒸しをユウトの前に置く。
「まずこれ。食べやすいと思う」
「ありがとうございます」
「熱いから気をつけてね」
「はい」
ユウトが匙を取ろうとする。
その前に、すいせいがじっと見る。
「手、痛くない?」
「右手は大丈夫です」
「本当に?」
「本当に」
「怪しかったら言って」
「はい」
ユウトは、ゆっくり茶碗蒸しを口に運んだ。
柔らかい。
出汁の香りが優しい。
具材も細かく切られていて、食べやすい。
胃に落ちる温度まで、ちゃんと考えられている気がした。
「……おいしいです」
素直な声だった。
姉街の表情が、ぱっと明るくなる。
「よかった」
「とても優しい味です」
「怪我人用だからね」
「でも、物足りないわけじゃなくて」
「うんうん」
「出汁がしっかりしていて、ほっとします」
「すいちゃん」
姉街がすいせいを見る。
「ユウトくん、褒めるの上手いね」
「知ってる」
すいせいが小さく言った。
その声があまりにも自然だったので、ユウトは少しだけ動きを止めた。
「知ってるんですか」
「知ってる」
「……そうですか」
「だって、ユウトはちゃんと見て言うから」
すいせいは、少し照れながら言った。
「適当に褒めないでしょ」
ユウトは、返事に困った。
確かに、適当に言うつもりはない。
だが、それをすいせいに分かってもらえているのは、少し嬉しかった。
「ありがとうございます」
「そこでお礼言うのも変」
「そうですか?」
「変」
すいせいは言いながらも、少し嬉しそうだった。
◇
食事は、思っていた以上に賑やかだった。
そらが自然に場を柔らかくしてくれる。
ロボ子さんがユウトの食べた量をさりげなく記録する。
AZKiが料理の感想を静かに言う。
みこが何度も話を脱線させる。
すいせいがそれにツッコミを入れる。
姉街がそのすいせいをさらにいじる。
ユウトは、座ったままその輪の中にいた。
何かを手伝おうとするたびに止められる。
空いた皿を少し横へずらそうとしただけで、すいせいに「置いといて」と言われた。
水を注ごうとしただけで、そらに「私がやるね」と言われた。
落ちた箸袋を拾おうとしたら、みこに「動くなにぇ!」と止められた。
「……僕は置物ですか?」
「怪我人」
すいせいが即答した。
「置物より厳しい」
「自覚して」
「はい」
姉街が笑う。
「すいちゃん、すごいね」
「何が」
「ちゃんと世話焼いてる」
「普通」
「普通?」
「普通」
「へえ」
「何」
「別に」
姉街の視線は、完全に妹をからかう姉のそれだった。
すいせいは、それに気づいて頬を膨らませる。
ユウトは、そのやり取りを見ていた。
星街すいせい。
ステージの上では歌姫。
配信では強く、鋭く、時に豪快。
事務所では、ユウトへ真っ直ぐ近づいてくる人。
でもここでは、姉にからかわれて赤くなる妹だった。
その姿が、少し新鮮だった。
「何見てるの」
すいせいが気づく。
「いえ」
「今、変な顔してた」
「変な顔ではないと思います」
「じゃあ何」
「すいちゃんにも、家での顔があるんだなと」
すいせいが固まった。
姉街が楽しそうに目を輝かせる。
「ユウトくん、それ詳しく」
「姉街、聞かない」
「いや、これは聞きたいでしょ」
「聞かなくていい」
「すいちゃんの家での顔、どう?」
ユウトは少し考えた。
それから、正直に言った。
「かわいいと思います」
時間が止まった。
そらが口元に手を当てた。
ロボ子さんの端末が一瞬フリーズした。
AZKiが静かに目を細めた。
みこが箸を落としかけた。
姉街が両手を合わせた。
すいせいは、顔を真っ赤にした。
「ユウト」
「はい」
「今のは、ずるい」
「え?」
「ずるい!」
「すみません」
