聖剣使いを拾いましたけど、蛮族な狂犬でしたが私は元気です 作:プーリとベルト
昨日、古びた書物へ記されていた一節は、読み終えたその瞬間よりも、一夜を越えた今の方が深く胸へ根を張っていた。些細な違和感だったはずのものは、眠りによって薄れるどころか静かに広がり、カルフォースが未だ真価を示さぬ理由、自らの剣の未熟さ、騎士としての在り方、そして己の出自までも一つの糸で結び始める。
それは答えを与えるものではない。ただ、これまで疑うことなく歩んできた足元へ、小さな問いを落としていた。その問いは消えず、むしろ確かな重みとなってカーリーの胸に残り続けていた。
ウチは……何者なのだろうか。
誰から生まれたのか──いや、それを今さら考える必要はない。それは既に過ぎ去ったことであり、親という存在を必要以上に追い求める意味もない。
問題は、今のウチが何者であるかだ。
昨日読んだ書物を開いて以来、その問いだけが何度も頭の中を巡り続けている。
これまでのウチは、自分を元王国騎士だと定義してきた。それで十分だと思っていた。
だが、今は違う。
聖剣カルフォースは未だ真価を示さず、己の種族すら判然としない。そして、アスラにも、グスタフにも勝利を掴むことはできなかった。
ならば、ウチは本当に騎士なのだろうか。
主君に対して清廉たれ。
研鑽に対して懸命たれ。
勝利に対して貪欲であれ。
それは騎士として胸に刻み続けてきた教えだ。今も間違いだとは思わない。
……だが、それだけでは足りない気がする。
胸の奥で、何かが引っ掛かっている。
まるで最も大切なものを忘れたまま、長い旅を続けてきたような感覚。
思い出せそうで、思い出せない。
何かを──ウチは、忘れている。
「どうしました、カーリー?」
食事の手を止めたまま考え込んでいたカーリーへ、エリリーが不思議そうに声を掛ける。
「うむ……む?」
「もしかして、ぼんやりしていました?」
「そうだな。少し考え事をしていた」
「食事中にそんな風になるなんて珍しいですね」
「そうかもしれんな」
カーリーは苦笑しながら頷くが、その表情にはどこか迷いが残っていた。
「何かあったんですか?」
「己について考えていた」
「自分のこと、ですか?」
「そうだ」
カーリーは静かに息を吐き、窓の外へ視線を向ける。
「ウチは、自分が何者なのか分からなくなってきた」
その一言に、エリリーは驚いたように目を瞬かせる。
「前までは、自分は元王国騎士だって言っていましたよね?」
「言っていた。いや、今でもそれは事実だ。ウチは王国騎士として生き、剣を振るってきた」
そこで言葉を区切ると、カーリーはゆっくり首を横へ振った。
「だが、それだけでは足りぬ気がしてきた。騎士とは何かと問われた時、以前ほど迷いなく答えられぬ」
「自信が無くなった、と」
「その通りだ」
エリリーは少し考え込むように視線を落とした。
「私には、その感覚はよく分からないですね。魔術を学び始めた頃から、自分は魔術師であり錬金術師なんだと思っていましたし、それを疑ったことはありませんでした」
「そうか」
「でも、だからといってカーリーがおかしいとは思いません。強くなればなるほど、自分の立っている場所が見えなくなることもあるんじゃないでしょうか」
「そういうものか」
「少なくとも、私は今のカーリーが騎士じゃないとは思いませんよ」
その言葉を聞いたカーリーは小さく笑ったものの、その笑みはどこか晴れ切らないものだった。
しばらく黙って食事を続けていた彼女は、最後の一口を口へ運ぶと静かに席を立つ。
「カーリー?」
「少し街の外へ行ってくる」
「え?」
「一人で考えたいことがある。夜までには必ず戻る」
「一人で、ですか?」
エリリーは思わず立ち上がったものの、カーリーの表情を見た途端、それ以上強く引き止めることができなかった。
戦いを前にした時とも違う、何かを決めようとしている顔だったからだ。
「……分かりました」
エリリーは小さく息を吐きながら肩を落とす。
