聖剣使いを拾いましたけど、蛮族な狂犬でしたが私は元気です 作:プーリとベルト
魔王軍本拠地──
黒曜石を積み上げたかのような漆黒の城壁が幾重にも連なり、その最奥にそびえる魔王城は、昼夜を問わず重苦しい威圧感を放っていた。城壁を吹き抜ける風さえ凍てつき、廊下には歴戦の魔族の兵士たちが無言で立ち並ぶ。
ここでは私語も笑みも一切許されない。実力だけが唯一の価値を持つ、それが今代魔王による魔王軍という組織の本質だった。
その張り詰めた静寂の中、一人の小柄な青年が長い回廊を歩いていた。超大型機械龍を駆り、その虚龍を失いながらも生還した機龍使い──リガル・ラーキットである。
玉座の間へと続く広間へ足を踏み入れると、彼は中央で厳然と腕を組む大柄な男の前まで進み、片膝をついて深く頭を垂れた。
「リガル、ただいま帰還しました」
低く落ち着いた声が、冷たい石造りの広間に響く。
男は片目を細め、身じろぎもせず弟子の姿を一瞥すると、短く鼻を鳴らした。
「帰ってきたか……今、魔王様は席を外しておられる。俺から言えることは特にない」
あまりにも簡潔で、突き放すような返答に、リガルは静かに顔を上げた。
「では、帰還が遅れたことに対する、アスラ様からの処罰は無いと考えてよろしいのでしょうか」
男──魔王軍四天王最強の武人『修羅』アスラは肩を竦め、その不敵な唇を僅かに歪めた。
「損失は、それ以上の武功で埋め合わせろ。それが魔王軍の掟だ。お前ならできるだろう。……たとえ虚龍を失った今でもな」
それは慰めでも擁護でもなかった。ただ敗北を責めることなく、次の圧倒的な戦果だけを求める、実力主義を貫く彼らしい、そして魔王軍らしい言葉だった。
リガルもまた、その乾いた信頼の意味を十分に理解していた。
「はっ。承知しました、お師匠様」
迷いなく再び頭を下げた、その瞬間だった。
『伝令。四天王、夜穹のガンヴァデイン様が集会を要請されています。現在、魔王軍領内に滞在する幹部並びに四天王各位は、速やかに魔王城・大集会室へお集まりください』
城全体に張り巡らされた魔力通信網を通じ、厳かな声が魔王城の隅々にまで響き渡った。広間に、再び濃密な静寂が訪れる。
リガルとアスラは互いに視線を交わした。
四天王みずからが他の四天王や幹部を緊急招集する集会。それが意味するのは、重大な案件が動き始めたという事実に他ならない。
城内を包む重苦しい空気は、先ほどまでとは異なる冷たい緊張を孕みながら、一層その色を濃くしていくのだった。
魔王城最上階──『円卓の間』
魔王が不在の際、四天王が幹部を召集するために用いる重厚な黒石の円卓には、すでに魔王軍最強を自負する面々が集まり始めていた。
最初に姿を見せたのはリガルだった。チルディアでも指折りの魔力と筋力を持ちながら、小柄な身体の青年は、敗北の傷を一切表に出さぬ静かな足取りで席へ着くと、周囲へ軽く一礼した。
「おっ、リガルじゃねぇか!」
豪快な笑い声とともに現れたのは、鋼血族の女戦士、剛傑グスタフである。武器を一切持たず、己の肉体のみを極限まで鍛え抜き、戦場を愛する武人だ。
続いて、自身の背丈を遥かに超える巨大な三叉槍を肩に担いだ、ゴルトーマの戦士、海難のザルべ・ラジラッシュがのっそりと現れる。悪魔の骨を剥き出しの鎧として纏う豪傑だが、その知能は壊滅的と言ってよかった。
「……あれ? 槍が一本足りねぇな」
首を傾げるザルべに、リガルが呆れたように視線を向ける。
「来る途中でどこかに投げて、また失くしたんじゃないッスか?」
「そうだったか?」
「ハハハ! 相変わらずだな!」
リガルがやれやれと額を押さえる横で、グスタフは愉快そうに腹を抱えて笑い出した。
そんな喧騒から離れた部屋の隅では、一人の白髪の少女が静かに分厚い書物を読み耽っていた。
万骨のセグナ・エイン。三千体を超えるホムンクルスを犠牲に創り上げられた最終変生生命であり、四天王ガンヴァデインの最高傑作。未知の知識を前にした時だけ、その無機質な瞳に僅かな輝きが灯る。
また、薄暗い窓辺では、美しい青年が奇妙な槍型の弦楽器を爪弾いていた。
惨媚歌リーリオ・テスマーサ。サイレーンの殺人鬼と呼ばれる彼の奏でる歌は、聴く者の精神を優しく蝕み、自ら命を差し出させる呪歌となる。