「謝るところじゃない!」
「では、どうすれば」
「知らない!」
すいせいは顔を背けた。
だが、耳まで赤い。
姉街が、心底楽しそうに笑う。
「すいちゃん、よかったね」
「姉街!」
「かわいいって」
「聞こえてる!」
「もう一回言ってもらう?」
「言わなくていい!」
みこが小声で言う。
「すいちゃん、これは強烈にぇ」
「ユウトくん、天然の一撃だね」
ロボ子さんが分析する。
「破壊力高め」
AZKiが静かに頷く。
「歌詞にできそう」
「しないでください」
すいせいが即座に反応した。
ユウトは、自分が何をしたのか分からないまま、茶碗蒸しをもう一口食べた。
おいしかった。
◇
食事が進むにつれ、ユウトの緊張は少しずつ解けていった。
星街家の空気は温かい。
0期生の空気も、事務所とは少し違う。
誰かがステージに立っているわけでもない。
誰かが配信しているわけでもない。
誰かが魔獣と戦っているわけでもない。
ただ、食卓を囲んでいる。
それだけなのに、ユウトにとっては新鮮だった。
「ユウトくん」
姉街が、不意に声をかけた。
「はい」
「すいちゃんから、詳しいことは全部聞いてるわけじゃないんだけど」
その言い方で、ユウトは背筋を伸ばした。
姉街は前世のことを知らない。
記憶も持っていない。
だから、ここで話せることには限りがある。
すいせいも少しだけ表情を引き締めた。
姉街はそれに気づいて、安心させるように微笑んだ。
「大丈夫。聞いちゃいけないことを無理に聞くつもりはないよ」
「……はい」
「ただ、すいちゃんがね」
姉街は、すいせいをちらりと見る。
「ユウトくんの話をするとき、すごく大事そうな顔をするの」
すいせいは、何も言わなかった。
いつものように抗議もしない。
ただ、少しだけ視線を落とした。
「昨日、怪我したって聞いた時も、平気なふりをしてたけど、全然平気じゃなかった」
「姉街」
「これは言うよ」
姉街の声は優しかった。
でも、そこには姉としての強さがあった。
「だから、会ってみたかった。すいちゃんがそんな顔をする人に」
ユウトは、手元を見た。
包帯。
その向こうにある、誰かを不安にさせた自分の行動。
「……心配をかけました」
「うん。かけたね」
「すみません」
「私は、すいちゃんほど事情を知ってるわけじゃないけど」
姉街は静かに言う。
「誰かを助けようとする人が、悪い人じゃないことくらいは分かるよ」
「……」
「でも、自分が傷ついてもいいと思ってるなら、それは周りが怒ると思う」
ユウトは、ゆっくり頷いた。
「はい。昨日から、たくさん怒られました」
「足りた?」
「……まだ足りないかもしれません」
「うん。じゃあ今日は、ご飯食べて、休んで、怒られた分をちゃんと体に覚えよう」
「はい」
姉街は、柔らかく笑った。
「すいちゃんが大事にしてる人なら、私にとっても大事なお客さんだから」
その言葉に、すいせいが顔を上げた。
「姉街……」
「何?」
「……ありがと」
「どういたしまして」
姉妹の短いやり取り。
それを見て、ユウトの胸の奥が少し温かくなる。
家族。
自分にはまだ、今の家族との距離も、前世の記憶も曖昧なところが多い。
けれど、誰かにとっての家族の空気を、こうして見せてもらえること。
そこへ入れてもらえること。
それは、思ったよりずっと大きなことだった。
◇
食後。
当然のようにユウトは片づけをしようとした。
そして、当然のように止められた。
「座って」
すいせい。
「座っててね」
そら。
「動くとログに残るよ」
ロボ子さん。
「ユウト、今立ったら減点にぇ」
みこ。
「今日は見るだけ」
AZKi。
「怪我人は休む」
姉街。