「でも約束してください。ちゃんと帰ってきてくださいよ」
「うむ、承知した」
カーリーは穏やかに頷くと宿を後にし、そのまま一人で街門へ向かって歩き始める。
朝の街路は既に多くの人々で賑わっていた。露店では焼き立てのパンの香りが漂い、冒険者達は武具を整えながら迷宮へ向かっている。その喧騒の中を歩いていても、カーリーの心は不思議なほど静かだった。
自分は何者なのか。
騎士とは何なのか。
その問いは歩みを進めるたびに胸の内で重みを増していく。
やがて城壁を抜け、街道から草原へと足を踏み出すと、吹き抜ける風が街の喧騒を遠くへ置き去りにした。カーリーは立ち止まって空を見上げる。
雲はゆっくりと流れ、青空はどこまでも高い。
「……サクリエル卿なら、何と言うであろうな」
かつて剣を教え、騎士としての在り方を示してくれた師の姿を思い浮かべながら、カーリーは誰に聞かせるでもなく呟いた。
答えは返ってこない。
だからこそ、自分自身で見つけなければならないのだと、彼女は静かにカルフォースの柄へ手を添えた。
「……さて」
カーリーは腰へ提げたカルフォースへ静かに視線を落とした。
「ウチは騎士なのだろうか。それとも、もっと別の何かなのだろうか」
問い掛けても答えは返らない。それでも胸の奥に芽生えた迷いは消えず、昨日読んだ古い書物の一節だけが何度も脳裏を巡っていた。
万の言葉を解し、老いを知らず、龍や魔物と語らう者。
デーヴァリング。
「……ふむ。これは、ウチのことなのか」
呟きながらカーリーはカルフォースを静かに抜き放つ。
赤銀色の刀身は朝日を受けて穏やかに輝いていたが、今日は戦うために握ったのではない。ただ、自らの相棒と向き合いたかった。
「カルフォースよ、お前は何を望んでいる」
風へ問いを投げ掛けると、それに応えるように刀身が微かに震え始める。最初は錯覚かと思われたその震えは徐々に強くなり、やがて赤銀色の刃から黄金の焔が静かに溢れ出した。
「これは……」
それは聖火ではなかった。
戦いの最中に迸る激しい炎とは異なり、その焔は穏やかでありながら強い存在感を放ち、生き物のように刀身から離れると地へ降り立ち、ゆっくりと渦を描きながら一つの輪郭を形作っていく。
やがて黄金の焔は、一人の剣士となった。
その姿はカーリー自身によく似ている。背丈も立ち姿も、剣を構える癖までも瓜二つだったが、顔だけは炎に覆われて判然とせず、その奥で燃える黄金の双眸だけが太陽のような輝きを宿していた。
「……貴殿は誰だ」
問い掛けても炎の剣士は何も語らない。ただ静かに右手を掲げると、掌から黄金の焔が伸び、一振りの剣を形作る。
それはカルフォースによく似ていた。
しかし、その姿は遥かに完成されている。
刃から放たれる光も、握られた姿も、一切の迷いを許さぬ神々しさを纏っていた。
炎の剣士は一歩踏み出すと、躊躇なくその剣を振るう。
カーリーは反射的にカルフォースを迎え合わせ、黄金の刃同士が交錯すると衝撃は音ではなく熱となって周囲へ広がり、吹き抜けた風が草原を大きく揺らした。
その一撃だけで理解する。
敵意など生易しいものではない、炎の剣士は迷いなくカーリーを殺そうとしていた。
そこには試練を与える温情も、力量を測る余裕も存在しない。ただ目の前の相手を討ち滅ぼすという、純粋で絶対的な殺意だけがあった。
カーリーは押し返されながらも笑みを浮かべる。
「ハハッ……そういうことか。貴殿を超えられぬ者に、生きる価値は無いと言いたいのだな」
返事は無い。
炎の剣士は流れるように身体を巡らせると、再び斬撃を放つ。
その剣筋は見覚えがあった。
何千、何万と振るい続けた自分自身の剣。
しかし僅かに違う。
踏み込みは半歩だけ深く、力の流れには一切の淀みが無く、刃は最短にして最速の軌道を描いている。
理屈では説明できないほど僅かな差。
だが、その僅かな差が決定的だった。
カーリーは受けるたびに剣を弾かれ、身体を流され、姿勢を崩される。
「なるほど……」
笑みは消えない。
むしろ深くなっていく。