「……おいリーリオ、また音に殺気が混じってるぞ」
グスタフが苦笑混じりに注意すると、リーリオは悪びれもせず、妖艶な微笑みを浮かべた。
「まぁ、僕の癖だからね。いつものことだろう?」
その瞬間、室内の灯りがゆっくりと、しかし確実に何かに呑み込まれていった。否、暗くなったのではない。夜の大気を空を埋め尽くす様な魔力が津波のように空間へと染み渡る。
「待たせたかな」
黒い霧が中央へ収束し、中性的な容貌の人物が姿を現す。
四天王、夜穹のガンヴァデイン・グイルミョズン。数千の生命を糧として自らを進化させ続けた変生生命であり、その膨大な魔力は空間一帯を己の絶対領域へと変える。黒衣の裾からは、増えたり消えたりする無数の腕が、まるで蠢く生き物のように不気味に覗いていた。
そして最後に、大扉が静かに開かれた。聞こえてきた足音は、たったの一つ。だが、それだけで居並ぶ幹部たちの空気が一瞬で張り詰めた。
アスラ・エル・アヴァターリア。
最後のデーヴァリングにして、魔王軍四天王最強の武人。魔物を束ねる冷徹な智慧と、あらゆる敵を正面から圧殺する圧倒的な武を兼ね備えた存在。誰一人として言葉を発さない。自然と背筋を正した幹部たちを一瞥すると、アスラは席に着くことなく、静かに佇んだ。
「半数とまではいかないが四天王が二人、血蝕の魁星五人集まったか、それで、今回は何の集まりだ? 夜穹の」
ガンヴァデインは円卓をゆっくりと見渡し、その薄い唇を開いた。
「一つは君とグスタフ、それにリガルが取り逃がした聖剣使いについて。そして、もう一つ──魔剣のレメゼラが討たれた件について、改めて認識を共有しておこうと思ってね」
その一言が放たれた瞬間、室内の空気が目に見えて動揺に揺らいだ。
「……は?」
最初に声を漏らしたのは迷宮にて一ヶ月半ほど彷徨っていたリガルだった。
「あの剣が死んだんスか? 神代の悪魔から造られた、あの生きた魔剣が……? 一体、誰に殺られたんです?」
「無名の鍛冶師一行だ」
淡々と告げられた答えに、リガルは大きく目を丸くする。
「鍛冶師ィ? 帝国軍でも、どこかの英雄でも無いんスか!?」
「その通り。だからこそ、興味深い」
ガンヴァデインは細い指先で円卓を軽く叩いた。
「名の知れた英雄ならば警戒もできる。だが、歴史は時に名も無き英傑によって動かされるものさ。我が魔王軍の幹部ですら、その足元を掬われるのだからね」
「まぁ、驚くのも無理はねぇよ。俺も最初に報告を聞いた時は、質の悪い冗談かと思ったぜ」
リガルの驚愕に同意を示しながら、グスタフはあの幹部の中で最も得体の知れなかった同僚の存在を思い返していた。
魔剣のレメゼラ。それは単なる強力な魔道具ではない。
神代の昔、神々と戦い、地の底へと封じられた悪魔たちの王の一柱──減光のベル=レメゼル、その脳髄を核として造られた、明確な意思を持つ魔剣である。
刃に宿る悪魔の意思は、触れた者の精神へと静かに侵食し、その意志と誇りを根こそぎ削り取る。抵抗する力を失った者は剣の奴隷となり、やがて心を喰い尽くされ、落日の名の通りに黄昏へと沈み、衰弱死へと至る。歴代の所有者も例外ではなかった。強さを求めた魔族も、最後には己を失った。だからこそ魔王軍ですら、レメゼラを一個の人格を持つ「幹部」として扱っていたのだ。
さらに異様なのは、素材となった悪魔の王そのものの生態だった。脳髄を抜き取り剣へと鍛え直されながらも、本体である減光のベル=レメゼルはなお地の底で生き続けている。ゆえにレメゼラは、魔剣でありながら思考し、語り、己の意思で戦場を選ぶ歪な生命体だったのだ。
「……そのレメゼラが敗れた」
ガンヴァデインは静かに瞳を閉じた。
「我々が問題視すべきなのは、一振りの魔剣を失ったことではない。幹部に欠員が生まれたという事実だ。そして、それ故に今代の魔王様は前線から退きたがらない。これは非常に由々しき事態だよ」
「まぁ、僕はあの魔王様が戦場で死ぬとは思えないけどね」
リーリオが弦を爪弾きながら、くすくすと笑う。
「そうだなぁ、確かに俺も同意だ。うん。あの人が負けるわけねぇ」