全方位から封鎖された。
ユウトは、クッションに座り直した。
「……本当に何もしなくていいんですか?」
「いい」
すいせいが即答する。
「でも」
「でも禁止」
「……はい」
ユウトは大人しく座った。
目の前では、0期生と姉街が食器を片づけている。
不思議な光景だった。
ときのそらが皿を運ぶ。
ロボ子さんが効率よく食器を分類する。
AZKiが静かにテーブルを拭く。
みこが一度こぼしかけて、すいせいに「みこち!」と止められる。
すいせいが姉街と並んでキッチンに立つ。
その背中を見て、ユウトはぼんやりと思った。
ホロライブを支える。
その言葉の意味は、配信や企画や仕事だけではないのかもしれない。
こういう日常を、彼女たちが安心して持てるようにすること。
ステージから降りた彼女たちが、ただの誰かとして笑える場所を守ること。
それもきっと、支えるということなのだろう。
胸ポケットの懐中時計が、小さく鳴った。
チ、チ、チ、チ。
いつもより、少しだけ柔らかい音に聞こえた。
「ユウト」
すいせいの声で、ユウトは顔を上げた。
「はい」
「眠くない?」
「少しだけ」
「じゃあ、片づけ終わったらソファで休憩」
「まだ寝るには早いのでは」
「休憩」
「はい」
「あと、姉街がデザート出すって」
「まだあるんですか?」
「ある」
姉街がキッチンから顔を出す。
「果物とゼリー。怪我人用」
「怪我人用が万能ですね」
「今日は万能だよ」
ユウトは、思わず笑った。
その笑いに、すいせいが少しだけ目を細める。
安心したような。
嬉しいような。
そんな顔だった。
◇
こうして。
桜井ユウトの謹慎処分一日目。
星街家での0期生with姉街による健康観察は始まった。
白いバンによる護送。
YAGOO自らの運転。
オートロックでの正式入場。
姉街の異様なほど温かい歓迎。
広いリビング。
気合いの入った料理。
そして、家の中で見る星街すいせいの顔。
ユウトは、ソファに背を預けながら思う。
謹慎処分とは、いったい何なのだろう。
反省はしている。
休むつもりもある。
自分が心配をかけたことも、ちゃんと受け止めている。
だが、この温かさを罰と呼んでいいのかは、まだ分からない。
ただ一つ、分かることがある。
ここから八日間。
自分はきっと、思っていた以上に、自分がどれほど想われているかを知ることになる。
それは少し怖くて。
少し照れくさくて。
そして、少し嬉しい。
すいせいが、片づけを終えてリビングに戻ってくる。
手には、果物とゼリーの乗った皿。
姉街がその後ろからついてくる。
そらたちも、それぞれ席へ戻ってくる。
「ユウト」
「はい」
「逃げてない?」
「逃げてません」
「よし」
「すいちゃん」
「何?」
「今日は、ありがとうございます」
すいせいは、少しだけ黙った。
それから、照れたように顔を逸らす。
「……まだ一日目、始まったばっかりだから」
「はい」
「ちゃんと休ませるから」
「はい」
「あと」
「はい」
すいせいは、小さな声で言った。
「姉街に、変なこと言われても気にしないで」
「変なこと?」
「すいちゃんがユウトの話ばっかりしてるとか」
「それはもう聞きました」
「忘れて」
「それは難しいです」
「忘れて」
「……努力します」
すいせいは不満そうに頬を膨らませた。
姉街が後ろで笑っている。
みこが「にぇっへっへ」と笑い、ロボ子さんが「記録済み」と呟き、AZKiが「いい夜だね」と言い、そらが優しく見守っている。
ユウトは、果物の皿を受け取りながら、静かに息を吐いた。
行き先表示には、こう出ていた。
『白バンと姉街チェック』
謹慎処分一日目。
星街家の夜は、まだ始まったばかりだった。