「貴殿はウチだ。ウチでありながら、まだ誰も辿り着いていないウチなのだな」
炎の剣士は何も答えず、ただ一歩踏み込むと、今度は百を超える斬撃を淀みなく繰り出した。
黄金の軌跡が幾重にも重なり、朝の草原を埋め尽くしていく。
カーリーもまたカルフォースを振るい続けるが、防ぐだけで精一杯だった。受け流したはずの刃は別の軌道から迫り、躱したはずの一撃は既に次の斬撃へ繋がっている。
その剣には迷いが無い。
勝利を疑わず、己を疑わず、剣そのものを信じ切った者だけが辿り着ける境地。
押し返されながらも、カーリーは胸の奥で何かが少しずつ形になっていくのを感じていた。
「良い……実に良い」
口元を緩めながらカルフォースを握る手へ力を込める。
「ならば教えて貰おう。ウチに足りぬものを。そして、その果てにあるものを」
炎の剣士はなおも一切の言葉を発することなく剣を振るい続け、その斬撃は嵐のように絶え間なくカーリーへ降り注いだ。
カーリーも負けじと刃を重ねながら間合いを測るが、踏み込みを読んだはずの一撃は半歩だけ先を行き、受け流したと思った剣は既に返しの軌道へ移っている。その度に剣を握る腕へ重みが積み重なり、身体は少しずつ後方へ押し込まれていった。
それでもカーリーは退きながら目を逸らさなかった。相手の剣は速いのではない。力が強いのでもない。ただ、振るう理由に一切の揺らぎが存在しないのだと、幾度も刃を交えるうちに理解し始めていた。
「貴殿は迷わぬのだな」
問い掛けても炎は静かに揺れるだけだったが、その沈黙こそが答えであるように思えた。カーリーは息を整えながら静かに剣を構え直し、自らの胸へ湧き上がる迷いを見つめる。
己が騎士であるか、何者であるか、その答えを求めることばかりに囚われ、肝心の剣へ向ける心が曇っていたのではないかと、そんな思いが胸を掠めたのである。
「では、根本から見つめ直さねばならんだろう」
押し寄せる黄金の剣戟を受け流しながら、カーリーは熱を帯びた息を吐いた。己が何者であるかを探すのであれば、今の姿だけを眺めても答えは見つからない。もっと深く、もっと始まりまで遡らなければならない。
何故騎士を志したのか。何故剣を握り続けてきたのか。何を成し遂げたくて、この道を歩み続けてきたのか。その原点さえ見失わなければ、己が騎士であることに迷う理由など、きっと何一つ無い。
「有るはずが無かろうよなぁ!!」
裂帛の叫びとともに踏み込み、黄金の刃へ真っ向から剣を打ち込む。衝突した焔が眩く弾ける中でも、カーリーの瞳から迷いは少しずつ薄れていった。
種族が何であろうと、血が何を示そうと、それは己の歩みを決める理由にはならない。デーヴァリングであれ、人であれ、それは生まれの話に過ぎず、生き方を決めるものではない。ならば答えはそこには無い。
「では、何だ。ウチは何故──」
炎の剣士が迷いなく剣を振り下ろし、カーリーもまた渾身の力で迎え撃つ。ぶつかり合った刃は轟音とともに火花を散らし、その輝きは朝日にすら劣らぬ光となって草原を照らした。それでも彼女の胸に浮かぶ問いは、ただ一つだけだった。
「此処に剣を持ち立っている!!」
そして、ふと一つの記憶が脳裏をよぎる。
──いや、思い出したのではない。
胸の奥深くへ沈んでいただけの想いが、静かに浮かび上がってきたのだ。
まだ幼く、訓練場で木剣を握っていた頃。
「カーリー、少し良いかな?」
「何でしょう、サクリエル卿?」
陽光の差し込む訓練場で、鎧を纏った騎士は優しい笑みを浮かべながら少女へ歩み寄る。
「少し話しておきたいことがあるんだ。お前は本当に強くなった。……いや、もう私より強いかもしれないな」
「そうでしょうか?」
少女は不思議そうに首を傾げた。
「ああ。だからこそ、一つだけ約束してほしい」
「約束……?」
「そうだ。その強さを、自分のためだけじゃなく、手の届く誰かのためにも使ってくれ」
サクリエルは静かに言葉を続ける。
「幸せというものは、自分で掴みに行かなければ手に入らない。だが同時に、誰かに願われ、支えられなければ届かないこともある」