「ハハ、ザルべくんに同意されても、あまり嬉しくないね」
リーリオが肩を竦める中、それまで読書をしていたセグナが、感情の起伏のない声で淡々と魔王の情報を口にした。
「血狂い、魔王を殺した存在を殺した者、屍山で腹を満たし血河で渇きを満たす者。吸血鬼という亜人の中で最も好戦的で、最も強い存在。それが魔王様」
「その通りだ、リーリオ、セグナ。魔王様は前線でどれほど戦おうと、力尽きることは万に一つもないだろう。しかし──魔王軍の領地そのものは違うのだよ」
「なるほどな、夜穹の。お前は魔王様が暴れた後の土地と、その後に戦を続けることによる消耗を問題視しているのか」
アスラがその低い声で、核心を突いた。
「その通りだ、アスラ。いち早く理解してくれて嬉しいよ。魔王様の蹂躙は地形すら変え、地図すら描き直す必要が出てくる。復興にも、進軍の維持にも膨大な時間がかかる。つまり、どれだけ広大なカタルシオン帝国を征服したとしても、得られるリターンが少なすぎるのだ」
ガンヴァデインの魔力が、不気味に揺らめく。
「我々は帝国に勝てる。魔王様が健在である限り、戦力差だけを見れば敗北など考える必要はない。しかし、勝利とは敵を殺し尽くすことではない。支配し、維持し、利用することだ」
円卓に、重い沈黙が落ちた。ここにいる幹部たちは皆、苛烈な戦場で名を上げた強者たちだ。だからこそ、その言葉の本当の意味を理解できた。
圧倒的な力による殲滅は、戦争において最も簡単な手段である。だが同時に、最も後始末が難しい手段でもあるのだ。
「魔王様が戦場へ出れば、確かに敵軍は消える。だが同時に、街も城も大地もすべて消える。征服した後に残るのは、ただの荒廃した不毛の土地だけだ」
「つまり……魔王様に戦わせすぎるなって話か」
グスタフが腕を組み直しながら、つまらなそうに呟いた。
「正確には、魔王様がわざわざ出陣せずとも勝てる状況を我々が作れ、ということだね」
ガンヴァデインは深く頷いた。
「そして、そのためには敵側の戦力を正確に把握し、迅速に排除する必要がある。特に──あの聖剣使いだ」
その言葉に、リガルの表情が僅かに険しく尖った。
「……カーリーとか言う炎の聖剣使いッスか」
「そうだ」
夜穹の四天王は、静かに彼を見つめる。
「魔術で拝見させて貰ったが。アスラ、グスタフ、そしてリガル。三人の幹部級を相手に立ち回り、生存した存在。我々が最も警戒すべきなのは、その聖剣の力だけではない」
「本人の力量か……」
「その通り。歴史上、聖剣を扱える者など何人も存在した。しかし、その力を完全に引き出しながら、我ら魔王軍の幹部を相手に一歩も引かぬ者は極めて少ない」
セグナが、ついに読んでいた書物をパタンと閉じた。
「お父様の解析資料では、何もかもがおかしな人間だった。蛮人でありながら清廉、狂っていながら冷徹。その戦い方も、すべてが無茶苦茶」
「へぇ……そりゃあ面白いね」
リーリオが、まるで極上の獲物を見つけたかのように、楽しげに目を細めた。
「殺す価値がある相手ってことかい?」
「その通りだ」
重厚な声が響き、幹部たちの視線が一斉にその男へと集まる。魔王軍最強の武人──アスラが、静かに、しかし強固に己の拳を握りしめていた。
「安心しろ。再び奴と相まみえた時、この俺がカーリー・ブラッドソードを確実に殺す」
その絶対的な自信に、ガンヴァデインは小さく満足そうに笑った。
「流石はアスラだね。君ならそう言うと思っていたよ」
(んー?? お師匠様にしちゃ。ちょっと感情的な様なというかガンヴァデイン様が取り逃したとか言ってたけど。本当にそうなのか? アスラ様が? いやカーリーは弱い相手はじゃ無かったけど)
リガルが思考を巡らす中でガンヴァデインの揺らめく夜空のような魔力が、元の薄暗闇へと溶けていく。
「だが、忘れないでほしい。今後、我々が相手にするのは帝国だけではないということを。レメゼラを討った名もなき鍛冶師一行、そして、あの聖剣使い。偶然とは思えないほど、同じ時代に無名の英雄が集まりつつある」
四天王の警告は、冷たい残響となって円卓の間へと溶けていった。魔王軍の背後に忍び寄る、名もなき時代のうねりを予感させながら──