少女は黙って耳を傾けていた。
「お前は少し不器用だ。考えるより先に身体が動く。だから最初は難しいかもしれない」
それでも、と騎士は穏やかに笑う。
「世の中は強さだけで成り立っているわけじゃない。時には思いやりが、人を救う」
「……」
「お前の力で誰かを守ってやれ。そうすれば、いつか誰かがお前を守ろうとしてくれる。その時、お前は本当の意味で一人ではなくなる」
カーリーは少しだけ考え込んだ。
やがて顔を上げると、いつものように真っ直ぐ笑った。
「承知しました、サクリエル卿! 難しいことは苦手ですけど、誰かのために頑張ってみます!」
「ああ。それでいい」
騎士は満足そうに頷いた。
「お前ならきっと、強さも優しさも、その両方を手に入れられる」
──そうだ。
初めて守ろうと思ったものが何だったのか。
今となっては、それすら曖昧だ。
だが、そんなことはもうどうでもいい。
あの日から、ウチはずっと同じ願いを抱いて剣を振るってきたのだから。
「……ウチは、不器用だからな」
だから一人ずつ救うことは出来ない。
だからこそ願う。
守りたいと思う人々を誰一人として取り零さぬほど、大きな焔を。
見える全てを守り抜けるほど力が欲しい!!
「私は──守るために剣を握ったのだ!!」
その瞬間、カルフォースが応えるように震えた。
黄金の焔は爆ぜることなく静かに広がり、カーリーの全身を包み込む、焔は鎧となる。
肩を覆い、胸を包み、腕を巡り、脚へ至るまで黄金の装甲が形を成していく。
さらにその光はカーリー一人に留まらず、周囲へ幾重にも広がっていく。
まるで城塞。
あらゆる脅威を拒み、その内側にいる全てを守り抜く巨大なる守護の砦。守る者がいる限り、この焔は決して消えない。
それこそが、カーリー・ブラッドソードという騎士の志に応え、カルフォースが初めて示した聖火の新たな姿であった。
「さぁ、どうする。一歩先を歩いていたカルフォースの灯火よ──」
カーリーはカルフォースを握り直し、迷いなく踏み出す。
「お前は確かに、今までのウチより先に居た」
「だが、それはもう過去の話だ」
「ウチはもう、数歩などではない。何十歩、何百歩と、その先へ進んだぞ!!」
その叫びと共に、カルフォースの黄金の焔が轟音を上げて噴き上がる。先ほどまで対等だった炎の剣士との間に、今や揺るぎない差が生まれていた。
流れを維持しつつ、「試練を超えた」「まだ真価ではない」という余韻が出るようにすると、例えばこのようになります。
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炎の剣士は、静かに動きを止めた。
そして、真っ直ぐカーリーへ向き直る。
これまで炎に包まれ判然としなかったその顔へ、初めて穏やかな笑みが浮かんだように見えた。
敵意も殺意も、既にそこには無い。
ただ、一人の剣士がもう一人の剣士を認めるような、静かな眼差しだけがあった。
炎の剣士はゆっくりと黄金の剣を持ち上げると、祈るように顔の前へ掲げる。
次の瞬間、その刀身から聖火とは明らかに異なる一つの火が天へ向かって打ち上がった。
それは眩い黄金でも、激しく燃え盛る炎でもない。
どこか神秘的で、言葉では表せぬ色彩を宿した火。
高く、高く空へ昇ると、まるで誰かへ何かを告げるように一瞬だけ輝き――静かに掻き消えた。
それと同時に、炎の剣士の姿もまた、風へ溶けるように消えていく。
「……あれは、何だ?」
カーリーは空を見上げたまま小さく呟く、答える者はいない、ただ胸の奥では不思議な確信だけが静かに芽生えていた。
今、カルフォースは確かに新たな力を示した。
しかし、それは終着点ではない。これは聖剣が宿す聖火、その新たな在り方を示したに過ぎない。
真なる輝きは、なお遥か先。
あの火にこそ、カルフォースが隠し続けている本当の真価が眠っている。カーリーは静かに柄を握り直し、小さく笑みを浮かべた。
「そうか。まだ、先があるのだな」
その声には、迷いはもう残っていなかった。